はてなキーワード: 区切りとは
一度は経験したかった海外での仕事に区切りがつき、日本に戻ることになった。
元々地元愛が強いのもあるが、地方都市大学、海外就職と地元を離れていたため、
慣れ親しんだ土地や友人のある地元にいつかは帰りたいと思っていた。
チェーン店が並ぶ国道沿いで必要十分な生活、田舎によくある車を趣味として、
今の仕事関係で転職をするとなると、東京や大阪といった都市に限定される。
正直、そんな大都市は苦手だし、生活するところではないと思う。
高校、大学卒業後に地元を出た人が、都市での生活に見切りをつけ、
地元に戻り始める中、それに逆行しているように見える。
可能性ゼロではなくとも、地元で就職・結婚というルートからは遠ざかっているのは確かで、
極僅かな友人しかいない大都市で、これからのライフイベントを迎えることができるのか。
結局、変な優越感やプライドが邪魔をして、今の職種から離れられないでいる。
「葬儀費用に300万円」なんて時代は終わりです:「シンプル火葬」が着々と社会を変えている件 : まだ東京で消耗してるの?
これ読んで思ったんだけど、自分の葬式からは出来れば完全に宗教色を除きたい。そういうのも自分が死ぬまでに実現するだろうか?
葬式自体は否定しない。だって結婚式なんかと一緒で、やらなかったらやらなかったで、連絡もらった人達が後から別々に家を訪ねてきたりして面倒そうなので、そういうのは一括で済ませてしまって欲しい。ただ、宗教色を出すために必要な費用をかけるのは勿体ないので、出来ればそこはゼロにして欲しい。祭壇、お経、焼香、骨壺、仏壇、墓、位牌、仏壇とかみんな不要。
とはいえ、葬式っていうのは、生きている人間が故人が死んだことを納得して区切りを付けるために存在しているので、宗教色を持った遺族が納得するためには葬式にも宗教色が必要なんだよね。
そこはジレンマだ。
「実現するだろうか」と言ったのは、今だってやろうと思えば宗教色ゼロの葬式 (もはや式の体を成していないかも知れないが) は可能だろうけど、それで遺族が納得するだろうか、という意味で。あと30年くらいのうちに、位牌とか仏壇みたいな用語が死語になるくらいの勢いだとベストなんだけど、きっと難しいのだろう。
確かADHDの父と言われてた人が死ぬ間際に、自分が作った病気みたいなこと言ってたんじゃなかったか?
私もADHDかとおもったけど、私の場合は単なる努力不足っぽい。
診断済みの人はともかく、未診断の人は
・低血糖(血糖値が低いと判断力が下がってADHD的な症状がでる)
あたりの情報も読んどいたほうがいいかも。
ADHDではないかと疑っている人は
まず片付けがみにつくようにトレーニングした方がよいんじゃないかな。
自分の片付けできないと時間管理がうまくいかない原因が似ていると思う。
一つ一つキリ(片付け)しないで別の仕事始める。
優先順位がつかない
東京都千代田区。
都心の一画。
ここに一軒のマンションがある。
ガチエージェント遠藤(仮名)の住宅である。
世界でも有数のガチエージェント。
彼らの仕事は決して世間に知らされるものではない。
早朝の丸の内を駆け抜ける遠藤の姿を発見した。
時折立ち止まってしてスマートフォンを操作する遠藤の姿に目を向ける人はいない。
Q、おはようございます。朝、早いですね?
「ええ。始発が動く前にファームを廻る必要がありますからね。
一日分のXMPバースターをどう集めるか。これが大切なんです」
日が昇る前、人々が行動する前から遠藤は動き始める。
手に持つペットボトルが、途中、3回変わった。
「俺なんかがエージェントやれてるのは、Enlightenedの皆さんの支えがあるからなんです。
支えられてばかりじゃなく、こうやって早朝のリチャージをやらないとね」
そう語る遠藤の目は何よりも真剣だ。
ガチエージェントに一切の妥協はない。
遠藤の誇りはそこにあるという。
Q、いつも、この道なんですか?
「いや、巡回の道はいつも変えています。
夜中に攻撃を受けているポータルもありますからね。
ほら、そこの郵便局のポータルはレゾネータがいくつか壊されていますよね」
ただ、ハックするだけではない。
ポータルの修復を忘れない遠藤の姿勢に、ガチ勢の気概を感じた。
「ファームを維持しないと始まりませんからね。大切なんですよ、これ」
遠藤は巡回を終え、カフェに向かう。
勝手知ったる動きで座席を確保する。
Q、朝食ですか?
「いやあ、やっぱりエージェントは体が資本ですからね。
でも、この窓際の席は3つのポータルがスキャナーに入るんですよ」
そう言って遠藤はスマートフォンを操作する。
ハックしながらサンドウィッチを食べる手付きは手慣れたものだ。
「この3つのポータルは入店前に2回ハックしていますからね。
バーンアウトしたので次のポータルに向かわないと」
素早く会計をし、店を出る遠藤。
その足で東京駅に向かう。
時刻はまだ6時22分だ。
「すみません、静かに」
「あちらを見てください。
あのサラリーマンが急に立ち止まってスマートフォンを取り出しました」
「彼はResistanceのエージェントなんですよ」
「こうやって実際にエージェントと遭遇できるのは拡張現実ゲームの醍醐味ですよね」
遠藤は以前はオンラインゲームに没頭していたが、
Ingressがリリースされてからはこれ一本だと言う。
Q、話しかけないのですか?
「そうですね。話しかけることもありますが……。
今日は彼が維持しているファームを攻撃する予定なのでやめておきます」
午前中にポータルを巡回した汗を流すために、遠藤は銭湯に向かう。
「この銭湯はポータルになっているんですよね。ここもリチャージしないと」
ただ、汗を流すだけではない。
熟練の技が、光る。
ファーム巡回も一区切りつき、遠藤の攻撃に同行することになった。
今日はJRで浜松町に移動し、増上寺まで敵ポータルを破壊をするそうだ。
「このあたりはResistanceのファームになっていますからね。
そう、朝に出会った彼の職場もこのあたりなんですよ」
昼休みも終わったこの時間帯に攻撃をしかけることが効率的だという。
「会議中のエージェントが多いですからね。リチャージもあまりこないんです」
「仕事は火曜日が休みなんですよ。平日の日中に動けるのは有利ですから」
浜松町から増上寺まで、水没していた地域に草原が広がっていた。
「iOSを使っているエージェントのために残していてもよかったのですが、
このあたりはResistanceのエージェントも多いので仕方無いんですよね」
遠藤のハングアウトに連絡が入ったようだ。
あと1本のレゾネータを刺すとレベル8になるポータルが静岡に2つあるという。
我々はさすがに静岡までは移動できないので、本日の取材は終えることにした。
遡ると、もう2年も前の話になる。
けれど、事実をハッキリさせなかったせいで、
今でもふっと思い出して苦しくなる事がある。
当時相談した友人にはもう決着したと伝えて、
大丈夫だよと言った手前、苦しくなる度に何か言うなんて出来ない。
何から書けばいいか…。
とりとめもなく、思い出も交えて書いていきます。
最初は私について回るので、子犬みたいで可愛いとしか思ってなかったのに
酔っぱらった彼は私の手を握ったまま隣に居たり、手にキスしてきたり
ナンパまがいの事をしてきたりと、さすがに動揺して意識してしまいました。
ただ、彼は私より5歳も年下で更に遠距離で私は20代後半のアラサー女。
思い切りがつくはずもなく、彼と知り合いだった主催の不倫女に恋愛相談をしました。
彼女からは「お、あいつもやるね~」とか「がんばって!応援してる!」といった言葉を貰い
その後も幾度か彼女に連絡を取りつつ、
私は彼が興味を示していた私の趣味を使って彼にアプローチを始め告白に至り
一旦、期間決めの保留をされるも逆告白を受け、付き合うことになりました。
付き合って3か月ほどで彼から一緒に住みたいと言われ
私の両親への挨拶の段取りを決めた直後に彼の不倫が発覚しました。
きっかけは私のPC不良の為、彼から借りたノートPCにあった不倫女の写真でした。
PCに私用のIDを作って貰ったのですが、ソフトを入れるのも消すのもホストのパスが必要で
消すのはさらにホストの画面からしか操作できない為、彼に了承を得て彼のIDにログイン。
不倫女が彼の車に乗ってたり、カフェで正面に座ってる写真でした。
元々Twitterでそれぞれ繋がっていたので、思い返すと
そういえば不倫女は旦那がいるのに1人で彼のいる地域にオフ会旅行と称して2~3泊行ってたな
その内、1日だけTwitterを全く更新しない日があって心配したのを覚えてる(彼女は日に100overの投稿をする)
恐る恐る彼のデスクトップにあるTwitterアプリを開くと彼女とのDMが。
気持ち悪いくらいのハートと「好きだよー」の嵐。
初めて会った飲み会では
「もう潮時かと思っちゃった…。」「そんなわけないじゃん、好きだよ」
「本当は2人きりがよかった」「みんなと待ち合わせの前に少しだけでも2人きりで会おうか」
毎回遅刻してくる遅刻常習犯の彼女がBBQの時は時間前に来てたのはこのせいか…。
飲み会から日が開かないBBQに彼が来てくれたのは彼女がいたからかな…。
残念ながら、途中からLINEに移行したようでBBQ翌日からはDMがなくなり、
いつまで続いてたのかは未確認のままです。
ただ、彼女からは私が彼に告白した後に、いつだったか夜中に酔っぱらいながら
「わたし好きな人がいたんだけど、その人に好きな人ができたからもう続けられないって言われちゃったー(号泣」
これを受け、合点がいくことがいくつかありました。
・彼女の恋愛に対する憧れをpostするという別のアカウントが妙にリアル過ぎた
・彼が私に好きだよと言いつつも告白を保留にした(当初このままの関係でいたいといわれ私が区切りを決めた)
あぁ、2人って付き合ってたんだ…。
旦那が浮気を疑ってくるのがウザいって言ってたけど、浮気してんじゃん。
彼女の恋愛アカウントは続いてたけど、本当にちゃんと切れたのかな…。
既婚者である彼女の方が私よりも好きだったからキープにされたんだろうな。
どうして好きな人がいるって言ってくれなかったのか。
彼女も私とそんなに浅くない関係なのに、なぜ言ってくれなかったのか。
彼が信じられない、彼女が信じられない
親に会う段取りつけたのどうしよう。
会わせられない!!
確か金曜の夜に見つけて、ほぼ徹夜で彼のDMと私とのやり取りを照合して
翌朝そのまま彼にメールしました。なんて切り出したのかは忘れたけど
上に書いたような疑問をぶつけていった気がします。
わたしが、当分連絡してきて欲しくない。声も聴きたくない。
この後くる彼にも聴かせるために録音しながら。
「わたし今度結婚するかもしれない。」「相手は実は○○なんだー」
「今月末に私の実家に挨拶に行くんだけど、気になることがあって…」
正直に答えて欲しい旨、このままでは親に会わせる事が出来ない旨を伝えました。
結論、無駄でした。
「はぁ??何言ってるの?」
「(わたし)ちゃんの浮気がどこからなのか知らないけど、浮気してないから」
彼が言った事が本当なのか整合性を取りたいと伝えても
責められてるとしか感じなかったのか否定ばかりで
でも写真みたよ、でもこんなやり取りしてたね、あの時~と私が言う時にだけ
結局、私がおかしいんじゃないの?!といった逆切れ状態で終わり
一番気になってた終わった時期も
「いつだったか覚えてないけど(わたし)ちゃんとはかぶってない!!」の一点張りでわかりませんでした。
「やり取り知ってるならわかるんじゃないの??」と試してくる始末。
彼女が「ごめんね、実は付き合ってた。けど、○月には別れたよ。彼とはもう付き合ってない」とか
気休めでも言ってくれたら違ったかもしれない。
私が気になることを正直に自分から話してくれてれば今も付き合いがあったかもしれない。
やれれば誰でもよかったと言っていました。
ただ、私から告白を受けた後に彼女へ終わらせようと伝えた、被ってない。
彼女の恋愛アカウントが続いてる件も、自分と別れた後にまた別の男ができてた。
別れたあともちょくちょく電話が来ていた。
こんな事を続けてたら罰が当たると彼女に言ったが、自分に来てしまった。
別れたくない。携帯も解約する。カードも持っててくれていい。誓約書も書くからと。
再度プロポーズされました。
私に忙しくてあえないって言った月に彼女と別れるためにわざわざ彼女の希望を叶えるために
車で来てドライブデートしたとか意味がわからない。(ウミホタルに行きたいと言われたそう)
別れるならあってほしくなかった。電話でもできたはずだと、モヤモヤ。彼もいつごろなのかははっきりさせず。
けど、ボロボロと泣く彼に結局はほだされ、
すぐ籍を入れる事は出来ない。信用もできるかわからない。
とりあえず、仕事ももう辞めてしまったし、行くには行くから信用させてほしいと伝え
私の実家と彼の実家に挨拶に行き。引越して約1年。今に至ります。
その度に思い出して気持ち悪くなっていましたが、いまは幾分か平気になってきた。
まだ籍は入れていませんが、彼が私を大事にしてくれているのも伝わります。
当の彼女は、その後離婚し今は彼氏ができて楽しくやっている様です。
彼女がそれにハマったせいで、その好きなもの自体が汚れた気がする時もあります。
旦那との離婚も悲劇ぶり今もなお純粋だと友人周りに思われてるのが気持ち悪くて仕方ありません。
いっそあの時、彼氏と別れて友人周りに2人が不倫していた事をバラせていれば
彼女の「浮気なんて信じられない」「男なんて怖い」キャラを壊せてスッキリしたのかなと思う。
ただ、彼氏を選んでしまった時点で、彼の信頼問題にも繋がるので全部飲み込んで我慢するだけ。
彼女と彼が本当に言った通りの付き合いなら、約5から6か月の付き合い。
短いけど、短いからこそ聞いた時に素直に教えてくれても良かったのでは。
今、私は携帯から彼女の連絡先もLINEも消し、Twitterもブロックしてる。
「フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である」
のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団が一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています。
平民(第三身分)は、農民や都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わずに家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワと民衆との境界層です)。しかしブルジョワと民衆は意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。
ブルジョワと民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります。
普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオンが総裁政府を軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます。
しかしその当時フランスの社会構造がどのようなものでフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります。
わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきます。ブルジョワと民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた
などを読んでみてください。
があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。
(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分の強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)
1789年5月5日にヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分が強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。
しかし7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民は政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵を組織します。
7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆が殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まり、バスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます。
新たに組織されたパリ市政当局とブルジョワの民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります。
一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります。
自由主義貴族だけでなくブルジョワの議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます。
8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます。
これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます。
しかし王は特権廃止の法令も人権宣言も批准せず、9月末には治安維持の名目でヴェルサイユに軍隊を集結させます。
10月5日に食糧危機を訴えるパリ民衆がヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令と人権宣言を批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会もパリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内の政治分裂も本格化していきます。
(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)
議会がパリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較的平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます。
1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます。
また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命か反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります。
さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こります。カトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるもののフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります。
91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります。
これを受けて、外国に支援された亡命貴族が攻めてくる、外国の侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制もしかれます。
7月には主要な政治組織であるジャコバン・クラブが、王の廃位と共和制を要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。
8月にオーストリアとプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族の陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます。
そうしたなか9月3日に立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。
(インフレや物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます。国内の多数が開戦を支持するなかオーストリアに宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります。軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆の恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位が要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会は王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会の召集を決議します)
憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員のほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派のフイヤン派が議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます。
なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党は存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥の議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります。
また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります。
議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義をあくまで守るのか、民衆の要求を受け入れるのかも問題になっていきます)
これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治のイニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉で対外戦争をあおります。民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。
92年3月、フイヤン派の大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリアに宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争はナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。
しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆が政治的に組織化されていきます。
そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件は偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。
ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会の召集を決議します。これでフランスが共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります。
(戦争はフランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土を占領します。93年1月には国民公会の裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土の占領や国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争に突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります。議会ではジロンド派と山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派が民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派は逮捕、議会から追放されます)
8月10日に王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命、裏切り者を排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者が逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり、義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。
そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースがパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。
この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります。
一方、この事件は国外からの印象を非常に悪いものにします。宥和政策を取っていた隣国スペインの首相も宥和政策を撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命に好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます。
戦況にも変化が生じます。フランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパの情熱と苦悩』)。
普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められています。フイヤン派は出馬していないので議会におらず、共和制穏健派のジロンド派と共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派がジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)
ジロンド派は経済的・政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則をあくまで重視し、山岳派は革命の推進と防衛のためには民衆の要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。
……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。
93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派の一党独裁(ただし基盤の脆弱な独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります。
何とは言わないが、ひとつの区切りが付いたタイミングなので、追記する事にした。
ウサギィが社外のエンジニアを安く買いたたいた件が、じわじわと話題になっていた当時、僕の経験を元にウサギィ社長と会った話を記した。
今、ウサギィという会社は変わっているかもしれないし、昔のまんまかもしれない。
ウサギィの社員をRubyのイベントで見かけるようになった。そして社員が執筆したRubyの書籍も、良く出来ている。
HTML5 Japan Cup 2014では、ECサイト賞と花王賞を獲得した。プロダクトも素晴らしいと思います。
HTML5+画像認識(HTML5とか勉強会LT) - SSSSLIDE
画像解析の機能を分離したサービスがリリースされた。大変よく出来ている。
最先端の画像認識技術が簡単に試せる『画像解析できるマン』をリリース致しました。(2015/5/19)
Googleでウサギィとぐぐると、公式サイトの次にこのエントリーが表示される。
申し訳ない。という気はさらさらない。当時書いたこのエントリーを覆す気はないし、当時僕が感じた社長のニヒリズムと態度は、すこぶる不快だった。
が、あのとき社長が言い放った「何も話す実績はないし、聞かれても話す事はない」という状態ではなくなったと思います。
(別に守秘義務を破れと言っているのではない。来客に対して、品定めするような目でありながら、己の手の内を明かさず、悪辣な態度に腹が立ったのである。いくら守秘といえど、ものには言い方がある。)
今のウサギィには、いくつかの公開された実績があるし、コミュニティでの活躍もある。
これからも頑張って欲しい。ウサギィの今後を、応援してます!!
追記はここで筆を置き、以下は2013年5月当時のままとする。
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http://anond.hatelabo.jp/20130510163712
id:ssig33さんが「山岸和利の話」というエントリーを公開しているから、
彼についての技術力とか、金額が妥当かどうかは、そっちを参照。
それはともかく、僕も昔、ウサギィに見学に行ったけれども、良い印象を持たなかった。
とにもかくにも、社長の態度が悪いです。見くびっていたのでしょうね。
こちらの技術力とか、経験とか、雰囲気を見て、下に見る感じでした。
非常に失礼な応対だったので、同行者がいなければ、さっさと帰ろうと思ったほどです。
イラツキ半分、どうしようもないなぁ半分という微妙なきもちで、彼らの会話を見ていました。
それでいて「ウサギィでは何を作っていらっしゃるんですか?」と問うと「守秘義務だから」って、何も言わぬし。
そんな会社に、なぜ自分の実績や経験を話さなければならないんだ。って気分になりました。
いや、守秘義務は守秘義務だけどさ。君らの手札を見せないで、なんでこっちの手札を見せる必要があるんだろうね。
それとも「コイツには手札をチラ見させる必要もない」って判断をされただけかもしれませんが。
そもそもこちらは、ウサギィの守秘義務案件を聞いて、どうこうしたい訳ではない。
お話のとっかかりというか、コミュニケーションとして「どんなお仕事しているのですか?」と尋ねるのは、「今日はいい天気ですね」と同等レベルだと思う。
要するに気を遣っているだけなのだ。それに対して「守秘義務なんで」の一言シャットアウトは、さすがにコミュ力低すぎてびびる。
守秘義務と職業倫理が結びついている、医者や弁護士だって、もっとましな返答をする。
どうせ僕以外にも多くの人が同じ質問をしているだろうから、トークスクリプトを考えた方が良い。
小規模ベンチャーにありがちな、技術力至上主義的な考え方を持っていらっしゃるようでした。
でもさ。はっきり言って、飛び抜けて技術力持ってる。って訳じゃないよね、ウサギィの中の人。
もちろん、得意不得意分野はあるだろうけれど。
何か専門分野の特許を持っている訳でも、それに相当するような研究開発をしているわけでも、
特定の業種に特化してソフトウェア開発しているわけでも、不特定多数の人に使われるソフトを公開しているわけでも、
オープンソースの世界でバリバリ活動しているわけでもなく(WikiにRailsの機能紹介があるくらい)
何やっているかと言えば、いろいろな会社の社内ツールとか作ってるんだよね?ウサギィって。
でもさ、ウサギィ規模の会社が、外部非公開&守秘義務縛りの社内ツールしか作っていないって、結構つらいんじゃないかな?
7年(だっけ?)も会社やってるのに、訪問してきた人に、1つも話す実績がないって、なにやってきた会社なんだよ。どういう契約なんだよそれ。
そりゃ、お邪魔しても海鮮丼食べておしゃべりして帰るしかないよ……。
別にコンサルタントみたいなこと言うつもりもないが、会社として軸足持った商品開発した方が良いんじゃないでしょうかね。たぶん。
その全部がプロフェッショナルとして価値を提供できているんだろうか。あの人数で?
もしそうなら、すごい逸材ですね。かずー氏も町裕太社長も。
それから。会話でも採用情報でも、「デザイン、デザイン」ってやたら言ってるけれども、
ウサギィのウェブサイトは何年前のデザイン・センスだよ!!!!リニューアルしてこれかよ!!!!
いくらペーパプロトタイプで裏側設計をデザインしても、表向きの表現力がないなら、ただの残念ウェブサイトです。がんばりましょう。Adobeも月額5000円で使えるんだし。
えーっと。技術力がある人って、ウサギィみたいなことやっている会社に魅力を感じるんでしょうか?どこに?
ウェブサイト、リニューアルしてました。この増田を読んでくれたのかなぁ。おーい、かずー氏、みてるー?
今風になって、なかなかシャレオツだと思います。さすが、ソースコードも綺麗です。
まぁ、この記事を書いた当時は糞ダサかったって事で。
悪いコトばかり書きすぎるのもアレだ。かわいそうだ、うん、ごめん。さて業務について良さげな点を記そう。
開発環境の構築&業務フローの最適化については、しっかりしていると思いました。
こういうの、小さい会社ほど小回りがきく分野ではありますが、誰かが旗を振って導入しないと難しい。Gitとかペーパプロトタイプ導入とか。
別に珍しい手法を取り入れている訳ではなさそうだけれども、ちゃんと業務が流れているんだなと一目で分かった。
大きな会社であっても、ダメな所はてんでダメ。その点、ウサギィの業務フローはしっかりしてるように見えた。
そのあたり、かずー氏の得意分野なのでしょうか。
これが出来ている会社だと、従業員が増えた時の進化が早くなります。
渋谷あたりでソシャゲ作ってる弱小ベンチャーとかでよくある話ですが、
アプリがヒットしてエンジニアを大量採用したものの、情報管理や連携が取れなくて死屍累々って例は無数にあります。
しかし、もしかしたら。ウサギィにはそういう問題とは無縁かもしれません。
いつかウサギィに主軸事業ができ、会社が大きくなる時、比較的スムーズに開発業務を拡大できるのではと感じました。
「Twitterは宣伝道具。広告費がないから、Twitterで人を呼んで、優秀な人材を集める」
と言っていましたし、まぁそれもひとつの戦略なんだろうな。と思うものの、
人を安値で買い叩いてるっていうなら、もちろん感心はしない。
まぁ、そこはあまり僕の知っている範囲じゃないから、控えるけど。
ウサギィにインターンやらで行く学生が、僕の周りにいたら、止めるねえ。
今回の噂もあるが、それ以上に、ウサギィは体制が整っていない会社だ。
ウサギィ社長が言っていた「女性こそ、プログラミング能力を身につけるべき」という考えや
独立志向の思想(Independentな考え方)は、大変結構なことと思う。
せいぜい、ベンチャー企業の中身をちょこっと覗かせて、場所を提供して、終わり。ってレベルでしょう。
この業界、女性エンジニアというだけで、大した技術力や経験がなくても、引く手あまた。
教育してくれるところも、資金があるところも、いろいろあるからね。
ウェブサイトで「ウサギィの女子力!!」とか書いちゃってるけれど、女性エンジニアのタマゴは別にこんな会社に行く理由はない。
結局のところ、ウサギィは何をやっているかわからない、すこしTwitterで人気な、零細企業なのである。
まぁ、それを魅力に感じて働きたいという人は、行けば良いと考えますが。職業選択の自由です。
ウサギィの人達がよく使う「おもしろいことを、仕事にしたい」って、なんなんだろうね。
僕には、君たちの考える面白さが、分からなかった。伝わらなかった。
直接話したかずー氏も町社長も、リアリスティックでニヒリズムに満ちた発言ばかりだった。
Twitterでは、クールで知的なキャラクターにうつる。しかしリアルで会うと、ただの尖った思想のコミュ症ではないか。
君たちに実際に会って「ウサギィ、面白い、クールだ」って感じる人、どれくらいいるんだろうか。
経営者の役割って、一緒に働く人に、なにかしらの夢やら目標やら、見せるものじゃないかな。
そういう点で、ウサギィってどうなんだろうね。
ステッカーを大量に配りまくるのも、Twitterで知名度得るのもいいけど、
本気でブランディングしたいなら、もう少し考えた方が良いんじゃなかろうか。
君たちの目指す"おもしろさ"って、なんだい?
http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20100416/p1
このエントリ自体ネタ臭もしてこの人自身が解決策を望んでいるかわかりませんが、id:goldheadがブラック企業に務めていて、搾取されていると仮定した場合に彼のような状況を変える方法は無いか考えてみました。
そもそもこのような状況は普通の景気の時代にはレアでした。しかし近年の経済状況により資金上の問題から、あらゆる企業が非正規雇用者を足切りしました。その結果、正社員へ仕事が集中し搾取が横行してはじめているというのが今の状況だと思います。このような状況に個人が出くわした時その人はその会社の労務環境を変える事ができるでしょうか?答えはNOです。個人がコントロールするにはこのような会社の構造上の問題サイズはあまりにも大きすぎるからです。ブラック企業の仕事はたいがいがアンコントローラブルなのです。ならば自分の労務環境を取り替えてしまいましょう。転職するのです。そんな職場はとっとと見捨てる方が幸せです。
ブラック企業に務めているかぎり激務にさらされているので転職活動する時間を作ることは難しいでしょう。時間が空いていたら睡眠に当てたいとかが正直なとこだと思います。なので休職してしまいましょう。が、休職するためには理由が必要です。そこでメンタルクリニックに一度通院してうつ病を詐称するのです。詐病がばれないか不安に思うでしょうが現代医学では脳みそのことはあまりわかってません。従い、申告したうつ病が詐病であるかを医学的に証明することは困難なためまずばれることはありません。
以下ようなことをとびっきり悲壮感を持って医師に伝えましょう。嘘なのでおおげさにやってください。ついでに自分の月当たりの労働時間も添えてあげましょう。
最後に休職したいので診断書を書いてくれと医師に伝えてください。医師は全てを察してあっさりとうつ病の診断書を書いてくれます。
末期なブラック企業じゃない場合は、これが休職理由になり休職の申し入れは受理されるでしょう。末期なブラック企業はこれを理由にあなたを解雇しようとしてくるでしょう。そうなればこちらのものです。特定社会保険労務士を雇い労使間紛争や訴訟をちらつかせ脅しをかけましょう。あなたはいくばくかのお金と会社都合退職というモラトリアム期間を手に入れることができます。言うまでもないですが、会社の脅しに屈して辞めると自ら意思表示してしまうと自己都合退職となり、6ヶ月の失業保険も次の仕事へのロープも失い、全てがだいなしになるので気をつけてください。
休職なら無期限(雇用契約次第では期間の指定有りの場合もある)の時間と傷病手当(月額給与の4割~6割)が得られます。会社都合退職なら6ヶ月の失業保険(月額給与の6割)と時間が得られます。あわてず対処してください。
うまく休職できた場合を前提にするならば転職活動を行う最良のタイミングは9月、入社目標月は翌年1月がベストです。理由は、休職していたという経歴の穴を隠す事ができるからです。転職に成功して次の会社に入社した最初に渡す書類としては以下があります
このうちやっかいなのが「入社した年の源泉徴収票」です。なぜやっかいなのかというと実際にあなたが得た収入が記載されているからです。休職期間中は傷病手当はでますが、給与所得は0円として記載されます。このため源泉徴収票の提出により入社した会社にあなたが休職したことがバレてしまいます。転職活動中は採否判定に不利になるので当然、休職のことは隠して活動することになります。そして入社後に休職していたことがバレた場合、あなたはその休職理由を求められることになります。取り乱してうつ病で休職したなどと言ってしまったらサイアク経歴詐称で解雇されるリスクにさらされる事になります。
これを避けるために転職活動を完了し入社する月を来年の1月に定めましょう。この場合、入社した年度の源泉徴収は転職活動後に入社する会社の収入以外無いため源泉徴収の提出はありません。9月がベストなのは転職活動に要する時間を4ヶ月と見積もっての事です。ここは人によりけりなので詐病による休職を開始する月をずらして調整してください。また転職時面接でいつ頃、入社可能かを聞かれるのでかたくなに翌年1月からと言いましょう。「現業務の区切りがつくのが来年度のため」、「引継があるため」等、理由をつければ採否判定に大きな影響は与えません。
休職しての転職活動は、うっかり気を抜くと自堕落な生活にとらわれてしまいがちです。モチベーションを維持するためにも第三者から尻を叩かれる状況をつくりましょう。つまり転職エージェントを活用するのです。一人よりも二人で動く事自体が強みになりますし企業との調整や自分に最適な新しい求人情報を提供してくれます。そして自分じゃない誰かが鼓舞してくれます。職務経歴書の査読や模擬面接によるトレーニングサービスなどを行っているところもあるので有効活用してください。
転職活動はハッタリで2倍くらい自分を大きくみせるぐらいがちょうど良いです。そしてハッタリに本当のことを混ぜるのがミソです。逆に言えば自分の経歴がわかっていないとハッタリはかませません。ハッタリかますためにも自分の経歴の棚卸をしましょう。これを機に人生80年 月単位に何をしてきたか、これから何をするのかを表にリストしてみるのも面白いでしょう。時間は有限ですしあなたがこれまでやってきたことは幻ではなく現実なのです。
これはその人が持つスキルや経歴によりまちまちですが、ひとつ言えることは労働集約的な仕事につけばまた同じことを繰り返すことになると言うことです。具体的には運輸業、飲食業、宿泊業、介護・福祉業、Si系IT企業などの人的サービス業です。このような仕事がブラックになりがちなのは、ここまで読んでいる貴方なら経験済なので語るまでもないことでしょう。あと売上からある程度、ブラック企業を見分けてください。以下の数式が成り立つ会社であれば、優良とは言えないまでも、まあまあ普通です。 売上や社員数は、企業サイトの企業概要や求人票を見れば書いてあります。もしも売上や社員数が非公開だとしたら、その会社はブラック確定です。
売上金額 > 社員数×1千万
幸せの定義は様々です。あなたにとっての幸せはなんなのかはあなた自身しか知り得ません。ですが、「仕事による成功」のみに価値観を固定するのは危険です。あなたは仕事も生活も人間関係も趣味もいろいろな要素をもっているはずです。激務でそれが仕事だけになってしまっていたら危険信号です。バランスよく人生をエンジョイしましょう。