はてなキーワード: ショートパンツとは
くやしいっ……!
くやしくて、死にそうっ……!
身体の奥から絞り出すような掠れた声。これほどまでに悔しがる声を、かつて聞いたことがない。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、そういうお話だ。本気で高みを目指し練習に練習を重ねた――なのに届かなかったことがくやしくてくやしくて涙があふれてくる、そんな物語だ。
主人公の黄前久美子は、コンクールの京都府大会に向けた合奏の練習中に、顧問の滝からとあるパートの演奏から外れるよう指示される。そこはかつて質の低さを指摘され、改善を約束したパートだった。久美子は努力を重ねたが、滝が求める精度にけっきょくたどり着けなかった。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。
うまくなりたい。うまくなりたいうまくなりたいうまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい……!
うまくなりたい! 誰にも負けたくない! 誰にも……! 誰にもっ……!
後から後からあふれてくる涙に頬を濡らしながら久美子は知るのだ。
中学のとき関西大会への切符を賭けたコンクールで敗れた際、同輩の高坂麗奈が流した涙の意味を。その辛さを。「本気で全国いけると思ってたの?」と問いかけた自分の目の前で彼女がどんな気持ちでいたかを。
それを知った久美子は、「期待すれば恥をかく。叶いもしない夢を見るのは馬鹿げたことだって思ってた」自分と決別する。「絶対、全国に行く」と、ためらうことなく口にする。たとえ努力した者すべてに神様が微笑まない世界だったとしても。努力し、戦うことを選ぶのだ。
選ぶ、ということ。
TVアニメ『響け!ユーフォニアム』は、当人の選択とそれに伴う責任を重要なテーマに掲げている。
最も判りやすいのは冒頭だ。
顧問に就任した滝は、部員たちに部の目標を選ばせる。全国を目指すか、楽しい思い出をつくる部活動にするか。選んだ以上はそれに向かって努力してもらうことを言い添えたうえで。部員たちは多数決のすえ前者を選んだ。待っていたのは低レベルな演奏に対する容赦ない指摘だった。部員たちは反発したが、滝は取りあわなかった。「あなたたちは全国に行くと決めたんです」と。滝の厳しいながらも的確な指導によって演奏技術の向上を実感した部員たちは彼に信頼を寄せていく。
終盤にはもっと重要な意味をもってそれが描かれる。合奏のトランペット独奏パート、その奏者を巡るオーディションのやり直し。
奏者は麗奈にいったん内定したが、敗れた三年の中世古香織を慕う吉川優子の「噂になってるんです。オーディションのとき、先生がひいきしたんじゃないかって」という発言によって、滝は希望者に対する再オーディションを認める。そして香織がそれに手を上げたことからもう一度やる、ということになったのだ。
ここで面白いのは内定している麗奈の意向を滝が確認しなかったことだ。本当なら麗奈の気持ちが重視されるべきだろう。何せ一度はその座を勝ち取っているのだから。しかし滝はそれを訊かなかった。
その理由は、“選ぶ”ことによって“責任”が麗奈に発生してしまうからだろう。麗奈は本来それを負う必要がない。だから滝は回避した。彼の内面を推し量るなら、オーディションに不正があったのではと疑問を持たれた自分が責を負うべきだと考えたのではないか。
再オーディションの場でも“選択”と“責任”が遡上に上がる。どちらを奏者にするか、滝は(ひいきを疑った)部員たちに選ばせようとする。「全国に行くと決めた」あなたたちは、今の演奏を聴いてどちらがそれにふさわしいと思いますか、と。
しかし部員たちはどちらも選ばなかった。だから滝は香織に訊く。「あなたがソロを吹きますか」。香織は言う。「吹かないです。吹けないです。ソロは高坂さんが吹くべきだと思います」と。
香織が肯定していたら、恐らく滝はそのまま香織に吹かせただろう。香織では先の大会に進めない公算が高いと判断していても吹かせただろう。どちらも選ばなかった部員たちに文句を言う資格はもうない。部員たちはそういう“責任”を負わなければならない。そして香織も、もし吹くのであれば部の成績の是非を逃げ場のまったくないとこで負う覚悟がいる。滝はそれを問うたのだ。香織は否定した。
もちろんこれは責任を押しつけあったという話ではない。
何かを求めるのであれば相応の代価がいる。全国か楽しい部活か。全国を求めるなら苦しい練習とそれをしてなお届かなかったときの悔しさに対する覚悟がいる。『ユーフォニアム』とはそういう物語なのだ。
ところで『ユーフォ』がエロティシズム溢れるアニメだと言われて否定するひとは少なかろう。もっともあからさまなのは8話。夏の大吉山にノースリーブのワンピースで登った麗奈は、コケティッシュな魅力を見せつけながら久美子に“愛の告白”をする。夜景をバックに、裾を風や座ったときのはずみで翻しながら。あるいは久美子の唇を白くほっそりとした指でなぞりながら。正統派の黒髪美少女は、匂い立つような色気をまといながら、中高と同じ吹奏楽部に所属しながら顔見知り程度だった少女に真正面から迫っていく。
これは何なんだろう? 百合? サービスシーン? 半分ぐらいはそうだろうが、それだけではないように思う。
『ユーフォ』はキャラの欲望を隠さない。久美子の「うまくなりたい」を始めとしてみんな何らかの欲望を持っている。「特別になりたい」「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」「あすかが思ってるわたしの一歩先を、本物のわたしが行きたい」「あたしさ、塚本のことが好きなんだけど」「みんな吹きたいんだ」「コンクールに出たいんだ」「全国」。
だから肉体は、欲望の主体がちゃんとそこに存在していることを証明するかのように、画面いっぱいに生々しく描かれる。
終盤はもっと直截だ。
炎天下での練習。頬を火照らせ汗を滴らせながら練習に励む彼女たちは、ときに渇きを癒そうと喉を鳴らしながら水を飲む。それらのシーンは例外なく艶めかしい。オーディションに勝って奏者に選ばれたい、今は手こずってるパートをもっとうまく吹けるようになりたい。喉の渇きは、そういう欲の隠喩表現だ。ときに口元を濡らしてしまうほど勢い良く飲むのは満たされることを強く欲してるからだ。
あの夏の夜。これから山に登ろうというのに、麗奈はノースリーブのワンピースにヒールサンダルという格好だった。対する久美子はTシャツとショートパンツにシューズというラフな出で立ち。片やデート、片や気心の知れた友だちとのお出かけのよう。その落差は気合いいれておめかししてきた麗奈の“欲”を際立たせる。
『響け!ユーフォニアム』は、何より絵でその強さを表現している。
音楽マンガには演奏の素晴らしさを聴衆のリアクションによって表現する手法がある。『ユーフォ』でもサンフェスへの出場を賭けた合奏や、サンフェスにおけるマーチングの際にこれが用いられた。アニメだから音そのもので質の高低は表現可能だし実際されているのだが、強調表現として使用されたのだ。
しかしながらラストのコンクールでは聴衆の反応がいっさい描かれない。いったいこの差はなんだろうか。
冒頭でも述べたように、『ユーフォ』は努力に努力を重ねたのに鳴らしたい音へとたどり着けなかったことやオーディションに敗れコンクールへ出られなかったことがくやしくて涙を流してしまう物語だ。
努力そのものには何の価値もない。滝も誰も努力したことを褒めない。努力の末に響かせた音にのみ評価が下される。聴衆は、久美子たちの努力を一切しらない。ホールに響き渡るあの音が努力の末のものなのかそうでないのか一切しらない。
しかし我々は知っている。努力をし、欲をむき出しにしてぶつかり合ってきた先にある音だと。滝に叱責され、炎天下で汗を滴らせ、楽譜に「全国」と大きく書き込み、がむしゃらに努力してきた先にある音だと。だからそれはきっと素晴らしいのだ。みんなが積み重ねてきた努力を知る葉月が「いっすね……」と呟く音はきっと素晴らしいのだ。
そこに聴衆のリアクションはいらない。ステージの上でまばゆい光を浴びた久美子たちが響かせる音、それは素晴らしいに違いないと我々はもう知っているのだから。
彼氏が酔ったときに「うちのごはん」のCMを眺めながら独りごとのようにつぶやいた。
森高千里のスタイルの良さは誰しもが認めることだろう。あんな健康的で綺麗な脚になりたいものだ。
当時の衣装を見ると、毎回とても短いスカートにストッキングにハイヒールで、それでは全く芸がない、と私の彼氏は説く。
あの、バブル時代の良く解らない派手な衣装は措くとしても、パターンが毎回同じでどうなってんだ! と憤る。
確かにそうだなーと思う。
たとえばチャイナドレスって当時なかったの?
ストッキングも黒いのとか見てみたいのだが!!
靴もハイヒール以外のが見たい!
それと裾ももう少し長くして、踊る中でふとももがちらふわっと見えるように、こう! こう!
前がはだける衣装とか!
もったいねーもったいねー、あの時代、あの美脚を活かしきれなかった、表現が画一的なあの時代が憎い。
30になってやっとわかってきて、とても楽しい
脚が短くてO脚なのに、ショートパンツやスキニーに拘る必要はなかった
高めにウエストマークするワイドパンツか膝下スカート、ワンピース
長所である鎖骨や長めの首がきれいに見えるボートネックのトップスをを着る
小顔に産んでもらったおかげで、低身長でもハイウエストでマークしてればヒールじゃなくてもバランスが取れる
ショートにしてくせ毛を活かしたスタイリングにした方が垢抜ける
地味顔にいくら化粧を盛ってもケバくなるだけ
くすみやクマを完全に消し、透明感のある磨りガラスのようなハーフマットの肌を作って
目元はツヤ感重視のシャドウ、目の位置が高いから下まつげだけ少し盛る
着心地の悪い物(スキニーや化学繊維の洋服)は着たり履いたりしなくなって、気分的にも楽になった
色々と思うところはあるだろうが、まぁひとまず聞いてくれ
Tバックの話だ
どれも私が直接面と向かって友人に言われた言葉だ
「痴女の下着」そうだな、私もいやらしいと思う
「常にPKとか生きてるのに支障出そう」分かる、始めは支障が出た
「私は履かない」そうか、まぁそういわずちょっと読んでみてくれ
「三点セットでついてくると死蔵する」そうだよな、そんなあなたに一つ提案がある
貴女が自分で下着を買って、誰にそれをチェックされるでもなく着用することができる立場なら、一度Tバックを着用してみてほしい
無論実家暮らしで親にそんなパンツを洗わせ洗濯させるのは気が引けるというお嬢さんは無理をしなくて構わない
洗濯ものに急に面積の小さすぎる下着が混入した際の親への精神的ショックは計り知れない
しかしいつか機会があるかもしれないと心に留めておいてほしい
何故Tバックを勧めるのか
勿論理由はある 理由もないのにあんな紐を勧めたりなんてしない
まずTバックの形状を思い浮かべてみてほしい 最初に思い浮かぶのは名前からして特徴的なヒップのデザインだよな?
デザインというか、まぁ紐だ 尻の肉をまったくカバーしない、穴が隠せりゃいいだろってアレを思い浮かべると思う
では次に普通のショーツを思い浮かべてみてほしい
貴女が普段履いているのが女児用のいわゆるカボチャパンツでなければ、ある程度尻にフィットして、肉を保持するようにできていると思う
所でぶしつけなことを突然言うが、貴方は今ショーツを着用しているだろうか Tバックではない、普通のショーツだ
もしも人目をはばからないならば、そっとお尻と、そこから連なる足の付け根のラインを確認してみてほしい
ショーツの締め付けからはみ出た肉が無いだろうか
貴女が日ごろからヒップのトレーニングを欠かさないボディビルダーだというなら話は別だが、おおむね、健康的な体を持っている女性ならばそこに肉はある
それを恥じる必要はない 女性として、その部分の脂肪はあってしかるべきだ 私は尻下部に出来たこの双丘をショーツと肉による協奏曲と呼んでいる
そこまではいい いいんだよ
パンツスーツとなるとある程度体にフィットしたサイズを選ばざるを得ないよな
このショーツと肉による協奏曲は、実のところ背後から割と丸見えだ
それでもいい、私のショーツと肉による協奏曲は人々に広く見られてしかるべきだと思う女性 それならそれでもいい
その颯爽とした後姿は多くの人を救うだろう そのまま背筋を伸ばして生きていって欲しい
それはさすがに嫌だ みっともないと感じる女性 そうだよな 私もそう思う
けど、特にこの季節、ガードルを着用するのは蒸れるし暑い そう思うんじゃないかな
Tバックは、尻の肉を押さえつけない
そして単純に布面積は小さい 涼しい
何が言いたいかわかるな? パンツスーツを着用する女性はTバックが捗る
以上だ 以上なんだ 言いたいことはそれだけなんだ
ここから先はおまけみたいなものだから適当に読み流してくれていい
パンツスーツをメインに置いたけれど、このショーツと肉による協奏曲が生まれないという利点は、他のパンツルックでも大いに利用できる
ショーツラインが気になってスキニーなタイプを着ることが出来ない、という人も、Tバックを着用していれば何も怖くない
実のところ、ショートパンツだってショーツラインを気にしてワンサイズ上のパンツを購入するくらいなら、Tバックを履いて適正サイズを着用したほうがよっぽど尻が小さく見えるんだ
スーツなんて履かない、という女子大生や女子高校生も、環境が許すなら是非に履いてみてほしい
特に女子大生 就職活動が始まってパンツスーツを履く機会が増える前に、Tバックには慣れておいて損は無い
就活前にヒールに慣れておくような気分でTバックとも触れ合っておいてほしい
ここから先は更に余談
「Tバックを履いてみるっていうのはわかるけど、やっぱり履き心地が気になる」という貴女に、本当に簡単に、アドバイスをしておきたい
まず三点セットなどでついてきたTバックを持っているとしたら、その形状をすこし確かめてみてほしい
尻にあたる布が、本当に紐やレース地なら、それは初心者向けだ 見た目のインパクトは大きいが履き心地はTバック界では優しい
そいつをまず履いてみて、もしもいいかも、と思ったらもう一枚、二枚と買い足していって欲しい
Tバックなんて持っていない、という人にも同様のアドバイスを送ろう
前の面積とかサイドのタンガ(横も紐になってるデザインの事)とかは一旦置いておいて良い いや、タンガの場合食い込んで痛くないサイズっていうのは大事だが
バックの布地の面積が大きければ大きいほど、Tバックの難易度は高い
だからあたかも「布地も大きめで初心者向けですよ」みたいな顔をして細めの布地でステッチなど入っているデザインのTバックは、その実違和感が物凄い
以上で、Tバックについての話を終わる
漫画とかでよくあるいわゆるラッキースケベってあるじゃないですか。主人公が転んだら可愛い女子の股間に顔突っ込んでクパァって効果音まで付く奴。
もっと偶然のハードルを低くして、曲がり角でお互い前方不注意でぶつかって転んでパンツ見えた。これくらいにしておこう。
これって、転んだ原因はお互い様だしパンツ見えたのは見えるような丈のスカート履いてるのは本人の意思だし中にショートパンツ履くとか自衛手段もあるし
つまり恥ずかしいとは思うだろうけど、それで怒るって言うのは自分のパンツにそれだけの価値がある自信のある女子って事ですよね。
あたし女だけどこんな経験した事ないし(当たり前ですねすみません)ぶっちゃけ非モテ系なので逆に「見苦しいもの見せてごめん。」ってなる。
自分に自信のあるモテ系女子なら怒れるの?逆にそういう体験をした男子もラッキーと思うか否かはやっぱり相手の見た目によるの?
中学に入学し、自分で服を選んで買えるようになってからは積極的にミニスカートを履いた。
持っているボトムスのうち約75%がミニスカート、約20%がショートパンツや短いキュロット。1着は長ズボンを持っていたけど、何かの都合で履かざえるを得ない日以外は履かなかった。
高校生の頃に女友達がお尻を少し見せながら制服のスカートを履いていたのはちょっとやりすぎだと思った。という私も、今にも下着が見えそうな長さのスカートを履いていた。
危険な目にあうこともあった。それでもミニスカートが好きだった。
アラサーと呼ばれる年齢になったらミニスカートは卒業すると決めていた。履けるうちはできるだけミニスカートと一緒に過ごしたかった。
高校を卒業した後は服装の規定がない会社に入社した。規定がないとはいえ高校生の頃のようなミニスカートは相応しくない。と、周囲の大人にアドバイスされた。そんなことはわかっている。
私はミニスカートを少し捨て、長めのスカートやキュロットを揃えた。
大人になるとはこういうことなのか。大人の社会人らしい身なりで出勤した。
入社当初からお付き合いしていた男性にミニスカートの着用を全面的に反対された。
今までこんなに怒りを露わにした人を見たことがない。と思うほど彼は怒り、反対した。ミニスカートは仕方なく諦めた。
彼がそこまで反対した理由は理解できる。夜道は危ない。私は危険な目にあったことがある。隙がありすぎる。心配なのだろう。
私の衣装ケースからミニスカートは消えた。代わりに、上品な丈の長いスカートやキュロットが入った。
半年ほど前にその男性との関係を断った。その途端にミニスカートを捨ててしまったことに対する後悔の念がこみあげてきた。
捨てたのだからあるはずはないのに、クローゼットの中に入っていたものを全て取り出してミニスカートを探した。当然見つからなかった。
ただ一人の男性のために、どうして私はミニスカートを捨てたのだろう。
気付けば私は成人していた。タイムリミット(アラサー)まで、あと4年ほどある。
残りの4年間、ミニスカートとやり直したい。
タイトなデニムミニ、ひらひらのシフォンミニ、合皮のミニ、コーデュロイのミニ、ハイウエストミニ、プリーツミニ、全部集め直してまたミニスカート生活を再開しようと決めた。
その週末、数年前まで頻繁に足を運んでいたショップを巡った。ミニスカートを買うために。
そこには思ったほどのミニスカートはなかった。各ショップ、多くても1〜2種類、少なければ0種類(!)しかミニスカートを置いてなかった。(カラバリはあるけど)
ミニスカートの代わりにキュロットと膝下丈のスカートが多く売られているように見えた。
ワンピースでさえ、かつてのようなミニ丈のものはほとんどなかった。
購入するミニスカートの選択肢が少なすぎて落胆した。何も買わずに店を出た。
渋谷の街を歩く若い女の子を眺めた。ミニスカート人口は知らない間に減っていたのかもしれない。
↑ここまでポエム
というわけで、はてなに書いても仕方ない気もしますが、ミニスカートを多く取り扱うブランド・ショップをご存知の方がいたら教えて下さい。
あまりお高くないもので、10代後半〜20代前半向け。shel'tterのブランドあたりの雰囲気が好きです。
※アラサー以上の女性がミニスカートを履くことに対して否定するわけではありません。私の容姿ではその年令が限界だと思うだけです。
エタ風が「本物川はオタサーの姫」とか言ってるツイートがRTで回ってきて、あの界隈をよく知らなかった自分はふーんと思ってたんだけど、このリスト見てその通りだなと確信した。
気持ち悪い。なんてストッキングとかブラとかショートパンツみたいな「性」を感じさせる衣類がこんなに揃ってるんだろう。
普通ネットの知らん人から送られた下着とか身に着けたいと思わないでしょ。サイズも合わないこと多いし。
しかもリストのほぼ全てが下着で埋まってて、本とか食べものとかお酒とか普通の人がほしい物リストで欲しがるようなものは皆無。
この人、どれだけ「女」として見られることに飢えてるんだろう。中の人が男でも女でも気持ち悪い。早めにブロックしておいて本当に良かった。
ミニスカートが好きなオトコは多い。 ある統計によると、オトコの8割はミニスカートが好きらしい。 理由はだいたい共通している。セクシーだからだ。 少し見えそうな感じにロマンがあるんだとか。
だが僕は、ロングスカートが好きである。 ネットでロングスカートが好きな理由が僕に似ているか少し調べたことがあるが、 他のオトコに足を見せず、自分だけが見れるという独占欲がほとんどだった。 そうではない、僕なりの理由をなんとなく書いてみる。
一言でいうと、「不明瞭であるがゆえの鮮明さ」である。 ロングスカートの場合、女性の足の形は分からない。 ズボンと違い、足の細ささえ分からないのだ。 ロングスカートをはいた女性の腰から上をみて、こちら側は完璧な足を想像できるのだ。 現代文の定番教材となっている清岡卓行の『手の変幻』で、ミロのヴィーナスについて解説している。 詳しい内容には言及しないが、端的に述べると、ミロのヴィーナスは両腕がないがゆえに魅惑的であるということである。 僕がロングスカートを好む理由はそれに近い。 セクシーがお好みならば、最終的に一糸纏わぬ姿となるのではないか。
僕の好みというのははっきり言って気持ち悪いし、 ミニスカートが好きなオトコが述べる理由以上の理由を述べることができていない。
とはいえ、スカートに限らず、ファッションというのは千差万別である。 ミニスカートが似合う女性はミニスカートをはけばよい。 ただ、ミニスカートは露出度が高いゆえに高いレベルが求められる。 すべての女性がミニスカートをはく必要はないはずだ。 僕は、なんとなくロングスカートは誰がはいても無難な感じがするとは思う。
そういえば、最近はミニスカート乃至ショートパンツをはく女性が多くみられる。 ちょっと前までてっきり異性にもてたいからはいてるもんだと思っていたが、実情はそうではないらしい。 同性の目を気にしているのだ。 同性の友達などから、かわいいと思われたいらしい。 ならば尚更である。 誠におこがましいが、無難にロングスカートをはくことを勧める。 水着を着るためとかミニスカートをはくためとかにダイエットにいそしむのは正直無駄な努力に思える。 ひょっとすると、ダイエットも同性にほめられたいのかもしれない。 いや、やっぱり異性の目を意識しているのかもしれない。 おそらく、女性の方々は足を見せてこちら側を誘惑させつつ、ふしだらな女だとは思われたくないのだと思う。 そうだとすると、女性って難しい。 男性以上に成長が早いのは納得だ。幼いころからそんなことを考えて成長していくのだ、きっと。
そんな経験をしても、今まで普通の生活を続けてこられたのはすごいことだと思うよ。だいぶ無理されたことと思います。大変だったね。
私も夜に音楽を聞きながら歩いていたら、後ろから来た自転車に胸をつかまれたり、昼間いきなり肩を掴まれて車に押し込まれそうになったことがある。
どれも未遂で、車の時は、わけもわからずもがいていたら開放されたんだけど(昼間だったし)、それこそ包丁なんて突きつけられていたら抵抗できなかったと思う。
それ以来、一人で歩くのが怖くて、音楽を聞きながら歩くこともなくなった。誰かに聞いてもらいたくて、周りの人にはへらへらしながら、こんなことがあってさ〜って話した。
でも一人で歩くのは避けられないから、その度に動悸がして、外出が減った時があった。
以降、スカートやショートパンツは一切はかなくなった。ダブダブのジーパンを履くようになった。トップスもよれよれの古着のTシャツにした。
当時長かった髪も、黒髪のベリーショートにした。靴もスニーカー、かばんはリュックサック(使い古したやつ)。身なりをだいぶ変えた。
今では超笑えるけど、夜道は変な歩き方であるいた。がに股みたいな。
とにかく男の人の目から逃れることに必死だった。もともとそういう格好も好きだったし、格好を変えることにそこまで抵抗はなかった。
格好を変えてからは、痴漢に一切合わなくなった。格好を変えたせいかはわからないけど、あれからだんだん自信がついてきて回復したよ。
やがて彼氏もできて、全部話して、そうしたら精神的にもだいぶ安定した。
男の人の目をとにかく避けるような身なりをするって、私には有効だったのかもしれない。
今新人戦?でダンプしたから波紋って言われたけど自分で気づいてよかったねーってところ。
小林みたいに髪染めたりしてなくてよかった。
ほんと好き。
コナンのアニメの途中のCMで15秒アニメ?があったのを覚えてる。
帯をギュッとね!の作者とは知ってた(けど読んだことはない)し、とめはねっ!はぽつぽつ読んでて、女の子かわいいとは思ってた。
前にモリタイシの女の子がかわいいとも書いたけど、何気に小学館系列の漫画は地味にかわいい女の子が多い気がする。
時代を感じさせないかわいさ。
でもリアルだったら絶対付き合うどころか友達にもなれないだろうなってのが悲しい。
メジャー2ndの女の子もかわいい。ハイニーソショートパンツ黒髪ぱっつん。俺の性癖(ry
すげええええええ
師走の翁のヌーディスト・ビーチに修学旅行読んだばっかりだっつーのに!!!
こもりちゃんはやる気を出せも好きよ!
今思うとおおふりみたいに巨乳女監督と男子野球って構図だったな。
おっぱああああああああああああああああ
いいものいっぱい持ってるんだからもっと頑張れ!!!!!!!!!
子どものときはジャンプのギトギト濃い味が好きだけど、年取って疲れてきたらあっさりサンデーのよさがわかってくる、みたいな。
俺はそんな感じ。
素朴な萌えをくれ。
ネットではうんこを漏らしてしまった話をたまに見かけるけど、実際にうんこを漏らした人に出会った事がない。
大学2年生の冬、
最寄り駅に着いて、ホームの階段をゆっくりとのぼって改札前のトイレを目指した。
かなり酔っていて、はやくのぼると階段を踏み外してしまいそうなくらい体が言う事をきかなかった。
おしっこがしたい、おしっこがしたい、そう思いながら階段をのぼっていると下半身がじんわりとあたたかくなった。
やってしまった。
そう思って急いでトイレに向かう。
緊急事態だ。急がなきゃ。
引き戸だったのでとりあえず力づくで閉めてみる。
なんとか閉まった。
すぐそばに開閉用のボタンがあったけど、その時は気づかなかった。
便座に座る前、履いていたショートパンツにおそるおそる触れてみた。
あれ、濡れてない。
やった。漏らしてなかった。
履いていたショートパンツ、タイツ、パンツをおろして便座に腰掛ける。
ほっとした。
と同時にパンツの上に、大さじ1杯くらいの、少し下痢気味の、やわらかいうんこを見つけた。
今度こそやってしまった。
高校生のときにちょっと背伸びをして買ったピーチジョンのピンクのパンツがうんこ色に染まっていた。
ブラとセットで買ったのに、もう履けない。2000円くらいしたはずなのに。
パンツと決別をしたら少し落ち着いてきたので周りを見渡した。
さっき力づくで閉めた扉に少し隙間が開いている。
閉まり切っていなかったのだろう。
見ると扉の横に開閉ボタンがあった。
ああ、ちゃんと閉めておかないと、誰かが入ってきちゃうな。
閉まらない。
開ボタンを押した。
扉がゆっくりと開いていく。
さすが多目的トイレ、誰にでも優しいから、開くスピード超遅い。すごい。
そういえば何も履いていなかった。
慌てて閉ボタンを押すけど、開いている最中は閉まらないようだ。
でも、人間って、慌てている時は頭がまわらない。
扉が開ききってから閉まるまで、30秒くらいだっただろうか。
それはそれはとてつもなく長い30秒だった。
幸いにもトイレの前を通る人は1人もおらず、この痴態は誰にも見られる事はなかった。
誰かに話したいけど、こんな話をしてしまったら絶対にモテない。
私が男だったら笑い話にできていたんだろうか。
追記5/20
ひとつのパンツを3年も履くなんて・・・というコメントがいくつか見受けられるので、以下私のパンツの履き方についてお話させていただきます。
人によるとも思いますが、最近の若い女の子はやたらと下着が好きです。
普段使いのものはそのうち30枚です。1ヶ月に1回履きます。(31日の月は2度履くものもあります)
日付によってパンツを変られるように30にセパレートされたケースにパンツを入れています。
これはどうでもいいことですが、私のパンツを見ればカレンダーを見ずとも何日かが分かります。
選抜組とは、俗にいう勝負下着だと思っていただければよいです。
まあ、あいにくここぞという時がないのでほぼ観賞用のパンツ群になります。たまに履きます。
今回うんこを漏らしてしまったピーチジョンパンツはこの出来事のちょっと前に選抜落ちしたパンツでした。
選抜落ちとは、元々選抜組だったものの古くなったり趣味が変わったり、様々な事情のために普段使いに降格したものを指します。
確かに期間としては3年履いていたのですが、回数としては10回も履いていなかったかと思います。
3年間私のお尻を守ってくれていたというのは、すこし盛ってしまっていたかもしれません。
ですが、選抜落ちの彼らには特に愛着があり、それまで大事にしていたパンツだったために悲しさもひとしおでした。
追記6/17
お久しぶりです。
http://anond.hatelabo.jp/20150328225013
「拷問だー!」
幼稚園によっては前年の年末くらいまでには「来春用意するものリスト」が渡されて
パニクるお母さんたちが続出する。
夏休みの宿題みたく、早い人は秋くらいからコツコツ用意してるけど
やっぱり手芸苦手意識のある人は、時期が早かろうが遅かろうが「拷問」と感じてる模様。
「どうしたらいいのか途方にくれていたところ、御社のHPを拝見し・・・」なんてメールが
ガンガン送られてくる。
「息子の喜んだ顔を見て子育ての喜びを感じられました」なんていうメールを受け取った日には
ミシンは中学生以来触ったことがなく・・・って人もかなりいる。
家庭科室のバカみたいに壊れるミシンと格闘しながら、何ヶ月もかかってエプロンやら
ショートパンツやらを縫ってた頃の記憶をたどると、目の前に迫り来る納期に
恐怖するのも分かる。
個人的には、幼稚園はともかく保育園で「手作り指定」をやるのは園が非道だと思う。
認可保育園にも色々あって、
「保育に欠ける児童の養育と親の就業を担保する」という、社会での役割を踏み外さない園もあれば、
「とにかく質の良い保育を!(=園の持つ理想の保育の実践が一番で、
親の負担の増大なんて歯牙にも掛けない)」っつー強烈な園もある。
良い意味でも悪い意味でも主義主張が薄く、これといった特長も無いかわりに親の負担も少ない。
こういうところは、手作り品についても絵本バッグ1つとか、お着替え袋1つとか。
もちろん既成品でも別にOKだし、要求があるとしても「出来れば愛情のこもった手作りで・・・」程度の
フワッとしたご指定のみ。
やっかいなのは後者で、認可私立保育園とか、認可外保育施設とか。
保育内容にも独自性が強くて、おやつから何から全部手作り食育命!みたいな、
一種ありがたい丹精込めた保育をしてくれてる反面、
園の理想が高いだけに、親に要求される育児クオリティも高くて大変。
通園用ショルダーバッグも出来れば手作りで、って言ってるのも見たことあるけど
あんなもんCreemaとかで出品してるハンクラーぐらいしか、満足できるレベルのもの作れんで。
「子育ては量より濃度」
とか考えるタイプのワーキングマザーには、こっち系はほんと向かない保育園なんだけど、
教育とか保育の質とか考えだすと、親が地獄でも子供には良質な保育を・・・
となって結果泣き泣き通う事になる人が結構いる、ってこれはまあ別の話。
とかくWM界隈では悪者にされがちな「手作り指定」だけど、まあバカにしたもんでも無いですよ。
という事を控えめに訴えたい。
手芸屋稼業をしてて言うことじゃないけど、なぜか子供は手作り品を喜ぶ。
キレイな既成品より、親が試行錯誤したものを喜ぶ子が多い(あくまで多い、です)のは不思議。
年齢が低いほど顕著かなあ。
それはもうペンとか落ちてくるやろ、というレベルのザックザックした
縫い目のバッグでもお構いなし。
DIY妖怪ウォッチでも子供は大喜びってアレと似てるんでしょうか。
キレイに揃った縫い目より、親が目の前で自分のためだけに作ってくれた、
という過程を見てるのかね。
親が作ってくれたものがあると園でも安心しやすいってのもあるみたいです。
後追いが激しい子や、環境に慣れにくいセンシティブな子は特に。
あとはまあ、時を超えて残る、ってのが大きいかも。
大体の子供には、「親が作ってくれた(時にブサイクな)手作り品の思い出」がある。
私にもある。
親子関係は10点中3点くらいの悪さだったけど、幼稚園の時に母が作ってくれたブサイクな袋は
ずっと捨てられずに残っている。
あれも親は「園に言われてイヤイヤ作った」らしい。
イヤイヤ作ったたった1個の袋だから、こっちとしても余計捨てられない。
そこに愛情を見るのはただの子供側の悲しい願望なのかもしれないけど、30年経てば勘違いでも
きっと一生残るだろうと思う。
感傷的になった。
「手作り品」じゃなきゃ愛情を示せないなんて事言うつもりは全く無い。
でも、食えばなくなる日々の糧、の食事と違って、
「物」も「思い出」も両方残る手作り品って、もしかしたら相当コスパ良い贈り物かもよ。
カッツカツで日々を回してるWMからすると、手作り品もひとつのタスクでしか
無いことは良くわかる。
でもこの通過点に、センチメンタルな感情乗っけてる親も子も結構いるのよ。
だから、「滅びればいいのにこんな慣習」とか「親の手作りなんてムダな労力」
とかいう言説はナシで頼むわ。
園側がさ、「既成品でも全く構わんけど手作りもやる価値ありよ」
まあ実際こういう園が大多数なんだけど、極端な例は目立つということで・・・。
園がメジャーもって「はい作り直し~!」とかするワケじゃない。
通園バッグとかの類は、例えば園指定のお道具箱が入るサイズに、とか言われる事もあるけど
そんなもん大きめに作っときゃor大きめの袋買えば大丈夫です。
既成品もだいたい同じくらいの大きさで作ってるから安心せえ。
超シンプルな手提げとか買ってきて、ワッペンとかリボンとかレースとか付けまくって
ゴテゴテさせる。
子供に好きなデコ選ばせる事も出来るし、「作った感」もあるし、満足度高いみたい。
アイロンと手ぬいで出来るし。
あとはキットを売ってる店も多いし、ネットでも買えるし、
「手芸店行って選んで計って型紙とってキー!!」ってならなくっても大丈夫。
落ち着くんだ。ググるんだ。
http://www.bond.co.jp/bond/diy/detail2.php?item_name=%BA%DB%A4%DB%A4%A6%BE%E5%BC%EA
↑こういうの、一昨年くらいから売ってる。
凄い時代だ。
邪道とか関係無いよ。
私も1個買ったから、繁忙期抜けたら作ってみるわ。
子育てをきっかけに新しい扉を開く、なんて例は枚挙に暇がないけど、
うちのお客さんでも「半べそで作り始めたら要領を掴んで、今や趣味は手芸」って
人が結構いる。
定期的に通ってくれる人が教えてくれた。
体力とか関係ない趣味として、老後もいけるよ。
1ヶ月で用意できるかー!
細かい指定に応えられるかー!
なんていうのは、ガンガン園に言っていこう。
共働きの方がメジャーになる潮目にいる今だからこそ、来年以降は考慮されるかもよ。
これは手作り品に限らないけど、「自分はムリでも、後に続く人の助けにはなるかも」精神で。
せめて準備品がHPにでも掲載されてたら、心構えも出来るのにね。
手芸屋としても、夏くらいから用意してもらえる方が負荷分散されてマジありがたいんで、ゼヒ!
これ、周りのお父さんにも聞きまくってるんだけど、手芸はほんと最後の砦、って感じがする。
イクメンだカジメンだ言われる昨今、お父さんが進出してないほぼ唯一の家事分野かも。
レザークラフトとかは男性多いんだけど、ミシンでカタカタ・・・は全然見ないし聞かない。
その分、「お父さんが作ってくれた手作り品」持ってたらもう凄いよね。
母、先生、子供たち、全方面からの羨望と尊敬を集めまくると思うんだけどどうだろう。
家庭科男女必修の世代が親になってる時代だし、やってできない事ないでしょ?
正直「拷問だ!」っていうレベルで手芸慣れしてないお母さんなら、父さんと
実力の差、無いと思う。
手作りだ愛情だって言うならさ、弁当文化もなんとかして欲しいマジで。
幼稚園は毎日弁当とか、保育園でも月に何回か弁当の日があるとか、
中学、高校も続くし、個人的にはこっちの負担の方がエグいかな。
これから10年以上続くのかと思うと泣きそう。
以上、繁忙期なのに一言いいたくて出てきちゃった手芸屋でした。
初増田でしたが、思いの外反応してもらいホクホク。
「やってみっかな・・・」「おもしろいかも」的つぶやきが、手芸屋としてはいっちゃん嬉しい。
フヒヒ。
何人かご指摘のとおり、「(強制されることによる)手芸憎し!」が最も危惧するところです。
とはいえ、毎年3月くらいにはおかーさんたちの呪詛が渦巻くのだろうか。
またココ見つけて貰えるといいな。
既成品も製作代行もあるし、物好きハンクラーもしくはおかんもいるもん。
21世紀だし。
必須のライフスキルでも無ければ、母の愛情バロメーターでも無いはず。
子供が既成品を欲しがったらそっと針箱を閉じる(涙)。
いつ作れってんだー!となるなら作らない。金で解決。
能力的、時間的に作れない自分を責めてしまうナイーブさにも勝っていきたい。
(ブコメにもあったけど、豊かさの一指標かなとも思う。
22世紀になっても自分の手を動かして「作りたい」「作ってあげたい」ってのは、たぶん無くならないでしょ。)
わたくしごとですが、この商売始める前に勤めてた会社が派手に倒産しまして。
明日から仕事無いわ給料未払いだわの状態を救ったのが、この芸事でした。
家政科も服飾科も出てない素人だけど、好きでずっと続けてただけ。
一般的なビジネススキルと芸事が出会った時、商売になるよね・・・
→これやろっかな。
児童館で似たような事やってたし、「俺にやらせろ!」って言ってみる。
「ウチで買ってくれたのなら追加料金で加工しまっせ」的サービス。
明らかにNGなのは、版権モノ生地を加工して勝手に「完成品」として販売する行為くらい。
販売元の生地メーカーによっても温度差が結構あるので、心当たりある諸氏は気をつけられたい。
一番難しいのはやはり設計。型紙使わない程度であれば誰でもいけると思うのだが。
→入学入園準備品のたぐいは、ほとんど直線カット、直線縫いでだいじょぶ。
東儀秀樹ーー!!
びっくりしてブログ熟読。
凄いなーハンクラパパとして有名だったのか。
この凝りようが、メンズ手芸ジャンルのポテンシャルを表してると思う。
ブコメでも「オレも(うちの夫も)やるでー」ってのが散見されたけど、ほんとこの分野、期待できますね。
手芸屋=甘味処説があったけど、とりあえずそういう気まずさを解消する店作りからどうでしょうユザワヤさん。
個人的にはクッソリアルな羊毛フェルト(http://goo.gl/Yd01rh)とかも
将来的には「お父さんが作った袋物」がチヤホヤされないレベルにまで
市民権得てくるといいなあ。
元Twitterのあのプリント(今見れなくなっとる)は、確かに凄かった。
色んな園のプリントを見てきた手芸屋増田としても、びっくりするレベル。
「分かっててそこ選んで入ったんだから粛々と従え」ってトラバもあったけど、
大概分かって入ってないよ~w
リサーチ不足って言われりゃもう、それはその通りでございなんだけども。
これ、「意識高い園」に子供入って青息吐息だった時に私も同じ事言われたけど、
まさかこんな事までさせられるとはー!!というのの連続なワケです。
「入れる園・通える園」を探してる段階で教育哲学どころかナゾのローカルルールまで把握できないわな。
「妥当性が低く負担は高い、理想の押し付け」と捉えざるを得ないことと、
ちゃんと分けて、お互いすり合わせしていくのって大事ですよね、と言いたいです。
郷に入れば(ry って言うけど、元から住んでる人さえたいがい住みにくい郷なら、
郷を変えてく権利は誰にでもあると思うよ。
やっぱ長くなった。いつも話長いって言われる。ごめんね。
高校以来の出来事で、毎朝乗車率150%くらいの電車に乗ってるのに完全にスルーされる札付きのブス。
まあ顔が見えなかったから触れりゃいい派の人なんだろう。
でもふと思った。
私はその時物凄く厚着をしていたんだ。寒かったから。
私の朝の下半身を内訳を説明すると
パンツ+ヒートテックのショートパンツ+ジーパン+巻きスカート+スカート+モッズコート
もうブックブクに着膨れしてた。
厚さにしたら2cmはあったと思う。
とはいえほぼ布を触っていたと言っても過言ではないだろう。
私は十何年ぶりの痴漢にうろたえ、嫌悪感を抱きつつも冷静に思った。
「こいつは布を触って楽しいのだろうか?」
もはや布を撫でるだけだった。
痴漢が何を思ったのかは知らない。
多分満員電車で丁度たまたま女の尻の部分に手が当たってラッキーって感じだったんだろう。
でも「ほぼ布」状態の尻を触れて楽しかったんだろうか。甚だ疑問だ。
ついでに言うと、そんな厚着状態で満員電車に乗ったせいで汗だくだった。
なんか変なところがコスプレっぽくて、普通のジーンズのショートパンツの下に中世っぽいフリルのついた白いニーソ?はいたりだとか、上の服は肩パッド入ってたりだとか、知らない人が電車とかで見かけたら「えっ」って一瞬ガン見するくらいなおかしさで、デートの時に待ち合わせでそういう服を着てきた彼女を見ると物凄く帰りたくなってしまうんだが、でも勿論それは彼女にも失礼だとは思うんだけど、やっぱり変な人と一緒に歩きたくないんだよねって思うから、彼女に「ちょっと変わってない?」とか言うんだけど一向になおる気配はなく、普段はスーツ着なくていい会社勤めだからコンサバな私服なら持ってるんだけど、そういうのは休日では絶対に着なくて、今日も本当は外でデートだったのに、彼女の全身紫の服装に目眩がして、急に腹痛くなったってことで俺の家でこれからセックスする予定。そんじゃーね。
例えばあたしが丈のみっっじかいショートパンツをはいて外を歩けるのは、私みたいのが脚出したって魅力とか価値とか無いのが前提なんですよ。だから、美容院でどうですかーって言われて困るし、綺麗でお洒落で可愛くて女子力高い服が恥ずかしい。
でもどんなに逃げたってあたしが少なくとも、20台女性であることには変わらないんだし、「身だしなみとして」「自己満足として」「マイナスをゼロにする」「浮いたりしない」お洒落と、「自分を可愛く見せる」「周りに褒められる」「自分をより魅力的にみせる」お洒落なんて紙一重で、地続きで、肉食系を気取る雑誌を、アフターファイブの勝負服プププなんて見出しを笑いながらそれでいて心の底で焦りながら毎月毎月しっかり立ち読みする私は、すごく、こういうのは、みっともないものだ。
私はコミュニケーションを面倒くさがって省エネしたがるタイプのようで、言い換えればつまりこんな男ばっかの業界で、恋愛をしたくない。片思いされたくないし、勘違いされないよう隙があるとか軽いとか思われないよう慎重にやれてるつもりだし、たぶん周りの人も私のそーいうアピールに気づいているんだろうけど、それでも母数が多い(そして、同僚として仲間として喋りやすいキャラであろうとしている)以上、たまーーに面倒で申し訳ない事故が巻き起こる。たぶん私が経験の未熟さ故に気にしすぎなんだろうけど、ちゃんとあたしが女の子らしく可愛く見える服が、ナチュラルだけどこっそり盛ってるお化粧が、そういうことを増やすなら、ちょっと、うんざりだ。
(ただし、この問題は、私と違って年に何人もに告白されている友人が振っても振ってもケロッとしているのを見ると、自意識過剰な別問題なのかなとも思…いやそれを言ったらこの話、最初っから自意識過剰のかたまりなんだけど!!)
よくわかんなくなってきた。つまり私は自分の価値をどうおけばいいのか、こういうこと悩むにしてはちょっといいトシしといて、悩んでるんだろうな。うんうんそうだ。すっごいがんばってチヤホヤされたい自分は心のどこかにいて、でもそれを恥ずかしいって思う自分もいて。
こんな業界にいると、自然と、本当に自然と、オタサーの姫みたいになりかねなくて、美人すぎる○○がそんなでもない事件のちっさいちっさいバージョンが私を主人公に起こりかねなくて、それが怖い。