はてなキーワード: グラフとは
ホットエントリを観測していると月ごとに3万弱のIDを見ることができるが、それを6ヶ月合算しただけで64,356になることに違和感を感じた。
増加分がホットエントリをめったにブクマしないユーザーによるものだとしたら、その月以前の合算ユーザー数は月を追うごとに増加幅は減少するはずである。もし増加幅が一定あるいはランダムなようならこの半年で3万のIDが使い捨てられてきた可能性が高い。
年月 | 累積公開ユニークユーザー数 | 前計測との差 |
---|---|---|
2017-01 | 30431 | --- |
2017-02 | 38178 | +7747 |
2017-05 | 45566 | +7388 |
2017-06 | 50830 | +5264 |
2017-07 | 54994 | +4164 |
2017-08 | 59708 | +4714 |
2017-09 | 65173 | +5465 |
確かに月を追うごとに増加幅が減少する様子が見られる。しかしこの数字、グラフにプロットしてみると結構直線的である。
半年合算64,356IDという数字には捨てIDもロングテールも両方寄与していると考えられる。
毎月3000から4000個の捨てIDが使われている可能性は捨てきれない。
もちろんただユーザーが入れ替わっているだけの可能性もあるが毎月1割入れ替わっているとも思えない。
※ 2017-09分のデータ追加
参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
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藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
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ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
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藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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私たちは「人の不倫をなじること」に侵されている~テレビは何時間不倫を報じたか~
https://news.yahoo.co.jp/byline/sakaiosamu/20170830-00075044/
立派なニュースキャスターが「やってるかどうか」を追及
なぜこんなことになったのか。これについては別の機会に分析を試みたいが、大まかにはここで説明できる。不倫のニュースはほぼ、週刊誌が最初に報じたネタだ。とくに週刊文春の情報収集力はいつの間にか、民放が束になってもかなわなくなっている。ワイドショーによく出る芸能レポーターも最近は、自ら取材せず「文春待ち」にしか見えない。テレビ番組は独自に特ダネを得る意欲を失い、週刊文春のプロモーション装置に陥っている。
文春が報じたネタはネットで記事となって飛び交う。それを見て慌てて文春の発売日にテレビが報じる。そこに視聴者がTwitterなどで反応し、拡散が竜巻のようになって暴れ回る。テレビは文春に受動的で、ネット記事やTwitterにおくれを取るまいと煽りまくる。そんな構図ができてしまった。
ワイドショーの専売特許だったはずの不倫ネタはいまやニュース・報道番組でも取り扱われる。立派な経歴を持つニュースキャスターがこぞって「今井・橋本議員はやったかどうか」を追及している。「やってないなんて通るんでしょうか」とベテランのキャスターやゲストの知識人が議論している。
不倫はいけないことだと私だって思う。だがそれを本当に責める権利は身内にしかないのではないか。夫もしくは妻、そして親や子どもなどの家族には不倫をした人間をなじる権利があると思うが、ニュースキャスターが「一夜を共にした男女が”やったかやらなかったか”」を、何の根拠もなく憶測で「やってないはずない」と主張するのはどんな社会的意義があるのだろうか。
テレビ局やニュースキャスターのみなさんはこのデータを見てどう感じるだろうか。「どうかしちゃってるな、自分たちは」そう感じてほしいと思う。どう見ても異常な状態だ。
そして誰より、私たち自身がこのグラフで目を覚ますべきではないか。テレビが取りあげネットが記事にするのは、視聴率やPV数が稼げるからだ。そしてそれは私たち自身がそういう番組や記事を読んでしまっているからだ。私たちはいま、おかしい。人の不倫をなじるのに時間とエネルギーをどれだけ費やしているかを考え直すべきだ。テレビやネットが取りあげても、もう振り向かない。そんな毅然とした姿勢が私たちにこそ必要だと思う。不倫の話題が馬鹿みたいに好きな大人を見て、子どもたちはどう思っているかを考えたいと私は思う。
参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
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藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
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ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
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藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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https://anond.hatelabo.jp/20170828172703
単に若い子なのか?
衰退論がおかしい点
・絶対値としてきちんと捉えられている人が少ない
・比較できていない
・これまで増加していったときとの比較ができていない(今までも糞だったが、ユーザーは伸びていた)
・競合を考慮していない
・これまでの経緯を知らない(運営のやる気の無さ)
グラフが1000上げた後に100下げた時、こと更に下がった!下がった!という人居るよね
結論を言ってしまえば、ニコ動の会員数が落ちたのは単純に競合が増えたのと、市場の限界だろう
「運営がクソだから衰退したんだ」と言ってる人が居るが運営がクソなのは最初からだ
(誰かが言ってたが、運営はニコ生にユーザーを移動したいという説を私も支持している(ニコ動冷遇説))
それなのに2015年までは異常なスピードで有料会員数が伸びたのだ
他の事業者を見てみ
ニコ動 243万人 月額500円(年6000円) 年間145億円
dTV 500万人 月額500円(年6000円) 年間300億円 (※去年時点)
hulu 150万人 月額1000円(年1.2万円) 年間180億円
Netflix ?
Abema ?
こんなもんだぞ
数値だけで言えば、現状dTVが最大だが、これはプリインストールモデルだからだ
ここらへんが限界なんだよ
Abemaも「まずは有料会員100万人を目指す」と言ってる
ちなみにニコニコ有料会員チャンネル数が50万人以上なので、それでプラス30億円だし
毎年3.5%ずつ会員が減っても10年後にまだ150万人(90億円)だ
事業としては御の字だろ
サラダチキンをいろいろ食べているんだが、伊藤ハムのやつが旨かった。ネットでも調べてみたら高評価っぽくて、ねとらぼの「飲み食いしつつもヘルスケア」というやつで、「星9つ」がついていた。
「おお、評価高いね!」と思ったんだが、この「星9つ」というのは果たして「飲み食いしつつもヘルスケア」の中での相対評価はどの程度なんだろうかと疑問に思った。たぶん、標準正規分布を書けばわかりそうだな…と思ったので乏しい数学的知識を引っ張り出して計算してみた。
星 | 回数 | xf (星×回数) | x^2f (星の二乗×回数) |
---|---|---|---|
2 | 9 | 18 | 36 |
3 | 23 | 69 | 207 |
4 | 41 | 164 | 656 |
5 | 95 | 475 | 2375 |
6 | 129 | 774 | 4644 |
7 | 185 | 1295 | 9065 |
8 | 128 | 1024 | 8192 |
9 | 75 | 675 | 6075 |
10(満点) | 1 | 10 | 100 |
合計 | 686 | 4504 | 31350 |
平均 | - | 6.565597668 | 45.69970845 |
分散 | - | - | 2.592635722 |
標準偏差 | - | - | 1.610166365 |
で、平均=6.56・標準偏差=2.59の正規化された確率変数(STANDARDIZE)と確率(NORMSDIST)の値をGoogleスプレッドシートを使って求めてみる。
星 | NORMDIST | STANDARDIZE | NORMSDIST |
---|---|---|---|
0.00 | 0.00 | -4.08 | 0.00 |
1.00 | 0.00 | -3.46 | 0.00 |
2.00 | 0.00 | -2.84 | 0.00 |
3.00 | 0.02 | -2.21 | 0.01 |
4.00 | 0.07 | -1.59 | 0.06 |
5.00 | 0.15 | -0.97 | 0.17 |
6.00 | 0.23 | -0.35 | 0.36 |
6.57 | 0.25 | 0.00 | 0.50 |
7.00 | 0.24 | 0.27 | 0.61 |
8.00 | 0.17 | 0.89 | 0.81 |
9.00 | 0.08 | 1.51 | 0.93 |
10.00 | 0.03 | 2.13 | 0.98 |
ということで、「星9つ」は上位7%なので相対的に見てもなかなか評価が高そう。
どっか間違えてるかもしれんけど。
当時は全教科とも80点は取れていたと思う。
生まれた都道府県と違うけれど、そこは誤差みたいなものとして。
5択ではなく、筆記で書かせる問題が多くて、しかも登場人物の心情を書かせたりで、難しいところがあった。
現代文はセンター試験よりも難しいくらいだと思ったが、自分がセンター試験を受けたのは遠い昔なので、なんともいえない。
現代文の文法問題を解きながら、現代文の文法は古文のそれに比べて難しいように感じた。
いまいち型にはまりきってないし、解説を読んでも解釈の余地があるような気がした。
古文はとてもやさしい。
図形に補助線を入れたりして、相似の三角形を見つけて、比を取って長さや面積を求める問題が全然解けなかった。
余弦定理を使って解けないかと思ったが、やっぱり相似を見つける必要があって、結局全然無理だった。
中央値や最頻値を計算させるなど、データ処理の基礎が問題になってたりするのが、昔とカリキュラムが違うんだろうなという感じを受けた。
みたいな問題があった。
地震速報が間に合わない理由を書かせるとか、やっぱり震災の影響ってこういうところにもあるんだなと実感。
生物の細胞の絵や模式図は、解くには問題ないが、ちょっと変で、中学校の授業大丈夫か?と感じた。
地図やグラフから読み取らせる問題が多かったりして、すっかり暗記科目だった高校の社会科よりも、SPIに近い感じで面白かった。
歴史の問題は、かなり易しかったが、その反面ちょっとどうかと思ったりした。
断片的に「~の改革」みたいなキーワードだけ覚えてもつまらないと思う。
歴史はある程度のボリュームを学ばないと、そうさせたダイナミズムを学ばないと楽しくないと思う。
これはかなり易しく感じた。
これも、単純に高校の授業が中学の上位互換だったからだと思う。
英文読解が、将来の夢だとか、未来の地球にむけてとか、夢のあるテーマなのが中学生らしくて、泣きそうになった。
簡単な文章で、こんな少ない語彙で、こんなにも人を感動させられるのかと思った。
全体を通してみて、思いのほか楽しかった。
高校の授業が中学の上位互換だった科目(古文、代数、英語)は、非常に易しく感じた半面、高校で選択科目になったような幾何や、地学は久々に解くとかなり疲労した。
何事も慣れなんだなと思った。
出来ないのではなくて、難しいのではなくて、慣れていないだけ。
努力すれば、人はなんでも出来るようになる。
それから、18歳選挙権や、地震についてかなりのボリュームが割かれてたのが、とてもよかった。
大学入試だと、多少の時事ネタはあるものの、これほどは割かれない。
あの時はわからなかったことが、今だとわかることもあった。
別に言いたいことはわかるんだよ。早産リスクが高まるだけだっていうね。
ただ実際のところ統計をとるに十分なサンプルが無いだけでしょ。
どのグラフをみても18歳以下はおかしいだろ。高齢もだけど。単純に数が足りてないだけ。
強引に結論付けなくていいと思うよ。
まぁ子宮が未発達ってのは実際あると思うけどな。第二次成長期の個人差激しいし。
そりゃ子宮も発達しないわ。
ほんと最低だよなお前。
あーあ、グラフの味方すら分からない相当な馬鹿がバレちゃったなwww(草生やしてみた)
若年出産による早産リスクなんてたかが一番大きな差で5%程度じゃねえか
それよりも他のグラフみりゃ分かるけど加齢による他リスクの上昇のほうが断然無視できない割合で上がってる
多変量解析による年齢のリスク比(20-34歳をRR:1とする)
ここで年代ごとにリスクをまとめた表で16歳付近のデータが無いのは参加させれないくらい発症例が少ないからってことにも気づかない馬鹿
かろうじて早産が因果関係ありそうだから最初の方に参加させただけって意図すら分かんねえんだろうな
16歳で妊娠するってことは親の言う事聞かない生活習慣がずぼら、栄養も悪い、
睡眠も取らない、そういう悪環境が早産を作り出してるってことに理解が回ってない
要するに今の16歳出産の大半が不良か親に無関心な子どもの妊娠って現実が分かってない
リスクファクターを除いてもみたいなのはそんなん除去できるわけねえだろ
子宮の未発達性が原因と「示唆」されるって言葉の意味も分かってねえんだろうなお前は
ここに「不良ママだから体調管理ろくにできなくて早産だらけでちた」なんて書くと問題になるから、
散々生活習慣が問題だと思われるが(喫煙まで書いてる)子宮未発達のせいかもネ♪なんて優しくまとめてる
この優しさにあぐら書くのが馬鹿なお前
結局、早期出産がリスクに繋がるってことにしといたほうがまとめやすいから
こんなん実験レポートの1つでも書いた事あれば気づくのにそれすら読めんのか
一番早産リスクが少ない30歳でも14%もあるのに5%の差よりも加齢と共に倍々で増える障害児出産リスクを取るとか馬鹿すぎるだろ
私は1型糖尿病だ。物心がつく頃には母に血糖値を測られインスリン注射を打たれ、3食きっちりバランスの良い食事を食べる生活をしていた。今でこそインスリンポンプという体の外に取り付ける膵臓β細胞を使ったりなんかすごい機器を使ったり医療の恩恵にあやかりながら好きなように生きている。そんな私は二十歳になった。私にとって持病「1型糖尿病」とは今や自分の一部である。
ある日、1型を発症したばかりだという女子高生に出会った。インスリン注射をこれから始めるらしい。彼女は泣いていた。私には分からない。だって当事者じゃないから。もちろん病気が自分を構成する一部だと思う私の気持ちも、世界中のどこを探しても分かってくれる人なんていないだろう。だって当事者じゃないもん。私にはむしろいわゆる健康な人のことが分からない。
分からないから、どうしようもない。正直向き合っていくしかないから頑張れとしか思えなくて、むしろ微笑ましかった。病院の先生も看護師さんも微笑ましそうにしていた。不謹慎なんかじゃない。みんな乗り越えていく壁なんだ、今は泣いてるけどそのうち笑い話になるから…というところだと思う。このへんの感覚は、なかなか理解しがたいだろう。
1型糖尿病と生きていくには、それくらい軽くなきゃいけないというのが私のやり方だ。だって自分は病気であるという事実に気を取られて生きていくの、息苦しいでしょ?
まあもちろん電車の中で低血糖になって立っているのが辛くなったり安くない医療費を支払ったりする時には悲観に暮れないこともないけれど、そうだけじゃない。
高校生という多感な時期に突然病気になって自己注射をしなければならないって相当ダメージ大きいというか、まあ私には到底分からないけれど、泣くのも無理ないと思う。物心がつく前に発症した私は笑いながら肩を撫でてあげることしかできない。
ただ、これだけは伝えたい。私はそんな大層な人間ではないからあの場で彼女本人に言うことはできなかったし、次会うことがあるのかも分からない。だからこうして匿名で書いているわけである。
病気は弱みなんかじゃない。
私自身の話をしよう。
私は現在コントロール良好で、HbA1cは6%台前半を保っている。(基準値は〜6.2%)低血糖が多いというのもあるが、血糖値が250より高くなることは滅多にない。7%台だった頃は血糖値が200切ればいい方だと思っていたけれど、今では150より高いとなんだか悔しくなる。100前後にしなければならない意識がすっかり根付いたのだ。それもあって6%台を保てているのだろう。心持ちというのは大事だ。(もちろんやたら低血糖になりやすいという個人的な体質みたいなものもある)
たいして生活に制限は加えていない。ごくごく普通に暮らしている。間食だってする。太るからやめたいけれど。おまけに運動不足だ。病気とか関係なく運動しなきゃなあと思っている。運動不足はよくないからね。
友人と飲みに行くこともあるし、食べ物の種類に気を遣う必要なんてない。食べちゃいけないものとかないの?と知り合ったばかりの人にはよく聞かれるけれど、全くないよと答えている。そりゃそうだ。食べた分だけ、インスリンを打てばいい。
インスリンは太るという認識を持つ若い女性がコントロール不良に陥ることがあるらしい。私は物心がついた時にはインスリン注射をしていたのでそういった先入観は全くない。食べた分だけガンガン打つ、そして時々低血糖になる。低血糖になったら甘いものを補給する。だから太るんじゃないの?その通りだ。打ちすぎたインスリン+補食で太るに決まっている。
でも食べた分だけ正確にインスリンを打てば、平気だ。何故なら膵臓が健康な人達だって食べた分だけインスリンが分泌されている。同じことじゃないか。…と合っているのか分からない考えがふと頭に浮かんだ時、頑張ろう…って思った。何をって感じだけれど。
とにかく、食べた分だけインスリンを打てばいいのだ。
インスリンの必要量は人それぞれどころか、自分自身の中でもよく変化する。生理前後なんかは上がったり下がったりする厄介者だ。だから血糖値はちゃんと測る。面倒なときは測らないけれど、まあそんなぐうたらも続かなければいい。ちゃんと測るんだ。そして、食べた分のインスリン不足が原因ではない、今までになかった高血糖や低血糖が起きたら、即インスリンの量を変える。もし医者に指示されている量があっても無視していい。1型糖尿病は、医者の指示を待っていてはいけない病気だと思う。もしも通院日の2〜3日後に血糖値が上がって、次の通院日まで待っていたら1ヶ月も高血糖状態だ。きつすぎる。自己管理が大切な病気なんだ。頭を使うんだ。私は要領が良くて比較的頭が回る方だと自負している。だから結構あっさりできちゃっている。血糖コントロールのためにいつどこで打つインスリンの量を変えるか、筋が通るように考えて、やっている。
血糖値を記録することもやめた。負担になるからだ。高校時代まではなんとなく頑張ってたけど主治医に見せるためだけで自分で見返すことが無かった。記録したところで体って不規則だから、その場その場で調節するのがなんだかんだ一番いい。意味もなく書かなきゃいけないという負担感は、体に良くない。最近の血糖測定器は履歴が見れるし平均値や傾向まで出してくれるし、ハイテクなやつだとリアルタイムでグラフ化して血を出さずともいつでも確認できる測定器もある。医療は発展している。
毎月の通院はいつからか分からないことを聞いたり新しいやり方を教えてもらったりするためのものになった。なんでコントロールがうまくいかないんだろうって思ったら数値的なものを教えてもらうのではなくその原因と解決のコツを教えてもらう。新しい機器や、同じ1型糖尿病の人達について教えてもらう。そういうところだ。
これが私のやり方だ。血糖値を記録しないのは、それでコントロール良好だからいいのであって、誰しもがそうしていいわけではない。いろんなやり方がある。自分に一番適したやり方がいい。
ただ、こんな風に気楽に生きている患者だっているんだよって伝えたい。病気とうまく付き合うんだ。悲観的になることなんて何もない。難病指定してくれよ経済的に超厳しいよ一生治らないから金かかるんだよって悲しみに暮れることはあるけれど。
医療の目指すところはQOL(生活の質)の向上だ。健康のために生きるのではなく、快適に生きるために健康でいる。
私は病気に生活を阻害されているとは思わない。快適な暮らしのためにしっかりコントロールを行っている。実際、ぐうたら楽しくやっている。好きな勉強をしてやりたくもない大学の試験に嫌気が差しながら夜更かしして、お洒落して、食べて飲んで、趣味に打ち込んで、将来やりたいことを考える。
人生の楽しみのために血糖コントロールをやっている。…なんて言うけれど、私にとって血糖コントロールは歯磨きと同じだ。朝起きて血糖値を測ってインスリンを打ってご飯食べて…という生活の流れは自然である。
さて、やたら長々と綴ってしまったけれど本題はここからだ。しかも短い。(本題ってなんだっけ?)
こんなことを言うのは私がまもなく就職活動を始めなければならないからだ。就活において病気を隠す気なんてないし、むしろ最もアピールすべき点だと思っている。病気があるけれど、うまく付き合って楽しくいろんなことをやってきました!って。いわゆる健康な人には絶対に語れないことだ。
自己管理をするので迷惑はかけない。血糖値を測らなければならないことと、万一低血糖で倒れたらとりあえず携帯している蜂蜜を唇に塗ってほしい、とだけ伝えて。今までだって自己管理で生きてきた。その証は私自身だ。
もしも私に病気があることが障壁となって雇えないなんて言うのなら、そんなところはこっちから願い下げだ。無理に採用されたってうまくやっていけるはずがない。病気と共に生きる私を採用したいと思っていただけるところで働きたい。
社会は厳しいところだって、甘く見てるって思われるかもしれないけれど、そんな社会で生きたくない。そんなのこっちから逃げてやる。自分のハッピーライフが最優先だ。そうさせてくれる社会がないわけない。あいにく私は自分が一番かわいいんだ。
だから病気は武器にしてやる。というか武器になることを知っている。
何年か前に、自由なテーマである原稿を書くという機会があった。それは数百人の中から優秀なものを選ぶものだった。
私は自分の病気をテーマにした。病気と共に生きる私をテーマにした。そうしたら、最優秀に選ばれた。なんだか当然の流れだと思った。
人間ってそういうのに惹かれる傾向がある。抗えないだろうから否定はしない。人の病気の話とか、大好きでしょ?否定はしないけれどそういうテレビ番組は嫌いだから見ない。とくにスタジオがなんか反応するやつ。分かったふりしてるやつ。分かることは不可能だってば。同情とかなんかへんな気持ちはいらないよ。前向きな番組は見るけれど。
実際優秀として選ばれたのは身内の病気話やそれに類似するものが多い。私としては、歯磨きと同義の病気生活をテーマにして選ばれるよりも、もっと行動的で才能と彩りに溢れるテーマで選ばれたい。そういう人間になりたい。
最優秀に選ばれた時に確信した。病気は武器になる。他の人にはない私だけの武器だ。生き方を武器にできるんだ。残念ながら社会はそういう風にできている。何とも言えない話である。やっぱり病気とは別のところで武器を見つけたいよ。才能って何だろうね。
ねえあの時の女子高生、見てる?
生活が一転して大変だろうけれど、生きる価値観とかそういうのが変わったんじゃない?こんな経験、普通はできないよ。
血糖コントロールは難しいけれど、やるしかない。神様がやれって言ってるんだから従うしかないよ。やらなきゃ死ぬもん。
病気は隠さなくていい。理解を示さない人間はそれまでの人なんだ。むしろ病気と共に生きる私というのは大きなテーマ、武器になる。
私は外出先で堂々と血糖値を測るよ。さすがに血は見えないように机の下とかカバンの中とかで隠しながらやるけれど、針も測定器も人の目につくところに出している。隠すの面倒だし、やりやすいから。だって、意外とみんな見ていない。
病気にならなきゃ気づけなかったこととか価値観ってたくさんある。いわゆる健康な人には見えないものが見える。自己管理さえすれば不自由なく生きていけるんだ。自分のやりたいようにやるのが一番だよ。
10万人に1〜2人という発症確率の世界は狭いからこれだけ書いたら私のことを知っている人は特定できちゃうかもしれないけれど、まあなんというか、探さないでください。
じゃあ、増田は「懲罰的に小梨から税金を召し上げる社会」では、子供を産む人が増えると考えるの?
具体的に言うと、今現在子供を産むことに躊躇している人がいると仮定して、彼らは「子を産むかどうかの選択肢すらお上に握られている国で、子供産みたい」と考えるかどうかということなんだけどね。
少子化については、もう実質的には社会保障的には手遅れではあるし(人口グラフ見ると分かります)、子供に係る費用すべて無償、ぐらいにしても、正直効果は限定的だと思っているんだよね個人的には。
なぜなら、子供に係る費用がすべて無償になったところで、自分たちの老後資金不安があるから。そして老後資金不安(=年金制度)はすでに実質破たん状態だから。
せめて25年前ならまだ何とかなったかもしれないけどねー。
・人はおおかたが、内心はゲスいことを考えている。
・力を持つことでそのゲスさを外に出してもいいと勘違いする不届者も残念ながらいる。
世の中には、Aセクハラをするひと/Bセクハラをしそうになってもがまんできるひと/Cセクハラ発想がないひと、の三種類のひとがいて、Aセクハラをするひとは、力の行使範囲を勘違いしている人、と言っていいと思う。
多くの人間はBに所属し、聖人君子かと思うようなCは希少種である。
それはともかく、Aセクハラをする人は、なぜ行使範囲を勘違いするのか。幾多のセクハラを受けてきた当増田が観察した結果をまとめてみると、
1 力の行使範囲が広いほど自分が偉いと考えている(旧来型セクハラ人格、野良犬のマーキング)
2 プライベートとパブリックの区別をつけられない(空気読めない、もしくはおれら仲間だからつい的な境界症例的なアレ)
3 もともと「女(または男)は見下していい」と思っている(ネオ性差別、「分断」派)
あたりが、感情原型としてあるのかなと考えている。これは原型なので、多くのセクハラ事案はこれらがそれぞれ個別の比率でミックスされている。
少し前に話題になった、中西大介元Jリーグ常務理事のセクハラ事案などは、1と2の合体型というか、職場(や家庭内)で起こるセクハラの典型的なパターンだろうと推察できる。
偉いんだから何しても許されるという甘えた心と、自分たちは身内なのだから許されるだろうという甘えた心である。要するに甘えてんだあのタコ坊主一生戻ってくんなサッカー界隈に。増田はJリーグ好きなのでつい激昂してしまったが。
ちなみに、この数日話題になっている彼のケースだと、1に加え3の要素である性差別や性的対象へのコンプレックス感情などもありそうだと愚察している。
珍しい種類であるCは、大抵ちょっと非の打ちどころのないモテだったりして、世界の不公平さに思いを馳せたりもする。
彼らにはセクハラは不要なのだ。内心のエロ心を外に出す必要を感じていない。
権力範囲の確認をする必要がないほど対社会的承認欲求に満たされているし、自分と異なる人(性的志向対象含め)とは融和すべきで対立するメリットはゼロだと自然に考えることができる。
大抵の場合そのような聖人君子はプライベートにも満足感を得ているので公私を分けるのも比較的容易である。Cタイプの人は家族円満に加え子供まで優秀だったりするので、ほんとすごい。
話は逸れるようで逸れないが、増田は「モテ」をバランス力ととらえている。イケメンであるとかお金を持っているとか、それだけでは「モテ」は成立しにくい。
バランス力って、イケメン4、お金5、地位4みたいにモテ要素がバランスよく配合されてるヤツだろ?ケッ、と思う増田諸兄もひょっとしたらいるかもしれないが、当増田が主張したいのはそういう意味でのバランスではない。
人が持っている各戦闘能力(顔、金、能力、面白力、愛嬌、ギーク力、諸々さまざま)には、残念ながら個々人ごとにスコア差があるし、各戦闘能力間にも「社会における評価」差がある。
簡単に言えば「顔」は社会的に評価が高いが「ギーク」はそうでもない。でもタモリ倶楽部的世界観では「ギーク」のモテ力はかなり高まる、みたいなことだ。
当増田の言いたいバランス力とは、己が持ってる各能力とそのスコアに自分が納得しているか、ということである。自分と「自分の能力」に折り合いがついている状態を「バランス力がある」と表現したい。
増田諸兄は「おれと似たような顔面のあいつには可愛い彼女(彼氏)がいるのに…」と思ったことが一度ぐらいはあるだろうか。少なくとも当増田にはある。
そういう「あいつ」が、私からみても良いヤツならまだ納得できるが、それほど良いヤツではないむしろ悪いヤツなのに…ということも少なくない。
嫉妬含有率の高い感情に我ながらがっかりし、うっかり己の不運に絶望しそうになるところだが、一方で、この「むしろ悪いヤツで戦闘力もあるとは思えないのに良い思いをしているヤツ」は、己の戦闘能力を客観視し適切な戦略を実行しているからこそ、果実を得られている(当増田はそのやり方は必ずしも常に好ましいことだとは考えないが)と考えることができるのではと思うのだ。
戦闘能力を示すチャートグラフの数値や面積の広さが問題なのではない。いや問題ではある(初めから恵まれた果実を手に持って生まれる人間も世の中にはいる)が、それとは別に、「自分は今はその面積しか戦闘能力がない」「うむそれなら持っているもので戦おう」と己の能力を素直に受け入れ対社会への解釈を客観的に出来る者には、その後の成長力も含め、なんにせよ未来があるということだ。
例えば、ギーク力が突出して高いだけの人間だったとしても、場所とメンツを選べば合コンでいい塩梅の彼女をゲットすることだってできる。
ポイントは「いい塩梅の」である。社会的に100点満点の(自慢できる)彼女である必要性は、少なくとも内的にはないということに、気づけるかということ。
手に持っている武器では倒せない敵に向かっては(または向かいもせずに)ヘイトを貯め込んでいく、このような状況を、当増田は「バランス力のないヤツ」と定義したいのである。
全ての項目が10点満点のチャートグラフを書けなくても、あちこちでこぼこで尖っていびつなグラフの自分でも、持ってるもんでやりくりしてこう、と折り合いがついた、バランス力が取れた状態になると、不思議なことに(まぁ不思議ではない当然ではあるが)チャートグラフのへこんだ項目のスコアも伸びていく。そもそも足りない自分に折り合いをつけられること、それ自体が「戦闘力の開発」だったりもするし。
一方で、この折り合いがつかないと、どんどん生きにくい自分になって行くんだろう。無い能力や評価されにくい能力と相手を呪う前にやることがあるってことだ。
そうすりゃCの聖人君子にはなれなくても、B:ごく普通のセクハラ我慢できる小確幸的人生は、手にすることはできる。
セクハラする人生は、幸せな人生とは決していえないのだ。あれは統合できない自己が、己や周りを巻き込んで自爆していく作業でしかない。
前川喜平氏が登場する議事録を発掘したエントリーが人気を博しています。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に
http://nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/agenda.html
読んでいただければ分かりますが、前川氏はWGの民間議員からの質問に全く答えず堂々巡りをする香ばしい議事録となっています。
〇福井秀夫(政策研究大学院大学教授)専門委員「我々は日本の教育制度を議論しているわけだが、その養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。それは文科省の責任できちんと調べていただくべきものだと思う。」
次の質問ですが。
〇前川企画室長 ちょっとお待ちください。もし今の教員免許制度に意味がないとか、必要がないとおっしゃるのであれば、そちらの理由を挙げていただきたいと思います。
中略
このあと延々と堂々巡りをするのですが、まあ酷いものです。典型的なダメな議論です。誰が悪いって?もちろんWGメンバーです。
これ、WGメンバーがやっているのは藁人形論法です。詭弁の一つです。「免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。」一見正しいことを言っているように見えますが、「免許制度の効果測定」という藁人形を持ち出しています。これは「免許制度における教育実習の回数について、多い場合と少ないで優位な差はあるのか?」などであれば妥当ですが、余りにも漠然としすぎていて妥当ではありません。
この手の要求は良くシステム開発で、「このシステムではこの数字が見れればいいよ」「この数字をだすなら帳票形式なのは当たり前だろ?」「帳票だすならグラフが見れるのは当然じゃないか」等と、要件定義の段階で「この数字が見れればいいよ」を詰めないせいでデスマーチするあれと一緒です。
明確に定義をしない「免許制度の効果測定」について永遠と要求を出し続けるわけです。「エビデンス」「エビデンス」と連呼するわけですが、明確に定義されていない効果測定のエビデンスなど出せるわけがないです。
いません?明確なゴールを決めずに新人に資料を作らせて、「これは思っているのと違うな」とか言って作り直しを連発してマウントとる上司。やり口が全く一緒です。
前川氏の蒟蒻問答を笑いどころですが、議論を重ねるのではなく、詭弁を弄してマウントを取りに行っているWGの腐臭も笑いどころの議事録です。