はてなキーワード: 頭脳とは
俺はずっとマンガ「キングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。
地元、都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムのフォーマットはそれだ。
だからオリキャラ、史実キャラ問わず量産型なやばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。
と言うわけで自分の中で整理はついた。
それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代の英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。
いやー、項燕は強敵でしたね…。
この3つだ。
この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。
そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。
そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。
それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ的文法から脱することも容易だ。
ヤンキーマンガを揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。
さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物が存在することも非常に大きい。
原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。
後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治の問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶」であることもポイントだ。
そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃん陽ちゃんである。
特に信は様々な事件で後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。
そして、政治や戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。
ベルセルクのバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダムの宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外どもの共演が魅力だ。
そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から表舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。
テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。
キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しかも人格は高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源は結構いい意味)、知名度もエピソード的にも隙がない。
理想のためには己の手を汚す、歴史に汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中編ラスボス。
ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。
荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。
闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。
荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。
また、結局のところ最後の最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高と荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。
主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリームの世界なので面白くないわけがない。
クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国の重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白いものになる。
政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい。
最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交を見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。
賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場で対峙するギャップもいい。
テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場でストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。
そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。
秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点(商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。
領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験が戦場でも生かされることになるだろう。
なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。
ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。
また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。
信は王子にどうかかわるのか。
そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。
蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。
この政治編のサブ主人公は蒙恬と言える。李斯、趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。
個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。
むしろ扶蘇は女の子でもいいぞ。女の子だから継承者から廃された、とかね。
蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。
宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。
そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。
誰が至強か!?
誰が至強か!?
汗 明 !
大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダムの戦場である。
宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人のステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。
ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。
ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。
それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。
上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。
ラスボスは当然のごとく項燕。
カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。
後の覇王・項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。
というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。
蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。
そして、歴史系作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味。
ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。
それは、
でOKだ!
楚は国土がでかい。長江もある。ゆえに他国からあまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。
なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。
ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利の布石とする!
みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。
そうならば、「泥臭い役もこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。
王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。
で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかいう若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。
「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。
そんな内情を、何となく兵士たちは察したとき、キングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である。
歴史を見ると、李信の一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。
李信の子孫である飛将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死
その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。
しかし一族は決して衰退することなく繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。
つまり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。
その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。
李白が始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーンは李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。
結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。
最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である。
そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。
そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。
李信の大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。
それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。
王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。
キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。
かなり難しい気はする。
まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。
焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教の経典。
これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思は統一しなければならない。
そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教の経典については、はっきり言って法治国家に儒教は邪魔なので、致し方ないといえる。
なんせ、儒教は「徳のある君主が統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。
その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。
あくまでも実利、実学、法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。
あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代に中華思想が完成するわけで。
まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。
そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師・張良だ。
なんとこの張良、史書にデビューしたのは始皇帝の暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリームな暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中に軍学を学び、史上最高の軍師が誕生するわけだが、
割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。
むしろ張良が始皇帝を暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。
後は妖術師徐福だな!
格はだいぶ落ちるが!
まぁいいか!
余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。
俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。
二ノ国の方は映画を見たわけではないのでキレてる人がどのあたりにキレてるのか感想を見た結果の判断にはなるけど
面白い、つまらないはおいといて腹を立ててる、怒ってる人の話ね
ユア・ストーリーはキレてる人はおおむねラスト10分にキレてるし、二ノ国でキレてる人は障害者(車椅子)の人の扱いとそれに付随したもろもろあたりが大きな怒りポイントなんだと思う
そもそも顧客が本当に必要だったものではないってところでキレる人を増やしてる。客が何が見たいかを考えずにギミックだけ仕込むのがもうその時点で雑
ドラクエVの映画を見に行ったらそうではない何かを見せられた、って時点で楽しい楽しくないとかじゃなくてもう裏切られた感があるのよ
今日の晩御飯はカレーね!って言われて楽しみにしてたらハヤシライスが出てきたらさ、そのハヤシライスがおいしいかおいしくないかじゃなくて「カレーだって言ったじゃん!」ってなるじゃん
うまけりゃいいとかそういう話じゃないんですよ。今カレーの口なの。あんたがカレーの口にしたの。ハヤシライス出すならそう言えよ。百歩譲って驚かせたいならごちそうってぼかせばよかったんだよ
まあ広告詐欺な面については監督だけの問題じゃないからそこは百歩譲るとしてもまだ雑が残ってるんだよね
ラスト10分までの伏線ってか必然性がないんだよね。確かに主人公がやけにヘタレだったり唐突な現代用語?とかあったりはしたけど、それがあるから何?
そうじゃなくて「なんでラスボスがどっかの天才ハカー()が作ったウイルス」である必要があったわけ?
うんうん、ラストで主人公にゲームを肯定させたかったのね、ふーん。
でもさ、感情移入もできない自分とはかけ離れたチャラいどっかのニーサンに「ゲームは素晴らしいんだぞぅ!」って言われても心にひびかないの。おわかりですかね
そういうのはちゃんと感情移入できてまともなヒーローが言うから心に響くんであってやることやってないヘタレに言われても薄っぺらいっていうか
そもそも別にそんなクソみたいな奴らに囲まれて育ったわけでもない普通の若者からするとずれた肯定されたってはぁ?ってなるだけなんだよなあ
「そうだそうだ!」って気持ちになるためのキャラの作りこみができてない。感情移入できない、記号みたいな主人公になっちゃってんの
CGばっかり綺麗でキャラの作りこみがほんとできてない、そういう雑さがラストで突き放されっぱなしになって怒る人が増えた原因じゃないっすかね
要はメインキャラに障害を与えておきながらそこの意味がないってことみたいなんだよね
別に車椅子の少年じゃなくても話が成立するよね?コンプレックス作るなら典型的なスポーツ型と頭脳型にしておけばよかっただけで、運動音痴にすりゃいいだけで、障害とか天涯孤独の意味ある?っていう
しかもそんな障害を抱えた少年が序盤で辛い思いをしつつ、最後はそういうの全部なくなって健康体になれる二ノ国に残りました、現実からはさよならだ!ってことらしく
さらに二ノ国と現実世界の一ノ国とを行き来するには自殺、というか命の危機に陥る必要があると
子供向けの映画に「死んだら(死ぬような思いをしたら)二ノ国に行って障害がなくなるよ!幸せになれるよ!」って意味を持たせてしまったと
心の機微がまだ理解できない小さな子供が障害者に向かって無邪気に「死ねば(二ノ国に行って)幸せになれるかもよ!」と言わせてしまう可能性を作ったと
それに対して考えすぎだろと思うかそりゃヤバイと思うかは人それぞれかもしれないけどさ
実際主人公に対して羨ましいわーみたいな感想言ってる人もいたらしいし(伝聞だから確定じゃないけど)
そういうの最初から変な障害つけずに普通の体動かすの苦手なモヤシ少年にしときゃそんな批判は生まれなかったとか
あっちとこっちを行き来する方法を死にかけることにしなきゃそんな批判は生まれなかったとか
そういうほんの些細な配慮で誰もが幸せになれたのにそれをしてないんだからそりゃ雑と言わざるを得ない
車椅子の少年である意味があったのならまだ表現として議論の余地があっただろうけどみた人が「いや、車椅子じゃなくていいわこれ」って言ってるんだよね
あるいは単なる端役だったらそこまで言われなかったかもしれないけどこれ主人公なんだよ
メインのキャラのはずなのに抱えた障害に対して特に向き合ってなくてただ損だけして投げっぱなしジャーマンされてしかも最後は「異世界行きゃ幸せになれるよ」て
監督自身が元から雑だっていうのもあるかもしれないけど、ユア・ストーリーはアルキメデスの対戦と平行で作ったりとか、二ノ国は脚本を一度最初から書き直したとか
そうやってカッツカツにするから細かいところが雑になるんじゃないのかって感じはする
キレられポイントって別に内容に影響を与えずに修正できる部分もあるはずで
まるで俺の今の状況のようだ。
こっちは「救う」ほどの力はもちあわせていないが。
こっちのADHD後輩も似たようなもので頻度で忘れまくる。コミュ障もこじらせており、
曰く、エンジニアとしてやりたい事だけしたいとか、他人とは一切関わりたくないとか…
社会人なめてんのか。
でも、人手不足や、かわいさや薬が効いている時の高いパフォーマンスもあって手間暇をかけて…
それこそ徹底的にフォローしてきた。
頑張ってきたが、彼女をカバーするのも限界だ。ミスやモレ、彼女の興味のない仕事の範囲のフォローで時間を奪われすぎて自分が病んでしまいそうだ。
問題は、甘え(成長できる?)なのか障がい(訂正不可能?)なのか見極めるのが、困難だということ。
もはや、上の人間も持て余して関わり合いになりたくない雰囲気が伝わってくる。
まず、「くさい」と思った。
30年生きてきて書けることが暴言だったり、意味のわからない下ネタだったり、脱糞報告だったりで、明らかに参考できないおじさん達の集まりだなと思う。
それらを「くさい」と一蹴するだけでは自分もこんなおじさんになるんだろうと思い、なぜ増田はこんなにも「くさい」のかを考えてみることにした。
まず一つ目は、体は大人かもしれないが頭脳が小学生だと思った。脱糞報告で喜ぶさまは幼稚園児がうんこの話題に飛びつくのと変わらないからもわかることだ。
しかも誰もがその自覚がなく、無条件にネットの向こうにいる誰よりも自分が賢いと思っている。賢いと思って無くても、ネットの向こうの奴が素頓狂な奴で自分より賢くないと思っている。端的に言って愚かだ。
1年生最後の日に、友人の真澄ちゃんが転校することになった。真澄ちゃんは泣いていた。「みんなともだちだからね」と真澄ちゃんは言った。それにつられてみんな泣いていた。だけど僕は泣かなかった。それは悲しくないからではない。「今僕が泣くと、悲しいお別れになってしまう。誰よりも人を楽しませることがすきな真澄ちゃんには最後笑ってもらいたい。」だから泣かなかった。
そういった、尊敬の念があった。増田にいる人達にはそういう尊敬の念がないとおもった。あるのは虚偽の尊敬だと思う。猫のふりをしている増田、「せーの、愛してる」という増田、大喜利にのるブクマカ。それらは暴言をはいたり、「パンティー」と書く増田なんかよりマシかもしれないが、いいところ、増田では虚偽の尊敬だと思う。
自分はこんな増田みたいな大人になること無く、尊敬を持って生きていきたい。
次に、暴言ばかり吐いたり、揚げ足取りをして煽ってくる増田の存在がかなり「くさい」と思った。トップレベルに「くさい」。
なぜトップレベルにくさいのかと思うと、一切他人のためにならない、自己満足のオナニーだからだと思う。例えば、「パンティー」と書く増田をくさいと言ったが、これはある意味、くさややシュールストレミングのくささで、くさいことに変わりはないが好物な人もいるくささだとおもう。そのため、たまにホットエントリーにあがって大喜利が繰り広げられる。つまり、楽しめる人がいるくささだ。
しかし、暴言を吐いたり、揚げ足煽り増田は誰も好きではない「くささ」だ。例えるならお盆中に話題になった煽り運転手のようなくささ。
この世界には「良い」と「悪い」がある。小学2年生なりに良い、悪いを考えた時、それの基準はなになのかを考えた。例えば政治家は、人々の暮らしを守ってくれると「良い」と言われるし、私腹を肥やそうとした政治家は「悪い」とされる。秩序を守る警察もYoutubeなんかで不当な職務質問をしている動画では「悪い」とされる。
そう考える「良い」と「悪い」がなんとなく見えてくる。「良い」とは「自分を含め、多くの人々にメリットを提供できる」存在で、悪いとは「自分、もしくは自分を含む小グループにしかメリットをもたらせない」存在である。「器が大きい」と良い、「器が小さい」と悪いということなのだろう。煽り運転手や暴言や煽りしかかけない増田は単純に後者なのだ。自分の気持ちを優先してでしか文章をかけない。女のクソ長文と同じ存在だということだ。
今回の事を踏まえて、自分は器がでかい人間になれるように精進しようと思った。
(1388文字)
今更ながらいーちゃんの本名が気になってちょっと考えてみた(前編)
の続き。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」……きみはこの質問に口頭で即答できる自信はある?
ぼくにはちょっと難しいな。自分の名前をローマ字にした綴りもその音数もパッと頭に浮かべられる内容じゃない。一度紙に書き出して指で数えたい。
普段書き慣れてる表記で何文字ですかって言われたら即答できるけど、ローマ字表記なんて日常的に使ってないから頭切り替えてかないと難しい。
頭の中で数えられるっていう奴はそれこそいーちゃん並に頭の回転が速い奴なんだろうな。
ところでこんな話知ってる?バイリンガルやトライリンガルって苦もなく複数の言語を使い分けてるように見えるけど、実際はぼくらが考えるより頭の切り替えって大変らしいよ。
母語で会話してる時にいきなり別の言語で話しかけられると頭の切り替えが間に合わなくて固まったりすることがあるんだ。一度切り替えた後は流暢に喋るんだけど。
日本人のくせに英語で寝言を言うような人ですらそうみたいなんだ。世界中のバイリンガルやトライリンガルと知り合いなわけじゃないから、全員がそうかは知らないけどね。
だからいーちゃんもさ、この時頭の切り替えをした可能性はあるよね。
普段の思考に使ってるネイティブな日本語から、アメリカ留学時代に使っていた英語脳に。
ローマ字表記の名前を書く機会は日本暮らしより在米中の方が圧倒的に多いだろう。
日本に帰ってきてからは英語もローマ字表記も使う機会が激減してるだろうから、思い出すのにちょっぴり手間取るかもしれないね。
「えーと、当時は名前はどう書いてたっけ……そうだそうだ、これだ。『I am Ichizu Yi.』だ」
「I am Ichizu Yi Qing」だとさ、数えてみると母音7子音8になるんだよね。答えにだいぶ近付く。
「I am」は名前じゃねーだろ!ってツッコミは妥当ではあるけど、母語で書き慣れた自分の名前ですらうっかり別の文字と書き間違えることもあるじゃん。久々に思い出す言語表記を頭の中だけでこねくり回してたらうっかり勘違いしちゃうこともあるんじゃない?
ぼくはとても留学経験者と張れるほど英語には通じていないしバイリンガルの気持ちも分からない、だから絶対ありえないとは言い切れない。
あ、ところでさ、母音と子音って逆に覚えてる人けっこう多くない?
ぼくもうっかりすると間違いかねないからこの文章を書いてる途中でググって確認したよ。
でもすぐに調べられない状況だったら、うろ覚えのまま押し通して間違っちゃうこともあるかもしれないなあ。
仮にいーちゃんが母音と子音を勘違いしていて、その上でパッと頭に浮かんだ英語表記を精査せずに数えたとしたら……逆転して「母音が八、子音が七」を正答と勘違いしちゃう可能性は、十分にありうるんじゃないか?
だってあいつ、有能な時は有能だけど抜けてる時はむちゃくちゃ抜けてるだろ。
まあ彼は両利きだから利き腕がひとつしかない人間の常識で測っちゃいけないんだろうけど。
でもいーちゃんに限らずどんな人間でもうっかりすることはあるものだから、だからカッコつけずにちゃんと紙に書いて指で数えておけばこんな馬鹿みたいなミスを疑われないですんだだろうに。
まあその場合ペンを動かす手の動作から子荻ちゃんに情報を与えかねないから、どんなに難しくても頭の中で数えざるを得なかったのかもしれないけど。
そもそもアレ子荻ちゃんが姫ちゃんに気付かないようにするための時間稼ぎだから、ゆっくり考えて退屈した子荻ちゃんが何気なく窓の外に目を向けでもしたらその時点でアウトだからね。極力ノータイムで答える必要があった。時間制限有のハードモードってわけで、初見ノーミスクリアはなかなかちょっと厳しい要求だろう。
というわけで仮に「イチズ・イー・チャン」というのがいーちゃんの想定した正解だとしたら、
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
この三つの質問で引き出せる情報に加えていーちゃんの性格・性質を考慮に入れることで、正解に辿り着けるということになる。
ぼくは初読から10年以上かかったけど、そこはあの策師・萩原子荻だ。彼女の頭脳と観察力をもってすればその場で辿り着くことなどわけないのだろう。きっとそうだ。たぶん。そのはず。
ぼくが何故こんな強引にこの根拠に乏しい名前を推してきたかというと、理由はただひとつ。
どうでもいいけどエモいのエモってエモーショナルの略なんだってね。
ぼくはてっきり「えもいわれぬ」の省略語だとばかり思い込んでてつい先日恥をかいた。
でもえもいわれぬでも間違いではなくない?「言い表すことも出来ないほど優れている」って意味だよ?エモいと本質的には同じ言葉といって差し支えないだろ?
閑話休題(もう何度目だコレ)。
「イチズ・イー・チャン」
ずーっとカタカナ表記で通してきたこの名前を一度漢字表記にしてみよう。
「一途一青」となるね。
横書きだと伝わりづらいだろうから、一度縦書きにしてみようか。
一
途
一
青
「一途《いちず》」「一《いー》」まではおそらくいーちゃんは他人にいくらでも名乗っている。
でもその先、いーちゃんの本当の名前……余人には明かさぬ最深部の象徴たる「青」にまでたどり着いた者は、決して生きて帰ってこれない。
この二つ目の線は、そう、「踏み越えると必ず死に至る、デッドライン」なのさ。
「死線の蒼《デッドブルー》」
この通り名はきっと「死線を越えて戻ってきた存在」という意味。
しかし「越えてはならない死線」は玖渚友、本人を意味しているのではない。
どんな目的でも、どんな手段を取ろうと、誰であろうと、彼の心の深淵に立ち入ることは許されない。
……どうかな。エモくない?そうでもない?
うーん、あいつもあんなかわいいなりしてなかなか口が悪いものだからなあ。
もう少し穏便な表現にしておけばいーちゃんにも伝わりやすかっただろうにね。
死線とか物騒な言い方してはいるけど、要するに誰も見せてもらえないいーちゃんの心を覗けたのはこの世界で自分だけ!って意味の名前を電子世界で大暴れまでして全世界に轟かせてるんだからねあの子。
すごいよね。
そんなまわりくどいことしないでもはっきり言えばいいのに。
「離れていても、いつもあなたの心の一番近くにいます。あなたの隣にいられるなら死すらも怖くない」って。
天才の行動ってなにがどうなってそうなってんのか理解に苦しむもんだからなあ。
でもたとえば「僕様ちゃん」って謎の一人称とか、常軌を逸した玖渚の行動は丹念に理由を紐解いていけばぜーんぶいーちゃんへの執着/愛情の二要素だけで構成されてるんじゃないのか?電子の世界と同じ二進法。
友の奇矯な行動なんていちいち挙げてたらキリがないからやらないけど。
あとさ、いーちゃんはいーちゃんで14歳の時点では「どのツラ下げて」だった「一途」の名前も原作完結時点では名は体を表す、似合いの名前になってるんだよね。
だってあいつ玖渚と結婚したんでしょ?してるよね?ブルセラ趣味の玖渚だって、さすがに結婚する気もないのに表紙でウエディングドレス着たりしないよね?
この世界で青といえば玖渚友。
彼女とはティーンエイジャーの頃からの知り合いで、他の女の子とは付き合ったりせずずっと一途に想い、とうとう結ばれました。
いーちゃんの詳しい過去を知らない人にそう自己紹介したら信じるでしょ。
「一途一青」、完全に名は体を表す名でしょ。
エモくない?えもいわれぬ感ない?そうでもない?
ぼくら読者は彼が出会う女の子出会う女の子みんなにうっすら好意を抱いていたこと知ってるから「嘘つくなよ」って言えちゃうけど、普通は目の前で話してる相手の心の中なんて見えないから大丈夫大丈夫。
「《嘘も百回言えば真実になる、ただし八百回目で嘘八百》みたいなっ!」
……こういうの下手げにやってると原作でやったのと被りそうで怖いな……さすがに巫女子ちゃんの出番はばらけすぎててチェックしきれねえ……。
ところでここまできて本当に今更なんだけど、いーちゃんが日本人だという確たる証拠を原作から見つけてしまった。
クビキリサイクルの40頁目上段、地の文で「純粋な日本人」ってはっきり明言している。
マジかこんなに書いちゃったのに全ボツかよ……と正直だいぶ打ちひしがれたんだけども、よくよく考えるとこの申告ちょっと不自然じゃないかなあ。
この付近、ワールドワイドな視点で語ってるせいか「純粋な日本人」ってワードが頻発してて惑わされちゃうんだけど、自分のことをわざわざ「純粋な日本人」って主張する日本人って、見たことある?
少なくともぼくはそんな自己主張したことないなあ。みんな顔と名前を見て勝手に日本人と判断するから、わざわざ自分から強調しなきゃならない状況になったことはたぶんない。
とはいえ何度も言っているようにぼくにはいーちゃんのように多様な民族が共存するサラダボウルのような国で何年も過ごした経験なんてないから、ぼくの常識がいーちゃんの常識と同じとは限らない。
アメリカで何年も暮らした日本人はみなそういう習慣が付くのかもしれないし、そうでなくとも必要があって連呼してた「純粋な日本人」ってのが妙に口に馴染んじゃって必要ないところにまで飛び火しただけかもしれない。あいつ気を抜くとすぐうっかりする奴だから。
ただ、なくはないよね、可能性としては。
黙ってりゃバレないようなことをわざわざ自分から言って「語るに落ちる」ってことはさ。
いーちゃんに誰にも知られたくない秘密があるとしても、そんなに必死になって隠すようなことは知らんぷりしておいてあげた方がいいんだろう。
気付いていようがいまいが誰も口に出さない、出す必要もない、どうでもいいことなんだからね。
いやでもいーちゃんは別に秘密にしてないって可能性もあんだよな……。
「昔は中国人でしたけど、今は帰化したから純粋な日本人です。何か問題でも?」って真顔で言ったりして。
あいつ言葉の定義にうるさいんだかうるさくないんだか分かんないとこあるからなあ。
でも「心は純粋な日本人です」って真面目に言ってる人を嘘つきって責めて傷付けでもしたら、こっちが人非人だもんな。
まあどっちにしろ、表から見た情報だけじゃ本当のことはそう簡単に分からない。
実は痛いのをなんともないフリしてる腹ならなおさら、そっとしといてやらないと。
そっとしとくと決めたところでそろそろ終わりにすることにしよう。
それにしても長くなってしまった。あまりにも長くなってしまった。
休みの暇潰しに気軽に綴るつもりが、こんな文章量になるとはお釈迦様でも思うまい。
ここまで読んでくれたきみがぼくの考えに賛同しようが、反対しようが、肯定しようが、否定しようが、面白がろうが、こき下ろそうが、どうしようとぼくは一向にかまわない。
だから小説を読んだ時と同じように、楽しむも腐すも好きにしてくれればいい。
半可通の与太話だからきっとツッコミどころだって大量にあるだろうしね。
ああ、そうだそうだ。こんな時にぴったりな言葉があるじゃないか。
じゃあこのシリーズのファンらしくその言葉を借りて締めることにしよう。
急に気になったので戯言シリーズを10年振りくらいに本棚から引っ張り出してきた。
近年の関連作は全然追えてないし、うろ覚えで本名当てに関連ありそうな部分を拾い読みしただけだから、半可通の与太話だとは先に明言しておくよ。
それでも構わない人だけ付き合ってくれ。
結論から言うと、戯言遣いこといーちゃんの本名はこんな名前じゃないかと思ってる。
「一青」
ローマ字表記にすると「Yi Qing」、カタカナ読みで「イー・チャン」。
ネットで調べたプロフィールによるといーちゃんは神戸出身とのこと。
神戸には中華街があるから、在日中国人もたくさん住んでいるんじゃないかな。
国籍について触れた情報はざっと探した限りでは見当たらなかった。
つまりいーちゃんが中国人だという証拠も、ましてや日本人だという証拠もぼくの目では見つけられなかったということになるけど、ぼく自身はこの名前を推したいので少々強引ではあるものの字面のイメージ通りに中国人だと仮定して進めさせてもらおう。
(一応言っておくとぼくの手元にあるのは講談社ノベルス版なので、頁数もその前提で受け取ってほしい)
「プログラム課程は十年で構成されている。ぼくはその六年目、今年の一月に中退した。
それで日本に戻ってきて玖渚と再会し、」
打つの面倒になったので以下省略。
「日本に戻ってきた」ということは「日本で暮らしていたが外国(この場合はERプログラムで留学したアメリカ)に渡り、辞めた後で日本に戻ってきた」ということになる。
だからぼくもいーちゃんは当然日本人だとばかり思っていたんだけど、日本生まれ日本育ちの在日中国人もこういう表現をする可能性はあるよね。物心ついた時からずっと暮らしている土地は、国籍の有無に関わらず心の母国といって差し支えないだろう。
しかし14歳にしてアメリカ留学なんてできちゃう行動力のある少年だから中国に一度も足を踏み入れたことがない、縁もゆかりもないっていうのも少し考えにくいことではある。
でも彼曰くERプログラムで挫折して日本に戻ってきたってことなんだろう?
旅行程度にしか行ったことのない母国と国籍はなくとも住み慣れた心の故郷。
傷心の状態で「戻る」先に後者の日本を選ぶというのは、そこまで不自然な選択でも表現でもないんじゃないかな?
というわけでまたもや強引だけれど「いーちゃんは日本生まれ日本育ちの在日中国人」という前提で話を進めることにする。
いーちゃんの本名考察といったら外せない最重要事項、クビツリハイスクールにおける萩原子荻ちゃんとの「名前当てクイズ」だ。
情報の整理がてら、改めて子荻ちゃんがいーちゃんから情報を引き出した三つの質問を書き出してみよう。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」
「《あ》を《1》、《い》を《2》、《う》を《3》……そして《ん》を《46》として、あなたの名前を数字に置き換えます。その総和は?」
それに対する回答についても順番に整理していこう。いちいち引用するのもいいかげん面倒なので、可能な人は原作の該当シーンを参照しながら読んでもらえると話が早いと思う。
まず一つ目。
いーちゃんが挙げる「現在誰かに呼ばれることがある呼称」の中に肝心の《いーちゃん》が入ってない。
《いーちゃん》って呼ぶのはこの時点では玖渚一人だから(井伊遥奈と想影真心はいーちゃん視点では死んだことになってる)、「玖渚友の情報を漏らさない」っていう玖渚直の言いつけを頑なに守ってるのかと思ってた。
……と思ってたんだけどこの情報ソースどこだっけ……見つからないぞ……どっかの考察サイトでも見かけた気がするし、ぼくより熱心なファンが言ってるならたぶん原作でもちゃんと明言されてることだと思うんだけど……とはいえ間違っていた時に責任転嫁するのもカッコ悪いし、あとでゆっくり確認することにするか。
ともかく《いーちゃん》があだ名として挙げられなかった理由はもうひとつ考えられる。
それがあだ名でなく本名だから。答えを途中で言ってしまってはクイズにならない。
二つ目のローマ字は一旦後回しにして、先に三つ目、数字の置き換え総和についての話から切り込んでいきたい。
「イー・チャン」の名を《あ》を《1》、《い》を《2》……の法則で置き換えると「2+2or0+17+36+46」ということになる。
「2or0」ってのは伸ばし棒がどういう扱いになるか不明だからそうしておいた。
「イイ」として「2+2」になるかもしれないし「イー」として「2+0」になるかもしれない。
クイズとしては最初に厳密にルールを定めておくのが望ましいんだろうけど、何せ即興・口頭で行われたものだし。
それにこの問いはいーちゃんから情報を引き出すために子荻ちゃんが仕掛けたもの。
「伸ばし棒の扱いはどうするの?」なんていーちゃんから確認したら「答えには伸ばし棒が含まれています」って自白するようなものだよね。
もしかしたら稀代の策師・子荻ちゃんは伸ばし棒や濁音半濁音といったイレギュラーに対する反応を見るためにあえて曖昧な問いにしたのかもしれないんだし。
さておまちかね、「2+2or0+17+36+46」の総和はというと……
……にはまだちょっと早い。
ぼくはどうしても「イー・チャン」の名をゴリ押ししたくてたまらないので、もうちょっと悪足掻きしてみることにする。
作中世界には二つ名とか偽名とか色々あるけど名前を複数持ってる人物も珍しくないので、いーちゃんにも本名以外の名前がある可能性を考えてみよう。
19歳まで自分の本名を一度しか他人に教えたことのない人生なんて、本名を偽っているか誰も知りたがらないぼっちかくらいしか考えられないもんな。
とはいえいーちゃんの出自は不明。どんな理由でどんな名前の使い分け方をするかなんて全く見当がつかない。
きみはジャッキー・チェンとかブルース・リーとか「中国人なのになんでそんな名前なの?ジャッキーやブルースって漢字でどう書くの?」って思ったことない?
ウィキペディアによるとジャッキー・チェンの本名は成龍と書いてセイ・ロン。
「ジャッキーもブルースもどこから来たんだよ!西洋かぶれしてねーで自国の文化に誇りを持てよ!」って思うだろ?ところが意外や意外、これには実用的な理由があるそうだ。
聞いた話によると中国人の名前は欧米人には発音しづらいんだと。
名前っていうのは個人識別における最重要記号。だから欧米で生活する中国人は現地住民が発音しやすい響きの英名ニックネームを付けるんだって。お互いに円滑なコミュニケーションができるように、郷に入っては郷に合わせてるというわけらしい。
となると、「イー・チャン」……どこからどう見てもバリバリに中国人の響きの名を持つ少年も、アメリカ留学に際して英名ニックネームを付ける可能性はあるだろう。
ブルース・リーに習うと「ほにゃらら・イー」って風になるかな。
ちなみに英名の名付けには特に決まりとかあるわけじゃなくて、各々好きなニックネームを自称してるみたい。
当時14歳の少年、自分の名前を好きに決めていいとしたら、どんな名前にするだろうか。
どんなことを考えて名前を決めるだろうか。いーちゃんのつもりになって考えてみよう。
(とはいえぼくはいーちゃんではないので、あくまで自分目線での想像しかできないわけだが)
親の仕事の都合とかでなく14歳の若さで留学目的で渡米するなんて、きっと才気溢れる少年だったんだろうね。6年後に道半ばで挫折するなんて知るよしもない彼は、これから始まる新生活に胸を膨らませてワクワクしていたに違いない。
新しい学校はどんなところかな。向こうでは友達たくさんできるかな。
アメリカの女の子は積極的だっていうから、彼女だってできちゃうかも!?
恥ずかしい話ではあるが、この文章を書いているぼく自身は中学時代「モテたい」が一番強いモチベーションだった。
もちろん口に出したりはしないよ。でも何をするにも常に女子の目を意識していた。
「これができるようになったらモテるかもしれない」「意中のあの子も振り向くかもしれない」なんて浅はかな動機でなんにだって挑戦できた。実際はそんなこと全然ないんだけど。
いーちゃんとは違って留学のチャンスにこそ恵まれはしなかったけど、声がかかることがあれば絶対行ってた。
だって日本の女子は内気だから彼女作りたいならぼくから声かけなきゃいけないけど、アメリカの女子は積極的だから向こうから来てくれるかもしれないじゃん。
愛されるより愛したい、なんてクサい台詞を言えるのは愛されたことがある奴だけだ。
なんでもいいから彼女が欲しい。贅沢を言っていいならできれば向こうから言い寄られたい。
ぼくは何もしてないのに好かれて困っちゃうなーって気分を一度でいいから味わいたい!!
多分に私情が入っているのは承知の上だが、いーちゃんも同じように考えていたと仮定して話を進めよう。
だってこんなこと考えてたのが自分ひとりだけだったなんて、与太話にしても悲しすぎるじゃん。
というわけで「ほにゃらら・イー」のほにゃらら部分は女子受けを狙って考えることになりました。イエー。
初対面の印象は大事だ。自己紹介の時点から話が弾む相手とはその後も良い関係を築ける可能性が高い。
となるとこんな会話を狙っていくのがいいかもしれない。
「あなたの名前、聞いたことのない響きだけど、どんな意味なの?」
となるとジャッキーとかブルースみたいな、石を投げれば当たるようなアメリカにありふれた名前では駄目だ。確実にその会話に持ち込むためには、いっそ通常は人名に使われない単語も視野に入れていくべきかもしれない。
考え方が中二病めいてきたけど仕方ないよね。本当に14歳なんだもん。
というわけで電卓を叩き続けて編み出した条件に合致するそれっぽい名前、ぼくの考えた最強の女子受けネーミングを発表します。
「イチズ・イー・チャン」です!イチズは一途の意です!
モテ求めて名前考えるような奴がどのツラ下げて一途なんて名乗ってんだ、どんだけ恥知らずなんだ、と思わないこともないけど異国の人はいーちゃんのそれまでの人生なんて知らないわけだから。生まれつき一途です、名前の通りの人間ですって顔してれば嘘もバレないわけ。
「イチズ・イーです」「変わった名前ね、どんな意味なの?」「ぼくの故郷の言葉で、一度夢中になったら脇目も振らずそれしか見ないっていう意味です」……いい会話じゃない?一途な男子、女子はみんな大好きでしょ。
異国の特殊教育機関への参加が認められるくらい実績と才能のある、見た目も悪くない少年(これはぼくじゃなくていーちゃんの話ね。念のため)がじっと自分の目を見てそんなこと言うわけ。どんな女子もイチコロでしょ。
そんで特にいい感じになった女の子にだけ「ぼくの本当の名前はイー・チャンっていうんだ。君にだけ教えてあげる」っていくとすると、内気で一途なキャラの演出としては悪くないと思わない?
だから「他人に本名を教えたことが一度しかない」んじゃないかな。
それまでの少年時代は本当に誰も名前を聞いてくれないぼっちだったのかもしれないけど過去の話はどうでもいい。未来を見よう。
ともかく「アイアム・イチズ・イー」はアメリカ在住時代にあちこちで言っていたけど、「イー・チャン」という本名まで打ち明けたのは本当に仲良くなった女の子だけ。
その相手は玖渚友や想影真心だったかもしれないし、もしかしたら実妹の井伊遥奈だったかもしれない。
ウィキペディアによるといーちゃんは長いこと彼女が実の妹だって知らなかったみたいだし、その頃に教えたとしたら本人の認識は「他人に教えた」で間違いはないよな。少なくとも嘘とは言えない。
閑話休題。
「イチズ・イー・チャン」の総和は「2+17+13+2+2or0+17+36+46=133or135」と出ました!
そういえばさ、いーちゃんはこの問いへの答えを言う直前に「詰まされた」って考えてるんだよね。
でも、この三つの質問と回答から唯一無二の答えを導き出せるような内容ではとてもないんだよ。
それはこれまで熱心に考察を重ねてきたファンほどよく分かっているだろう。
けれど確実に答えを知っているはずのいーちゃんは「詰まされた」……逃げ場はないって敗北を認めた。
ぼくだったらこの状況、だいぶ焦るね。
たった三問ぽっちで当てられるとは思わないから余裕ぶっこいてたけど、相手の女の子は自分の想像を遥かに越える頭脳で答えにたどり着いた。
負けを認めるのは構わない、けれど子荻ちゃんに自分の名前を呼ばせるわけには絶対にいかない。
なぜかって?なぜだか知らないけど、《ぼく》の本名を呼んだ女の子は、みんな死ぬか死んだにも等しい状態になってしまうんだ。
後に想影真心が生きて登場したことにより覆された法則ではあるが、この時点のいーちゃんは本心からそう思い込んでいる可能性がある。
髪が綺麗で胸の大きい女子、敵とはいっても死なすのはあまりにも惜しいでしょ。少なくともぼくはそう思う。
だから絶対に真実にたどり着けないように、答えをごまかしたんじゃないかなあ?
「ルールが曖昧だったので133とも135とも言える。じゃあ間をとって134でも間違いじゃないだろ」
……とでも理論武装してさ。
でもまぁ、そんな悪足掻きすらも子荻ちゃんには読まれていたかもしれないね。顔に出てたのかも。
一人称小説って、視点人物が気付いてないことはどうあがいても地の文には書けないもんだからなあ。
まあでもやむを得ない事情があるとはいえ、答えを平気でごまかすような奴とするクイズなんて楽しめるわけないよね。批難轟轟に決まってる。
もしかして都合が悪いこと(たとえば他人に簡単には明かしたくない本名とか)問い詰められるたびにこうやってクイズ形式にして煙に巻こうとしてたんじゃないの?そんなだからいーちゃんはクイズ嫌いになるんだよ。出題者も回答者も勝敗に関わらず答えを聞いて楽しめるようじゃなきゃ、お互いに楽しい時間は過ごせないでしょ。
(クイズ嫌いっていうのはクビツリハイスクール127頁上段の地の文からそう解釈したよ)
あまりにもいーちゃんが誤魔化してる前提で話を進めすぎてるとは思うけど普段の行いが悪いから仕方ない。
「ぼくは詐欺師だって自分から申告したし子荻ちゃんもぼくをそう呼んだ。
詐欺師だと分かっている人間の言動を真に受ける方が悪い」……なんて口八丁で言い逃れようとするのかも。
おっと、忘れるところだった。二つ目の質問についての検証がまだだったね。
「名前をローマ字で表記した場合の、母音の数と子音の数を教えてください」だったか。
「イチズ・イー・チャン」のローマ字表記というと「Ichizu Yi Qing」もしくは「Itizu Yi Qing」ってところかな。
「Yi」「Qing」は「一」「青」の中国語での発音をローマ字で表現したもの。いわゆるピンインってやつ。
指定は「ローマ字表記」だからね。「ヘボン式」とか言われたわけじゃあないもんね。じゃあ当然答えとしてはありうるよね。
一途は日本語から取ってるのでとりあえず日本語のローマ字表記で。
この表記だと母音が5、子音が7。もしくは母音が5、子音が6ということになる。
対していーちゃんの答えは「母音が八、子音が七」……足りない。少なくとも三文字は確実に足りてない。
だって軽い気持ちで書き始めたのにもう六千文字越えちゃってるんだぞ!?今更後に引けるわけないだろ!!
ぼくの個人的な経験からくる妄想なんかも増えてくと思うけど、まあ最初から与太話って言ってあるから問題ないでしょ。うん。きっと大丈夫。