はてなキーワード: 貧困家庭とは
卒業式で袴や振袖が着られない小学生はそれはその子個人は惨めな思いもするだろうし、その後の中学校でいじめられるかもしれないし、その子の内面的世界ではものすごく不幸だしあるいは地獄を感じるかもしれない。けれど、それがじゃあ貧困なのか? っていったらどうなんかね。
この種の貧困って撲滅可能なのか? いや、この貧困は例えば「全小学生に振袖レンタル料の給付」みたいな方法で(バカバカしいというのは横に置きつつ)撲滅できるかもしれないが、そうして撲滅したところで、このレベルの他の格差光景が次々と抽出されていたちごっこになるだけなんじゃないのか?
そして仮にじゃあ面倒だ、貧困家庭に40万円給付します! ってなったら、この家庭は一家で温泉旅行に行って結局子供は袴も振り袖もきられないままになるんではないのか?
生活保護の金額を割り込むようなワーキングプア、絶対的貧困というのは理解できるし撲滅すべきだと思うのだが、日本の相対的貧困ってどこが問題でどうすればいいのかさっぱりわからない。そして相対的な貧困よりは上のラインだが中央値には届いていないような「ちょっと収入が少ない家」も、振袖が着られないとかハワイ旅行に行けないとか幼稚園に入れないと喚けば、社会補助をしなければいけないような風潮になるのか? なんか先に痛みを表明したもの勝ち社会にみえてくる。
いろんな人がいて面白かったな。
呑み歩きが趣味でいつも酔っ払ってるおっちゃん。無職のおっちゃん。離婚したおっちゃん。左遷リーマン。貧困家庭学生。片親。元風俗。透析に通いながらバイトしてるおっちゃん。自分のことをただのウンコ製造器と自嘲するおっちゃん。精神障害で仕事を失った人。精神障害を周囲に隠しながら生きている人たち。毎日深夜に疲れて帰宅して、朝方までくだらない会話で時を潰す自称のら猫。海外ポスドク。高齢ポスドク。博士持ちの民間転職組。さすらう非常勤講師たち。
労働で疲弊し、介護で疲弊し、子育てで疲弊し、自分の障害を持て余して疲弊して、みんな疲れていた。
そして諦めたような乾いた笑いを交わしながら、それでも時々本音を覗かせて、傷を舐め合っていた。
私立というだけで「学費が異常に高い」なんて考えるのは一部の世間知らずな奴だけだろ。
そういう地域は私立の平均的な学費を基準に補助すればいいだけ。
(となると公立の人気がガタ落ちになりそうだけど。でもまあどうせ公立幼稚園はどんどんこども園化してるし)
うちの自治体は私立幼稚園しかなくて今でも私立幼稚園の一部無償化(貧困家庭&3人目のみ)してるけどそういうシステムだよ。
最大年30万超ほどが助成されて、大抵の私立幼稚園の学費がそれで納まる。
そりゃそれで納まらない高級園もあるかもしれないが。
本当は「幼稚園は無償化(実際は「その地域の幼稚園の平均的な学費と同額を補助」と言う形になるだろう、
でないと学費が他より異常に高い高級幼稚園まで全額無償はおかしいだろ、と言う事になる)、
保育園は上記の幼稚園の補助額と同じ額だけ補助してそれ以上は親の自己負担」にするのが一番待機児童が減るだろうけどね。
それだと本当は幼稚園でもいいけど保育園の方が安いから保育園、ってのが幼稚園に移動するだろうから。
公立の小中学校 学力・学習能力・家庭環境に関係なく年齢でまとめて詰め込まれている。落ちこぼれとか怠学とか不登校とかいじめとか様々な問題を引き起こしている。貧困家庭の多い地域は「教育困難校」になる。
>学校無くなったらどうなるんだろう? 北斗の拳世界? 石器時代に逆戻りかな?
現在でも学校という檻・保護区を出たDQNが、危険運転をやって問題になっている。そんな輩は車に乗る前に小中学校の時期に異常者だってわかっているだろうに。底辺校は、「ヒッハー」なDQNが横行している。底辺校をなくせばそいつらが野に解き放たれるわけだ。
学校が本来の目的、学習をする場ではなくなっている。ここが最大の問題点だ。警察・刑務所、宗教、家庭などに返す。
まず、能力別・学習能力別に教育を受ける場を分ける。貧困DQN家庭からは子供を取り上げることも必要だろう。
学校でなくとも学習ができる層。学校で集団で教育を受けられる層。異常者収容所で矯正が必要な層。排除すべき層。きちんと仕分けしなきゃな。
リーディングスキルテストの件、みんな興味の持つところで各々考察したことを書きこんでおり、ほくほくしながら読む次第。
さて、一文の中に専門用語が多いと脳のメモリーが大幅に占められて苦しいなんてコメントも散見されるなか、「読解には知識が必要」な側面はもちろん存在するだろうが、「知識があるなら読解は可能」なのだろうか。
そこで、軽く身内でアンケート調査を行ってみた。結論を言えば、「知識があれば読解力は上がるが、必ずしも読めるようになるかはわからない」だ。
(元のリーディングテストの焦点は知識の有無ではなく読解力そのものに対する調査であるので、もちろんこのようなことは元調査の中で解析されているだろう。しかし、いまいちはてな上では欲しい情報が見つけられなかったことと、自分の身の周りの実感にも少し知見を得たかったため、素人の眉唾ものにはなるにしろ、独自にアンケートを取ってみた次第。)
この調査は同程度の読解力が必要な設問に対して、専門知識の有無により正答率がどのように変化するかを調査した。
具体的には、イカの二つのアンケートをTwitter上にお昼に投稿し、夕方、深夜にその投稿を同タイムライン上で周知した。投票期間は1日とした。
「アミラーゼという酵素は、グルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースでできていても、形が違うセルロースは分解できない」
「スプラッシュボムというサブウェポンは、スペシャルウェポンにスーパーセンサーを持つN-ZAP85と相性が良いが、同じスーパーセンサー持ちでも、性能が異なるハイドラントとは相性が良くない。」
前者のアンケートは9/25/12:15に投稿し58票を、後者のアンケートは9/26/13:20に投稿し62票を獲得した。
(属性に関する補足)
私のTwitterアカウントはフォロワー数が約200名であり、その9割以上がスプラトゥーンを愛好する人達である。生物の専門知識に欠け、スプラトゥーンの専門知識に長けている人達の集団として本調査に適していると思い、調査対象とした。
年齢は高校3年生程度~30代で、20代前半がメイン層と思われる。男女比はおよそ1:1。社会属性は中卒ニートからお医者さんまで幅広く、完全な貧困層はいないと思われるが約1割程度は母子家庭等で貧困層に近いと思われ、約1割は高学歴と思われる。
スプラトゥーンのウデマエは1割程度がS以下で9割がS+以上で、そのうち2,3割はS+99経験者で、1割はフェス100傑勢、5人はフェス1傑勢である。要するにガチでやりこんだ人が多くイカした知識には申し分ない。(なお余談だが、体感的にはウデマエと学歴にはあまり相関がないように感じる。)
(1票につき2%弱の得票率向上となる。C セルロース については本来グルコースとすべきところを転載ミスした。B スーパーセンサー とC スプラッシュボム についても元と同じ設問構造にするならば順番を入れ替えるべきところだがミスした。)
Twitter上で投稿したところで、興味ない人は飛ばす、内容が読めないがアンケ結果が見えないストレスとの間で揺れて適当にクリックする、元調査と違いじっくり考えたり時には調べたりなども可能等、様々な要因により正答率は一般的ではないだろう。母数もたった60人程度だ。
しかし、ほんとにデンプンアンケを読めない人が(高校レベルが一般人レベルと仮定して)7割もいるだろうかという疑問に対しては、正答率6割であったことが自分の実感には合致した。
(例えば「杞憂」が読めない上に説明しても理解できない大人もこのコミュニティにはいらっしゃるし、そういう人も含めて自分の所属文化圏外の日本国民一般を感じる。だいたい5,6割くらいは正解するかなと思っていた。)
しかし、荒れた学校の不良のような人は対象内には皆無だし、そういったある一定のコミュニケーション能力を有した集団であることも考えると、国民全体でみるとやはり正答率は3割程度なのだろうか……。ご意見求む。
本題、考察したいのは、イカ用語書き換え版アンケにおける正答率についてである。
スプラトゥーンを熟知した者にとって、ハイドラントとN-ZAPがメインウェポンとして同類であり、「スーパーセンサー」というスペシャルウェポンや「スプラッシュボム」というサブウェポンといった別分類のウェポンとメインウェポンを性能比較することが文脈にそわないことは瞬時に理解できるであろう。
さらに、イカアンケはデンプンアンケ終了後に行ったため、ツイートに興味を持つ層の変化等はあれど、正答に有利な状況とはなっているだろう。
しかし、正答率は84%である。その中で62人中10人が誤答した。これら10人は果たして不真面目なクリックによるものだろうか。
デンプンアンケ、Cの選択肢を転載ミスする愚行を披露したが、「セルロースはセルロースと形が違う」と回答する者が5%(2名)いた。
答えてくれた方の中には「矢印以降の選択肢を見て頭が混乱した」との感想をくれた方もいたが、さすがにセルロースをまじめに選ぶことはないだろう……?
各選択肢に対して5%程度不真面目な回答が入ると仮定すれば、イカアンケにおける正答率はおよそ100%と認めることができるかもしれない。
しかし、個人的にはそうとは感じない。(どうすれば不真面目な回答率を確認できるだろうか?天の川アンケも行うべきだったかもしれない。((天の川銀河の中心には、太陽の400万倍程度の質量をもつブラックホールがあると推定されている。→天の川銀河の中心にあると推定されているのは(天の川 銀河 太陽 ブラックホール)である。 正解はブラックホールであり、正答率は中学でも100%)))
知識があっても、あの構文が読めない人がいるかもしれない。((少し混乱するかもしれないが、つまりは「AであるBは、CであるDをEするが、Cであっても、FであるGをEしない」という文の中でDとGだけが同じ集合に属しFは同じ集合内でのみ要素を結合できる演算であるとき、読解できない人はFの現在所属している集合を理解できない、的な。私は数学全く知らないので言葉を間違えてたらごめんなさい))
読めないとしたら、マニュアルが読めないなど、カラー分断の危機は本物ではないだろうか。論理的に矛盾した言動で感情を煽る政治家を支持してしまうのではないだろうか。
私は貧困家庭の方ともTwitterを通じて友人となったが、彼や彼女からは生活保護受給の申請すらままならないほどの忍耐力と先を見通す力の低さを感じた。目の前の欲にすぐ溺れる。でも同時に、とてもつらい思いをしながら頑張っているということも感じた。
バイト先から正社員に昇格した人たちが、プレゼンなりの資料作成のような業務に四苦八苦していて今にも逃げ出しそうだ。
体感的に、多分彼らは今回の文は読めない。読む気が起きない。
読解力の向上で救える福祉、救える命はあるだろうか。
読解力がそういった問題の原因の一つとしていいだろうか。
なんにせよ、実情をもっともっと知りたい。いろんな人のいろんな考察をみたいな。みなさまの引き続きのホットエントリ入りをお待ちしております。
参考
貧困家庭で育った子供の視点から、貧困家庭の問題点を挙げたい。
私は現在高校を卒業して働いている。貧困層の立場的意味合いとしては深刻な方だったと思う。
ただ、複数の貧困家庭で育ったわけではないので視点の偏りはあると思う。
これが一番問題で、国によって救われないといけない面がどうしても出てきてしまうと考えている。
人によって差はあると思うが、精神的に弱っている際に無駄遣いが増えることも多いかと思う。
貧困家庭の親は、情報弱者の場合が多いと感じているが、これは子供に引き継がれる。
貧困から生まれる精神的不安によって、家庭内での喧嘩や暴力が多く発生したりする子供への悪影響も計り知れない。
単純にそれらが無くとも、「金が無い」という親の悲鳴を聞く度に子供としては心が辛く、自分を責めてしまったりする。
親の不安定さは子供に伝染し、その子どもが親になった際に、また同じ子供にうつっていく。
「勉強」どころではない(自分と親{家庭}の事で精一杯)という土壌が形成されて、
1.非行に走る
2.進学を諦めて就職する
という選択に至りがちであり、中卒・高卒の収入は大卒に比べても低い事から、連鎖的に貧困も育っていく。
これは私の育った家庭が問題なのかもしれないが、「騙された」という親の言葉が、しっかりと内容を確認しなかったがために招かれている事態だったりする。
そうでなくとも、「勉強は大事」と教わったところで、学ぶ手段を教わらない場合が多く(親の学歴もまた低い場合が多いことも関係する。)
学校での受動的学習はできても、社会で重要である能動的学習が出来ない。(方法がわからない)
私の家庭では、浪費が多かったように感じる。
細かいお金を貯金していく大切さを知らないし、あるいは、その手段を知らないように見えた。
この点は真逆の方向で私に引き継がれた。
数千円を切り詰める必要性を感じてしまい、多分、こういう考え方の人間が増えると国の経済的には良くないと思う。
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私の家の話だが、本来自分の為になる勉強などをする精神的余裕がなく、逃避的行動に至りやすい。
私は一度家庭内が大きく荒れて、中学校では学年トップの人と競い合うほど学力はあったのに不登校になり、
その後ブランクを経て高校へ進学したものの、やはり収入は低いし厳しい仕事だと思う。
大磯町の「マズい」学校給食について調べると、不可解なことに気づく。
まず、家庭の払う金は、月額4900円だ。
http://www.kanaloco.jp/article/140220
給食の数は870人分だ。
1日870人分
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/09/17/153008
1年間に生徒側の全員が払う額(総額)は
4900×12×870=5115.6万
一方、大磯町が払う額はこうだ。
http://www.kanaloco.jp/article/140220
つまり、生徒からは年間5115万円を徴収するのに、業者への委託料は年間計約4100万円であるにすぎない。差額の 1000万円は、大磯町がいただいてしまう。
一方、配膳室整備費は 1200万円だが、これは最初の年にいっぱいかかるだけで、以後はあまりかからないだろう。
というわけで、大磯町は、生徒から多額の金を徴収したあとで、その金を給食費には回さず、大磯町の財政に入れてしまっているわけだ。
これはつまり「中抜き」みたいなものだ。「ピンハネ」とも言える。これが、大磯町の学校給食が低品質であることの理由の一半となるだろう。
《 注記 》
「給食費を払わない家庭(貧困家庭)もいるはずだ。だから870人分の収入があるとは限らないぞ」
なぜか? 給食費を払わない家庭(貧困家庭)への補助は、自治体が自分の財政で負担するべきものだからだ。
なのに、その分を他の生徒に負担させるのでは、「自治体の福祉政策の金を、同級生にツケ回しする」というようなものだ。これは道理が通らない。
貧困家庭への援助は、自治体や国がやることであって、同級生がやることではない。したがって、「自治体が金を援助する」ことがあったとしても、870人分の収入があると見なしていいわけだ。(支払う人の数は870人よりも減るかもしれないが、収入自体は870人分の収入があるわけだ。)
実際の貧困家庭でも、じゃあ実際に触れ合うときは「同情するなら金をくれ!」だし。(古い)
引越しおばさんとかみたいなのもいっぱいいる。精神が壊れて行ってて、並の人では扱えないようになってる。
だから、覚悟なしに触れて自分が善人扱いされないと知ると「何だアイツらは!」となる。
で、ムキーって反応してくるのを期待して弱者をいじったり上から目線になったり。
そうして弱者と扱われなくなる。
結局、多くが貧しくなって、セーフティネットもなくなってるんだよね。
https://anond.hatelabo.jp/20170729073640
件の弁護士の記事のブコメにも指摘されてたけど、「キモくて金のないおっさん」は単に実在する弱者像としてだけではなくて、普段は「水面下にいる貧困家庭の救済を!」とか「これまで存在してこなかった弱者や少数派の存在を認知しよう!」みたいな、まったくもって麗しいネットの社会的正義を唱え、政治的正しさを掲げる“良識派”や“反差別主義者”の欺瞞を指摘するためのもの、「反差別主義者にさえ差別される存在」を差して使われてた広い意味を持つ語なんだよね。
その辺を理解しないまま件の弁護士(だけじゃなくてとりあえずキモくて金のないおっさんって言えば上手いこと言ったことになったと思ってるアホとかも)が安易に弱者男性≒キモくて金のないおっさんという雑な扱い方でこの語を取り上げてしまったために、言葉の意味があやふやになった挙句「キモくて金のないおばさん」なんて意味のない言葉まで生まれてしまったわけ
それに、そもそも「キモくて金のないおっさん」という言葉がそのまま男性差別と直結するわけではなくて、要は女性・性的少数者や民族的少数派・貧困家庭といった普段“良識派”が彼らが普段唱えている「水面下にいる弱者を認知しよう」というご高説に従ってこうした“キモくて金のないおっさん”“保護したあげたところで絵にはならない弱者”を組み入れてくれさえすれば、そもそも欺瞞など発生しないし、そもそも「キモくて金のないおっさん」なんて言葉を使うだけ野暮なんだよ。
だけれど現実はそうではなくて、ネットの“良識派”はこれまで唱えていた理屈を自分で捻じ曲げ、「彼らは弱者ではない」とか「彼らはそういう状況にあっても仕方ない理由がある」といった、他の弱者の前では絶対に言わないし、言うべきでないと思っていることを彼らにはしばしば言い、また言ってもいいと思っているんだよね、これが。
最近のものでそれに相当する事例、「キモくて金のないおっさん」案件の例をいくつか出すならば
https://anond.hatelabo.jp/20170626132146
https://anond.hatelabo.jp/20170529064047
この辺の増田のブコメはとても典型的な「彼らは弱者ではない」「これは差別ではない」「彼らはそういう状況にあっても仕方ない理由がある」が見られる。
“良識派”の欺瞞がはっきりと浮き彫りになった、って点で言えば最近ではこの辺がある(3つの増田とブコメ全部読まないと流れがわかりにくいので注意)
https://anond.hatelabo.jp/20170708030900
「童貞が顔真っ赤w」って言うのってセクハラかモラハラじゃないの?
つまり「キモくて金のないおっさん」を語る際にはこの辺の弱者男性≒キモくて金のないおっさんではない、ってところをおさえて置く必要がある。
しかし、正直あの記事の内容はがっかりだったなあ。別にだからといって過去に読んだ彼の法律系の記事も当てにならんとかそんなことは思わないけど(自分は法律家じゃないし)、少なくとも普段法律関連の記事を書く際のそれと同じくらい、語義や論理に忠実な態度でもって、男女同権問題とキモくて金のないおっさんの話は分けて書いて欲しかった。
結婚して、ずっと実家暮らしだったところから引越して慣れない家事に奮闘しながらそれなりやってきて、苦戦しながらも新しい仕事を得た
新しい職場に慣れるのは大変で、ある日会社にいけなくなって、それでも心療内科に通いながらなんとか立ち直ってきた
夫は、だらしないところもあるしゲームが大好きで少年みたいだけれど、優しいし家事も手伝ってくれる
満員電車にもようやく慣れきた
罪悪感
夫が気がつかない細かいところに気がついて、わたしがせっせとやって、気がつかない夫に当たり散らしてしまう
こんなに頑張ってるのに、もっと認めてほしい
少子高齢化にワンオペ育児に介護離職に、貧困家庭に、毎日起こる殺人事件に、政府のどうしようもない国会のやりとりに
わたしは神経質で心配性で、将来に対しても悲観な気持ちをいだいてしまう
見知らぬ人のために保険料を払うのは馬鹿馬鹿しいけれど、病院に通う自分は誰かに助けられてることは情けない
生きてても仕方がないとおもう
楽しくない、なんのために生きてるのかわからない
生きるために仕事しなきゃならない
情けない
生きててほしいと言われる
最近といってもおそらく2年くらい前から、家の近くに初恋の女の子が引っ越してきた。
彼女は社会人なので、通勤のために実家から通っている。僕の方は取りこぼした単位を拾う為に今期から真面目に1限に出席するようになって、そのおかげで朝の電車が同じになることがたまにある。今までは1限なんかにとてもじゃないけど出席することもなかったから、まさか1限に出ることで同じ電車のしかも同じ車両になることがあるなんて思いもしなかった。
確かに地元は一緒だったし、なんだったらどの辺に住んでいるのかも知っていたから、僕の最寄り駅にも自転車を使えば通えないこともない。彼女の大学が高田馬場から東西線で一駅のところだったから車両の一番後ろに乗ることを知っていて、僕の方は西武新宿で乗り換えて中央線に乗っているので、一号車に乗る。だから思いもしなかったっていうのはさすがに言いすぎかもしれない。ただ同じ車両になるというのはひどく窮屈だ。緊張しさえする。こちらとしては彼女の姿をこの目に収めておきたいのに、羞恥心が邪魔をしてしまう。職場が青山にあるというので大江戸線に乗りたいのだろう、彼女が中井で降りる気配を感じる。夏目漱石のこころをiPhoneにインストールしているkindleで読み直しているけど、様子が気になって内容がちっとも入ってこない。
こんなことになるなら、引っ越すとしても元の家から徒歩で15分くらいのところじゃなくて、もっとこう"シティ"な感じのところにしてくれたら良かったのに。パパが僕たちの地元を大変お気に召しているのだろうけど、大したもんはココにはない。ジョギング中の夫婦が「ヨーロッパに来たみたい」なんて言っていたのを聞いたことがあるけど、僕は地元に"ヨーロッパらしさ"を感じたことは一度もない。ヨーロッパらしいってしかもアフリカっぽいと同じレベル感なのがグッとくる。フランスもドイツもスイスもフィンランドも"ヨーロッパっぽい"のだろうか。
それにしたって彼女は気まずくないのだろうか。もしかしたら彼女の方は全く気にしていないどころか、僕なんかに微塵も興味を感じていないのかもしれないけど、それにしたって不都合だ。朝の通勤時間に小説やビジネス本を読むような彼女には東横線か、あるいは田園都市線がお似合いだと思う。青山の広告代理店でパリッとクリエイティブな仕事をしているのなら、意外と二子玉川や武蔵小杉なんかも良いかもしれない。トレンディがある。そんな彼女の住まいが閑静なローカル線の住宅街で僕の家から走って2分だなんて。
初恋の女の子が僕の通っている小学校に引っ越してきたのは4年生の時だ。
学芸会の準備で役を決める際に視聴覚室か何かに学年で集まる機会があって、僕はその時三組だったから、二組に転校してきたその子を見かけるのはそれがはじめてのことだった。僕は一目惚れをした。
控えめにいって、ものすごく可愛かった。もしかしたら可愛くないのかもしれないとかそういうことを思うことなんか一切ない。疑いのない可愛さ。とにかくものすごく可愛かったのだ。広末涼子のような清涼感にしかしどこか影のある、もしかしたら深田恭子かもしれないようなミステリアスさ、とまではいかないけど、こう、幸の薄そうな、アンニュイな佇まい。目が合っているようでどこか僕よりも遠くを見ているようなそういう雰囲気のある女の子。きっと心臓に包帯を巻いているに違いない。
そんな少女の横顔を偶然にもあの場で拝んでしまったその日から、僕の好みの女性のタイプが確立してしまった。確実に言える。初恋というのは実に恐ろしいものだ。
僕は地元の公立中学に進学することを決めていたし、彼女が日◯研かどこかの塾に通っていてそれで女子中学校を受験するというのは友達から聞いていたから、中学に上がったらこの思いも終わってしまうんだなと思っていた。金輪際のお別れになるんだろうなって思った。なんでかわからないけど、また会えることを期待したお別れであったり、悲しさのようなものを感じないまま中学生になった。今思えば、そういう感情が終わってしまうということが当時の僕にはよくわからなかったのだと思う。小学生の頃の僕たちはただ誰が好きだ誰と両思いだとかそういう秘密を"バクリョー会"と名付けたなんだかよくわからないグループでこっそり共有しあって、それでその子と廊下ですれ違うたびに肘で突き合うといった交友関係を楽しんでいただけだったのかもしれない。一度も話したことのないにも関わらず、これは初恋なんだって確実に言えるそれは小学校卒業と共にお別れしたかのように見えた。
僕もその当時ノリノリでプリクラをプロフィール写真に設定し、好きな異性のタイプのところに「幸薄い子」って書くくらいにはエンジョイしていた。
今でいうTwitterのようなタイムラインは「リアル」と呼ばれていて、幼稚園の同級生だったモデルの女の子は「りさのりある」とかいって人気を博していた。
「ぼくのりある」もささやかな人気を誇っていて、"ねっとりとした"自分語りとますだおかだの岡田のような芸風がウケて意外にもいろんな人に見てもらえていた。
ゲストブックというのが前略プロフの中の機能にあって、そこに知人がコメントを残すことが出来るようになっている。そのときに現れた nさんが話題になった。彼女は僕のゲストブック=足跡 にミルクキャラメルが欲しいと言った。
僕が高校にあまりいかず(行ってなかったことはしらないだろうけど)近くのコンビニでバイトをしていたことを彼女は知っていた。
彼女の言うミルクキャラメルがうちのお店にあるかどうかの話を聞かれて、多分あるとかいう適当な返信をしていたのを覚えている。そのうちみんなが僕とnさんのやりとりに興味を持つようになって、学校に行くと「あのn ってだれ!?ww」とか言われるようになった。
僕とnさんとのやりとりが130件を越えたあたりで、nさんはバイト先に来た。
僕は度肝を抜いた。まさかこんなことがあるのだろうか。あの女の子だった。
バイト中にも関わらず連絡先をその場で交換した。夜勤のお兄さんと一緒に夕勤に入っていたのだけど、事情を説明したら怒られなかった。むしろ茶化された。
そこから僕たちは小学校を卒業してから今までの4年弱を埋めるかのようにメールをした。
当時の携帯は文字数制限というのがあり、1万字を越えると入力ができなくなるのだけど、僕たちは文字数いっぱいになるメールを1時間半かけて50~100つのトピックを会話した。
たとえばニコ動が面白いとか、彼女は御三家クラスの女子校に通っていたので、自然とヲタい趣味を持ちやすいのだと思うけど(偏見)、時かけMADがあーだとか、あるいは東京事変だどうだとか、そういう話もした。彼女は軽音部で、家にはドラムセットが置いてあって、透明人間をコピーしたりしていたらしい。椎名林檎が好きな女の子だった。高校1年生にしては早熟しているという感想がある。
次第に僕達の仲は縮まっていき、バイトから上がって、電話がかかってきて。僕は彼女から気持ちを伝えられた。僕はそれには返事をしないままデートに誘った。
正直にいって、僕は彼女に対して劣等感があった。先程も言ったとおり、羞恥心なのだ。彼女は1時間半かかるメールをしながら、僕が必死に入力している時間に勉強をしていたのだ。大学入学に向けて自主的に勉強をしているような子だった。
僕は偏差値が50もない都立高校に進学して、あまつさえ学年ワースト10の人間だったから、そういう天上人の姿を目の当たりにして惨めな思いがした。
「勉強なんて、くだらない」
「どうせやったって役にたたない」
僕はみんなが僕と同じようにそう思っているに違いないと思っていたから、ボイコットと言えるような授業態度を取ることもあったし、それがきっかけで停学になることもあった。そういう人間なのだ。そういう貧困家庭で文化資本の微塵もない人間が彼女のような幸福に溢れる少女と関わるなんてこと、あってよかったのか。
僕は気持ちに応えたかった。けど、自分の無様な境遇を誰よりも理解していたからこそ、彼女の気持ちに応えることもなく、返信を止めてしまった。
「あの時いったこと、なかったことにしてください」
そういう経緯もあって、高校二年生にあがって、ひょんなことで自分も大学進学ができることを知ってから、たまらず勉強をしてみたくなった。
早大学院が家の近くにあって、その高校に幼馴染が進学していたこともあって、高校に行っていなかった時はもっぱら学院の子たちと遊ぶようになった。
もう一人、学院にいったバスケ部の友人が僕に言ったことがある。
「ココにはお前みたいなやつがいっぱいいるぞ!」
僕の居場所はきっとこっちなんだろうなって思った。
僕は変に尖っていたから、東大は無理だけど早慶ならやればイケると思っていた。だから学校で受けることになっている模試の志望校には早稲田の法学部と慶應の法学部を必ず書いた。当時の僕は文系最難関は法学部だと思っていた。偏差値は30台だった。
僕が勉強に対してひどいコンプレックスを抱えていたのは、進学した環境へのミスマッチもあったけど、それよりも大きかったのはきっと彼女へのコンプレックスが勉強に向いていたからだと思っている。僕はそうやってここまでやってきたのだ。
幼馴染いわく、彼女はAO推薦で早稲田の国際政治学科に入学したと聞いた。
ものすごくモテるけど、性格が奇抜らしく、恋愛に発展することはそう多くなかったらしい。
彼女は3年生になって、イェール大学に1年間留学した。留学費用は親から借りて、社会人になった今、親に返しているって言っていた。
彼女はきっと大学でケインズやハイエクを勉強するような感じではなかっただろう。
きっとホロコーストに関心を持って西欧政治史を勉強していたのだろう。ハンナ・アーレントのようなそんなイメージがある。"アンシュルス"という響きが彼女を形容する。留学ではどんなことを学んだのだろう。
僕の方はどうだっただろう。
見えない格差に悩まされないことはなかったし、この断層をどうにかして上り詰めてやろうと思った。もしかしたら届かなかったかもしれないし、もしかしたら届いたかもしれない。
でも、ある種の上流に来て思った。僕は平面的な世界しか見ていなかった。ここには奥行きがあって、階層が同じになったように見えても、生きる世界が交わることがないのだと。
彼女の生きてきた歴史を僕が覗くことが出来ないことが、たまらない不安となる。彼女の見える世界と僕の見える世界はブラウン管に映るカサブランカと最新液晶で見る君の名はくらい違うに決まっている。
恵まれた家庭に生まれ、愛され、そうして社会になんの疑問を抱くことなく生きてきたのであれば、どうかそのまま幸せになってほしい。
社会人になって、通勤中にビジネス本を読んだり、コピーの勉強をする必要なんてきっとない。いつかきっと、おそらく今も付き合っているであろう彼氏や職場の人と結ばれて、2児の母になって、幸せになっていってほしい。
彼女が政治経済学部に進学したように、僕も政治経済学を学んできた。
彼女が広告代理店に就職したように、僕も卒業したらネット広告を生業とするだろう。
どこかで交わってもよかったはずの世界が、どんなに類似共通する点があっても交わることのないこの世界の片隅で僕はまことに勝手に息苦しさを感じている。
おそらく10月までに引っ越すことになるだろう。
僕が24年間生きてきた思い出深い地元を出た時、僕と彼女を結ぶ共通点がついに無くなる。
それは小学生のときにはわからなかった別れのような感情を僕に芽生えさせるのか。
あるいは僕の眼前を照らす原動力として、ずっとこころのどこかに仕舞われたまま生きていくことになるのだろうか。
国境の南、太陽の西という小説がある。あの主人公の気持ちが分かるような気がしてしまう。もし30歳とかそのくらいの年齢になって、島本さんのように現れてしまったら、僕はどうすれば良いのだろう。
一度空いた穴が塞がることはないのだろう。
どことは言わないがそれなりに知名度のあるweb系企業で年収600万ほどもらっていたのだが、上司との反りが合わなくなり、気づけば双極性障害になっていた。
休職を経て退職、雇用保険の受給期間が終わろうという頃に最低限の精神状態を取り戻し、web系の下請け的な個人事業主に。
初年度の年収は150万。所得税も住民税も非課税、国民健康保険は年間で約2.5万だけ。税金等の負担が少なくて有難いものの、ひとりの日本国民として恥ずかしい気持ちも大きかった。
そういう悔しさをバネに、次年度はなんとか年収300万台まで上昇。普通以下の年収だが、税金を払えるようになれたのはなんともいい難い充実感があったのを覚えている。
しかしその翌年は年収200万台に下がってしまったが、5年付き合っていた彼女と結婚した。私の腐っていた時代も支えてくれたので、結婚に迷いは無かった。
年収200万での結婚は厳しいとわかっていたが、彼女が事務職で年収250万ほどあり、合計すれば普通の生活は成り立つと考えていたのだ。
なんとか結婚式の費用を捻出し、ささやかながら結婚式を執り行い、国内旅行だがハネムーンにも行けた。
それからしばらくし、妊活を開始。正直この世帯収入で子供を持つことに抵抗が無かったわけではないのだが、出産後も仕事を続けることを嫁が宣言してくれたので、子作りを頑張った。
その後、無事に妊娠、出産。自宅で仕事をしている個人事業主なので、育児にはかなり参加したほうだと思う。おっぱいで授乳以外のことは何でもできる。
そして一年が過ぎ、妻が復職したのだが、会社の業績が悪化したようで、程なくしてリストラの対象となってしまった。共働きを望んでいた妻だったが、実際子供が産まれてみて、仕事より育児を優先したい気持ちが強まったようで、妻としてはなんとも都合の良いリストラだったようだ。
妻は私に再就職を勧めてくる。数社の採用面接を受けてみたが、採用までは至らない。
世帯年収200万で子供を養うのはキツい。児童手当等の補助を駆使し、節約の限りを尽くせば無理ではないだろうが、貧困家庭まっしぐらだ。こんなはずじゃなかったんだけどな・・・。
私の家はとても貧乏です。実家と呼べるところは田舎にある2DKの家賃3万のアパート、母子家庭で親の収入が年300万のよくある貧困家庭でした。
幸いにも大学は毎年授業料免除(免除されなかったら即大学という条件)と奨学金により満足に学ぶことができました。中高くらいまでは自分の家庭状況をあまり理解してませんでした。自分は普通の大学に行き、普通の会社に勤めるのかと思ってました。
大学に入り地元以外の人と話すことが多くなりやっと自分の家庭状況が理解できました。まず仕送りを貰ってない人が居ない、しかもみんな家賃とは別に仕送りを貰ってる、3分の1くらいは車を持ってる。そりゃ、世帯収入が5,6倍(800万のダブルインカム)離れてればその通りだなと思います。
また年300万を稼ぐのは簡単で、大学を卒業する頃にはアルバイトや研究費で親と同じくらいの収入になりました。そして社会人一年目にして親の年収の倍になってしまいました。
社会人一年目になったと同時に親は会社に疲れたといい、退職してしまいました。そこから仕送り始まったのです。最初は貯蓄があるようで月3万でした、次の年から月6万でした。年金はもらってるようですが、厚生年金の月4万のみです。65になるともらえる国民年金になると月10万になる様なので少し減らせるみたいでした。
年収600万もらってる人ならわかると思いますが、月6万は相当きついです。しかも職場は都内にあるため、生活費を削るため遠方に住み毎日人権がない電車通勤を強いられます。私も親を見捨て他の同期のように海外旅行に行ったり少し高額な趣味に走りたいとは思いましたが、そこまで非人間的に離れませんでした。ちなみに奨学金の返済も別途月2万あるため貯蓄なんてできません。大学の頃の貯蓄を削ってます。
ここから脱出するには、年収を上げるか65になり年金が増額されるのを待つか親が死ぬのを待つかです。もし私が年収300万程度の稼ぎしかなかったと想像するとゾッとします。
どうか私のために私の親を殺してください。