はてなキーワード: 単純所持とは
刑法175条に疑問
まずなぜ性道徳を維持しなければならないのか?
それを維持しないことにより何らかの「公共の福祉」に反する事態が起こるというか?
この国は公共の福祉に反しない限りで自由を保証しているはずである。
たとえば街中での露出を許すようになれば確かに風紀は紊乱していくかもしれない。
ではゾーニングしたうえで無修正物のやり取りをすることがどうすれば風紀の乱れや公共の福祉を害することにつながるのだろう?
隠れてやっていてもバタフライエフェクトが起こって風が吹けば桶屋が儲かる式で社会が無節操になってくるとでもいうのだろうか。
隠れてやってるうちその時点でちゃんと節操をつけてるんだから問題ない気がするのだけれど。
psdでレイヤーのオンオフで無修正が見れるようにしたものの有料配布さえも現状認識では違法扱い。
見るのに金がいる時点で間違っても見たくない人の目には入らない優れたやり取りの方法であるはずなのに、それでもまだゾーニング不十分とでも言うつもりなのか。
だいたい可逆不可逆を基準わいせつ物を決めるんなら世の中出歩いてる男女は一皮むけば性器が露わになるんだから日本にいる人間は全員去勢しなきゃならんことになる。
過去の裁判で芸術性がないから卑猥だからだめとかそんな議論で是非を決めていて呆れる。
芸術性がない=無価値だから取り締まるというのでは、たとえ趣味でも生産性のないもので当局の気に食わないものは全て取り締まりの対象になりえてしまうということだろう。まるで障害者を皆殺しにしたヒトラーみたいだな。
反対派すら一部は「エロは性犯罪の抑制になっている」とあるある種の価値を根拠とした擁護を展開しててこいつらも分かってない。
多くの人間がエロを単なる非生産的な娯楽として享受してるし、そこに価値論を持ってきて善悪を決めること自体がばかげている。
奇人変人の趣味は河原の何も珍しくない石を集めてきたり犬の野糞を日が暮れるまで突っついたりいろいろありえそうで、こういうのだってひたすら自己完結な無価値な趣味でありえるだろうが、これらも含めて等しく尊重される社会であるべきだ。
当局さんは個人がひっそり楽しんでる娯楽にまで干渉しないでくれますかね?
アダルトコンテンツ(画像,動画)というのはネット上で見ているといつ削除されてしまうか分からない.昨今もPornhubでそのようなことがあって話題になったのは記憶に新しい.
そのようなことが起きても困らないように,日ごろからちまちまと画像や動画をローカルのPCに保存してきたのだが,そろそろ整理する必要が出てきた.
いま考えていることをメモ程度に残す.
現在,およそ400GBある.今後,電子書籍やネット上の官能小説などもローカルに保存するかも.
聖書を諳んじられて、音楽技術を把握していて、花言葉を理解できる奴だけが分かるという映画のワンシーンを称賛する人間の浅ましさよ。
そうだな。
「チンチンをシコると気持ちいぞ!これ豆な」
だ。
冷笑的に世界を揶揄するために語った言葉を、彼のシンパが面白がって広めただけに思える。
性器に摩擦を加えると流れる電気信号が神経を介して脳の報酬系と結びついているというのは非常にありがたいことなのだぞ?
擦る場所を性器から肛門に変えればいいだとか、妄想による興奮のみを楽しむにしたって同じだ。
性欲の解消は肉体を消耗していく。
なにより問題があるのは、性欲の最も素朴な解消法である異性性交を行うと妊娠という非常に悩ましい出来事がつきまとうことだ。
また、それは今や社会と混ざり合って単なる性欲の解消がひと目につかない場所で行わない限りは法的な処罰の対象となりうるようになっている。
一部ポルノの単純所持違反も考慮すれば、トイレに籠もっての自己手淫以外に安全と言える方法はないのやもしれぬ。
睡眠は地味に厄介で、たった1日の寝すぎが一週間続く生活リズムの崩壊の始まりとなる。
食欲の解消は、そこまでスピーディーな影響を及ぼすことは少ない……いや歳を取るとわずかな暴飲暴食、いつもよりたった1000kcal多い食事がいつまでも胃腸で処理しきれずに数日ほど不快感が続くことだってある。
肉体的欲求の解消は教養を必要とする度合いが低いのだが、肉体を媒介にするが故にオーバーランによって不快のリバウンドが発生するリスクが大きい。
なんだかんだいって教養を要するのだ。
最も広く用いられるのは大衆音楽の類だろう。
大衆音楽は非常に素晴らしい。
クラシックのようにその技巧への理解も必要としないし、高音質であることすら求めない。
宗教的な背景への理解は不要であり、現代社会的な価値観で紡がれる散文詩を理解するのに必要なのは単にその時代を生きてきたことぐらいだ。
児童文学を読むのが恥ずかしいというならハリーポッターについて語れる老人の数を考えてみればいい。
ハーマイオニーを知らないジジイの多くは単にアルツハイマーが進行しすぎているだけだ。
動画も自分に向いた作品を選ぶことが出来れば楽しむのは難しくない。
ただ、動画は表現の幅が文学よりかなり広がるため、NOT FOR ME問題が起きやすい。
向いてない動画はさっさと消して次に行くのがコツだ。
これはザッピングと呼ばれる技術でテレビ放送が始まった頃に産まれた生活の知恵だ。
漫画は、本当に難しい。
ただし消費のしやすさにおいて文学や動画より上なので、一度文脈を覚えてしまえばかなり人生が楽になる。
これも文脈の理解によって遊びの幅が広がる文化なのだが、それを掴みきれない人間は単に綺麗な絵が動くだけの画面を延々とポチポチして変わりゆく絵を見るぐらいしか出来ない。
絵をザッピングする(これは先程紹介した動画のザッピングを絵に対して行うということだ)のならば、ゲームよりSNSの方がいいだろう。
これには3つの処方がある。
イラスト系SNS(ピクシブ、skeb)と呼ばれるものを使う場合は好きな作品を探すのが容易だし、クオリティが高い作品に出会いやすく、同一作者の別作品にもアクセスしやすい。
スクレイピング系SNS(タンブラー、Instagram等)を使う場合は、同一作者の作品を探すのは難しくなるし、作品の質もばらつきが出るが、ザッピングという行為を楽しむのには理想的だ。
個人的におすすめなのがミニブログ系SNS(ツイッター、マストドン)で好きな絵柄の作者を大量にフォローしてしまうことだ。これを行うことで自分だけの最高のイラスト空間が完成する。
さて、様々な低次元趣味を紹介したが、どれも一定位以上の教養が必要となることが分かっていただけだろうか?
特に最後のイラストザッピングなどまさにそうで、単に綺麗な絵をペラペラ見たいという未就学児童レベルの娯楽ですら効率化を目指すにはある程度知恵を絞って情報収集する必要があるし、日々自分の生活を向上させる意欲を要求される。
悲しいことだ。
もしも、明日の朝、君が猛烈な頭皮神経痛に襲われ、次に目覚めたベッドの上で知能指数が下限を超えて測定不能になっていたとしたとき、君は何を楽しみに生きればいいのだろう?
食事を楽しもうにも、食べ過ぎればお腹が痛くなるという当たり前のことを理解する知性さえ失っていれば、それは満たされぬ精神的苦痛と満たされたのちの肉体的な苦痛に挟み込まれた苦悶の儀となるだろう。
ならば、何がある?
祈ることだ。
ただ、心を無心にし、無心を目指すことだけを目的に祈る。
なにもしないことを目指す。
それも、神へ祈るのではなく、いわゆる禅、瞑想のたぐいだ。
禅を高尚だと崇めるものよ、瞑想こそが格調高い儀式だと宣う者共、恥を知れ。
それは、三大欲求にさえ見捨てられた物に残された最後の娯楽、この世界の底辺だ。
そこから、そのふてぶてしい脚をどけよ。
「うまくいかない人生にムシャクシャ」小学生女児に繰り返し性的暴行か 35歳無職男を逮捕
https://news.yahoo.co.jp/articles/80466bcbeb1f581064d5a0f2d685bd7f78a54cb2
「スリルと興奮味わう」静岡の小学校教師が温泉施設で5歳女児の裸を撮影
https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/abc_8017.html
そんなの当たり前であるのだけど、気になった所はそこではなく、貴重な姿云々などと言う所。
この変に規制を強化しすぎて希少化して、価値が生まれてしまったせいで余計に事態の悪化を招いたと言う点は前々から言われていた事でもあるからねぇ…。
しかも児童ポルノ禁止法に関しては変に国連、フェミニストやキリスト系等の宗教団体が歪ませ、単純所持規制やブロッキング、果てには創作物規制と自身の思想の為に権利を利用し規制に悪用しようとした結果、日本ではまだマシだけど、実際海外においてはより犯罪率の増加や凶悪化を招いたと言う笑えない事態まで招いているのは事実だしね。
実際キリスト系や国連等でその後に性犯罪が露呈した点を見てもネット規制やら創作物規制は捜査の手を撹乱させるために言い出したのではと言う疑念すら言われていたのは見た事があるしね。
事実スウェーデンの警察も創作物規制のせいで捜査の手が分断された事は指摘していた点であるし。
今は山田太郎議員がいるからとりあえずは抑止力はあるみたいだけど、著作権のあの体たらくさを見る限り個人的には余り期待はしていない。
しかし昨今のSNS規制を誹謗中傷や自殺等を理由に過剰なまでに規制を煽っているのとこう言う事件を見て当時の児童ポルノ禁止法の流れやウイルス作成罪、その後の著作権などの様々な規制を思い出したけど、規制と言うものは反論しにくい所から、広げられていくと言う当時言われていた事は正解だったのだなとつくづく思うよ。
そしてそのSNS規制だって有名人の自殺やら事件やらを利用して進めようとしているのがねぇ…。
何時もの事だけど事件を法規制や条例の改正に悪用する流れは本当にやめてほしいと思う。
しかも平時ではないこの時期ですら平時感覚でこの手の規制を優先して進めているのだから色々な意味でこの国はもう末期なのだなと思うよ。
横だけど、「例示する」という行為は背後にある一般論について語る行為であって、その具体例についてはぶっちゃけどうでもよいのだが、こんな風に「個別の特殊性」を持ち出す人がネットには多いね。
「黒人」という例が不満でも、「刺青(和彫り)」とか「知的障害者」とか、より妥当な事例はいくらでもあるし、容易に思いつくと思うのだが。
結局のところ「論破」することが目的で、相手の話を聞くつもりも、話し合うつもりもないのだろう。
あ、個人的には「実在児童を対象とするポルノおよび準ポルノの製造・販売・公開・配布」はどんどん取り締まるべきだと思うよ。単純所持はノーコメント、としたいけど、児童ポルノ云々とは別にストーカー規制のあり方を見直すともう少し被害者は安心できるんじゃないかと思う。
(児童が自分自身の裸などを、自らの手で公開してしまうような事例を、「児童ポルノ製造」の罪で補導する、みたいな運用は歪んでいると思うけどね。そういう話を始めるとキリがないのでこの辺で。)
歴代のジャンプ作家の性犯罪で有名なのは2人。世紀末リーダー伝たけし連載中に島袋光年(通称 しまぶー)が、児童買春。こちらは、5年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰。
るろうに剣心北海道編連載中に和月伸宏(自画像 豚)が、児童ポルノ単純所持。こちらは、1年以下の懲役または100万円以下の罰金。
今回アクタージュ原作のマツキタツヤ が起こしたものが、強制わいせつ。強制わいせつってのは簡単に言うと「棒をどこかの穴に入れたわけじゃないけど、合意なくエッチなことをした」って罪だ。これがなんと、6月以上10年以下の懲役。
上の二つはもしも懲役刑になったとしても一ヶ月で終わる可能性もあるのに対して、懲役喰らえば半年は出られないことが確定している。しかも最長で10年。児童買春の2倍だ。人々の記憶に残る範囲ではジャンプ歴代トップと言えよう。
アクタージュは原作と作画が分かれている。今回捕まったのは原作のマツキタツヤだけだが、天下のジャンプに犯罪者の漫画を載せる訳にはいかないので強制打ち切りとなる。これにて見事、作画担当の宇佐崎しろ先生はもうすぐ無職というわけだ。
専属作家契約だとか既存単行本の印税とか色々どうなるのか外野からは分からんものもあるが、とりあえずもうすぐ無職になる。
アクタージュには鳴乃皐月という8歳の子役が出てくる。主人公が芸能界に入ったことで接点が生まれた新たなメインキャラクターだ。現在連載中の範囲では、子役の急成長を通して主人公が何かを掴む姿が描かれている(そして、その先は描かれない)。
ロリコン犯罪者が描いてた漫画に子供が出てくるのは、正直かなりキツイ物がある。その上それがメインキャラともなればだ。更に厄介なことにこの子の決め台詞が「しごいてあげる」なのだが、ロリコンが書いてきたネームにこのセリフが書かれているのが本当にキツいものがある。
ちなみに、アクタージュが最後に掲載された号には、夏休みおまけ企画として各漫画が1ページで夏の風景を描いていて、その中にもこの「しごいてあげる」は登場する。実質、アクタージュの最後のヒトコマに「しごいてあげる」が書かれている。偶然って恐ろしいね。キッツ!
実はジャンプの巻末コメントではマツキタツヤが「自転車から変な音がする」と言葉を残していた。何も知らずに読めば、つまらん日常の風景でしかない。
事件後に読み返すと、自転車に乗って逃走を企てる性犯罪者が目立つことに対して過敏になっていたという背景が読み取れる。怖……。お前の人生お前の漫画よりも怖いよ……
しかしこうして見ると誰も彼も自身の権利や自由は主張する癖に他者については時には詭弁を用いてでも抑圧したいと考える様な人達ばかりだね。
過去には児童ポルノ禁止法で子供の権利を盾にして、単純所持規制やブロッキングと言ったネット規制を推進し、漫画等の創作物規制を推し進めようとしていた。
現在でも事ある毎に女性の権利や子供の権利を盾にし、性的搾取と称し、表現規制やゾーニングと称したものを行おうとしてくる。
当時は自民と一緒に昨今では野党支持者と一緒に表現規制を声高に叫ぶ傾向がある。
現在においても赤十字のポスターの一件やJAのラブライブコラボ等の騒動を度々起こす等の問題行動が多く、その行動が世間的にも問題視され始め、昨今においては事実上の反社認定を世間からされつつある。
主に当時の児童ポルノ禁止法において、表現規制やネット規制を熱心に行っていた人達。
上記のフェミニストとも関連性が強く、エクパット等の団体との関連性もある。
子供の権利委員会が勝手に行い、日本や米国からパブコメの意見にて問題視された国連のガイドライン変更の強行もそのエクパットの意向が強くあったのも事実。
思想的には右寄りも左寄りも中道の人間もいるし、その立場も様々。
当時はそれこそ烏合の衆と呼ばれ、たかがオタク如きと呼ばれ、政治家や政党からも票にならないと軽んじられていた。
また当時の児童ポルノ禁止法においてはそれこそ嵐が過ぎ去るまで頭を下げている人間も多かったのも事実であり、左側の思想の人間は現在でもその傾向が強い。
本格的に表現規制が問題視され始め、表舞台に立ち始めたのは都条例以降。
コンテンツ文化研究会やうぐいすリボン等のNPOが活動を始めてからまともに反対活動を出来るようになったのも事実であり、それまでは一般人を主とした反対活動であり、手探りであった為、間違った手法や逆効果の手法を行っていた事もあった。
ただ参院選の選挙以降、秋に漫画家が音頭取りをし始めた20年の著作権改正におけるダウンロード違法化拡大においては自民案が出て以降、急速にダンマリしだし、可決以降に関しては山田太郎議員を擁護し、規制の推進に賛同しだすダブスタをする人間も多く見受けられる。
また当時から自身の表現や言論の自由の為ならば、他の権利については切り売りし、ネット規制に賛同する傾向が見受けられるのは事実。
児童ポルノ禁止法の当時はそれこそ嵐が過ぎ去るまで頭を下げている様なスタンスであった。
また自民と言う権力と結びついて以降、著作権における海賊版対策と称したネット規制には熱心であるものの本来ならばそれこそ表現規制問題であり、漫画家とも関連性の深い国連子供の権利委員会の行った児童ポルノガイドライン改正には無関心であった。(国連の件に動いたのは一部団体と漫画学会である)
また上記にも書いた様に自民と言う権力と結びついて以降は著作権において海賊版対策と称したネット規制に熱心であり、海賊版対策に有効ではなく、ネットユーザーに対する問題点が指摘され、パブコメにおいても4000件以上、8割以上が反対しているダウンロード違法化拡大についても自身が音頭取りを行い、コロナ禍が起こって以降も緊急事態宣言の最中、藤末議員に要望書を提出する等を行い、更に6月において与野党共に全会一致で可決する事になる。
更に言えば、現在では凍結しているがブロッキングも行おうとしている節が見受けられるのはカドカワを見ていれば判る事である。
当時から著作権におけるリッピング規制やダウンロード違法化等の規制に熱心。
当時からパブコメにおいて大多数の反対があったとしてもその意見を無視して、一度規制が座礁しても同じ規制を何度も通そうとするほどである。
また昨今においてもパブコメの賛成意見を水増しをした疑惑やパブコメの意見誘導をしようとする等怪しい動きをする事も多い。
当時はフェミニスト団体等と一緒に児童ポルノ禁止法や都条例において単純所持規制やブロッキングと言ったネット規制を行い、漫画家と結びついて以降は特に著作権において海賊版対策と称し、ネット規制を推し進めたりしている。
また前回の参院選も一度は著作権のダウンロード違法化を凍結し、その時は賛成していた漫画家も急に慎重等と言い始めたものの参院選で山田太郎議員が当選して以降、漫画家が音頭取りを始め、山田太郎議員が座長になり、文化庁案を元にして、自民案が提出されたのは事実。
当時の児童ポルノ禁止法において、ネット規制や表現規制に対して熱心であった。
傾向的に自民の規制傾向に近く、その手の規制には賛同し、推進する傾向がある。
橋下氏がいた当時においても青少年条例における規制に熱心でネットカフェ規制も率先して行ったりもしていた。
児童ポルノ禁止法や都条例の当時は反対していたもののしばき隊騒動以降は一転、フェミニストと同調し、規制を推進する勢力となった。
特に共産党は赤旗にPAPSを掲載する等し、現行においては規制推進政党とみなされる程。
また立憲においても現在でも反対派はいるにはいるが、映画の件においてLGBTを持ち出し表現規制論を展開する議員等も存在。
そしてれいわや立憲の支持者には上記のフェミニストの声高に叫ぶ規制論に同調する人間も比較的多く見受けられる。
こちらはあいトリに関しては表現の自由を叫ぶものの漫画等と言った創作物表現については昨今フェミニストが起こした問題行動である赤十字のポスターの一件やJAのラブライブの一件を見ても規制を推進するスタンスが見られ、ダブスタの傾向が見受けられる。
当時から人権擁護法案と言った言論規制は熱心に進めようとしていた節は見受けられ、現在においてもヘイトスピーチ規制と称し、その手の言論規制を行う事には熱心である。
また基本的に表現規制やネット規制には与党と同調し、全会一致で通す傾向が強い上、今回においても当時は著作権問題に懸念していた川田議員や川内議員もノーリアクションであった。
基本的に他者を自身の思惑や得票に利用する事を考える人間が多く、その上政党のスタンスが転換した途端、平然と掌を返し、今まで協力し、一緒に反対していた人間であっても平気で裏切る行為をも行う。
しかし表現規制や言論規制、ネット規制に関してだけでもこの手のダブスタが存在し、野党もこの手の話題には全会一致で可決と機能していないも同然で、そりゃ年々投票率も低下するのも当たり前だと頷けるよね。
表現規制問題とかであってもこうなのだから、他問題においても同じ様な事になっているのは想像に難くないし、そりゃ政治に期待しなくなり、選挙にもいかなくなる人間が増えるのも当たり前だよ。
最近小児型ラブドールの是非についてはてぶで話題になっている。はてぶではラブドール愛好者である増田の反論と、規制推進派のツイッターとがホッテントリ入りしていた。はてぶ以外で議論がどのように展開されているかは確認もしていないので知らないが、そもそも糾弾されている我々小児性愛者のが置き去りにされている気がしたので意見を述べる。
ただし我々小児性愛者と書いたが、私自身小児性愛者を自称することには抵抗がある。DSM-5で定義される"The individual has acted out these sexual desires, or is experiencing significant distress or difficulty as a result of these desires."は自分には当てはまらないので。それでも子供に対し性欲を掻き立てられるし、その手のイラストを描いてもいるため他から見たら小児性愛者と断じられても仕方がない。
さて、ラブドールについてだが、以前欲しいと思ったことがあり購入を検討したが結局買わなかったし、買わないで正解だったと思う。高額であることのみならず、部屋の容量や引っ越しの可能性も考えたらおいそれとは手が出せなかった。ラブドールそのものが極めて上級の趣味なので、槍玉にあげられている小児性愛者の一人としても今回の運動には今一つぴんと来ないのである。実際はてぶを見て知っただけで、増田が記事を書かなければ恐らく知ることも無かった。change.orgにはたびたび署名しているが、自分のところには周ってこなかったし。それもあって本来のターゲットである小児性愛者ではなく人形愛好家に弾が当たったのではなかろうか。
もちろん将来そこそこの広さのある終の棲家を得られたなら、そしてそのときに小児型ラブドールが今よりも精巧であったなら購入したいとは思っているので、規制には当然反対である。反対するのが至極当然である。
一方で規制推進派をただ否定すればいいかというとそうでもなく、規制したがる人たちの危惧も無碍にはできまい。規制に賛成の立場のブクマで星を集めているのは「それをきっかけに欲望が芽生えるか、あるいは加速するのでは」というものだ。ご丁寧に実例を紹介してくれる人もいた。
こうした意見に対して、どう対応すればいいのか正直分からない。とりあえず私自身は自分こそがその反例だと思うので自分について少し述べることとする。
まず私の小児性愛の目覚めは幼児期のナルシシズムと同年代の少女へのコンプレックスのためだと思う。小学生ごろまでは綺麗な服を着られる姉がひたすらに羨ましく、その結果として女装癖があった。女の子の自分がどんな形ででも注目されたいという欲望があった。その後自分は女の子にはなれないと諦めたことで、自分の中で理想形が小学生までの少女に固定されたのだと思う。近年中学時代の友人と再会する機会があったのだが、彼の第一声は「今でもロリコンなん?」であり、つまり私は「生粋のロリコン」であると自他ともに認められる(ちなみにロリコンという呼称は大嫌いだ)。
その後長じるに及んでその手のイベントがあったかというとけしてそんなことはなく。単純所持禁止前までにその手の動画を見たこともあるが自分でも、とはならなかったし。姉や親族に子供ができて、私がしばしばお世話をしたけれど別段何もしなかったし、そもそも今の仕事が子供と関わる仕事だがこれまで悪いことは何もしていない。
しかしこんなこと言ったところで、「情欲をいだいて子供を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」とまではいかなくとも、意識していなくてもセクシャルなことをしているに違いないとか、自己申告乙とか、今後どうなるか分からないとか、よしんば認めてくれたところで反例1だとか言われるだけでしょう。
ただそれでも私が強く主張したいのは、「欲望」と「実際の行動」の間には深い溝があり、その溝を乗り越えられるのは限られた人間だけだ、ということです。私が初めて彼女とセックスすることになったとき勃起できずに気まずい空気が流れた原因は、私自身の性癖もあるが、人間という情報量の多さに気圧されたからだ。子供とこれまで幾度も接してきたが、彼らそれぞれの「個」に圧倒されて、個性を剥奪された単なる「性的対象」としてなどけして見ることができなかった。
結局犯罪ができる人間というのはとことん相手を見下せるか相手との共感性が皆無な人間なのだと思う。だからこそラスコーリニコフも殺人と超人思想を結びつけたわけで、肯定的な表現をするなら「乗り越えられる人間」ということになる。
そして犯罪者が乗り越えてしまっているものは、他にもあるがまさに「社会における自分の立ち位置」であろう。家族、親類、職場、友人のことなど考えたらけっして悪いことなどできないはずだ。それでも犯罪ができてしまう人というのは、尊重しうる他者がいない人なのではないだろうか。
最初に小児性愛者と断じられても仕方がないと言ったが、やはり私が自分には当てはまらないと述べたところの定義こそ重要だと思う。何人か医者の友人がいるのだが、精神科医の友人(娘がいる)は「イラストを描いて欲求を昇華できているのはとてもいいことで、全く問題がない」と言ってくれた。また別の友人は、私のことを彼女に紹介する際「凄いロリコンだ」と言ったら、彼女は「その人を治療できるのはあなただけなのよ」とかなんとか言ってきたので「理性で制御できてる以上単に個人の趣味」と諭したという。理解ある友人がいて幸せだし、だからこそ裏切れないとも思う。
小児性愛者に危惧を覚える、その感情は理解できるのだが、小児性愛癖を持つものが実際の行動を伴うわけでもないし、罪を犯せる人間というのは特別なのだということは一考してほしい。私としてはラブドールの規制なんかよりも、人権教育を通じてお互いを尊重できる社会を気づくことが大切だと思う。
単純所持禁止については禁止派の意見も許容派の意見もわかる、という立場だったけど。
「単純所持は原則違法とした上で、特別に被害者への配慮が認められる場合は違法性阻却事由として認める」という運用もありなのかなぁ、と思った。
勲章のように「俺はこういうの持ってるぜ」と吹聴したり、クラッキングなどの方法でいつ盗まれても仕方ないような杜撰な管理をしていた場合(文字通りの「単純」所持)は違法とする。そうでなく、十分に「誰にも見つからない」努力をした上で、しかし(災害や凶悪犯罪など)容易には予想できない理由で明るみになってしまった場合は罪に問わない。そういう運用。
有償・無償問わず、販売・譲渡・配布・製造を禁止すればいいだけ。
またそれとは別にストーカー規制についてネット社会を前提に根本から見直せばいいだけ。
「レイプ事件をなくすためにセックスを禁止します」と言われれば困るくせに、「マイノリティがどうなろうが俺らマジョリティは困らないから」という傲慢な理由で作られた雑な法律。
本来はピンポイントで「悪」を規制すれば十分なのに、細かい議論が面倒だから「バルサン焚いて一網打尽にすりゃ解決だろ」と結論を急ぐ。
その結果増田のように社会に行き場のない人間が現れても知らんぷり。
追い詰められた人間が更なる凶悪犯罪に走っても、「犯罪者死ね!」とネットで呟けば良心は痛まない。むしろ「自分がどれだけ倫理的な存在か」を後押ししてくれる。
元のツイの方が余りにアレなので当時の例を出されたのだろうけど。
10年以上前の児ポブロッキングの時、俺は結構調べたし動いたし国際会議の類に何本も顔を出したが、児童ポルノについて「性的虐待なんぞより自由の方が重いのだ、そんなもんは知ったことか!」と言い放つような、"so be it"はついぞなかった。リバタリアニズムの限界がその辺にあるのだと思う。 https://t.co/YbDyO9d05j— 未識魚 /中川譲 @ C98 5/4(月)西M18a (@mishiki) 2020年3月21日
ブロッキング騒動以前の単純所持規制や創作物規制が話題になっていた時ですら、規制に反対していた方こそ児童保護を厚労省管轄にして、保護予算をつけるべきであり、児童ポルノを性的虐待物に名称変更すべき等の具体的な個人法益としての実在児童保護の案を実際言われていたのは当時見ていた人は判っていると思う。
それにあの規制自体余りにも弊害が多くて、効果自体期待できないモノだったからこそ反対されていたのは事実だから。
大体世間的には反対される規制は論理的に間違っている者が多い。
多くの規制問題の場合、ただ表現の自由や言論の自由だけと言う話ではないからね。
寧ろ当時の児童ポルノ禁止法やらと条例の時は逆に反対していた人達の方がどの位ネット規制及びゾーニングや規制の幅を問題ない程度に行い抑えていくべきかと言う話もあった位だしねぇ。
そもそも当時これを無視して規制ばかり進めたのが当時のフェミニストやキリスト系とかの推進派だったし、彼等は社会法益化しようとしていたのは事実。
だからこそ児童ポルノ禁止法はここまで歪な代物になったし、海外において創作物規制をした国こそ実在児童犯罪が今も酷く、この規制自体リソースの分散や悪化を招いたと言われるのも必然だし皮肉だと思う。
場当たり的に騒ぐだけの凡百のツイフェミの方々とは違い、伊藤和子弁護士のやり方は非常に戦略的や。諸外国に日本の萌え文化について有る事無い事を吹き込み、外圧により日本の萌え文化を法的規制で抑え込もうとされとるんやな。
その危険度は、石川優実さんなんて目ではないでホンマ。 https://t.co/uhjA6v9Aqt— キルゴアさん (@KilkilGoregore) 2020年3月3日
手口そのものは過去から変わっていない典型的な手口でこれでもまだ可視化されて、世間的に暴露され多くの人がその手口を認知し始めているからマシなんだけどね…(苦笑)
ECPATやヒューマンライツナウと言った連中はこの手のマッチポンプで外圧の輸入をしていたのは有名な話。
こいつらの手口が巻き起こしたものがそれこそ児童ポルノ禁止法の創作物規制やら単純所持規制やブロッキングやらのネット規制だしね…。
この手の外圧の輸入はまず多くの人にこいつらの悪質な手口を知ってもらい、それこそ世論的に無効化するのが割と有効なのはそれこそブキッキオ氏の件やガイドラインの件でもわかっている事だから、世間的に周知していく必要はあると思う。
何より昨今特にフェミさんやこの手の似非児童保護団体が自身の思想やお気持ちの為に弱者の権利を悪用していると言う化けの皮が剥がれだしているのは事実だから。
10年前にはそれこそもうネットはあって世の中の人々にも普及はしていたけど、ツイッターはまだ今ほどが普及してなかった(政治的に普及が一気にしたのは都条例の頃から)し、2ch程度だったから今ほどこいつらの手口自体認知されていなかったのもあり、好き勝手大暴れしていたのは事実だからねぇ…。
このニュースについても冒頭取り上げるつもりです
未明、児相が女児を門前払い 窓口職員「警察に相談を」https://t.co/c707sNFxu0 https://t.co/6MyEr753xK— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2020年2月19日
怒ってる人多いけど、児相をNPOに委託しボランティアに頼った時点で予想できた事態だと思う。多様な逃げ場としてのNPOは大切だけど、警察と並ぶ最後の砦である児相は専従の専門職員が担うべきでは。/児相の相談員「冗談だと思った」神戸の女児追い返し https://t.co/iPbs2JgIxo— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2020年2月20日
この問題に関していえば、当時の児童ポルノ禁止法の時がそうなのだけど、反対派の人達はそれこそ規制の弊害もあるけど、実在児童保護がおなざりになっている点は本当に問題視していたからこそ、厚労省管轄にする事や予算をつける事を指摘していたにも関わらず、当時単純所持規制や創作物規制を都合良く進めようとしていた某NPOや某募金団体及び某宗教団体等はこれらの声をガン無視して、自分達の都合の良い規制や罰則強化ばかり行っていたんだよね。
そしてその時は主にオタクや規制に反対する人達は一般人が主だったのは事実としてあったし、当時本来なら声を挙げるべきだったNPOとかからは指摘する声はほぼなかったんだよね。
当時は表立って反対できる雰囲気ではなかったのは事実としてあるけど、本来声を挙げるべきだったこの人達の声がなかったのは本当にダメだったと思うよ。
だから当時の経緯を知っていれば、NPOに怒る人が多いのは当たり前だとしか思わないし、そんな経緯があるからこそ山田太郎議員も子供庁設立に奔走する羽目になっているのもあるのだからね。
しかし何でもボランティアに頼ろうとするのは本当に問題だよね。
この問題に限らず、国家がこれをしだすと経済的に回らなくなるのは当時から指摘されていた事なのにね。
国家だからこそ、きちんと予算をつけて、今はボランティアをしている様な方々にも本来ならば雇い給与なりバイト料を支払うべきなんだよ。
皆さんトレースで、実在児童の権利が侵害されたと思ってるんでしょうが、確定された高裁判決では、実在児童の権利侵害は認めてません。実在児童特定されなくとも、社会的風潮を助長したから有罪なんです
ガチでマンガの参考資料だってやべーんですよ、この話は https://t.co/bRAeqMqehh— すくすく。 (@ScreamoTAI) 2020年1月29日
大塚英志のオタクの精神史をこの前パラパラ見ながら、まあそうだろうなと思ってたけど、劇画時代からのポルノマンガって写真トレースベースなのもかなり多かったんだよね。当時はポルノに限らず大らかではあったんだけど— skks (@skks1028) 2020年1月29日
今回最高裁の判断が確定した以上、この人が描いていた同人誌(CG集?)を持っている人は今児童ポルノの単純所持罪に該当することになるので捨てなきゃアカンわけですが、そうすると本当に「どんな絵だったか」「どれだけ写真ぽいのか」などを確認・検証する方法が消える。https://t.co/VCqDCNrLw7— 未識魚 /中川譲@C97 30日西G33b (@mishiki) 2020年1月29日
この辺は当時のオタクや漫画家が我が身可愛さに単純所持規制を生贄にして売ったのだからしゃーない。
そして今その事が真綿の様に首を絞め始めているのだから、笑えないけど笑うしかない。
三号ポルノやら2条3項各号該当性やらが見事に足を引っ張り始めた形。
おぎの稔を始め表現規制反対のイキリオタク勢は、こういう時に判決の内容よりも報道のタイトルの付け方がオタク差別だ~みたいな方に偏ってきてる気がするな— skks (@skks1028) 2020年1月29日
今でもオタクや漫画家の規制は綺麗な規制と言わんとばかりに著作権のダウンロード違法化拡大を進めたりするダブスタを重ねたりしているしな。
「フェミニストVSオタク」から「フェミニズム・カルトVSそれ以外」へ
https://togetter.com/li/1454864
しっかし当時の児童ポルノ禁止法や都条例で味を占め、増長しきったのかもしれないけど、その後与党にパージされ、野党でもフェミ候補が勝てなかったにも関わらず、今だ赤十字のポスターはおろか、案の定、実在の巨乳女性までバッシングしだしたのだから、救いようがないとしか言いようがないよね。
それこそ当人達がセックスヘイターである事を最近では隠しもしなくなって、セックスワーカーの人達を平然と叩きにかかったり、それに飽き足らず、国内外でレースクイーンやグラビアアイドル、コンパニオンなどの女性の職業をバッシングして逆に奪いにかかっているのだから呆れ果てるよ。
日本に限らず、児童ポルノだの青少年だのを悪用したせいで子供に関わるだけで不審者扱いされかねなくなったから、誰も子供に関わらなくなった結果、余計に子供が危険に晒される事態を招いたり、海外ではそれこそ実在児童被害が悪化したりしたのだから、そりゃこれらをツールとして悪用してきたフェミが嫌われ出すのは当然と言えるよ。
また当時言われていた通り、ここで規制の流れを止めないと際限なく、あいつら増長して、単純所持規制やブロッキング等のネット規制、漫画等の創作物規制に飽き足らず、それ以外の分野にも規制が波及する様な事態になるぞと言われていたのに止めなかったものだから、予想通りの事態を招いて、今頃それが問題視されているのも本当に皮肉としか言いようがないね。
やはり人間と言うのは実害を受けないと良く理解できないものだと言うのがここでも良く判るよ。
こう言うのをみても今後フェミニズムは明確に衰退し、世間的にも敵対視されるし、こいつらの悪用してきた弱者の権利も巻き添え的に衰退していくものだろうと考えるよ。