もうちょっというと相対的なものであり、その相対値は客観的に決まっていない。
あらゆるものはあらゆるものを差別しているが、日本では差別は一方向のものである。
男性が女性を差別することは大問題だが、女性が男性を差別することはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
高学歴が低学歴を差別することは大問題だが、低学歴が高学歴を差ベルすることはさして問題にならない(または差別として取り扱われない)。
日本に今もいる左翼筋の人々にとっては、差別は一方向のものでないとつじつまが合わない。要は社会的な強者が弱者を虐げていないと彼らの最終目的は達成できない。最終目的は要は世界同時革命なんだが、それが起きていないということは問題はまだあるはずだ、というふうにも理解しようとする。
そして、もう言いがかりとしか言えないような差別問題をどんどん生産していく。
今の一線で活躍しているフェミニストたちを見ればマルキストが多いことはすぐにわかる。
こういった基盤をもとに差別を論じるので、一方の差別ばかり拾い上げてもう一方の差別を無視する、とか、無いものにするとか、大したことがないものにしてしまう。もっと言うなら成り立たないガバガバな理屈を無理やり作り上げてしまうか、なにか言っているようで何も言っていない正論を飾り立てたことしか言えなくなる。
最終的に今差別を受けていると言われている人々が暴力的な行動で異論を封じ込めるしかなくなるが、これすらも「自分たちを守るために仕方なく行われる防衛だ」ということにしてしまう。
フェミニストたちが言う男性社会というのがある。男性が有利らしい。だが、男性が有利な社会の延長線上に男性が一生懸命働いて家族を養うのがあることに誰も違和感を感じない事に驚きを禁じ得ない。
男が有利な社会の延長にある究極は、男は働かないで女性が一生懸命働いて家族を養う、体力的に限界がある女性たちなので一夫多妻だ。男性は用途ごとに女性を嫁にし、その用途を満たせなくなった女性はポイだが男性が罰されることはない。だけどすべての家庭や社会における権限は男性が持っている。ヒイヒイ言いながら身を粉にして働く女性を尻目に男性は趣味だのレジャーだのに興じていて「人々は時間をもっと有効活用して創造的なことをするべきだよ!」とか平気で言えてしまう社会ではない。
一方海外では、ベクトルではない。誰が言ったかやったかは全く関係がない。絶対値として差別が定義される。当然当人に戦う気概が求められるが。
だがこういうことをいえば「お前らは差別する側だからわからない!」とか言っちゃうんだが、だめだ怒り始めたのでここまでにする。
こんなんじゃ「読みやすい文章かけない差別」に晒されてしまうぞ!
もっとわかりやすく言ってやろうか ベクトルっつーかパテントなんだよ 反差別とは我々の我々による我々のための運動で 誰が差別をし、何が差別であり、破った奴にどんな罰を与える...
非公開ブクマ3つ またセルクマage増田か
片方の性だけが、一方的に働いてATMとして尽くすのではなく、 どちらの性もATMになりたい人は自由に働いてATMとして尽くせる社会こそが、 性差別のない社会です。 性差別...
差別者が内面へと後退したことによる問題だと思う。 私は差別的感情を抱いているが、それを表に出さなければ良いとする。 そして差別的感情を発露したものを一緒に攻撃する。 言う...