2021-01-05

説得がうまく行かないときは串団子を思い出せ

10年くらい前に接客業で働いていたときの先輩の言葉年末にふと思い出した。

今になってみてもたしかにそのとおりだなと思えたので、思い出しつつ書いてみる。

思い出したきっかけは、母親初詣に行くといって聞かなかったのを今年はやめておこうと説得したことだった。

先輩が言うには、人は、問題が発生すると原因を考えて行動(解決)しようとするという。

そしてこれは、串にささった団子のように一直線に並んでいるらしい。

図にするとこんな感じだ。

問題に触れて、原因を予測して、行動に移すという、物事に触れる順番とは異なる。

時系列で言えば、もともと原因があり、問題が発生して、解決必要になるからこの順番なのだそうだ。

そして、多くの場合、人が人を説得しようとするとき、この行動に対して説得を試みるのだという。

今回の場合母親初詣に行くのは、このコロナ騒動が一日でも早く収まってほしいからと神様にお願いしに行きたいという気持ちからだった。

もしそれを説得する場合、以前のわたしなら、今の時期における初詣危険性を山程並べて母親の説得にあたっただろう。

しかし、先輩の説得モデルを使うとそうではなくなる。

この問題にあたる部分は、比較的に視覚化されていることが多く、また、皆が問題を共有できていることがほとんどらしい。

今回でいうと新型コロナ感染拡大による社会への悪影響である

それに対する問題意識は、母親わたしも共有できている。

それなのにも関わらず、行動という点において、かたや母親は「初詣に行く」、かたやわたしは「初詣に行かない」として行動が分かれてしまったのはなぜだろうか。

それは、予測した原因が異なるからなのだ

母親母親思考において、一直線に原因、問題、行動が並んでいる。

そしてわたしも、わたし思考において、それらは一直線に並んでいる。

その2つを重ねてみると、ちょうど問題を中心として、クロスするかのように角度が違っているの状態にあるのだ。

それならば説得を試みるのは行動ではなく原因の方で、原因さえ互いに共有できれば、自ずと行動も変わってくる=団子の角度が一致するというのが先輩の話だった。

そこで母親に、新型コロナ感染拡大の原因はどこにあるのかを聞いてみることにした。

母は、人の心の乱れが一番の原因だと言った。

なるほど。たしかにそれはそうかも知れない。人の心が乱れれば、規律を守らず身勝手な行動が増え、そしてそれが結果的感染拡大にもつながる。

それならば、人が集まることを禁止している指示を破り、人混みの初詣に行くことも、身勝手な行動ではないだろうか。

そういうと母親は一理あるといった顔をしてうーんとうなずいた。

今できることはなにか。それを母親と話し合った結果、3が日がすぎて落ち着いた平日、日中初詣に行くことにして、それまでは神様に待っててもらおうということで決着がついた。

おそらく、母親の行動を否定し続けていても、一時的な行動の中止はできても変化までには至らなかったはずだ。

そしてもしわたしの説得によって行動の中止をした場合、本人が納得できていない以上、行動を中止された恨みはわたしに向かう。

相手に良かれとやったことでいちいち恨みを買っていたのではたまったものではない。

説得は相手の納得なくしては強制しかならないのだ。

そして面白いことに、初詣には行かないと決めていたわたし自身の考えにも変化が起きた。

問題を中心として、わたしの団子も母親の団子に引き寄せられるように角度が変化したのだ。

人の考えは羅針盤のようにくるくると変化している。

自分の考えだけが正しいと信じることは、それはそれで危険なのだ

先輩は、これをお客様対応ときに教えてくれた。

お客様が持ち出してくる何かしらのクレームは、つまり行動の部分にあたるという。

例えば製品問題があったとして、それをもとに原因をお客様なりに考えて、それにふさわしいクレーム要求)をしてくる。

もしそのクレーム対応するべきものではないとした場合、そのクレームがふさわしくないことをいくら説得しても無駄なのだという。

製品問題はともに共有しやすものだが、その原因と考えている部分の認識がずれたままなら、いくらクレーム対応しようとしても無駄からだ。

お客様からお客様の考える原因を聞き出し、その上で相手と正しい原因を共感することで、はじめてふさわしい要求は何かという話し合いができるのだという。

それに、もしそれでも過剰な要求をやめなかった場合は、それはもうお客様ではなく問題あるクレーマーとして切り分けができるのだとも言っていた。

事実、この先輩は、一回一回の対応は決して短いものではないが、全体を通すとほぼ最短で解決に結びつけていたし、その後にクレームが再燃するようなこともほとんどなかった。

クレーム対応として正しいかどうかは別として、自分ならそういう担当にあたってほしい思えるような人だった。

ちなみに、この論法を教えてもらってからマスコミの薄汚さがよくわかった。

マスコミ問題に対して原因を曲げて伝えることで、行動をコントロールしているのだ。

わたしたちは、その問題が、果たしてマスコミがいう原因によって引き起こされているのか、考える必要が求められている。

と、ここまで書いて、もともと団子よりも羅針盤の針になぞらえて例えたほうがわかりやすいんじゃないかってことに気がついたけど、もうまとめ直す気力はなくなってしまった。そのうちまた。

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