はてなキーワード: しらせとは
たまにバズると反応があるが、はてブ、トラバでいろんなタイプがいるので、感想と上から目線で論評したい。
自分の記憶を言う:文書を書いた人間と向き合わず、自分と向き合ったり、集まってくるブクマカの方を見て、話を自分の方向に誘導しようとしている感があるが、あまり嫌な気持ちにならない。こちらも記憶を共有しているし、他人の記憶の風景というのも思わぬ発見がある。共感合戦である。
歴史的な文豪や映像作家との類似性を指摘する:自分の教養に注目を集めたいスノッブ感はあるが、褒められれば嬉しい。それに、名前を検索すれば勉強になる。
感情を表明する:嬉しい。特にポジティブな感情や切ない感情、日常の笑っちゃう瞬間の感情など、そここそ共有したいので、素直な感情が感想として一番刺さる。
自分自身の行動を変えようとする:嬉しい。自分が見つけた日常の豊かさなどささやかなものだが、それにより他の人が小さな豊かさや美しさを世界に発見するかもしれないと思うとちょっと気分がいい。
誤字や文章の無意味な繰り返しなど、未熟を指摘する:ムッとくるがありがたい。もっと精進せねばと思う。
好みに合わない、読むのをすぐやめたと表明する:ブクマ数が伸び出すと出現する。合理性がない行為だなと思う。政治的立場や日常の権力問題などで自分と違う意見が蔓延することを警戒し、一言、反対表明をするならまだわかるが、モノローグ系は毒にも薬にもならず、別に読まなきゃいいだけのはず。
文章への反省と改善を求める為に最大限ネガティブなアラームとして「読まない」という態度を表明する戦術を採用したという可能性も考えられるが、前述の様にバズり出す、つまりよく読まれた状態で出現することが多いと言う状況から判断すると、「読まない」と言う選択をしたごく少数の人の意見を参考にして文章の方向性を変えることにどうも合理性を見出せない。
「多数意見に半旗を翻せちゃう独立心旺盛な自分」を他のブクマカにアピールするのが目的か、目立つものを見た時にネガティブな意見を言うことに自分を見つけてしまっている状態だと思われる。
ダジャレ、大喜利:はてブ伝統の知的スポーツ。自分の知的技能、回転の速さに酔いしれている感があるが、嫌いじゃない。時々一本取られる。
自分ならもっといい解決方法を知っている、もしくはすでにとったと言う表明:マウンティングも甚だしいが嫌いじゃない。それは多く、日常の豊かさや嬉しさの表明だから。それに時々本当に知識が広がって勉強になる。
上から目線で褒める:行動というより態度やスタンス。「よくよく考えたら上から目線である」ということに気づかないことが多く、その瞬間素直に嬉しがってしまう。でもその上からの態度も猫に褒められてると思うとなんとなく可愛いし、あまりムカつかない。嬉しい。
トラバ:あんまり本気で読まない。議論が広がる様な指摘は少なく、大概の場合はネガティブな感想を書くのみ。時々、有用な情報や感情の共有を試みる「ちゃんとした人」がいるが、トラバがエスカレートすると、最初のような「新顔が来たから現実的なワシが世界の厳しさを思いしらせてやろう」とうんこを投げつけに駆けつけるはぐれボスゴリラといった風合いのトラバ(もちろん無視する)との扱いの差に対して妙な不公平感を感じてしまい、ちゃんとしたトラバには心の中でそっと「ありがとう」とだけ言う。
人力にまた子のうつに対応できない親が来たから最近日記つけてないと思い出しメモ
とりあえず学校も企業も切り離しつつアッシーしてあげたり友達とはなるべくつないだりした
娘は寝られなかった、ずっと溺れるひとがわらを掴むようにスマホにしがみついて腹ばいでベッドにいた
朝方ようやく疲れ果ててねるので午後起きで1日ベッドにいる、シーツが二枚擦り切れた、なお風呂は疲れ果てるからなかなか入らない
よるひとりになると寂しさ、というよりイライラに耐えかねスナック食べ血糖値でごまかす。ひるも食べる、のむ。太って肝臓に黄色信号。甲状腺ホルモン疑いで二回検査、二回とも正常値、ただ経過観察とはいわれた。気持ちの安定のためスナックは以前より多めに買っている
たまにカラオケなどでかけると低血糖なのか自室まであるいてあがれず四つん這いで階段にいて泣いていたことがある、尻を押した。
とにかく寝られないのだ、寝ようとする努力などしたくもないくらいイライラしていたのだ、最初は常識で判断して逆だと思ってしまっていた
転機というか、向上への気づきはたくさんあった、とにかくむりじいはしない、とは言え、でかけたがる(認めてヘルプしないと医者や必要な場所にも行かない)のでアッシー補助する、お金を財布から抜かれても気づかないでいてあげるなど。家計簿が合わない額は年間30万くらいだから小遣いが月3万弱足りなかったのだろう。最近は現金をあまり降ろさないのと、抜いてもいいけどメモ残してといって知っていることをしらせている、うつ病介護がなくなったら30万どころか100万くらいはパートでかせげるので安いものだが、どうしてもがなりつけたいしだめならチクチクくらいはいいたいだんなの説得に手間取った
で、睡眠の転機のひとつはかゆみが出たこと。貧血の治療のため鉄剤を飲ませたら鉄剤の飲み過ぎか体が夕方かゆくなった。毎晩9時になると出て痒すぎて寝られない。風呂に入ってる最中にもかいてみみずばれがふえる。寝ると治る。毎晩違うところに出る。アトピーなどの普通の湿疹は固定されたところに出るのでこれとは違う。調べたところ精神安定剤が有効だということだ。そこでSSRIと一緒にもらってあったが過眠になるとおもってたため使わなかった睡眠系精神薬を飲ませてみたら楽になったと言うので毎晩、かゆみが出るすこしまえの時間帯に継続して飲ませることにした。その後医者に相談して飲ませていいと言質をもらって追加処方された。
まあ、お金のほうが効いてるのかもなあ。まじめな親って経済DVなのかもなとおもう。うちもダンナがテストの成績で決めるとかいって進学校なのに無理言うからだんだんさがって私がいさめなければ月3000円のまま高校卒業するところだった。もちろん服やスマホは買って与えてるけど、曲などに課金できるお金がないのがつらかったようだ、夏は一日一本アクエリ買ったらなくなる額だし、月末に通学定期を盗癖ある同級生に盗まれたら一巻の終わり。
小さい頃からお金頂戴なんてずうずうしいことをいったことがない。高校になってもお年玉もらえるから帰省したがったけど実の娘でもがなりつけたくなるような失礼すぎる祖母相手に頑張り過ぎたことで心の折れが始まってたんだろう。
折れてからニートにはしたくないって頑張っても意味ない。けっきょく正社員なんて多分なれなそうだけど、勉強できないってバカにしてた幼馴染にも学歴では抜かれたけど、なんとks大学に通ってるし、そういうしあわせな家庭もいっぱいある。うつ病は図々しくなれずに幸せを自分で遠ざけてしまう。いちどそうなるとじゃぶじゃぶうえから幸せをかけないとなおらない。というよりかこころの幸せ受け入れ窓口が年間360日くらい閉じてるので毎日薬飲ませて確率上げながら朝今日は窓口開いてる?と確認し、空いてたら質のいいのをねじ込むって感じ。
ようやく治っても再発するっていうけどね。
わかったらすぐ手術するものかと思ってたけど、血液検査の結果が出るのに1週間かかり、そのあとの手術になるらしい。
手術というのは、絶対するんですか、自然に出てくるのを待つとかはしないものなんですかと聞くと、胎嚢(赤ちゃんが入っている袋)がもっと小さければ待つこともあるけど、あなたの場合は胎嚢も赤ちゃんも結構大きくなってきているから、ほとんどのケースでは自然娩出は待たない、待っている間に感染が起こることもあるし、手術することをすすめますとのことだった。
書くことで落ち着きたいので、妊娠発覚から今日までの経過を書かせてください。
夫も治療には意欲的で、精液検査もすんなり2回行なってなんの問題もなく、むしろ非常によい数値が出ていると毎回ほめられていた。
仕事等の都合で途中治療を休んでいた時期があり、排卵誘発でのタイミング療法を再開してしばらくしての妊娠だった。
自然妊娠はむずかしいのかなあと思い悩むことが増えはじめた頃で、妊娠検査薬が陽性になった時も、うれしさと同じくらい、浮かれてはいけない、ぬか喜びしてはいけない、という気持ちが強かった。
排卵誘発の注射が偽陽性を出すことがあると聞いたことがあったからだ。
夫に検査薬を見せると、飛び上がって喜ぶようなことはなかったが、へえ、と言いながらいろんな角度で何枚も力強いピンクの線を写真に撮っていて、この人らしい大喜びのしかただと思った。
でも、擬陽性かもしれないから、ぬか喜びかもしれないから、と何度も言ってその日は2人とも喜びすぎないことに注力して寝た。
その日はエコーも尿検査も何もしなかったが、医師からは、排卵誘発の注射からは1週間以上経っているし、最近の市販検査薬は精度が高いから、妊娠で間違いないでしょうと説明があった。
看護師さんからは妊娠初期に気をつけることや通常の産婦人科にかかるのは大体8~10週頃になるとの説明があった。
ここで子宮外妊娠が否定され、妊娠がはっきりとわかったが、夫にはまた、心拍確認までの流産の確率は結構高いから、まだ何があるかわからないから、と何度も言った。
私は、がっかりしないように、期待しないようにと身構えるのに躍起になっていて、今思えばそのせいで、結果最後まで夫婦で大喜びする機会を逃してしまったように思う。
その次の週にはエコーで卵黄嚢(胎盤が出来るまでの赤ちゃんの栄養源)と胎芽(胎児の前段階)の確認ができた。
同じ日に心拍の確認ができたが、大人と同じくらいの心拍数で、非常にゆっくりだと言われた。
心配な兆候だが心臓が出来たばっかりだとゆっくりのこともあるので、来週また来てくださいと言われた。
生活で気をつけることや出来ることはありますかと聞いたら、出血しているわけでもないし、この時期のことは食べ物や運動でなんとか出来ることは何もない、普通に過ごしてくださいと言われた。
はじめてのはっきりと不安な帰り道だった。
心拍が確認できれば流産の可能性は15%から5%に下がると聞いていたから、今日心拍が見られればやっと夫婦で喜べると思っていた。
自分の両親には夫の承諾を得て妊娠を知らせていたが、心拍が確認できれば、夫の実家や兄弟や親しい友だちにも妊娠をしらせようと思っていた。
結局電話はしないことにした。
夫に、心拍が確認できたらたまごクラブを買う、と言っておいたので、はじめてのたまごクラブという雑誌を買った。
夫は、表立って浮き足立つことはなかったが、体重計を買ってくれたり、座椅子がいるんじゃない、あれがいるんじゃない、と言って淡々と色々とさがしてくれたりした。
いそいそとしている夫をうれしく思った。
夜は2人で少し散歩をしたりした。
つわりも出てきて、体を動かすことが怖く、夫が帰ってきても晩ごはんが出来ていないことが何度もあったが、いいよいいよと言ってくれた。
エコーで、卵黄嚢が大きいですねと言われた。
検査後に自分で検索してわかったのだが、栄養源の卵黄嚢が大きいということは赤ちゃんに栄養が行っていないということらしい。
胎芽は1週間分ちゃんと大きくなっていたが、心拍数は先週と変わらなかった。
診察室に移り、夫とともに話を聞くと、よくない兆候ですとの説明があった。
医師が、元気ですよ、元気なんですけどね、と途中で言ったので、元気なんですか?と聞くと、元気というか、現時点で生きてはいます、と言いにくそうに言っていた。
この時期の胎芽がもし上手に育たなかった場合、ほとんどは染色体等の問題でもともと育つことができない子がなんとかここまで育ったがやはり上手くいかなかった、ということであり、医師にも、我々にも、出来ることはないとのことだった。
今後どうなるかははっきり言えないとのことだった。
でも医師はかなり難しい顔をしていたので、あの、もちろんはっきりと言えないと思うんですが、確率的には、と聞くと、医師はやっとここで、正直かなり厳しいでしょう、と言った。
呆然としてしまったが、今日は夫がいてくれてよかったなと思った。
夫に、どう思う?と答えにくい質問をすると、夫は来週まで待ちましょう、とだけ言った。
本当に良くないんだけど、『卵黄嚢が大きい』『心拍数が少ない』などで検索ばっかりしていた。
かなしい、不安、というよりぼーっとしてしまう、ついつい見てしまう、という感じだった。
落ち込む準備をしているようだった。
検査の前日、不安だよ、行きたくないよと夫に強く当たってしまった。
最後の検査の日、エコーでそう長く続けないうちに、やっぱり厳しいですね、と医師が言った。
心拍は見えなくなっていた。
この時期なら大きくなる一方のはずの胎芽は先週の半分に縮んでいた。
流産と診断された。
手術の説明の前に一度戻った待合室の端っこで、人から見えないように少しだけ泣いてしまった。
昼食をとりながら父母に電話するがつながらず、誰かに話を聞いて欲しくて、兄に連絡すると姪が熱を出してたまたま仕事を休んでいた。
今寝てるから電話できるぞと了承を得て、これまでのことを頭から話したら、いろんなことを思い出してぼろぼろに泣いてしまった。
兄は、俺は色々言えないし、かなしいことになったのは事実だけど、お前はずっと妊娠を目指してきたんだろ?かなしいことが事実なのと同じように、お前が妊娠したことも事実だし、次があるのも事実だから、というようなことを言った。
姪が起きたようなので、ごめんもう切るぞと言って電話は終わった。
父母に電話した。
少し落ち着いてきたので泣かなかった。
実家は離れていて、母は、こんな時に近くにいてあげられなくてくやしい、というようなことを言った。
はじめはGoogleで、次はTwitterで、あらかためぼしいものは読んだなと思ったので次ははてなで検索した。
体験記を読む間はあまり余計なことを考えなくて済んだし、内容に没頭できた。
ぬか喜びでもなんでも、後で死にたいほど大泣きすることになっても、もっとはしゃいで、もっと浮かれて、2人でばかみたいに大喜びしてあげたらよかった。
落ち込まないよう、がっかりしないよう、びくびく気をつけて、そんなことに気を取られている暇があったら、はじめから2、3ヶ月しか一緒にいられないと決まっていたとしても、もっともっと、おなかに来てくれてありがとうって、あなたが来てくれて幸せよって、伝えてあげられたらよかった。
元々お酒は宴席で飲む程度だが、妊娠してから夫の晩酌を見て、飲めないと飲みたくなるね~なんて言って笑っていた。
心拍数が遅いと言われてから、少しでも体を冷やさないように、好きなバニラアイスを食べないことにした。
妊娠がわかってから、友だちと前から楽しみにしていた遊園地の約束を断った。
アイスクリームが食べられることがかなしい。
遊園地にでもどこにでも行けるのがかなしい。
世界中どこにでも行けるのがかなしい。来年の何月頃にと想像していたことがかなしい。来週おなかからこの子がいなくなるのがかなしい。
かなしい、かなしい、かなしい
手術の前なのでまだつわりがある。
気持ち悪い。この気持ち悪さが、来週の今頃にはきっとないのがかなしい。
でもこの子はまた来てくれると信じて、しばらくは体を鍛えたり、体を冷やさないように気をつけたり、食べ物に気をつけたりしながら、また不妊治療がんばりたいと思います。
他でちょっと書いたら、ちら裏に書けと信者の人に言われたので、もう少し考えた上でここに書く。
どうもこういう事らしい。
ろくに武器もない単なる女子高生が、ガチの越冬隊に混じって南極に行くという大きなハードルに向かっていた。
しらせの動機にしたところで、本人には一生の重大事でも、南極チャレンジ班にとっては「それは個人の動機でしょうが」で一蹴できる程度のものでしかなかった。
次から次に立ちはだかる問題・障害に立ち向かう雄々しい物語として、俺はこの作品を楽しんでいた。
ところが南極についてからは、内輪でなんかごちょごちょ感情のやり取りをしてるだけで、なんだか困難に立ち向かってなかった。
周囲も彼女らの個人的な感情について大変理解があり、助力者だらけだった。
例えるなら、万難を排してラストダンジョンに到達したと思ったら、ラストダンジョンもラスボスも妙に難易度低かった感覚というのか、
何か南極ぬるくねえ? って所に集約されると思う。
そんな感じ。
(https://anond.hatelabo.jp/20180322081336 からの続き)
めぐっちゃんと、「南極行きの荷物整理中に見つけためぐっちゃんのゲーム」を「(昔は2人でプレイしていたのに)キマリが一人だけでプレイ」しながら「めぐっちゃんの知らない、キマリの友達」の話をするという流れが端的にめぐっちゃんの心境を表している。めぐっちゃんの心境は各話で少しずつ描かれているが、ここで一気に「めぐっちゃん…」ってなる非常に強烈なシーン。
めぐっちゃんがキマリにすべてを打ち明けるシーン。以下自分語り。
私には小学生時代に知り合った友人がいた。友人はきっかけはよく覚えていないが、小学校高学年になる頃にはほぼ毎日一緒にいたと思う。ただ友人は変に気の強い性格だったのか、私が他の子と遊んでいると鬼のような形相ですっ飛んできて私をそこから連れ出そうとしたり、一人にされることを極端に嫌がったりした。それに振り回されるうち、私は一日中その友人とセットで行動するようになり、中学生になる頃にはその子以外と一切遊ばなくなっていた。
私が当時その状況に甘んじていたのは、一つは友人といて楽しかったと思ってたから。友人はいろんなゲームや漫画のある家庭に育ったので、友人の家に行けばわりと満たされたからだ。そして二つ目は、私が友人から距離を置こうとすると全力で拒否するようになったからだ(暴力込み)。はじめのうちは喧嘩もしたけれど、そのうち「あまりに近くなりすぎないよう距離を置きつつも、概ね抵抗せず、常に機嫌を伺う」というぬるま湯に浸かる術を身につけた私達の仲は、大学時代まで続いた。
その当時の心境を端的に言うと「友人には私が必要だが、私はそうでもない。でも友人から得られるものもある。適度に利用しながら、距離をとっていこう」みたいな感じだった。
別々の地方大学に進学したあとはコミュニケーションを取る頻度が劇的に落ちた。たまに友人からヒステリじみたメール等が飛んできたけれど、物理的な距離のおかげで友人の拘束から逃れることが出来た。そして一人になって初めて、孤独というものを強く思い知らされた。サークルに入っても上手く人に合わせられない。ワイワイする方法がわからない。大学生同士の話題についていけない。同じ趣味の人を見つけることが出来ない。何もかもが上手くいかない。そしてその悩みを共有する相手がいない。本当に空虚だった。案外、友人を縛り付けていたのは私だったのかもしれないな、と今は思っている。結局友人とは音信不通になった。
だから、面と向かってキマリがめぐっちゃんにこの話をしたのはキマリの鋼メンタルを物語ってる。言わば「いっつも面倒見てくれて、それにずっと甘えてきたけれど、もうやめにしよう」とめぐっちゃんを突っぱねたんだから。「いつも面倒かけて申し訳ないから…云々」という消極的な理由ではなく「ゲームの相手になれるくらい」の関係を築きたいというキマリの想いは絶交を宣言しためぐっちゃんと対照的なのだけれど、どっちの気持ちも分かる。私がずっと抜け出そうとしなかった不幸のぬるま湯に、めぐっちゃんもキマリも気づくことが出来て、しかもそこから抜け出そうと一歩を踏み出したのだから。私には二人が眩しく見えた。
でも一方、5話におけるライティング演出が二人の「ここではない、どこかへ」という勇気について非対称性を感じさせる。簡単に言ってキマリ=陽 めぐっちゃん=影 なのだけれど、出発のシーンでは
「絶交無効」…陽
となっていて、「友達と4人で」一歩を踏み出すキマリの明るい予感と、「そうではない(一人で)」一歩を踏み出すめぐっちゃんの暗い予感という対比に見えた。私自身めぐっちゃんルートだったから、最後にキマリが絶交無効したシーンで二人に陽が当たる演出は、「めぐっちゃんにキマリは必要」であることを肯定的に描いてて本当に好き。そう考えると、5話におけるライティング演出の狙いはすべてこの「絶交無効」に収束している気がする。
19:00頃~
日本編と航海編をつなぐ回。シンガポールのメジャーな建物が現地民も納得のハイクオリティで描かれていて、めっちゃ行きたくなる。本作における聖地巡礼は、館林(群馬)→歌舞伎町(新宿)→極地研(立川)→シンガポール→フリーマントル(オーストラリア)が無難か。
キマリ&ゆづの部屋と報瀬&ひなたの部屋でダボーベッドの広さが異なって見える(報瀬ひなた部屋のベッドの方が距離を感じる)。計測したらどっちもほぼ2m幅になっていたので、2組それぞれの心の距離に差があることを非常にうまく対比している、すっげえ大好きなシーン。
無理ーってなってる日向を、自分のわがままで引き止める報瀬。このやり取りは、3話で報瀬が自身の性格について自己嫌悪していた時、日向が「思いの強さとわがままは紙一重である」とアドバイスするとても尊いシーンと対になっている。あのとき日向が報瀬のパーソナリティを肯定したからこそ報瀬が成長し、その結果として6話があるのだと考えるとこんなに幸せな話は他にない。
シンガポールの街並みを見ながらそこに住む人々の生活に思いを馳せ、
同時に過去(日本での生活)を思い出しつつ未来(人々の生活が存在しない大陸)を暗示させる印象的なシーン。
19:35頃 ビジネスクラスのチケットを持ってムッフーなってるキマリ
前回の観測船→今回の観測船の対比(減ったトラックや物資、前回は多くの取材陣に囲われていた隊長、前回は一緒だった貴子)
アバンだけで「観測隊の船出が順風満帆ではないこと、また隊長、かなえ、貴子の関係」を回想と現実の対比によって簡潔に表している。
本作を支える「緻密な取材に基づく描写」がこの辺りから本領発揮する。砕氷艦報瀬の内部構造がしっかり描かれていて、話の内容関係なく観てて楽しい。
ここまでの伏線として「先行き不透明」とか「カネがない」とか「南極ってめっちゃ過酷やねんで」等重大な問題が示唆されているのだけれど、それに対して「一発逆転(一攫千金)の方法」とか「やってみなきゃわかんない」等の非現実的な展開によって解決せず、「これから先いろんな困難が待ち受けている」のではなく「いろんな困難があったけれど、強い覚悟で3年間戦ってきたからこその今がある」っていうもう一つのドラマとして丁寧に大人組を描いていて、主人公の4人よりむしろ大人組に感情移入してしまった。隊長の「この船は、そういう船」っていう言葉で胸がいっぱいになる。
だからこそ、その観測隊員の前で自己紹介をするキマリ、ゆづ、ひなたの晴れやかな顔を見ると「ああ、この子たちはそれでも主人公なんだな」って感じさせるくらいのドラマがあったことを思い出す。大好き。
ここまで「南極にとらわれているお姫様」という舞台装置でしかなかった貴子の「星を見る船を率いていた一人」という側面を知ったことで、報瀬が抱く(手放しで仲間と呼べない)観測隊への複雑な想いが伝わってくるし、自己紹介のとき「小淵沢…報瀬です…」という言い方からも彼女にとって、そして隊員たちにとっての「小淵沢」という姓の重さが伝わってくる。だからこそ、敵or仲間相手じゃないと普通に喋れないポンコツ報瀬が(日向のフォローもあって)あのセリフを言えたことは彼女の成長を強く感じさせたし、「報瀬のコールに応える隊員たち」というシーンだけで、セリフもない隊員達含む全員の想いを完璧に描いた演出は控えめに言って最高すぎる。
8:40頃 物資を運ぶのが大変すぎて、疲労のあまり原型を失ったキマリ
氷海域へ到達!波濤を進む砕氷船「しらせ」での艦内生活【南極観測隊シェフ青堀力の南極紀行2】 https://serai.jp/tour/141947
船内のシーンでは声の反響がシチュエーションごとに異なっていて、反響を聞き分けるだけでその部屋の大きささえもわかるくらい細かい。
「特に荒波に揉まれる砕氷艦の船内」の音がすごい。どうやって作ってるんだろ
キマリの前髪という話題に触れるのは8話が初めてであり、言ってみれば「主人公のキャラデザ(キービジュアル)に個性的な伏線を張り、それを8話まで引っ張る」というマネをしている。「なんやこのキャラ、あんま可愛くないやんけ」って思われたらどうしようとかそういう不安をぶっ飛ばすストロングスタイルな戦略である。前髪の理由を聞いて「あー、だから・・・」って思った私は見事術中にハマっていたらしい。キャラデザ最高かよ。
Bパート以降ずっと画面がゆらゆらしている。公式ラジオでキマリの中の人こと水瀬いのりが「アフレコの時ずっと見てて軽く酔った」と言っていて、たしかに大きい画面で観ると結構きつい。むしろそういう効果を狙った演出だったら笑う。
大人の一人として扱われ、荒波に揉まれる(物理)姿は新社会人を思い出す。観測隊としてやっていくためにはもっと多くのことを出来るようにならなければダメだし、そこに「やる、やらない」という選択肢はなくて、ただ与えられる業務を淡々とこなすことが求められるのも社会人の一つの形なのかもしれない。そしてそういう姿に青春は宿らない。「宝石の国」(2017)12話のフォスフォフィライトを「入社3ヶ月目の俺」と評した人がいたけれど、この4人ももしかして…と思わせるような心境が「頑張るしか無いでしょ…他に選択肢はないんだから」という報瀬のセリフによって描かれている。
これと対になっているのが4話ラストのシーンで、4人が観測隊(あるいは報瀬の旅)についていくのではなく、「みんなで南極に行く」という覚悟が対になっている。だからこそキマリの「この旅が終わった時にはぜったいにそう思ってるもん!」はその鋼メンタルに痺れたし、その後4人のやらかす姿は相変わらず青春しててめちゃくちゃ眩しかった(夜なのにね)。また4人が水平線に流氷を見つけた時の顔は出港時の4人と全く同じ構図になっていて、彼女たちの「変わらなさ」を象徴している気がした。
南極の大変さにビビってたキマリたちがかなえさんに昔の観測隊が何度も何度も南極に挑み続けた話を聞いて、あるいは同じ話を幼い報瀬に話していた吟隊長、そして今の報瀬が砕氷艦のラミングを繰り返す姿に「行け!」って前のめりになっている姿がすごく良い。時代を超えてそれぞれに受け継がれてきた魂のようなもの(作中では「吟の魂」と表現されててかっこいい)の強さがラミングしながら進む砕氷艦の勇ましさや音響とシンクロしてて、控えめに言って最高。
あと、「吟の魂」がなかった3人組は吟と想いを共にする隊員たちより縄跳びが下手で、一方それを幼少期に受け継いだ報瀬は縄跳びがうまいっていう文脈良いよね。そういう意味で3話Cパートの「貴子と、縄跳びを手に持つ報瀬の写真(撮影者はおそらく隊長)を手に持つ隊長」のシーンは非常に印象的。なお現実の観測隊でも縄跳び大会があるみたい(娯楽大会と称して、アウトドア競技やインドア競技で盛り上がるらしい)。
「その貴子はもういないのよ」というかなえのセリフが刺さる。吟は強い信念を持って前回の南極観測に挑んだ結果貴子を失ったことを非常に悔やんでいたし、加えて報瀬を強く傷つけた。しかも自分の信念をロリ報瀬が受け継いだからこそ今の報瀬は母の亡霊と決別するために、あろうことか「宇宙よりも遠い場所」を目指しちゃって、しかも成功しちゃって今目の前にいるというのは吟のカルマそのもので、もはや「自分のせいで報瀬の人生めちゃくちゃ」なのか「報瀬は報瀬なりに一歩を踏み出す勇気を持った子に育ってくれた」のか分からないよね。両方か。そのくせ自分は過去に囚われてるままだし。ラミング→貴子の回想っていう構成で胸がいっぱいになる。
だからこそ最後の「ざまーみろ!」を最初に報瀬が言う演出は最高だった。おまけに大合唱だし。泣くやんあんなの
ラミング(2回め)の氷が割れる音がすごいので、ぜひ爆音で聞いてほしい。あと氷にまつわる音で思い出すのは「宝石の国」(2017)7話の流氷の音。あっちもすごい。
11:55頃 甲板で会話する報瀬と隊長の二人を、下からこっそり見守るキマリのアホ顔
南極のあらゆるシーンで息が白くない。これは気温が低くても息が白くならないリアル南極の仕様を再現してるのだけれど、「白い息を描かない」ことで「ここが南極であることを再認識させられる」っていうのがなんか良い。
「ヘリの音がうるさくて会話が聞こえない」というシチュエーションをアニメで表現しているところを見ないのだけれど(当たり前か)、このシーンはガチでヘリの音がうるさくて好き。ぜひフラットな出力の(人の声を強調しない)スピーカーで大音量にして聴いてほしい。
朝の「ご安全に」、ついつい復唱したくなる。あのシーンだけで「この基地においては隊員たちがああやって生活している姿がメイン」であることを再認識させられる。南極だから彼らが毎日特別なことをやっているわけではないんだよ、というメッセージになってて好き。
「友達とはなんぞや」という話を中心に、それぞれのキャラクターを描く回。10話から本格的に基地での活動や生活を中心とした物語になる関係上それぞれのキャラクターが「友達とは」に言及する尺が結構短い。なのにすごく説得力があるのは、うまくこれまでの物語で彼女たちの心を描いてきたからこそだなぁ、と感じる。
ゆづが「友達誓約書」を出してきて、もしこれが3話とか4話だったらただの笑い話なのだけれど、あれから7ヶ月も一緒だったからこそ3人が曇った顔をしていた気持ちもわかるし、5話があるからキマリが泣いちゃう気持ちがわかるし、一方笑顔でめぐっちゃんの話をするキマリを見てると胸がいっぱいになるし、1話やカーチャンのことがあるから報瀬の友達論は重みがあるし、6話があるから日向が「友達って」をうまく説明できないのが辛い。そして何より、3話で自分から「友達になりませんか!」という宣言とともに獲得した2人の友達(察しのいいゆづならきっとその2人がなんで友達になってくれたのか分かるはずなのに)にすごくこだわっていたゆづ故の「友達誓約書」って思うと、すごく切ない。だって7ヶ月間ずっと待ってたんだぜ?友達宣言。
大好きなのは日向と報瀬がゆづを励ますパーシャル丼のシーン。BGMが3話等の挿入歌「ハルカトオク」のアレンジになっている。BGM聴いただけで「なんて温かいシーンなんだろう」って思わせるくらい優しい空間になっていて、(ゆづの悩みとは裏腹に)明るい予感に満ちている。メッチャ好き。
現代風の表現を用いる時の問題として、時代の変化によってその意味が変質したりするという点がある。これは意図して変質を招くことは少なくて、大抵は無自覚に発生する問題である(ex,宇多田ヒカル”Automatic”の歌詞に出てくる「受話器」)。今作で言えばSNSアプリでのやり取り。もしSNSがポケベルと同じ運命をたどった時、その未来においてこの作品の意図はどれくらい伝わるんだろうか…と心配になるのだけれど、10話の18:30頃において、「既読が付くこと」を「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」と表現していて、思わず「おおっ」ってなった。現代風に言うなら「既読スルーしてやんの」とか言いそうな所だけれど(キマリは言わないけど)、「”ピッ”って、読んだよーってサインが付いたり」という言い方は向こう20年くらいは伝わる表現なんじゃないだろうか。風化しにくい表現を選んだ、と言う意図があるかどうかは分からないけれど、すごく好きな表現だ。
ほんとになんにもわかってないことがわかった。
↓
2.各種の事業が提案されたらその区域内の区域会議で、区域の目的に適合するか審査
↓
3.各区域会議から出される提案を国家戦略特区諮問会議が審査し、認定
↓
という流れだよ。京産大も、加計学園も、2までは同じく終わってて、3の判断が異なったということ。
一方獣医学部の新設そのものは、ニーズが変わったとして日本再興戦略2015で検討することになった別の流れの話。
それを特区で行うことを決めたのは、平成28年11月9日。ここまでは、誰かが情報を漏らさない限り、金がかかる設計なんかの準備に入るわけがない。全部おじゃんになる可能性があるわけだから。それがないんだってしらせることは、公募事業における利益相反行為でアウト。世間知でそんなの当たり前、といったって、公務員倫理規定でアウト。
4の公募の段階でも、あくまでオープンで、どこかを念頭に置いたものではない、と松本副大臣は答弁してるよ。民進党の桜井充議員が、東北医科薬価大の医学部新設など、普通はもっと長い期間の公募機関を取るんだと。これはきめウチだろと批判してましたよ。そしたら「そんなことありませーん」って言ってんだよ。あなたの言うとおりならこれも虚偽答弁。
本文を読む前の予想通り、「知識(情報)やコネを得るにも資金と時間はいるから」って意見が出てるね。
それは当然として俺が読んで思ったのはメンタル(医者までは必要ないレベル)の話で、他の意見だと想像力って部分が重なる気がする。
さておき、タイトルだけを見るなら同意する部分は多い。寧ろ「頼るのが下手だから貧乏になるんじゃね?」くらいの感じだ。
メンタルと頼るのが下手さ加減の関係ってイジメ問題にも似ててさ、生活保護費を下ろしに行ったその足でパチンコ屋へGO、みたいのってメンタルも頼り方も問題だよな?
だけど行政保護の上に今度はお金の使い方だとかギャンブル依存のメンタリティ改善の為のカウンセリング、とかやると際限なく資金も金がかかるんだよな。
その上「貧乏人は娯楽すら許さずに金の使い方を指導して洗脳するのか?! 殺せ!」みたいに言われたらそりゃ死ねとも言いたくなるわ。
でも違うんだよ。
上から目線でオマエにも問題がある、って言いたくなるだろ? その上から目線へのカウンターとしてギャンブルがあるんだよ。
誰だって頭下げて蔑まれて頼み込んで生きる暮らしなんか続けたくないんだよ。
最初は行政の保護に甘えててもな? 「働かなくて生きられるなんて楽でいいわねぇー」だの「俺も片目くらい不自由だったらよかったのになw」とか言われると貧乏でもプライドはあるから「今に見てろよ」とか「オマエなんかに頼るもんか」ってなるワケ。その辺が想像力ないって言われてるんだと思うね。
メンタルの話は終わり。
これは在日と左翼の関係が分かりやすいけど「そういう言い方は差別です! そんな言い方をするから働く気力が削がれるんでしょう?!」って自分は当事者でもないのに福祉ポルノを愉しむ人達がいるだろう?
あっちも矢張りメンタルに問題があるんだと思うんだけど、いや、別にメンタルでなくとも心性でもスピリットでも心掛けでも何でもいいけど、これも重なる部分がある。
「当事者でもないのに善人面できていいよねw」「それで生活してるもんね?」「差別利権おいしいれす」「売国奴」
みたいのがさ、仲介者達を追い詰めて差別狩りにはしらせる部分もあんじゃねーかな、と。
金持ちも貧乏人も分かりやすくて、家柄も知れてたから追い詰められたら怒鳴り込むってのができた。
キレて怒鳴りつけられるって大事でさ、これもギャンブルなんだけど、実は安全弁でもある。仲介者が入るのはその後で、今みたいに金持ちの先棒担ぎじゃなかった。
一切合切が自業自得で、自分に原因がある貧困でも同情して仲介する奴ってそうそういなかったと思うんだ。だから必然的に頭の下げ方も覚えた。
webやSNSは仲介者達が胴元の知名度ギャンブルであって、分かり辛いんだけど一億総芸能人、総プロモーターとでも言うか、自己情報を資本としてコネを獲得する争いになってきてる。地主や小作の関係であれば偏り過ぎたら打ち壊しや怒鳴り込みができるけど、仲介者達はそれを許さない。そもそもwebでそれをやったら餌でしかない。
コネは当然、金を手に入れる為の手段になりつつあって、SNSは時間食い虫だ。
増田ねこの報、聞きました。ネコではなかったようで、残念でしたね。今度は良いしらせが聞けることを祈っています。
私の弟、須田072は元気でやっているでしょうか。ご迷惑をおかけしていなければ良いのですが。私の部隊は明日にでも《承認欲求の森》に入ります。正直なところ生きて帰れるかどうか……。弟によろしくお伝え下さい。私はお前を愛している、と。
2015-12-19 16:00 for mail
※※※※※
部下の奈々詩が言った。
「ええ、そのようね」
私はズボンのポケットから、羅針盤を取り出した。方位磁針はくるくると止めどなく回転し、完全に方角を見失っている。
「恐ろしいですね。他者からの無責任な承認が、自分の本当に進むべき道を迷わせる。何千人もの増田が承認欲求の虜になり、この森に姿を消した……」
奈々詩は道の先を睨みつけている。彼女の弟も承認欲求に足を掬われ、命を落としたのだった。森は霧で満ちている。少し息を吸い込んだだけで承認の恍惚感に目眩しそうな、恐ろしい瘴気だった。
森の奥から、不気味な声が響く。私と奈々詩は熱線銃を手に持って、声の聞こえる場所へと慎重に足を進める。木々の切れ間から見えたのは、ふりふりのワンピースを来た中年男性の増田だった。
中年男性幼女増田はスカートをたくし上げて、自分の涙を拭いていた。上空では灼炎鳥(ホッテントリ)が喜々として飛び回り、獲物を喰らう機会を窺っている。
私は中年男性幼女増田に、銃口を向けた。幸いにしてまだ向こうはこちらに気がついていない。
「殺すんですか」
奈々詩はためらいがちに聞いた。
「ええ、それが増田のためよ。ブクマ中毒の末期患者がどれほどの悲壮な最期を遂げるか、あなたも知っているでしょ」
もともと、自分の『名』から切り離された完全匿名の空間は、承認欲求とは縁が遠い世界だと思われていた。増田であればスターの過剰摂取による食中毒も起こらないし、ましてや増田にブクマをつけようとする物好きもいなかった。いつからだろう、このセカイは変わってしまった。
「さよなら」
私は口を固く引き結び、銃の引き金を引いた。森にひとつの銃声が響き渡る。