はてなキーワード: 視覚とは
電話で問い合わせをしたりするのが苦手すぎる
対面で喋るのは割と問題ない
手元に書類があればこの書類の・・・と指さしながら、またはあっちがこう、大きい、小さい、とか身体的表現をしながら、相手の表情や視線で理解度を感知しながら喋る
でも電話だと音声しかない この書類の・・・と指させないので「〇〇の〇〇にある〇〇という項目の〇〇という部分の・・・」とか言ってる間に自分が何言ってんのかわかんなくなってしまう
もちろん相手に「〇〇の〇〇にある以下略」と言われ始めても単語がバラバラになって右から左に流れていくような感覚を覚える 邦楽を聞き流してるような
苦手意識で緊張してしまうのもあるけど、普段喋ってる時にすごく視覚や動きを利用してるタイプなんだろうなぁと思う
何言ってんのかわかんなくなってしまう故何度も同じ事を言ってしまったりめちゃくちゃ高速早口になってしまったりして恥ずかしい
Vtuberには元々センシティブなASMRを上げる人たちいたけれども、それとは一線を画す本格的にアダルト的な消費を主眼とした活動をするVtuberがここ1年ちょっとの間に多数登場している。具体的な名前は子供達も見る場なので差し控えるが今現在エロ系Vtuberには4つの箱が存在し(うち2つは運営元が同じ)、登録者が10万近くいっているライバーも居る。
20人以上居るエロ系Vtuberはセンシティブ囁き耳舐め尺八咀嚼音などのASMR、バイブ装着ゲーム実況、(主にバイブを使った)罰ゲーム有りのゲームプレイといったような活動をメインに日々配信をしている。
流石に天下のYouTubeでエロっぽいことをするというのもかなり難しいようで垢BANくらったり動画削除くらったりするライバーも多く内容的にはどこもバイブで喘ぐくらいまでしか出来ていない(なおいくつかの箱はCi-enやFantiaを使って外部でメンバーシップ的なものを作りそこでYouTubeで出来ないようなエロい配信をメンバー限定で行うことでアダルト商品としての価値を高めようという試みを行っており、ある箱ではライバーの中の人が実写で配信するという事も行われていたりする)。基本2Dモデルでの配信がメインで大抵の場合トラッキングも杜撰なので視覚的にもエロを追究しにくいのもあり最初の内はタダでエロいことしている所が見れるというだけで興奮できるが慣れてしまうのも早く飽きも来やすい、というのが日本のエロ系Vtuberの実情である。
ちなみにアメリカのエロ系Vtuberは最初からYouTubeをプラットホームにしていないので3Dでガンガン動いて投げ銭で反応するバイブを使って喘ぎまくったりすることができているのだ。
おそらく増田がそう感じているのは、向き合っているものが違うからだ。
仕事でデザイナーと接することが多いので何となく似た感覚は理解できるが、たとえばデザイナーは目の前の広告バナーでなにかを売る、訴求するための視覚的な表現をする、というビジネス側に寄り添った思考と、同時に本質的な美しさのようなものを追求するアート志向を持っているように思える。
優れた専門職は、ビジネス思考とそうした本質的な嗜好性を両立させる。
エンジニアが本質的に持っているのは、課題を解決する最短距離を探すような合理性だろうか。それとも解決策としてのコードの美しさを追求する求道心だろうか。
増田が優れたビジネスマンであるとき、ビジネス寄りの視点を専門職と共有しながら、専門職の人が本来的に持つ追求の方向性を汲み取ることで、より質の高いアウトプットが生まれるように思える。
トランスジェンダー差別と言われるもののよくわからないところは、「その人の自称する性別で扱ってあげないと差別」というところだ。
人には相手の年齢や性別を識別する機能が備わっている。目の前の相手の顔や声や背格好、視覚情報と聴覚情報を脳で統合した結果から相手の性別を認識できる。それに従って目の前の相手を「何歳ぐらいの男性/女性」として扱っている。
おっさんがおばさん扱いされたいと思うのは自由だ。しかし、そう願うおっさんをおばさん扱いしないのは差別なのだろうか?
もしおっさんが、「女性として生きたい」ではなく、「イケメンとして生きたい」と思っていた場合、おっさんをイケメンとして扱わねばならないのだろうか?そうしなくては差別なのだろうか?
なぜ「性別」の場合に限っては、「自認」に基づいて判断しなければ差別なのだろう?
性別や人種や家柄は自分で選べるものではない。私はアメリカ人だと自認しています。私は奈良時代に生まれたと自認しています。などといくら言っても、変わることはない。性別も同じだろう。
「心の性別」という言葉があるが、それはトランスジェンダー当事者にしか認識されないものだ。普通の人は心の性別の存在など気づかない。あってもなくてもいいものだ。だから近年になるまで周知されていなかったし、普通の人は口にもしない。その目に見えない「心の性別」では「私は男だ/女だ」という自認をしているから男として/女として扱って欲しいと言われても、「あっはい」としか思えない。「身体の国籍は日本人ですが、心の国籍ではフランス人なんです」と言われるのと同じだ。こちらからすれば「心による自認」など荒唐無稽な戯言である。
しかし心の性別と心の国籍には大きな違いがある。心の性別に関しては「性同一性障害」という障害が医学的に認識されていて、同じような問題を抱える人がたくさんいることだ。
そう、それは病気だ。病気には理解を示すべきではないか。科学が証明しているのだ。トランスジェンダーは存在する。思い込みではない。性同一性障害者は性同一性障害者であるから、その人の自認に従って扱ってあげなくてはならない。
自認している、相手がそう思っているから、そうしてあげなくてはいけないのではない。イケメンだと思い込んでいても不細工なら不細工として生きねばならない。が、性別に限っては体の性別と自称する性別が異なる場合は病気だから、認めてあげなくてはならないのだ。
ーーーというような説明でトランスジェンダーを認めるべきだと言われているように思う。
病気の人を医学的に望ましいとされる病気の人のための扱い方で扱わないことは差別なのだろうか?
統合失調症の妄想には肯定も否定もしてはいけない、というが、統合失調症患者の妄想を否定することは差別なのだろうか?その場合でも、健常者の妄想を否定することは差別ではないはずだ。
何が違うのだろうか。
ただ、「医学」の言葉に従わずにいるだけの話ではないか。医学の言うことを認めろ。医学に従え。そのような要請を聞き入れていないだけではないか。
病気を病気だと認めないことは果たして差別なのだろうか?『統合失調症なんて存在しない。こいつは気が狂ったふりをしているだけだ』と主張することは差別なのだろうか?科学的にはーー確実に統合失調症は存在する。しかし科学的な、論文の蓄積こそが真実だとするのは、価値観の押し付けではないか?
科学や医学や現代的な価値観で、性同一性障害の存在を認めないことを糾弾して良いのだろうか。性同一性障害への接し方を押し付けるのは全体主義ではないか?
「病気の人への接し方」が正しくないことを差別だというのはおかしいのではないか。単なるわからずやでしかないのではないか。「正しさ」に従わないことを差別と呼ぶのはおかしい。善悪はともかく「差別」の用法として間違っているだろう。
もし個人の尊重というところに立ち返るのならば、医学の話をする必要はない。しかし、心の性別は心の国籍とおなじ思い込みに過ぎないということになるし、男扱いされたい女も、イケメン扱いされたいおじさんも、若い娘として扱われたい婆さんも同じものということになる。
結局「性同一性障害者の性自認を認めろ。それが正しさだ」という規範の話でしかなく、それを差別どうこういうのは間違いなのではないか。
このような考えも「黒人も白人と同じ人間だと認めろ。それが正しさだ」という規範の話として黒人を人間扱いしないのと同じ行動なのだろうか。
私も一度言ってみたかった!って書こうと思ったら元記事消えてるじゃん。引用とかできなくなってしまったけど書きました。
10年前くらいまでニッチな業界でサポセンを10年務めてました。
大体はトラブル対応なので、お客様からの限られた情報で原因までたどり着くため聞き出す能力が自然と身についた感じです。
一応、傾聴のトレーニングは受けたことがあって、これから書くこと全てのベースになっています。
・傾聴とは
それらを掘り下げるとまたややこしい話になってしまうので、ここでは簡単に「共感」とします。
・聞き上手ってなんだ
私の思う聞き上手というのは、つまり共感上手だと考えています。
えー。なんか思ってたのと違うって人がいたら、ここから先は読んでも意味がないかも知れません。
確かにそうかも!って思えた人は先にお進みください。
なぜ共感上手が聞き上手なのかと言うと、大半の人は、話をするときに伝わっているか不安を抱えているからです。
私の体感では9割の人が話をするときに不安を抱えていると感じられました。
あくまで、不安を抱えているだけであって、不安が表面にあらわれているとは限りません。
断定表現を多用しているからといって、その人が自信に満ち溢れているかと言うと別の話です。
むしろ、不安を隠すためにあえて断定表現を用いる人のほうが多いのではないでしょうか。
いわゆる話し上手の人も、特に訓練でそれを培った人のほとんどが、自分の話が伝わっているかどうか不安を抱えていると言えます。
逆を返せば、伝わっているかどうか不安に感じるからこそ話し上手になる訓練を受けるとも言えます。
つまり、聞き上手の目的の一つは、この、伝わっているかどうかの不安に共感して、払拭してあげることと言えるわけです。
ちなみに残り1割の内訳は、相手に伝える意思がなく一方的に話し続ける人と、本当にただ単純に話をすることが大好きな人でした。
ここでは具体的なスキルを説明します。といっても、スキル自体は本当にシンプルで、誰にでもすぐにできると思います。
1.相槌
相槌です。それ以上でもそれ以下でもありません。
うん。とか、そうだね。とか、確かに。とか、なるほど。とかです。
バリエーションがあるに越したことはありませんが、うん。だけでも十分です。(サポセンのときは「はい」でした。)
まずは相手が話したいことを全て話させることが、共感にとってとても大事なことだからです。
「この人は自分が話したいことを全て受け入れてくれた。」
ただし、相槌をしていればよいというわけではなく、できる限り相手を見て、姿勢を正し、的確なタイミングでの相槌が大事です。
特に興味もない話に仕方なく付き合って適当に相槌だけ打ってたら相手の話がいつまでも終わらなかったなんて経験はある人もいると思います。
それはある意味では、正しい傾聴に近づいていたと言えるわけです。
ただ、これだけではただいたずらに話を長く引き出すだけになってしまいます。
残る2つのスキルを効果的に用いることによって、話の核心に迫ることができます。
2.伝え返し
聞き慣れない言葉かも知れませんが、伝え返しとは、相手の会話のキーワードを、こちらの言葉として相手に伝え返すことです。
例えば「聞いてよ!今日すごいことがあったんだよ!」と言われたとします。
ここで、相手に聞いてほしい内容とは何かを考え、その言葉を伝え返します。
ここでいうと、「すごいこと?」という感じです。
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「疲れが取れないの?」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「辛いこと?」などです。
難しく考える必要はなく、相手の聞いてほしそうな部分をただ繰り返すだけで十分です。
しかし、相手に聞いてほしいこと=話の核心へと近づくヒントだと考えれば、伝え返しを効果的に繰り返すことが核心に迫るための一番の近道であるとも言えます。
ちなみに、普段思わずやってしまいがちなことは、脊髄反射でのお説教です。
「会社辞めたいんだよね」に対し、「会社辞めてどうすんだよ。」
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「お酒のみすぎなんじゃないの」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「誰でも辛いのは一緒だよ」
こんな返され方をしたらそれ以上何かを話したいとは思えませんよね。
話をする側は、その話が受け入れてもらえるかどうか不安です。説教が帰ってきたら、この人には話が通じないとそれ以上話すことを諦めてしまいます。
3.質問
傾聴と聞くと、自分は何かを話してはダメだと考えてしまう人が多くいます。
しかしそんなことはなく、むしろ質問をすることで話がスムーズになることもあります。
例えば「会社を辞めたい」という言葉に対し「何?辞めたいって?何かあったの?」や「トラブル?何か揉め事とか?」といった感じです。
これでは話を聞いてもらえると言うよりは、コンテンツとして消費されてしまいそうな気になってしまいます。
聞き方そのものが大事といえる部分ですが、例えば「会社を辞めたくなるような事件でもあったなら聞かせてもらえる?」など、あくまで目的は共感であり寄り添うことであると伝わる聞き方をしましょう。
それ以外でも、話を理解するために疑問の解決を目的とした質問は一向に構いません。
話の途中で出てきた言葉や出来事そのものが理解できないままに傾聴を進めても意味はありませんので、「それって○○っていう理解でいい?」や「〇〇って言葉が理解できなかったのだけどもう一度説明してもらって良い?」などといった感じで、その時その時にできる限り理解しつつ進めていきましょう。
相手の話を聞く上で、やってはいけない3つのNG行動があります。
癖づいてしまっている人も少なくない内容なので、改めて見直してみましょう。
1.武勇伝
相手の話が始まると、すぐに自分の話に置き換えようとしてしまうことです。
特に、相手よりすごいとマウントを取ろうと、過去の武勇伝を話し始める人が多くいます。
男性に多いイメージかも知れませんが、女性でも割と多くいます。(体感は5分です。)
女性の場合は武勇伝というよりは「私だって」という切り出し方が多いという違いはあります。
いずれにしても、相手の話をすぐに自分の話に置き換えようとすれば、相手はそれ以上聞いてもらうことは無理なのだと諦めてしまうことでしょう。
2.無視、ながら傾聴
よく見られるのは、忙しいという理由で何か作業をしながら話を聞こうとする人です。
たとえそれで話が理解できていたとしても、最初に述べた通り話し手は不安なままです。
その都度リアクションが得られなければ、話を理解してもらえたという共感を得られることはありません。
3.「でも」
これについては本当にただの口癖になっている人がほとんどです。
たしかに、「でも」という言葉は、相手の言葉を遮り会話を自分のターンにするときに便利な言葉です。
しかしだからといっていつでも便利に使っていると、「でも」という言葉が出ただけで、相手は話を理解してもらえていないと感じてしまいます。
「ちょっと辛いことがあって」に対し「まあ、でもね、」と返ってきたらどうでしょうか。
・聞き上手の入り口
これだけでも相手は十分話しやすくなると思いますが、それだけでは聞き上手とは言えません。
大事なことは目的とマインドであり、なぜ聞き上手になりたいのかによって、ここから先に身につけるものが変わってきます。
キャバクラで多くの顧客をつけたり、インタビュアーとして様々な情報を聞き出したり、カウンセラーとして聞くことによって相手の内面の問題を引き出したりとするためには、別途専門的な技術の習得が必要になります。
しかし、ごく身近にいる人間との関係を大切にしたいために聞き上手になりたいという人にとってであれば、私からはこんな言葉を贈ることができます。
これは、傾聴のトレーニングを含む一連のセミナーの中で出てきた言葉ですが、その時から私の中で座右の銘になりました。
要約すると、「あなたが大切に思うその相手は、その人が大切に思うもので成り立っているので、その大切に思うものまでしっかりと大切に思うようにしましょう」ということです。
・「大切に思う」とは
ここで言う「大切に思う」というのは、何も「好きになる」という意味ではありません。
例えばあなたの大切に思う人が自分の嫌いな食べ物が好きだったとします。
傾聴を続ける中で例えばその食べ物が好きですか?と聞かれたとき、どう答えるのがいいでしょうか。
嘘をついて好きですと答えるのがいいのでしょうか。
それとも、そんなものは人間の食べるものではないと、説得を始めるのがよいでしょうか。
もちろん両方とも違います。
答えは、「自分は嫌いだが、それを好きだという相手を受け入れる」ということです。
言葉にするなら「私はたまたま好きではないけど、それを好きだということは素晴らしいことだと思います」といった感じです。(状況に応じてふさわしい言葉は変わります。)
食べ物くらいであればなんとなく理解できるかも知れませんが、例えばあなたの子供が良からぬ噂のある人間と付き合いがあったとしたらどうでしょう。
頭ごなしに「そんな人間との付き合いは辞めなさい!」と怒るべきか、それとも「あなたが言うなら大丈夫」と付き合いを無条件に認めるべきでしょうか。
しかし、ここで大切なことは、「好きと嫌い」や「いいと悪い」「その人との付き合いの大切さ」は、分けて考える必要があるということです。
「私自身はその人のことが好きではない。また、聞こえてくるその人の噂自体もよいとは思わない。ただ、その人との付き合いが大切だと思っていることは認める。そのうえで、今後どうしたらいいかを一緒に考えてみることはできないだろうか。」
もし自分が子供の立場として、こんな言葉を親に言われたらどう感じるでしょうか。
ただ単に、「ダメだ」「やめなさい」「認めない」と言われるより、自分なりにどうすればいいのかを考えられるのではないでしょうか。
私自身が過去、相手を大切に思う気持ちが伝わらなかったもどかしさのほとんどが、この言葉一つで解決しました。
聞き上手とは論旨が少しずれてしまいますが、今でも大切な話をするときには必ず心の片隅においている言葉です。
ただ、私が思う聞き上手な人は、この「相手の大切に思うもの」を見つけるのが上手で、そこから相手の話を広げて掘り下げてとできる人のようにも感じています。
そうしたマインドがあってはじめて、スキルをどのように活用すればよいかの答えが見えてくるのではないでしょうか。
ここまでの例は、わかりやすさを優先するために日常会話に置き換えましたが、なぜトラブル対応に傾聴スキルが必要なのかの説明をしておきたいと思います。
トラブル発生時の人の行動パターンは、大抵次のようなパターンに収まります。
トラブル発生→原因を予測→それに伴った解決手段を要求→責任に応じた補償を請求
ただし、問い合わせに来たときに最初に切り出してくる内容はバラバラで、人によってはトラブルそのものを問い合わせてきたり、原因から話し始めてみたり、解決手段や補償を要求してきたりします。
例えば相手が「新品交換してほしい」と要望を出してきたとします。
もし規定に新品交換がなかったとして、そのままここで「新品交換は規定にないのでできません」といくら説得しても無駄です。
なぜなら、相手は新品交換にふさわしいトラブルが発生していると思い込んでいるからです。
(もちろん、その一言で解決すれば最短ルートなので、一度は口に出しては見ます。)
ここで大切なことは、「相手が考えている、新品交換にふさわしいとする根拠になりえる原因に共感すること」です。
・相手の中では筋が通っている
相手のトラブルに対する思考パターンを図式化すると次のようになります。
これらは頭の中では一直線に並んでいて、その人にとっては筋が通っている内容なのです。
そのため、もしここで違う補償を提案したとしても、それは相手には筋が通らない話になってしまいます。
ここでいう「トラブル発生」の部分は比較的に視覚化されていることが多く、相手と自分とで共感しやすい部分でもあります。
こちらは相手の情報や機器の状況を元に原因にたどり着けたとしても、それが相手のたどり着いた原因と一致しているとは限らないのです。
「別に原因が一致してなくったってトラブルが解決すればそれでいいじゃないか」
でも実はそうじゃないんです。
あるお客様は、トラブルが解決しているにも関わらず執拗に補償を求めてきました。
お客様からヒアリングした結果、すでにお客様側の操作ミスによるものと判断した上で、むしろ本来ならば有償対応で然るべきものを無償で対応したような状況だったにも関わらずです。
その上で、補償できないことの説得を試みましたが、その結果、大事な顧客を失ってしまうほどまでに拗れてしまいました。
その件については今となってはたらればですが、そのことを大きく後悔した私は何が悪かったのかを徹底的に考えました。
そうしてたどり着いたのが「傾聴による原因に対する共感の欠落」でした。
しばらく後に、またも同様の状況に陥りました。
お客様側の操作ミスによるトラブルにも関わらず、執拗にこちら側に補償を求められる状況です。
いくら今回のケースに対して補償が釣り合ってないと説明しても聞き入れてもらえません。
そこで、補償に対する説得を諦めて、お客様側が要求してくる根拠について傾聴を試みました。
頭の良い方のようで難しい法律の言葉や理知的な批判の言葉が並べられる中を、かき分けるようにして原因について傾聴を続けます。
するとわかったことは、トラブルの原因がこちら(会社)側の責任によるもので、自分は補償を受けてふさわしいと考えていたことでした。
しかし、なぜ動かなくなったのかの原因の部分、とくにその責任の部分において大きく食い違っていたのです。
こちら側としては、恩着せがましくならないように黙って無償対応したという譲歩をしていた状況だと思っていたので、そのギャップに驚きました。
しかし、お客様の言い分を丁寧に聞き出してそこに共感した上で「実のところ今回に関してはお客様側の操作によるトラブルのため補償の対象外となります。」と説明したところ、「申し訳ない」という言葉とともに、すんなりと引き下がってくれたのでした。
この瞬間、もともとお客様の中で筋が通っていたはずの話が、傾聴により正しい原因に置き換わったことで、正しく筋が通る話に置き換わったのだと実感することができました。
お客様の要求には、それと対になる原因がある上で筋が通っている。
ならば、そのお客様を説得するには、ただ要求に対して可否を答えるだけでなく、お客様の考える筋が通っているとする話を傾聴して共感した上で、本来の原因を説明し、正しい筋道に軌道修正する必要があるのだということがわかりました。
(身バレを防ぐために色々とぼかして書いているのでわかりづらくて申し訳ないです。本来、そんな操作ミスでトラブルが起こるような製品ではありません。)
それならば最初から原因が違っていることを説明すればよいと思うかも知れません。
しかし、こうした責任問題については、お客様側が疑心暗鬼になっていることも少なくなく、まずは傾聴した上で信用を獲得してからでないと、こちらの言い分を理解してもらえないことのほうが多くありました。
つまり、「相手が原因に対してこう考えている」という部分までの傾聴なくしては、こちらの言い分は押し付けにしかならないのです。
これこそが、私自信が傾聴を行う一番の目的だといっても過言ではありません。
相手に理解してもらうには、まずは相手を理解することが不可欠なのだと言えます。
・思いがけない副産物
もちろん全てにおいてこれだけの時間コストをかけるわけにはいきません。
ある程度はマニュアル通りに対応をして最短ルートをたどりつつ、拗れそうな案件についは、無理やり近道をせず確実に手順を踏むという感じで使い分けていました。
これには思いがけない副産物もありました。
相手の言い分を理解して、こちらの言い分も理解してもらった上で、相手の要求が不当であると思えれば、それは間違いなくクレーマーだと分類ができます。
その時点でお客様からクレーマーへと分類が変わるので、当然その後の対応も解決から処理へと変わります。
残念ながらそうした当り屋的な人は一定数存在して、それ専用の対応なくしては身を守れないのも事実です。
ただ、誤解をもとにクレーマー分類してしまう件数は、傾聴によって激減しました。
その証拠として、私が受け持ったトラブル対応について、解決不能(要するに喧嘩別れ)については実に1/3以下まで減少しました。
・最後に
後半部分も気がつくと大ボリュームになってしまいましたが、まずはいわゆる普段の生活の中で、この人は聞き上手だなと私が感じる人の話を実経験をもとにまとめてみました。
もちろんもっとすごい聞き上手の人も沢山いるし、そのためのスキルも沢山あることでしょう。
「大切に思う人がいるのに気持ちを汲み取ることができない。」
2021/01/29追記:西浦氏から解説記事が上がったのでこちら読んだ上での追記も適宜行ってる。
m3.com/open/iryoIshin/article/873130/
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210125/k10012831381000.html
この記事のブコメでみんな疑問に思ってるっぽいので、素人でもわかる範囲のことを書いてみた。
https://www.mdpi.com/2077-0383/10/3/398/htm
2020年7月22日のGoToトラベルキャンペーン開始と新型コロナウイルスとの疫学的影響の可能性について調べて見たっぽい。
ファーストオーサーが安齋麻美さん(修士か博士のどちらか)で西浦博教授も著者に含まれる。北海道大学の衛生学研究室での研究っぽいですね。ごめんおもっくそKyoto University School of Public Healthって書いてたわ。京都大学大学院医学研究科 社会健康医学系専攻でいいですかね…。↓は北海道大学時代のページでふ。
http://hygiene.med.hokudai.ac.jp/member/
47都道府県の確認済症例のプレスリリースデータ全て。うち24都道府県は県境越えパターンの移動データありで、発症7日前(一部14日前)に県境越えした人を旅行履歴ありと判断したっぽい。
2020年5月1日~8月31日までで、データの確認時期は2020年11月中旬。「症例が確認できた日」と「COVID-19確認ができた日」の2パターンで進める。
基準は「県境越えしたかどうか」。なお、さらにその人達は県境越えの目的を「ビジネス」「家族に会いに(帰省)」「観光」の3パターンに分類。
データを3つに分類して、罹患比率(IRR)を分析。ここのIRRsってのが割合数値として重要なものっぽいのだけれど、どうやら疫学統計的に意味のある指標っぽい。あとで斜め読みした結果を書く。
・1.GoTo前の期間(この期間は 1a.2020年6月22日~7月21日 と1b.2020年7月15日~19日 の2パターン用意)
・2.GoTo初期の4連休含む5日間(2020年7月22日~7月26日)
GoToの走り出しが4連休だったので、そこでの影響を主に見たいと思われる。1が2パターンあるのは、2が5日間だけだから1bで日数と期間を揃えた。3はGoToトラベルクーポンの利用期限が初期は8月31日までで、お盆で帰省が増えるから増加するため、その辺りでの影響が懸念されたからっぽい。
追記:元論文の"description"って独特な表現だなとは思ってたけど上手い訳が思い浮かばずとりあえず「結果」って書いたんですが、西浦氏の応答の中にこのようなものがありました。
疫学研究の中で、今回の研究は観察研究(observational study)、特に、記述疫学研究(descriptive study)と呼ばれ、そこから得られる科学的エビデンスのレベルは低いことで知られます。つまり、位置づけとしても、今後のために「因果関係を検討すべき」と呼び掛ける程度の役割をしている研究に相当します。
つまり、ここでの「記述」とは上記の記述疫学研究特有の表現である可能性が高い。これは斜め読みじゃ絶対わかんない情報だった。ありがたい(追記終わり)
まず、基礎的なデータとして、2020年5月1日~8月31日までに確認された24都道府県で合計3978件の症例に対し、
と、症例の報告数そのものは7月と8月で減っている。減少傾向にある。
で、以下肝心のGoToの3期間のデータ比較。発症日と感染確認日の2軸パターンで分析
この辺、しつこいようだけれど、グラフで見ないとマジでなんのことかわからないと思うので、グラフ見てほしい。視覚的にわかりやすくなってるので、そっちの方が直感的。
多分結論というかこの統計データが示唆していることについての項目。
まず、IRRって数値が何度も出てくる。で、IRRが1.44という数字があり、どうやらこれがNHKニュースの「1.44倍」という数値の根拠になっているっぽい。
これ、なんのことかなと少し考えたが、わからなかったのでググって以下PDFを確認した。
http://univ.obihiro.ac.jp/~kayano/epi-stat/epi-stat2.pdf
これもあんまりよくわからなかったが、計算式とか斜め読みした感じだと、どうやら「A期間でx%だったのがB期間でy%になった場合に、yをxで割ったときの数字」っぽい。だから、この場合の「倍」ってのは「感染者数」ではなく「感染者のうちの旅行した人の率」のことっぽい。ここ、多分「倍」と言われたときに思い浮かべる直感的な感覚と乖離しているので要注意と思われる。
なお、CI=95%は統計上の信頼区間のことで、本当は色々説明した方がいいんだろうけど統計学は素人なので「まあほぼこの辺の範囲で正しいっすよ」くらいの意味で捉えてもらえればいいんじゃないかと思う。
まあ、書いてるとおり因果関係はわからんけど、GoTo期間で旅行関係での感染率が増えたのは事実っぽい。いくつかの指標で何パターンもIRRを出して全部1超えてるので、統計的に「増えた」という事実は覆しようがないように見える。ただ、4連休で旅行者増えるのはまあ当たり前っちゃ当たり前とは言えそう。
あと結局3の期間のデータを用意した意味がよくわかんなかった。データは用意したけどあんまりはっきりと言えるような情報がなかったから論文の報告内容として省いたのかな。それならまあ意図はわかる(研究してみたけど特に意味ありませんでした、は研究報告として重要)。
あと、増田は統計学の素人ですが、統計データは因果関係(AがあったからBが起きた)ではなく相関関係(Aが起きると同時にBも起きているが、その二つの間にどんな関係があるかは不明)を出すものなのはわかっているので、これだけを以てしてGoToトラベル否定論に繋げるのはやや早計に見える。
個人的な感想をまとめると、「増えたのは増えたけどめっちゃ増えたと言いきるのは難しそうで、連休だから増えるのはあたりまえの気もするし、でもまあ増えるのはわかりきったことだったから減らす努力が足りなかったのではと言われるとそんな気もする、考えれば考えるほどよくわからなくなるので正直これだけではなんとも言えんなー」、という印象。
なんかNHKのニュース岩田健太郎のTwitter後追いしたっぽい感じがして、その割になんか内容ふわふわしててちょっと反応に困るなーって思ったんですよね。だから論文に当たればなんかわかることあるかなーって読んでみたら、まあNHKの記事も書いてることは間違ってなくて、むしろ岩田健太郎さんの方が「関係アリアリ」って言い切っちゃっててそれは大丈夫なのかと感じました。
https://twitter.com/georgebest1969/status/1353186823229476867
あと、いざ読んでみたらやっぱりよくわかんねーなーって印象をどうしても抱いたので、素人が長文感想かいたら本職の統計学増田か疫学増田がなんか補足して知見を広めてくれたら嬉しいなーという下心もある。
なんか間違ってたら教えてください。
一晩経って自分が何にもやっとしたのかわかった、NHKがなんでこの論文報道したのかがわかんないんだ。
これってある種の議論のたたき台というか、この発表を取っ掛かりに他の論文で「じゃあ次はこうしましょう」「この論文でカバーできてなかったこの部分調べましょう」みたいなことをやっていく為の第一歩で、正直報道するほどの内容なくない?
偉大なイッヌを称えよ🐶人カスよりもコスパ上である
人カスのDNA 鑑定だと同一人物とされがちな一卵性双子を正確に見分ける
Dogs Discriminate Identical Twins
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0020704
特別に訓練されたジャーマンシェパード犬は、同じ環境に住んでいるという事実にもかかわらず、
L 実験とデータ分析が厳密に行われたかどうかだけ確認し、重要性の判断は、出版後に議論やコメントを通じて科学コミュニティが行うものとしてそれを任せている
なお、イッヌ(イエニヌ)は、意外と視覚に頼っており、意外とヒャッハーしたり興味なかったりでちゃんと臭いを嗅がなかったりするため、
訓練していないイッヌは双子を見分けられなかったりもする
たぶん、イッヌにとっては人カスが1人だろうが2人だろうがクソどうでも良いのだと思う
ワイもすごくどうでもいい
ちなみに人カスも一卵性双生児を「DNA メチル化」から見分けることができるらしいで?コスパ悪いし条件付きだけど
偉大なイッヌを称えよ🐶
実際に自分で投げ銭機能を持ったソフトウェア(ゲームじゃないけど)を作ってみたけどほぼ100%無意味だと思ってる。
だってゲームに限らずソフトウェア(プログラム)なんて意味わからんものにお金なんて使いたくないでしょって思うのが大半だと思うから。
配信みたいに視覚的に理解しやすい行為に対しては投げ銭は機能しやすいと思うけどソフトウェアは「理解に専門的な知識が必要なケースが多い」「動いて当たり前」といった条件があるから事実上機能しないだろう。
(ゲームなら「遊んで楽しかった~」から投げ銭するみたいな流れがありえる分だけ若干使いみちはあるだろうけど微々たるものだと思ってる)
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=6212)
感想には偏りが強い
1話だけだとよくわからないが2chで流行った都市伝説を物語に落とし込んだアドベンチャーらしい
アニメ新規を取り込むよりも原作ラノベのファンへ向けた作り方と感じる(割りに評判が微妙?)
絵は綺麗だけどストーリーの方向性がよくわからないので2話まで見て好き嫌いが分かれるタイプ
ジビエート(実況しながら楽しむ)枠、詳細は下記
https://togetter.com/li/1651370
俺だけ入れる隠しダンジョン
隠しダンジョンで出会った魔法使いにエロ目的行為?など?がスキルポイントになるようにしてもらった
RPGベースにギャルゲってかエロゲを地上波用に仕立て直したらこんな感じになりそう
1話で要点全てわかるのはありがたい
怪病医ラムネ
低予算だからなのかロークオリティ、怪異に犯された人をいろいろ治療
多分中高生向け
このジャンルが好きならちょっと前にやった地縛少年花子くんの方が面白い
回復術士のやり直し
復讐ダークファンタジー、回復しか出来ず虐げられてきた主人公が記憶をキープしたまま人生リセット
回復(ヒール)する際に経験値を奪ったりスキルを奪ったりする、それとは別にヒール使用時主人公にも強烈な苦痛が発生
エログロ多く地上波では黒塗りばっか、そこまで目新しさはないけどダークファンタジー好きならいいのでは
一クラス丸ごと異世界転生は意外性あるけど蜘蛛と化した主人公は結局転スラと同じパターンっぽい
貴族に転生した同級生がどう今後絡んでくるかだけどそこまでが長そう
追記・この先の展開が転スラとは全く違うっぽいので返信から引用
「「蜘蛛ですが、なにか?」は漫画セールしてたので読んだら、
早々に人間の姿を手に入れてスライムであることがほぼ死に設定な転スラと違って、
5巻くらいまで名前がついた人間/亜人キャラが誰一人として出てこない。」ここまで
怪物事変
五等分の花嫁∬
1期やってから間空きすぎて原作完結しちゃったし盛り上がりきってタイミング逃した感
前回終盤作画がネタにされるほど酷かったのでそこが直ってればファンは良しとしてくれるのでは
自分が陰で何かキッカケで変わりたいと思ってる人向け
ストーリー導入は強引
アニメ見ながら姿勢やらファッションやらオタクから一般人へ矯正できる、アニメとして面白いかは別
片方だけでも見てないとキャラ覚えるだけで大変そう
未見なら必見
たとえばラストダンジョン前の村の少年が序盤の街で暮らすような物語
転生じゃないけど要はオレツエー型
このパターンが好きならいつも通りの流れだろうからあとは良きように
転生したらスライムだった件(第2期/第1部)
1期とかなり時間空いた、とりあえずクオリティキープいやさらにクオリティ増してるかも
途中でコミックス追い越す気がする
世界に存在する動物や虫はこんな感じで出来たんじゃね?ってコメディ
提案した動物が不採用になった場合はなぜ不採用か一言あるのが良い
スポーツ物、バレー強者が止むを得ずその環境を捨ててまた1から仲間増やして全国目指すぜって感じかな
大きくハズレはしなそうなストーリー
はたらく細胞!!
はたらく細胞BLACK
見てて気分が下がる、そういう仕様なので仕方ないが
バック・アロウ
物凄い金がかかってるっぽいのになんか古臭くね?なんだ?
BEASTARS(第2期)
超強力タイアップを引っ提げて2期
レゴシの呟く声が感情こもってる分声質なのか微妙に聞き取りにくくて悔しい
PUI PUI モルカー
無難に誰でも進められる
期待してるけどまだ
絵もこのまま安定してくれれば良い、ストーリーは今後次第
2話でリアルな引きこもり描写とエロ描写が出るのでそこで人によって好みが分かれそう
クオリティも充分、強いて言うなら先が長いのでもうちょっと展開早くてもいいかも
八十亀ちゃんかんさつにっき 3さつめ
安定
中部に住んでればより笑えるだろうに
自分が住んでないのが残念に思える楽しさ
もし3期あるなら早く企画して作り始めて欲しい
Re:ゼロから始める異世界生活 2nd season(後半クール)
レムが出ないとちょっと物足りないのは気のせい
鋼の錬金術師の機械鎧、あれでボクシングするのがイメージとして近い
ネトフリ原作が当たりと大外れの差がエグいので見るけど危なかったら切る
今後の展開はまだ未知数
1話だけだと何もわからない、アニメの表現を使いこなしたドラマみたい
いじめられっ子オッドアイのJK?が主人公、親友がいたが自殺したっぽい
この子を最終的に助ける為にガチャで知らない虐められている誰かを助けて回る?
多分最終回まで見終わって初めて評価が定まるタイプ、全体的なクオリティは異常に高い
※お手数ですがアニメとゲームカテゴリへの変更を手伝って頂きたいです
↑無事変更されました、ありがとうございます
10年くらい前に接客業で働いていたときの先輩の言葉を年末にふと思い出した。
今になってみてもたしかにそのとおりだなと思えたので、思い出しつつ書いてみる。
思い出したきっかけは、母親が初詣に行くといって聞かなかったのを今年はやめておこうと説得したことだった。
先輩が言うには、人は、問題が発生すると原因を考えて行動(解決)しようとするという。
そしてこれは、串にささった団子のように一直線に並んでいるらしい。
図にするとこんな感じだ。
問題に触れて、原因を予測して、行動に移すという、物事に触れる順番とは異なる。
時系列で言えば、もともと原因があり、問題が発生して、解決が必要になるからこの順番なのだそうだ。
そして、多くの場合、人が人を説得しようとするとき、この行動に対して説得を試みるのだという。
今回の場合、母親が初詣に行くのは、このコロナ騒動が一日でも早く収まってほしいからと神様にお願いしに行きたいという気持ちからだった。
もしそれを説得する場合、以前のわたしなら、今の時期における初詣の危険性を山程並べて母親の説得にあたっただろう。
この問題にあたる部分は、比較的に視覚化されていることが多く、また、皆が問題を共有できていることがほとんどらしい。
それなのにも関わらず、行動という点において、かたや母親は「初詣に行く」、かたやわたしは「初詣に行かない」として行動が分かれてしまったのはなぜだろうか。
母親は母親の思考において、一直線に原因、問題、行動が並んでいる。
そしてわたしも、わたしの思考において、それらは一直線に並んでいる。
その2つを重ねてみると、ちょうど問題を中心として、クロスするかのように角度が違っているの状態にあるのだ。
それならば説得を試みるのは行動ではなく原因の方で、原因さえ互いに共有できれば、自ずと行動も変わってくる=団子の角度が一致するというのが先輩の話だった。
そこで母親に、新型コロナ感染拡大の原因はどこにあるのかを聞いてみることにした。
母は、人の心の乱れが一番の原因だと言った。
なるほど。たしかにそれはそうかも知れない。人の心が乱れれば、規律を守らず身勝手な行動が増え、そしてそれが結果的に感染拡大にもつながる。
それならば、人が集まることを禁止している指示を破り、人混みの初詣に行くことも、身勝手な行動ではないだろうか。
そういうと母親は一理あるといった顔をしてうーんとうなずいた。
今できることはなにか。それを母親と話し合った結果、3が日がすぎて落ち着いた平日、日中に初詣に行くことにして、それまでは神様に待っててもらおうということで決着がついた。
おそらく、母親の行動を否定し続けていても、一時的な行動の中止はできても変化までには至らなかったはずだ。
そしてもしわたしの説得によって行動の中止をした場合、本人が納得できていない以上、行動を中止された恨みはわたしに向かう。
相手に良かれとやったことでいちいち恨みを買っていたのではたまったものではない。
そして面白いことに、初詣には行かないと決めていたわたし自身の考えにも変化が起きた。
問題を中心として、わたしの団子も母親の団子に引き寄せられるように角度が変化したのだ。
自分の考えだけが正しいと信じることは、それはそれで危険なのだ。
お客様が持ち出してくる何かしらのクレームは、つまり行動の部分にあたるという。
例えば製品に問題があったとして、それをもとに原因をお客様なりに考えて、それにふさわしいクレーム(要求)をしてくる。
もしそのクレームが対応するべきものではないとした場合、そのクレームがふさわしくないことをいくら説得しても無駄なのだという。
製品の問題はともに共有しやすいものだが、その原因と考えている部分の認識がずれたままなら、いくらクレームに対応しようとしても無駄だからだ。
お客様からお客様の考える原因を聞き出し、その上で相手と正しい原因を共感することで、はじめてふさわしい要求は何かという話し合いができるのだという。
それに、もしそれでも過剰な要求をやめなかった場合は、それはもうお客様ではなく問題あるクレーマーとして切り分けができるのだとも言っていた。
事実、この先輩は、一回一回の対応は決して短いものではないが、全体を通すとほぼ最短で解決に結びつけていたし、その後にクレームが再燃するようなこともほとんどなかった。
クレーム対応として正しいかどうかは別として、自分ならそういう担当にあたってほしい思えるような人だった。
ちなみに、この論法を教えてもらってから、マスコミの薄汚さがよくわかった。
マスコミは問題に対して原因を曲げて伝えることで、行動をコントロールしているのだ。
わたしたちは、その問題が、果たしてマスコミがいう原因によって引き起こされているのか、考える必要が求められている。
と、ここまで書いて、もともと団子よりも羅針盤の針になぞらえて例えたほうがわかりやすいんじゃないかってことに気がついたけど、もうまとめ直す気力はなくなってしまった。そのうちまた。