2019-08-23

読書感想文増田を読んで」 小学2年生 増田 鱒男

まず、「くさい」と思った。

30年生きてきて書けることが暴言だったり、意味のわからない下ネタだったり、脱糞報告だったりで、明らかに参考できないおじさん達の集まりだなと思う。

それらを「くさい」と一蹴するだけでは自分もこんなおじさんになるんだろうと思い、なぜ増田はこんなにも「くさい」のかを考えてみることにした。

まず一つ目は、体は大人かもしれないが頭脳小学生だと思った。脱糞報告で喜ぶさまは幼稚園児がうんこ話題に飛びつくのと変わらないからもわかることだ。

しかも誰もがその自覚がなく、無条件にネットの向こうにいる誰よりも自分が賢いと思っている。賢いと思って無くても、ネットの向こうの奴が素頓狂な奴で自分より賢くないと思っている。端的に言って愚かだ。

1年生最後の日に、友人の真澄ちゃんが転校することになった。真澄ちゃんは泣いていた。「みんなともだちだからね」と真澄ちゃんは言った。それにつられてみんな泣いていた。だけど僕は泣かなかった。それは悲しくないからではない。「今僕が泣くと、悲しいお別れになってしまう。誰よりも人を楽しませることがすきな真澄ちゃんには最後笑ってもらいたい。」だから泣かなかった。

そういった、尊敬の念があった。増田にいる人達にはそういう尊敬の念がないとおもった。あるのは虚偽の尊敬だと思う。猫のふりをしている増田、「せーの、愛してる」という増田大喜利にのブクマカ。それらは暴言はいたり、「パンティー」と書く増田なんかよりマシかもしれないが、いいところ、増田では虚偽の尊敬だと思う。

自分はこんな増田みたいな大人になること無く、尊敬を持って生きていきたい。

次に、暴言ばかり吐いたり、揚げ足取りをして煽ってくる増田存在がかなり「くさい」と思った。トップレベルに「くさい」。

なぜトップレベルにくさいのかと思うと、一切他人のためにならない、自己満足オナニーからだと思う。例えば、「パンティー」と書く増田をくさいと言ったが、これはある意味くさやシュールストレミングのくささで、くさいことに変わりはないが好物な人もいるくささだとおもう。そのため、たまにホットエントリーにあがって大喜利が繰り広げられる。つまり、楽しめる人がいるくささだ。

しかし、暴言を吐いたり、揚げ足煽り増田は誰も好きではない「くささ」だ。例えるならお盆中に話題になった煽り運転手のようなくささ。

この世界には「良い」と「悪い」がある。小学2年生なりに良い、悪いを考えた時、それの基準はなになのかを考えた。例えば政治家は、人々の暮らしを守ってくれると「良い」と言われるし、私腹を肥やそうとした政治家は「悪い」とされる。秩序を守る警察Youtubeなんかで不当な職務質問をしている動画では「悪い」とされる。

そう考える「良い」と「悪い」がなんとなく見えてくる。「良い」とは「自分を含め、多くの人々にメリット提供できる」存在で、悪いとは「自分、もしくは自分を含む小グループしかメリットをもたらせない」存在である。「器が大きい」と良い、「器が小さい」と悪いということなのだろう。煽り運転手や暴言煽りしかかけない増田は単純に後者なのだ自分気持ちを優先してでしか文章をかけない。女のクソ長文と同じ存在だということだ。

今回の事を踏まえて、自分は器がでかい人間になれるように精進しようと思った。

(1388文字

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