親戚は多すぎて誰が誰だかよく分からないし、生まれた時最寄りにコンビニなどなく、なんなら近所の人が家の中勝手に入って野菜置いていくような町だった。
ずっと都会に憧れていた。
都内の大学に行きたかったが、なんとなくうちは貧乏なんじゃないかと思い込みがあって県内の国立に進学した。
金髪にしたり、装苑なんか読んで精一杯奇抜な格好をして、私はオシャレな子だ!ってまわりに無言のアピールしてた。
たまに東京遊びに行く時は、東京の大学に進学した子達に「増田ちゃんおしゃれ!」って褒められてたけど、今考えれば必死な感じがあるし言うても友達も田舎育ちなので、奇抜=なんかおしゃれという感覚だったのだと思う。
底辺勤めをしていたころは出身なんかバラバラで、自分が地方民だという感覚はなかった。
東京って寄せ集めなんだなあ~ぐらいに思っていた。
それから更に色々あって、仕事でまぁまぁいい結果を出して上場企業で中間管理職をしているが、そうなると俗に言うハイスペだったりバリキャリの女友達ができる機会も増えてきた。
なんというか、彼女達はとても垢抜けていて素敵だ。
23区内で育ち、親は銀行員や士業、会社役員で都内の私立大学を出て有名企業で働いている。
大学時代は実家から通いながら都内のクラブやラウンジでアルバイトしたり、朝まで(踊る方の)クラブで飲み明かしたり、とても煌びやかな生活をしていたそうだ。
かくいう私は、緑豊かすぎるキャンパスで奇抜な格好し、土方のおじさんが来るようなキャバでバイトをしながら、隣に畑があるような辺鄙な場所にある家賃6.5万のアパートで、六本木や銀座ってどんなところかしらと妄想していた。
なんだか、自分ががんばって垢抜けようとしたり東京に慣れてるぶってるのがとても恥ずかしく思えてきた。
所詮山の民が背伸びしても、生まれ育ちが違うのだ。元より張り合う気など毛頭ないが、どうやっても埋められない差があるのだなとしみじみ感じたというイメージだ。
向こうは別に「へえ、のどかなところで育ったんだねえ」ぐらいにしか思っていないのかもしれない。