はてなキーワード: 辺鄙とは
景気の上がり下がりはどの業界にもあるが、
業界全体が萎んでしまい、M&Aで複数の会社が統合し、他業種に出ていかざるを得なかった業界ってのは、
なかなか珍しいのではないでしょうか。
報道では、技術の流出と言われ、海外の半導体関連企業に移ったとか、国賊だとか、色々言われるものの、
実際はそちらも求人なんぞなく、他業種に移らざるを得なかった人もいるでしょう。
半導体の工場や事業所は辺鄙なところにあることもあり、それを前提に家を買った人もいるでしょう。
半導体関連株が注目され、よく分かっていない人が正しいかのように報道しているのを見て、思うところもあるでしょう。
一体何が悪かったんでしょうね。
この辺鄙な田舎にも、最近レズ風俗(男性向けの兼業)ができたらしい。
女体は大好きだけど機会がなく、女の子を抱くチャンスが得られないままここまで来てしまった自分としては、どうしても脱レズ童貞したい。
(1)夫とのセックス
夫のことは好きだし、自分が受けになる夫とのセックスついては不満はない。むしろ十分すぎるくらいの対応をしてもらっている。
だけど、不満があるとしたら、そもそも「女の子ではない」という点と、「夫の性感帯が少なすぎる」という点だ。
性別の件については仕方がないとして(自分だってとうに"女の子"と呼べる年齢ではない)、問題は後者だ。
正直言って、ずるい。うらやましい。自分もやりたい。
女をイかせるのがそんなに楽しいのか。楽しいんだろうな。どんなに疲れててもずっとやってるもんな。
でも自分が反撃しようにも、夫の性感帯が少ない。ちんこしかない。
他の部位の開発にも乗り気じゃない。むしろそのままなし崩し的にこちらが攻められる。
フェラしようにも、相手のサイズはでかいし、こっちは顎関節症で口が開ききらないしで、相性最悪。どうにか口に入れても歯が当たる。しかも舌の感触が嫌いらしい。
実質、こちらが攻めになるには騎乗位しかない。やるけど。やってるけど。それしかないので単調になる。
あと夫は持久力は長いんだけど1回射精するとそこで終わってしまう。連続して2回戦、3回戦がむずかしい(時間を空ければ1日2発射くらいはできる)。年齢的な影響もあるようだ。なので夫を「何度でもイかせる」ことはできない。
なお夫は1回射精してると2回目以降の持続時間が長くなるので実質肉ディルドになる。こっちのことを何度でもイかせることはできる。ずるい。うらやましい。
なので、自分も「相手を何度でもイかせるセックス」がしてみたい。
(2)女体の反応を客観的に見たい
自分が抱かれたらどう快感があるのかはわかる。だけどどういう現象が客観的に起きているのかを知りたい。
あと自分が触られてきもちいい場所が他の女の子でも気持ちいいのかがわからない。それを試したい。
クリトリスが勃起する前と勃起した後の変化とか、充血具合とか、バルトリン腺と頚管粘液の質感の違いとか、スペンス乳腺は他の子にも有効なのかとか、乳首の攻め方とか、下腹部圧迫でオーガズムは他の子でも起きうるのかとか。あと耳とかデコルテが上気してきたら血色がよくなるのかとか。
ぶっちゃけクンニもしてみたい。だってあんなに狂ったように気持ちよくなる行為、ほんとに他の子にも有効なのか試してみたい。
自分の手技で女の子がイキ狂う姿を見るの、たぶん絶対楽しいんだろうなと思う。
(3)見た目が優良誤認
言っちゃなんだが、自分は他の女の子(レズセックス経験者含む)から、「絶対バリタチでしょ」「機会があれば抱いてくれ」と言われたりする。
こういうキャラデザとキャラ設定の人間がレズ漫画に出てきたら迷わずタチに回す。と、自分でもそう思うくらいの要素は揃ってる。
でも童貞である。経験値も説得力がまるでない。見掛け倒しすぎる。期待に応えられない。
10年くらい前に一度だけ女の子を抱きかけたことがあったが途中で目の前でセフレ(男)を呼ばれたくらいだ。情けない話だ。
そういう意味でも早くさっさとこのレズ童貞を卒業したいという気持ちがある。せめて素人童貞になりたい。
こっちのことは抱かなくても良い。
あわよくば嬢がちょっとリラックスできるくらいのマッサージさせてもらえると嬉しい。
嬢が無理な態勢とか取らずに、ゆっくり休める態勢でじわじわと気持ちよくなるようなプレイがしてみたい。
ーーーーー
ただ、いくつか懸念事項もある。
[懸念事項]
正直言ってこちらはレズ童貞。いまの願望は、男で言ったら「俺のテクで風俗嬢をイキ狂うまで抱いてみたい」と言っているようなもの。
そして相手はプロの風俗嬢なわけで。相手の仕事はこちらに満足感を与えること。
だったら、「あなたのおかげで気持ちよくなれましたよ」という印象をあたえるのが彼女らの仕事だ。普段男性相手に仕事してる人ならそういうの尚更なんじゃなかろうか。
平たく言えば、「演技されてしまうかもしれない」という可能性がずっと残る。
そういう意味では、(2)の観測については、たぶん「信頼できるデータは得られない」ってのが実情だと思う。
というか、「前に風俗嬢抱いてイかせまくったことあるよ」なんてセリフ、素人童貞としては最悪の部類だろう、というのはさすがにわかる。それはレズプレイでも同じことだろう。
なので、(2)の目的については、たぶん「触らせてもらう」という意味では解決するけど、「実際にイかせる」についてはそもそも無理なんだろう、と諦めたほうがいいのかもしれない。仮に本当に嬢がイったとしても、それが本当にイったのかどうかについて検証する手段はない。そればっかりは仕方がない。
このご時世ということもあり、やっぱり感染症は心配だ。こちらも仕事や家族がある身、そこまで危ない遊び方はできないし、同時に、嬢に感染させるのも申し訳ない。
そう考えると、「双方マスク装着」「唾液接触なし」「水溶性潤滑ゼリー使用」「粘膜接触時はフィンドムかニトリル手袋装着」「クリ吸いするなら新品購入した吸引系バイブ使用」が現実的なプレイの限界なんだろうと思う。
でもなーー、唇にキスしないまでも、せめて皮膚にキスか、デンタルダム越しにクンニくらいはしたいんだよなーーーーー!!!
という欲はある。やってみたいプレイと感染症対策の限界が噛み合わない。
唾液、どこまで気にしたらいいんだ。
性感染症、という意味では、粘膜-粘膜接触回避でなんとかなるけど、問題は上気道感染のほうなんだよな......。
すぐシャワー浴びて洗い流すなら大丈夫なのか?片方がマスクしていれば上気道感染のリスクは無視できるのか?どこまで警戒したらいいんだ?
ーーーーー
現実的な着地点を考えると、「お金を払って女の子の体に触らせてもらえる」という権利を時間限定で買う、ってこと以上のことはできないんじゃないか、という気がしてくる。こちらが相手の体に触らせてもらえれば御の字、が限界なのかもしれない。
いわゆるレズ風俗レポによくあるような、「抱きしめてもらったら癒やされた」とか「女の子にめっちゃイかせてもらった」「試しに触らせてもらった」みたいなネコ〜リバのレポは多いけど、タチ筆おろしレポなんかはほとんどない。あってもほとんど創作みたいな話しか出てこない。
そして、レズ風俗によくあるニーズからはかけ離れてて、嬢のほうも(そもそもレズ専属じゃないし)対応しづらくて困るんじゃなかろうか。
と、あれこれ考えすぎて動けずにいる。それすらも童貞仕草すぎる。北方謙三がああ言ったのもわかる。
夫はというと「早く行って童貞卒業してこい」「ラブホまでは送迎するよ」とまで言ってくれているんだが。うーん。
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続き書きました(口調が変わってます)↓
目的地(家、お店、病院、職場)------ガソリンスタンド------目的地(家、お店、病院、職場)
みたいな都市デザインをしていただけで、充電ステーションもこうする必要はない
ガソリン脳の馬鹿どもが、ガソリンスタンド前提の街づくりのまま、何もない辺鄙なところに充電ステーションなんてものを作るから
目的地(家、お店、病院、職場)------充電ステーション------目的地(家、お店、病院、職場)
なんてあほみたいな都市デザインになって、30分で充電は長すぎるからもっと高速な充電設備がほしいなんて的外れは不満をいってEVが普及しないんだよ
EVになったら
目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)---------------------目的地(充電付きの家、充電付きのお店、充電付きの病院、充電付きの職場)
こうなるんだよ
そうなるとどうなるって充電時間を気にする必要がなくなるんだよ
目的地に充電設備をつけたら、目的地でなにか用事をする間に充電ができるんだから実質待ち時間なんてものはないに等しい
職場で充電しながら働き、お店に行って充電しながら買い物し、病院で充電しながら治療を受け、帰宅して充電しながら飯食って寝ればいい
もちろん、旅行や帰省なんかで一日に200kmとか300km走る日もあるから急速充電もある程度は必要だけど
今言われているけど町じゅうに急速充電を作りまくれなんてものは必要ない
だいたい、EVが普及していない今ですら電線に負荷がすごいことになってるのに、これから普及してあちこち急速な電力の上げ下げが起きたら電線がショートするぞ
でも電線を強化すればいいっていうんだよなこういうやつは
日本人はGWに一気に休むから道路が渋滞が起きるけど、そしたらみんな道路を拡張するべきだなんて意見をいうってあきれてたよ
でも道路拡張したところでその需要はGWとか帰省とか、1年で数日だけなんだよね
休日の暇つぶしに思い出すまま語る、基本的にだいたい20年前の話
童貞を捨てたかったがお店に行くのはなんか怖い……と出会い系で知り合った子。童貞を捨てた相手。当時多分25くらい。
※お店に行くようにもなってわかったが、自称素人よりお店の方が色んな意味ではるかに安全である
確か別3だったが行ける範囲のホテルが全部埋まってて野外で立ちバックでやった
やってる最中にゴムが破れてて気づかずがっつり中出ししてしまったが、元々向こう手持ちのゴムで装着も向こうがしたので、破れたの気付かなかったの?とあきれられただけで済んだ
言い訳をすると当時童貞で、そんな感覚の違いに気づくほど冷静ではなかった
二日後に「もう金がなくなったので今度は2で良いので会えないか」と連絡あり、あーこういう金銭感覚なんだと恐怖を覚えブロック。
機械的に入れるだけだとセックスってぶっちゃけ大して気持ちよくないんだなと俺に教えてくれた子でもある。
あんま可愛くなかったけど、けっこうノリの良い子で割と楽しくセックスした覚えがある
ホテル備え付けのゴムの装着がうまくいかず困っていたら、外出ししてくれるなら生で良いよと言ってくれたのでそうした
別2で会ったが、事後に値引き交渉してみたら、家の最寄り駅まで送ってくれたら1.5でいいというので送った
出会い系で会った子の中では当たりの方だった
当時の家の割と近くに住んでて、車で拾いやすかったので4回くらい会った
真剣に金に困っていたせいか、むしろガンガンに値引きしてくれた
「今日マジで5000円しか出せないんですけど」と当然断られるだろうなと思いつつメールしたらOKでむしろ困惑
マグロなんだけど喘ぎ声が妙にエロくてけっこう楽しくセックスできた
数年後、子連れで道歩いてるのをたまたま発見し、はー無事?に生きてましたかと妙な感慨を覚えた
出会い系やってる男用の雑談掲示板みたいなとこで知り合って、酒飲むに行く程度には仲良くなったオッサンから紹介してもらった子
そのオッサンの定期さんで、でもオッサン一人だとなかなか金がたまらなくて、安心に会える別の男を探していたんだとか
超良い子で普通に明るい大学生で、セックスもノリノリで、「えっこんな子がどうして円を?」と真剣に困惑した
半年ほど仲良くさせてもらったが大学卒業で円とかそういうのを完全に辞めるってことでお別れ
単純な見た目ならプロの嬢含めて会った中で一番良く、アイドルやってましたとか言われても違和感無いレベルであった
円とかやらずにその見た目を活かして真っ当に稼げる職で頑張る方がいいんじゃなかったかと今でも思う
ただまともな教育とかあんま受けられなかったのか、とにかく自己肯定感が低くて
と何故か信じ込んでいた
何気に今でも時々メール交換……というか向こうの愚痴聞き役が俺くらいしかいないらしく
ついこの前言われたのは、なんとも微妙な気分になった
同じアカウントでまったく見た目の違う子が来たとの情報があったので、
やんわり聞いてみたら、どうやら大学の友達同士で円グループを運営していたようである
まあまあ可愛かった
ホテルでの別れ際に
と言っており、こっちがその辺で晩飯食べて歩いてたら、たまたまその友達と一緒に歩いてる姿を目撃
はー、オッサンと金でセックスして、その後に男友達と飲みに行けるくらいのメンタルじゃないとこういうのやれんのやな、と妙に感銘を受けた
見た目だけならベスト3に入るがマグロかつ喘ぎの演技も無く激萎え。
縁起で良いからやっぱ喘ぎ声ってある方が盛り上がるんやなと強く思った。
だから送迎車を(略
見た目もサービスも良かったのだが、妙にカサついた肌と変な口臭をしており
今にして思えばあれはひょっとしてクスリやってたんじゃないだろうか?
1回だけ会ってセックスする対象としては悪くなかったが、そういうプロとは2回目会いたくても逆に会えない
出会い系に業者がガッツリ参入し始めた時期だったのか、一時期プロばっか引いていた
だからその送迎車を(略
妙に辺鄙な場所の薬局の駐車場で待つよう指定されたこと以外覚えていない
悪くはなかったと思う
ノーパンノーブラで待ち合わせ場所行きますよ!と向こうから言われ、実際やってきた子がけっこう可愛くてビックリ
高校卒業したばっかの新社会人で、若く、見た目は良かったがあまりにもマグロ過ぎてきつかった
これが10代の肌の張りってやつなのかー、と思ったことは覚えている
その子のSNSを見ていたら、案の定、常連ができなかったようである
演技で良いから愛想良くできない子は見た目良くても常連つかなくてだいたいヤバいことになる、これ真実やで
とある金の稼げない仕事をしており、割のいいバイトとして円をしていた子
金のためにやってる感をとにかくめっちゃ表に出してくる子で、こういうことやってるオッサンキモいよねみたいなことを平然と言ってくる
いや、そんなん言われんでもわかっとるわい
他にもいるけど最低限印象に残ってるのはこれくらいだなー
サイゼリヤ論争とかめっちゃどうでもいいんだけど、サイゼリヤからのセックスは女からはナシだ、みたいなコメントが目に入って急に思い出したことがあるんでちょっと意見くれよ。
当時、1対1で遊び・飲みに行けるくらいには仲いいが付き合ってるわけではないという女の子がいてさ、ぶっちゃけこっちとしては向こうが良ければ付き合いたい・セックスしたいという願望があったわけよ。で、そんとき話題になってた映画を一緒に見に行ったんだけど、たまたまちょい辺鄙な場所の映画館でしかやってなくてさ、俺が車出して見に行ったのよ。見た後って感想語りたいやん? でも辺鄙な場所だったんでオシャレなカフェとか無いしそれ以前に店があんまなくてさ、「とりあえず大失敗はしないであろう」ということで、要は消去法としてサイゼ入ったんよ。
向こうが「酒飲んでいいか」というから、俺は車だから飲めないけど君が飲むのはどうぞお好きに、家まで送るから酔っぱらっても大丈夫やでという感じで。そしたら向こうが気分よくまあまあよく飲んで本当に酔っぱらっちゃってさ、意識はあってやり取りもできるんだけど流石にそろそろ切り上げて帰るかという流れで、
「帰る?」
「いいよー」
というわけでホテル寄ってセックスしたんですが、あれってサイゼデートという括りになるんでしょうか?
ちなみにセックス後、「俺君とは、こうやって遊びや飲みやたまにセックスするのは良いけど、付き合うのは違うかなー」と言われて、仲の良い友達から、たまにセックスする仲の良い友達にランクアップしましたが、俺は付き合いたかったので割と辛い感じでした。なお、俺が振られて付き合ってなかったという点以外、実質的にこれ付き合ってるのと同じやろ、みたいな関係が2年くらい続きましたが、向こうが結婚することになってセックスはできなくなりました。今でもたまに飲みには行くけど。
改行したよ!
いろんな場所に住んだが、しばらく行かないうちに潰れてしまった店を見ると、
ああああああもっと俺が通っておけば良かった、と後悔するときがある。
そういう代替の効かないお店というのが地元にあるかないかで、QOLはかなり違ってくるはず。
イオンや中堅スーパーでは替えの効かない業種のお店を挙げてみた。
1.パン屋
地方のスーパーには、とにかく硬いパンとか黒いパン、その他の海外由来のパンが少ないのもその理由。
なにしろパン屋は儲けが少ないし重労働だし、とにかくパンが好きだから開店しました的な商売抜きのパン馬鹿店主が多いので、
2.蕎麦屋
パン屋も馬鹿だが、蕎麦屋も蕎麦命という感じの蕎麦馬鹿店主が多い印象。
メニューに蕎麦がきあるとか日本酒揃えてるとかが特徴だが、こだわりが強すぎて生来の人付き合いの悪さが漏れてしまうこともある。
相性が悪いと感じたら、常連になるというよりは月1くらいのペースで付かず離れず見守ってやりたい。
オモニの作ったキムチやナムルは、スーパーで買えるものとはぜんぜん違う。
ただし、開店してウン十年で先代から引き継いだとかなら良いが、
新規開店だとまれに変な宗教やマルチに傾倒している家族だったりもするので、
これも付かず離れず付き合ってみたい。
4.ケーキ屋
突然辺鄙な田舎の地元にパティスリーができたらホントにラッキーとしか。おめでとうございます。
ナントカ賞を受賞したレベルの腕のある若いパティシエは、経費はたっぷりと材料にかけるべきと考えるので、
田舎にオープンするのは必然ともいえる。まあそれだけの腕前なら、潰れることはないんだけど。
5.ガソリンスタンド
これは市況に左右されるから、どんだけ常連になったところで潰れるときは打つ手がない。
最近だと火事が怖いということで灯油ストーブも敬遠されているのもきつい。
今日、友人宅ですき焼きパーリーだったんだけど1500円しかかからなかった。
自分はほぼ下戸なので外での飲み会だと飲み負けて、みんなの飲み代を出す感じになる。
でも、友人宅はお家の人も居るからお土産買ったりとか、その辺の飲み屋よりも辺鄙なところに家があるから帰りのタクシー代が多めにかかったりとか
色々あるけれども、まあ「家で食えば断然安い」
増田も似たようなクオリティのトンカツを伊勢丹の上のトンカツ屋で食べるよりは安く上がっているんだから、ちゃんと得はしている。はずだ
(スーパーのトンカツが◯幸と似たようなクオリティかどうかわからんけど。あと、キャベツはカット野菜より◯幸の方が旨いと思うけど)
八つ墓村みたいな辺鄙な村に隠された事件というのは珍しいことではないのかなと思ったこと
僕が約20年ぶりにある山村の曽祖父の家を訪れた。僕は東京生まれだが戸籍はその山村にある。村の中では一応、名士の家とされていて、お屋敷のような家がある。
でも戸籍からすれば、その4年後に隣村に転住している。理由ははっきりしないが、林業は続けていたらしく、のちの雷災の年には損木の代金で村に神社を建立したという家記録がある。娘が6人いて、中で作家を目指した娘は上京して平塚らいてうの会社に入ったそうだ。
娘は美人で転住した年に大阪の商業学校出身の地元の実業家の卵と結婚した。実業家もイケメン。そりゃ願ったりの結婚だったことだろう。で実業家の卵は何をしたかというと、結婚早々、家資金で作った水力発電所の社長に収まった。約500世帯に電気を売っていたそうだ。ただ戦争国策でそれが接収されてからは運送業に転業した。
まあそこそこ成功者のイケメンだった高祖父だが、その家には不自然な記録が少なくない。村の人は何故か過去を語らない。
ひとまずその先の主な出来事
・林業家の娘と実業家の子は、娘1人を得た。その家族は何故かコーヒーとチーズが好物。
過去の分かる限りのことは
・林業家の息子は9歳で家督相続したが23歳で死亡し、林業家がまた家督になった、林業家はのちに実業家に家督を譲った
・林業家妻は、家が庄屋だったが親が庄屋を退任。つまり父親も婿。
・林業家妻の母親は戸籍上は転住前に婿夫より先に亡くなっているが死亡日が分からず、位牌や過去帖の記録もない。ただしそのまた両親は記録がある
9歳で家督相続すれば普通はその祖父母は生きてる年だし、実業家の肖像写真の中には口ひげに陽気な微笑をたたえたイケメンがいる。涙袋のある顔貌だ。整形かもしれない。いわゆる明治の人物にはとても見えず、留学帰りかサイコパスの匂いがしてくるほどなのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20160117121121
の後日談です。
で補遺とか書くと思います(21:00補遺アカウントでブコメの返信行いました)。
郊外の辺鄙なところにある激安事故物件すら借りられないレベルで社会的信用がない。そのうえ生活保護すら受給できないっぽいしどのみち詰み。
「いつ人生強制終了するの?今でしょ!あとこの点は出ねぇよぉ!」と脳内の予備校講師がささやきかけてきます。もう駄目ですね。
こんな増田を書いて一時期は持ち返したけど結局は詰んでしまったという話。やっぱりあの時自滅しておけばよかったのか。
あ、田中くんはいつもけだるげはすごく良いアニメでしたよ。2期は来なかったのが残念…
【追記1】
https://anond.hatelabo.jp/20210505173406
>なんで知人の手伝いを続けようとするのかが知りたい
実はジオラマに頻繁に使われるあるパーツ(特定防止のためどれかは答えられない)が今はほとんど流通していません。
そのパーツは10年ぐらい前までは秋葉原の専門店とかに行けば20種類、場合によってはそれ以上簡単に手に入りました。当時は各社も矢継ぎ早に新製品出していましたし。
しかし今はそのパーツは2~3種類ぐらいしか流通していません。恐らくジオラマを趣味で作る人が減って需要がなくなったからだと思います。
そういう状況に風穴を開けたい!という自分のエゴで墓穴掘ったのが正直なところです。
ジオラマ素材で10年前と比べ手に入りにくくなったものはたくさんあります。
恐らく中国の工賃上昇でビジネスモデルが成り立たなくなったのと、スマホゲームが娯楽を丸呑みして他の娯楽産業が成り立ちにくくなったことが要因だと思います。
【追記2】
一時期赤旗読んでいた時期もありましたが、共産党はなんか支持できないんですよね。社民党支持者ですし。
ついでに社民党と共産党は『きんいろモザイク』と『あそびあそばせ』ぐらい違います。
まあ弾圧大好きな中国共産党とは今は一切関係ないですし、いざとなったら使うことは考えるかもです。
現時点ではいません。障害者福祉サービスのヘルパーさんにも相談したのですがなしのつぶてでした。
>障碍者年金という、絶対確実な毎月のインカムがあるなら、公的融資を受ければいいじゃない。
そういうのもあったのですね。余裕があったら調べてみたいと思います。
親戚は多すぎて誰が誰だかよく分からないし、生まれた時最寄りにコンビニなどなく、なんなら近所の人が家の中勝手に入って野菜置いていくような町だった。
ずっと都会に憧れていた。
都内の大学に行きたかったが、なんとなくうちは貧乏なんじゃないかと思い込みがあって県内の国立に進学した。
金髪にしたり、装苑なんか読んで精一杯奇抜な格好をして、私はオシャレな子だ!ってまわりに無言のアピールしてた。
たまに東京遊びに行く時は、東京の大学に進学した子達に「増田ちゃんおしゃれ!」って褒められてたけど、今考えれば必死な感じがあるし言うても友達も田舎育ちなので、奇抜=なんかおしゃれという感覚だったのだと思う。
底辺勤めをしていたころは出身なんかバラバラで、自分が地方民だという感覚はなかった。
東京って寄せ集めなんだなあ~ぐらいに思っていた。
それから更に色々あって、仕事でまぁまぁいい結果を出して上場企業で中間管理職をしているが、そうなると俗に言うハイスペだったりバリキャリの女友達ができる機会も増えてきた。
なんというか、彼女達はとても垢抜けていて素敵だ。
23区内で育ち、親は銀行員や士業、会社役員で都内の私立大学を出て有名企業で働いている。
大学時代は実家から通いながら都内のクラブやラウンジでアルバイトしたり、朝まで(踊る方の)クラブで飲み明かしたり、とても煌びやかな生活をしていたそうだ。
かくいう私は、緑豊かすぎるキャンパスで奇抜な格好し、土方のおじさんが来るようなキャバでバイトをしながら、隣に畑があるような辺鄙な場所にある家賃6.5万のアパートで、六本木や銀座ってどんなところかしらと妄想していた。
なんだか、自分ががんばって垢抜けようとしたり東京に慣れてるぶってるのがとても恥ずかしく思えてきた。
所詮山の民が背伸びしても、生まれ育ちが違うのだ。元より張り合う気など毛頭ないが、どうやっても埋められない差があるのだなとしみじみ感じたというイメージだ。
向こうは別に「へえ、のどかなところで育ったんだねえ」ぐらいにしか思っていないのかもしれない。
東京オリンピックの開催を僕はそれなりに楽しみにしていた。
2013年に2020年夏、東京でのオリンピック開催が決まったとき、その時は余り感慨は無かった。アルゼンチンから流れてきていた当時の首相の安倍、都知事の猪瀬、滝川クリステルの喜びようはなんとなく空騒ぎのような気がして直視できないような気がした。7年後の出来事が決まる。それが自分の住む街で行われるとはいえ7年先はやはり未来で、しばらくはオリンピックの事は心の辺鄙な片隅に置かれた。
そうは言っても東京の街は少しづつ変わって行った。旧国立競技場は柵に覆われてあっけなく解体され、看板には多言語の表示が増えていった。公式ロゴや新国立競技場をめぐるゴタゴタは日本のシステムやリーダーシップへの既視感的な幻滅とうんざりとした気持ちを新たにさせたけど、自分の中のオリンピックそのものの大まかなポジティブさには余り影響を与えなかったように思う。
1964年のことはもちろん知らないし、その時みたいに無邪気な美しい未来を思い浮かべることはできなかったと思うけど、イギリス人の友人が話していたロンドンオリンピックの時の街の高揚感を東京が感じるための準備は少しづつ工事現場の柵の向こうで進んでいるような気がしていた。
2019年の冬ごろ、用事があって神宮外苑に頻繁に行くことがあった。新国立競技場はほとんど出来上がってきていて柵の向こうのスタジアムは少し安普請にも見えたけど、少し空いたゲートの隙間から見えた芝生は緑で冬の午後の太陽に照らされていた。新国立競技場の他もすっかり模様替えしていくのかと思っていた外苑周りは思いのほか手をつけそうな感じではなく、古びた案内板は昭和の雰囲気もまだ保っていた。
東京の街のそこここに掲げられた(今も掲げられている)TOKYO2020の旗は、みんなが満足するわけではないけど、少なくともいっときの楽しみを持てる未来への予告のようでもあり、それを一緒に収めた街の写真は数年後になったら目が覚めて忘れてしまった夢を思い出すきっかけになるんじゃないかと思えた。
2020年はコロナウイルスで塗り込められた。当然のようにオリンピックの開催は誰にも望まれず、翌年への延期となった。その時でも翌年になったらこれまでのようなオリンピックが開催できると思った人はほとんどいなかっただろう。街にかかったTOKYO2020の旗は街灯にぶら下げられたまま古びていった。
そしてオリンピックの開会式まで一ヶ月も無くなった今日この文章を書いている。
オリンピックはおそらく予定通り開催されて、おそらく観客を少し入れることになるだろう。海外からの観客はほぼゼロだけどメディアにうつされる競技はそれなりに競技者たちの努力を伝えて、見ているものを感動させることもあるだろう。
でもそれが東京で開催されているということを住人として嬉しく感じられることはほとんどないだろう。本当だったら一生に一度あるかないかのような自分の街でオリンピックが開催されるという経験は、オリンピックのの抜け殻のようなイベントの開催に代替されて失われてしまった。
競技者の方の思いはあるだろうけど、僕は本当の正真正銘のオリンピックを東京で体験したかった。普段冴えない街並みがその時だけでも晴れやかに彩られて、少しの間は将来の不安なんかも忘れてスポーツに心を奪われたかった。たとえそれに多額の税金が注ぎ込まれていても、それが誰かの懐を膨らましたとしても、そして祭りの後に思ったような経済的皮算用が実現しなかったとしても、それは受け入れることができると思っていた。
あと三週間もすればオリンピックのニュースとコロナウイルスの感染状況のニュースが同時に語られる。どちらにより時間が割かれるようになるのかはわからない。ただそこにあるオリンピックは僕が体験したかったオリンピックではないし、僕が本当に見たかったオリンピックが自分の住む東京で開催されることはもうない。
私はその人を常に先輩と呼んでいた。だからここでもただ先輩と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先輩」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは富田林である。その時私はまだ若々しい中学生であった。暑中休暇を利用して合同練習会に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛ける事にした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が富田林に着いて三日と経たたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に地元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから地元にいる親たちに勧まない進学を強いられていた。彼の家系は皆池田高校を卒業していた。彼は現代の習慣からいうと野球留学するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて富田林の近くで野球をしていたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数があるので富田林におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は徳島の野球好きの息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好な宿を探す面倒ももたなかったのである。
宿は富田林でも辺鄙な方角にあった。コンビニだのテーマパークだのというハイカラなものには高い山を一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても5000円は取られた。けれども大○和記念塔は立派な姿で輝いていた。それに高校のグラウンドへはごく近いので野球をやるには至極便利な地位を占めていた。
私は毎日山へ野球をしに出掛けた。古い燻ぶり返った藁葺の間を通り抜けてグラウンドへ下りると、この辺にこれほどの野球人が住んでいるかと思うほど、シートノックに来た男や子供で砂の上が動いていた。ある時はグラウンドの上が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑やかな景色の中につつまれて、砂の上に寝ねそべってみたり、腰を下げて特守をしたりしているのは愉快であった。(続く)