はてなキーワード: 悶々とは
レイプカルチャーは性犯罪をしやすい土壌を作るので、これ繰り返してると将来的には被害者が言い出しづらくなって周囲の人間が被害者を守らなくなるので性被害増加します^^
悪くはないよ。痴漢だろうが強姦だろうが強盗だろうが殺人だろうがするやつが100%悪い。
レイプされた後に「あなたの格好は悪くないよ」とか、強盗殺人された後に「治安の悪い所で夜中出歩いてたあなたは悪くないよ」とか言われても何の意味もなくない?
理想論ばっか言ってないで頭のおかしいやつは世の中にいるっていう現実に向き合おうよって話なのよ。
頭おかしいって言ったけど、本当は犯罪行為するやつ=頭おかしいやつじゃないんだよ。
日々悶々とする男子は痴漢したい欲求を持ってるが、ほとんどの人が抑え込んでる。
困窮してにっちもさっちもいかない人々、あるいは単純にお金が欲しい人は日々窃盗をしたい欲求を抑え込んでる。
時々理性のたがが外れてしまった人が犯罪を犯す。満員電車でバレないと思ったから、目の前にお金が落ちてたから、企業の横領防止がザルだったから、たがが外れる理由は様々だが、誘惑がなければ外れなかった人が多くいる。
だから、そういう崖っぷちにいる人の背中を押すような真似をしないためにも「そういう格好は危ないよ」って言ってんじゃねーの。その上であなたがするのはもちろん自由だけど、こっちがそれぐらい言ったって別にいいだろ。
悶々と悩み続けるよりも差別してすっきりした方がメンタルにいいよ!
反差別の人も差別しないんじゃなくて自分の差別に無自覚なだけなんだし悩むだけ無駄。
周りの空気を読んで善人に思われるように振舞うくらいの気楽さでいいんだよ。
私とおそらく多くの日本人は日常の中で暴力的な悩みと遭遇することはありません。
貴方のお住まいの環境は特殊ではありませんか?事情を説明してください。
それとももし暴漢に襲われたらどのように行動するといった思考実験に関する話でしょうか?
この言葉は使う人によって定義があいまいです。具体化して語ってください。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
孤独は統計的にみてタバコや酒以上に寿命を縮めます。実際は孤独なのに見て見ぬふりをするとしたら危険です。
精神科の受診やカウンセリングを受けること、寂しさを埋める代替行為の探索が必要かもしれません。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
近年の脳科学によると無意識が外界の状況を評価・行動して、意識はそのつじつま合わせの言い訳を作り出すだけの存在でしかないといいます。
つまり美人かどうかを意識で扱わなくなると無意識に差別的な行いをする可能性が高まります。
端的に自分は平等に評価していると思い込んでいるだけで実際は不平等をしている不誠実人間になります。
自分が美人かどうか判断したか自覚すること、自覚した上でフェアに振舞うことを目指しましょう。
まとめ
全体的にみると貴方は意識に過大な期待をしていますが意識は無力です。普通に三日坊主で終わると思います。
問題意識を自己に刷り込むにしても、問題の掘り下げが足りないですし、行動の具体性がないので失敗すると思います。
明確に失敗するならまだいい方で、具体性がないのでの失敗したかどうかも判断がつかず悶々とした日々を送り続けることになるかもしれません。
ド田舎でフルテンでギターかき鳴らしてたら「答え」はここにあったんじゃないかって思った。
田舎は給料安いらしいけど、欲しいもののために金が必要なんであって金そのものが必要な訳じゃないしな。
西東京の郊外には絶叫できる道だってありゃしないね。家ばっか建ちやがってよ。
図書館も美術館も興味ない。ライブとかも行かない。欲しいものはネットで買える。どうしても現物見たきゃその時だけちょっと足を伸ばせばいい。
でもちょいと電車に揺られて都心をフラフラ歩き回るのは楽しいんだよなあ。神保町界隈やアキバから上野にかけてをフラフラ歩き回ってると、くるりやフジファブリックが歌ってる「東京」ってこういう事なんかなあって思う。
夜通しフラフラして始発で帰る時、早くから出勤の会社員もいれば学生だかフリーターだか分からんおれみたいなのもいる。疎外感だったり、寝ぼけてるのと浮かれてるので薄まった焦燥感だったりはあるけど、ウチん中で一晩中悶々としてる時よりは心地良い。
ネットの皆様が大好きな文化がどうのとかはどうだっていい。おれが歩き回ってて楽しいかどうかが全て。
現実逃避にとりとめもない事考えたりボーっと音楽聴いたりしながらフラフラ歩き回ってる時が後になって案外強く思い出に残るんだよなあ。
ファイアーエムブレムでの仲間とのやり取りで
今度鰻を一緒に食べに行きましょう!って言うところ
ああいうの、
ファイアーエムブレムもそうやり込みの時間がないわ。
なんか道具買ったり強化したり御飯食べたりする物語の中の拠点のソラネルで
やることが結構増えてきて
逆にソラネルでの忙しさが目立ってくるわ。
私はどうぶつの森ってやってないけど、
あーこう言う楽しさなんだーって
そんで
あれよ!あれ!
指輪磨き!
そんなんもあんの?って
そんで、
なんかボタン押して強く磨く!ってやると突然「あはん!」とか言うから逆にこっちが恥ずかしいわ!って指輪の人がくすぐったがるから、
こっちが恥ずかしいわ!
私は仲間同士の支援会話とかの
ショートコントとか寸劇が増えると
これはこれで面白く見てみて、
村人に話すのが大嫌いな私だったけど、
こればっかりは絆を深めて戦いを有利にするために必要なのよね。
まあ見ていて面白いけど!
あーこれがファイアーエムブレムなのね。
ってたる所以が分かったところよ。
今は必至に釣りやってるところよ!
新しい食材を手に入れて皆が美味しいと思う食べ物で料理を作ってもらうの!
食パン焼いたトーストを仲間と食べているシュールな光景は面白いけど
しっかりと精のつくものを食べて頑張って欲しいじゃない!
そうやって食材をせっせと蓄えて釣ってきたり拾ってきたりする神竜様って健気ーって思いながら、
小さい魚しか釣れなくてーってところなのよね。
そんな話は尽きないのだけれど、
そろそろまた戻って真面目に仕事をするわ。
そんで早く終わらせてまた釣りするの!
それはそれで、
いろいろいちから作るのが面倒くさいのでって思っちゃいそうだけど、
ファイアーエムブレムがなんかどうぶつの森じみてきている感じがしないでも無くは無いかなーって思うのよね。
まあそんな感じかしら。
うふふ。
ヒーコーだけでいっかー!って感じね。
起き抜けに普通の素ウォーラーを飲むのが冷えたのが美味しく感じる寝起きだけど
しゅわしゅわの爽快感よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
X(旧Twitter)でフォローしているAさんが今日投稿した絵がすごく既視感のある絵だった。
しばらく考えて、これはBさんの有料プランのある絵(2022年投稿)と(左右反転させた)構図、シチュエーションが同じであることに気づいた。
Aさんの絵はトレパクのようなコピーではなく、背景の布の皺といったディティールは見た目で完全に別物であると分かる。
しかしキャラクターのポーズが非常に似ており、極めつけは元々Bさんの絵にあった不自然な点もそのまま書かれている点である。
簡単に人のことをパクリだと言ってはいけないのだが、これが偶然と言えるのか素人の自分には非常に疑わしい。
Aさんに「この絵をパクってませんか?」なんて有料プランの絵をアップロードしては聞けないし、
Bさんに「この絵パクられてませんか?」とわざわざ言うのも、Bさんに余計な心労をかけることになりかねない。
Bさんに言ったところで何の補償もされない上に「パクられた」という被害者感情を植え付けるだけだから、このまま黙っていよう。
それにしてもAさんの今までの作品も実はほかの人のパク・・・もとい大いに参考にしてきたものだったりするのかなあ。
ガッカリ。
そういう感情とかもさ、アリだってことで存在させられてるわけじゃん?
「そういうのはナシ」って神様がきめたことは人間には存在してないわけだし
神様は「それもアリ」ってしてるってことはそういうのを抱えてどうなるか証明してみせてって託してるじゃないのかな
無理だってなったら捨てるなりなんなりしても、どうにかしてやりたいっておもうなら行動しちゃうのも、またしないのも、しないでずっと悶々とするのも、アリなんじゃないかな
なににしたってそういうものの結果がどこかで出るわけだから、出た時に「こうなりましたよ」って言ってやれば、人間の勝ちなのかもしんないね
勝ち負けとかないのかもしれないけどさ
この時期になると、観たくなる映画がある。
映画には普通に感動したし、最後の余韻にいつもジーンと来ていた。
ただ、泣くことはなかった。
感動はしたけれど、それは乾いた感動で、自然と涙があふれるようなことはなかった。
炎天下の中、「あっちぃなぁ」なんて言いながら意味もなくキャッチボールをして、そのあと飲みに行ったりもして。
惰性に大学時代を過ごして、大人になって、それでもやりたいことは特に見つからなくて、なんとなくで入れた会社に入って今まで一応続いている。
やりがいがないといえば噓になるし、今の仕事を心底愛しているといっても噓になる。
今夏、なんとなくこの映画の事を思い出して数年ぶりに観た。
泣いた。
号泣した。
それはきっと、青春の眩しさに目が眩んだせいなんかじゃない。
平々凡々と夏休みを過ごしながら、それでも悶々としていて、ずっと悩んでいた。
疑問を持ち続けていた。
これでいいのか?って問い続けていた。
これなんだと、思う。
自ら進んで悩みを生み出すようなことを選ぶのは馬鹿らしいとさえ思っていた。
疑問を持とうとしもしない。
「〇〇でいいじゃん」って、既存の解決案で納得して、満足して、それ以上は考えようともしない。
もし青春が悩むことになるのなら、俺は青春を卒業したのではなく、青春を捨てたのかもしれない。
俺は今になって『時をかける少女』を観て泣いた。
号泣した。
わんわん泣いた。
俺はあの頃と比べて、本当に成長できているのだろうか?
「未来で待ってる」千昭のもとに、俺は少しでも近づくことが出来たのだろうか?
分からない。
でも、分かったことが一つだけある。
本当に生まれて一度も女性と付き合ったことないなら、まずマッチングアプリとかは全部やめるほうがいい
とにかく必要なのは免疫だけで、それも35歳ならまだ全然余裕で間に合う
ただただ合理性を求めてるだけの刹那的なマッチングアプリ経由のデートなんかでは経験値は絶対に積めない
友達がいないわけではないようなので、なんでもいいから女性も一緒に楽しめるような趣味を開拓する
キャンプでもなんでもよいがあまりマイナーじゃないものがいいと思う
そうして人付き合いの幅を広げる中で女性と多く接して経験を積もう。だいたい1年もすれば女性との接し方も変わってくる
ここで重要なのはできるだけ男女混合での趣味仲間などを作っておくこと
これをすれば「女性に対して~はダメだよ」とかアドバイスしてくれる人も現れる可能性がある
めんどくさいしめちゃくちゃ遠回りな気がするかもしれないけど、
このままマッチングアプリとかで失敗するたびに自信を失い俺はダメなのかと悶々とするくらいなら、
40代に入るまで修行するつもりでそういう人間関係を作る努力をするほうが絶対に良いと思う
社会的なステータスや条件はもちろん重要だけど、とにかく経済的な面がクリアできてるなら後は顔とかより本人の表現力にかかってる
どんな人でも中身がそこまで酷い人ってそんなにいないんだよ
何で作品書かないのか?を考えてみると、たぶん「吐き出し先がいわゆる『作品』である必要がないから」なんだと思う。
それなりに小説や映画や漫画が好きなので、良い作品を鑑賞したら当然「この気持ちを吐き出したい!」という気持ちにはなる。
でも、親しい人と感想を語り合ったり、日記に感想を書き留めたり、何なら自分の心の中で反芻するだけでも、その気持ちは満たされている。
増田も考察サイトを表現手段の一つとして認めているけど、自分の中で何かを思うだけでも広義の吐き出し(表現)にはなっているんだと思う。
昔、ネットか何かで「Twitterで呟いてばかりいると創作意欲が湧かなくなる」みたいな意見を見かけたが、ツイートとかブコメとか増田も表現の一つなわけで、広義の創造や表現は誰でもやってる程度のものなんだろう。
どちらかと言うと、増田のようないわゆる「作品」として世に出さないと耐えられないような人の方が少数派だと思うので、なんで「作品」を「発表」しないといけないのか、逆に考えを聞いてみたいと思う(増田は「発表」とは言っていないが、「何で書かないの?」と聞いているのだから、作品を公開することが念頭にあると思う。)。
言葉でうまく感情を表現できないから踊ったり歌ったり絵を描いたりするのは分かる。
でも、増田の文脈で言うような、好きなアニメを見てその悶々とした気持ちを吐き出す先が「対外的」に「作品」を書くことに繋がるという感覚は、余り想像が及ばない。
試し読みで読んだ範囲のを再現する画力ないしそもそもそこまではっきりと記憶してなくて女の子の画風にビビッときた少女漫画ってことぐらいしか覚えてない。これじゃ知恵袋も使えない。
また金余ったら買って女の子を楽しもうと思ったのにもうだめだ…
がっかりしたので仕方なく資格取る勉強する気になる。こういうときって漫画の虚しさ感じて逆に資格や物理数学みたいな学問の勉強みたいな身になる系のことに走りたくなる。
まあそれはつらい経験によって湧いてくる虚しさへの逃避行動して真逆の性質を帯びてるだろうことをするってぐらいの動機でしかない。勉強が好きなわけではないわけね。うわこの逃した魚は大きい系の悶々とした気分今度はいつまで続くんだろ、
ギターを買った。
2年前にUSGのセンチメンタルピリオドを聴いて突発的に買った時ほどの初期衝動はない。青春も終わりかけて、悶々とした気持ちも随分と整理されてしまった。
基礎練習は退屈だ。それは自分のモチベーションが偽物だからじゃない。そういうもんだと思う。
スケール、クロマチック、コードチェンジ。必ずメトロノームをつける。チョーキングもカッティングも焦っていては手に入らない。出来ることを地道に淡々と増やす。
そして何よりも大事なのはこれを飽きずに続けること。ネットで練習法を調べて回るよりも楽器を触る事の方が大切なのも分かってる。
出来るだけ事をやっていてもつまらない。やりたい事だけやっていても先へ進めない。
このもどかしさを超えた先の喜びをおれはまだ知らない。それはギターに限らず。
ただ生きるなら辛抱がなくたって別にいい。社会性を内面化していなかろうが何の問題もない。でも自分の人生を楽しく生きるためにも我慢は必要だった。
要領よく足早に生きる人が見過ごしてしまうようなものをじっと見つめた時間が無駄ではなかったと、そんな確信を委ねる先を音楽に賭けてみようと思う。
昨年、とあるスタートアップ企業に入社をしました。職種は広報。
元々はそこそこに大きな会社で広報をしていたのですが、既に有名になっている企業のサービスではなく、まだ世の中に知られてないいいサービスを社会に広めたいと思い、今の会社に転職。
自分の思い描いた環境に来たはずだったのですが、求められる広報活動が思っていたものと異なっており、日々悶々としています。
何に悶々としているかというと、社長が世の中に発信したがる情報が基本的に嘘なのです。
ユーザー数が実際には500しかいないのに、「ユーザー数50000人突破」みたいなプレスリリースをつくることを要求されることがしばしばです。
嘘のネタをまとめて、嘘のネタを元にメディアにアタックし、嘘のネタを元に記事をつくってもらう。こんなことを常に繰り返しており、もうずっと胃がキリキリしています。
数字を盛るのはやめましょうと何度も社長に言っていますが、プレスリリースを出さないと成長が鈍化しているように見えてしまうため、NGだと言われてしまいました。
恐ろしいことに「ユーザー数が○○人になった」「流通額が〇〇円になった」というプレスリリースを出すスケジュールはCEOの中では3年先くらいまですでに決まっており、それを崩すこともNGだそうです。
計画は間違っていなくて、外向けの数字が実態と乖離しているのは営業が悪いとも言っていました。
・数字の誇張が大きすぎて数字に突っ込まれた時に説明がしきれない
といった声があがりました。
これに対して社長は
「広報が出してしまったんだから仕方ない」と回答したらしく、営業部の中では私が悪いということになっているそうです。(という話を営業の人から聞きました)
もちろんユーザーインタビューをしたりして、まともな広報の仕事をできる時もあるのですが、とにかく社長の考える社外向けアピールに付き合うことがとても辛いです。
残業してオフィスで一人で嘘のプレスリリース資料をつくっている時など、ふと涙がとまらなくなることがあります。
私は今でも、うちの会社のサービスやコンセプトはとてもいいと思っており、いっそ私が営業に転向して事業を伸ばそうと思うこともあるのですが、私が営業になったところで大した戦力にはならないだろうし、餅は餅屋なんでしょう。
ユーザーが増えていなくても、売上が伸びていなくても、プレスリリースは自分主導でいくらでもどうとでも作り出せる。
そんなプレスリリースの魔力に取り憑かれてしまったのか、社長は事業の進捗が悪い時ほどプレスリリースを出すことにこだわります。
虚構のアピールをするよりも、着実に事業を伸ばすことに意識を向けたほうがいいと思うのですが、そんな私の考え方は経営者目線ではないキレイゴトなんだそうです。
スタートアップってどこもこんな感じなのでしょうか。
になっている人、損してるなあと思うし大分ストレスを抱えて見えて辛そうだなと思う。(まずは休んでくれ。)
・必要な項目や行動の列挙(相手に期待する行動の依頼or提案)
に置き換えると、スムーズだし人間関係的にも得じゃないかな…?ストレス減るんじゃないかな…?
と思うことが多いので、例を挙げさせてほしい。
例えば、提出書類に不備があった(両面の書類に片面しか記入していなかった)場合
(裏面も記入してください と言われて…)
「裏も書けって言われなかったのでやりませんでした。」←言い訳(相手の落ち度の指摘)
「誌面にも、どこにも注釈がないのでみんな分からないと思います。」←被害者スタンス(受け身)
(裏面も記入してください と言われて…)
「すみません、見落としていました。記入します。」←まず謝罪&相手の依頼に同意
「裏面の存在に気付きやすいよう、書類を全体に回す前に裏面記入を促す注釈を追加してもいいですか?」←改善提案
仕事って、ほとんどの時間が「認識のすり合わせ」だなあと感じる。
最初から100%完璧な依頼があってそのまま仕上がってくるなら人が介入する意味がないわけで(依頼者側も完成形はもちろん依頼内容の優先順位すらよく分からないから依頼してきている)
「調整」「修正」「ちゃぶ台返し」も含めた完成までの道のりに対価が払われているなんだなと思う。
若い頃はそれが許せなくて悶々としたものだけど、さすがに30すぎて落ち着いて来た。
大問題とか賠償に発展するような問題であれば、言い訳(というか事情の説明)はもちろんした方がいいけど、
日頃のちょっとしたすり合わせに目くじらたててると、あっという今に「この人とは仕事をしたくない」になるなあと思った。
ちょっとした修正の指摘に、いちいち謝りの言葉をつけるかどうかは本人次第だけど、
調整や追加依頼含め、相手からの指摘につねに攻撃性を持った対処をするのは結果的に損だと思う…というお話でした。
まあ、悪い例は過去の自分なんだけど。(しかも社内じゃなくて客先にもこの態度とってた)
基本的には自分は頑張ってる!という思いやストレスから、修正や調整依頼を過度に自分への攻撃だと認識してしまう、
その辺コントロールできるとお客さんから重宝される人になれるのかなと思った。あとシンプルに人間関係円滑になる。
AIを利用したサービスは様々あるが、特に議論を巻き起こしている「イラスト生成AI」。
chatGPTやらbingAIやら、文章生成AIがかなり好意的に捉えられている中で「イラスト生成AI」だけがやたらに目の敵にされているのは何故か?
よく言われるのは、著作権。
まあ、これも色々言えるが今回の話題ではない。
もう一つの、そして主たるイラスト生成AIが蛇蝎のごとく嫌われる理由─それはイラスト生成AIの使い手のモラルだ。
イラスト生成AIを疑問視するイラストレーターに嫌がらせのようにi2iを使用しリプライしたり、ところ構わずレスバを仕掛けたりしている様子は、AIに期待している側の私から見ても中々に見苦しく、しかも炎上によって可視化されている分だけでもそれなりの数がいるように見える。
イラスト生成AIの使い手がわざわざ人に嫌われるような言動をとってしまう理由はとても単純で、嫉妬と復讐心である。
今でこそInstagramやTikTokによってネットは現実の拡張のような風潮があるが、Twitterは各種SNSの中では特に現実と切り離されている。それゆえ、オタクは大体Twitterにいる。
オタクにも色々種類があり、その中でも最も大きく分けたのが「持つ者」「持たざる者」だ。
「持つ者」は例えばイラストが上手だったり、小説を書いていたりする有産かコミュ強である。今回はイラストの話に絞るが、小説を書くオタクやコミュ強を含めた「持つ者」のオタクはそれぞれ居場所を持っている。
オタクの中で燦然と輝く才能、それがイラストが上手ということだ。小学生男子の最大モテ要素が足の速さなのと似たようなものである。イラストの上手いオタクは、オタクからは〇〇を描いてとリクエストされ、非オタクからは文化祭のポスターや遠足のしおりの挿絵なんかをリクエストされ、とにかく承認されやすい。
現実世界での承認が足りなくても、ネットに飛び出せば相当数のコミュニティがある。よく喋れば親しみやすいキャラとされ、あまり喋らなくてもミステリアスでカッコいいとされる。
もちろん、小説よりイラストが優れているとか、イラストを描けるオタクが無産より偉いとか、そういうわけではない。イラストは「分かりやすい」。文章の読めない人のために宗教が壁画を作ったように、歴史的に見てもイラストは基本的に誰でも分かるものなのだ。
イラストレーターが強いのは、イラストそのものの強さでもある。
さて、「持つ者」のオタクが現実世界やネットで承認される一方、現実世界でもネットでも承認されないオタクがいる。それが「持たざる者」のオタクだ。
「持たざる者」のオタクは割と悲惨で、まず仲間がいない。先ほど「持つ者」の例として挙げたコミュ強オタクは、陽キャ集団でなくともそれなりにオタクで寄り集まり、コミケに一緒に行ったり文化祭で合同紙を売ったりして楽しくやっている。(側から見ればコミュ障かも知れないが)
「持たざる者」はそれに入ることが出来ない、あるいは入ることを拒否したオタクである。
さらにその名の通り、「持つ者」のオタクが持つ才能や努力を持っていない。周りに人が集まらないのは当然なのだが、残念ながらそれを理解することができない。無産のコミュ障オタクなんか星の数ほどいるのだが、ある程度の学力や努力を持っている、あるいはコミュニティに迎合する柔軟性がある。それすらも持っていない「持たざる者」はひたすらに、あらゆる方向から弱い。
「持たざる者」のオタクは、オタクなのにオタクを基本的に見下している。というか人間が嫌いで、裏切りを恐れている。
「持たざる者」のオタクはオタク同士で語らう場もなく悶々としながら、欲求不満を募らせていく。そしてそれは「持つ者」のオタクに対する恨みとして蓄積されてしまう。何故なら同類であるはずのオタクが自分の知らないところで仲良くやっているのは、裏切りに他ならないからだ。特にイラストは「分かりやすい」ゆえに矛先が向きやすい。これは持論だが、イラストが上手い人は頭が良い。さらにたゆまぬ努力を続ける忍耐力もある。しかし「持たざる者」のオタクはそれが理解できず、目の前にあるモノに飛びついてしまう。そして、こんな絵自分でも描けると嘯きながら誰からも承認されず、自分とイラストが上手い「持つ者」のオタクの差に気づくことなく、さらに恨みは嫉妬と復讐心に増幅していく。
もう分かってもらえただろう。そんな「持たざる者」のオタクにとって、「イラスト生成AI」はエクスカリバーなのだ。自分を裏切った「持つ者」のオタクという悪の総本山、そしてそのボスであるイラストが上手いオタク、イラストレーターを痛めつけることが出来る唯一の手段なのだ。
だからこそ、今までの努力を踏み躙られたとイラストレーターが嘆くと指差して笑う。もうどうしようもない。
もちろん今回の話はあくまでも、「イラストレーターを目の敵にしている、イラスト生成AIの使い手」の話だ。
実際のところ、興味深さやちょっとした趣味のようなものとしてAIで遊んでいる人がほとんどだろう。あとは個人利用目的ついでにネットにアップしている人か、将来スタンダードな技術になることを見越して先行しようとしている人ぐらいか。
諸問題が整備されていけばAIを利用したイラストは当たり前になっていくと思う。その時はその時で問題が発生するだろうが、それはまた別の話だ。
結論。イラスト生成AIを使って煽り散らかす人たちは、基本的に可哀想な人間だ。いわゆる「無敵の人」に近い。これだけで、許してやることは出来なくとも、触れない方が良いということは分かるだろう。私たちは福祉課ではないからだ。
だからもし自分の好きなイラストレーターが粘着されていたら、そっと通報・ブロックしよう。間違っても酷い、消してくださいなどと言ってはいけない。それこそが彼らを気持ち良くさせるエネルギーとなっている。
また、もし自分がイラストを描いていていじめられたら。今後AIイラストの著作権に関してはもっと分かりやすく説明されるだろうし、特にi2iは普通に現行法で違反になるだろう。そっとスクショして、気が向いた時に通報できるという心持ちがあった方が精神健康に良いのでオススメだ。訴訟にお金がかかるとかは一旦置いて、証拠集めに徹しよう。彼らは貴方個人を恨んでいるのではないため、反応がなければ満たされない。
私はイラスト生成AIはそこまで触っていないが、AIそのものが好きなので、もっと発展してほしい。今の風潮だとAIそのものが嫌われそうなので、何故嫌われるのか?という点に念頭を置いて持論を展開してみた。長々と話して結論が弱いのは承知だが、理解不能な行動を取る人の向こう側について考えると、自分が取るべき行動も分かると思う。全部上手くいってほしい。
昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。
ちょっと長くなるけどごめん。ピュアな気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。
かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。
地元の小中学校を卒業してからは、家から十キロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。
偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校とかに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラスで大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニのアルバイトに挑戦することにした。同じクラスの女子でアルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。
七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。
60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。
友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。
八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。
その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツとネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリのストラップがひとつ付いていた。
ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかわからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品のバーコードを読み取っていった。
レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。
その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。
ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。
その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服の男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。
Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。
八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃんは小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。
で、私も晴れて、初めてもらったお給料で美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。
入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃんの受け売りだった。「シャンプーはしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。
こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。
それで、次の土曜の昼にコンビニでレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶があいまい)。ちょっとびっくりした。
「増田さん、髪切った?」
どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からもコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、
「似合ってるね!!」
と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。
あの頃は、Kさんが特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。
瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラスの男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさんの目力はダントツだった。
「ありがとうございます…」
途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。
別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆や正月もシフトに入る。試験期間中は休み」という約束を守っていただけ。
月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリの死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。
和やかな日々が続いていた。学校の勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子が可愛い、ということで有名な広島県東部の公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。
その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部の活動が終わった後だった。彼女が自分の机に座っていて、私は自分の椅子をそこに移動させていた。
Mちゃんがカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色の封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。
「これ、あの人からもらった」
とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんがコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。
もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。
「増田さん。これどうすればいい?」
そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。
今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。
コンビニを休むようになった。それまでは試験期間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金は好きな音楽や漫画や雑誌に使っていた。
美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。
高二の梅雨時だった。Mちゃんがコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。
そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。
Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。
Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品やホットスナックや炭酸水やビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はい、お久しぶりです!」と作り笑いを返した。
昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。
それから、Kさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。
その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。
馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色のラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。
次の日、コンビニでレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズとTシャツのラフな格好だった気がする。
「はい。変えました」
「うん、うん。変わってるね」
「どーですか?」
「似合ってるね!」
この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計の金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんがカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。
Mちゃんの気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。
でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんがレジの三番目に並ぼうとしていた。
ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。
でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。
ほかに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。
「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」
「……兄さん警察呼ぶよ」
「呼べ!!」
「……」
おじさんが退散すると、Kさんもバツが悪そうにしていた。ほかの子が応援に来たので、私は向こうのレジに行った。
もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。
Kさんに手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。
何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。
・増田さんはよく動いていてすごいと思う
・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい
・今年中に引っ越すのでその前に
・興味があるならメールがほしい
当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子者タイプの男子だった。
そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。
ある夜、その彼氏とKさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさんの圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。
もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。
Kさんは雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分は相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。
高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。
当時、高校を出た後の進路は美容の専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校に入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクやファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。
自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。
その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。
入学試験のちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニの駐車場に入った私を呼び止めた。
「お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日も寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はい、めっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。
その時、Kさんが「増田さん。俺、今日で最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日でコンビニは最後だから。じゃあ、元気で」と、Kさんは自転車に乗った。
私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはいい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。
あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社の契約社員のポジションを探そうか思案している。
実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容の専門学校を卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載の営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんがサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。
「お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんはちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日の約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。
この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那のカバンに付いているぬいぐるみのストラップを眺めていて、思うところがあった。
とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。
近頃女性から性的不一致で離婚みたいな話を聞いたんだけど、単に気持ちよさに対する奉仕を婚姻関係の相手から思うように得られなかったから離婚、が理由なんだったら、それは自分で自分の面倒見ればよかっただけの話じゃないの? て思ってしまって……。
(特にほかの点に不満がなく、そこだけが問題だったというケースの場合です。逆に女として見られないとか男として見られないことが既に許せないという考え方があるのもわかるんですけど……。)
今やデパートで(!)男女関係なくセルフプレジャーアイテム売ってる時代です。
自分の欲に他人を付き合わせるとなれば、双方のタイミングが一致するしないとか、あるじゃないですか。セルフならそれは無いわけです。自分で自分の面倒見ればいいだけの話。
なんかそういう、自分の体を乗りこなして機嫌よく使うことで生活全般に良い影響を及ぼすみたいな……健康知識のひとつとして男女関係なく、そういう手段があると分かるようになれば、前述の理由による離婚とか、あるいは寂しさに任せての不倫みたいなのって起きにくいんでないかなって思うんだけどどうなんだろうか?
ぶっちゃけ人間も動物だから、食欲、睡眠欲、性欲があるのはおかしい事じゃない。
ないんだけど性に関わることって未だにいかがわしげな情報ばかりが乱立していて、知りたいことと乖離していたりする。
潔癖に性的な部分を遠ざけまくった結果起きた歪さが今の日本における性教育や情報のおそまつさという気もしているので、その辺含めて正しい知識や知恵が得られるような社会になればいいですよねぇ……。なんか自分で処理すれば済むことで悶々として離婚とか不倫とかバカみたいでもったいないじゃん……。