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2014-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20140722151016

60-70年代生まれから行動パターンが変わった気がする

馬鹿が減った代わりにめんどくさい人間が増えた

俺は馬鹿のほうが気楽でいいし馬鹿でありたい

2014-07-05

生きるための武器文化資本か、よく生きるための知恵か

たぶん教養を、分野を問わない知識の定量的集積に「すぎない」と考えてる人はあんまりいないよね。

本1冊にしたって、カント浅田彰稲盛和夫マンガケータイ小説では人それぞれ重み付けが違うだろうし、逆に「そんなものを読んでいるなんて教養がない」と言う人だっているわけだし。

やっぱり、なんらかの方向付けや傾向があって、それによって何らかの能力権力が生まれるような、組織的な知識や見識の編成…って感じがするね。

はいえ、増田のいうマウンティングみたいな形で、誰か他人との上下関係を競うゲームに直接使える、高級な知識資源のことだけを「教養」というには、あまりに貧しい気もする。


さて(今よみなおしたら元エントリの冒頭で元増田も言及していたけど)フランス社会学で有名なブルデューという人は、70年代フランスでのいろいろな職業と、文化的選好を下のような図にしてマッピングしてる。ここで彼は「教養というのは、単なるお金経済資本)とは違う種類の資本文化的資本だ」というようなことをいってるのね。

http://www.ofda.jp/sakaushi/text/2004a/_img/fig03.jpg

この図では、聞く音楽、乗ってる車、好きな番組、休暇の過ごし方…なんかがさまざまな職業クラスタとむすびつけられているね。そして、図の左にいくほど「文化資本+/経済資本−」、右にいくほど「文化資本−/経済資本+」となっている。つまり金持ちじゃなくても教養があるのが右側、金持ってるけど教養には欠けるのが左側、というわけ。

経済学でいう「資本」には「蓄積保存でき、何かに投資でき、自己増殖できるもの」という含みがあるけど、ブルデューさんは「教養というのは、実はそういう点でお金に似てるんだよ、でも、それは必ずしもお金持ちという意味での裕福とは結びついていないけど、やっぱりそれ固有のパワーを持ってるんだよ」ということを実証的に明らかにした。日本的な言い回しなら「名家成金の違い」といえば体感できるよね。

教養文化的資本には階級の表示機能があるし、だから階級再生産することもできる。やっぱり趣味が近い人間はそういう人間同士でつるむものから、そのクラスタの中での「当たり前」な知識や所作価値観をお互いに共有・強化しつづけることになるし、そういうクラスタに属する家族では、子ども自然に同じような教養のセットを身に付けるよね(文化資本継承相続)。婚姻選択のときにも「いくらお金持ちでも一代限りの成金の家にはウチの娘(息子)はやれませんな」みたいなのがあるし。

つづくかも。

http://anond.hatelabo.jp/20140704205502

2014-05-04

∀ガンダムの本当にダサい場所

髭でもチンポコックピットでもありません

色です

あのガンダムカラーダサいのです

極彩色で塗られたギリシャ彫刻イギリス人勝手に削ったのは白人の優位性を高める為ではなく単にダサかったからです

ダビデ像に「子供が喜ぶから」という理由で赤青を付けたしオマケに黄色チンコにちょんっと乗せた結果が∀です

完璧にまで練り上げられた流麗なライン恥知らず俗物の様な色のおかげでギャグしか見えないのです

富野氏は当初ガンダムを全身白で統一する予定だったがオモチャにならんという理由で却下されたらしい

いつまでガンダム70年代のガキのセンスに付き合わされているのだ

2014-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20140425140814

たとえば「この作品は見ないといけない!」と言うもの以外を全部見てる人はどうなんだろう。

70年代以前と90年代以降の作品は全く観てないけど、80年代は全部観てる、という人はどうだろう。

結局のところ、こういったオタクを名乗る人間が前提とするべき必須知識というのは、感覚に基づく何の根拠もない個人的感想に過ぎないのではないか…。

2014-04-03

女性向けゲームについての記事がアホすぎる

野安ゆきおかいう人は初めて知ったけど、ゲームジャーナリストってバカでも名乗れる職業なのかね。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140402/262188/

日本で「恋愛を中心に据えた、女性ターゲットゲーム」の市場確立すれば、それは日本ゲーム業界が持つ大きなアドバンテージになるかもしれません。

なったらいいけど、ならないだろうね。

この野安とかいう人以外はみんな分かってると思うけど、あまりにひどい記事だったんで一つ一つ突っ込ませてもらう。

日本ゲームで最も足りない要素の1つが「恋愛」です

男性だけの市場はとっくに終わっている

ギャルゲー存在はどうした。

そもそもアンジェリーク自体ときメモだか同級生のヒットによって作られたんじゃなかったっけ?

書店には恋愛テーマにした少女漫画がたくさんありますし、DVDショップ女性向けの恋愛映画のコーナーがありますが、家庭用ゲームの売り場には、女性向けゲームのコーナーはほとんど存在しませんでした

全ての女性恋愛テーマの作品しかしまないと決めつけている。

こういう、勝手に「女性向け」の嗜好を区別して押しつけてくる人間は本当に不快。「男性向け」を押しつけるのと同じく差別的

ゲーム好きだろうとそうじゃなかろうと恋愛テーマが好きな女もいれば嫌いな女もいる。現実恋愛への態度と架空のそれへの態度も違う。

アンジェリーク」は時代を先取りしすぎたゲームでした。

アンジェリーク」は、女性向け恋愛シミュレーションゲームは大々的には売れない、という印象を残してしまったのです。

アンジェ等の乙女ゲー愛好者=全女ゲーマーではない。乙女ゲー嗜好は女性オタク全体で見ても少数派。男×女が好きなオタクでも乙女ゲ一好きとは限らないし、そもそも(女性特に)ゲームやらないオタクも多い。時代がどうとか関係なく、「ハーレクイン設定で恋愛ゲームしたい女」は元から多くない。

ただしゲーム業界全体で見ればアンジェの売り上げは大きくなかったものの、女性オタクの一部に強烈なファンを獲得したのは事実ゲームジャーナリストというならアンジェ開拓した市場について書くべきだろうに。

その結果、当時のゲーム業界女性ターゲットを絞るのではなく、 これまでのゲームに「女性も楽しめるような要素を足す」という形で、 女性ユーザーの取り込みを狙います

なんでこの人の中では「女性ターゲットを絞る」=「乙女ゲー」になってんの?

上で書いたとおり女性ゲーマーだけに絞っても「恋愛シュミレーション」を好きな層は多くないんだよ。

なぜなら全ての女性恋愛テーマの作品を好むわけじゃないから。「女性向け」と銘打って恋愛あげぽよ仕様にすれば女が食い付くとかそんなわけねーわ。

1994年プレイステーションの登場以降、RPGなどの人気ジャンルには格好いい男性キャラクターが登場するようになるのです

ストⅡのケンとかリュウとか女性に大人気でしたが。93年以前の男性ゲームキャラは格好よくないと言ってるも同然。

ゲームを楽しむ女性が大集団であることが可視化されてきたのです。そんな時代の流れを受けて、ゆっくりとではありますが、女性向け恋愛シミュレーションゲームが作られ、宣伝される時代になりつつあるのですね。

なんでこの人の中では「女性ターゲットを絞る」=「恋愛ゲー」に(ry

女性ゲーマー可視化されたら恋愛シュミレーションが作られるんですか、そうですか。

腐女子というのはネットスラングひとつ

ネット普及するずっと前からあった言葉だバカ。詳しくないなら調べるくらいしろ

ネット書店ラインナップを眺めてみれば、普通恋愛コミックに負けないほどの冊数のBLコミックが並んでいる

からなんで比較先が「恋愛コミック」限定なんだよ。あとBLコミックは「普通」の恋愛コミックじゃないって書き方は記者としてちょっと無防備すぎじゃないのかね。

海外にも同性愛嗜好の方は多数いますが、それらの人たちとは根本的なところが違いますので、ご注意ください。

いきなり何言ってんの感ハンパない

日本腐女子の方々は、自身が同性愛嗜好を持っているとはかぎらず

じゃあ海外腐女子は全員、自身が同性愛嗜好を持ってるんですか?

なんかこの人、ゲイほとんどは外国人かい偏見持ってない?

自身が同性愛者ではないのに、同性愛的嗜好を持つコンテンツを楽しむ、というのはキリスト教文化圏では発達しにくい趣味嗜好あり

海外=キリスト教文化圏と短絡しているのもあれだが、たとえばスラッシュ(海外腐向け二次創作)は70年代末に生まれたというのが定説で、24年組や第一回コミケより少し遅いくらい。

それが今じゃスパナチュのディーン/サム萌え腐女子ドラマ本編でネタにされるくらいメジャー

「発達しにくい」とか海外スラッシュファンダム見てから言え。

まさしく日本独自の市場として、ひそかに成長中です。

今までもずっと成長してきたし、つーか『好きしょ!』がアニメ化される時代に何ドヤ顔で「女ってこういうの好きらしいですよ、こうすりゃ売れますよ」とかやってんだ。

誰も聞かねえよそんなの、って言いたいけど結構割合鵜呑みにする人もいるんだよなあ。


しか海外ゲームジャンルでは日本アニメっぽい美形男性キャラが少ないと言われてるようだが、女向けにイケメンキャラ出しときゃいいだろみたいな主張には心底腹が立つ。

ゲームに限らず女性にも人気が出た作品は、世界観ストーリーがしっかりしていて男女問わず楽しめる質の高い作品だったからこそ売れただけ。

女性ターゲットにしていても手を抜いたら売れないし、むしろ悲しいことに手を抜かなくても女性男性ほどゲームに金使わないってのはBLゲーで大敗した企業はとっくに分かってるはずだ。

乙女ゲー嗜好はニッチだし、BLゲーニッチな上に好みが多様すぎて採算取るのが難しい。

からほとんどのゲーム制作者は「女性向け」ゲームには進出したがらないわけで、その分そこをあえて挑戦してきた制作者には敬意を払いたい。

個人的には女性ゲーム需要を掘り起こすには「オシャレ感」と「コスパの良さ」は重要だと思っている。

男性向け恋愛シュミレーション性別逆配置だけで売れるほど、単純じゃないってことだ。

2014-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20140212000510

人間以外の何らかの知的生命体について考えてしまうのは、思考上のトリックに過ぎない。

「慣れ」と言ってもいいのだが、過剰な敷衍が発生してしまっている。

それは死後の世界について考えてしまうのと同様で、存在しないものについて思考しようとしている。

…という前提で言うと、そういった慣用的な思考を真似することによるフィクションというのは確かにちょっと面白いところはあって、

追求していくと幽霊神様のような存在に繋がる。

ただし、あくまでも物事の本質ではなく影のような存在であるので、囚われすぎると元々の目的を見失う危険性は常にある。

(どう転んでも「人間以外の知的生命体」はただの手段でしかない)

元々の目的

フィクション目的エンターテインメントであってそれ以上ではない。(が、君は他人を楽しませようとは思っていまい)

人を楽しませる以外の目的があるとすると、メッセージ性だが、

メッセージ性は社会全体についての問題意識が土台として必要で、君にはそういう問題意識はないように見える(のでこの方向性お勧めできない)

あるいは芸術家という位置づけならば、単に自分衝動に従っていいと思うものを作ればよい。

だが、この道は険しい道で死屍累々製作を続けることのできる財力と時間がなければ早晩潰えるし、個人資本ではクオリティの向上が見込めない。

死ぬまでがんばってもしょぼいものしか作れない。(新海誠みたいに自分で絵が描けるとちょっと違ってくるんだけど)

個人でできる創作活動とすると小説家もっとコストパフォーマンスがよいのではないか。

狂った幻想をどんどん撒き散らせる職業としては漫画家なんかもいいんだけど、これも画力要求されてしまう。

だいたい読んでいて頭痛がしはじめる作家で言うならば、新井素子筒井康孝が君の考えていることに近い。

山田正紀なんかもかなりイカれている。

70年代くらいの日本SFを読むといいんじゃないか。

2014-02-11

暁美ほむらは俺なんだ!」と叫ぶtyokorataに催す吐き気とはなんなのか

ミストバーン暁美ほむら鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251

タイトルからして吐き気を催すなにかを感じるッ!

邪悪とか漆黒意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!

ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。

tyokorataとはなにものなのか

名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだってバカッターで言ってた。

原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ

でも結局は自分に自信がない現れらしい。

とにかく家族関係コンプレックスがすげーあるらしい。

口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。

ぶっちゃけまどかマギカ特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。

そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。

今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。

最初に言っておくけど、あいつの見てるほむら原作ほむらじゃない。

ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。

から叛逆で見せたマミさん杏子に対する捨てきれない情とか、さやかなぎさ蘇生させた部分があるという「功利」はない。

からくりサーカスフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。

その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。

Phantom鬼哭街沙耶の唄Fate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから

サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいクレイジーサイコホモだし。

でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。

それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。

ちなみに彼にとって虚淵藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。

少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生藤田先生がそういう人なのは分かる。

別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言吐き気を催すわけで。

母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。

姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族意見に対してキモオタ的な蔑視コメントを吐いてたと思う。

他に好きな作品はジョジョダイの大冒険藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガンヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。

あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用70年代90年代が多い。

別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。

問題は嫌いなキャラはかなり多い。

まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボール悟空しょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョ藤田作品の下衆キャラと同類扱い。

エヴァアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。

嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむら悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)

しかエヴァ時代のノリをまどマギ投影しちゃってて、しか虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。

虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風投影されてるかっていうとね。

「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。

そういう善悪も結局は流動的なのにね。

まどマギ以前のtyokorata

ドラゴンボール』の悟空碇ゲンドウ共通性について - tyokorataの日記

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659

こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。

あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空キャラ性はあながちブレてなかった。

問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。

ジョジョ記事は全体的に楽しかったんだけどねぇ。うん。

ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。

まどかマギカ以後のtyokorata

まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。

賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。

しかもどんどん「邪悪ほむら」像が蔓延して行って、「まどかほむらキモがってる」とかそういう前提でね。

ほむらフェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー

http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043

いやほんとこの人何言ってんだろ。

つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。

からほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?

別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。

叛逆ほむら民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いもの無視してるでしょ。

そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。

余談

本当に久々にあいつの日記を見たけどこんな事のたまっていた。

>ジョジョ少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです

何言ってんだこいつ

要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。

> きもちわるい

ですよ。

> 私は貴方じゃないもの

> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!

ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます

どうしてあんな吐き気を催すキモい人になっちゃったんだか。

追記

別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影うんざりするというだけです。

碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、

そもそも「自己投影やすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作キャラをゆがめる手法のもの

他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。

そういう態度が「吐き気を催すキモさ」を感じるんですよね。

もうちょっと他人を認めてもいいのに。

2014-01-19

2001年宇宙の旅》を観て思う

「午前十時の映画祭」でやってる《2001年宇宙の旅》見てきました。

http://asa10.eiga.com/2013/cinema/312.html

21世紀って夢がいっぱいだったよな

原題の《2001: A Space Odyssey》を《2001年宇宙の旅》と訳したセンスが素晴らしい。

公開が1968年で「21世紀なんて遠い話だけど、その頃には色んなことができるようになってるんだろうな」と思ってたはず。

60年代だけじゃなくて、70年代80年代ひょっとしたら90年代でも「新世紀は素晴らしい世紀だろう」と思ってた。

そしたら「宇宙の旅」ぐらい当然できるよなあ。

そしていつの間にか21世紀になった。

インターネットを当たり前のように使ってるとか、スマホが普及してソーシャルメディアが凄いとか、

確かに素晴らしいんだけど、なんか憧れてた新世紀が、実際に生きる世紀になったら、ちょっと感覚違うね。

大事なことは解らないけど、気にせず生きてるよね

映画では「人類夜明け」のセクションで、ヒトザルがモノリスに触れることで、道具の使用を身に付けたことになってる。

確かに長い歴史の中で、ヒトが偶然に道具を使うことを覚えたというのは、ちょっとどうなんだろうと思うところもある。

何かどこかでブレークスルーがあって、サルからヒトになったんだろうけど、それは何なんだろう。

映画では、それはモノリスで、何か人外のもの人類に与えたとされてる。

本当にそうなのか、どうなのかは解らないけど、これらのシーンを観て、

宇宙の果てもどうなってるか解らないし、死んだらどうなるのかも心がどこにあるのかも解らないし、

モノリスくれるような神様みたいのがいるのかも知れないし、いないのかも知れない。

そういう本当に根源的なところは何一つ解らないのに、判断の根っことなる部分が解ってないのに、

なんだか毎日解ったような顔をして判断してるよなあと思った。

明日会社に行ったら「こんなサービスを世の中に出して良いのか」というのを悩むんだけど、

そもそも我々はなんなのかも解ってないのに、こういう問題は真剣に悩めるのが実はすごい。

http://anond.hatelabo.jp/20140119001755

ブコメでも言ってる人が複数居ますが、鯨肉・イルカ肉食とそのための捕鯨イルカ漁を偏った観点から非人道」的と言われることはちょっとどうなんでしょうね。先のケネディ大使ツイートは,真に「国際的」観点というより一部の欧米文化における価値観からの批判のように思えます。ということでちょっと学術チック(?)なバックグラウンドの補強を…需要ないかもしれませんが。

わたしは今20代後半なのですが、少なくとも個人の経験の中で鯨肉を食べたことはありません。父や母からは鯨肉が給食に出ていたと聞いた覚えがあるという程度です。そもそも鯨肉食、お今の日本ではどれくらい一般的ものでしょうか?経験的に言っても牛肉豚肉より食べられていないことは確かで、たとえばクックパッドで「鯨肉」と検索すると、37件しかヒットしません。

http://cookpad.com/search/%E9%AF%A8%E8%82%89

やはりそれほど一般的現代食文化とは言えない様子。そもそもわたしが鯨肉を食べたことがない理由の一つに、70年代米国での商業捕鯨禁止を受け、80年代後半(つまりわたしが生まれた頃)にIWCが国際的にそれを禁止にしたことがあると思います。鯨肉は入手がしづらくなり、日本人にとって一般的な食料ではなくなりました。わたしは鯨肉を食べる文化に抵抗はありませんが(父や母の話を聞いていたからか?)、自分では進んで食べることはこの先ないと思います元増田を書いた人も恐らくこういう感覚の持ち主ではないでしょうか。

続いて英語圏レシピサイト(たとえばfood.com)で「whale meat」を検索してみると3件。そのうち2件がアラスカの鯨肉シチュー、1件はトンガ料理からコピーされたものです。

http://www.food.com/recipe-finder/all?layout=desktop&inclingre=17714

クックパッドのほうがレシピの母数が3倍くらいあるのですが、それでもやっぱり英語圏人間米国人に限らない)にとって鯨肉食は身近な文化でないことがわかります米国歴史家ナンシー・シューメイカーによれば、ほとんどの米国人が鯨肉を普通食材normal diet)として見なしたことがないそうです。

以下は彼女論文から受け売りです。実はニューイングランド先住民は鯨肉を普通に食材として見なしていました(シューメイカーはもともと米国、主にニューイングランド先住民史を研究している人です)。ただ欧州から入植してきた人々はそうではなく − 19世紀、ニューイングランドへ入植してきた人々は鯨の油やひげが高く売れるため鯨漁を行いましたが、鯨肉は先住民に分けるか捨てるなどしていたのです。鯨漁師(というよりは捕鯨業者)は海の上では食料に困り、鯨肉を食べることもありました。しかし彼らやその家族日記に、本物の肉が食べたい…という趣旨の記録があるとのこと。つまり鯨肉は彼らにとって「肉」ではなかったのです。入植者であった捕鯨業者は鯨肉を食べる人々を牛肉を買うには貧し過ぎる(too poor to buy beef)と考えていました。端的に言えば所謂皆さんが思い描く現代の「米国人」の鯨肉食に対する嫌悪感はこういう由来もあるのです。我々とは違う先住民(primitive other)が食べるものなんて食べられるものか。米国70年代に、鯨肉の食物としての不法性(illegitimacy as food)を理由にほとんどの商業捕鯨(「伝統的な(traditional)」捕鯨を除く)を禁止にしました。

要は、こういう風に批判されることは「日本捕鯨イルカ漁は文化ではなく商業から非人道的」という含みが少なからずあるのでしょう。でも、食べるためにではなく油とひげを売って儲けるために「商業捕鯨をしていたのはもともと米国入植者なのです…日本をはじめ、古くから食料にするための捕鯨歴史がある民族(たとえばノルウェーフェロー諸島西インド諸島トンガなどの人々)にとっては捕鯨のもの文化であると同時に、捕鯨に関する文化(たとえば絵巻物など)もたくさんあります

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kujira/

日本捕鯨イルカ漁は、伝統文化でないというのでしょうか?シューメイカーは米国視点世界中捕鯨を取り締まる…そういう単文化的視点警鐘を鳴らしています欧米の一部の国から商業捕鯨に対する風当たりが強くなった結果、80年代後半生まれのわたしは(そして恐らく同世代日本人は)少なくとも鯨肉をもう「普通食材normal diet)」とは見なさなくなっています。まあ伝統なんてそんなもんと言われればそれまでなのですが、よく言われるように、欧米けが世界」ではないでしょうし、このような批判に安易迎合するようではどんどん伝統とか失っていくんじゃないですかね、ということです。グローバル(笑)時代伝統とか笑える、と思う人も居るんでしょうが

ちなみにシューメイカーの論文はこれですが、

http://envhis.oxfordjournals.org/content/10/2/269.full.pdf+html

サブスクリプションがないと読めませんのでこちらのpdfで読めるほうを貼っておきます

http://www.hcs.harvard.edu/eac/wp-content/uploads/2012/04/3986115-1.pdf

2013-12-25

映画史勉強について

まず「アメリカン・ニューシネマ」ってムーブメント60年代後半から70年代にかけてあったことを知りましょう。くわしくはググれ。そんで代表作とか一通り観ろ。

その元祖たる『俺たちに明日はない』はフランスゴダール勝手にしやがれ』のパクリとまでは言わんけどそれに近いものであるということを知りましょう。

次にゴダールは「ヌーヴェルヴァーグ」というフランス50年代後半から60年代にかけての運動旗手であったことを知りましょう。

とりあえずヌーヴェルヴァーグについてはゴダールトリュフォーの初期代表作をググってざっと観ましょう。ゴダールは難しいので分からないならそれはそれでいいです。

ヌーヴェルヴァーグイタリアにおける自然主義の影響がすごいので「ネオレアリズモ」でググって適当代表作を観ましょう。

ヌーヴェルヴァーグは他にハリウッド黄金期やヒッチコックを高く評価していたことを知りましょう。

というわけでジョン・フォードハワード・ホークスビリー・ワイルダーウィリアム・ワイラーフランク・キャプラあたりのオーソドックスハリウッド黄金期の名作を純粋に楽しみましょう。

ヒッチコックは『逃走迷路』『見知らぬ乗客』『ロープ』『裏窓』『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』あたりでも観ましょう。これらがどうすごいのかはググれ。

ヒッチコック技法1920年代の「ドイツ表現主義」の影響がすごいのでF・W・ムルナウ吸血鬼ノスフェラトゥ』とかフリッツ・ラングとかローベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』を観ましょう。ググれ。

ムルナウの『サンライズ』でモンタージュという技法の巧みさを知ったところでグリフィスの『国民の創生』とかエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』あたりでも観てへーって思っておきましょう。


あとまぁホークスとかに多いけど「スクリューボール・コメディ」っていうのがあるんだが適当にググってくれ。

コメディ映画史おいてはチャップリンとかマルクス兄弟とかバスター・キートンがその前の下地としてあるのは知っとくといいよ。

現代映画だとウディ・アレンとかかな。キートンは『将軍キートンキートンの大列車強盗)』『キートン探偵学入門』あたりはすごい。


他にもホラー映画史とか戦争映画史とかミュージカル映画史とか西部劇史とか「フィルム・ノワール」とかいろんな物差しがあるんだけど小休憩終了につきここまで。

そんじゃーね

2013-12-20

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131220-00000054-mai-soci

数年置きに必ず「80年代ファッション流行っている!」みたいなニュースが現れて、実は全然流行ってないっていんだけど、これ誰が流行ってると言い張ってるんだろう。

必ず「60年代70年代が復活しても80年代だけは絶対ないわ」って結論で終わるのに。

そもそもスタジャン90年代でも00年代でも普通に売れてたわ。得に90年代後半のレプリカジーンズブームは80年代反省からちゃんとしたアメカジ志向したので、スタジャンもちゃんといいもんが出て、売れてる。

2013-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20130908234322

そのページだけざっと読んだ。

感想:あーーーー、ノストラダムスを知らない世代か。いや知識としてのノストラダムスは知っていても、70年代から99年8月までの、あのノストラダムスが巻き起こした空気感!知らないのかー。「1999年」というものオリンピックの比ではないくらい強く強く強く意識していたのだよその頃(80年代くらいがメインかも)の日本人は!99年というかなり先の未来に私はどうしているのか世界はどうなっているのか!

その空気の一端の一端の一端(全然全部をあらわしきれないが)は、漫画「ちびまるこちゃん」の単行本のどこかに載っている。機会があれば「全巻」読んでみるといい。ちなみのこの「全巻」というのはこの漫画のそのシーンへのオマージュとなっている。

2013-07-01

http://anond.hatelabo.jp/20130701015006

どこを見てそう思ったのか知りたい。

左翼っていうより典型的60年代70年代前半の反動ノンポリだと思うけど。

もしかして、世の中右と左にきれいにわかれる(右でなければ左)って思ってるのかな。

2013-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20130612233039

中学は手書きじゃないか

うん、外枠は印刷したもので内容だけ手書きだったな。

でも、その頃は80年代初頭か70年代だったから、そもそも実用的なPCすら無かった時代だったしなぁ。銀行オンラインですら、今より遥かに未熟だった時代だしw

高校は工業系だったけど、ミニコンで動いてる成績管理システムがあったし(後に32ビットPC98数台で稼働するようになったみたいだが。流石に今はどうなってるかは知らんが)、それが普通だと思ってたよ。

高専でも同じようなもんじゃないの?

2013-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20130511224233

オッス、元増田です。ご検証ありがとう礼儀としちゃ言うべきなんだろうけど、そんな話じゃないんだけどなーという印象。

「僕らの世代は実際には手塚漫画を読んでないのね」は主語が大きすぎてなんともですが、個人的には少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」終了後も「七色いんこ」や「ミッドナイト」はよく読んでました。「ゴブリン公爵」は忘れてください。

また手塚クラスになると過去の名作に触れる機会も多く、「火の鳥」(「太陽編」の前まで)は朝日ソノラマ版で読んだし「ブッダ」も床屋で読みました。

ここで全称命題の話にしますか(笑)前世代、前々世代比較すればあながち的外れ考察でもないと思いますけどね。もちろん統計データなんてありませんけど、クラスほとんどが読んでいた、半分くらいは読んでいた、5人くらいは読んでいた、と比較すればほとんど読んでいないという大きな主語は、この場合、個人的にあれも読んでいた、これも読んでいたというのよりはよほど実態に即していると考えます。それともそれこそ何か統計的なデータでもお持ちでしょうか。

1971年生まれで、チャンピオンを追いかけている人は相当稀少だったのではないでしょうか。何といっても同時代的には「ドラゴンボール」「北斗の拳」「聖闘士星矢」「キン肉マン」などのジャンプ黄金時代だったわけですし、6割ジャンプ、2割マガジン、1割サンデー、残りの1割でその他というのが実感です。70年代黄金期を過ぎてのチャンピオン凋落ぶりは言うまでもなくて、看板作品でも老若男女誰でも知っている作品というのがもうここ30年ないですよね。

たとえば週刊ポストには「弐拾手物語」が長期連載されていましたし、週刊プレイボーイ本宮ひろ志の「俺の空」を載せたり平凡パンチ岡崎京子の「ジオラマボーイ パノラマガール」を連載してました。

漫画が一般雑誌に掲載されたのは大昔にはあるかも知れないけど80年代の文脈で言えば手塚だけだったね」は勇み足というか、元増田の興味に引っかかるのが「アドルフに告ぐ」だけだったもの想像します。

いやまあ「一般雑誌」は週刊朝日週刊新潮週刊文春のみというなら別ですが。

ま、これは確かにそうですね。一般週刊誌は文春、新潮朝日のみというのが感覚的には正しいと思います。この三誌とそれ以外では、オーソリティがまるで違うからです。この三誌がクオリティマガジンとは言いませんが、WILLに連載するのと、中央公論に連載するのとでは全然意味が違うのと同じです。ロッキード事件リクルート事件など社会的な問題でたびたび尖兵となってきた雑誌と、スポーツ新聞に毛が生えたような雑誌とでは社会的意味が違います。それは現在に至るまで、掲載されている作品の内容でも歴然と異なります

特に80年代は、週刊文春花田体制の下、絶頂期にあって、100万部を毎週越えるような規模としても内容としても一軍でしたから、基本的には政治経済、時事的なトピックでそれだけ中心的に扱われているメディア漫画が乗った(プレイボーイならいざ知らず)ということ自体がトピックであったという意味で、アドルフの例は出しましたけどね。ただしアドルフ以後、この三誌での漫画連載は定着しませんでしたが。

ブコメで「サンコミックス昭和40年代に出るまで単行本ハードカバー普通、ただし人気作しか単行本化されなかった」とあります

80年代記憶でいえば「のらくろ」の復刻版がハードカバーで出てました。

純粋ハードカヴァーの作品自体であれば貸本屋漫画は基本的にハードカヴァーでしたし、店頭でよく見かけるものとしては、学研の「ひみつシリーズ」もハードカヴァーでした。ただしサンコミックスなんてほとんど誰も知らないように、社会的景色の話ですからマニアックな話をしてもしょうがないわけです。平積みにされて、多数の人が「おお、漫画ハードカヴァーになる時代なんだな」と認識することが重要であって、消費物としてではなく作品としての漫画芸術としての漫画という意味合いを一般化したのは手塚がやはり尖兵であったという、そういう話です。「火の鳥」と「のらくろ」のどちらが先なのかは分かりませんが。


赤塚さんはあと、コロコロでは「花の菊千代」を連載しています。その後、ボンボンでも何作か連載していますが、知る人ぞ知るという程度の作品で、連載作家として仕事はしていたわけですが、雑誌の主力になるようなパワーはなく、その仕事自体が大御所としての余暇的なものであったと思います

2013-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20130131230732

これを読んで本田透萌える男』の一節を思い出したので、紹介しておく。

かわいらしいキャラクターに胸をときめかせて癒されるという萌え文化の源流のひとつは、アイドル文化にある。70年代から80年代にかけては、空前のアイドルブームが存在した。しか写真週刊誌の隆盛によって、生身のアイドルキャラクターを演じきらせることは困難になる。三次元アイドルが次々と彼氏とのデート現場などのプライベート写真撮影されてキャラクター性を喪失させられるという構造が完成してしまったのだ。

かつて、アイドルファンの間では「アイドルトイレいかない」「アイドル処女である」という信仰めいた定説があったが、情報過多な現代では、生身の女性であるアイドルにそのような偶像性を求めるのは困難となった。そのため、三次元アイドルに代わって二次元キャラクター萌え対象として選択されることが多くなったのだろう。二次元であれば、写真週刊誌プライベート暴露される危険はない。

引用本田透萌える男』(ちくま新書2005年)p.33

これで二次元に行く男がまた増えるのだろうか。

2012-12-11

三年前、民主党政権が成立したこと自体、若い世代のかなりの数からすれば

素人集団に任せれば政治が混乱するのは明白なのに、上の世代が『学生運動の夢よ、もう一度』で政治玩具にした」

しか見えなかったわけですよ。結果、外交から経済に至るまで満遍なく混乱し、我々は青春のうち三年を失った。

で。なに、自民党第三極政権を取れば「軍靴の音が聞こえる」?「人権が失われる」? ああそうですか。

こちとら、「革命ごっこで日本をおじゃんにした、年金をがっちり掴んでる世代政治遊び」への恨みの方が、極右への懸念なんぞよりよっぽど深いわ。

戦争で人を殺すだの戦争で殺されるだのより、経済戦争に負けて飢え死ぬ恐怖の方が、こっちにとっては遥かに深刻でリアルな恐怖だよ。

からこそ若い世代自民党第三極への支持が集まってるんだろ? 年寄り寝言より経済をどうにかする方が先だってな。

あんたら革命ごっこを楽しんだ世代は、シルバー民主主義に守られて、戦場にも行かずに年金既得権益として墓場まで持っていくんだ。

革命遊びが70年代の次にまた終わったくらいで失望したとは言わせない。

2012-12-04

70年代後半~80年代前半にかけての漫画というかオタク文化

エスパー」がもてはやされていたのがよくわからん

当時のオタク達はそこに何を夢見たのだろう

2012-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20121201010640

神戸市北区

70年代に山の裏に作った住宅街都心回帰で荒廃して、無子高齢化して、この間複線化したばっかりの通勤電車まで廃止になることに決まったけど、さらに奥の、10年代になってから作った車が便利で新しい住宅街にはどんどん夫婦が入居して子ども作ってる。

地方都市ってどこもこんな感じなんじゃないのかなあ

かつての私鉄沿線に沿って住宅地が外に広がるドーナツ化が、都心部ドーナツの穴と、ドーナツよりさらに外のロードサイド郊外に二極分化していって、ドーナツ部分は廃墟になる

首都圏だとひとつの都県の中にさえ範囲が収まらないのと、ドーナツ穴部分がまだ栄えてて都心回帰も出来ないから、問題がややこしくなるんだろうな

ていうか日本人土地家屋に執着しすぎた結果じゃないのかな?

文化というより一度手に入れた土地家屋にしがみつかないと死ぬ不動産制度のものだと思うけど

古い世代が居座ったまま動かないから新しい世代は新しい開拓地を作って住むしかないわけで。

居座って先細った第一世代が「駅前商店街過疎化してる、大変だ!」とか騒ぐけど

そらお前らが居座って若い人に場所を譲らないんだから若い人の居場所ないじゃんっていう

そう言って私鉄沿線郊外に出ていった第二世代が「団地高齢化してる、大変だ!」とか騒ぐけど

子連れが越してきたら静かな住環境侵害されたってブチ切れるわけじゃんっていう

するとロードサイド郊外に出ていく第三世代が出現する←今ここ

2012-07-15

http://anond.hatelabo.jp/20120714232118

式典の真っ最中に壇上にあがって国旗を引きずり下ろした教員とか、国歌斉唱の時に突然立ち上がって「保護者の皆さん!君が代を歌うのをやめてください!」って叫び出した教員は60~70年代にはリアルにいたよ。

当時事件になって逮捕もされてるし、何故か教職員組合が全面バックアップして最高裁まで無罪を争ってたりする。もちろんどちらも負けてるけど。

2012-07-05

動物愛護団体の最大の矛盾動物園を容認してるところ

動物愛護団体保健所で毎年何千頭もの動物が殺処分されるのを黙認している。

またヒグマ事件に代表される動物による人身事故が多発してることに対して襲われる人間が悪いという主張を行う。

また一部団体になると、仮にイルカクジラ知能指数の高い哺乳類から殺すべきではない、しかコアラなど絶滅危惧種は害だからこれからも殺すべきだと主張する始末である

最近中部以北で判明した熊牧場での人身事故動物園形式なのだが、餌やりが十分でなかったり環境が劣悪だったりなどが挙げられているが、この際動物愛護団体は何も口出ししていない。

結局のところ、動物愛護団体は口先三寸なのである。野生の動物は徹底的に保護しましょうと宣言してるのに一方で家庭や動物園飼育されてる動物に対して無関心である

動物愛護団体矛盾はそこに利益があるかどうかではないだろうか。

たとえば、シーシェパードおよびグリーンピース欧米富裕層名誉と金によって設立した。クジラ捕鯨に関して、実は70年代後半からずっとミンククジラやマクジラは増加し続けている現状で捕鯨に関して非常に厳密な審査のもと捕鯨を行う日本などの捕鯨国に対して暴力による抗議を行っているが、実際は捕鯨反対の国が捕鯨賛成派よりも多く捕鯨しているという事実捕鯨委員会で報告されている。

動物愛護団体矛盾はそれが金になるかどうかであり、動物園のように利益の出るものは基本黙認なのも頷けるのではないだろうか。

2012-06-17

http://d.hatena.ne.jp/seraphy/20120519

これ、間接的には高齢化によって引き起こされている問題じゃないかな。

老人が政治を動かしてるでしょ?

老人のITオンチっぷりは、ネットに浸かっている人には理解しがたいレベル。正直、ITがわからないんじゃなくて単に頭が悪いだけなんじゃないかと思うほどひどい。けど、そういう人らがあまりに多いのを見ていると、単なる地頭の問題ではなさそうな気がしている。なんなんだろね。

それに、こちらから見れば、今の時代ITがわからなければ社会が理解できんだろうと思うのに、彼らは「自分パソコンが苦手」くらいにしか思っていない。パソコンはわからないけど社会のことならまかしとけ、とか思っている。そして、自分社会を良くできるしすべきだという変な自信と生きがいをもっている人が多い。

彼らはよくわからないものが怖いんだよな。そういう意味では魔女狩りという言葉はまさにピッタリだ。

ともかくそうだとしたらネットで反対をいくらとなえて共感得てもあんま意味ないな。IT教育が浸透して世代交代するのを待つしかないんじゃないかね。IT教育はうけてなくても70年代生まれくらいが老人になるころには変わるか。

ま、老人でなくても一般人ITリテラシーネット民の想像以上の低さだと思うけど。Twitterでバカが多く発見されているけれど、表面的にでもTwitterを使えているだけ上等。魔界は深く、奥底にはS級のバカがいっぱい潜んでいる。

2012-05-31

ダンスフロア

ダンス禁止条項については、ゆるく運用してもらえるならかまわないんじゃねという気もしてるんだけど、そうじゃないようなのでちょっとツライ。とにかくダンスフロアという場所はなくしてはいけないのではないか、ということをつらつらと考えてみたのでつらつらと残しておく。

まず20世紀後半のポピュラーミュージックというのは、おしなべてダンスミュージックであって、とくに70年代以降のブラックミュージックは大半がダンスフロアで開拓されてきたといっても過言ではないだろうし、ヒップホップ以降はカルチャー全体としてフロアと切っても切れない関係がある。

アイドル歌謡だろうかJ-POPだろうが、連続した律動によってひとを楽しくさせる音楽というのはすべてがダンスフロア起源がある。ダンスフロアゆりかごであり、先進的な実験である。おそらくこの認識あるかないかの違いは大きいんだろうなとおもう。

夜通しのダンスパーティーというのは結局のところ享楽の場所であり、享楽であるからこそ手を抜かずに音楽お酒も店づくりも凝る。「プラダを着た悪魔」という映画で「あなたが着てる大衆向けの大量生産品は、何年か前にトップモードがコレクションで発表したものだ元になっている」という台詞があるらしい(映画見てない)けど、音楽も同じだ。

クラブ健全場所か? という議論には意味がない。享楽の場所が「健全であるはずがない。とはいえ世の中には「許される範囲の不健全」というのはあって、たとえばアルコールは許されるほうに入っている。それを逸脱する行為があるなら個別に取り締まることもできるだろう。

そうではなく根源から、つまり深夜のダンスフロア自体を禁ずるというのは、芳醇な音楽実験場を国内に作ってはいけないということに等しい。音楽をこれ以上イノベイトするなというに等しい。

もちろん既存ロックポピュラーミュージックのようにすでに花が咲いていてそのジャンル内での発展が期待できる音楽はいくらでもある。ただ、ダンスフロアポピュラーミュージックの基礎研究だ。それが法律で禁止されている国からは、ほんとうに新しいポピュラーミュージックの萌芽はありえない。

重要なことなので繰り返した書くけど、ダンスフロアダンスミュージック全体のゆりかごだ。睡眠時間を削ってまで、公共交通機関が止まっている時間にもかかわらず、暗い狭いあなぐらに人が集まってくるのは、ほんとうにほんとうにダンスミュージックが好きだからだ。そういう先鋭的なクラウドに向けて、もっとも新しいダンスミュージックのあり方が模索され、実験される場所。それがクラブだ。

そして、あなたがふだん聞いているJ-POP。それは何年か前にクラブシーンで生まれた実験的な試みが、回りまわってわかりやすい形で聴きやすくなって流通されるようになった結果かもしれない。スポーツだってそうだろう、トップアスリート向けに研究された成果があとあと大衆に回ってくる。

ダンスミュージック一定ビートを鳴らし続けることでひとを楽しい気持ちにさせる音楽。それは深夜のダンスフロアから生まれる。それ以外のどこかではない。そして、いま世界流通している大衆向け音楽の大半は、ダンスミュージックである一定の止まないビートベースとした音楽であるダンスフロアを禁止することは、大衆音楽もっとも先鋭で先進的な場所を認めないことに等しい

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