はてなキーワード: 援助交際とは
リアルタイムでは読んでないけど、
心の中に閉まって蓋をした。
私は、何も読んでない事にした。
この土日で、その蓋が開いてしまい、
いろんな事が飛び出してきた。
中学生から高校生くらいまでの出来事。嫌な出来事。ぶわーって出てきた。
だから思い出したくなくて蓋してた。
殴られて鼓膜が破れた人がいた事。
時代遅れの不良の残党みたいなのがいて、
怖かった。
その子が、廊下でみんなが見てるなか、他の女子と取っ組み合いの喧嘩をしてた事。
とてもオシャレだと感じて、心がキラキラした事。
同級生が亡くなった事。
生前、その子のお家に行った時、本棚に「完全自殺マニュアル」があったのを
思い出した事。それは誰にも言っちゃダメだと思った事。
援助交際に誘われたけど、断った事。
卒業式の日に「この制服ブルセラに売れるから売ろうよ!」と誘われた事。
売れる訳ないだろと思って断った事。
偶然会った 中学校の時の友人が、
円形脱毛症になってて、でも、それに触れられなかった事。
「ひょっとしたら」と思ったのに
なにも言葉をかけれなかった事。
そんな事を、
この土日で思い出してしまって、
うわぁあああーってなった。
疲れた。
パパ活は皆やってるから怖くないよみたいな感じのこと言って普通の子に援助交際させようとするのと一緒じゃん。
自分はセックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別は無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田のロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。
そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為の性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合は密室で、1対1で行うということになる。特に非店舗型風俗では完全にアウェイな相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い。男性相手の女性セックスワーカーの場合、フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為を強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率でさらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有のリスクだ。
健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩は問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある。慢性的侵襲、性感染症、意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったときの労災的環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災や労働環境保全は過去の事故の反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマンの職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。
セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という利用者の幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手に好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分の天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働の一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神的健康にどう影響するか想像してみてほしい。
セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本の男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランのプロフェッショナルほどサービスの付加価値が高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロでありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく。技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから、素人の女子高生・女子大生がセックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロの付加価値は下がっている。
これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーなアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体がセックスワークの特殊性をよく表している。
こういうセックスワークをめぐる構造的問題、特殊性もちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカーの権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。
元増田がセックスワークの擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者や支援者が認識している論点を無視したり、「ワーク」全般とセックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。
みなさんコメントありがとうございます。自分的に重要な指摘だと思ったことにコメント返します。
id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理や医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような
医行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為や法律行為代理が免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者を保護するためだと思いますが、上記の理由でセックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体と健康と安全を利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています。
セックスワークの特殊性のひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者の一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体をサービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワークが普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつのアポリアだと思います。
id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界の治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体そのものの一時的供出、それに伴う健康的・身体的リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意のボランティアという体裁になっており、支払われるお金も治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、社会的常識の範囲内における費用の支払いによる被験者の負担の軽減のための費用)という名目になっています。報酬金額が制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされています(とはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティアの収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。
国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人が自己の身体を一時的に相手に使用させ、②相手の〈自己身体の使用〉に伴う身体的・健康的リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います。
このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワークの業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワークの現場からは排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症に感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者・管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為が合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定の身体的・健康的リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます。
セックスワークには「利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります。性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店や派遣型風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首を舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体そのもののへの直接のアクセスを利用者に許可している」という脆弱な状態にあるので、利用者が予め設定したラインを欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります。
建設業では現場の建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロールを実施し、ヘルメット・安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスクを可能な限り抑制します。風俗業界では、店員やドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスクを可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います。建設業では、ワークの現場を監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています。風俗業では、ワーカー自身を利用者から防護することはできません(一時的に身体へのアクセス権を利用者に提供すること=ワーカーの身体を利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれているからです)。管理者がワークの現場を監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰の担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。
中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗型風俗では、しばしば出禁・罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真が掲示されています(代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしまう利用者が一定数いること、そしてその行為の被害を受けたワーカーも同数いることを表しています。セックスワークの現場でワーカーがさらされる健康的・身体的リスクの抑制が「事後制裁」という形式でしか行えず、それが現実に抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカーの安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています。
中学や高校の文芸部の「大会」や「コンクール」で賞を取ってしまうような人は、基本、プロの物書きになれない。
大学より下の学校で評価される創作物では、いかに教育的視点から健全であるかが重要視されている。
文芸部で好き勝手に書いている人や、友人同士で面白作品を回し読みしている人たちは別にいいのだが、
コンクールで賞を取るには、健全な高校生が書いた健全な作品であることが要求される。
そういう作品は、先生には褒められても、本屋で金を出してでも買いたいと思われるようなものとは真逆だ。
コンクールで賞を取るには、高校生の夢とかそういう綺麗で健全な話を書けばいい。
高校生でも出版社がやっている小説の新人賞を取ってプロデビューする人がときどきいるが、
綿矢りさのデビュー作は女子高生が風俗チャットで一儲けする話だったし、前回の文藝賞を取った女子高生も、援助交際している噂のある同級生の話とかだった。
そういう話を書かないとプロにはなれないが、逆にプロになれる様な人は、学校のコンクールで賞は取れない。
吹奏楽のコンクールもそうだが、プロの世界と学校単位で参加するコンクールとの審査基準があまりにかけ離れていて、将来のキャリアに繋がっていない現実がある。
第35回全国高等学校文芸コンクール
https://info.yomiuri.co.jp/contest/edu/5246.html
このページの下に入賞作が載っている。
昔は出会い系、今のチャットアプリなんかは、業者が跋扈しているし、鞄にローションを持参してくるセミプロも非常に多い。
その中でアポをとろうと思っても、まずおじさんというだけで弾かれて、若いイケメンだけが大勝利となるのである。
パパ活なので、最初からおっさんが相手というのは折り込み済みの女たちが集まっている。
そしてパパ活という響きのおかげで、セックスはしなくていいんだろうと思う普通の素人女子大生からOLが気軽に参加しており、
彼女らも最初はお茶とお食事だけ!!って思っているが、だんだんと会っているうちに、少しお金が上乗せされれば、まあやってもいいか、
一人ぐらいセフレみたいなパパがいても問題ないだろう、金ないし、背に腹は代えられないって感じになるのである。
しかも、だいたいのアプリは男性の方が少ない、選び放題なのである。
ついに、我々おっさん達は3万円程度の小遣いで、素人の普通の女性の身体を簡単に効率よく選び入手できるツールを得たのである。
32歳になり周りの友人達もみんな結婚し、そろそろ一人目を妊娠・出産し二人目を作る人が増えてきた。最近私の夫も「子どもに少し興味出てきた」と言い出し、年齢的にもう一刻の猶予もなく、子作りし始めた方が良い時期に差し掛かってきたと感じている。が、私はなかなか子どもが欲しい気持ちになれない。
子ども嫌いではない。昔から小さい子の遊び相手をするのは好きで、以前は子ども相手にイベントをやってきたし、近所に住む友達の子どもを預かってご飯を食べさせたり、風呂に入れて帰らせたりしている程度には子どもは嫌いじゃない。(最近はコロナで会えてない。寂しい)
子どもって面白くてかわいいなとか、友達を見てこういう家族って良いなと純粋に思う瞬間もあるので、心の底では「子どもが欲しい」と思っているのかもしれない。が、今すぐ欲しいかと言われると完全にNOで、いつも想像する未来の家族の姿は私と夫の二人だけの状態。子どもがいたり孫を抱いている自分が全く想像できないし、無理に想像しようとすると奇妙な感覚になる。
子どもを持つのに躊躇しているのは何故か、ここ1年近くずっと考えてきた。細かなものは色々あるが頭の整理も兼ねて子どもが欲しいと思えない理由を3つに絞って書いてみる。なんでもいいので子持ちの方からのコメントが欲しい。
そもそも結婚自体、結婚式、新婚旅行、住まいの決定、車の購入など、大きなイベント事はすべて夫が主催してきた。これは私がどん臭くリーダーになるのが嫌いなのもあるが、夫は何でも自分で決めたがり自分で物事を進めたがるタチなので、あえて放任して上手く回してもらったとも言える。私は「いいと思う」「それはいや」「なんでもいいよ」しか言ってない状態で、気がつけば万事上手くいってきたなと感じている。夫には本当に感謝している。
逆に夫は自分で物事を進められない、自分が主催者になれないイベント事は分かりやすくやる気を無くす。妊娠出産は女しかできないことで、どれだけ夫が主催者になろうと頑張ってもそれは無理だろう。私としても主催を死ぬほどやりたがっている人の隣で、命懸けで嫌々主催をやるのは抵抗がある。また勤務時間の関係で、私が一番子どもと長く関わり私が一番子どもに詳しくなるだろう。そうなると、シングルファザーにならない限り夫は更にやる気を無くすと思われる。勿論一生懸命「手伝って」はくれるだろうが、夫が心からやりたいのは「育児の主催」であり、「手伝い」ポジションではない。
「主催」「手伝い」の感覚を止め「共同主催」でいけばいいとも思うが、結婚する前から1つの作業を一緒に行うことといったらセックスくらいで、あとは何でも個々にやってきた為、今更共同主催といった感覚はちょっと持てないなと思っている。正直私と夫の性別が逆だったら今頃二人目が生まれていたんじゃないかなと思うことはある。
高収入だった私の父は、ギャンブル好きで多額の借金があり多くをその多くを返済に回してきており、また人を家に縛り付ける為にお金を使う人だった。お金はすべて条件付きの支給で月々の小遣いも貰ったことがない。学費も、父が指定する家から一番近い高校以外には金を出さないと言うので渋々そこに通った。大学も家から一番近い大学なら学費を出すと言われたので、さすがに奨学金と稼いだお金を使い、自分で進学した。(当時援助交際をしていたのでお金はあった)そこからちょくちょく父に罵倒される様になり、貸したお金が返ってこないこともあって今もあまり関係は良くない。
母は典型的な過干渉親で、幼い頃から勉強の妨害から友達の親への嫌がらせ、陰部の汚れチェックまで、脳みそも身体も隅々まで干渉された。特に思春期は気色悪いことを沢山された(使った生理用品の中を開けて父と見たり、自慰を盗聴・盗撮されて「これはなんなの」と聞いてきたり、彼氏のことを勝手に調べたり、勝手に下着を捨てられて地味なものと入れ替えてきたり、他にも色々ある)。社会人になると稼ぎの干渉も始まり、給料の三分の一は家に入れないといけなくなった。一度キレると際限なく言葉の暴力を投げてくるのも辛かったが、学習性無気力になり結婚するまで実家を出ることはできなかった。今でも母と話していて少しでも彼女の機嫌が悪くなると、身体がうっすら震えてきて声が出なくなるときがある。
「自分が親になって、親の気持ちが少し分かった気がする」という話を耳にする度にゾッとする。自分の子育ての辛さを認めることは、親の辛さも認めることにならないだろうか。「うちの親も大変だったんだ」なんてふと感じてしまったとき、親としての自分と、自分の親との板挟みの中で心を保てなくなってしまいそうな気がする。
今私は自分でお金を稼ぎ、結婚して実家を離れ、夫に愛され、休日も気ままに過ごしている。私は実家を出てようやく自分の好きなことは何で、何に楽しいと思えるのか少し分かるようになってきた。休日は趣味に興じるのが楽しいし、夫としょうもないことでゲラゲラ笑う生活が送れて幸せだ。健康に気をつけながらこんな生活がずっと続けば良いと思っている。
もし子どもができたら自分の立場からまた実家(厳密にいうと実家の親の気持ち)と向き合わないといけなくなるし、アラサーになってようやく見つけた子どものように楽しめる時間が無くなってしまうのは嫌だ。自分で稼いだお金をまた誰かに使わないといけなくなると思うとゲンナリする。(夫に使うのは構わない。彼ももう十分すぎるくらい私に尽くしてくれているし私も尽くしたい。)せっかく幸せになれたのにまた苦しみたくないという思いと、「毒親」という誰もが反論できないような御大層な盾を掲げて、ただ単に目の前の問題から逃げているだけなのではという思いを毎日繰り返している。
今年結婚5年目を迎える会社員女性。比較的ゆるい業界でテレワーク。会社は産休育休実績あり。年収350万弱でほぼ残業なし。夫は年収800万弱のサラリーマン。残業もあるが常識的な時間に出ていって常識的な時間に帰ってくる。近くに住む義実家は少し裕福で、適度な距離感で穏やかな良い人達。近所には気軽に遊びに行ける子持ちの友達が2人いて、小中学校もあるし保育園も多く、公園もある。少し行けば大きな病院もある。
これだけ恵まれた環境の中、夫も最近子どもに興味を持ち始めて、あとは私の気持ちの問題だけなのに、私だけが独りよがりに悩み、言い訳を並べてしまっている気がしている。
判断が遅くなればそれだけ子どもは持てなくなるのに今は絶対に欲しくない。欲しくないが、「来たるべき子どもが欲しくなった時」に備えて無理して中出しをしたり、不妊検査を受けたり、何か行動を起こすべきだろうか。そして妊娠してしまったとき、自分の意志とは無関係に大きくなっていくお腹を私は受入れられるだろうか。それとも「案ずるより産むが易し」で、妊娠すると悩みや苦しみなど吹き飛んでしまうものなのだろうか。
子どもってかわいい。子どもが大きくなっていくのを見るのはさぞかし楽しいだろう。
でもそれでほんとに全部が全部吹き飛んで、救われるものなんだろうか。
今付き合っている恋人にはそれを伏せている。
詳細は省くが、私立の高校に通っていた時に家庭内で色々あり自分で学費を稼がなければならなくなった。
バイトもしていたがそれだけでは間に合わず、そこで手を出したのが援助交際だった。
元々私の初体験は道端で突然カッターを突き付けて脅してきた知らないおっさんから受けたレイプだったし、抵抗はなかった。
無事に学費を納めきってからはもうそんな事をする理由がなかったのですぐにやめた。
やめてすぐは抵抗なくそういう事をしていた自分の事をずっと嫌悪していたし、
イイ感じになった男性も数人いたけど相手に申し訳なくてお付き合いは全てお断りしていた。
もうそれから何年も経ち、自分に対する嫌悪もだいぶ落ち着いてきて
ありがたいことに行為を寄せてくれた男性が数名おり、お付き合いをするようになった。
私の過去のそういう話は聞いててきもちいいものではもちろんないだろうし基本触れないようにしているのだが
同じように家庭環境がお世辞にもいいとは言えない人には思ったよりするっと話せたし
割とすんなり受け入れられてしまって正直驚いた。
逆に、一般的で特に家庭的な不自由のない相手にはガッツリ引かれた。
とてもいい人だったので時間をかけてその事実を受け入れようとしてくれたけど
結局そうはいかなくて続かなかった。そりゃそうだ。
今お付き合いをしている方は不自由のない家庭で育った人だ。
うぬぼれているだけかもしれないけど、運命的な出会い方をした人で
お付き合いを始めてからまだ数か月だが、結婚願望なんてサラサラなかった私が結婚したいと思えたような人だ。
正直手放したくないし、相手も私との将来を考えてくれているのでこのままうまくいけばなと思っている。
生々しい話になるのだけど、少し前に初めて彼と致したときに、
彼に俺のも舐めてって言われたことに喜んでしまい、1人で夢中になっていたら静止をかけられた。
痛かった?と聞くと、うますぎじゃない?と言われた。
その場はそういうの詳しくないからネットで調べた!とか適当なことを言ったけど、誤魔化しきれてなかったと思う。
でもこのまま隠して一緒にいるのは相手に申し訳なくて、きちんと話したいなとも思う。
話の切り出し方も分からないし、どうしたら相手に抵抗なく話をできるのかも分からない。
今更後悔しても遅いのだけど過去がすごく憎い。
いっそ過去なんて消せればいいのにな~~と、とても思う。
ヤリマンメンヘラクソビッチって基本的に金欲しさに軽い気持ちで援助交際してた経験があって、男と付き合ってもすぐ捨てられて、アプリで会った男とワンナイトしまくって、彼氏欲しいときにヤリモクに遭うと発狂して、自分がヤリマンメンヘラクソビッチになったのは「過去に男に性的な目で見られたせいだ…」とか「親に愛されなかったから自己肯定感が低くて…(大体十分愛されてるのにワガママなだけ)」とか「私たちは買われた(キリッ」とか他責ばっかで、その後なんか微妙な男と結婚した挙句「色々あったけど素敵な人と出会いました!」ってSNSに幸せアピールしまくって、実際は浮気疑いまくり自分も浮気しまくりで、ガキ生まれたらまた自分もソフト虐待してくんだろうな、ガキに許可取らずにガキの写真SNSにアップしまくって幸せなママを演じて生きてくんだろうな
過労自殺というのは痛ましい話だ。
仕事で追い詰められ、もはやどこにもいけなくなってしまい、自ら死を選ぶ。こんな事起きてはならない。
だが、過労自殺という言葉には、売春をなんとなく小奇麗にした援助交際やパパ活というものとなにか同じものを感じる。
過労自殺、つまり、疲れすぎて自殺する、と言うやつなんだが疲れ過ぎたことの原因に全く触れようとしていない言葉だ。本当はもっと細かいはずだろう。物事の本質をこの四文字熟語は含んでいない気がする。なんと言うか事象をあっさーいレベルでしか表現していない。
要は「疲れすぎるかどうかは本人の問題」みたいなニュアンスがどこかにある。オレの被害妄想かもしれないんだが、「若いSEが過労自殺しました」とか言うと、周囲の反応は「なんでそんなになるまで頑張っちゃったのかな」とか「そんなになる前に逃げるべきだった」という感じになる。つまり、自殺した本人のせいにしている。本人の性格もさることながらここに雇用者や同僚(正確には監督する立場の人間)が全く出てこない。
だけど専門家は言う「そうじゃない」と。
過労自殺してしまうまで追い込まれてしまう人たちにはもはや「頑張ることをやめる」とか「この場から逃げる」などという選択肢はもはやない、と言っている。冷静に「オレは疲れすぎたから自殺します」などと考えていないと言っている。考えているかどうかすら怪しくなった人間に自制を求めることは間違いだ。
もっと強い力で強制しなくてはならない。これだけ過労自殺が起きているのに、それでも過労自殺が起きるまで仕事させているのは「未必の故意による殺人」何じゃないか。
過労自殺という言葉は今の日本社会にとってとても都合のいい言葉なのだろう。裏を返せば多くの企業で過労自殺させてしまうほどの激務が存在するということでもあるし、それを直視したくないということなのかもしれない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1673985
これほのぼのエントリみたいな反応になってるけど、ガキの頃の行動を親がネットで2600人のフォロワーに向かって晒してるの控えめに言って最悪だろ
しかもこの人、個人特定ぜんぜんできそうなアカウントでそれやってるからな
親がわかれば子もわかる
個人が特定できる形で、自分の過去の恥ずかしいふるまいがネット上に公開されているのイヤすぎる
小学生の頃の行動なんて、誰にも知られてないことですら思い出すのが恥ずかしいことあるじゃん
こんなん黒歴史確定だろ
行動そのものはまあ全然大丈夫な部類だし、むしろ好ましいけども、晒された本人がそう思うかは微妙だ
俺だったら親を信じられなくなるね
子供の判断なんて、あとからどうとでも変わりうる 将来公開に同意したことをメチャクチャ悔いる可能性はそこそこある
そうである以上、これは他人の個人情報を勝手にネットに晒すのと同質の行為で、糾弾されるべきだと言ってもいい
はてブ、ある程度人権派っぽい雰囲気出してるわりに、反出生主義とかに妙に冷淡なのが謎だった
俺自身はあの思想に賛同はしないけども、「子供の人権に真に配慮するなら生殖なんてしないよな?」という問いかけは結構意味があるように見えた
でもはてブの皆さんは「幼稚」「ガキが駄々こねてる」みたいな、非論理的な罵倒だけやって勝った雰囲気を作り出していた
アレを見て俺はヒェッ…と思ってたんだが、だんだん分かってきたぞ
はてブの民、親は子供に対して何をしてもいい、子供の人権は親に対しては意味をもたないと思ってんだな
たぶんひとりの人間だという意識がなく、自分を楽しませるために存在する玩具だと思ってるんだろう
そう思うと腑に落ちる
というか、そうであってほしい
非難するわけじゃないけど、たとえばわかりやすい例としてひろゆきさんという人は、
2ちゃんねるといういわば「日本のインターネット暗部の代表」たるプラットフォームを作ってしまったのだが、
その結果、いろんな刑事事件や民事事件の起点は2chとなってしまった。
今でこそそうしたプラットフォームはSNSなどもあり分かれている印象だが、約15年間にわたって、
たとえば自殺ほう助・薬物売買・援助交際・その他もろもろの犯罪の温床となったのは言い逃れできない事実である。
また、「殺害予告・爆破予告といえば2ch」というのも通常営業のような感じであった。
もし2chがなかったら、アングラがアングラのままであった気がするし、その意味で、
数えきれない一般人を犯罪にまきこんだり、まきこまれたりさせたのは疑いがない事実かと思う。
もちろん2chによって得る広告収入やヤバイルートから入る収入のために運営していたのであり、
他人が死んだり犯罪が増えようが知ったことじゃないというのが本音だったと思う。
ただしその金が他人を幸福にして得た金かというと、本人もYesとはいえないはずである。
若いうちは全くそんなことに興味がないかもしれないが、加齢とともに、他人を不幸にして対価を得たという記憶は、彼だけでなく、
似たような境遇によって金を稼いだ人間すべて対して等しくふりかかってくるものだと思う。
FXやビットコインであぶく銭を稼ぐのも批判されることがあるが、あれはあくまで自分だけの問題である。
自分の問題だけではない他者を巻き込んだプレッシャーみたいなものがせまってくると思われる。
詳細はぐぐってほしいが、他人を扇動したり悪に染まらせたものだけに待っている特別な地獄があるらしい。
そう考えると恐ろしいことでカネを稼いでしまった人の代表格だと思うし、良い反面教師になって頂いている。
ホリエモン氏も若いころに不正会計で捕まったが、ライブドア事件によって不幸になったり亡くなった方も多い。その点では2chと同じである。