聖書を諳んじられて、音楽技術を把握していて、花言葉を理解できる奴だけが分かるという映画のワンシーンを称賛する人間の浅ましさよ。
そうだな。
「チンチンをシコると気持ちいぞ!これ豆な」
だ。
冷笑的に世界を揶揄するために語った言葉を、彼のシンパが面白がって広めただけに思える。
性器に摩擦を加えると流れる電気信号が神経を介して脳の報酬系と結びついているというのは非常にありがたいことなのだぞ?
擦る場所を性器から肛門に変えればいいだとか、妄想による興奮のみを楽しむにしたって同じだ。
性欲の解消は肉体を消耗していく。
なにより問題があるのは、性欲の最も素朴な解消法である異性性交を行うと妊娠という非常に悩ましい出来事がつきまとうことだ。
また、それは今や社会と混ざり合って単なる性欲の解消がひと目につかない場所で行わない限りは法的な処罰の対象となりうるようになっている。
一部ポルノの単純所持違反も考慮すれば、トイレに籠もっての自己手淫以外に安全と言える方法はないのやもしれぬ。
睡眠は地味に厄介で、たった1日の寝すぎが一週間続く生活リズムの崩壊の始まりとなる。
食欲の解消は、そこまでスピーディーな影響を及ぼすことは少ない……いや歳を取るとわずかな暴飲暴食、いつもよりたった1000kcal多い食事がいつまでも胃腸で処理しきれずに数日ほど不快感が続くことだってある。
肉体的欲求の解消は教養を必要とする度合いが低いのだが、肉体を媒介にするが故にオーバーランによって不快のリバウンドが発生するリスクが大きい。
なんだかんだいって教養を要するのだ。
最も広く用いられるのは大衆音楽の類だろう。
大衆音楽は非常に素晴らしい。
クラシックのようにその技巧への理解も必要としないし、高音質であることすら求めない。
宗教的な背景への理解は不要であり、現代社会的な価値観で紡がれる散文詩を理解するのに必要なのは単にその時代を生きてきたことぐらいだ。
児童文学を読むのが恥ずかしいというならハリーポッターについて語れる老人の数を考えてみればいい。
ハーマイオニーを知らないジジイの多くは単にアルツハイマーが進行しすぎているだけだ。
動画も自分に向いた作品を選ぶことが出来れば楽しむのは難しくない。
ただ、動画は表現の幅が文学よりかなり広がるため、NOT FOR ME問題が起きやすい。
向いてない動画はさっさと消して次に行くのがコツだ。
これはザッピングと呼ばれる技術でテレビ放送が始まった頃に産まれた生活の知恵だ。
漫画は、本当に難しい。
ただし消費のしやすさにおいて文学や動画より上なので、一度文脈を覚えてしまえばかなり人生が楽になる。
これも文脈の理解によって遊びの幅が広がる文化なのだが、それを掴みきれない人間は単に綺麗な絵が動くだけの画面を延々とポチポチして変わりゆく絵を見るぐらいしか出来ない。
絵をザッピングする(これは先程紹介した動画のザッピングを絵に対して行うということだ)のならば、ゲームよりSNSの方がいいだろう。
これには3つの処方がある。
イラスト系SNS(ピクシブ、skeb)と呼ばれるものを使う場合は好きな作品を探すのが容易だし、クオリティが高い作品に出会いやすく、同一作者の別作品にもアクセスしやすい。
スクレイピング系SNS(タンブラー、Instagram等)を使う場合は、同一作者の作品を探すのは難しくなるし、作品の質もばらつきが出るが、ザッピングという行為を楽しむのには理想的だ。
個人的におすすめなのがミニブログ系SNS(ツイッター、マストドン)で好きな絵柄の作者を大量にフォローしてしまうことだ。これを行うことで自分だけの最高のイラスト空間が完成する。
さて、様々な低次元趣味を紹介したが、どれも一定位以上の教養が必要となることが分かっていただけだろうか?
特に最後のイラストザッピングなどまさにそうで、単に綺麗な絵をペラペラ見たいという未就学児童レベルの娯楽ですら効率化を目指すにはある程度知恵を絞って情報収集する必要があるし、日々自分の生活を向上させる意欲を要求される。
悲しいことだ。
もしも、明日の朝、君が猛烈な頭皮神経痛に襲われ、次に目覚めたベッドの上で知能指数が下限を超えて測定不能になっていたとしたとき、君は何を楽しみに生きればいいのだろう?
食事を楽しもうにも、食べ過ぎればお腹が痛くなるという当たり前のことを理解する知性さえ失っていれば、それは満たされぬ精神的苦痛と満たされたのちの肉体的な苦痛に挟み込まれた苦悶の儀となるだろう。
ならば、何がある?
祈ることだ。
ただ、心を無心にし、無心を目指すことだけを目的に祈る。
なにもしないことを目指す。
それも、神へ祈るのではなく、いわゆる禅、瞑想のたぐいだ。
禅を高尚だと崇めるものよ、瞑想こそが格調高い儀式だと宣う者共、恥を知れ。
それは、三大欲求にさえ見捨てられた物に残された最後の娯楽、この世界の底辺だ。
そこから、そのふてぶてしい脚をどけよ。