はてなキーワード: 自力とは
そんなにむずかしくないはずのLinuxのカスタマイズでもググると「これ!」という解決策にあたらずに英語圏のBBSのグダグダなやりとりを読まされて結局正解が判らない、てことが多くてこまる。
サーバ用にGUIなしでインストールしたOpenSUSEをブートしたときにオートログインしたいってだけなのになんで /etc/sysconfig/displaymanager をいじれって言うのだろうか。スレの質問者だってCUI環境だってちゃんと書いてるのに。
結局自力解決したけど。systemd のconfにagetty --autologin を書き加えるだけのことなのにだいぶ遠回りしてしまった。
(追記)
あと古い情報が多いのも困りもの。2000年代前半のの記事が上位に挙がってくるのにはうんざりする。こっちは検索オプションで対策できるけど。
最近、「インスタ映え」というものを気にするタイプの人たちが目立つようになった。
話題の食べ物を食べに行くのではなく写真を撮りに行く人たち、有名テーマパークではインスタ映えする写真を撮りたいがために危険行為をおかす人たちも見受けられるようになっている。
これらの行為の原動力となっているのは、「自己顕示欲」であることが多い。
しかし、自己顕示欲は多かれ少なかれ普遍的に誰しもが持っているもの。
ではなぜ今までこのような問題に発展しなかったのか。
インターネットが普及する前、自己顕示欲を満たすためにはそれなりの技術や能力が必要だった。
多くの人に作品や自分のことを発信するには、発信できる媒体まで自力でたどり着かなければならない。
作家となり作品を出したり、タレントとなりテレビに出たり、自己顕示欲のためにある程度の能力が育てられた。
マスコミの特権だった大衆性は、誰しもが持てるものとなったのだ。
うちの犬の様子がおかしくなったのは、3年前の秋、私が高校1年生のときだった。
後ろ脚だけがもつれる。ふらつく。地面に脚を擦って歩く。何か、様子がおかしい。その時点でそれなりに年を取っていたこと(当時12歳)、以前子宮系の病気になって九死に一生を得たこともあって病院の先生にもよくその存在を知られていたこともあり、すぐに動物病院へ連れて行った。
というのも我が家には昔、その子と一緒に飼っていて、小学生の頃に白血病で死んでしまったもう一匹のコーギーがいたのだが、異変に気付いていたのに大丈夫だと高をくくってしまったが為に病院へ行くのが遅れてしまったという過去があったからだった。
最初に獣医さんが言ったのは、ヘルニアかもしれない、とのこと。コーギーのような胴長短足犬がヘルニアになりやすいのはよく知られた事実である。実際に、昔読んだ様々なコーギーの飼育本のどれもが、ヘルニアという病気について取り上げていた。発症を防ぐために階段の上り下りはさせない、だとか、そんなようなことが書かれていたことを覚えている。実際に、レントゲン写真を見せつつ説明もしてくれた。
ただ、それと同時にちらっと言われた、別の病気の可能性。現段階では確定できないけれども、もうひとつ「これかもしれない」という病気がある、と、何気なく言われた。後ろ足からどんどん動かなくなっていく病気。ヘルニアと違って痛みはないけれども、だからこそ犬自身は気づかず普段通り歩こうとする。今考えると、あれは変性性脊髄症(DM)のことを言っていたのだろう。
とりあえず当面はヘルニアの疑いとして治療を行っていきましょう、という方針になったが、その後の病気の進行は今考えるとまさしくDMそのものであった。
まず、自力での散歩ができなくなった。後ろ脚が本格的に動かなくなってきても、犬はそれに気づいていない。だから、後ろ脚を引きずって前脚だけで歩こうとする。ちょうど、お座りの姿勢で移動しているような格好になる。そうなると、お腹のあたりが傷ついてしまうため、介助ベルトを使って後ろ脚を持ち上げて歩かせる必要がある。だけどそれはかなり負担で、かつうちの犬はあまりそのベルトで釣り上げられつつ散歩するのを好んでいなかった。もともと散歩が大好きで走り回るのも大好きな子だったから、なおさらだと思う。
またこのころ、排便がうまくできなくなってきた。後ろ脚でふんばることができないからとのことだった。獣医さん曰く、自力で出せないが為に腸の中に便がたまっており、新しい便に押されるようにして出てくるしかないため、コントロールができなくなっていたらしい。
もともと排泄はすべて散歩のときに済ませトイレシートなどは使わないのが常だったので、仕方がなくおむつを履かせることになった。ここでうっかりしていたのが、犬用おむつ。コーギーは例外的だが、ほとんどの犬にはしっぽがついている。そのためおむつにもしっぽを出す穴が付いているのだが、コーギーの場合はそれが仇となった。しっぽがないために、排泄物がその穴から出てきてしまうのだ。結局、赤ちゃん用のおむつの中でもとりわけ大きいサイズのものを着用させる方向に落ち着いた。
また、病気になる前からも誰かが家にいるときは基本的にケージから出してリビングの中を自由に動き回らせていたのだが、病気になり外へ散歩に行けなくなってからはほとんどケージを使わなくなっていった。以前のように階段を昇って行ってしまう心配もなかったし、そこまで部屋の中を動き回らないだろうと思ってのことだった。だが、そのすぐ後に問題に直面することとなった。
脚を擦って歩くと、おむつが脱げてしまう。これではどんなに今のおむつに優秀なポリマーが入っていても意味がない。そう考えた私たちは、仕方なく犬に服を着せてその服とおむつとをガムテープで結ぶことにした。見栄えも何もないが、仕方がない。
本当はうちの犬は服を着るのが嫌いで、幼いころに着せた時には気づいたら自力で脱いでしまっていたのだが、この時ばかりは何の不満げな様子も見せずにいてくれた。その後タンクトップスタイルの服から介護用の多機能ベストのような服を着せるようになっていったのだが、その時も何もなく受け入れてくれた。人間と同じで、犬も年を取ると丸くなるのかな、なんて考えたりもした。
ともあれ、私たち家族も犬自身も、病気とうまいこと付き合いながら、いつも通りの生活を続けていっていた。
そして2年前の初夏、ちょうど私が定期考査を終える頃に、犬が体調を崩して入院した。それと同時に、獣医さんからDMのことを聞かされた。そして、DMにかかっている犬の献体を受け付けている大学がある、ということも聞かされた。現段階ではヘルニアではなくDMの可能性が非常に互いが、この病気は脊髄の病気だから生きている間にその検査を行うことはできないため、除外診断的にしか分からないこと、また今はまだ治療法どころか詳しいメカニズムさえも明らかにされておらず、病気の進行を見守るしかないということ。だからこそ、もしも亡くなったときには献体に協力してあげてほしい。そう、言われた。
私はその時点から亡骸を献体として提供することをある程度は覚悟していたが、家族の思いはもっと複雑だったらしい。今年の春先にようやく意見が固まったぐらいだったのだ。かくいう私も、それが本当に犬にとっても良いことなのか、最初は迷った。もちろん遠い目で見れば、病気が解明されて多くのDM犬が助けられるようになったほうがいいだろう。
だけど、そんなそろばん勘定ではものごとは片付かない。臓器移植云々で色々な意見が出ているのと同じだ。当人の意思を省いた周りの勝手なエゴで、犬に嫌な思いをさせてしまわないか? 何度そう考えたか、分からない。
それと同時に、家の中では車いすの話が持ち上がった。自宅から少し離れたところに、犬用の車いすを取り扱っているところがあるらしい。それを聞きつけてほんの少し後の2年前の7月初旬、本当に車いすを作ってもらうことになった。まだ前脚がまったく動かなくなったわけでもないし、車いすを使えば昔のように走り回ることができて犬も喜ぶだろう、という考えだったそうだ。
車いすを使い始めてすぐは慣れておらずたびたび角にぶつけたり私や家族の足を車輪で轢いて行ったりしたこともあったが(笑)、犬は車いすを気に入ってくれたようだった。昔のように散歩ができることを、何よりもうれしそうにしていた。体力が落ち、徐々に前脚にも力が入らなくなってくるまでずっと、その車いすと共に外を歩き回ったことをよく覚えている。
車いすに乗らなくなって少ししてから、悪い癖がついた。目に留まったものを噛んでボロボロにしてしまう癖だった。それまではほとんどそんなことをする子ではなかったが、動けないことへのストレスがたまっていたのだと思う。新聞に始まり、プラスチック製のかご、障子、畳まで噛むようになった。少し目を離したすきにやられてしまうのでどうしようもなかった。帰ってきたら新聞がバラバラになって床に散乱している、なんてのはしょっちゅうだった。
同じころに、褥瘡が見られるようになった。いわゆる床ずれだ。お腹のあたりを中心に、毛がなくなり、代わりにかさぶたのようなものができていった。とても痛々しく、見ていてもかわいそうだった。せめて早く治るようにと、患部を清潔に保つことを心掛けるしかなかった。
受験勉強で私しか家にいないときは同じ部屋に犬を連れてきて、冷房の効いた部屋にいさせて熱中症を防ぐと共に様子を気にかけつつ勉強する、なんてこともあった。基本的に昼間はずっと寝ているので、そのいびきに少し腹が立ったこともあったが、それもいい思い出だ。
私が高校を卒業し実家を出たころから、呼吸がおかしくなっていった。この頃には胸ではなくお腹で呼吸をするようになっていて、呼吸自体も荒くなったりすることもよくあった。また、それより前ではあるものの、鳴き声も以前のように太いものではなくて、かすれたような声で鳴くようになっていた。
息を引き取る二日前、お水もご飯も摂らなくなった。大好きなおやつやミルクにも興味を示さなくなり、いよいよか、と覚悟した。DMは基本的には食欲の低下は見られない。ただし、終末期を除いて。病院で点滴を打ってもらってから少し食べ物を食べたりもしたそうだが、嫌な予感は当たっていた。次の日の昼、呼吸がおかしくなり、そのまま息を引き取った。
学校からそのまま急いで実家へ帰り、亡骸とようやく対面した。寝ているときの様子とまったく変わらない、いつも通りの表情をしていた。そのとき、以前獣医さんが言っていたことを思い出した。DMは、たとえ進行していても犬自身は痛みを感じない。白血病で亡くなってしまったもう一匹のコーギーは最期のその瞬間以外はずっと苦しそうだったけれど、この子は苦しまずに逝けた。それだけでもずっと幸せだったのかもしれない、と思った。
翌日の朝にDMのコーギーの献体を受け入れている大学へと訪れ、病気の経過を伝えるとともに献体として提供した。褥瘡の少ないからだを見た大学の動物病院の獣医さんに、よく介護されていたんですね、と言われ、自分たちのやってきたことは間違っていなかったんだとようやく一安心した。
そして、ご協力ありがとうございます、と何度も感謝された。大学のほうにはかかりつけの獣医さんに連絡してもらっていたそうなのだが、そのどちらからもすごく感謝されたことをよく覚えている。DMのコーギーは大学付属の動物病院でも何匹か診ているそうなのだが、あまり献体を提供することに協力的な飼い主さんはいないらしい。最後の最後に、苦しい思いをさせるかもしれない。そんな気持ちは、誰だってあるだろう。
献体提供後、検査をした後にはペットの葬儀社で個別に火葬してもらい、お骨はこちらに戻ってくるとのことだった。私が実家を出る日の朝、ちょうどお骨が家に届いた。大学を訪れて3日後だったと記憶している。人間の葬儀の時のようにしっかりとした骨壺と骨袋に入れられて帰ってきたそれは、他のペットたちの写真と一緒に今も実家に大切に保管されている。
ずっと親が尻拭いしろと言い続けてるみたいだけど
そもそも妊娠するような高校生の親は虐待親である事が多い、ってのは無視か…
男に頼ろうとする→妊娠、ってケースが圧倒的に多いんだが
俺は765中心だけどわかるよ
315もそうだけど、765とミリとデレを混ぜると、765を自然と持ち上げる構図になっちゃうのは痛々しくて見てられない
12周年記念ニコ生だから~とか関係ないよ、どんな場面でも先輩方って持ち上げる
特にsideMの場合は明らかに毛色が違うのが見え見えだし、どっちの中の人にとっても居心地良くなかったんじゃないだろうか
sideMはアイドルマスターの看板と、ジュピター+涼ちんを擁してるとは言え、ほとんど自力で今の地位を築いた
それ考えたら他のアイマスとまぜこぜしなきゃいけないなんてことはないと思う
今後日本が衰退していくにあたり、どこかで弱者を切り捨てないといけない時は来る。
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
弱者保護の根底にあるのは上記日本国憲法第25条だろうが、これを
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
とちょこっと書き換えるだけで、ありとあらゆる弱者保障の義務から日本国民は解放され、自力で生きていけるだけの強い人間だけが生き残る強い国になれる。
9条と合わせて提案すれば、馬鹿な国民は9条ばかりに気を取られ、こっちが疎かになる。
で小さい頃から反射的に耳を塞ぐ癖があった。思春期頃に流石にまずいと思って何とか無意識に耳を塞がないようにまでは自力で治したけど、今でも怒鳴り声を聴くとたとえ自分に対するものでなくても身が強張る。
大きな音が苦手というわけでも雑音が苦手というわけでもない。雷鳴りまくってる中でもバイク騒音野郎が夜中車道をぶっ飛ばしてる中でも普通に寝られるし、多少の人の話し声のノイズがあった方が集中して作業が出来るタイプだ。
怒鳴り声特有のなんかこう暴力的な空気というか気配と言うかそういうのが苦手。
母親が情緒不安定気味で機嫌が悪いとすぐ怒鳴るタイプだし、小さい頃世話になったピアノの教師も指使い間違えるとめっちゃ怒鳴ってくるタイプだったし、小学校の担任もヒステリックなおばさん先生だったこともあったし、そういうのが積み重なって苦手意識みたいなものが出来てしまったんだろうなとは漠然と思っている。ただ同年代の友人もわりと同じような環境で育っている人がいて、でも彼女は「怒鳴り声なんて慣れた」とさらっと流せてしまうタイプらしく、そのあたりは結構羨ましかったりする。
フィクションだと全然大丈夫で、むしろ登場人物が罵り合いながら殴り合うシーンなんかはアニメは勿論実写でもかなり盛り上がって見られるので、そこはまだ良かったなあという感じ。
環境に恵まれたおかげで何とか今のところ仕事にはありつけているけれど、今後日常生活に困ることがあったらやっぱ心療内科とかのお世話になった方が良いんだろうな。
薄い本の作者が100hでクリアしたってあとがきにかいてたから自分もそれくらいだと思ってたけど全然おわんねーわこれ
つまんねーことで何度もやりなおししたりしてたからまあしゃーないっちゃしゃーない
攻略見ながらこれだから自力でやったらもっと大変だなこれ・・・
単純計算だとゲーム内時間半年で100hだから残り半年で100hで1週200hかかんのかよと思ったけど、
コミュイベントとかもう12月いっぱいで終わるってどっかでみた気がするから、実質的に忙しかったりプレイに時間がかかるのは12月くらいまでで、1~3月はもう消化試合って感じでさくさく日数進むかんじになるのかな?
いやーしかしハマるなあ
声もかわいいしキャラの性格も可愛いし絵もかわいいし笑顔もめっちゃかわいいしマジでほれるわ・・・
ずきゅーんってきたね
でもリアルにつきあったら持ち前のセンスで余計な詮索というかつっこみしてきてうざそうとも
ダンガンロンパとぺるそナってキャラとキャラにまつわるストーリーが面白くてめっちゃ好きだわ・・・
うーん1週目でコミュ全部MAXできるかな・・・けっこうぎりぎりっぽいんだよな・・・
操作しなかったときに主人公(福山順)の声で「うーん」みたいなのがときどき出るんだけどこれがうざくて消したい・・・
声優も不快(名前ぱっとでてこんけど声優の顔が浮かぶ。あいつ人間的にキライなんだよ
りゅうじがばかすぎて墓穴ほりすぎでこんなんもっと早い段階で周りの人間に怪盗だってばれてるだろって感じ
杏は百合だし
しかしキャラのイベントでの選択肢、ひたすら相手に合わせた返答選ばないといけないのが苦痛だなあ
主人公しゃべらないからほとんどのキャラが、自分の期待してる答えだけを主人公に求めて、最後は勝手に自己解決してる印象が強い
カバーはいいけど遮蔽物と敵までの距離が遠いときに待つのがめんどいから工学明細みたいなのもほしかったな
前プレイしたのがP3Pだったから、いろんなバリエーションあるダンジョンが楽しい
でも結局のところ見た目とかやることがだいたい同じになっちゃってるのが残念だけど
P3Pみたいなかわりばえしないダンジョンひたすらもぐってくニーズもメメントスでおさえてるしね
ただメメントスはBGMだ陰気だから長時間やるのに嫌気さすんだよなあ・・・
途中から夜寝る前のBGMに歌がつくけどあれリラックスできて好き
うーん楽しい
もう人間パラメータはMAXにしたから後はめっちゃがんばってコミュMAXにするだけだ
間に合うかなー・・・
人間パラ数値で表示してほしいなと思ってふと思いついたのが、ペルソナ5ってガンパレに似てるなってこと
あれほど自由度はないけど、なんとなくより一般向けにガンパレを洗練させたのが昨今のペルソナって気がした
p4やってないけどアニメだけは見てて、クマかわいいけど声がかっぺーなのがどうにも抵抗拭えなかったけどこれでいいんだよ
ただ真のサトリナはちょっとお姉さんちっくすぎるかなとは思ったけど
ちょうど最近ニコニコでの政党別支持率アンケートが出てたけど、自民が50%超えてた。
ある程度、自力で現在起きているニュースを探せる人間は、野党の不甲斐なさや無茶苦茶さを知って右に傾く。
そのうちの一定割合は先鋭化していわゆる「典型的なネトウヨ」になっていくんじゃないかね。
ある程度以上、自力で色々情報を集める人間は共産主義や自由民主主義への反感をこじらせて左に傾く。
こいつらは自分が努力の末にその思想を得たと言う優越感があるから、
自分達に与しない人間を馬鹿と断じて上から目線でご高説垂れる。
自分で物事を調べず、テレビや新聞から与えられる情報だけ生きている人間が最大層で
体がだるいし、目が開けられない。私の寝起きには良くあることだが、今回は一段と重い。
何とか体を起こして立ち上がるが、どうもふらふらする。しかも動悸と吐き気がする。いつものように首筋に寝汗をかいていない。なんだこれは?
温度計を見ると30度とある。熱中症や脱水症状に思い至り、冷蔵庫を開けてお茶を飲み、また横になる。リモコンで扇風機を付けた。冷房は壊れている。
少し経ってもいずれの症状も治まらない。お茶では足りないのか。
どうにか起きてコップに水を入れ、塩を溶かして二口ほど飲む。まずいが仕方がない。
再度横になって様子を見る。
16:00分頃、周期的にこみ上げる吐き気と動悸は一向に回復する様子はない。悪化している?
意識はしっかりしているつもりだが、一人暮らしなので、もし失神でもしたら恐らくアウトだ。
私は緊急社会システムにアクセスすることにした。即ち119への電話である。
電話口の相手には救急であること、住所、アパート名、名前、症状を伝えた。
「熱中症とおっしゃいますが思い当たる節があるんですか?」「30度の部屋で寝すぎました」
「わかりました。今救急車が向かっています。ドアの鍵を開けてお待ちください」
大体このようなやり取りで電話は終了し、私はベッドに倒れる。その後体感で5分程度でサイレンの音が聞こえてきた。
インターフォンが鳴らされたので出る。もう何も考えたくない状態になっており、救急隊員とのやり取りは覚えていないが、症状を説明して歩けるかどうか確認され、身分証が入っている鞄を持って戸締りをしたことは記憶に残っている。そういえば隊員の方に顔が真っ白と言われた。
寝巻きのまま自力で歩いて救急車まで行き、中のベッドに横になる。
そして指や腹部に何やら得体の知れないものを付けられる。どうやら指に付いたもので脈を取るらしい。
次いで血圧と体温をはかる。体温37度らしい。平熱34~35度の私にとっては発熱状態と言えそうだ。風邪でもないのにこんな体温になるとは。
搬送先の病院を見つけて頂く間、ライトで目の確認、痺れや神経の確認などをされる。
3名の隊員に来て頂いているが、常に1人は私の横にいて見張ってくれるようだ。大変失礼だがこの方の目は怖かった。口調は丁寧そのものであるのに。
「お名前言えますか?」「生年月日は?」「年齢は?」「今日の日付は?」「ご実家の電話番号は?もしかしたらご家族に来てほしいということがあるかもしれません」「今の症状はいかがですか?」「ご職業は?」
質問には全て答えられたが、いかんせん体がだるい。喋るのも億劫だったが否やもない。
他には、今まで似たような症状を経験したかどうか、過去に何か大きな病気にかかったか、持病はあるか、普段何か薬を飲んでいるか、などだった。それ以外にもあったかもしれないが覚えていない。一週間前まで夏風邪にかかっていたことを確かここで話したか。
質問の最中には別の隊員の方が私の状況を年齢性別と共に病院に伝えてくれているのが聞こえてくる。2、3回、この病院はかかった事があるかと聞かれるが、全て初診の病院である。金曜午後4時とあってなかなか搬送先が見つからないようだ。付近で行った事のある病院を聞かれたので、以前風邪のとき見てもらった個人のクリニックの診察券を見せるが、すでに診療時間外であった。
今思えばこの質問攻めとも言えるものは、必要な情報を得ると同時に意識を失わせないようにするためのものだったのだろうか。
この間に動悸は治まり、めまいも軽減したようだ。何も考えたくない状態は変わらないが、症状としては吐き気のみになっている。救急車の中の温度が功を奏したのだろう。
やがて搬送先が見つかり、移動開始。車内はゆれるので何かあったら伝えてほしいと言われる。
10分ほど揺られて病院に着いた。体に付いた器具は到着直前に全て外される。
どこにある何という名前の病院なのかもわからなかったが、どうでも良いことだった。ベッドごと救急車から降ろされ、救急室へ運ばれる。
移動中、看護師さんらしき方が「大丈夫ですよ~病院に着きましたからね~」と声をかけてくれる。
救急室に入室。時計をチラッと見てみると、16:28分ごろだった。
救急車のベッドから救急室のベッドへ体を移動する。「ゆっくりで良いですよ」と優しい。
そして胸部腹部に器具を付けられる。心電図か。指にも脈を取るための何かを付けられる。たちまち救急車の中とほぼ同じような状態になった。
症状とそうなった経緯を聞かれたので説明する。もともとロングスリーパーで、前日の22時から寝ていたと言うと驚かれた。
ここで気付いたが、やたらと女性が多い。医師の方も女性であり、経緯と症状を説明している救急隊の方以外に男性がいない。
救急室で何をされたか、おぼろげにしか覚えていない。時系列がぐちゃぐちゃだが思い出してみる。
思考停止状態の私はなされるがままぼーっと目の前にある特徴的なライトを見ていたと思う。手術室にありそうなUFOのごときあれである。
確か、もう一度目にライトを当てられる。首を左右に振られる、などだ。眩暈はしない。
「採血しますよ。その後点滴打ちますからね」なんと。この状況で血を抜かれるのか。まあ、もう任せておこう。「アルコールはかぶれませんか?」かぶれたことはない。大丈夫だ。
じゃあ3本などと聞こえた気がするが、見ていないのでどれだけ採られたのかは定かではない。
点滴の後、それから看護師の方に心臓部に何やらローラーを当てられてぐりぐりと動かされる。なかなか終わらない。鈍痛的刺激である。私の体のせいか、どうやら目的を達しづらかったようだ。医師の方に交代するが、それでも時間がかかっていた。体を左に傾けるように指示される。よくわからないが、これで成功したようだ。
喫煙と飲酒の確認をされる。煙草は吸わないし酒は2週間に一度ぐらいだ。
あとは、目の前に指を出され、目で追ってくださいと言われる。問題なくできた。
めがねのような物をつけて天井を見るようにと言われる。とてもぼやけるレンズで、まともに外界を見ることが出来ない。気持ち悪くなったりしないかと言われるが、大丈夫だった。
「私の指先と自分の額を指で往復してください」これもできた。
親指に何かを打たれ、出血したときにその血を器具で調べるということもされた。結構痛くて指が震えてしまった。チラッと顔を確認される。「痛かったですか?」「はい少し」などと会話して気恥ずかしくなった私は目をそらす。
おおよそ処置が終了したようで、救急室にいる人数も少なくなってきたか。
点滴が効いたのか、この頃になると吐き気もほぼなくなっていた。
実家に電話して頂いたようだが、出なかったのだろう。連絡の付く時間を聞かれるが、今いないのなら深夜でないと連絡不能である。我が両親は忙しい。
迎えのための連絡先を聞き出される。
しかし、連絡先が入っているスマートフォンは持ってきていない(これがまずかった)し、普段の連絡はメールである。デジタルネイティブである私は両親の携帯の番号など全く覚えていない。「おじいちゃんおばあちゃんは?」実家にいるが、祖父はすでになく祖母は離れにいる。電話したとしても聞こえない。「他に近くに知り合いはいないか」いない。
いよいよ困らせてしまったようで、鞄の中のファイルに閉じられた紙に書いてある電話番号を見せられる。「ここは?」「それは職場の人間の番号です」「よくわからないな~」申し訳ない。
そうこうしている間に別の患者が来たようで、私は車椅子で別室に移される。何かあったらナースコールをお願いしますと言われ、カーテンを閉められる。
ここでもぼーっと寝ていた。点滴を見る。かなり速いペースで滴が落ちていて、少し経ったら終わった。まさか25歳で救急車のお世話になるとは思わなかった。天井を見ながら、そういえばネットでふぐの毒にあたった人がこのような光景の写真をアップしていたな、いやあれはただのネタだったか、などと考える。余裕が出てきたのか。
その後、先ほどの看護師の方がやってきた。曰く、連絡が付かないなら無理に付けなくて良い。血液検査の結果が出て問題なければ帰宅。と先生がおっしゃっていたということだった。
またしばらくして先ほどと同じ方がやってくる。「救急車で来た方は、病院が荷物を預かったことになるんです。今回は靴と鞄です。お受け取りのサインをして下さい」なるほど。いつの間にか私の鞄も右に置いてある。気付かなかった。
さらに少し経って医師の方が血液検査の結果を持ってやってきた。2項目ほど異常値だが比較的きれいであり、問題は見受けられない。めまいには二つあって、脳か耳が原因だが、前者は考え辛く、後者をチェックするために耳鼻科の受診をお勧めする。それから、ご家族には今日救急車で運ばれたことを伝えるように。それから暑いので、クーラーを付けないなら窓を開けて寝ること。脱水は正直わからないが、水を2リットルほど飲んだほうが良いことを伝えられる。
次に医師ともう1人の方が水を持ってきた。「体を起こして、飲めますか」問題なく一口飲む。「込みあがってきたりしませんか」大丈夫だった。
最後の確認として、点滴スタンドの取っ手を杖代わりにして立つことを指示される。立てるし、眩暈はない。そして、靴を履いて歩く。歩ける。綱渡りをするように、前に出ている足のつま先に後ろの足のかかとを持ってくる歩き方でまっすぐ歩けるか。できた。
大丈夫そうだ。医師も同じ判断らしく、帰宅の準備に入る。「お帰りはどうしますか?」「どうしましょうね……」「お金があればタクシーが良いですね」なるほど。
点滴を外され、消毒したガーゼを当てられるので、自分で押さえておく。太い針だったようで、少し待つ必要があった。その後テープで固定される。
荷物を持って靴を履く。会計の場所を説明されたので、医師の方に今回のお礼を言って移動する。
そういえばめがねをかけていない。視力が悪いので少し視界がぼやけているが、目を細めながら会計に到着し、救急で来たことを伝える。診断書を書いて提出して待つ。この間に時計を見やると、18:40分ごろだった。少し経つと名前を呼ばれる。
この病院の診察券を発行して頂いたようなので受け取って精算する。合計8000円と少しらしい。持ち合わせの現金では足りなかったが、クレジットカードが使えて助かった。会計後、タクシーの駐輪場所を聞いてそこへ向かう。ちょっと迷った。
最初は寝巻きのまま外を出歩くのに違和感があったが、状況が状況である。気にしたところでどうしようもない。会計では、タクシーが駐輪場所にいなかったら自分で呼ぶようにと電話番号を書いた紙を貰っているが、電話がないのでいないと困る。しかし、運良く一台のタクシーがとまっていた。
手を挙げて乗る意思を伝え、自宅アパートの住所を伝える。タクシー代は1700円と少し。現金で支払った。
帰宅後、何はともあれ水分補給をする。そして熱中症で運ばれたことを家族と友人に伝える。だが、ここで部屋の温度と湿度に気付く。間抜けな!この環境だから事が起こったんだろう。
すぐに窓を開け、付けたままになっていた扇風機の風力を上げる。これで涼しくなる。
何時間か休んだのち、着替えて近所のスーパーへ向かう。ポカリスエットと水とカロリーメイト、そして食料を買った。
ところで私が運ばれた病院はなんという病院なのか?診察券を見てみると……なるほど、女性が多かったのはそのせいか。
なんとも稀有な体験をした一日だった。直接お礼が言えたのは医師の方のみだったが、今回119の電話を受けて下さった方、私を運んでくれた救急隊員の方、処置をしてくれた医師及び看護師の方には心よりお礼を申し上げたい。
反省点
・初期の対処
扇風機を付けただけでは足りなかった。すぐに窓を開けるべきだった。
・部屋の冷房が壊れたまま
早く直さなければならない。
・病院に両親の連絡先を伝えられなかった
・めがねを忘れる
持って行く。
暖かい言葉を頂いてとてもうれしい。私の部屋も暖かいぐらいの温度だったら良かったのだが。
こんなことで救急車呼ぶなと言われるのも覚悟していたが、全くの杞憂だったようだ。
30度でもここまでの症状になるのか。体質にもよるんだろうけど。
素人の推測だが、長時間の睡眠で水分が取れなかったためだろう。目が覚めて良かった。
冷房使わなかった頃は2Lのペットボトルを凍らせてバスタオルに包んで寝てたな。500MLのPBでもタオルでくるんで脇の下、首筋、太もものいずれか(動脈のある部分)に充てるだけでも体内の温度を下げる効果がある。
発想がすごい。これはやってみよう。
あなたは熱中症ですとははっきり言われなかったので真相はわからない。
重症だと意識障害や手足の痙攣などが起こるらしいので、私の場合は熱中症だとしても比較的軽いものだったのだろう。
生まれ持った体質と思って諦めているが、確かに少し調べてみても良いかも知れない。
興味深かったが何故そうしたのかよくわからない箇所でぼかした記述が入ってる。増田は肥満体型で搬送されたのは産婦人科だったのだろうか?
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
と思ったが、考えてみれば修正はされるものの陰部の描写自体はしっかりとあるのでこの例えは不適切だな。
パブリックドメインになっていて手軽に観れるものもあるから、興味があるなら自力で探したまえ。
今でこそ医学の進歩で治る病気は増えたが、昔は不治の病だといわれていたものも多い。
その時代の人々はどうしていたと思う?
立ち向かっても勝てない病は、受け入れたのさ。
死に至る病であっても、人によっては笑いの種にしたものもいるほどだ。
さしずめ、その時代の意志を受け継いだ“不治の病”が、重課金なのではないだろうか。
生憎、私は医学には明るくないので、それが不治の病かどうかは分からないのだが。
描く必要はない。
正確に言うなら、チキンライスにケチャップを使っているのだから、かける必要がないということだ。
誤解して欲しくないので念のため言っておくが、ケチャップなどのソースをかけていないオムライスはあるからな。
もちろん、ライスにケチャップを使わずに、卵部分にのみケチャップかけているオムライスも店も実際に存在する。
私の店ではない。
私は嘘は言っても間違いはしない。
バニラエアを相手にちょっと本気を出して見た話(1)https://anond.hatelabo.jp/20170713011805
バニラエアを相手にちょっと本気を出して見た話(2)https://anond.hatelabo.jp/20170713013049
バニラエアを相手にちょっと本気を出して見た話(3)https://anond.hatelabo.jp/20170713030752
バニラエアを相手にちょっと本気を出して見た話(4)https://anond.hatelabo.jp/20170713123253
(センター長:以下長)「お待たせして大変申し訳ございません。私、当コールセンターのセンター長の(実名)と申します」
(おれ:以下俺)「一つ聞くけど、あなたがそこで一番偉い人?」
(長)「左様でございます」
(俺)「今日の15:00までに回答もらえるっていう件は知ってます?」
(長)「存じております。ご回答を作るのに時間がかかっておりまして、申し訳ございません」
(俺)「回答を作る?私は本日中に回答できるかできないか、進捗を教えろと言っただけですよ?」
ちょうどいい機会なので、おれはこの件についてこいつに1から問い正してやることにした。
(俺)「私は、今回の件についてはメディア等で知りうる限りは調べました。車椅子のかたにも非があるのも知っています。その上でもう一度、一連の経緯を、あなたの口から説明していただけますか?」
(長)「はい。6月某日に、車椅子に乗られたお客様が関空から奄美行きの便にご搭乗いただきました。その帰りの便も弊社をご利用いただいたのですが、あいにく奄美空港にはボーディングブリッジが1つしかなく、その時は他社が使用していたので、弊社の奄美便はタラップをご利用いただく形となっておりました。そのため、車椅子のお客様には安全上の理由からご搭乗できかねる旨、ご案内差し上げました。ですが、お客様にはご説明がうまく伝わらず、自力でタラップを登るという結果となってしまいました。誠に申し訳ございません」
(俺)「私に謝られてもしょうがないので、それは当事者間で行ってください。それより、質問があるんですけどいいですか?」
(長)「はい。どういったことでございましょう?」
(長)「関空には障害者のお客様用の搭乗設備が整っていたからでございます」
(俺)「じゃあ、関空へは車椅子の人が”連絡なしに”行っても問題なく乗れるんですね?」
(長)「左様でございます」
おい、聞いたか。
設備が整ってる空港は車椅子だからと言って別に事前連絡入れる必要ないらしいぞ。
ネットでは「事前連絡を入れるのがルール」ってドヤ顔で書いてあったけどな。
(俺)「奄美ではボーディングブリッジ以外に乗る手段はなかったんですか?」
(長)「はい。弊社ではストレッチャーやリフトといった設備は導入しておりませんでした」
ストレッチャーってわかるよね?救急車で運ばれる人が乗るやつ。
https://www.ana.co.jp/service-info/share/assist/stretchers.html
こういうの。
(俺)「リフトはともかく、ストレッチャーなんて大した設備投資にはならないよね?なんでそんな物も用意できてないの?」
(俺)「ふーん。もう7年も営業しているわけね。で、ストレッチャーもないと」
(長)「たまたま、奄美空港にだけご用意していなかった次第でございます」
(長)「・・・新千歳、函館、成田、関空、奄美、那覇の6箇所でございます」
(俺)「6箇所しか就航してなくて、7年も営業してて、未だにストレッチャー1つ準備できてない空港があったの?」
(俺)「おたく相当貧乏なんだね。そんなんで飛行機飛ばしてるわけ?」
(長)「・・・」
(長)「・・・そういった厳しいご意見があることも承知しております。本件につきましては、2週間後にストレッチャーを導入いたしました」
(俺)「ふーん。まあいい。次。実際、その車椅子の人が乗ろうとしたときはストレッチャーが無かったと」
(長)「はい」
(俺)「じゃあどうすればよかったと思う?私は力持ちのスタッフを2~3人連れてきて運び上げれば済んだ話だと思うんだけど」
(長)「そういったご対応は安全上の理由もあり、お断りさせていただいております」
(長)「万が一、お客様を落としてしまったり、そう言った危険性を考慮した上での配慮です」
(俺)「あなた、今自分が言った話に矛盾があるの分かってる?」
(長)「どう言ったことでございましょう?」
(長)「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(俺)「あのね、人力で運ぶのは危険だって言ったじゃん。それでストレッチャー入れましたって、あれも人力で運ぶ訳じゃん。両者に安全性の違いはどこにある訳?」
(長)「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(俺)「まあ話をまとめるわ。奄美空港には介護用の設備がもともと無かったと。んで、車椅子の人間を持ちあげりゃ済んだ話をめんどくさいからやりませんでしたと。これでOK?」
(長)「いえ、けっしてめんどくさかったからという訳では・・・」
(俺)「じゃあ、そこまで気が回るスタッフがいなかったと」
(長)「その点については・・・配慮が足りなかったことは認めます」
(俺)「もう1点。この件はたまたま奄美のスタッフがポンコツだったのか?それとも御社全体の問題か?」
(俺)「じゃあ、車椅子の問題だけじゃなく、御社全体の取り組みとしての回答を頂けます?」
(俺)「いつまでに頂けます?」
(長)「来週の月曜日までには必ず」
おいおい、こいつ本当に事の重大さをわかってんのかよ。
(俺)「さっき、御社全体の取り組みとしての回答って言いましたよね?」
(長)「はい」
(俺)「そんなの1週間でまとめ上げる事できるの?失礼だけどあなたの持ってる権限で」
(長)「どういうことでしょうか?」
(俺)「会社を代表する回答ってことは、極端な話、社長以下全ての人間が内容を知っていなければならないよね?」
(長)「左様でございます」
(俺)「そんな話を本当に1週間でまとめられるの?」
(長)「それは、私のことをご心配されていただけているのでしょうか?」
だれがお前の身なんか心配するかよ。
(俺)「まあそうですね」
(長)「では、こうさせてください。今お客様がおっしゃった事が可能かどうかも含めて、金曜日の16:00までに一度ご回答させていただきます」
(俺)「それで構いませんよ」
(長)「では申し訳ございませんが、それまで暫くお待ち下さいませ」ガチャ
つづく↓
https://anond.hatelabo.jp/20170713174738