はてなキーワード: 人間界とは
ある日、貞子は井戸から謎の力によって突然現れました。彼女は不思議な力によって井戸の闇から解放されたのです。最初は混乱していた貞子でしたが、すぐに自分がこの世界に戻ってきたことを理解しました。
貞子は人間界に戻ってから、彼女の生活を再建する必要があることに気づきました。人々が彼女のことを怖がるだろうことを理解していた彼女は、普通の生活を送るためにその恐ろしいイメージを払拭しなければなりませんでした。
彼女は街中を歩きながら、スーパーマーケットやレストランにアルバイトを求めるポスターや広告を見つけましたが、どこでも彼女の恐ろしい姿を見た人々が驚いて逃げてしまうので、面接のチャンスがありませんでした。
しかし、ある日、セブンイレブンで求人広告を見つけた貞子は新しいチャンスを感じました。彼女は怯える人々を避けるために、長い髪を顔の前に垂らし、不気味な笑顔を隠し、フード付きのジャケットを着て、姿を変えることに決めました。
自信を持って面接に挑むために、面接前にはセブンイレブンの商品知識や接客の基本を猛勉強しました。そして、面接当日、彼女は気を引き締め、ドアを開けて店内に足を踏み入れました。
店内は明るく、忙しい雰囲気で、笑顔で働くスタッフがお客様にサービスを提供していました。貞子は初めてのアルバイト面接に緊張しましたが、頑張らなければならないという強い意志で自分を奮い立たせました。
面接官が彼女を迎え、いくつかの質問をしてきましたが、貞子は目を背けることなく、丁寧に答えました。面接官は初めは彼女の奇妙な見た目に戸惑いましたが、貞子の姿勢と覚悟に感心しました。
最後に、面接官は貞子に「あなたはなぜセブンイレブンで働きたいと思っていますか?」と尋ねました。すると、貞子は優しく微笑んでこう答えました。
「私は人々に善意を示し、役立ちたいと思っています。私が恐ろしいと感じられることもあるかもしれませんが、本当の私はそれではありません。私は新しいチャンスを得て、普通の生活を始めたいと願っています。」
面接官は彼女の答えに感銘を受け、貞子の姿を変えている理由を尋ねました。貞子は自分の過去を説明し、井戸から解放された経緯を話しました。
驚いた面接官はしばらく考えた後、彼女にチャンスを与えることに決めました。彼は彼女の強い意志と変わりゆく姿に感銘を受け、彼女が普通の生活を取り戻す手助けをしたいと思ったのです。
こうして、井戸から出てきた貞子はセブンイレブンでアルバイトを始めることになりました。彼女は笑顔でお客様に接し、真摯に仕事に取り組みました。最初は驚く人もいましたが、徐々に彼女の努力が認められ、周囲の人々とも打ち解けていきました。
貞子は自分の過去を背負いながらも、新しい人生をスタートさせました。セブンイレブンのアルバイトを通じて、彼女は人々との交流を築き、優しさと奉仕の心を示し、最終的には恐ろしいイメージを克服することができました。そして、井戸から出てきた彼女の心には、新たな希望と未来への期待が輝いていたのでした。
でもTwitterは鍵付きだし、そもそもTwitter死んでるし、noteとかも無いダサいアーシアンなのでここに殴り書き
鉱物の粒子がどうにかこうにかなってるらしい。
操縦者とGANDが接続した際に「パーメットスコア」という接続レベルをあげていく。
プラモ・エアリアルの説明書だと「パイロットと機体間で情報量が増大し続けるデータストーム」という記載があるんですが、
つまり、パイロットと機体の間でお互いの情報がループし続けているのでは?
現実でも筋電義手(ハガレンでいう機械鎧)はあるので、細胞や神経の情報や手足をどう動かすかなどがシンクロしていくのかな……?と推測します。
文脈的にもパーメットスコアはシンクロ率みたいなノリだしなあ。
パーメットスコアが8になってようやくエラン4号やGANDに接続したみなさまが出現した。
普通はパーメットスコア8(データストームの向こう)に居て出てこれないのを、エリクトだけがふわふわ現れることができたのでは?
「パーメット」を使っていない機械はないので、これからもエレベーターや自動扉に4号達は居続けるのではないか。
ガンダムに乗りすぎた人はみんなアザができる件、あれはガンダムを降りてもパーメットと繋ぎっぱなしになるのではないか?そんなことないか!
でもそうだったらガンダム操縦者がみんなパーメットスコア8の世界に居たこと納得しちゃうけどな!!
ここまで書き殴って思ったけど、データストームってmisskey状態になってるんじゃないの?
先日、Halle主演のリトルマーメイドを観ました。キャスティング発表時からすごく楽しみにしてて、本国で公開されてからもめちゃくちゃ評価が良かったので期待値爆上げの状態で行きました。鑑賞後も感動の渦にのまれて言葉が出ないくらいすごい映画でした。
はてな匿名ダイアリー書くの初めてだけど、この感動をもっといろんなところにシェアしたくて書こうと思います。
Halleの見た目がアリエルじゃないとか、演技力がどうのと、一部のアニメーションアリエルファンの人たちは批判してたけれど、私にとってHalleは本物のアリエルでした。
綺麗な歌声で、人間界について憧れてて、すごく自由奔放!表情も顔だけでなくて、歌声にものせることができていて、歌手のHalleはぴったりばっちりの配役だったと思います。
海の中でセイレーンのようにミステリアスで魅力的な歌声が流れるところ、あの声なら人魚神話が生まれても仕方ないと思ってしまいます。エリックが初っ端から人魚神話を否定してたのもすごく良かったです。
声がないのに表現力豊かに自分の気持ち、好奇心を伝えて、エリックからたくさんの話を引き出すところ、すごく可愛らしいシーンで今でも思い出してニヤニヤしちゃう。
馬車で馬の手綱をアリエルが持って大爆走したところなんか、ローマの休日のアーニャでしたね。すごく可愛らしい2人!やっぱり、エリックとアリエルのカップルは愛しい…
綺麗な声で上手すぎる歌を歌い上げるHalle、そりゃあアースラもあの声奪ってやりたくなりますね。
アースラと言えば!Poor unfortunate souls が本当に本当にかっこよくて、楽しかったです。あれくらい強くかっこよく歌える人じゃないとHalleに張り合いがつかないのかな?とも考えました。
アランメンケンとリンマニュエルミランダ、2人の作る楽曲を完璧に歌えるキャスティングになっていて、ディズニー映画で久しぶりにサウンドトラックからほとんどの音楽をダウンロードしました。
あと、日本人として嬉しかったのはアリエルのお姉ちゃんたちの1人に東アジア系の俳優さんが起用されてたことです。嬉しい。人魚姫に憧れた幼少期を過ごしてきたので、インナーチャイルドが喜んでました。
たくさんバックラッシュのコメント(主に日本語で)(英語圏は私が目にする限り少ない)をいろんなSNSで見かけるけど、黒人のHalleがアリエル役をするから嫌!という理由で、リトルマーメイド2023を観に行かないのは正直もったいない気がします。どんなもんか観に行こうくらいの気持ちで行って、ぜひ感動して映画館から出てきてほしい。
アリエルに興味ない人も見てほしい。本当に音楽が壮大で、水の中も、街並み(マーケット?)のセットも全部綺麗なので見てほしい。
みんなリトルマーメイド2023に圧倒されに行ってください。
どんどん映画界やアニメーション界でリプリゼンテーションが進んで、世界中のいろんな子たちがプリンセスになれる世界が早く来たらいいなと思います。私もアリエルになりたい!
乱文失礼しました。
数年前に話題になった「羅小黒戦記」という中華アニメを劇場で見た。
クオリティは高かくて驚いたし、主人公たちが住んでいる精霊の故郷と人間の住んでいる街がただ単に「物理的に離れているだけ」なのに中国広いからそうなのかも、と思わせられたりという面白さはあったけど、ストーリーはどうも心の中に消化できない黒い澱のようなものを感じるものだった。
人間の街で明日も生き残れるかという境遇の主人公の精霊、幼い小黒がとある精霊仲間に助けられて彼らの街に行き、共に成長するが、その仲間は人間の開発によって故郷を侵食されていることを憂い、武力による戦いを志向していた。
小黒は彼らに愛着を感じつつも、人間界からきた保護者によって確保され、彼から教えを受けるうちに精霊仲間は極端な思想と恨みに凝り固まっていると改心して、彼らと戦う、という話だったように思う。
小黒の視点もそうなのだが、話が進むにつれ、キャラづけも精霊仲間は怒りた震えて狭窄なテロリストで、人間界の側は彼らを教えきれないことを理知的に嘆きつつ制圧せざるを得ない苦悩を滲ませる、しかし正しいのはこちらで、精霊たちはこちらが教化してあげることによって健やかな未来を共に目指せるのだ(でもできなければ武力で従わせるしかない)という感じ。
これって「中華こそが正統な大陸の支配者で、辺境の民は中華に教化され従うべき」という中華思想じゃん?って思った。
脇の話題に一旦逸れると、声優も務めた宇垣美里さんが「単純な戦いより大事なことを言っている作品で、ぜひみなさんに見てほしい」というようなことを言っていたが、戦う側が大喜びなわけはないとか、戦うにも理由があって一面的な悪みたいな単純なものではないというところなのかもしれない、でも大枠、最終的には主人公の小黒が人間側の理屈について恩ある精霊たちと袂をわかち、彼らを説教して戦うという流れではあるし、ロシアが「ウクライナなんて我々に率いられて大ロシアを共に目指すべきなのだ」っていう思想の枠組みでウエメセの暴挙に出てる今ふりかえっても、「そりゃ自分が関わったお仕事だからいいところ見てコメントするの当たり前だけどさ・・・」って思ってなんかがっかりした感じはあった。
本題に戻って、中国のアニメがクオリティ高い大作も作れるほどであるので、多分興味深い作品はある。
でも気合い入れた作品に外国人が見たら「これおかしなこと言ってるんじゃ?」っていう思想が練り込まれて、受け手はクオリティに感激してそこをスルーしてしまうような状況になっていくとしたらなんか微妙だなって思う。
社会がどこまでを現実の社会としての機能に組み込むかってことだよ
人権なんて自然にはないし約束みたいなものも自然には存在してない
木になってるリンゴは誰のものかっていわれたらその木のものだし根をはる土のもの
所有権があってそれは守られるべきで価値があって損害になれば保障されるべきって言ってる
現実に芋虫がいただいたり鳥がつついたりするのは権利では守れないのにね
人間社会の問題というのはお金もってるのにもってないっていうのとか お金もってないのにもってるっていうのは問題あるんじゃないかってこととおなじ
自然界ではお金をもっていようがいまいがなんの影響もないし問題もない
性別も自然界ではどうであれ 人間界での区別は人間に作用するし本人が自覚するからこころのとかいってるの
つまりね
でもオリジナル設定がもやもやした、私の知っているマリオはブルックリンに住む冴えないキノコ嫌いの青年じゃないし、家族達も知らん人ばかりで誰だよそれ、マリオが父親との折り合いの悪さに悩んでいるがこの設定いるか?
あとピーチの性格がよく見るタイプのアメリカ映画ヒロインそのもので、可愛いけど少し違う。
最後ブルックリンでクッパに勝って、親に認められてブルックリンのヒーローになっていたがいらんだろ。
ブルックリン関連は萎える要素なので、ここに尺を割いてほしくなかった、最初からキノコ王国住人でも普通に話作れただろう。
最後を見るにヨッシーを目玉に追加して2をやる気満々ぽいので仕方ないが、ヨッシーの活躍も見たかった。
あと音楽、ゲームからのアレンジが微妙にやり過ぎ感あった、もう少し原型を残してくれたほうがキタキター!って嬉しくなると思う。
昔ニコニコ動画で流行ったヒャダインのウエスタンショーを思い出した。
ひたすらネガティブに振り切れたサイコなチコも、僅かな出番で深い爪痕を残していくほど異彩を放っていて可愛いが、マリオギャラクシーやってないからしらんけどこんなキャラなの?
樽を投げるドンキーコング、猫マリオ、たぬきマリオ、アイスフラワーで戦うウエディングドレスのピーチ、ジャングル王国でどんどん組み上げられていくカートに、マリオカートでの派手なカーチェイス、臆病ながらやるときはやるルイージ、キノコ王国の移動手段になってるマリオの数々のギミック。
ここで十分映画代の元は取れた。
https://anond.hatelabo.jp/20230327232309
ピカピカの新社会人の皆さまに向け、コミュ力低めの中堅社員からのアドバイスです。
まず、元増田はクソの役にも立たないので速攻で忘れましょう。
そもそも元増田は自分の会社というローカルルールの話をさも一般的に語っていますね。
それは悪魔の所業です。生存者バイアスを助長するものであり、言ったことが違ったら「そんなブラックに勤めてるお前が悪い」などと掌を返すだけのカスです。
じゃあ何を知るべきか、最低ランクの職場を学びましょう。話はそれからだ。
「報連相」をちゃんとしましょうとよく言われると思いますが、まず、報告連絡相談というのは相手が人間でないと成立しません。
あなた達がこれから行くのは、モンスターとクリーチャーが蠢く魔界です。人間はいません。そこからわかりましょう。あなたたちがするべきは報連相ではなく二フラムを唱えるか、黒マナ払って殺害を唱えることです。
そして前提から考えてください。
そもそも仕事、任されたいですか?任されたくないですよね。『いや仕事をガンガンして…』なんて妄想は捨てましょう。それは魔界では通じません。
入社前に描いているやりがいなどという感情は半年もしないうちに霧となって消えます。これは人間界ですらよくあることです。
底辺エッセンシャルワーカーはやりがいのあるクソみたいな単純作業を、そこそこの企業では自分が何をやっているのかもわからないブルシットジョブを繰り返すのが魔界です。あなたたちの行くところです。
人間界と違って魔界では、仕事を任される=出世という公式は存在しません。仕事は任されるけど出世しない、仕事はしてないのに出世する、という世界観をまず共有してください。
出世するとどうなるかというと、管理職になります!やったね!管理職になるとどうなるかというと、残業代がでません!やったね!
出世=給料が上がる、というナイーブな発想は捨てろとどっかのハゲも言ってますね。ちなみに弊社は出世すると残業代の関係で新入社員より給料が下がります。そんな会社はザラです。
給料、本当に高い方がいいですか?それって「どの程度」高い方が良いと思っていますか?手取り20万と30万なら30万の方がいいでしょう。
じゃあ、手取り40万と50万だったら?
高額の税金を引かれた後に残る手取りは、責任の重さに見合うものですか???それを考えてから仕事しましょう。いや、仕事をするのを諦めましょう。ここは魔界です。
そもそも、会社組織というものは儲けを産む一部のヒーロー、あるいはヒーロー部署を支えるための組織です。「誰でも稼げるようにするスキームがある組織」ではありません。
そして、貴方は自分がヒーローではないことに気づくでしょう。では、残りの人達は何をやっているか。
簡単で、ヒーローを崇め奉る仕事か、ヒーローが自尊心を満たすための仕事か、ヒーローから吸血するための仕事のどれかをやることになります。これを読んでいる貴方の仕事です。
そして、勘違いしないで欲しいこと。それは、上司には、ヒーローとヒーローではない人間がいて、
稼ぎ頭系の上司は性格が終わっているモンスターであり、性格がいいタイプの上司は金を稼げない吸血鬼です。
この前提を頭に入れたうえで問います。
上司と上手くやるってなんですか?
「指令」なんて言われて、「荷物を地点Aから地点Bまで運んでくれ」だとか、「この郵便物を届けてくれ」なんて言われる会社だといいですね。
単純作業でひたすらストレスを貯め、劣等感に塗れながら生きる人生が確定します。
そこそこ以上の職務に勤めるあなた達に降りかかってくるのは「先輩Aと先輩Bで言う事が違い、上司Aと上司Bで言う事が違い、さらに客Aと客Bでどちらを優先するべきか悩む」といったクソのような選択肢の数々です。
これは技術系でも必ずそうなります。魔人上野千鶴子が言うように、貴方たちが直面するのは「答えのない問題の数々」ではなく「正解のない問題の数々」です。
選択には常に責任とストレスが伴います。指令通りにやる、という言葉の中に込められた責任と丸投げの精神を貴方達は知るべきです。
「出来ることは出来ないと言う」
「出来ないことは出来ると言う」
です。
何故かって?出来ることが出来ても貴方達のスタミナゲージは減る一方です。どんどん仕事は増える一方です。
魔界では仕事が増える=死です。寄生虫と吸血鬼を活かすためにヒーローになることを否定はしませんが、貴方はそういう人間ですか?
違いますよね。出来ることも出来ないといいましょう。
ただし、出来ないことは出来ると言いましょう。これで貴方は、挑戦的な人間でありつつ、上司にケツを拭かせることが可能です。
上の二つを実践してみてください。何言ってんだ、と思うかもしれませんが一番QOLが上がります。
報告とは何か、なんて最早語る必要ないですね?
「オレはお前に確かに言ったぞ!」なんて言ってくる怪物相手に、何を報告する必要があるんでしょうか?
貴方が言うべきは「すみません忘れていました」の言葉だけです。そもそも、上司は自分の言ったことなんて覚えてません。
文章でやりとりしろと思うかもしれませんが、そういう人間達に限って文面でのやり取りを非常に嫌います。
弊社はslackやメールやsharepointを活用していますが、それでも尚、です。
貴方達の頭の中には「最強のやり取りの仕方」があるのかもしれませんが、そんなものは魔界では通じません。
最初に文明の利器を捨てましょう。次に感情を捨てましょう。最後に、倫理を捨てましょう。それが魔界で生き残る術です。
相談とは、何か。もうおわかりですね。
つまりチクりです。魔界において、コミュニケーションとは他人の足を引っ張る時に限り、十全の力を発揮します。
「アイツ、○○さんの悪口言ってましたよ!」レベル、そう、小学生レベルで構いませんので、とりあえずチクってみましょう。
意外と、効きます。
これができるかできないかで、大きくサバイブの確立は変わってきます。
特に、喫煙所や居酒屋といった、密室かつ瘴気が多い場所は地形効果が乗るのでチクり効果も絶大になります。
気に入らない人間を排除するのは二流です。一流たらんとする者は、とりあえず対象を選ばずチクってみましょう。ただし、お局、可能なら女性をターゲットにするのはやめましょう。
彼女達は恐怖のスパイダー・ネットを張り巡らせた妖怪女郎蜘蛛の集まりと心得ましょう。
社内人事から浮気まで、上司なんかよりはるかに速い速度で彼女たちは情報を伝達します。とにかく、女子には媚びておきましょう。マジで。死ぬから。
まあ冗談は置いておいて。
そもそもコミュニケーション能力なんてものは、測れないんです。
土方とIT技術者と芸能人の集団で、必要な能力が一切異なるのは自明の理なのに、我々は「コミュ力」という一言に全てをまとめすぎなんです。
会社で何であんなやつ採ったんだと言われても、「面接のときは上手くしゃべっていたのになあ。あれなら誰にも見抜けないよ」と言い訳することが可能ですし、
自分の好みでない学生にはわざと挑発的な質問を浴びせて、「あの程度の質問で腹を立てているようでは組織人としての能力に欠けてるよ!」なんて言えるんです。
だから、まず自分がコミュ障なのかコミュ障じゃないのかは、その所属集団によって決まるということを良く知りましょう。なんでそんなことがわかるのかというと、私がそこそこ大きい企業の採用担当者だからです。
上の会話も、私自身がよくやっているものです。私も魔界に住まう1人だったんですね。
さて、それでは君達はどう生きるべきか。
それはタイトルに書きました。
全てを諦めて魔族になりましょう。
公開当初、劇場で見て細田守を見限った作品(大好きな監督からサマウォ以前が好きな監督へ)。でもおかげで未来のミライをフラットに受け流すことができた恩人(恩作?)でもある。そのバケモノの子を7年ぶりぐらいに見ることにした。もちろん酷評となるが、さんざ言われている人間界不要や監督の家族観とかとは違う部分を書こうかと思う。
改めて見た率直な感想がこれだった。
OPのCG、でいいのかな。炎のシルエットで描かれる演舞はとても素晴らしくて、後を知ってる2回目視聴ですら否が応でも期待が高まる。カンフー映画のようなケレン味のあるアクションが味わえるのでは、と。
しかし今作の大きな格闘と言えば鍛錬を除けば序盤と終盤の熊(熊徹)と猪(猪王山)(面倒なので略す)の2回のケンカぐらいだ。そして悲しいかな、これが見ていてさほど面白くない。二人の戦いは剣術はもとより、相撲や闘牛やボクシングといったようなもののオマージュのような動きが散見される。これが良くなかった。自分としては当初これら齧ったようなエッセンスの動きは小手調べだと思っていたのだが、実はまっとうな戦いの組み立ての範疇だったように思える。それの何が悪いって、二人に軸がなくなってしまったことになる。
古典カンフー映画のようなアクションを期待していた身としては、やはり「流派」は大事だったと思う。違う流派あるいは同じ流派の者が対峙して技を競う。それぞれの特徴的な動きの差異が画面に映えるのだ。それこそスターウォーズだってやってる。バケモノの子だと(恐らく)正統派の武術を扱う猪と、師匠も居ない独学の熊との対決で、実に映えやすい。ところがそういうのは確かに所作に現れているものの、お互いあちこちからちょいちょいとつまみ食いした動きにしてしまったためにもう、流派のぶつかりもなにもない「ただのケンカ」になってしまった。もっと言えば観客が居るせいで「興行的スポーツ」。年末格闘技かのようなエンタメになってしまった。「バケモノ」の活かし方が体当たりなのもマイナスだ。
長年練り上げた鍛錬を披露する、思わず唸るような動きではないせいでもちろんナイスバトルも生まれない。
どちらが勝つかわからない。であるとか、敗者をも称える歓声が起きる決着。なんてものは生じるわけがなかった。次期宗師を決める神聖(かはわからないけど)な戦いがリスペクトも生まれない野次馬がたくさんいるケンカに堕ちていたのは残念でならない。
(負けた猪も勝者並に称えられていたら息子も闇落ちしなかったりそれでも闇に落ちる姿が強調できたりしたかもしれない)
九太の応援が余裕で10カウント超えている賛否多そうなシーンもルールが最重要な興行ではなく宗師を決める心も重要な要素の杓子定規でない神事として見ていたので許せたが、その後顔アップで剣を振り回すとかガッカリ。
その主人公の九太なんかも悲惨で、やはり修行以外ではまともに動かない。成長後の図書館のシーンで不良相手に鮮やかに立ち回るかと思いきや、得意の横長のレイアウトのパンを使いつつなんと画面外で音だけでボコるという手抜き。団子ラリーは好きだけどそれぐらいか。バケモノ界は闘争の世界ではないし、武術を習った主人公が人間をボコるのもよくないのは分かる。ただ素直に成長後九太で気持ちよくなれるシーンが欲しかったな。
直近の過去2作だけみてもキングカズマのOZ内移動含めた格闘やおおかみこどもの躍動感ある動きとかセンスは落ちてないはずなんだけどどうしてこうなったのかなあと不思議に感じる。
(剣が震えるところとかは好き)
熊の家を斜め上から見た図と家までの階段の坂道、あとは修行場の廃墟っぽいところ?バケモノの子はだいたいこのイメージ。あと市場か。
渋天街という異世界に居るのに街全体の引きの絵とかがほぼ無いからせまっ苦しい。ワクワクしない。主人公も視聴者も異邦人なんだから、街をそれとなく見せて欲しかった。たとえば熊とケンカして街中をバルクールじみて走り回る追走劇とかはどうだろうか。アラジンの冒頭みたいな感じで。坂の上下を生かすならコクリコ坂もよく時代の雰囲気を醸すことができていたと思う。
バケモノの子はとにかく「今どこに居るのか」がわかりにくい。賢者歴訪のシーンは渋天街に必要だった賢者の住む街の全景が描かれるが、それぞれ1秒未満ぐらいの一瞬しか映らない。振り返ってどんな場所に行ったかと思い出そうとしても難しい。結局思い出としては賢者の対面シーンと道中が繰り返される狭い印象になる。
絵作りができていないわけではなくて引きの絵も多くて背景もモブも全員書き分けるなど緻密なのだが、画面ごとにどうにもキャラクターが支配的で背景が薄味。乾燥地帯イメージな砂色なのがそう感じさせるのかもしれない。逆に夜や昼夜の境目などの暗さと光は非常に美しくて心に残る。
今作は「時空」の時間を重視しているのかと思う。九太の成長自体がそれでテーマだし、同じ場面で季節が流れるシーンや同じ場所が繰り返されるのも時間の流れが見て取れるので効果的だ。あるいはその犠牲で空間が少々ワリを食った形になったのかもしれない。
(季節が流れるシーンやミライの家の書き方は好きなので時間や密室劇的方面が悪いのではなくバランスかなぁと)
バケモノ界はたぶん全体的に武芸を修めることに重きを置かれると思う。そして武芸の強さが絶対の指標じゃなくて弟子を取るとかも重視されてる。熊ですら過去に弟子を取ろうとしたことがある。つまり剣術は人口が多そうだけど学ぶのは剣術の裏にある精神性とかかと。それで九太は賢者の話を聞いて強いっていろんな意味があるんだなと理解したわけ。じゃあ数ある強さの中で熊と同じ道で強さを歩むことを自覚的に選択しなくちゃならん。
当初の九太は選択の余地がなかった。家族を失って一人で逃げ出して置いておいてもらえそうなのが剣術家の熊んところだったわけだ。そこから8年過ごすわけだけど8年後の九太は人間界に重点されてバケモノ界のシーンがすくなるなる。だから8年間かけて(腕っ節以外に)身につけたものがあまり描写されず、思春期や父親周りの不安定さがフォーカスされていってしまう。九太の成長は物語の最後の最後に持ってくる必要があるのはわかっている。でも8年も経ったんだから自主的な強さの理解をお出ししないと漫然と表面だけ模倣していたことになってしまう。それも家庭内で父の真似をする子が似てきたっていうつっまんない閉じた話になっちゃう。
同じく家族を失って別の家庭に入り込む「三月のライオン」では主人公は明確に「将棋が好き」と嘘をつき、契約をして将棋で強くなり続ける代償を払ってきた。そんな主人公も将棋と向き合い続けてやっぱり将棋が好きで自分の意思で将棋の世界に居ることを選択する。成長には同じことをするでも「そうせざるを得なかった」という消極的選択から「それでもしたい」と一歩進む必要がある。
九太にそういった前進要素がないのは必然だ。だって最後は熊を「胸の中の剣」にする必要があるから。上手な二人の父子なら8年の中で教えることができただろうけどお互い不器用な二人ではそれができなかったんだろう。感動のラストのために。九太は親近感がわく普通の青年に成長した。心は普通程度にしかならなかった。武芸を通して技と体は鍛えられたが心の強さは(幼少期の気の強さの引きつぎはあるが)あまり感じなかった。物語の最後には九太は剣を置くことが語られている。胸の中の剣を手に入れて現実の剣を置くのは修めた感がある。最強の剣士が無手となりにゃむにゃむするかのように剣を置くなら悟り・理解を経てするが映えるというもの。でも九太はそんなに到達点に達してないし人間的にも彼女や熊の支えがあってようやくここからって印象の方が強い。そんな彼が剣を置いたってただバケモノ界から人間界に戻ったって記号でしかなかった。
センスが良くていい旅もさせてもらっていい教師も反面教師も居るなかで8年過ごして出来上がったのがただの思春期の不安定な青年って…。すこしも「強さとは」が染み入ってないのが残念なキャラだった。
なんなら熊とそれを見つける物語でもよかったけれど、最後は信頼・絆一辺倒で「父と子」をやっちゃったね。
尺不足…かなあと。もっとバケモノ界やアクションや九太の成長を描いて欲しかった気持ちがとても強い。そして何のせいで尺不足だというと人間界パートになっちゃう。結局、不人気の人間界パート不要論に収束する。ヒロインの楓は細田ヒロインの中でもとても好きなキャラなのだが…。
そんな感じで当時細田にはガッカリしたわけだけど宣伝だけみるとそばかす姫はそこそこドハデで楽しめそうな映画っぽいんだよね。受け流したとは言ってもミライのダメージもそこそこあってまだ見る気が起きないんだけど、評判はいいみたいだし。(変わらない悪い点もあるみたいだけど)
脚本雇えと一言で談じると楽だけどこうやって書いてみて自分がオタクすぎる気もする。ポストジブリなファミリー向けならちょっとクセがあるけどこんなもんなのかな。これが細田監督の味だとも思うから今後の作品も賛否が大量に出つつも売れて行くんだろうね。
「人間万事塞翁が馬」は、普通だと「にんげんばんじさいおうがうま」と読むが、それは間違いであり、本来は「じんかんばんじ」と読むべきである、という人々が存在する。「人間万事塞翁が馬」における「人間」とは、「人」を表す「人間(にんげん)」ではなく、人と人の間、つまり「世の中」を意味する「人間(じんかん)」を意味しているからだ、という主張である。
この「塞翁が馬(塞翁失馬)」の故事は『淮南子』を出典とする。ただし字句としては「人間万事」も「塞翁」も『淮南子』には出てこない。ではどこからきたのかというと、中国の禅僧・晦機元煕の詩の「人間萬事塞翁馬 推枕軒中听雨眠」という一節からである。あるいは中国本土では王士端の「人間万事塞翁馬 只生歓喜不生愁」のほうが有名らしいが。いずれにせよこれらの「人間」は確実に「世の中」という意味で使われている。なぜなら中国語の「人間」に「人」という意味はないからである。
ではやっぱり「人間万事」は「じんかんばんじ」と読むべきなのか、というとそういうわけでもない。そもそも、「世の中」という意味の「人間」は「じんかん」と読むべし、というルールがないからである。
「人間」の語源は「人の世界」「世の中」という意味の仏教用語「人間」である。これは漢音で読めば「じんかん」となるが、仏教用語は呉音で読むことが多いので「にんげん」という読みで広まった。実際、いまでも辞書で「人間(にんげん)」を引けば、「人の住む界域。人間界。人界。人間道。」という説明が載っている。
しかし、やがて「にんげん」は「人」そのものを指すように変化していったが、あまり使われていなかった「じんかん」は「世の中」を指す意味のまま残った。そういう流れなので、「にんげん」は人を、「じんかん」は世の中を指す、というような使い分けがあるわけではなく、「世の中」を表すのに「にんげん」と読んでもいいのであるが、それだと「人」という意味と紛らわしいので、敢えて「じんかん」と読むことが多い、という程度の話なのである。
よって「にんげんばんじ」は間違いではない。もちろん「じんかんばんじ」が間違いというわけでもないが、多数派の読み方をわざわざ否定してイキる必要はないと思う。
数ヶ月前に予約した小説『天官賜福』(墨香銅臭)が届いたし、Kindleでポイント50%還元セールがあったり竹書房の日があったりしたので、いつになく多くのBL作品を手にした7月末~8月冒頭だった。ほっこり。そんな訳で、読んだ本とその感想を少し。あ、『天官賜福』を発売月内に読んでレビューポイントを稼ごうと思って忘れてたなあ!
謝憐(シェ・リェン)は仙楽国の元王太子で、17歳の若さで天界に飛翔し武神となった天才神官であった。ところが数々のやらかしにより人間界に落とされ、今では貧乏神・ガラクタの神と蔑まれ、彼を信仰する人ももはやいない。
そんな謝憐だが、このたび三度目の飛翔を遂げ神官に返り咲いたものの、天界に着くなり飛翔の衝撃で他の神官の館等をぶっ壊してしまい、多額の負債を作ってしまうのだった。
そして彼は、返済のために功徳を稼ぎに人間界に降り、人々を苦しめる怪異事件の解決に乗り出した。
すごい厚みなのだが、まるで話上手な人による噂話を聴いているかのような軽快で臨場感のある文体と、面白いストーリーのため、ひと度読み始めるとページを捲る手がなかなか止まらなくなるやつ(といっても、私は歳のせいかすっかり集中力がなくなってしまい、しかも他の本と掛け持ちで読んでいるので、なかなか読み進まないのだがw)。
同作者の『魔道祖師』よりはストーリーが分かり易いと思う。人界の民草に信仰されることによって「功徳」ポイントを稼ぐという設定がゲームみたいで面白い。何年か前にアニメになった『霊剣山』(国王陛下)をちょっと思い出したんだが、こういう古代中国が舞台のゲームっぽい設定って、中国のWeb小説界隈で流行ってるのだろうか?
けっこう早い段階で攻めの花城(ホワチョン)が登場し、謝隣が彼に惹かれていく描写もなされるので、BLとしても『魔道祖師』より分かりやすく萌えが多いかもしれない。
問題は、第2巻以降の発売の目処が立っていなさげなことだろうか。読んだ内容を忘れないうちに発売してほしい……。
短編集。恋愛に対して臆病過ぎてすぐ行方をくらます男とストーカー行為を楽しむ男の話と、遠恋中の若者達の話と、体毛がすごいおっさんの話の三編。
『Canna』のBLはサブカル系で癖が強いって誰かがどこかに書き込んでいたけど、これもかなり癖の強い短編集。筋肉! 体毛! ムンワァァ……! な、におい立つような劇画調ラッコ鍋絵柄で描かれるのは、おじさん・お兄さん達の複雑な乙女心だった!!
表題作だけ『Canna』本誌で読んだことがあったんだけど、連載が飛び飛びだったせいかあまり面白いと感じなかったのだが、単行本にまとまったのを続けて読んでみたら、案外悪くない感じだった。
私は2話目の『恋しさ募って』がお気に入り。初々しくてかわいい。
ルームシェアをしている大学生のアキとハル。見た目がもろにワンコ系で実は心配性なのがアキ、クール系に見えるけれど食いしん坊で楽天家なのがハルだ。そんな二人の好きなのは、お料理する事食べること。今日も美味しい料理を作って食べて、無自覚0距離でたのしく暮らしています。
めちゃめちゃ腹減ったーー!! 『きのう何食べた?』(よしながふみ)に負けず劣らずな飯テロBL漫画だった。とにかくアキの作る料理が美味しそう。各話の末尾にレシピがついているから、後で作ってみようかな。ただ、若者向けのガッツリメニューが多いので、中年以降にはきついかもしれないが。
BLなんだけど、エロがないどころか恋愛描写もほぼない。アキがハルのことを好いているというのがちょっと描写されるくらいかな。ハルは女子との交際歴があるとか、脇役の女子二人組が登場してグループ交際っぽい絵面になったりとかもして、BL感はかなり薄い。
でもアキとハルが幸せそうにご飯を食べてかなり密着状態で楽しそうに過ごしている様の和み度・癒し度が高く、それだけで満足感がたっぷりある。
あと他に三冊買ったけどそれはまた後ほど。