はてなキーワード: 発泡スチロールとは
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。
未だに興奮して眠れない記録魔の自分がすることはやはり記録することだった。
時間による記憶の喪失が愛しい者を失うことの感慨さえも洗い流してしまうなら
それは人にとって救いであり、希望なのかもしれないが私はそう思わない。
私の猫が死んだという事実は私が生きている限りにおいて永遠に記憶されるものであって欲しい。
死んだ瞬間は悲しくなかった。
実を言うと今も悲しくはない。
死んだ瞬間はその事実に気づき、やはり死んでいる、生き物ではなくなり
外界を認知し変化させることのなくなった物体に変化した、そう認識した。
だから後悔はなかったのかもしれない。
医学は専門ではないがわからないなりに病院に行き、母と二人で注射器での薬の経口投与を繰り返した。
本人がどれほど嫌がろうとも。
猫の体調が悪いと気づいたのは一ヶ月ほど前からだった。
食事後に餌を吐くようになり、吐いた餌を食べたり食べなかったりした。
3日ほどで病院に行くことになった。
猫の体調が悪化するのと逆に自身の長年の体調不良は回復していった。
糖分を取らなければもろもろの不定愁訴が解消していったのだ。
2年以上に渡る体調不良は米を取らない。その一つの行動から回復していった。精神科にも通った。薬の効果も実感している。
しかしながら生まれてきた中で思い出せる限りの長い期間常に自身は体調不良だったのではないかと気づいた。
薬理的な効果以上に炭水化物を取らないことが自身の体調に寄与していることは明らかであった。
猫に話を戻そう。
とにかく彼女は餌を食べられなくなった。
異物を飲み込んだのではないかと判断した医者は様子見の生徒剤の投与後、内視鏡による異物摘出を試みた。
その時点に至るまで二週間ほどがすでに経過していたと記憶している。
また、気管挿管の際にミスをしたのか、呼吸音が異常になっていた。
次にしたことは猫を飼い始めた時にノミ・ダニの薬とワクチンを打ってくれた看護師に連絡することだった。
彼女らはすぐに来てくれ、この食事が良い。だの、この時期に猫が吐いてしまうのはよくあること。だの、医者は変えた方がいい。だの、と違う立場で自由な意見を述べた。
親切にしてくれたし、変化が必要かもしれないと、私は彼女らの言葉を聞き、近くの病院に医者を変えた。
今思うに、この判断は貴重な時間を空費するだけに過ぎなかったと考えざるを得ない。
やはり、医者を変えたあとも猫は吐き続けた。
次の病院で行われた治療は元の病院とは種類の違う吐き気止めとステロイドを繰り返し投与だった。長い二週間だった。
彼女は嫌がった。苦しいので当たり前だ。餌も飲み込めず、後に水すらも飲み込めず苦しがるほどの猫に経口投与を繰り返した。
しかしながら呼吸音はステロイドにより落ち着いた。そのように思えた。
ただ、嘔吐は二週間の間に違う餌に切り替えた努力も虚しく、変化がなく無駄だった。
私は調べうる限りの症例を聞いたが、最後にガス性のイレウスではないかと聞いた際にはっきりとそうでない理由を伺うことはできなかった。
このままでは食事ができずに死にますよ。そう伝えると彼の助手である女性の看護師は二次診療専門の病院を提案した。
この病院でのカルテは渡すので、治療データがこちらより豊富な元の病院から二次診療専門病院に連絡をつけるようにと言われた。
元の病院に連絡すると少し驚いた様子であった。
事実上、さじを投げたと言ってもいいだろう。
二番目の病院からでも出せる診察依頼を出すことなく、元の病院に戻したので少し呆れていたのかもしれない。
しかし私はそんなことはどうでも良かった。
20万円ほどの少ない蓄えも底をつき始めていたが、友人に借金してでも治療を完遂させようと考え、友人にもその旨を伝え、了承を得ていた。
そこからは彼女なりの治療プロトコルに従わないので苛ついているような反応を返すノミ・ダニの薬を売ってくれた看護師に話を聞いたり
死んだ場合どうすれば良いのかを考え始めたり、たまに来る母親に猫を見てもらったりした。
モノになったのだ。席を立ち、ジョナゴールドの発泡スチロール箱を見てやはり実感する。
眠っているのではないことは知っている。もう彼女は外界に何ら影響を与えることを許されないのだ。
ただただ衝撃だけがある。
元の病院の男性の医者ではなく、別の女性の医者が対応してくれた。
彼女は胸にあるしこりと、胸水が気道と食道を圧迫していることに気づいた。
猫はここでも抵抗した。麻酔なしでは胸のしこりを生検することはできなかった。
また彼女は、胸水の原因を特定しようと試みたが確実にリンパ腫が原因であるとは判定できなかった。
もしくは、今の胸水を専門医に判定させる。
私はCTを受けさせることにした。
そして初診を予約できたのがそれから三日後だった。
初診の前に血液検査を行うことになった。
血液検査の結果、異常は特に無いように思えたが猫白血病ウイルスが陽性であった。
こうなると寛解はしない。高額な医療費を請求されて生きられるのは半年から一年程度。
そういった認識があった。
友人とは相談した。
つねづね私は話していた。
単純な功利主義だけでは世の中回っていかないが、重度のケアが必要な猫を一匹救うより、未だに健康を保てている猫を二匹救うべきだと。
友人と私は話し合ったが明確な答えは出ず、それでもざっくりとした方針をなんとか決定した。
飼い猫はまだ4歳前後であることから、一度治療に成功すれば5年以上の生存の見込みがある。
そのためにならば50万から最大100万円程度の治療費を貸し付けることは容認できる。
しかしながら、一年の延命治療のために高額な費用がかかるのは私自身の考えからは外れてしまうこと。
つまり、リンパ腫など予後が悪い病状の場合は安楽死、ないし積極的な治療を放棄することを決定した。
初めてあった時から肩に登ってこようとし、私の無茶な要求にも反抗しようとすることはほとんどなかった。
左耳の部分が腐ったのか落ちており、付け根は膿んで肉が露出していた。
さくらねこというのだが、猫は避妊処理の後のリリースされると耳の先をカットされる。
メス猫は普通左耳の先をカットするが、彼女には左耳がなかったので右耳をカットされていた。
彼女は飼い猫以上に友人であった。
自分の鼻をすぐに舐めたがる犬のような猫であった。
その癖意地を張ってウェットフードを食べない頑固な猫だった。
時に一緒に眠り、また、顎をブラシで撫でてやるとゴロゴロと音を鳴らした。
肉付きはよく、4.4キロほどあったと思う。
話を戻すが治療方針を決めて二次診療専門の病院の初診に向かった。
母親に車を出してもらい向かった先でしたのは、元の病院の女医の話す内容とほとんど変わらない内容の説明を受けることだった。
また、治療方針として、胃ろうをして欲しいと言うと彼は自身が胃ろうは好きではないと話した。
ここでは結局治療をすることはなかったし、進展はなかったので詳しい話は省略する。
初診料として8500円ほどを支払い、帰路についた。
それからまた3日ほど経った日、水を飲んでも吐くようになった。
このままでは保たないと判断したので、点滴で水分だけでも入れてもらおうと元の病院に連れて行った。
体調が悪いこと、胸水を抜くのは抵抗されたので難しかったこと、9月1日にCTを取りに行く前にもう一度点滴を受けて万全の状態にすべきであることを女医は告げてきた。
次の日、つまり昨日(8月30日)その瞬間は訪れた。
呼吸音が異常ではあったが、それほど異常の度合いが高いわけでもなかった。
しかし母親が突然来訪し、ちゅーるを持ってきた。友人と話していた自分は母親と話すことになり、もう一匹の猫にブラシをかけるなどの世話を始めた。
帰ってものの十分程度で発作的な呼吸が始まった。
初めて失禁し、のたうち回った。
夜間病院に連れて行くかどうか、20分ほど思案した後、母親を呼び戻した。
母親が到着したのは35分程度後だった。
それまでに、死んでしまい、死後硬直が始まった時のためにダンボールとタオルは用意していた。
車で来てくれた母親に事前に電話した動物病院に行くようにお願いをし、移動を初めて20分ほどで呼吸音がなくなったことに気づいた。
助手席から降り、確認したがすでに瞳孔は開きっぱなしで力の全く入らない死体になった猫がそこにいた。
動物病院に行くのはやめ、大きいディスカウントスーパーに向かうことにした。
保冷を始めるためだ。
私はもう次の準備を考え始めていた。
アドレナリンが出て興奮していたのもあるが死体を腐らせる訳にはいかないと思っていたし、覚悟はしていたからだ。
スーパーに向かい、発泡スチロール箱の有無を聞き、もうなさそうだとわかると氷だけを買ってそこを出た。
23時になっていたのでコーナンなども空いていない。
家の近くにあり24時間開いているスーパー玉出に向かうことにした。
普段から無愛想なおじちゃんに声をかけるとそこになかったらないと言われたが無事キレイな発泡スチロール箱があった。
おじちゃんに礼を言って車で自宅まで移動し、母親と別れ、友人と話をした。
そんなにしんみりはしなかったが、衝撃はあったと話をし、故人の話をしてくれたりしたが、騒音が気になりほどほどで話は終わった。
風呂に入ったが猫を何度も風呂に入れたことを思い出し、喪失感を感じてすぐに出た。
もう一匹の猫を膝の上に乗せていると少し眠たくなったので寝たがやはり一時間ほど寝れずにこれを書いている次第だ。
これから葬式をどうするか考えないといけないし、行動している内、考えている内は悲しくなることはないだろう。
この文章も一時間半ほど書いて疲れたのでこのあたりで筆を置くことにする。
死ぬ前に考えた。
自身は無神論よりの不可知論者ではあるが、猫が死んだらどうなるのかと。
自分は肉体と精神に関しては唯物論的な思考でいるので肉になるのだと考えた。それでも悲しくはなかった。しかし救いはなかった。
私は幸いにも救いを必要としていないのだろうけれど、なぜ宗教が必要とされるのかは少しわかった気がした。
思うに愛別離苦、別れは経験であり、自身の糧にするべきで背負っていくべきものだ。
死は絶対で覆すことはできない。それはあらゆる命にとっての救いでもあるのかもしれない。
自分はASD、ADHDの気がある人間なんだけど、ちょっと長めに語らせてほしい。
一度敬体で書こうと思ったけど、面倒くささが勝ったのでこの語り方で。
先日、「お隣さんに届いた荷物を渡す」件で色々あった。
とはいえお隣さんと共用みたいなもんで、一歩外に出ればお互いの玄関先は覗ける程度。
最近はよく、うちの頼む届け物と一緒に、そのお隣さんの荷物もまとめて頼んで、後で渡している。
普段は親がやり取りしてるんだけど、仕事で不在なのでその日の荷物を渡すことを頼まれた。
普段こういう荷物のときには、親が電話なりインターホンなりで合図を入れて、
向こうが受け取りとか、代金の支払いをすることになっていた。
でも今回は互いに合図をする必要がないように、
親が「玄関先に置いておかせますので~」と前もって電話してくれていた(し、それを自分も聞いていた)。
「夕方ごろに何度か様子を覗いてもらえれば置いてあるかと……」とも。
親の指示はこうだった。
「メモも一緒に渡しておくから、これに書いてある向こうの荷物を玄関に置いておいて。
冷凍・冷蔵品は特に気を付けて、発泡スチロールに入れておいてね。」
で、自分はうちの玄関先に、冷やすものと常温のものを別にまとめて置いておいた。
発泡スチロールの中にはドライアイスを入れておいたし、そもそも外気温は低い地域だ。
向こうに渡すためのメモ書きも、風で飛ばないようにと、濡れも冷えもしていない保冷剤で重しをしておいた。
しばらくして陽が沈んだ頃。
メモ書きは風で飛んではいないようだけど、荷物はそのままだった。
お隣さんも忙しいのかと思って、外気温も下がっているし特に気に留めず放っておいた。
朝になると荷物はなくなっていた。
「普段は合図をしているけどそれをしなくていいように、と電話を掛けたのに!
何で"うちの"玄関の前に置いておくの!!」
聞いてしばらくして、ああなるほどと思った。
同時に、それを言われていないんだから分からない……とも戸惑った。
こういう事態は一度や二度ではない。
頼まれごとをするたびに2回に1回はこういうすれ違いでやらかしている。
つまり親は「お隣さんの荷物なのだから、お隣さんの玄関先に置いてきなさい」
ただ、自分の中にその考え方はまるでなかった。
お隣さんの家にお邪魔したことはないし、まして敷地にすらほとんど足を踏み入れていない。
「玄関先に置いておけば、お隣さんが様子を見て持って行ってくれる」
お隣さんに電話をしなくていいように、という気遣いに甘えて電話での確認もしなかった。
「もうしばらく口も利きたくない」と言われた。
何度もやらかしてそのたびに失望されているので当然と言えば当然の仕打ちなのだが、
こういう事態になるたびに「その当たり前をどこで察すればいいんだ」とモヤモヤする。
「暗黙のルールが分からない」とか、「指示が正しくこなせない」とかの特徴からして
ASDなどの発達障害の気がある、というか結構強いと自覚している。
親はこうした自分の障害について学んで理解してくれている(と、恐らく親本人も思っている)人なのに
いざその特性を発揮してしまうと、こうして関係が崩れるほどに怒られる。
今回は特に、お隣さんという第三者が巻き込まれて迷惑を被ったので、
叱られるのは理解できるというか納得できるし、反省も大いにしている。
ただ、任務を「分かってる」側の人間が「分かってないし、理解にも難がある」人に仕事を依頼して
その後でやらかしに気づいてこっぴどく叱られる、というこの図式は
「指示する人が気を付けよう」
つくづくこんな適当な世界の回し方で上手くやってきた人類という生物が
勝手に期待して勝手に怒って、結論は「"お互いに"気を付けましょう」にしかならないのだろうか。
気を付けられればそれはもう障害じゃないと思う。
どうすればいいんだ。
親戚が趣味でさつまいも作ってて、結構な量を定期的にお裾分けして貰ってる
ネットで見ると土をつけたまま保温し、風通しの良いところに置けと書かれている場合が多い
なので今までそうしていたのだが、どうにも土のところからカビる事が多かった
なので今回は敢えてやるなと言われている水洗いをしてから保存してみることにした
それ以外は乾燥させてから新聞紙にくるんで、穴あきの発泡スチロールで保存というやり方だ
今の所、数本ダメになったのはあったが、土付きで保存していた時よりも長持ちしている
俺は九州に住んでいるのだが土付きで保管しろというのは、もっと乾燥してる地方の保存方法だったりするのだろうか
それか落としておくべき土と、落とさなくてもいい土があるのだろうか
じゃがいもみたいに一旦洗ってから保存用に付ける土みたいなのがあったりするのかなぁ
さつまいも保存道は意外と険しい
美術系の大学に通っているけど、鉛筆デッサンを練習しなければならないと思うと死ぬほど嫌だ。
絵を描くことは好きで、小学生くらいの頃からコピックだのGペンだのに興味持ったりデジタルでやったりしてきたけど、鉛筆デッサンが本当に大嫌い。
大学受験のときに自己制作作品と鉛筆デッサンが課題だったんだけど、「イラストは上手いけどデッサンが下手」って先生に遠回しに言われたからね。わかってます。
ぶっちゃけ提出するのが鉛筆デッサンだけだったら落ちてたと思う。
ちなみに有名な美大や芸大にも興味はあった。何故選ばなかったかというと、デッサンが下手だから落ちるし、デッサンをやりたくないから。
何でこんなにデッサンが嫌いなのかというと、高校の授業で先生に「見たままを写し取るように描いてみて」って言われて、自分の見えたように描いたら「もっと反射光を入れたらリアルに見えるよ」って言われたのがデカいと思う。
発泡スチロールの立方体を、木の机の上に置いたやつを描けって言ったんじゃん。発泡スチロールにそんなに反射光入らないだろ。
「見たままを写し取る」のか「よりリアルに見えるように描く」のかどっちなのよ。
以前から嫌いではあったんだけど、それがきっかけでデッサンに対する興味や意欲は全くなくなった。以降、授業中はやっつけで課題を終わらせ、無意味に鉛筆を削り続けたり、練り消しでフィギュアを作ったりして過ごした。だからデッサンがヘタクソなのは自業自得である。
あと、まず、他人がセッティングしたモノを興味もないのに描くのがつまらない。時間制限があるから間に合わないのも駄目だし、早く切り上げると「時間使って描き込め」と言われるのも嫌。
かと言って自分でモチーフを選んで描くのも普通に嫌い。目の前のものをそのまんま描くことになんの興味もない。
手が汚れるのも不愉快。絵の具やインクも手につくけど、乾けば紙は汚れない。でも鉛筆はずっとこすれるたびに紙を汚し続ける。
鉛筆デッサンの悪口ならいくらでも出てくるんだけど、「じゃあやらなくていいや」とはならない。避けて通ることはできない。
なぜなら、自分の希望する職種につくためには鉛筆デッサンが上手く描けることが必須だからだ。厳密に言えばちょっと違うかもしれないけど、とにかくポートフォリオに鉛筆デッサンを載せなければならない。
「Dr.STONE」といえば科学監修の名目で毎回名前がクレジットされている「くられ」氏ですが、この「くられ」氏も90年代は鬼畜系カルチャーでならした人物です。
しかしこの「くられ」氏はいじめや差別ネタなんてレベルじゃございませんでした。
実際にこの人が作った本で本物の爆弾テロリストを生んでるんですよ。
「くられ」氏が編集長を務めた「危ない28号」という雑誌に爆弾の製造方法を詳細に書き記され、それをテキストに実際に爆弾を作って街中で爆発させた事件がありました。
以下、ここ参考
https://ameblo.jp/7ninblog/entry-11047336229.html
JCO臨界事故に怒りを感じた男が,JCOを爆破しようとして,爆発物を作成,JCO近くの住宅街にそれを放置した事件.
2000.1.6 07:00頃,東海村のJR東海駅から北へ300mほどの住宅街の,踏み切り脇,東海駅東口タクシー乗り場のベンチ前に,赤い液体が入った,清涼飲料水のペットボトルや,金属製と思われる銀色のボンベなどの不審物が,黒いバッグに入れられて放置されているのを,通行人が見つけて茨城県警ひたちなか西署に通報した.
同県警は,爆発物の可能性もあると見て,重装備の機動隊爆発物処理班を派遣.
処理班がバッグをX線で調べたところ,中には塩化ビニール管が2本,鉄パイプが1本入っており,これらはリード線で乾電池などとつながっていた.
また,真鍮管,タイマー,アルミ缶,百円ライターなども見つかった.
鑑定の結果,これが殺傷能力のある爆発物であること,爆発物の一部は,安全装置を解除して,タイマーをセットすれば,すぐに爆発させられる状態だったことが判明した.[1][2]
塩化ビニル管や鉄パイプ、アルミ缶などに、アセトン系の爆薬が詰められ、起爆装置の雷管に鉛筆のキャップを使用。「グロープラグ」と呼ばれる模型の飛行機などのエンジン用点火プラグが装着されていた。[2]
この爆発物は,前年末に発生した,2件の爆弾事件の遺留品などと似ていた.
1件目は1999.12.24,大阪府摂津市のJR東海・新幹線車輌基地「大阪第1車輌所」にて,新幹線から回収したばかりのゴミ袋が爆発.
大阪府警摂津署の調べによれば,爆発物のアルミ缶の中に,有機溶剤をしみ込ませた粉末が詰められていた.
爆発した後の現場には、乾電池4個と充電池、小型のアルミ缶、リード線のついたふたのようなものが落ちていた。[2]
2件目は,その3日後,JR浦和駅のコインロッカーで,その点検中,ロッカー内にあったアルミ製の箱が爆発,管理会社従業員(当時53)が指に1カ月のけがを負った.
埼玉県警浦和署の調べによれば,箱は持ち上げた途端に爆発する仕掛けになっていた.
アルミケースから外にひもが出ており、その先端がロッカーの内壁にテープで固定されていた。
また,発泡スチロール製の球状の不審物は、直径約6センチの半球状のものを2つ重ね合わせて作られていた。
これら2件の事件について,大柴は
「ロッカーの管理がずさんで、警告のために仕掛けた。爆発で死者が出てもいいと思った」[2]
などと供述した.
警察によれば,大柴は同年11月から12月までの間、東京や埼玉などのホテルを泊まり歩きながら、アルミニウム容器に火薬を詰めた上で導火線をつないだ爆発物を製造。
同月20日に,浦和駅西口にあるコインロッカーに仕掛けたという.[2]
「東京駅で新幹線に乗り、小田原駅で下車する際に爆弾を置いた。1時間以内に爆発するようタイマーを仕掛けていた」
と供述した.[3]
大柴が、爆弾づくりのテキストにしたとされる雑誌は,データハウス社(東京都新宿区)発行の雑誌「危ない28号第三巻」(99年3月発行、定価1400円).
特集「危険物!」と題して、爆発原料の入手方法、市販材料や身近な家庭用品を使った爆薬、火薬の作り方などを図解入りで詳細に解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%8428%E5%8F%B7
『危ない28号』(あぶない28ごう)は、データハウスから1998年から1999年まで季刊誌として発刊されたアングラ雑誌である。不定期刊誌『危ない1号』の実質休刊後、インターネット系のアングラ・ライターを中心に編集され、第5号まで発行された。現在(2021年7月)では全5巻ともに絶版となっている。
日本がまだコンピュータやインターネットの黎明期だった1998年、KuRaReを編集長にサブカルチャー、アングラ本として発刊される。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載の雑誌であったため、全国18都道府県で有害図書指定されることとなった[1]。
2000年1月に浦和駅、東海村、大阪で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[2]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされた。
こっちはくられ氏の本でガチの爆発物テロが発生し、負傷者も出し、下手をすれば死者もでていたかもしれないんですよ。
そんな人間に集英社の週刊少年ジャンプ編集部は漫画の監修をさせ、毎週のように名前を載せ、特集記事に写真付きで掲載してるんですけど、その事をジャンプ編集部や集英社の人達は理解してるんでしょうか?
こっちは本当の死者が出ている可能性があったんですよ??
くられ氏は「実際に作るとは思わなかった」「真似してもらうために書いたものじゃない」とか言い訳してたみたいですが、「どのご家庭にもあるものでカ~ンタンに爆弾が作れちゃいマス♪」なんて事細かに実用性のある爆弾の製造方法を記しておいてそれは無いんじゃないすかね。
真似してもらいたかったんでしょ?実際に爆弾作ってもらいたかったんでしょ?だから書いたんでしょ?
そんで本当に作ってテロ起こっちゃったから慌てて保身に走ったんでしょ???
つうかさ、くられに限らずこの辺の鬼畜系ライターが心底みっともないのって、鬼畜ブームが去った途端みんな言い訳を始めたところなんだよね
「ある種のジョークでやってました、まさか真に受ける奴が出てくるとは思いもしませんでした」ってさ
根本敬も唐沢俊一も自殺した青山正明も殺害された村崎百郎もみ~んな同じような苦しい言い訳をしていた。
村崎百郎なんて殺された時まわりの連中「まさかこんな恐ろしい事になるとは・・・!」って悲しむフリしてみせてたけどさ、ほとんど自然の摂理のようなもんだろ。キチガイ煽ってキチガイに殺されたってさ
そんで追悼本なんか出したりして、ダッセエの。
話は逸れましたけど、最近の小山田圭吾を発端とする90年代鬼畜ブームを断罪する流れでいうならくられ氏も当事者であり、こっちはいじめ差別どころか死者も出てたかもしれない爆発物テロ事件が実際に起きましたから。
その流れで言えばくられ氏が関与している週刊少年ジャンプ連載漫画「Dr.STONE」は即刻連載中止、絶版回収にするべき
良くてもくられ氏が監修した部分は全面的に削除するべきです。
めちゃ大変。
サビの部分が押してきてて。
そして
「上ボルトは締ってるけど下ボルトは穴があったのでそこに雨で錆びた」
ことが判明。サビる前に気付きたかったよ。
サビの部分の「法則」があって、同じ部分ばかり錆びてたので「?」でした。
もちろん内側は塗装されていないのでそりゃサビるよ。
2回サビチェンジャー
1回プライマー(書くと一行だけどめちゃ大変💦だった)
プライマー後にこれで「ボルト穴」をふさぎました。サビでとれちゃった部位にも巻いた。
これでいったん止まると思う。原因わかったから。
✋指切っちゃった
なんか**電気の人がきて電柱工事(いきなり!名刺もなし、お知らせの紙もなし?珍しい)。
正直うちの前で作業中は、あんまりなので中断しました(コーヒー淹れてた)
うちの前あたりは、ほんとさーっとやってて早かったです。
お疲れさまでした。
まぁ……しょうがない。
早く防水までしちゃいたいんだよ~。
「見えるかも(あっち仕事だから)」どーも見える気がする(いや👀見えてるぞ!!)
気になるスイッチを切って、ひたすら掃除とプライマー塗り。「ヨシ!」って言っていいよね🐈💦
【使ってないエアコン】
エアコンの周囲の掃除(使ってない奴なので酷かった。銅線のところが発泡スチロール巻いてあるのがそこに水たまってて
緑青でてたのでぜんぶ剥いて綺麗にしました。✋汚れて酷いことになった……。絶縁しないで発泡スチロール巻いてるのっていいの?)
いやもう使ってないエアコンで、もちろん電源はプラグ外しています。(のはず)すっごい長いアースが出てて庭に埋めてあったけども。
結局、なにか「のけないと出来ない物」があると、「なんとかできるかな」「動くかな」
「掃除」要素は大きいです。
気持ち切り替えてとにかく、やる。
まぁ、苦しみながらも(途中で風化した発泡スチロールが目に入ったり👀💧)
なんとかなる(「する」)。
やらざるをえない。
【ともあれプライマー塗って、玄関ルーフのほこりも水で流したので】
そしてベランダ本体の(ベランダ用防水遮熱ペンキ専用)プライマーも塗れたら塗る。
各1なので、作業終ったとたんに洗って干してるので
明日の朝には乾くよ🌞
正直、プロに頼んでベランダのフェンスはアルミのに変えたいよ!!!
防水もプロに久々に(前やってもらったのはかなり昔)頼みたいよ!!
まぁでもコロナでおこもりしてるので
きのうは食料がなくなってたので
買い出し。
脚とか膝とか痛いけど
やるよ~👍
長文日記でしたニャ。
いつも呑気そうにしてますが、書くといろいろあるのニャよ💦
なまけさんじゃないニャよ💦
🐈
マジで腹壊したw
先週の日曜日にホワイトデーのお返しもらったんだけど、あまりにもひどかったから匿名で書いてやる。
奴にバレンタインの手作りチョコを渡したら「俺もお返し手作りにするわ!」とか言い出し(その時点で止めるべきだった)私は「あ、ふーん(ゴディバがいいな)」と思いながらとりあえず過ごす。
1ヶ月後、ホワイトデーに持ってきたのは焦げ目のついたチョコ菓子。
しかも入れ物がなかったと言うからとわからん発泡スチロールの弁当箱に詰めてきた。
(お前の家の近くにセリアあるの知ってんぞ、可愛い箱の一つや二つあるぞ)
奴のセンスの無さは皆無で知ってたのでまぁ、味が良ければいいか…と思い、たべた。
ありとあらゆる水分ケツからでていったよ!!!!クソ!!!!!(食事中の人ごめん)
休みだったからよかったけど出勤日だったらどうすんだよ!!う○こが永遠に漏れて出勤できませんなんて言えないだろおおおい!!下痢休暇とか恥ずいわ!!!
後日、事実確認。
何を参考にしたのか。
動画リンク教えてもらって見たよ。あれ、この人オーブンで焼いてるな…?
「へ?家のちっこいのオーブンじゃないの?それで焼いたけど?」
お前の!!!!!
家に!!!!!
男性諸君、お菓子作りなんて滅多にしないなら気まぐれで作らないで、作っても自分の胃の中に入れて自己責任で完結して。
全員とは言わんけど女は大体既製品のお菓子渡した方が喜ぶぞ、このご時世だしな。
(ちなみに私がバレンタインで手作りにしたのも奴からのリクです。今年は既製品にするつもりだった)