はてなキーワード: 見せしめとは
・そもそも、貧乏な一商人に過ぎない子どもが、いくらペラペラ喋っててもその内容が「うすっぺらい会計素人」意見なのは、作品描写的に不自然ではないのでは? まあ、たとえばあの部分はじいちゃんの口癖(「まあ船の設備(コンロ、ずんどう、鍋、食器類、お手拭き、洗剤とか?)にも金がかかるから、実際の利益は1杯16デラくらいじゃ」)の受け売りであったと考えてもいいんじゃないかと思いますね。実際、あそこ以外で主人公がしっかり将来像を計算できているような描写がなくて、あそこだけ妙に饒舌ですし。
・それにしても、安い魚汁の値段が50デラということは、まあ200円くらいと考えると1デラ=4円くらいの相場感ですよね。住む所と商売道具の船貸して1万デラ=4万円/月、というのは一見良心的ではありますね(だから主人公もここを離れないのでしょう)。実際、「待ってくれ」とも言わずに追加の1万デラを「ほい」と出せたところを見ると、ティンは明らかにそこまで逼迫もしていないですしね。そこを深掘りすると、ヤクザは、こうやって「いずれ船も住む所も買い取りにできる」という希望をチラつかせて下働きさせている、と。そして、倹約して倹約して必死に貯め込んだお金自体を、誰も買わないぼろ船とぼろ屋と引き換えにすべて巻き上げる、というのがこのビジネスモデルなのでしょう。そして、「会計素人な主人公」は当然全くそれに気付いていない。
・だから、売上の上前はねてるにも関わらず、大声で悪口言って商売の邪魔をするのは、ティンが「繁盛しすぎて金貯めて独立する」日が少しでも遠くなるように、なのでは? 一日一日ぼろ船もぼろ屋も減価償却されていくけど、買取額は定額。ならば、急いで独立されるより、「その日」が一日でも先延ばしになる方がヤクザとしては利があるわけです。まあ、こんな細かい、非生産的な商売をしているあたり、彼らも十分に程度の低いチンピラで、ティンのような子どもの一人や二人潰してしまっても別にどうでもいいや、と思ってる可能性もゼロではありません。
・そして、それより重要なのは、「舐められない」ことです。これはショバ代の徴収等を円滑に進める上で重要です。舎弟を「舐めた」ティンから、その日の売り上げ全額を徴収したのは、いわば彼らの「メンツ」代であり、「見せしめ」として痛めつける必要があったからでしょう。その意味では彼らの行動は十分合理的です。
……つーか、そこそこよく描けてる漫画だと思うし、だからこんなことくらい十分画で伝わってくると思うんですが、本当にこうやって一から説明しないと分からないですか? 漫画とかフィクションを読むのに向いてないって言われませんか?
ティンの魚汁売り(屋台船)は、忙しさの描写から見て、高校の文化祭くらいと考えると、一日最大300杯くらいまでは売れる、と考えると、一日平均で100杯は売れるのでは。
そうなると、月の利益は3000*16で 48,000デラ 1/3で生活してると想定して残り36,000デラ ショバ代が 10,000デラで 残りは26,000デラ。
急な出費に備えて6,000デラを除くと、まあ月に20,000デラ貯蓄できる計算。これなら、タムの10,000デラを即払いできたのも一応納得がいく。
では、現在までティンはいくら貯めていて、船と家の買取額はいくらぐらいだろうか?
祖父がこの仕事を始めたのはいつか? 「料理の腕はあるが経営の才能がない」祖父は、もともとそれほど金には困らない料理人だったのでは。
想像だが、(1)祖父とティンの両親で店をやっていた、(2)ティンの両親が流行病等で多額の出費が必要&死去する状態になった、(3)店を人手に渡しヤクザに借りをつくる状況になった、という流れ、とすると、ティンの年齢からして、祖父がこの仕事を始めたのはせいぜい15年程前だろう。
ただし、2人いた当時、場所代は月2万デラだ。従って貯蓄は最大で月1万デラ。商売の始めでの出費、子どものころのティンの面倒を考えると、毎日フルタイムで稼ぐのは難しい。なら、月々3千デラ程度を貯蓄するのが精一杯だったのでは。15年×月3,000デラ×12ヶ月=540,000デラ(=216万円ほど)が現在の貯金額。(祖父の病気に際して全く出費がなかったとは思えないが、祖父は自分の病気にお金をかけるより、ティンの独立が早まる方を優先してあまりお金をかけないようにしたのではないか。)そこを見込んでも、現在40万デラ(日本円で160万円程度)は貯まっていると思う。
だが、これは奇妙だ。あのぼろ船と家の権利が160万円というのは、さすがにティンでもぼられていると気付きそうである。ならば、「そもそも最初に店を手放したときの借金を返し切れていなかった」という可能性を考えるべきかもしれない。ざっくりそれを利子込みで100万デラと仮定しよう。ならば、現在まだマイナス60万デラである。
ただし、今後ティンは年間で24万デラほどを貯蓄していける可能性があるわけである。(タムのせいで-12万デラとなるわけだが、そこまで計算しきれていないだろう。あと、気が早いが、二人の間に子どもが生まれたらえらいことになるぞ。子ども料金は0.5人計算とか船をもう一台借りるとかでないと厳しい。)それでも、せいぜい「5年で独立できる」という程度の希望がないと、やっていけないだろう。
というわけで、祖父死去時点の見通しとしては、「借金を返すまであと3年、その後、船と家の買い取り&独立資金で2年」というようなものだったのではあるまいか。現在10代半ばと見えるティンが、20過ぎには無事独立できている計算である。というわけで、ヤクザから提示されたあのぼろ船と家の価格はおよそ30~40万デラであり、なるほど、健康保険等のない状態での死病にかかる医療費相当……と推定される。
それにしても、5年後独立しようとしたティンが、その時点で完全に老朽化したぼろ屋とぼろ船を手に入れるだけと想像すると、チンピラ二人組の態度が少し改まった程度では、なかなか前途多難ではある。まあ、タムが帰ってきたから、気兼ねなく純金の像を売り払えばいいのか……。
自分じゃなくて別のクラスメイトだけど。でも自分がもしあの立場だったらと思うと胃が痛くなって死ぬ。もう10年くらい経ったけど今でも思い出す。
高校は県でトップクラスの偏差値で、みんないい人ばかりだった。今までの人生の中で高校が一番人の質が良いコミュニティーだったと思う。本当に真面目で何にも手を抜かないで、知性があって面白い人ばかりだった。
高3のクラスも同様で、スクールカーストはあったけどいじめはなかった。カーストの違う人でも話すタイミングがあれば普通に話すという感じで、本当にいい感じに収まっている集団だった。
でも、やっぱりそういう社会でも嫌なことは起こってしまうんだと、あの日に実感した。
クラスメイトA君はよく授業中寝てて、でも地味な方なのでクラスメイトとの関わりも少なく公に言及されることはなかった。しかし頻度が他の人とは段違いなので全員周知の事実だった。
笑われた流れはこう。ある英語の授業で、A君は寝てるところを指されて答えられなかった。先生が言った。「寝てたから分かんないよね。ていうか、いつも寝てるよね」この台詞でクラスが爆笑。先生はそのあとすぐに笑いながらごめんごめんと謝り、授業に戻った。
論点は二つあって、一つ目は先生がダメ、二つ目はクラスはあそこで笑っちゃいけなかった。
この先生は新任で来た新卒だった。態度がいつも上から目線で、生徒をどうにか見下したくて仕方なかったという印象がある。自分のことを君たちと同じくらいの高校を出て君たちが目指しているレベルと同じくらいの大学出身とかよく言ってたし、授業内容とは関係ない自分の専攻の話ばかりしてた。良い高校には良い先生がいるもので、私たちは良い授業で育ったので完全に感覚が肥えていた。新任なので仕方ないが授業がド下手クソだった彼に対してリアクションが最悪だったのが、彼のプライドを傷つけていたんだと思う。
そんな彼があのタイミングで寝てる子を指した。上手いこと言って負かす気満々だったに違いない。寝てるのを咎めるとは違う。笑いながらごめんごめんと言う彼のニタニタ顔、してやったりという顔が忘れられない。ごめんじゃねーよクソが。23歳なんてまだひよっこだけど高校生より全然大人なんだから、立場を利用して自分が気持ち良くなることなんて絶対にしちゃいけなかった。このイベントは9割9分このクソ教師が悪い。
でも、そうやって見せしめにされたクラスメイトを、乗っかって笑うクラスもダメだった。本当はあそこで、教師の言ったことは間違っていると反応するべきだった。でもダメだった。カースト上位を筆頭にクラスは爆笑の嵐だった。みんな薄々笑って馬鹿にするなんてダメだと思っていたはずだ。そういう人達である。でも無理だったんだ、、
後ろの方の席に座っていたA君の表情は見えなかった。数十秒続いたあのイベントで自分は真顔で泣きそうだった。お願いだから早く笑い終わってほしいと思って声を殺していた。居心地は最悪だった。
でも何もしなかった自分というのは結局そのクラスの一部だし、これだけ書いても彼にはあのとき笑っていたうちの一人と見なされているに違いない。
A君のトラウマになっていないことだけを願っている。
大したことは書いてないけど「へーこういう女もいるんだな」って思ってください。
休職中ずっと増田読み漁って色々な考えに触れたので、この記事も誰かの役に立てばいいな、と思います。
クソ長い自語り、家庭環境諸々から書いてみる。ちょっとフェイク入れてるし人名は全部仮名です。
私について
北海道から上京してきた20代前半、上京してきて多分4年。学歴は専門卒、高校は工業出身。今年始めて彼氏が出来た陰キャ。
きしょいオタク、文章書くのは割と好き。漫画とアニメとソシャゲ全部好き。乙女系コンテンツに入り浸る典型的な女ヲタ。
母(7人兄弟の次女:中卒)、弟2人の母子家庭。弟は今21(医療系の大学)、20(専門学校)。父親は小5の時に離婚した。
記憶にないけど死んだ妹がいる(私の1つ下だと思う、親に未だに聞けてない)
両親も親戚もみんなオタク。父親はラムちゃんとアイマス、プロレス。母親は最近イケメンシリーズ、ボイフレ、アンジェと遥か、アトラスゲー。
弟2人はFPSとかモンハン。兄弟二人ともゲーマーガチ。世界ランク上位に入るレベル。一番下は格ゲーとボドゲに目覚めた。
実家は村に近い山奥のドドドドド田舎。同級生に農家と酪農やってる子がいっぱいいる。
育ての親は母親の妹(3女:以下さっちゃん)。母親は働きに出てた。多分パートだったのかな?分からん。
保育園に入ったのが5歳くらいだったんでそれまでは母方の祖母の家に預けられて育った。
イマジナリーフレンドが4人いた(らしい)、よく見えないお友達と遊んで親戚をビビらせた。ごめん。
ちなみにお婆ちゃんは私の見えないお友達を存在しているもの扱いしてたらしい。とんでもねえばあちゃんだ……
物心ついたときには父方の祖母と両親、弟2人と一軒家に引っ越してた。
保育園に入った時にはもう住んでた。この頃から父方のおばあちゃんは長男の弟かわいいで私に対して興味なかった。つーか嫌いだったのかも。
母親は土日関係ないサービス業なので、土日の食事は祖母。弟たちの分はあっても私の分は無いとかザラだった。今思えば普通に虐待。
ただご飯が無くてもゲームと本があれば全然平気だったのでお母さんは私がご飯を食べてないのを知らなかった。
後に私がさっちゃんに「お母さん(これは父方の祖母を指す、実母はママ)がごはんくれない」と遊びに来た時に漏らしたらしい。
当然ながら怒り狂う母とさっちゃん。父方の祖母は「お腹へったって言わないからいらないと思った」としれっとした顔で言ったのを見て目眩がしたらしい。そらそう……。
あとはさっちゃんが当時、父方の祖母の作ったご飯を食べてあまりの味の薄さに「これを毎日食べてて、ごはんも用意してもらえない日がある、食べた気しないんじゃ……」って思ったら私が不憫すぎて車で泣いたと聞いた。
確かに味は薄かった。天ぷらだけはめちゃくちゃ美味しかったな。今狂ったように辛いものとしょっぱいものを食べてるのはその時も反動かもしれない。
全学年2クラス、2年ごとにクラス替えだった。2クラスしかないんで全員顔見知り状態。
入学してからは超絶人見知りを発揮。保育園の頃に仲良くしてくれた子たちとだけ交流してた。毎日連絡帳に口数が少ないとか書かれてた。
家が近所のゆみちゃんと一緒に登下校してた。お互い何も言わなくても一緒に帰る仲だった。今は看護師やってるらしい。
教室でずっと本読んでた。徐々に色んな子と喋れるようになる。ぼっちに話しかけてくれたみほちゃん、ありがとう……
あとは算数が出来なくて宿題解けない……って泣いた記憶がある。ちなみに時計が読めなかった。
3年生ぐらいから普通に社交的になったと思う。クラスの委員長とか誰もやらないなら…でやり始める。この時ちゃお読んでた。
この頃、休み時間は教室以外にも図書室で本を読む女になってた。
同時期ぐらいに父親が仕事をクビになってニートで引きこもりになった。今で言うFXかな?やってたらしい。けど、あんま才能無かったのかも。
ただ、父親なりに色々と私も含めてかわいがってくれてたと思う。漫画とか全部父親が買ってくれてた。
高学年に上がってからは弟2人も一緒に学校に行くようになってたので、周りの親からの評価がめっちゃ高かった。
勉強ができて、運動もできて(足が速いだけ)、面倒見もいい女の子。
実際、3年からは毎回クラスで委員長だったし、同じクラスになったことない子も下の兄弟が同級生同士で仲良し~とかあった。
ちなみにこの頃はちゃおと少年A、ジャンプ、母方の祖母の家でガンガンとGファンタジー読んでた。
ただ両親がしょっちゅう家で喧嘩してた。祖母の部屋は1階、私達の部屋は2階。
多分祖母は病んでたのか、深夜に父親の部屋の前で名前を呼んでいるのを見た。めちゃくちゃ怖くて夜中トイレ行けなくなった。
祖母の私と弟への差別は益々酷くなっていて、私の家で友達と遊んでる時に「ごはんの準備しろ」「洗濯干してこい」とか言うようになる。
弟がなにか手伝おうものなら「あんたは長男だからしなくていい」って言ったの聞いてなんで?と思ったけど、弟に手伝わせるのも可哀想だなと思って大丈夫って言ってた。
小5の夏、庭で土いじりしてる祖母に「倉庫からスコップ持ってきて(でかいやつ)」と言われてめんどくさいな~って思いながら取りに行った。
祖母に渡すために後ろに立った時、(あ、これ今殴れるな……殺してもいいんじゃない?)って思った。今思えばこの時には既に私ももう心を病んでいたのかもしれん。
その後、親が離婚して一軒家から団地に引っ越した。離婚後父親には一度も会ったことない。ただ、車で事故って半身不随になったのは聞いた。
これは高校に入ってから母親に聞いたけど、あの頃の祖母は枕の下に包丁を入れて寝てたらしい。こえーよ。病むっていうかキチだと思う。
母親はいつ祖母に殺されるか分からなくて毎日不眠の状態で仕事に行ってたらしい。それでも授業参観も運動会も学芸会も絶対全部来てくれた。
田舎あるある。小学校から生徒が全員持ち上がりなので知らない子はいない。お母さんがパソコン買ってくれたのもこの時じゃなかろうか。
半年間は平和だった。でも、中1の秋頃から毎日登下校をともにした仲良しのゆみちゃんがいじめを受け始める。
ゆみちゃんが堀北真希に似てる超絶美少女で、当時仲の良い男の子に数合わせでいいから、という理由で野球部に所属していた。私はゆみちゃんに「1人じゃ不安だから……」と頼まれて野球部に入った。
まあよくある、男の集団に女がいるの気に入らないムキーッみたいなのが原因だったんだと思う。いじめてたのは女バスと女バドの5、6人。
私はゆみちゃんがいじめを受けてるのも知ってた上で普通に仲良くしてた。ゆみちゃんの家も母子家庭で、当時は母親が家に彼氏を連れ込んで家に居にくいからってよく私の家で過ごしてた。
彼女の凄いところは毎日学校に行ってたところだと思う。私に泣きながら「リスカが止まらない」と相談してくれたこと、リスカ跡は今でも忘れない。
結局、ゆみちゃんは2年に上がるタイミングで転校した。その結果どうなったか。
私がいじめを受け始める。いやなんでだよ。私は当時160cm80kgのデブだぞ。何が気に食わねえんだよ。と思ったけどいじめる相手が居なくなったから仲良かった私になった。
ただ、いじめられてることに気付いたのがゆみちゃんが転校してから2ヶ月後くらいだった。私は超鈍かった。周りは気付いてるけど自分だけ気付いてなかった。
なんでか自分のノートがないとか、教科書がないとか、下駄箱の上靴がないとか。そういう事が起こってから気付いた。
当時から仲良かった子に「あの頃めっちゃ陰口言われてたし、あんたと話したら次お前をいじめるとか言われたことあるで」って言われた。
そういえば当時はいじめを題材にしたドラマ流行ってたし、あれはいじめのお手本になってたなと思う。本当によくない。
中2の夏ぐらいだったかな。衣替えするかしないか、とかだった気もするから9月ぐらいかも。半年くらい我慢して学校に通ってた。
私は学校に行くのやめた。というか、行けなくなった、のほうが正しいかもしれない。制服を見ると気持ち悪くなって泣きそうになった。
休みたかったけど、母親は私が生理痛で辛い、と言えば痛み止め飲んででも学校に行け、サボるなと言う人だった。休むことはサボりだと言う人だった。
それでも母親には迷惑かけたくない、という一心で吐きそうになりながら学校に行くフリをしながらおばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは何も言わなかったし、おばあちゃんちの犬と遊ぶのが好きだった。おばあちゃんの膝が悪いから代わりに散歩に行ったのも覚えてる。
ただ、学校の担任から「1週間ほど無断欠席が続いてるが大丈夫か」という連絡が家に入りバレてめちゃくちゃ怒られる。怒られた時に初めていじめられてると言えた。
母親はその日のうちに学校に電話をして、学校側もいじめを知ってたけど本人が言わないから、とかそういう理由で何もしてなかったらしい。
後日、私は学校に行っていじめてきた女たちから「形だけのごめんなさい」を受ける。クソ無意味。謝られたからと言って事実は消えないわけだし。
どのみち私は学校に行っても教室に入れなかったし、教室に入れないなら授業も受けられない。だったら行く意味が無いな、と思って家に引きこもるようになる。
家に引きこもってる間も勉強は出来た。そう、みんな大好きTwitterです。当時高校生だったり大学生だったフォロワーたちが勉強を教えてくれた。スカイプ使って。
ネットが私の居場所だった。勉強ってどこでも出来るんだ、って思った。
そのフォロワーたちもいじめを経験した人たちで、私の学校に行けない、けど勉強はしたい、という気持ちに寄り添ってくれて教えてくれた。本当に頭が上がらない。
なので、テストがある日だけ学校に行った。テストは出席番号順で座るし、いじめっ子たちと真逆の席なのでその時だけは制服着て教室に入った。
クラスメイトたちは「久しぶり!」とか「テスト範囲大丈夫?」とか声かけてくれる子も結構居た。あの子達の勇気は今思うと凄い。
修学旅行は行ってない。何されるかわからないし。代わりに学校で先生とマンツーマンで勉強した。凄い有意義な時間の使い方だったなと思う。
卒業までテスト期間だけ登校する生徒をやった。家の近い子がテスト範囲のプリントを持ってきてくれたし、フォロワーたちが勉強を教えてくれる日々が続いた。
高校は女で嫌な思いをしたので男子の比率が高いし、比較的家から近い方(といってもバスで1時間)の工業を選んだ。仮に落ちたら通信制の高校へ行く気でいた。
卒業式も出ていない。式が終わった次の日が高校の合格発表で、無事に工業に受かったという報告と卒業証書とアルバムをそこでもらった。アルバムはその日のうちに捨てたけどな。
ぶっちゃけ担任がクソゴミだった。生徒の机を蹴って見せしめみたいに怒鳴り散らすタイプ。体罰も普通にあったし、クラスメイトの男子は教室内でデカデカと万引を自慢するようなクラスだった。
担任はそれに対してもっとバレないようにやれとか、スリのほうが良いとか、教育者としてありえんことを言ってるのにドン引きして学校に行く気が失せた。
ラッキーなことに全日制の単位制だったので単位さえあれば進級できた。単位の計算をして、単位分だけ出席した。常にギリギリ単位の女で普通科の先生に「お前は出席点が足りない」と言われまくった。
後々、クラスの男子に教科の単位を聞かれた。私と同じように単位分しか出席しない人が増えたらしい。毎日の出席率は最悪だったと思う。まあ工業だしな。
担任は露骨にわたしを毛嫌いしてたし、私も嫌いだったのでお互い様だろと思ってた。高校でちゃんと授業に出たのは専門科目だけ。これだけは教科書読んでもどうにもならん。あとは実習。
他は中学の時と同じようにフォロワーを頼ったり、ネットで検索したら大体答えの出し方があったので家で勉強してた。親は私が家に居ても何も言わなくなった。
学祭とか体育祭は出たことがない。強いて言うなら修学旅行が東京だったので行った。お世話になったフォロワーたちに会いに行くという理由で。クラスの女子は私含め7人で、うち1人は中学が一緒。
その子と出席番号が前後だったジャニヲタのまなみちゃんと仲が良かった。ちなみにまなみちゃんは「まなみね、山田涼介くんのお嫁さんになるの!」と平然と教室でも言ってた強い女である。マジで強い。
ここまで書いてて思うけど本当に協調性のきの字もない女だな……。ちなみに進路相談も凄い適当で、適当にAOで専門行くわ、と一方的に言って終わり。AO入試なんて軽い面談と書類審査のみ。私は高3の夏休み中に進路が決まった。
この頃にハマってたのは黒子のバスケで私はほぼ毎日夢小説を書いて過ごしてた。あと支部でBLも書いてた。当時黄黒を読んでた人はもしかしたら私の黄黒も読んだかもしれない。読んでくれた人が居たらありがとう。
適当に単位取って適当に卒業した。これが私の高校時代の思い出である。
専門学校は今までと比べたら楽しかった。ここでいろんな資格も取ったし、クラスメイトも普通に接してくれてた。唯一毎日学校に行けた時期だったと思う。ただ行事だけはゴミ。
ここで就活頑張っとけばよかったんだよな~~~と思う。就活サボって適当に警備会社に入社した。そしてこの後、地獄を見る。
前置きすると私より辛い人もいるとかそういうのはどうでもいい。私は私の辛いを話してるので。
上京してから半年、横浜で警備員をやってた。この半年はまだ良かった。残りの1年半は川崎で地獄を見る。
警備は万年人手不足で月の休みは多くて4日、私が限界を迎える頃は3日だった。勤務時間は朝6時半~16時半の早番と13時半~23時半の遅番。あとは9時~22時までの中番。
入社時の条件は月8休みと言われてたのにマジで騙されたと思ってる。入社して半年は確かに8日間の休みがあった。でもその後から毎月3、4日の休み。
休みの前日は絶対に夜間警備が入るため、帰宅は朝5時。当然、遅番か中番が終わった後に続勤。休みは実質半日しかない。寝て起きたら仕事に行く。
休めるわけねーだろバーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
そりゃあ毎日寝ても寝ても眠いし、突然気分が落ち込むし、情緒があまりにも不安定にもなる。思えばもうこの時にはうつだったんじゃなかろうか。
心がしんどい……となり始めた頃、母親に「しごとつらい」といえば「社会なんてそんなもんだよ笑」と返ってきた。そして根拠のない「大丈夫!」「なんとかなるよ!」という返事。
私もそうだよね、なんとかなるよね、頑張るね、って返してた。これは絶対に良くなかったと思う。
そしてある日、体のほうが出社を拒否した。会社に行こうと思うのに涙が止まらない。手が震える。こりゃ今日出勤出来ねーわ、と思って職場に電話を掛ければ「いや来てもらわなきゃ困る」。あっはい……。
無理に決まってんだろ、そう思いながら電話を切って母親に電話した。泣きながら電話した母は、「偉い人に電話しなさい」と教えてくれて、私は本社に連絡を入れた。
元々寮で暮らしてたこともあり、総務のとよく話をする事があったのでまずは総務に事情を説明、そのまま直で警務部長から「休んで下さい」と言われた。
その時に初めてメンタル系の医者に行ったけど、まるで私がメンタル系にかかるの常習みたいな態度を取られるしいかに自分が凄い医者なのかを言われた。あのクソジジイ一生許さねえ。
https://anond.hatelabo.jp/20200721153608
さん
オレも全く同意見だよ
つなげておけばいいのになとおもって間接的につなげとくわ
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ヒエラルキーがなければ無法地帯で本当に喧嘩や訴訟になるからわきまえてるだけやろ
「事故回避のため廊下は左側通行」みたいな自然発生ローカルルールを消したいなら全国ルールにするか移動手段全部消せって話
それができるんやろ?文句いってないで法改正でも働きかければいいだろ?
太客が惜しいとかいってるならもうアンソロとかで公式側に取り込めよ
どっちつかずでぷわぷわしやがって 俺らは萌えに殴られ翻弄されるだけだよ
結局カネが大事なんだろと思われるかもしれないですが、こちらも家族との生活がかかってる以上、取引先の気に障りそうなことはそんなにホイホイできません。
あたりまえじゃん。萌え活してる学生さんも少ないお小遣いと時間から捻出してるんやで
嫌な思いしたくないから少なくない時間さいてジャンル棲み分け(後輩にそれとなく教える)とかうかつな表沙汰防止もがんばってる
社会人のくせに、編集部もついてるくせに、個人に匿名で甘えてみたってほうがおかしいわ
どういうことなの・・。おまえの倫理でダメだとおもうのはいったいなに??
48だのじゃ●ーず事務所のグループのファンでも箱推しばっかじゃないんだから
そういう喧嘩せずにファン同士で付き合っていきたいやさしいファンよりどエロでぶん殴る系のほうが善人なの?ねえ?
どうしても口に合わないものをうっかり検索でひきあててしまっておげーってなることもある
嫌いな解釈をひと目でもみたくないから棲み分けがんばってるだけなんだが?
なんなら今からでも腐女子のつづ井さんとか難解な腐女子って本でもよんでくれね?こっちだって親友と逆解釈にならないか手探り必死なんだよ
作品とそれを愛してくれるファンを大事にとかいいながらずいぶん解像度荒くない?ファンと名が付けば全部いっしょくた?
原作厨しかいりませんってこと?目立つところから吊るして見せしめ?
こんなとこで察してちゃんしなくてもちゃんとどこのジャンルにも解釈厨がいるんだから作中でヒントだしてくれれば大勢傾くのでは?
で結局カプ聞いてきた人ってどこの誰なの?
結局「お気持ち」なんだよな
「かきたてられないでくれ」ってわけのわからない二枚舌なこといわれましても
どうすりゃいんだよ
舞台を見に行ったら、出演者やスタッフや観客の新型コロナウイルス感染が次々と報道され、「クラスター」という言葉こそ公式には使われていないものの、今日はついに主催から「保健所から当社に対して(略)全ご観覧者様が濃厚接触者に指定されたとの連絡がございました」とホームページ上で告知があった。
めずらしい経験をしているので、「このご時世にイケメンめあてで新宿へ行ったバカ」と言われる私が、何を考えていたかをまとまった文章にしようと思う。
といったことは書いていません。
まず、私には推しがいる。てか推しがいなきゃ「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」なんてタイトルの興行に行くわけがない。
推しが今回(6~7月)の公演に出ると決まって、「うわひどいタイトル」と「うれしいうれしいうれしい推しが生で見られる」を同時に思った。
エンタメ業界は2月から既に公演を自粛していて、この公演も1度延期をしていた。推しが出るはずだった他の公演も、演劇だろうとライブだろうと接触イベントだろうと、次々に中止・延期になった。だから久々に推しを見られることがうれしかった。
時勢を鑑みて観劇するかどうか熟慮する、ことはなかった。
推しの出演作に行かなかったことはないから、今回も当然行く一択だった。
友人の結婚式を欠席して推しに会いに行ったときや、社員旅行を蹴って推しに会いに行ったときに比べれば、どうってことなかった。
タイトルがひどいことも、シリーズ作のYoutubeで見られるアーカイブがいまいちだと感じたことも、別によかった。私には、この公演がおもしろいかどうかより、この公演で推しが何分舞台に立っているかのほうが重要だった。
けれども私には恐いことがあった。
私は東京都内在住ではない。ものすごい山奥に住んでいるわけでもないけど、まあ普通に田舎である。
少し前に、東京滞在から帰って来て陽性が確認された人がいた。そのときの炎上っぷりといったらなかった。
氏名、住所、出身校、職場、家族の職場、恋人の職場、すべてが筒抜けだった。私の周りでも「見せしめ」という言葉が「プライバシーの侵害」」よりはるかに多く飛び交った。
あまりの人権侵害に知事が会見で注意を促したら、「犯罪者をかばうな」と電話が鳴りやまなかったらしい。犯罪?刑法何条?
あの人が今どうしているか知らないけど、自分がああなったら社会の一員を続けられる自信がない。家族、親戚に申し訳ない。結婚、友人、近所付き合いといった人間関係を構築・維持できない。
あと、新型コロナウイルスのことがなくても「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」なんてタイトルの公演に行ったと、他人に言えるわけがない。
なので、「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」のために東京へ行く前に、もしも感染した場合のシュミレーションをした。現在の状況を考えたら違和感ないかもしれないけど、まだ何も起きてないときにそれを考えていたなんて、ちょっとおかしい。
私は持病がない。体力もある。感染しても重症化しない気がした。また、私の体調に逐一気を配っているような人がいない。少し具合が悪くなっても、家にこもっていれば誰にも気づかれず、そして誰にもうつさず過ごせると思った。私の意思に反して保健所に連絡を取られてしまう可能性は低い。「推しを見る」と「感染してもバレない」を両立できると思った。
シュミレーションというより夢想だが、もし軽症で済まなかった場合も家にこもって力尽きるしかないなあ、死亡者の検査はしないって聞いた気がするし、その場合もバレないだろう、と考えはした。
人様、世間様の迷惑を考えていないじゃないか、と自分でも思う。感染拡大させないことだけを念頭に行動すべきじゃないかと。けれど、全知全能でない私は、毎日様々なことに優先順位をつける。優先順位は、順位である。下になったものが私にとってどうでもよかったわけではない。大切なものどうしにも順位をつけなきゃならない。ごめんなさい。
新型コロナウイルス感染が広まってから「命は何より大事」という言葉をたくさん聞いた。
私には命より大事なものがある。というか、命は生きるための装置であってそれ以上ではないと思う。
私にとって生きるとは、推しを見て、解釈して、覚えることである。
何をしているときが一番幸せですか?という質問に、食べるとき、寝るとき、と答える人が日本には多いらしい。私は推しのことを見ているときが幸せ。それが生きるということだし、つまりここ4、5か月は生きていなかった。
ちなみに、今回の公演が上演と同時にネット配信をしていたら、私は劇場に行かなかっただろうか。
考えてみたけど、それでも行ったと思う。ただそれは、現在の配信技術の解像度の問題だ。つまり、推しのことがどこまで細かく見えるかということと、他の人はいいから推しばっかり見られるかということ。そこが要求を満たしていればネット配信でもよかったが、実現するのは何年後だろう。
公演は予想に反しておもしろかった。
推しは素敵だった。素敵でも今回のようなことがあれば決まってた仕事も流れる。
「イケメン人狼アイドル」とは、必ずしも出演者が普段アイドル活動をしているので付けられたタイトルではなく、役柄が「晴れの舞台前にメンバーに裏切り者(人狼)が混ざっていることが判明したアイドルグループ」だからである。このアイドルグループの持ち歌が公演で披露されたが、耳なじみがよく良い曲だと思った。オタクの耳ではあるが。
公演後は普通の疲労感があったが、発熱はなく、咳も味覚・嗅覚異常もなかった。ちょうど用事がなかったので一週間ほど引きこもっていた。その後も体調不良はなく、不要不急の外出を控え、新しい生活様式を守りながら一市民として生活している。今日は主催から、冒頭の「全員濃厚接触者」の告知があった。
とあるサブカルなレコードレーベルの所属アーティストのジャケットや、過去にサブカル界の教科書みたいな雑紙などを手掛けていたデザイン事務所が、ネトウヨ御用達なヘイト本のデザインを手掛けていたというツイートが流れてきた。その事務所の過去の仕事アーカイブに掲載されていたようだ。サブカル界隈のリベラルたちが見せしめとして炎上させている。
正直、かわいそうだなと思った。黙ってりゃ良かったのに。
サブカル界隈で著名なデザイン事務所でも、ひとつひとつのギャラの単価、安いだろうから台所事情的にヘイト仕事でも受けないとやってけなかったのではないだろうか。
その事務所、著名とはいえ個人商店みたいなもので、連絡先も公開されているのだし、いきなりSNSで放火しないで直接メールなりなんなりで言えば良かったのではないか。こういう意見は、トーンポリシングの一種だと叩かれそうだが、強大な権力や規模を持つような相手ではない限り、SNSは叩く力が強すぎるように思う。
同じような事例をこのところ何度も見かけてる。右も左も先鋭化した人ばかりがSNSに残っているのでTLをみていられない。自分もリベラルだと思っていたが、疲れてしまった。
集団ストーカーに、大きい車乗りはあおり運転冤罪をでっちあげられます。
ニュースでは、被害者役と逮捕役と通報役としか報道されませんが、実際は他にも一般車を装った仲間が、2、30人か、もっといます。
もちろんでっちあげで逮捕されて裁判にかけられるので、やってないといっても無駄です。
あおりがあおりじゃない人を逮捕しているだけなので、あおりにあおりを訴えても捕まりません。
幹線道路沿いのポスターに、「あおり運転ご用心見たら110番」という看板がありますが、インターネットで調べると、あおり運転被害者が警察に追い返されたという書き込みが多いです。
鉄道オタクの迷惑行為を批判したりDQNの非行に物申すと家の近くの道路でヤンキー車や街宣車が群れを成して騒音運転して威嚇させられたり、見せしめに近所で迷惑沙汰を起こされたりします。
ホームレス撲殺の時点で胸糞悪いなと思ってたけど、それ以前の背景を知ってしまってもう本当にキツイ
命に優劣をつける意図はないけど、個人的な心理でいうと、赤ちゃんとかペットの虐待系は本当に悲しくなってしまう。
声を上げれば変わるかもしれなかった、被害者にも非がある的な反論が一切通用しないからかもしれない。(もちろんそんなこという奴はちょっと・・・と思いますです)
声を上げることさえできない圧倒的弱者をいたぶれる神経にぞっとするよ。
記事によればホームレスの遺体の上に見せしめのように殺した猫を置いたらしいけど、
人間ひとり殺しておいて発狂せずに次の弱者も殺せるって精神状態は本当におかしい。
こういう人間が身近にいるってなったら怖すぎる。
今も正直なきそうになって仕方がないから落ち着かせるためにここに書いてる。