兄はマルキストだ。まあ、それはよい。人には思想信条の自由があるのだから、兄が新左翼の学生団体に入ろうが、毎日デモに出かけようが、私が何か言うべき問題ではない。しかし、先日たまたま兄の大学の人と会う機会があって、兄がかなり性的に奔放な人間であることを知った。いつも資本主義の限界を主張しているのに、下半身だけは自由放任主義なのはいかがなものなのだろうか。
私はちょっとブラコンの気があるのかもしれない。でも私は、将来会社から剰余価値を搾取されることよりも、兄がいろんな女の子から精液を搾取されていることのほうが嫌なのだ。兄は、彼女を作らずに妹を守るという兄の本来のあり方から疎外されてしまっている。恋愛至上主義経済によって作られた、性経験を肯定するイデオロギーに染まってしまっているのだ。兄は社会的にも身体的にも下部構造によって規定されている。マルクスの歴史観は正しかったのかもしれない。
このような歪んだ社会構造を打開するためには、革命しかない。ブラコン革命だ。日本ブラコン党によるブラコン独裁しか道はないのだ。民主集中制に基づいて、計画的ブラコンを行うしかない。私は書記長になって、アンチブラコン主義者をシベリア送りにするのだ。
こんなことを考えていたら日が沈んでしまった。