はてなキーワード: 小確幸とは
・人はおおかたが、内心はゲスいことを考えている。
・力を持つことでそのゲスさを外に出してもいいと勘違いする不届者も残念ながらいる。
世の中には、Aセクハラをするひと/Bセクハラをしそうになってもがまんできるひと/Cセクハラ発想がないひと、の三種類のひとがいて、Aセクハラをするひとは、力の行使範囲を勘違いしている人、と言っていいと思う。
多くの人間はBに所属し、聖人君子かと思うようなCは希少種である。
それはともかく、Aセクハラをする人は、なぜ行使範囲を勘違いするのか。幾多のセクハラを受けてきた当増田が観察した結果をまとめてみると、
1 力の行使範囲が広いほど自分が偉いと考えている(旧来型セクハラ人格、野良犬のマーキング)
2 プライベートとパブリックの区別をつけられない(空気読めない、もしくはおれら仲間だからつい的な境界症例的なアレ)
3 もともと「女(または男)は見下していい」と思っている(ネオ性差別、「分断」派)
あたりが、感情原型としてあるのかなと考えている。これは原型なので、多くのセクハラ事案はこれらがそれぞれ個別の比率でミックスされている。
少し前に話題になった、中西大介元Jリーグ常務理事のセクハラ事案などは、1と2の合体型というか、職場(や家庭内)で起こるセクハラの典型的なパターンだろうと推察できる。
偉いんだから何しても許されるという甘えた心と、自分たちは身内なのだから許されるだろうという甘えた心である。要するに甘えてんだあのタコ坊主一生戻ってくんなサッカー界隈に。増田はJリーグ好きなのでつい激昂してしまったが。
ちなみに、この数日話題になっている彼のケースだと、1に加え3の要素である性差別や性的対象へのコンプレックス感情などもありそうだと愚察している。
珍しい種類であるCは、大抵ちょっと非の打ちどころのないモテだったりして、世界の不公平さに思いを馳せたりもする。
彼らにはセクハラは不要なのだ。内心のエロ心を外に出す必要を感じていない。
権力範囲の確認をする必要がないほど対社会的承認欲求に満たされているし、自分と異なる人(性的志向対象含め)とは融和すべきで対立するメリットはゼロだと自然に考えることができる。
大抵の場合そのような聖人君子はプライベートにも満足感を得ているので公私を分けるのも比較的容易である。Cタイプの人は家族円満に加え子供まで優秀だったりするので、ほんとすごい。
話は逸れるようで逸れないが、増田は「モテ」をバランス力ととらえている。イケメンであるとかお金を持っているとか、それだけでは「モテ」は成立しにくい。
バランス力って、イケメン4、お金5、地位4みたいにモテ要素がバランスよく配合されてるヤツだろ?ケッ、と思う増田諸兄もひょっとしたらいるかもしれないが、当増田が主張したいのはそういう意味でのバランスではない。
人が持っている各戦闘能力(顔、金、能力、面白力、愛嬌、ギーク力、諸々さまざま)には、残念ながら個々人ごとにスコア差があるし、各戦闘能力間にも「社会における評価」差がある。
簡単に言えば「顔」は社会的に評価が高いが「ギーク」はそうでもない。でもタモリ倶楽部的世界観では「ギーク」のモテ力はかなり高まる、みたいなことだ。
当増田の言いたいバランス力とは、己が持ってる各能力とそのスコアに自分が納得しているか、ということである。自分と「自分の能力」に折り合いがついている状態を「バランス力がある」と表現したい。
増田諸兄は「おれと似たような顔面のあいつには可愛い彼女(彼氏)がいるのに…」と思ったことが一度ぐらいはあるだろうか。少なくとも当増田にはある。
そういう「あいつ」が、私からみても良いヤツならまだ納得できるが、それほど良いヤツではないむしろ悪いヤツなのに…ということも少なくない。
嫉妬含有率の高い感情に我ながらがっかりし、うっかり己の不運に絶望しそうになるところだが、一方で、この「むしろ悪いヤツで戦闘力もあるとは思えないのに良い思いをしているヤツ」は、己の戦闘能力を客観視し適切な戦略を実行しているからこそ、果実を得られている(当増田はそのやり方は必ずしも常に好ましいことだとは考えないが)と考えることができるのではと思うのだ。
戦闘能力を示すチャートグラフの数値や面積の広さが問題なのではない。いや問題ではある(初めから恵まれた果実を手に持って生まれる人間も世の中にはいる)が、それとは別に、「自分は今はその面積しか戦闘能力がない」「うむそれなら持っているもので戦おう」と己の能力を素直に受け入れ対社会への解釈を客観的に出来る者には、その後の成長力も含め、なんにせよ未来があるということだ。
例えば、ギーク力が突出して高いだけの人間だったとしても、場所とメンツを選べば合コンでいい塩梅の彼女をゲットすることだってできる。
ポイントは「いい塩梅の」である。社会的に100点満点の(自慢できる)彼女である必要性は、少なくとも内的にはないということに、気づけるかということ。
手に持っている武器では倒せない敵に向かっては(または向かいもせずに)ヘイトを貯め込んでいく、このような状況を、当増田は「バランス力のないヤツ」と定義したいのである。
全ての項目が10点満点のチャートグラフを書けなくても、あちこちでこぼこで尖っていびつなグラフの自分でも、持ってるもんでやりくりしてこう、と折り合いがついた、バランス力が取れた状態になると、不思議なことに(まぁ不思議ではない当然ではあるが)チャートグラフのへこんだ項目のスコアも伸びていく。そもそも足りない自分に折り合いをつけられること、それ自体が「戦闘力の開発」だったりもするし。
一方で、この折り合いがつかないと、どんどん生きにくい自分になって行くんだろう。無い能力や評価されにくい能力と相手を呪う前にやることがあるってことだ。
そうすりゃCの聖人君子にはなれなくても、B:ごく普通のセクハラ我慢できる小確幸的人生は、手にすることはできる。
セクハラする人生は、幸せな人生とは決していえないのだ。あれは統合できない自己が、己や周りを巻き込んで自爆していく作業でしかない。
あなたの書いたことは理解できる。
私なりの読み取り方ではあるけれど。
人は自動的に生きてしまうように出来ているから、今の日本にいるとよっぽど意識して死なないと死ねないと思う。私も、結局まだ生きているし。
あなたが奨学金を返したこと、小さなことではあると思うけど、個人的には借りたものをきちんと返したんだからいいことです、あなたを誰かが信頼するひとつの出来事になると思います。
仕事に関しては、氷河期時代に何十社と受けて就職というのは当時普通で、結局受からなくてぶらぶらしているという人も何万人何十万人単位でいるのでは?仕事はあなたを助けてくれるものとして成立しているものではないことは、あなたなら理解できるでしょう。殆どの人はそこで苦労して、敗れたり馴れていったり妥協したり小確幸を見つけたり一時的な満足を得たり自分自身を成長し得たと思い込んだりしていけるわけです。今の時代、仕事と自分の適当な距離を見つけることは多くの日本人の課題なんです。
私は今30前後ですが、自分のことを大うつ病であると10年前から認識しています。薬が好きではないのと自分の方法論から、医師にかかったこともありません。おおきな流れで浮き沈みもあるけれど、時間や状況、機会があなたをゆっくり癒してくれることがありえると私は思います。ですが基本的な考え方として、人は自分で死んでもかまわないと私は常に思っています。個人的な倫理観からすれば、その際なるべく周囲に迷惑がかからないほうがよいです。またあなたの精神的またはその他の苦痛が許容するなら、できたら親御さんが生きている間は、あなたは生きていた方がよいとは思います。
それと、あなたは家庭を作る能力がないと書いていますがそれはあなたが心底確信していることではありませんね、第一家庭はいわゆる能力でつくるものではないしあなただけのちからで作るものでもありません。私もまだ独身ですが望むならお互い、いい相手がみつかるといいですね。
29歳の男です。数年前にできた年上の彼女がいます。しっかりした女性で、もともとオタ気質だった僕のファッションや立ち振る舞い等、おかしく見えないよう改善してくれたりしました。そういった面含め非常によくできた彼女なのですが、1つだけ、僕の中でもんもんとしたやるせない不満が高まってしまっていっていることがあります。
それは、彼女が一緒に海やプールなどに行ってくれないところです。歳と体型を気にしており、水着になるのが嫌なのだそうです。
彼女は30代も半ばにさしかかろうとしているわけで、気持ちはわからなくもないですし、無理強いをしたいわけではないのですが、僕は海沿いの街に生まれたこともあり、思春期の頃から、海に恋人同士で来て水着で楽しそうにキャッキャウフフしているカップルを羨ましく眺めて育った経験があり、ずっとそのような体験をしたいと思っていました(オタ気質だったのでついぞ望みが適うことなく現在の彼女が初めての恋人なのですが)。
もちろん僕らはヤることはヤっていますので、いまさら下心やよこしまな気持ちで彼女の水着姿を見て欲情したいというような話ではありません(潜在意識でそういうところはあるのかも知れませんが)。海やプールに自分の彼女を連れて行き、その水着姿をまぶしげに見たい、そういう青春ぽいものを味わいたいという強い憧憬があるだけです。普通のにいちゃんねえちゃんらが味わっていた頃に味わえなかったことのトラウマなのかも知れません。この時期を逃すと、僕は少年時代から見てきた風景のような海の恋人達の姿を、もう一生経験することがないんだなあと思うと、悲しくなって、憎くない彼女を憎んでしまいそうです。僕にかかったギアスの呪いのような強迫観念に近いものがあるのかも知れません。もっと普遍的に例えるなら、子供を作る気のない男性と結婚した女性が、ああもうこれで私は一生この手に自分の赤ちゃんを抱けることはないんだなあと感じるような小絶望(小さいけど確かな絶望←→小確幸)とでも言えばわかるでしょうか。特に夏が来ると毎夜のように、彼女を好きな気持ちと先述の葛藤とで吐きそうになります。
これは、どうするべきですかね?
そこら辺まで彼女に話しても頑なに拒否されるので、もう、1回ぐらい浮気して別の女の子と海かプールに行って、呪いを解いてしまいたいような気分にすらなってしまっています(女子と友達として行って解けるような呪いではないので実行したら確実に浮気レベルになってしまうと思います)。
または、こういう譲れない一線での不一致って、一般的には別れるという選択肢まであり?恋人と別れた経験がないのでいまいち実感がわかないです。
※自分の彼女を中古呼ばわりしたいわけではありませんが、最近増田で「非モテ」「いい人」が、結婚適齢期ぐらいになってから中古を捕まえたものの新車に乗れなかった鬱憤がうんぬんな話が盛んだったので、まさに僕はその典型じゃないかということで、じゃあ何かソリューションを提示できる奴はいるのかということで書いてみました。
ここらへんを読んでもやもやした↓
http://anond.hatelabo.jp/20081117114553