はてなキーワード: 末っ子とは
彼の名は、ジョン・ハミルトン。彼はアメリカの西海岸の小さな町で生まれ育ちました。彼の家族は中流階級の家庭で、3人兄弟の末っ子でした。父親は自営業者で、母親は専業主婦でした。
ジョンは学校で優秀な成績を収め高校を卒業した後、地元の大学に進学しました。大学で彼は経済学とビジネスの勉強をしました。卒業後、彼はいくつかの大手企業で働きましたが、自分自身のビジネスを持ちたいという夢を追い求めていました。
ある日、彼はコストコで大量の商品を購入したことからビジネスアイデアを思いつきました。彼は、商品をそのまま販売するのではなく、希望する人たちでシェアする事業を始めました。コストコで購入した商品を適切な分量に分け、顧客に提供することで、顧客が必要な量を手軽に入手できるようにしました。
最初は小さな規模で始めたこのビジネスは、地元の人々から好評を博し、すぐに成長しました。ジョンは事業を拡大するために地元のコミュニティセンターに商品を提供することから始め、徐々にその範囲を広げていきました。彼のビジネスアイデアは、人々の需要と好奇心を刺激し、口コミによって急速に広がっていきました。
ジョンは、ビジネスが成功することで自分自身や彼の家族を経済的に支援することができ、地域社会のためにも役立つことを実感しました。彼は、自分自身の夢を追い求めることができたことを誇りに思い、多くの人々に役立つことができたことを誇りに思っています。
19歳 浪人
21歳 勉強
22歳 勉強
26歳 修了
27歳 不合格
我が家は金持ちではなかった。家は小さな戸建てでしかも借家。父は中小企業のサラリーマンで母は専業主婦。なぜ上記のような甘えた生活が可能かというと俺が一人っ子だから。
俺は同じ地区に住む同い年の幼馴染が小さい頃から好きだった。彼女の祖父や父は医師で、大きな自宅に住んでいた。4姉妹の末っ子の彼女はとても優しく、純粋で可愛かった。小さい頃は格差など気にせず遊んでいた。彼女の両親は優しかったが、彼女の祖父母は俺を見下して蔑んでいた。だから勉強して偉くなりたかった。別に勉強して偉くなった所で幼馴染と付き合える保障など何も無いし、そもそも男としてすら見られていなかっただろうが。それでも某都立校に受かった時や、一浪で東大落ちだが早稲田に進んだ時彼女は自分のことのように喜んでくれたし褒めてくれた。それがとても嬉しかった。しかし、認められたい一心で不相応な目標を立てたが故に一度きりの人生を破壊してしまった。
ちなみに彼女は幼稚園から大学までエスカレーターで女子大を卒業した後に、父の医療法人に職員として入り、昨年医師の男性と結婚した。つまり俺がこれからどのように努力しようが、幼馴染と何かが発展する可能性はない。
正直受かったところで自分の現状だと法曹職は無理だろう。つまり仕事を探さなければならない。受からなければ勿論仕事が必要になる。
絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護、製造、土木、物流、営業。しかし、ここから探すことになるだろう。つまり父親よりも低賃金な人生となる。また、ジャック(レオナルド・ディカプリオ)のようなイケメンコミュ強なら底辺でもローズ(ケイト・ウィンスレット)のような上流の女性を射止められるが、自分はイケメンでもなければコミュ力もないので上記の職に就いた瞬間に生涯独身が決定する。
人生100年といわれる時代(上記の職に就けば100年生きるなど不可能だが)に生きていながら、20代で人生が終了した。人生は10代後半から20代前半までの「10年かけたスタートダッシュ」で結果が決まる短距離走である。
刑訴の証拠法に関する論文問題を解き、インスタントラーメンを食べながらこれを書いた。最後まで読んでくれる人がもしいたなら、敗残者の長い長いつまらない駄文に付き合ってくれてありがとうと言いたい。
以下のくだりが、とても印象的だった。
その時にわたしの出身地の名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。
その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分も神戸出身でさ」と言われた。
恥ずかしい話、「神戸出身だから」と言われて私は何も分からなかった。
私は自分が地震と津波の被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。
「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。
その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。
自分だけが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。
ただ、被害者という言葉で共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災を経験したひとと、東日本大震災を経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験の共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの。
多分、増田は上記の言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。
ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマの性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北のもっとも大きな漁港のひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社と生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。
しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。
他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年の津波の前から漁港で生計を営んでいた。1933年の津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所で人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波の記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前、東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。
大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人の末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家筋からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉で自身のつらみを含ませて表現したのだった。
父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情。
個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。
たとえ、誰と震災の経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。
震災を経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波の破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。
こうしたファミリーヒストリーな視点でそれぞれの思いがある一方で、
上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウムの事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて
やっと気づいた。
という上司の言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロな視点での気づきをもたらすのも災害だ。
そして、それが何かの理由で、自分自身のファミリーヒストリーや神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分のある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマのなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。
実をいうと、よりマクロな視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性が被害を増幅させている、という視点を最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。
1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理の文脈で救援対象として、比較的ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市の社会構造の脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年の震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災が自分が仕事として防災の世界に入るきっかけを作った。
神戸の都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入、低所得層が脆弱な埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀の鉄道の時代に入ると、阪神間の交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地に住宅地を建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代、都市の生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸の産業のシンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者、低所得者ばかりとなった(インナーシティの形成)。
これに対して1980年代、神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済の再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設、物流機能強化のための明石大橋建設、最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。
その一方、社会の脆弱層への支援、行政による市街地の再生は後手に回っていた。
オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域、長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地(長田区のスラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったかは番町地区で検索をしてほしい。
このような経済格差や脆弱性が生み出された、マクロな構造変動のなかで襲ったのが1995年の大地震であり、被害が社会経済的に脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。
社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害が高齢者、低所得者に集中したのは、ある意味、歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロな政治的・経済的な動向と切り離せないということだ。
そして、このような格差や脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコとシリアの大地震でも、当てはめることができる。
このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつのきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。
パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。
また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロな特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっとも重要なエントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。
だから、トルコとシリアで現在進行形の震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロな視点で、特定の家族や地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGOや支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係でSNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権が物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分が支援したお金が支援先の一家族あたりの支援額(しかも第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。
そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。
というのは、居酒屋のトイレの洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。
災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。
先月、母や姉妹が東京へ来て、観光やディズニーを家族で楽しんだ。
姉たちが来る前、私と共に舞台観劇をするために母一人で東京へ前日入りした。
1日母と過ごした時のモゾモゾの気持ちを書く。
母は「母親」という仕事をとてつもなく誠実にこなした人である。
借金、女、隠し子と問題ばかり起こす父と離婚した母は、女手一つで子供三人を育て上げた。
貧乏だったとは思うが、あまり貧乏を感じなかった。衣食住は足りていたし、母の献身は愛として十分伝わっていた。
どんなに仕事がきつくても、私の悩みを遅くまで聞いてくれたし抱きしめてくれた母。
子供を持つかどうか選択し始める年齢になって、「親」のサンプルが凄すぎるから人の親になるハードルが激高になっているぐらいである。
母は父の悪口を全く言わなかった。愛があったのではなく、「私たちの世界で一人だけの父」という事実を腐すようなことはしないという矜持がそうさせていたのだろう。
しかし、家に浮気相手が突撃していたらしいので、浮気が原因なのは姉から聞いて知っていた。
そんな父は私が上京する前に癌で死んだ。家族に囲まれたうらやましい最期だった。
死ぬ前からうっすらと知っていたクズエピソードは、死んでからとんでもないものがポンポン出てきて驚いた。隠し子はその一つである。
そう、母は末っ子の私が成人するあたりから私を「大人」と認めてそういった話をしてくれるようになったのである。
私はもう「子供」ではない。母も「母親」でなくなっていくのかもしれないとなんとなく感じていた。それが自立ってやつなんじゃないの?なんて。
東京で久しぶりに会う母は、相変わらずお茶目で、相変わらずよく笑った。また子供の頃は絶対に見せなかった、小さな偏見もポロリとこぼしていた。
腕を組み、やいのやいのと買い物するのもとても楽しかった。まるで友達みたいだった。
横で歩いている時はあまり気づかなかったが、照明のせいか潤んで見えた母の目は一言で言うなら「慈愛」に満ちていた。
大きくなった子供が、あれこれと劇の考察を述べ、仕事の愚痴などを話しているだけである。
いや、「大きくなった」からこその優しい目なのかもしれない。
あんなに集団生活に馴染めず不登校気味だった子供が、ブラック企業で心身共に壊れかけていた子供が、ようやく安定した仕事につき、恋人との旅行の話をしていることに安心したのかもしれない。
たしかに「よかったね」と母は何度も言った。
「子供」から「大人」になったつもりなのに、母の目はどこまでも「子供を愛する母親」だったからなんだか嬉しいやら恥ずかしいやらで、気持ちがモゾモゾした。
「愛されてる」という事実をこんなにも突きつけられると人って泣きたくなるんだなと思った。
って思いました
・5段階評価:4
・あらすじ
帝国兵に追われる一行を助けてくれたサーカス団のアンネリーエとフリッツ。
助けてくれたことと聖城でサーカスを披露してくれたことへのお礼のため一行はフェスティバルのために一時的にサーカス団員としての活動を始める。
フェスに向かう途中、フリッツが盗賊団をやっていた過去が明らかになるも、アンネリーエは出自や過去は関係ないととく。
過去にアンネリーエが父親から団長の座を継いだ時に引き抜きをかけたライバルサーカス団の妨害、そして彼等の起こした魔獣騒動の後始末などを経て、アンネリーエのサーカス団はフェスを優勝し、団員たちも戻ってくるのだった。
・印象に残ったセリフ
アンネリーエ「人の出自や過去は舞台では関係ないって言ったでしょ?」
部下のフリッツが元盗賊だったことが判明した時、自分をある意味裏切った元団員達が帰ってきた時と繰り返し使われたセリフ。
・印象に残ったキャラ
アンネリーエ。
サーカス団の団長として、ドラゴンテイマーというパフォーマーとして、キス魔の女の子、若くして父親から団長の座を継いだことを不安で自身がない様、と幾つもの顔を見せてくれた可愛いキャラだった。
特に団長としてフリッツや引き抜かれた元団員達を許すシーンは尊大な雰囲気でそれでいて可愛くて好き。
・感想
面白かった。アンネリーエというキャラの魅力を描くこと一辺倒になっているのだけど、それをちゃんと書き切っててとてもよかった。
ドラゴンテイマーというパフォーマーとしての魅力、それから舞台の外ではキス魔で誰から構わずほっぺにキスをするエッチなところ、団長として全員を許す優しいところ、親から立場を継いだことを不安がるところ、どれも多層的なキャラ付けになってて可愛い。
元団員が戻ってくることをあっさり認めるところは特に良くて、自分はこういう時にぐちぐち色々なことを連呼しそうなタイプなので憧れる。
・5段階評価:1
・あらすじ
夢で見たお告げのためにホウライという街に向かう一行は、仙花焔職人のスオウと出会う、
彼は春節のお祭りのために仙花焔を作っていたのだが今年は竜脈泉のマナが枯れてしまったため上手くできないという。
竜脈泉の様子を見にいくと、たしかにマナが枯渇しておりその影響で魔獣がホウライの街を襲おうとしていた。
そこに街を作ったドラゴンのホウライ様からのお告げを受けて帰ってきた風来坊のクガイと再開する。
彼と共に再び竜脈泉に向かうと、マナを食い荒らすヴァルファレールが復活していた。
ホウライ様と100年前からの仲間であるキリン族のジョフクがヴァルファレールの周辺のマナを仙花焔の技術により取り除くことで打ち倒せると助言する。
ホウライ様とジョフク様の助けにより街は守られ、スオウの仙花焔が夜空を彩るのだった。
・印象に残ったセリフ
・印象に残ったキャラ
特になし。
・感想
色々と設定が出てきたが、スオウの家族にエピソードがどうにも上滑りしてしまい、のめり込めなかった。
故郷は大事なものだから、そこの住む街の人や全部を大切にしようという言いたいことはそりゃ大切なんだけど、もう少しそれを実感が持てるように描写して欲しかった。
スオウ、クガイ、シャオレイ、リンユー、ジョフク、ホウライとキャラが多いせいで、特にシャオレイとリンユーは状況説明セリフしかなく、キャラがいる意味が汲み取れなかった。
ジョフクやホウライといった圧倒的な強者が出てきて解決する展開も、それながらクガイやスオウが人間的な非超越者的な目線で語るところも、対比になってるように感じれず、総じて薄味だったと感じた。
・5段階評価:4
・あらすじ
死を司るタナトスに攫われ彼のためだけに舞を踊らされ続けていたフェリーチャを助け出したドラゴンのファントム。タナトスから逃げる最中にユーディル一行と出会い行動を共にする。
ムムはファントムがフェリーチャを助け出したのは同情ではなく恋心にあると見抜くが、ファントム自身は過去の経験とフォレスティエとドラゴンという種族の差から身をひこうとする。
故郷に帰ったフェリーチャだが、タナトスの手によって壊滅していた。
タナトスの独りよがりな愛を否定し、ファントムとフェリーチャは共に生き続けることを誓うのだった。
・印象に残ったセリフ
ファントム「頼む…… 俺に気づかせないでくれ。愚かな夢を抱いていることを……。」
フォレスティエに恋をしてしまったドラゴンが自身の気持ちに気付きたくないと独白するシーンのセリフ。
ドラゴンとそれ以外の愛はドラガリアロストの根幹だけにそれを悩むのはらしいシナリオでよかった。
・印象に残ったキャラ
ムム。
愛に生きるドラゴンの先輩としてファントムに道を示すところが印象的だった。
・感想
面白かった。大人しそうだけど舞が得意なフェリーチャと、独りよがりでそれを独占するタナトスと、ただただ自由に日の下で踊る彼女がみたいだけのファントムの三角関係ものだった。
何より過去の経験から愛に素直になれないファントムが可愛い。恐ろしい見た目なのに可愛いと思わせるのはまさにシナリオの力だった。
レギュラーキャラも、同じく愛に生きるドラゴンの先達としてムムが大活躍したのも、ゲストキャラを立てるだけでなく、レギュラーキャラもキャラ立ちを補強する良い展開だった。
最後に二人がハッピーエンドなのも好みだし、好きなシナリオだった。
・5段階評価:保留
・あらすじ
異端の異端審判者を名乗るクーガーとその相棒のハインヴァルトが突如村中の人間が一人の少女ラトニーだけを残して消えた事件を追うために聖城近くの禁断の図書館で情報収集を始める。
調査の結果、村の人々は禁断の図書館に本として納本されていた。
呪いを解くために調査を継続した結果、ラトニーこそが全ての元凶であるニャルラトホテプそのものであった。
ハインヴァルトの機転により窮地を脱し、村の人々も解放したが、偏在するもう一人のニャルラトホテプがハインヴァルトと同化する。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
決め台詞を噛みがちなハードボイルドになりきれないクーガーと、魔術の研究のために本を読むのが好きなハインヴァルトのコンビはどことなく仮面ライダーWぽいのが面白いクトゥルフシリーズの初回シナリオ。
ハインヴァルトがニャルに身体を乗っ取られて終わるという、びっくりするぐらい話が途中なので感想の書きようがない。ラトニーに関しても本人としての登場は一瞬で、殆どがニャルによる変身だし。これからシャドウオーバーメイデン、晩夏の使者に続いていくんかな?
男性同性愛の二次創作を好む人たちにヒットしそうなキャラ造形だけど、この辺は当時の熱も込みで楽しみのは難しいなあ。
・5段階評価:3
・あらすじ
フォレスティア達のお祭りスプラウトバンケットに参加した一行。そこでリュカは幼馴染である次期族長候補のララノア、アロマの研究に長けたシャストと再開する。
他種族ヒューマンであるユーディル一行が参加することに難色を示す族長たちの意見を変えるために、お願いを叶えてくれるエッグハントに参加することに。
アートを学びたいフルルと協力しながらゲームを進めていくが、タマゴを魔獣に奪われて困っているドラゴンのシームルグを助けるためにエッグハントを中断する。
無事卵を取り返すも、エッグハントに優勝できるのはただ一人。リュカはエッグハントの優勝によるお願いでの命令で他種族間の仲を取り持つのをヨシとせず、フルルに優勝を譲る。
しかし、シームルグを助けた功績からユーディル一行はフォレスティアに認められることになる。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
シャスト。
研究のためなら族長たちの無茶な命令も聞いてきた、ってくだり、絶対エッチなこともされたに違いない……
・感想
ララノア、シャスト、フルル、リュカと四者四様の願いを、ユーディルの王の立場から差配していきつつ、ドラゴンの問題も解決してて、短いシナリオの中にいろんな要素が詰まってて良かった。
特に他種族に関するお話は今後も出てくる要素だし、ほんわかしたお話の割に結構重要だったのかも。
ただ、要素が多い分薄味なのも事実で、まとまってはいるものの、もう少し濃い味のシナリオの方が僕は好きかな。
「仙境の空へ」
・5段階評価:4
・あらすじ
キリン族が過去に使っていた伝説に道具仙宝を封印して回っているキリン族のサンゾウと弟子のヒューマンのゴクウと出会う。
ゴクウが仙宝の力に飲まれて暴走してしまうも、サンゾウは師匠として何度でも導くことを誓う。
・印象に残ったセリフ
サンゾウ「私は私を信じます。私の…… 私たちの未来を信じます!」
ゴクウとの関係を悩んでいたサンゾウが良い意味で保留して未来を信じると誓う言葉。
・印象に残ったキャラ
サンゾウ。
疑似家族ものが好きなので、親代わりってキーワードだけで好き。
それだけじゃなく、親としての自分と、師匠としての自分の狭間で悩む姿が良き。
・感想
シナリオの構造としていては単純で登場人物もサンゾウとゴクウの二人だけとシンプル。
それだけにサンゾウの気持ちや、ゴクウの気持ちの描写が多くて満足。
特にサンゾウの親代わり兼師匠という立場に悩むくだりは可哀想だった。
二人の関係値は続きがあるみたい。まあ西遊記モチーフなのに堺正章、夏目雅子、おヒョイさんの三人しか登場しないわけないからそりゃそうか。
・5段階評価:3
・あらすじ
ユーディル一行の元で鍛冶屋をするが、地元で決着をつけそこなていたロッカ族のラズリーと鍛冶の実力を比べるため大会に参加する。
三姉妹は熊型のドラゴンアルクトスとのトレーニングでより力を付ける。
ラズリーとの勝負に勝った三姉妹は偉大な父親を超えるため今後も鍛冶の腕を磨くのだった。
・印象に残ったセリフ
特になし。
・印象に残ったキャラ
ルジィナ。
末っ子なのだけど、唯一父親から鍛冶の才能を受け継がなかった、と本人が思い込んでる思い込みの激しい子。
実際には鍛冶の水で締める工程の才能を継いでおり、次女と長女の工程の間を繋ぐ大事なポジション。
空回りしてる様が可愛かった。
・感想
三姉妹の微笑ましいやりとりが続くほんわかのんびりストーリー。
特に自分だけ才能を継いでないと誤解して空回りしてた三女のルジィナが可愛かった。
三姉妹それぞれの可愛いを描くのが主題で他のことはおざなりだけど、ソシャゲのシナリオとしては僕はこういうものだと思うし好きだ。
・5段階評価:2
・あらすじ
宝探しに島にやってきたユーディル一行は、宝を守っていたエルモ、それを奪おうとするタコ魔獣のバルバリアと出会う。
バルバリアに宝を奪われてしまい圧倒されるも、歌で魅了するドラゴンセイレーンの強力でそれを倒す。
・印象に残ったセリフ
とくになし。
・印象に残ったキャラ
とくになし。
・感想
ソシャゲあるある夏のイベントは水着実装キャラの紹介になるから薄い、の典型的なシナリオだった。
水着キャラの紹介と状況説明が大半でお話しらしいお話しがなかった。
とはいえ、その水着キャラに僕の好きなジュリエッタがいたのでそこは良き。
ジュリエッタ好きなんだけど、ここで話がほぼほぼ終わりなんだよなあ。
エルフィリスとの関係がなにか進展するエピソードを見たかった…… 見たかったなあ……
「Melodious Summer♪」
・5段階評価:2
・あらすじ
従者であるためと言い訳をして水着で楽しむことが出来ないでいるクラウだったが、セイレーンの歌を楽しむ姿勢に感化し、夏を満喫するのだった。
・印象に残ったセリフ
長い時を生きるクラウは嬉しかったことも忘れてしまっているのだけど、それを思い出す一幕から。
忘れるって寂しなあ。
・印象に残ったキャラ
クラウ。
ヒューマンとは異なる寿命を生きることの寂しさ、長く生きると楽しいことも忘れてしまう寂しさなど、もの悲しいエピソードから前向きになる展開で可愛かった。
・感想
主役のはずのセイレーンを食ってしまうほどにクラウの出番が多く、ドラガリの全体的なシナリオにもかかっている展開だった。
とはいえ、水着ガチャキャラの販促という側面はモロ見えで、シナリオの縦軸は薄く、キャラ萌え全振りなのもそれはそう。
・あらすじ
今までのやり直したい過去に向かうが、度々アスラムと名乗る謎の男に邪魔をされる。
仮面をつけたゼシアのところへタイムスリップしたところでクロノスが本性を表す。
アスラムが時間移動した起点である未来へ飛ぶも、そこではユーディルに全てを殺されたと語るナームがいた。
クロノスを倒すも、この未来で何があったのかはわからないままだった。
・印象に残ったセリフ
本編中ではずっと敵でほんわかエピソードがないのでこう思ってたんだなあとしんみりした。
・印象に残ったキャラ
アスラム。
時を巡って孤独な戦いに身を投じるの、格好いいけど悲しい。
その後の時系列がキャラストーリーで描かれてるんだけど、めっちゃ鬱いシナリオでかわいそうだった。
・感想
正直よくわからんかった。
ユーディル達が負けた未来からやってきたアスラムとクロノスとが交差するんだけど、この未来の話が何かあったことしか分からずモヤモヤする。
普通にメインストーリーと時間軸も繋がってるしで、イベントストーリーだけどこれ単品でどうこう言うエピソードじゃない感じかな。
アスラムのキャラエピソードとも絡んでるしで面白いけど、複雑だ。
・5段階評価:3
・あらすじ
突如姿を消したラトニーを追って不老不死の村ティンソムの村へ向かうクーガーとハインヴァルト。
村に向かう途中でラトニーを回収し、むらに宿泊することになる。
クーガー達は彼女の目論見がラトニーの内に眠るニャルを使った何かであることを見抜き、暗躍を阻止する。
・印象に残ったセリフ
クーガー「辛くなったり、悩んだりしたら、とりあえず笑っちまえ。」
直球でベタなメッセージだけど、まだ何も悪いことは起きていないという前置きありきなのが印象強い。
・印象に残ったキャラ
ハインヴァルト。
・感想
同居の両親は死んでしまった。介護頑張ったよ。後悔したくなかったから頑張れた。
愛情深い人だったからもらった愛情の半分でもいいから返そうと思った。。でも、もらった愛情の1/10も返せなかった。でも、後悔してないよ。だって頑張ったもん。
子供のころは、ひとりになってしまうなんて考えもしなかった。普通に結婚して、温かい家庭を築くことくらい簡単にできるはずだった。
両親とも早く親を亡くしていて、昔は仲人さんがそういう人はそれなりの人同士を結び付けて結婚してたんだよね。
幸せの薄い親だったけど、暗黙の了解で頑張って貧乏から脱出して幸せになろうねって誓って、毎日頑張ってた。
でも、長女を亡くし、長男、三女も亡くしてしまって、末っ子二男として僕が生まれた。
なんて血縁に運のない人なんだろうと思うよ。親を早く亡くして、その上子供を三人も亡くしてしまうんだもんね。
僕が生まれたときは、それはそれはみんな喜んで大変なお祭り騒ぎでね。
やっと念願の後継ぎが生まれた!神様仏様ありがとうございます。苦労の甲斐あってやっと人並みになれそうです、と。
それはそれは、大事に大事に育てられ、惜しみなく愛情を注がれました。
は?ゲイ?
もう、死んでしまうしかないみたいな絶望的なこの張り裂けそうな胸の痛みを分かってもらえますか?
いくらありえないありえないと狼狽え騒いでみても、どうすることもできないリアル過ぎるゲンジツ。
でも、僕のせいではない!もちろん、親のせいでもない!誰もせいでもない!
でも、僕はゲイで、このくそ田舎のゲイに理解のない世間の空気にまみれながら血を流しながら生きていくしかないのよ。
彼氏とは13年前に別れた。それ以来ずっとひとり。
毎日遊んでいた親友は県内1番目のエイズ患者となりもうこの世にはいない。
もうひとりの親友は、生徒に手を出して首になり、遠方で再就職するも、2年前に病死。
そして唯一の血縁者である姉に「あなたは自分で選んでそうなったのよね」と言われ、もう縁を切ってもいいと思っているくらい怒っている。
この人は何も分かっていない。分かろうとしていない。一番の理解者になりうるたったひとりの人なのに。
もうなにもかも自分の手から離れて行ってしまって、僕には何も残っていない。こんなの人生で初めての経験。
既婚の友人が当たり前のように子どもを産んでも、子供が欲しいと思えなくて、
理由を考えた時に母と娘の関係がキツかったからだと気がついた。
私の母は決して毒親ではなかった。
公務員でそれなりに働き、家事は父と協力し、教育にお金を惜しまなかった。
客観的に見れば良い母だが、人としての相性が私と合わなかったのだと思う。
今でも、保育園のお迎えにみんなは母親が来てくれるのに、私は祖父母であることが不満だったのを覚えている。
母は仕事をしていたし、私は三人目の子どもだったので、私が母に求める愛情と母が私に与えてくれる愛情は釣り合っていなかったと思う。
誤解されたくないのは、母が私を愛していなかったわけではないということ。
今となっては母の代わりに迎えに来てくれていた祖父母に感謝しているし、母も精いっぱいやってくれていたのだと思うけど、当時の私は寂しくて仕方がなかった。
ある程度大きくなると、自分が置かれた状況も理解し、妙に偏屈な子どもになった。
母は感情論の人だった。
私を叱る時、私が口答えをするとビンタをされた。
「そんな態度ならもう夕飯なし!」
と言われると、
「そうやって脅さないと子どもに言うこときかせられないの?」なんて言い返していた。
まごうことなきクソガキだが、別に間違ったことは言ってないと思う。
ちなみにこれに対する母の返答は
「言っても聞かないなら脅すしかないでしょ!」
だった。
大学生にもなると母とは程よく仲良くできるようになった。
そのまま結婚もした。
孫を楽しみにしている旨の発言もよくしている。
でも子どもを産みたいと思えない。
母は私がそんな風に考えているなど露ほども知らないだろう。
私はめちゃくちゃ漫画が好きだ。それで呪術廻戦を最近読んだ。食わず嫌いをしていたので、良くないと思って読んだのだ。多分120話くらいまで読んだ。
1週間前に一気読みした東京卍リベンジャーズの余韻冷めやらぬ中、わりと期待して読み始めた。
そしたら本当に面白くなかった。面白くなさすぎて、後半は面白さを探すために読んでいたが、途中で断念してしまった。以下面白くなかった理由。
1. 物語のフックが無い
私がこの漫画を読んで、魅力的に感じたのは、主人公の虎杖君だけだった。
超人離れした少年の中に、規格外の化け物が巣食うという構図がまず面白い(寄生獣を彷彿とさせる)。そしてその化け物も非常に圧倒的な力を持っている。チートみたいな能力を、主人公は最初から有している。
往年の少年漫画の主人公は、皆特殊能力を持ちながらも、それは徐々に目覚めていくものだった。ナルトしかり、黒崎一護しかり、ルフィしかり。であるから、最初からラスボスクラスの力を抱えている虎杖君の存在は私には面白かった。
ところが虎杖君以外の他のキャラには全く魅力を感じることができなかった。作中で登場人物がキラキラと輝くシーンが、読んでいて非常に少なかった。
全体的に、バトル、バトルの連続で、それは少年漫画らしくて良いのだが、それぞれのバトルに、"物語における引力"を感じない。
例えば、NARUTOの再不斬と白だったり、ハンターハンターのクラピカvsウボォーギンだったり、うしおととらの鎌鼬だったり、名作と言われる少年漫画にはそれぞれ強烈な印象を残すシーンがあると思う。それが呪術廻戦には無かった。
虎杖君と三兄弟の末っ子二人のバトルと、虎杖君と京都校のパイセンの友情バトルは面白かった。だが、サブキャラの戦闘シーンは総じて魅力的に感じられなかった。感動するような戦闘シーンはひとつもなかった。
2.五条悟に魅力を感じない
どうやらこの作品において五条悟というのはキーパーソンらしいが、読んでいて全く魅力的に感じないと言うか、彼を見ると、NARUTOのカカシ先生を思い出してしまう。"ミステリアスで銀髪で目を隠していて最強クラスの力を持ってる主人公の師匠(眼帯外すとイケメン)"。属性が似過ぎていて、カカシ先生よりもキャラとして魅力的に見えなければ私には厳しかったが、やはりカカシ先生を超えるような存在には思えなかった。
と言うこの漫画、ブサイクが一人もいない。一人くらい、ウソップとかチョウジとかパーやんとかそういうキャラがいても良いのではないかと思うが、ダメなのだろうか。それともこの漫画は、BLEACHやディーグレみたいな、ブサイクがほぼいないオシャレ戦闘漫画なのだろうか。それならば戦闘シーンに(上記二作品のような)圧倒的な華が欲しい。和風の作品なんだから(?)もっと墨とか使いまくって良い気がするんだがダメなんだろうか。
第一話から始まる虎杖君と器の関係だが、100話を超えてもマトモな対話をしていない事には正直驚いた。50話くらいで一度ガチンコ勝負するんかなと思ったら全然そんな事なくて、ハロウィンの日に宿儺が久しぶりに現れたかと思えば無双していって、結局虎杖君は器を乗りこなせていないままと言うか、どちらかと言えば器に良いように体を使われて泣いてるままで、いやそりゃ何の解決もしてないんだからそうなるやろと言うか……。
まとめ:自分にとって呪術廻戦が面白いと感じられなかったのはショックな事だった。爆発的に売れてる作品は面白い(でなければ売れない)はずで、その作品の良さを全く理解出来なかった自分が悪いのかもしれない。
これね。よく自己肯定感の話で親の育て方についてあれこれ言われているのを見るが
親がどんな育て方をしようがある程度大きくなって外の社会を知ったら女の子の自己肯定感なんかガリガリに削られると思うんだ
https://toyokeizai.net/articles/-/592147?display=b
「私、小学生くらいまでは自分のことをめっちゃ可愛いと思ってたんですよ。“可愛い、可愛い”って言われて育ったので。顔面に関しての自己肯定感は、かなり高かったと思います。それが、中高生になって容姿のことを考えはじめて、まわりのモテる子と比べると“なんか違う”と思うようになりました。さんざん言われてきた“可愛い”も言われなくなったし、きわめつけは進学のために上京したとき。東京にはあまりにも可愛い子が多くて、衝撃を受けました」
真波さんは高校卒業までのどかな地方都市で暮らしていた。近所づきあいでは最年少だったので、“みんなの末っ子”としてたっぷり愛されてきたという。自尊心も順風満帆に育てられた。ところが、おだやかだった海は“都会の美女”という嵐に見舞われる。揺るぎなく“可愛い”を指していたコンパスの針が、ぐるぐると回りはじめた。
わたしの話かと思った。
20歳になったとき、母親が記念にちょっといいカバンを買ってあげると言ってきた。
憧れていたブランドのカバンが欲しかった。もちろん予算を聞いて、その範疇におさまるものだ。
そんな有名ブランド物のカバンなんて、飽きて使わなくなるに決まっている。良い皮を使ったこっちのカバンにしなさい。有名ブランドでは無いけれど、絶対にこっちの方が長く使うから。
そう言われて「そうかもな」と納得して、その知らないブランドの良い皮とやらを使ったカバンを買ってもらった。
でも妹がいざハタチになると、妹が好きな有名ブランドのカバンを買ってあげていた。母親にそれとなく聞くと、「だってあの子言うこと聞かないから」と微笑んだ。
こないだ3人で話している時に、冗談交じりにこの話を伝えた。
「私もブランドのカバンが欲しかったよ〜」と笑いながら言うと、母親も妹もマズイと思ったのか「でも、値段は変わんないし!」「そうそう、同じぐらいのだったよね!」と慌てて言っていた。
妹は今でもそのカバンを使っていて、母親に「そのカバン使ってくれてるね」と言われる。きっと「なんであんたは使ってくれないの?」と思っていることだろう。