はてなキーワード: 親共とは
今回の新型コロナウイルス騒動で思い出したのだが、両親がダイヤモンド・プリンセスに乗船した事があり、その際に父がたちの悪い風邪を貰った事があった。
確か季節は8月の末頃で、韓国まで行って帰ってくるだけの短いツアーだったと思う。
ツアーそのものは楽しかったらしく、両親共に帰宅直後は妙なハイテンションになっていた。
そして帰宅して2日くらいに経って父が40℃を超える熱を出した。
母はまだ存命だった母方の祖母が検査入院する為の準備で忙しく、病院への付添いは俺がやる事になった。
当時は豚インフルが流行っていたので、それかなと思ったのだが診てもらったところインフルではないという事だった。
ではなにが原因なんだろうという話になり、医者と一緒に父の話を聞くと船内で風邪が流行っていたという事だった。
「多分、それだろうね。船の中は換気が悪くなりがちだから、病気が蔓延しやすいからね」と医者が言って、父も俺もおそらくそうだろうという結論に至った。
とりあえず一通り検査を受け、肺炎などの兆候は無いと確認されたので、薬を処方して貰い自宅で療養すれば大丈夫だろうという事になった。
父はせっかくの旅行にケチがついたとぶつぶつ言うのを宥めつつ、自宅に戻り父を自室に押し込めておいた。
それで一件落着すればよかったのだが、翌々日になって今度は俺が熱を出した。
父よりはマシだったが、それでも40℃近い高熱で意識が朦朧とし足元がふらついた。
数時間おきに吐き気があり、トイレでゲーゲーしていたら胃液しか出なくなった。
不幸中の幸いといえるのか、ノロウイルスの様に下痢をする事は無かった。
父はある程度熱が下がっていたがそれでもまだ微熱はあり、母は依然祖母を迎える為の準備で忙しい。
仕方ないのでフラフラしながら近所(1kmほど)の病院まで一人で歩いて向かった。
今思えばタクシーを使うべきだったのだが、熱にやられた脳ではその程度の考えも浮かばなかった。
その癖、病院には予め電話をかけて、高熱が出る上、かなりうつりやすい風邪だという事を伝える事は忘れていなかった。
我ながらチグハグだとは思うのだが、当時の俺は他人にこの風邪をうつさない様にする事を重視していた様だ。
マスクと手袋を装備し、夏なのに寒気がするからとコートを着込み、平日だったので人の少ないであろう午前中にフラフラと家を出た。
客観的に見れば明らかに不審者だったと思う。通報されずに済んでよかった。
いつもの三倍ほどの時間を掛けて病院にたどり着くと、受付を経由せずに裏口の様なルートで診察室へ向かった。
子供の頃からの掛かりつけの病院なので、こういう時は阿吽の呼吸的に事が進んだ。
こういう時に掛かりつけの病院のありがたみを実感する。
手早く診察をうけ、念の為レントゲンも取ってもらい肺炎で無い事が確認できたので処方箋を書いてもらい薬局に向かう事になった。
薬局にも事前に連絡がいっていたらしく、パーティションを使って他の客とは隔離される形で薬を受け取る事ができた。
この様な対応は当時、豚インフルが流行っていた事も関係していたのだと思う。
病院から帰る途中は吐き気も加わって、数回道端に蹲る羽目になった。
一度は道端で戻しそうになり、なんとか気合で飲み込んだ。
胃液が食道を通ってカーッとなるあの感覚は思い出すだけで嫌な気分になる。
そうしてヘロヘロになりながら、なんとか自宅に戻り部屋に引きこもってセルフ隔離に移行した。
祖母の世話をしなくてはならない母に万が一にうつったら大惨事だからだ。
この際、吐き気のせいで食欲が湧かなかった事が幸いした。
とりあえず飲み物さえあれば、トイレ以外では部屋の外に出なくて済む。
トイレに行く際は自分の歩いた跡にアルコールスプレーを振り、クイックルワイパーで拭き取って置いた。
3日ほどその様な状態が続いたが、薬の効果もあって徐々に体調は回復し、一週間もすると完調といえる状態まで回復した。
逆に言えば完治まで一週間もかかったとも言える。
一週間も仕事を休む羽目になったので、その後しばらく酷い目にあった。
長々と書いてきたがこの個人的な経験から一つ、今回の新型コロナウイルス騒動について言える事がある。
当たり前といえば当たり前なのだが、病気になった人間は判断力が著しく低下するという事だ。
俺は俺なりに自分がかかった風邪を他人に移さない様に努力したつもりだった。
だが後から振り返ってみれば、とてもじゃないが適切とは言えない行動を取っている。
そもそも父をタクシーに乗せて繁華街に向かった時点でアウトだったと思う。
おそらく、これまでもこれからも新型コロナウイルスに感染した人が、明らかにウイルスを蔓延させる様な行動を取る事例が出てくるだろう。
しかし高熱や肺炎といった症状に侵された人に、感染を拡大させない為の適切な行動を取るよう求めるのはかなり酷な事だと思う。
相当強靭な精神力と、高い判断力、本人の体力、病気そのものへの知識など、余程の好条件が整っていない限り実現は難しい。
行政や医療機関に限らず民間レベルにおいても、感染者がウイルスを蔓延させる様な行動を取る事を前提にして対策を練る必要があるのではないかと思う。
便乗記事 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/TanikoNikki/status/1226838905346904064
最初に言っておくこと
① この漫画の主張は「わざわざ嫌な言い方する必要ないですね」。
繰り返すが、敵対勢力でもない限り、「わざわざ嫌な言い方する必要」はない。
にも関わらず、「~だから嫌味を言っても許される」とでも言いたげなコメントが腐るほどあるし、
なぜかスターを集めていることに危機感を抱いたので、腹を立ててこれを書いている
ネタ元にならって全部にコメント添えようかとも思ったが、面倒なので割愛する。
以下にあげるのは全て「でもそれ、わざわざ嫌な言い方をする理由にはなりませんよね」だ。
分かるんだけど、産後ほぼ不眠不休で2時間おきに乳やってオムツ変えてる時に、効率良い的確な指示出しって難易度高いんだよな。頭ぼーっとして何も考えられないもん。辛い眠い寝たいくらいしか考えられない。
この手の話って両親共同立場同時スタートなのに片方に当事者意識(意欲)がない事にイライラしてると思うんだけどこれそれを更に補強する話しかしてなくない?車の例えは知識面はわかるけど立ち位置がズレてると思う
毎日車の故障してたら、機械音痴だろうが見て覚えて自主的に作業に参加するだろうよ。何もしない父親は毎日横目で見て何してんの?って話。うちの旦那は掃除以外は何でもしてくれるけどね。(自慢)
これがいい例えなのかなぁ。車に興味がない人ならとりあえず走ればいいくらいに思うかもしれないけど、車が好きで大切に思っている人なら男女問わず積極的にメンテナンスやカスタマイズするよね。
母親が慣れて詳しくなっていった間に父親は何やってたの?って話では。出産前に両親学級行くだけでかなり戦力になれるし意識も共有できるんだから絶対行っといた方がいい
母親になった瞬間から子育てのプロになるわけじゃないんだからこの例えはイマイチじゃない?教えて君にならずに調べたり考えたりすればいいのよ
飽きたのでやめる
こんばんは。医療の現場で働いてる増田だよ。あなたの家族に英一郎氏みたいなのがいたとして、助かるには家族全員で患者を見捨てて逃げるか、家族がそれを許さないなら自分一人で逃げ出すしかない。
病院の事務方(夜勤)をやってると、徐々に限界を迎える精神疾患者とその家族を目にする機会が沢山ある。十年で二十組くらいは見たかな。大体は冬か梅雨にアイツらは活発になる。日照時間が短いとやっぱダメなんだろうね。大暴れして家を飛び出して何故か僕の職場に来る。僕は掃除用のモップとか放射線科に置いてある三角コーンとかを駆使して無力化を試みる。まあ大体はブン殴られて滅茶苦茶になるんだけど。無力化できたら僕が警察を呼ぶし、出来なくても殺すつもりでしがみついて時間を稼ぐと、その間に看護師とかドクターが警察を呼んでくれる。
暴力を振るってた場合は警察がすぐに患者を拘束してくれる。大声程度だとそうもいかないらしく、警察がどんどん応援を呼んで、十人くらいでジワジワと患者を囲んで少しずつ動くことで患者を移動させ、二時間も三時間もかけて病院の建物から出してくれる。
気付くと患者の家族が到着して、患者が暴れなかった場合は引き取っていくこともある。大体の場合は「御迷惑をおかけしました」の一言もない。別に腹は立たない。最初の頃は患者がアレなら家族も大概だなと思っていたけど、違うのだ。家族はもうとっくに限界を越えて疲弊しているのだ。やんわりと事情を聞くと、ポツポツ話してくれる。初回はかなり曖昧な話しかしてくれないけど二度目・三度目になるとその家族の苦しみが溢れ出たように話し始めることが多い。
家族は患者に殴られ、金を取られ、病院への受診を拒絶され、いつ何時大声を上げて暴れ出すか分からない中で生活しているのだ。金を与えなければ暴れる。食事が気に入らないと暴れる。病院へいこうと提案すると暴れる。疲弊し切った家族にできる事は、患者が暴れ出すきっかけになるような何かを徹底的に避けて顔色を伺いながら接することだけだ。患者だけがデップリと肥えて、家族は皆痩せていて、カサカサしている。
家族はどうするのが正解なのかというと、金目のものだけ持ってどこかに逃げるのがきっと正しい。携帯の番号も全部変え、患者に持たせたカードも止めて、逃げるのだ。運がよければ警察なり福祉が介入してくれる。そこに至る過程で他人へ危害を加えるかも知れないがそこはもう仕方ない。殺されるよりはマシだと思って患者を捨てるしかない。
もし家族の誰かが患者を捨てられないと主張し続けるなら、あなただけでも逃げるのがいい。例えばあなたの兄弟や姉妹が患者で、両親のどちらかであったり兄弟や姉妹の誰かが患者を捨てることに反対した場合、だ。大体の場合、患者よりも先に家族に限界が来る。一人倒れ、二人倒れ、自分が倒れるまでに何らかの解決がもたらされればまだマシだけど、それを期待して何年耐えなければならないかも分からないままあなたの人生をすり減らすべきじゃない。
患者家族にそんな話をやんわりとする。あの家族は母親が倒れるまで頑張ってしまった。あの家族は両親共にダメになって、お兄さんがまだ頑張っている。あの家族は弟が自殺してしまった。あの家族は患者以外全員が去年よりずっと痩せている。全部覚えている。警察と病院の人間に頭を下げるその仕草が、歩くときの動きと同じで完全に体に染み付いてしまったあの感じは忘れられない。あんな風になって欲しくないから、無責任でいいし患者が救われないかも知れなくていいから、一人でも逃げてほしい。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
教養のない純粋な家庭で育ったからか、「"男は理系、女は文系"という風潮が存在する」という言説自体を未だに実感として受け入れられていないんだよな。そんな話は高校で初めて聞いたし、中学までは男の俺も「理系ってなんかダサいし、文系行くわw」くらいに思ってたし。(その後数学以外に興味を失って理系進んだけど。)
両親共高卒だから、理系とか文系とかいうものが大きな価値観の違いを生む環境に生きてなかった。よくわからんけど、中学卒業までの15年間「おまえは理屈っぽいなぁw」とカジュアルにバカにされて育った。こういうの、よくある普通の家庭だと今でも思ってるんだけど、そうでもないのかな。
流石に今は周りもみんな言ってるし、信じてないわけじゃない。論理的に導かれた結論なので支持しているけど、これが腑に落ちることは永遠にない気がする。
【登場人物】
・自分(男31才、3人兄弟長男、両親共働き、祖父祖母遠方、仕事有り)
・相手(女31才、ひとりっ子、母のみ&祖母同居、祖母は病気持ち&足が悪い、求職中)
【状況】
・交際期間2年
・お互いの親とは会ってるが、家族交えての顔合わせは未開催。
【起きたこと】
・八月中旬に相手の祖母の介助が大変なので、相手に実家に戻ってきてほしいとの要請がくる
・頭では理解しつつも、同居にあたっての金銭的な出費や、手続きに費やしたコストにモヤモヤが貯まる私。
・結婚するって決めたんだから、ちゃんとサポートしてやれよ、という自分
・いやいや同居してすぐに帰ってこい、って意味わからんだろ、という自分
どれもごちゃまぜなのだけど、俺が変なのかな、、、、?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASM7V4V85M7VUEHF004.html
書いてある例を見る限り、どこが多いの??としか思えない。
「今の子供の宿題は増えてる」って、今アラフォーの自分の子供の頃もこのくらい普通にやってたけど。んで7月中に大半終わらせてたけど。
もっと下のゆとり世代だともっと少なかったのか?でも今はゆとり脱却しただけだろ。
1か月半もあるのに他に何やんの?しかも6年生だろ?大半は親いなくても自力で出来るだろ?
それとも両親共に毎日深夜まで働いてて休日もろくにないブラック社畜だから丸付けの暇もありません!
子供も放置子で勉強なんか一切出来ないまま6年生になっちゃいました!とかいう家庭の話か?
それは子供をネグレクトしてる家庭の問題であって学校がそれに合わせる必要ないし…
ってかそういう家庭の子なら尚更、勉強する習慣つけてやらないとならないし…
逆に塾通いや受験勉強で忙しくてやってらんねーよってなら分かるが、
着物プラン頼んで、後からお食事会をするホテルで着付けとかメイクとかをお願いするつもりだった。
ところがだ。
私、未婚。
年齢はぶっちゃけアラフォーだから、振袖じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、うちの天上天下唯我独尊世界は自分が中心に回ってる女親様が、振袖は無いと聞いて「お着物で並ぶのは私と愛する妹ちゃんだけね!!」と言わんばかりに喜んでる。
即、ドレスにしろと言われる。無言でいたら、「みっともなくなっても困るしとりあえず金は出してやるから自分で着物も着付けも探してこい」と。
それはまだいい。いつものことだし、出してくれると言うなら、ここぞとばかりに出してもらいましょう。
腹立たしいのは、「お前だけ別になるけど」を繰り返し繰り返し、何が楽しいのか笑いながら言ってくること。
逐一棘のある言い方をするのはいつもの事だけど、本当に、私が選んだことが台無しになると嬉しそうにするなぁ、この人。
まあ、愚痴はおいておいて、いや、これも愚痴なんだけど、結婚式の親族用着物の選択肢が留袖オンリーってなんぞ?
ねーよ。そんな金なかった家だったよ。
でも、潔くドレスにするのも嫌だ。
妹も、私が着物にするって言ったら喜んでたし。
両親共に本も出版しているので、印税等の収入はありそうだが、現時点の収入は少なそう(父親は恐らく無収入、母親も連載久しぶり)
父方の祖父母は何か仕事をしているようにも見えないので、同居しつつ大学教授時代の蓄えを切り崩している可能性も
メキシコ人に計画性を問うてはいけないだろうが、なんとなく自転車営業の雰囲気。葬儀屋やホテル、各種企業と契約しているやり手の花屋かも知れないが、なんとなくそうじゃない気がする。母親頑張れ。通訳も決して高給では無いが。
たぶん終盤にソレイユはグレるし、きっと甘えさせてくれる男性にコロッと騙されそう
いつもの金持ち枠。ただ父親の部署は島流し臭が凄い。毒親だし、頭でっかちと天才型が結婚した一番やばい例かも。
きっとセレーネも終盤グレるし。きっと婚期逃すか、愛のない結婚しそう
石になっているのかもしれないが、そもそも皆は全て一つみたいなこと言っているので家族的な考えがあるかも不明。もしかしたら性別も超越しているかも知れないので、生えている可能性も
私が暮らしたかつての家庭は、母子家庭の上に毒親で、なんでこんな人が自分の親なんだろうって思い続けてきた。
小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人になっても、その時々で、この人が早くいなくなってくれればと思い続けてきた。
当時は2DKの団地に親と兄弟の3人で暮らしており、常に喧嘩の声や襖を叩きつける音が響き渡るような修羅の家だった。
子どものことを所有物の如く自分より下に見て、勉強すれば「偉そうに」とけなし、気にくわないことがあると罵り、出てくるまで部屋の扉を叩き続けたり、服をきたまま風呂場で放水するなど、心の平安は無い家だった。汚い靴を履くなと、他に履くものがないのにも関わらずスニーカーを捨てられたりもした。もちろん買ってくれるわけもないので、とても困ったのを覚えている。家族以外に対しても、同僚の悪口を電話で延々と上司に語るような性格の暗さを持っていた。
一方でびっくりするくらいの図々しさも持っており、職場で当時仲良くしていた人が病気で亡くなったときに、その人が乗っていた車を形見だと言って乗り回していたことがあった。後に、遺族の訴えで車は取り返されることになる。
親は時代時代の決め台詞を持っており、小学校中学校は「先生に言うぞ」「友人に言うぞ」。これはお前の本性を先生や友達に言うぞ、ということで、今から考えるとなんてことはないのだけど、当時は泣いて止めた。あと「施設の人が来た」というのもあった。これは孤児院の人が、迎えにくるぞという脅しで、保育園・小学校低学年の私には効果てき面だった。高校に入ると「かっこばっか」、これは思春期特有の髪型を気にしたりする姿を揶揄する言葉だった。付き合う人ができるとまた「向こうの家族に言うぞ」というのが加わった。
一度、親が務める職場で倒れたことがあった。親に安否の電話をかけると、菓子折りを持ってきて職場に謝れと言うので、言われるがまま菓子折りをもって職場の人に渡そうとすると、頑なに断られた。その人の表情からそれは遠慮などではなく、心底嫌われているというのが透けてみえた。親がその職場で何をしてきたか、察し・・という感じであった。その日の帰りは駅でめちゃめちゃ泣いた。
私たち一家は愛人としての身分として暮らした田舎を捨て、職を求めて町に出てきた貧乏一家で、慣れない仕事と生活環境で親には親なりの不満があったのだろうが、「育ててやった」という親の言葉が私を苦しめてきた。確かに、小・中・高と学費と生活費を出してくれたのは親だ。めちゃめちゃ貧しく、毎日の弁当を持つこともままならないような生活ではあったが、その当時は確かに親に支えられてきたのだ。
子供が生まれるちょっと前、私は縁を切った。結婚する前から言動がおかしかったが、子供に与える影響のことや、なにより毒親が自分に与える精神的な負担が大きすぎたため縁を切った。結婚する時に親が吐いた台詞を10年経つ今でも忘れることができない。
「探偵雇って調べたけど、あの家、評判よくないよ。」
絶句した。まさか自分の親がそこまでするとは思っていなかった。しばらく経って、あの時のことは本当かと聞いたら、本当だ、と言っていたので、お金のないなか本当に調べたのだろう。しかし、配偶者の家は両親共に本当にできた家庭であることは名誉のために書いておく。親の思考はとてもわかりやすく、自分の利益になるかならないか、なんだと思う。親は、男を誘うのが上手かったため、その時々で男がおり、その男の前では、「親は子どもの幸せが一番なのよ」と言っていたが、全く信じてはいなかった。
親の決め台詞に「アンタは他人以下」というものがあった。私はここぞとばかりに縁を切り、携帯の番号を着信拒否設定にし、およそ7年が経った。
最近になってよく携帯が鳴るのは気づいていたが、何かのアプリの設定でプッシュ通知がとんできているのかなと思っていたが、違っていた。
ある日、親からの留守電が入っていたため、着信拒否にしていても、着信があると軽くバイブが鳴るということに気がついた。
プッシュ通知だと思っていたものが、めちゃめちゃ電話をかけてきている親の所業だということに気がついた時はちょっとしたホラーだった。
着信拒否にしていても留守電が入るということも初めて知った。留守電の内容は金の無心だった。
7年経過した親の声は本当に親の声かわからないくらいのものであったが、それは親のものだった。
団地の家賃が払えず、市営住宅に移ったと聞くが、そこでもおそらくお金に困っているのだろう。
一人で生きるのにお金がかかるのは前から分かっていたのに、なぜ団地の家賃が払えなくなるほどになるのか。
働いているときにちゃんと貯めたり、厚生年金の中で暮らす生活の術はなかったのか。
罵りまくったせいで子どもも離れ、悪口ばかり吹聴するので友人もおらず頼れる人はいない。
なぜなんだ。なぜ、そんなに雑に生きるのか私には理解できない。
70歳になり、毒親の人生はもはや矯正の効かないところまで来てしまった。
このまま孤独に死んでいくんだろうな、と思う。
自分は九州のど田舎で、貧乏な家庭の3人姉妹の真ん中として育った。親は亭主関白な父と専業主婦の母。どちらも高卒。
父は癇癪がひどく、酒を飲むと寝てる自分を叩き起こして往復ビンタした。貧しい中、両親共に家におらずご飯が与えられなかったこともある。いつもお腹が空いていて、友人が多かった自分は友人宅でおやつをたくさん食べさせてもらっていた。そのおかげでしっかり成長できたと言っても過言ではない。病院にも行かせてもらえず、ネットが家にひかれているはずもなく子供部屋は6畳で3人一部屋だ。
父に溺愛されている妹、普通の姉、嫌われている自分というあからさますぎて認識できるレベルの差別はあったが姉妹の仲はよかった。
父から嫌われていた理由は自分で考えるに下記2点。自分は父であろうと間違えていると思うことに同意しなかった。また、勉強がよくできたところも嫌味にうつったのかもしれない。
父は自分に過大な要求と思われるものを突きつけ、自分が達成できると、ふーん、で?といった態度をとり、達成できないと喜んだ。要求内容は中学の頃は常に5教科のテストで490点取れだとか、高校の数学のテストで常に満点取れだとか。
また、父は異様に自分を縛った。溺愛されている妹はそんなことはなかったが自分の門限は高校生になっても17時半だった。
貧乏なので部活はお金がかかると禁止され、読書と勉強だけしていた。私立高校は受験料が高いため受験できず、あわや中学卒業と共に浪人生か、という危機と隣り合わせだったものの、なんとか高校は県一の進学校に入学できた。県立高校であるが授業料が払えず奨学金を借りた。大学もなんとか都内の有名大学に進学できた。もちろん奨学金で授業料や生活費を賄った。
大学に入ってから周りの家庭環境のレベルの高さを知りしんどかった。社会福祉の授業中、貧困層の話になり、自分のこれまでの生活よりはいい生活をしてる例が出てきて苦笑。教授が、ここにいる君たちには想像がつかない生活かもしれないが君たちがこういう日本の現状を変えるんだ、なんて言い出してさらに苦笑。児童虐待の話では、親に叩かれたことはあるか?という話になり、ある子が「一度だけ本当に私が悪いことをして叩かれました。その時は叩いた親も泣いていて、今でもその時のことはちゃんと親も自分も覚えてます」なんて言ってて、ああ、本当に素敵な家庭で育ったんだな、と。
格差はどこまでもあった。格差というのは金銭的な話だけでは終わらないものだ。金銭的な問題だけなら何とか乗り越えられるけれど、教養の壁、人脈の壁、知識の壁が非常に厚かった。パソコンを人差し指で入力する自分と当然ブラインドタッチの同級生、論文の調べ方もわからず、図書館に籠る日々。1年間留学に行く同級生、親のコネで就職先を決める同級生、たくさんのお店を知ってる同級生、たくさんの遊び方を知っている同級生、たくさんの将来の選択肢を知っている同級生。たびたびお嬢様でしょと同級生からからかわれたが、ガチガチに縛られていたから世間に疎いだけで、ただの貧乏人である。心が折れそうな日々を過ごした。
社会人になり、自分は自分の人生を取り戻そうと努力した。自費で歯の矯正をして、運転免許もとり、箸の持ち方も矯正し、家に仕送りをし、奨学金を返済し、働きながら専門職の資格を取得し、給料の高い職に転職し、同じ大学を卒業した同級生と結婚し、都内に家を購入した。結婚後は仕送りを辞め親とは2年に一度しか会っていない。
社会人以降トントン拍子で人生が進んでいったように自分でも思えるが、ひと段落ついた今、自分が何をしたいのか見失っている。
自分は得られなかったものを得ようと抗った結果ここにいるが、それが自分が本当に欲しいものだったのかよくわからないことに気づいてしまった。
今の自分に対し「よっしゃー!私はあの生活からしちゃ、大出世だぞー!!!」なんて充実感はなく、当然あるべきだったものが自分にはなかったから装備した、ような気持ちしかないのだ。
では、装備が整ったからといって自分が向かう先はどこだろうか。
自分はこれが好きだ、とか、こうしたい、とかは特にないまま、得られなかったものを得たいというだけでここまできてしまった。
もし、なんて話は嫌いだ。けど、もし、小さな頃に父親が正常な精神を持っていて自分のことも好きになってくれていたら、何か違っていたのかな、もしお金持ちで教養のある親に育てられてたら、何かちがっていたのかな、なんて。
初対面でこの人を好きになると直感し、一目惚れした片思い中の相手と生い立ちなどの話になった。話を聞いていく内に自分の母と共通の部分が多いことを知った。
・実家の家族構成、ペットが同じ。一人親の下で育ち、育ててくれた親の性別ともう片方の親が不在である理由が同じ。両親の職業が完全に同じ(両親共に非会社員)。
・出身中高が同じ、在学中の成績も同程度。
それから趣味や食べ物の好みなどちょいちょい似ている所がある。ルックスは全然。こういった共通部分から形成された雰囲気を、私の知らない自分が一瞬で把握して好きだ!と判定したのだろうか。
とにかく、苗字だけ知った状態で初めましての挨拶で目を見た瞬間頭の中に稲妻が走った。これまで好きになった人達はルックスにおいて特徴的な共通点があり、ビジュアルで選んでるよねと良くからかわれてきた。今回は綺麗に外れている。また、自分が言えたことじゃないが皆の目を惹くとびきりのルックスという訳でもない。
これまで抱いてきた恋愛感情の中で圧倒的断トツの気持ちの大きさに我ながらビビっている。持て余している。今年29歳になるが大事すぎて逆に何もできない。究極相手が幸せなら自分はどうでもいい。もはや関係性のゴールの目標を両思いに設定しなくていいかとか考えている。頭の中だけはとりあえず自由だが、こうして書くと我が事ながら結構気持ち悪いなと思った。諸々慎ましくいきたい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/blogos.com/article/352277/
これの筆者の後半の主張は
「かつて夫が妻に子育てを押しつける事でキャリアパスを得ていたように、
今は両親が保育士に子育てを押しつける事でキャリアパスを得ようとするが、
それはかつて夫が仕事を言い訳に妻を搾取していたように、今は両親が保育士を搾取しているだけではないか。
それより自分たちで産んだ子供は自分たちで育てるべきではないのか」って話だと思うんだが
ブクマカ見当はずれな事ばかり言ってね?
保育園に預ける=ちゃんと子育てしてない、っていうのは昔からあるめちゃめちゃ典型的な勘違いなんよ。はっきり言って自分で見るよりよっぽど子供の成育に良いで(と少なくとも我が家はそう考えている)
かつては多くの夫が
「妻に預ける=ちゃんと子育てしてない、っていうのは昔からあるめちゃめちゃ典型的な勘違いなんよ。はっきり言って自分(夫)で見るよりよっぽど子供の成育に良いで」
と考えていたのが、今は両親共にそう思っている(で、妻→保育士となっている)ってのが筆者の主張だよね?
そうやって言い訳してかつては妻に、今は保育士に育児を押しつけている、と。
この手の「保育士の方が親より育児が出来るから」ってのは多いが、それは夫が「俺より妻の方が育児が出来るから」と言ってるのと同じ。
それ以外も、
「保育園に預けてる親だって大変なんだ」は「育児を妻に押しつけて働いている俺も大変なんだ」と、
「保育園に預けて共働きしないと生活できない」も「育児を妻に押しつけて俺が働かないと生活できない」と、何も変わらない。
保育士の待遇改善を、ってのも「育児してる妻は大変だから国が支援しろ(俺は何もしないけど)」って夫と何が違うのか。
ブコメが全体的に「かつては夫が言っていた事が今は夫婦ともに言うようになってるだけ」という作者の主張体現乙になってる。
そういう所が批判されてるんだと思うんだが。
自分はアラフォーで給料そこそこ、彼女なし&結婚できないレベルの人間。
こういう状態にあると、様々なことがどうでもよくなる。
・色恋全般
付き合ってる相手が~旦那が嫁が~というの見るたびに苛々するし
何ならはやく破綻しろと感じる。(これは昔でいうリア充爆発的な何かか)
独身税か?何故お前ら勝ち組のためにしわ寄せをうけないといけないのか?
恋愛・結婚・子供を持って人間として生きられるような恵まれた人間にさらに支援が必要か?
実質的に独身税で、それによって貴族がさらに幸せに、独身がさらに貧乏に、惨めになる。
何も良いことがない人生で、電車にのればガキが泣き叫び、ファミレスいけば放置された
ガキが走り回り、それを当然のような顔するクソ親共。
心の余裕に満ち溢れた勝ち組様なら優しく見守れるだろうが、自分はそうではない。
人生勝ち組で子供までつくって幸せを謳歌し、さらに周囲の安寧まで奪うのか?
同性愛とか極めてどうでもいい。結婚を認めろ!とか言ってるのを見ても
性別関係なくパートナー見つけられてる貴族共を何故支援する必要があるのか疑問に感じる。
恵まれている人間は自己肯定感が強いからポリティカリー・コレクトな内容に乗ると必然主張も強い。
今進められている施策は、内容は正しいし、そのまま進めていくべきだろう。
ただ、いわゆるキモカネオッサンは完全に詰んでいて、こういう「社会的健常者」を益々富ませることが