2022-11-09

人間万事塞翁が馬」は「にんげんばんじ」と読むか「じんかんばんじ」と読むか問題

人間万事塞翁が馬」は、普通だと「にんげんばんじさいおうがうま」と読むが、それは間違いであり、本来は「じんかんばんじ」と読むべきである、という人々が存在する。「人間万事塞翁が馬」における「人間」とは、「人」を表す「人間(にんげん)」ではなく、人と人の間、つまり「世の中」を意味する「人間(じんかん)」を意味しているからだ、という主張である

この「塞翁が馬(塞翁失馬)」の故事は『淮南子』を出典とする。ただし字句としては「人間万事」も「塞翁」も『淮南子』には出てこない。ではどこからきたのかというと、中国の禅僧・晦機元煕の詩の「人間萬事塞翁馬 推枕軒中听雨眠」という一節からである。あるいは中国本土では王士端の「人間万事塞翁馬 只生歓喜不生愁」のほうが有名らしいが。いずれにせよこれらの「人間」は確実に「世の中」という意味で使われている。なぜなら中国語の「人間」に「人」という意味はないかである

ではやっぱり「人間万事」は「じんかんばんじ」と読むべきなのか、というとそういうわけでもない。そもそも、「世の中」という意味の「人間」は「じんかん」と読むべし、というルールがないかである

人間」の語源は「人の世界」「世の中」という意味仏教用語人間である。これは漢音で読めば「じんかん」となるが、仏教用語呉音で読むことが多いので「にんげん」という読みで広まった。実際、いまでも辞書で「人間(にんげん)」を引けば、「人の住む界域。人間界。人界。人間道。」という説明が載っている。

しかし、やがて「にんげん」は「人」そのものを指すように変化していったが、あまり使われていなかった「じんかん」は「世の中」を指す意味のまま残った。そういう流れなので、「にんげん」は人を、「じんかん」は世の中を指す、というような使い分けがあるわけではなく、「世の中」を表すのに「にんげん」と読んでもいいのであるが、それだと「人」という意味と紛らわしいので、敢えて「じんかん」と読むことが多い、という程度の話なのである

よって「にんげんばんじ」は間違いではない。もちろん「じんかんばんじ」が間違いというわけでもないが、多数派の読み方をわざわざ否定してイキる必要はないと思う。

  • にじいろばんび

  • 読んだけどなんか結論がじんかんと読むのが正しいという趣旨に見えるが・・・つまりイキるのが気に食わないということね?

    • 語源を重視する立場なら「にんげん」が正しい(仏教用語として呉音で発音されていたから) 現在の使われ方を重視する立場でも「にんげん」が正しい(「にんげんばんじ」のほうが広...

  • 人参万事大好きな馬

  • 一方西洋の作家はポリアンナという少女に「よかったさがし」をさせた

  • 「人間到る処青山あり」は「じんかん」と読むけど 「人間万事塞翁が馬」は「にんげん」と読んでたなあ なんでだろ 青島幸男の「人間万事塞翁が丙午」が「にんげん」と読むからか

  • ぱにぽにだっしゅの何話目だったっけ

  • 『敦盛』の"人間五十年、下天のうちにくらぶれば"は(どう読むかは別にして)ニンゲン(ヒト)の人生は五十年間だ、という意味ではない。

    • これもどっかで聞いて信じてるけど具体的な根拠は知らんな。 「やっぱり当時から人生は五十年の意味でした」となってもおかしくはない。

    • 人間にとっての50年という年月でさえ~ってニュアンスなんだね

  • 青島幸男が悪い 「人間万事塞翁が丙午」が、「にんげん」と読んで直木賞(1981)とってテレビドラマになっちゃったせい

  • よく分からんが、SiriにKindle読み上げさせると「人間」を「じんかん」と発音するの、お前らのせいか

  • DDI(どっちでもいい、どうでもいい)

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