はてなキーワード: 萌えキャラとは
宇崎ちゃんを撲殺した絵を描いたのがオタクであった事が一部で議論になっている。
「描いたのはオタクだから差別じゃない」「フェミのせいにするな」「ポリコレの行き着く先だ」「アメリカの不謹慎なジョークだ」などなど。
しかし、本人のツィートを見れば宇崎ちゃんに対する明らかな憎しみが存在し、単純なジョークではないことはわかると思う。
次に世界のオタクの置かれた状況を見れば、別に不思議でもなんでもない。
世界の、アニメ好き、オタクというのは日本が抜け出したオタク差別の何倍も過酷な状況に現在進行形でさらされていることを前提にして欲しい。
断じて違う。30代後半、40代前半のオタクならば見たことがないと言えないはずだ。
同胞のオタクを生贄として差し出すことだ。「こんなオタク許せない。こんな作品があるから」と一時でも差別する側に回って、安全を買うのだ。
そういう地獄から日本はなんとか抜け出せた(抜け出せていない変な人もいるがそういう人はかわいそうな老害扱いされている)。
しかしながら世界は、そういう差別をあえて容認してきたし、リベラル派も堂々と差別している。
世界のオタクが、突如狂ったように萌えキャラをバッシングしたり、本当は好きなの萌えキャラをポリコレ棒でぶん殴らなければいけないのは、現在の世界のオタクは日本がかつて体験した以上のオタク差別を受けていることを前提にしないと理解できない。
日本のオタクは解放されたが、世界ではオタクはいまだに被差別階級なのだ。
思春期に、「アニメ好きだと学校でカミングアウトできない中学生高校生」がたくさんいる。それが世界だ。だから、オタクが鬱屈して宇崎ちゃんを撲殺して「萌えキャラ許せない」と奇行を起こしてもむげに責める気にはなれない。
わかってて敢てやってるのか、ベタなのか知らないけど、
実在の童顔、萌え声、巨乳の人と、《キャラクター造形》の話を混同して
「年相応に見えないという批判は《らしさ》の強制であり、それこそポリコレ的に問題あるんじゃないのww」
的なことを言う人がいるけど、
実在する人物は、制作サイドの意向(主にビジネスサイド)や、ターゲットオーディエンスの嗜好を反映して
ついでに言うと、一般的に映像コンテンツも含めて商品として流通するものは、
それが、先日話題になった「ダサい服が作られ続ける理由」でしょ。
2000 年代以降多数派になったライト・オタク層=オタクピラミッドの中層・下層
を狙った安易な(または打算的な)企画や表現がヒンシュク買ってるんだと解釈すれば
《追記》
誰かをバカにしたいとかいう訳じゃなくて、お客さんの「底上げ」って大事だなぁという話。
例えばオタクの伝統芸「ラッキースケベ」にケチをつける敵が現れるとしよう。
「嫌なら見るな」
十中八九、こんな反応が返ってくる。
少子化の進行する日本でこの先生き残るには、女性受けや海外受けは必要不可欠だろう。
そもそもオタクコンテンツ自体が当時の常識に囚われない発想を模索したものであったはずだ。
それが今では伝統芸能化して逆に「オタクの常識」を押し付ける側になるという皮肉。
思えば、萌えキャラの絵柄の変化も最近では落ち着いているような気がする。
オタクコンテンツにはもうこれ以上の変化は望めないのかもしれない。
進化の袋小路に入ったオタクコンテンツはシーラカンスになるか滅ぶかの二択である。
オタクコンテンツは叩かれるのに、どうして美術の裸体が認められるんだ?
だからきっと、伝統芸能になってさえしまえば「伝統あるオタク文化」として無条件に認められると思っているのだ。
anond:20180822194429で「現代社会では女も男を性的消費している」という話が出ている。
完全に同意する。ananは性的消費そのものだ。セックス特集で表紙に裸の男性が出ている、それのどこが性的でなく表紙俳優が消費されていないというのか。
でも性的消費自体は悪いことではない。悪いのは「性的消費」される「架空のキャラクター」を見て自己同一視した結果勝手にショックを受けて震えてるツイフェミだ。
女性は共感が強いらしいから、自己同一視するのも仕方ない。ツイフェミは「架空のキャラクター」の立場から、性的に消費されていることへの嫌悪感を感じ取ったのだろう。
問題は、ツイフェミがどうしてこれだけ激しい嫌悪感を抱くのかということである。
増田はHカップの女(顔は最悪)なので顔は最悪だが首から下を見られる=性的にまなざされることはある。見られて「見てんじゃねーよ」とか「胸見てニヤつくなよキモイな」とか思っている。
でも一瞬思うだけで(そして思い出し怒りをたまにするだけで)、ツイフェミのように献血ボイコットだとか表現規制だとかはしようと思わない。むしろ巨乳表現に対する社会の寛容が進み巨乳は正義だとなってくれた方が増田大勝利だからだ。増田はHカップのかわいいブラジャーが増えたり巨乳向けファッション特集が各誌で組まれたりしてほしい。
で、ツイフェミがあれだけ「性的消費」憎しでヤバイ発言をバンバンするからには、ツイフェミを突き動かす衝動があるに違いないのだ。
そこで、増田はツイフェミの生育歴を調査したい。増田の仮説によれば、女性ツイフェミは①幼少期より男尊女卑思想の両親のもとで虐げられた(男兄弟より悪い扱いを受けた)か②性嫌悪の両親(特に母親)のもとで「色気づくな」と言われてきたかのどちらかである。じゃないと巨乳とか萌えキャラとか、ツイフェミの言う「男に媚びる表現」をここまでバッシングしないだろう。
そういえば「萌えキャラで町興し」とかいう話題もとんと聞かなくなった。
世間の人々は金の匂いには異様に目ざとく、そのところの判断は信頼に値するものだ。
今や萌えキャラで町興しに関してはオワコン認定に反対するものはいまい。
君らはなぜだか分かるか?
それが致命傷となったんだ。
ガンダムとか鉄人28号とかは戦うために作られた兵器だから風化したところで、なぁにかえって箔が付くってもんだ。
ウェザリングってやつだ。
仏像とかも箔が付くという点では同様だ。
でも萌えキャラは色鮮やかなカラーリングや清潔感を売りするから、野ざらしで放置した結果くすんだりすると著しく見栄えが悪くなってしまうんだ。
でも銅像には「The権威」のようなイメージがあるから、萌えキャラとは組み合わせがよくない。
ヒラヒラした衣装は銅像にしづらいという事情もあるのかもしれない。
そして萌えキャラ愛好家には長期間の経年変化を楽しむだけの器量などない。
だから永遠に年を取らない、永遠に姿の変わらない萌えキャラになど惹かれるんだ。
オタクのお気持ち表明文やらなんやらが最近増田で流行っているらしいので、便乗して自分も反転増田を語ります。
特定されたくないので全部フェイクです。適度な反転だと思って読んでいただければ。
例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲに重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂腐女子な事も含めて。
腐女子と言うと語弊がありそうですが、ここで言う腐女子は「メイクやファッションやスキンケアに興味が全くないどころかそれを憎んである節があり、ある程度有名なアニメや声優やソシャゲを知っていて、それを腐女子なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。
自分はあまり(上記の基準で語るところの)腐女子ではありません。
アニメなんて今期のアニメ全部チェックしなくても問題ないし、最低限自分の好きな物が見れれば作画崩壊だろうが知ったことではないです。アニメのことはオタクと関わるための手段ではなく、自分の中で楽しむものと考えています。
ソシャゲだってパズドラと刀剣乱舞くらいしか知りません。ゲームなんてツムツムやポケモンGOで問題ないでしょう。それなりに楽しめます。
声優もよく分かりません。アニメを好きになったら声優の名前も全部覚えなきゃいけないんですか。声がかっこいいなとは思うけど「耳が孕む」とか下品な言葉は嫌いです。
萌えキャラだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整ったキャラと区別がつきません。というかそもそもその子は可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います。
ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私は腐女子と話す機会が何度がありました。
初めは何気ない世間話から会話が始まります。最近天気悪いねとかコロナはやく収まれとか食って痩せたい とか、そういう。
そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。腐女子の私生活の話なんて、まあCPとか鬼滅とか流行りものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります。
「へえ」
推しに流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように覇権を知ってると思って話を続けているんですから。
黒子のバスケだったかハイキューだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。
私からしたら、好きな本読めばいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、推しを決める判断基準は覇権という点が1番大事なことなのでしょう。
姦しい声を上げつつピスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクをミュートにしました。
また別のある時、好きなキャラの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、
「どのカプが好きとか、ある?」
と聞きました。
ないよ。と返せる訳もなく(この場でカプとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホで画像検索をして適当な漫画のキャラの名前を読み上げました。正直ジャンプかどうかも自信がなかったですが。
すると相手は
と言われ会話が終わりました。
私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのカプの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた漫画の話は知らないで切り上げ。
私がもっとジャンプをしっかりチェックしていて、神絵師も知っていて、アマプラでちゃんとアニメを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。
そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のコミケ知識程度なら付き合えるようになってきた頃。
彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服が高級感溢れてて嫌味ったらしい。話すことも仕事や子供のことばかり。アニメなども全く見ていない。そもそも化粧バッチリな日もある。オサレで陽キャ気取ってて最悪」だと。
私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。
服装は何を着ても清潔感のある格好ならいいじゃないですか。わざとみすぼらしい格好する必要がわかりません。
話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。自分が無職で独身だからと言ってAの近況にいちいちムカつかなくていいのでは。
メイクだって服だって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか?陽キャ気取ってて最悪なんて陰口叩かれるのは心外です。
化粧してるのも肌質の問題や、仕事の都合もあるでしょう。化粧したからといって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室で好きなメイクくらいしたっていいでしょう。
と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「社会人デビュー乙」という感じで私とは違いました。
この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはホモやアイドルや声優の話が好きなちゃんとしたオタクです。
世間的にちゃんとしてるというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。
32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。
金遣いに関しても、好きな物にお金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金も自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。
長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとしたオタクと、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間が相互理解するのも難しいのでしょう。
私は金は単行本やインテリアや旅行に使いたいですし、架空のキャラに馬鹿みたいに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人が自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います。
自分の悪い所…ちゃんとしたオタクの話についていけず、いつまでもこんなお気持ち長文書いて周囲の同情を引こうというところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。
自分を自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとしたオタクにならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。
変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。
このとき重要なのが、表向きに言っていることが必ずしも本音とは限らないということだ。
故に真っ向から反論しても実は無意味であることがインターネットではまれによくある。
「女さんは萌えアニメにさんざんポリコレ棍棒を振るってきたんだ」
これは嘘だ。
では本音は?
「女オタクの台頭に危機感を感じている」というのが萌えオタの偽ざる本音だろう。
数々の状況証拠が娯楽作品のターゲットが萌えオタから女オタクへシフトしていることを示す。
このままいけば萌えオタ向け作品はなくなって女オタク向け作品ばかりが世間に溢れてしまう。
それだけは、なんとしても阻止しなければならない。
どうして、このようなことになってしまったのだろうか?
萌えオタがよく口にしていた理屈に「硬派厨は口は出すが金は出さない」というものがある。
しかし萌えオタ向け作品において、シリアス展開が採用されることはよくあることだ。
それならば萌えオタが金を払わないから罰としてシリアス展開が差し込まれているとでも?
業界にそうしたジンクスがあるから萌えキャラであったりシリアス展開であったりが採用されるのだ。
ともあれ「硬派厨は口は出すが金は出さない」という理屈を採用するのであれば「萌えオタは口は出すが金は出さない」という理屈もまた成り立つ。
言い換えると「萌えオタより女オタクのほうが金払いが良い」だ。
新しいジンクスによって古いジンクスが更新され萌えオタは時代の流れに取り残される。
シリーズ物は硬派から萌えにシフトすワンオフは除く。る一方で、萌えから硬派へのシフトはほぼない。
これと同じ構図が今後は
の間で起こるようになるだろう。
今後、一部の萌えオタ向け作品は女オタク向けにシフトしていくだろう。
萌えオタと女オタクとでは例えばアイドルや偉人など趣味の領域が被っているのだ。
反対に「割の良さ」の差から女オタク向け作品から萌えオタ向け作品へのシフトは起こらない。
そのため萌えオタは「萌えオタは女オタク向け作品にケチをつけてないのに、なんで女オタクは萌えオタ向け作品にケチをつけてくるのか?」と困惑することとなるだろう。
ところで、萌えオタと女オタクの金払いの差はどこから生まれるのか?
そこには「買い支える」という意識の差を指摘することができる。
貧困JKがワンピースの公式コラボカフェへ通うことが「無駄遣い」とバッシングされたのだ。
男オタクと女オタクの「意識」の差があぶり出された好例と言えよう。
どういうことか説明しよう。
萌えオタには「面白ければ細けえことはいいんだよ」という意識がある。
この萌えオタ特有の「粋と感じたら金を払う」という意識が悪い方向に作用しているのだ。
かつて萌えオタが硬派厨に言っていた「硬派厨は口は出すが金は出さない」という言葉が今では「萌えオタは口は出すが金は出さない」というふうにブーメランとなって帰ってきたのだ。
ついでに、これは私見だが萌えオタより女オタクのほうがある意味では格上の存在だ。
萌えオタは性癖などとイキっているが一般的には擬人化・美少女化といった工程を必要とする。
一方で女オタクはどうやらそのような脳内変換(「俺にはこれがこう見えているのだが?」的なイキリ)を必ずしも必要としない様子なのだ。
今後、萌えオタ向けが女オタク向けへとシフトしていくと見てほぼ間違いないだろう。
だが、それは悪いことなのか?
ロボットプロレスを真面目にやる、美少女動物園を真面目にやる、イケメンパラダイスを真面目にやる……、ということをやればいいのだ。
何事も中途半端は良くない。
イケメンとはなにか?
パラダイスとはなにか?
ロボットプロレスや美少女動物園と同等以上に困難な問いかけである。
イケメンパラダイスの意味を真剣に考えた上で表現すれば、きっと名作を生み出すことができる。
時流を受容せよ。
結局のところ萌えオタは女オタクの存在自体が気に食わないのだ。
娯楽産業が萌えオタの相手をしていたのは割の良い仕事だったからだ。
ほかになにかもっと割の良い仕事が見つかれば、そのなにかに乗り換えるのは当然だ。
この渇望の差があるうちは女オタクのほうが勢いにおいて勝っていると見て間違いないだろう。
しかし、やがては女オタクも舌が肥えてきて、グルメ的要求を繰り返すようになる。
かつての萌えオタがそうであったようにだ。
「俺達/私達を馬鹿にしているのか?こんなものでは満足できないぞ!」
今、萌えオタがその渦中にあるように。
こういうこと無責任に言う奴は同じ職場で仕事をすることになったとか何かのきっかけでお互いの素性を知らずに社会人同士として元増田と出会ったとしたら
この人なんて素敵なんだろう!ずっとこのままでいてほしいな!なんてお前らは絶対に思うわけがない
この人変な格好だな、オタクなのかな、歳のわりに顔つきや言動が幼くて気持ち悪いな、と確実に思うだろう
オタクトーク以外では日頃のハイテンションさが嘘のように根暗になるタイプの可能性すらあるし
絶対に好感は持たない
「いや私は元増田のことをダセェなんて思わない自信がある」という人もいるだろう
ただそういう人は相手がジャージだろうと萌えキャラがでかでかとプリントされたTシャツだろうと
他人に興味関心のない冷淡な人間なので何も気にならないというだけで
そのような人間の「あなたはそのままでいいよ」なんて暖かで優しい人ぶったクソバイスに一切耳を傾ける必要はない
風呂に入らないオタクに「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもいいよ」って言ってるのと一緒
「私は鼻炎で匂いが分からないからお風呂に入らなくてもうちに遊びに来てもいいよ」なら言ってもいい
「私はあなたが恥をかこうと何をしようと何も思わないので好きにすればいい」なら言ってもいい
「お風呂に入らず素の体臭を撒き散らすあなたはとても素敵だからお風呂に入らないまま出勤したりアニメイトに買い物に行ったりしていいよ」これは悪魔の囁きなので聞き入れる必要はない
そもそも元増田はクソダサくて小汚い格好に自分なりの絶対的なポリシーがあり
自分の顔の黒ずみに誇りと自信を持って毛穴をおっ広げて好き好んで見せつけていたのではなく
きっちり化粧をしたBCDと会ったことで自分の顔のあまり見せたくない汚い部分を自分だけが上手く隠せてないことに直面し己を恥じて
これからはちゃんと黒ずみを隠さなきゃいけないと決意しつつあるのであって
そんな元増田に「黒ずみなんか隠す必要がないからこれからもどんどん見せていこうよ!!」と囁きかけるのはやっぱりアホで無責任で恐ろしさすら感じる
はじめてのコミケで本が売れた。
生きててよかったと思った。(※ここからは本人特定されないために嘘も混ぜるがそこは許してほしい)
ずっとダメ人間だった。顔は不細工。もう女子とは学校を卒業してからほぼ話してない。
リーマンショックのせいで、ブラック企業に偽装請負で働いてた。
それでメンヘラになった。
それで4年間ひきこもりをやった。
自分は何も残さず、家族に寄生したまま死ぬんだろうと思ってた。
怖かった。
家族が死んだあとどうするんだろう。自分も後を追って死ぬかとか考えてた。
自分にも夢があった。
西尾維新とか奈須きのこみたいな作家になりたいとかずっと思ってた。
でも新人賞への小説を一作も書かずどうせ無理だろうと思ってだらだら過ごして、アニメを見たりラノベを読んだりして青春は終わった。
そんななか創作クラスタをずっと、「うらやましい。でも失敗しろ。お前らなんかどうせプロになれず終わるんだ」と呪詛と羨望を混じった眼で見続けてた。
twitterで「こんなに絵がうまくなりました」っていうツイートが流れてきた。描き始めの絵と現在の絵の差をみんなで楽しむって企画。名前は伏せるが、大嫌いな絵師の絵が流れてきた。いけ好かないリア充野郎だと思ってた。
悔しかった。
最初の絵はノートに鉛筆で描かれた落書きだったのに、現在の絵はラノベの表紙に使われてもおかしくないクオリティだった。
その日から、一か月ぐらいずっと、悶々と考え続けてた。あいつはプロになるんだろうか、漫画家になるんだろうか、失敗したらいいのに、炎上して消えればいいのに、そんなことばかり考えてた。
そして、俺は、自分も絵を描くことにした。なんでそう思ったのかわからない。ネットに乗ってる、サルでも描ける萌えキャラの描き方講座を読み、コピー用紙に萌えキャラを鉛筆で描き始めた。
あれはきっと逃避だったんだと思う。自分の将来と向き合うのが怖かった。だから美少女に救いを求めたんだと思う。我ながら馬鹿だと思う。
最初の一か月はつらかった。どんなに描いても人間の顔にならない。美少女を描こうとしてるのに不細工どころか人類の顔になってくれない。何とか人間に見えるようになるのに1か月かかった。
ネットの情報を見ていると、萌え絵を描くにはどうやらパソコンとペンタブが必要だということがわかってきた。お絵かき用のPCとを調べてみたら、7万円はかかるということが分かった。
気が付いたら、アルバイト雑誌を入手し、アルバイトを探していた。
アルバイトを探している、と言ったら年老いた両親が驚いていた。
医者も驚いていた。
家の近くのコンビニバイトを探していたが、引きこもりオーラのせいで全部面接で落ちた。
唯一受かったのが、コンビニに調理パンを卸している食品工場のバイトだった。
一日7時間。深夜勤、時給1000円で7000円を一日で稼げた。
ずっと立ちっぱなしだったが、1か月でPCとペンタブとペイントソフトが買えた。
そうして気が付いたら社会復帰していた。
毎日昼の15:00に起きたら絵を描いて、夜の21:00に出勤し、終わったら寝る。そういうダメ人間の生活を2年ぐらいやった。
絵は下手くそだったが、お絵かきアカウントを作り、ネットにアップするようになった。
このころから、新しい友人がネットででき始めた。中にはフォロワーが1万人超えのような上級絵師さんも相互フォローになった。
アップした絵が初めて10RTぐらいされるようになったのもこのころ。
そうしたら、会社から「正社員として働かないか」と言われた。本心は嫌だった。創作に使える時間が減るから嫌だったのだが、会社は先に親のほうに話を通してしまった。こうなるともう正社員として働くしかなくなってしまった。ひきこもりとして実家に寄生しているのに「絵を描く時間が減るから嫌なの」とか言えるわけがない。いやいやながら、正社員になって働くことになった。絵を描く時間が一気に減った。一日一時間ぐらいしか描けなくなった。そんな日が2年続いた。
気が付いたら、預金残高が300万ぐらいたまってた。家に住んで近くの会社で絵ばっかり描いているし、生活費を払っても自動車も買わないのだから、それぐらい溜まる。
それからさらに数年。そして俺はコミケに出た。本当はずっと出たかったのだ。創作クラスタが11月と6月になると「東ア‐12」とか名前の横につけるのがずっと格好いいと思っていた。でも、1部も売れなかったらどうしようとも思っていた。ネットで一部も売れなくて重い在庫を持って帰るとか、そういう話を読んで怖いと思っていた。でも、預金残高を見て、売れなくても大丈夫だと考えなおした。
で、申し込んだら最初は落ちた。
二回目で初めて通った。
そこから「初めてのコミケのサークル活動」みたいな記事を読んで必要な物を一式買った。
ポスタースタンド、防炎加工の敷き布(いわゆるあのぬの)、カラーのポスター、小銭入れ。そういう物を買うたびに、不安が募っていった。
それで初めてのコミケ。
最初の一時間は全く売れなかったから、「ああ、やっぱり。不安的中しちゃったよー。もう止めとけばよかったよー」とそのまま帰って寝ようと思った。
社会と初めてつながったような気がした。
買ってくれた人に「ありがとうございます」と心から言えた。
数十部売れた。
生きててよかったと思った。
自分はコミケとか創作とか、そういうのがなければ、ずっとひきこもりだったのだと思う。
あそこがあるから生きていられる人はきっとたくさんいると思う。
狭い業界内で個性、性癖、ニッチなどとはしゃいでいるにすぎない。
凡人が凡人の発想で漫画を描いてるのだ。
「弱いはずの老人、女、子供なのに強い」
「強いはずの男なのに気弱」
「オカマなのに頼りになる」
「恐ろしい化物なのに萌えキャラ」
「ほのぼの系の絵柄なのに鬱グロ」
「全年齢向けなのにエロ」
凡人の発想だから、そうなる。
「敢えて逆にしてやるんですよ。たちまち個性的でしょ?」
「または文脈を知らないから面白いと思えないのかもしれないね」
作者自身の持つ非凡な知識、経歴から多様性が産み出されたのだ。
本当にマンガ文化に多様性があるならば、そうした例はいくらでも挙げることができるはずだ。
というわけで、
というのが本日のお題です。
なに書けばいいかわかんないから思いつくまま書く(まだ1回しか見てないから記憶があやふや)(アニメ見たのもかなり前なのでそっちの記憶もあやふや)(5000字ちょっとある)
まだ見てない人は見に行こう!
TV版を見てない人は、見よう!
d-アニメストア、ネットフリックス、バンダイチャンネル、U-NEXT,huluで配信中!
でも1話は無料で見れるのでとりあえず1話は見よう!
https://www.nicovideo.jp/watch/so24658035
・話はTV版が好きなら好きだと思う!でもTV版と比べるともっとおもしろくなる余地があると思った!
・TV版の終わり方が台無しになるっていう感じの話ではなかったから安心してほしい!最終回みたときと同じように、映画見たあとも宮森たちはこれからも毎日を一生懸命生きていくんだろうなと感じれる感じでした!(頭の悪い文章だ…)
・一人でも思い入れのあるキャラクターがいるなら見たらぐっとくると思う。映画というより、あ~~こんなに立派になっちゃって~~っていう感じで見れる。
4年前のことを思うと遠くまで来たなあ、私もこいつもさ…って気持ちになれる。
=====
1話のオマージュ。4年前と同じ時間、同じ車、同じラジオ…だからこそ違いが目立つ。車が傷だらけになっていたり、カーチェイスができなかったり、かかる曲がスローテンポなものだったり(限界過疎土地娘回収されましたね…サクラクエストのことじゃなかったかあ)。全体的に黄昏時という感じ。
ムサニもね…。この始まり方だからぞくぞくと悪い予感はしてるわけで(ポスターも含め)、ムサニは!?ムサニは今どうなってるの!?と思ったらいつもの部屋でいつも通りにやってんじゃ~~んと思いきや…っていう…。あそこほんと最高でしたね。あそこで宮森があの幻覚を見たのはもう二度と戻れない過去への憧憬なんじゃないかと思うと切ない。
活気もなくうらぶれて、でも昔のように返り咲く気力もない(そして昔みたいにイケイケなムサニになっても元のメンバーが戻ってくることはないだろう)。少しずつ衰退していくのを見ていることしかできない。悲しい…つらい…でもそれがいい!!!最高!!
ここのシーンの3Dの人(下柳さん?)の「こんな感じのアニメなんだったらもっと違う感じでやるべきだったな~」っていうまじめな台詞がすごい好きで、何故かというとなんかこの状況を受け入れ切ってるな~って感じがするんです。こんな状況いやだからあがこう!じゃなくて目の前の仕事を一生懸命やってる感じ。全然悪いことじゃないし、たぶん下柳さん(仮)にはそもそも会社の方向性を決める権限とかもないのかもしれないけど、でも今の状況を諦めを通り越して受け入れている、衰退していくのを見守る覚悟みたいなのも感じて好きです。自分にやれることは全力でやるけどそれで会社が衰えていくのを止められないのも知っているみたいな。このへん全部妄想なんですが。
推しなんですけど(1週目特典この二人が出て最高でした神様サンキュ!)、今回本筋には関わらないもののめちゃくちゃ良かったです。ていうかそういうキャラ沢山います。shirobakoはキャラ数めちゃくちゃいるのに映画では全員「あー今こう生きてるんだ」って知れてほんとよかったです。
この二人は特に!!その最終回のその後が気になってました。ほかの人たちは道のりの途中だったけれど、この二人は最終回でやっと一歩を踏み出し始めたところだったので。太郎の語るアニメ制作の夢も最終回までは知らされず、なんか萌えキャラとか声優とかが好きだからアニメ業界来てるんだなーぐらいの認識だったのにあんなパッションを秘めているとは。
今の状況をどう打開したらいいのかわからない宮森と違い、太郎と平岡はがむしゃらに前に進む努力をしています。努力って言い方も違和感あるな。太郎も平岡も、それを楽しんでる。どんなに没られても沢山企画案を出して持ち込みに行く太郎も、そのアドバイス役?スケジューリング役?をしてる平岡もやれやれって感じを出しつつもすごく楽しそう。そんな二人を見れてよかった。今後どうなるかわからないけど(実は太郎には全然才能がなくてまじで全く作家としての芽が出ない未来があるかもしれないけど)、でも今楽しそうに前に進んでいる二人が見れてほんとうにうれしかった!!
できればまた4年後どうなってるのかが見たい。この二人がどんな現実にもへこたれずに夢を追ってる姿が見たい。最終回で語った夢を実現させているところが見たい。
4年間ニートしてたってまじですか!?読み取り方間違ってるかな?でも少なくとも監督は4年ずっと仕事してなさそう…どうやって生きていってるんだろう…
そうなったきっかけの事件のときの二人の反応最高でしたよね!!気丈に振る舞う監督と悔しそうにキレる遠藤さん。多分この二人が一番おじゃんになったアニメに情熱傾けていたから、だから説得のシーンもこの二人が長めだったんだろうなあ。説得のシーンといえば遠藤さんが下柳さんと水族館行くくらい仲良くなってるの最高でしたね…。4年という年月を感じる!!
長かった…もっと短くてよかった…でもミュージカルはこのアニメの狂気的な部分を感じてよかった。洗脳っぽかったけど。
お絵かき教室のシーンはあれ見て宮森達がやる気出してたけどそもそもやる気なくすような出来事あったっけ?となってしまった。TVシリーズとしてやってたなら多分普通に受け止めれてたシーンだと思う。
忍者屋敷はよかったけど長かった!でも和服見れたのでよかった!妄想(?)シーンのあと一瞬で現実に戻るの「あ~なるほどこういうことを比喩的に表現してたのね」と理解できてよい。
ナベP社長かよ~~~~~似合わね~~~~~~~!!!と思ったけど社長っぽいこと(カレー作り)もせず前と同じ仕事内容っぽい。
ケーキ屋さんのシーンぐっときましたね。普段結構ひょうひょうとしてて表情読めない人なのにあんな深刻に…言いづらそうに…。あのシーン一番わくわくしました。嵐の前の静けさ的な。これから何かでっけーことが起こるぞ!!!という感じがして。
いやーでも今や宮森がプロデューサーだからね。ミヤPって呼ばなきゃ!
売れてんじゃん!!おいおい!!!順調じゃん!!と思ったものの居酒屋での反応であーとなる。ああいうの友達に見られるの恥ずかしいよね…。あんまやりたくないことなのに…。でも事務所じゃもう先輩で感慨深かったなあ。ずかちゃんにあこがれてる後輩なんかもいたりして。先輩っぽいお話してたりしてて。すごいなー。声優業界厳しそうだけどさらに4年後はどう生きてるんだろう。
先生との会話でいきなりエチュード始まるの観客信頼されてるなーと思った。TV版でもあったから即興劇ね!ってわかったけど初見だと厳しそう。
広くてきれいな部屋に住めててほんとうによかった!!久乃木さん結構ちゃんとしてるな~ごはんもおいしそ~うらやまし~…とほのぼのしてたら作監ですかあ…!!めちゃくちゃ出世してるじゃん…。作監頼んだあとの「こういうのやめてね」っていうのも迫力出てて経験値積んでるぅ~たくましくなってるぅ!TV版のときから思ってたけどえまちゃんって案外気が強いというか主張はしっかりしてるよね。外見と声から受ける印象とギャップがあるからそう思うのかもしれないけど。今回作監やったときに「(えまちゃんが絵を直すと)線(絵?)が固くなる」って言われたときに反論してんのすげーなーと思った。私なら自分の絵に文句つけられたら「がんばります、直します」としか言えない…。
えまちゃんに限らないけどムサニ出て上手くやっていってるんだなあと思うと宮森の取り残されてる感あって悲しいなあ。
よかった!!!
先輩に見せてって言われてるけど自分の実力不足でなんもできてない~~いつ終わるのかも能力不足過ぎてなにもわからない!!っていうのめっちゃ共感できるから後半の秘めたる力を開放するシーン自分の中で盛り上がりがあった…。あとかわいかった。
台詞ちょっとしかないキャラにも愛着が持ててこのアニメはほんとすげえなあ。
クールビューティーお仕事できます系と見せかけてTV版でも方向音痴というギャップを見せてくれてたけど映画でも安藤さんがお手伝いに来てくれたときにきゃっきゃしててかわいかった。なんか後輩の女の子感あるな〜。
いや~~~~みんな言いたいことは一緒だと思うんですけど…………。唯一ここだけはまじでなんとかしたほうがよかったんじゃないの?っていうのがこれなんですけど…。
やばくないですか?
まじでつまんなさそうでやばいですよね。この映画がヒットしてる未来が見えない…。SIVAは負けて終わりのバッドエンド(でも終わり方は明るい)なんだけどこれムサニにも当てはまるよなあ。昔のメンバーが集まって総力戦でいいもん作った!でハッピーエンドっぽいけど映画の売り上げは…ムサニの経営は…みたいな。売上はムサニには関係ないのかなあ…?いやでもこの映画の出来がよければもっと感動してたのは間違いないんですよ。作画的な意味だけじゃなくて、ストーリーとか、題材とか…。えくそだすの泣き顔修正のところ泣けたもん。よかったねえ、確かによくなったねえ…!って!あのシーンは監督がキャラ愛語って熱量で押してたし。それに比べると今回はなんか制作シーンが全体的にドライというか、特に監督はパッションあんまないし、制作現場のシーンもほぼ無かったのでなんかそういう熱さみたいなのはあんまり感じませんでした。時代かなあ?いい作品作るために深夜までがんばってます!!って今どきの受け悪そうだもんね…ブラック現場だ!!って言われそう。
あーでも今回「作り直しましょう」って言ったのは宮森なんだよね。それは成長…かなあ?昔の宮森なら言わなかった…かなあ?えくそだすのときは「ええ!?スケジュールどうなっちゃうんですか!?」みたいなパニックみたいな感じだったよね?
ポスターにででん!と書いてあるほどには出番はなかった。私はこの子の存在を一番不安に思ってたんだけど杞憂だった!!特別な扱いをされることもなく、でも新女の子キャラとして大事なポジションに収まってました。初登場時化粧濃いな~心読めないな~と思った次のシーンで全開で心開いてて好感度上がった。
かわいかった~~口調が固すぎるのはオタクだからかまだ緊張してるからなのか…
名前も出ない(出てないよね?)ほどのキャラなのに噂好き特性つけてそれをストーリーに組み込んでるのすげえなあ
太ったじゃん!!!え?TV版やせたままだったよね?あれ???わたしたちの本田さんが返ってきてくれた!!!ありがとう!!!
ムサニ努めてた時と違ってすっげ~幸せそうで(若干うざがらみで)よかったね~~~となった。ケーキおいしそうだった…。どこでそのスキル手に入れたんだ?すげえよ。コラボカフェで本田さんのケーキ屋さんのモンブラン出して。
社長…。それでよかったんすか?私経営のことはなんにもわかんないけど…社長が退いてムサニはよくなるんすか…?社長はいいんですか?ムサニやめちゃっても…!
描かれてない4年間が重たすぎて、2019年現在の状況から察するには「どうしてその状況になっちゃったんだ!」とか「それを判断したときどういう気持ちだったのかを見せてよ!」みたいなのがほんとに多いんですが(たとえばえまちゃんがムサニ辞めるときとかさ…アニメーターの方々はどういう順番で辞めて誰が見送ってそのたびどんな雰囲気になったのかとかさ…)他のメンバーはムサニやめても同業行ってるなかで社長だけは異業種だから特にさあ…。なんかTV版であったっけ?「社長のカレーマジうまくて店出せますよ!」みたいなの…。でもにしてもさあ…。こじゃれた店出しちゃって…。社長も昔は熱意を持ってアニメ制作の最前線にいたわけじゃん。どういう気持ちで辞めたんだろうなあ…。今TV版見返したら死んじゃいそうだよ私。社長のアニメ人生がこんな形で終わっちゃうなんて…でも人生って案外こんなものなのかもなあ。
またお父さんが何かあったの!?それともアニメ業界やめちゃったの…?TV版に比べるとかなり出番少なかったなあ…。
今回舞茸さんがストーリーかなり苦しんでましたね。アニメでは監督に助言したり先生的な役割しか見えてこなかったからすっごい人間らしくてよかったです。「師匠じゃなくて、商売敵だ」っていうセリフ今回苦しんでたのを助けてもらったからこその台詞でよかった。
宮森は今後どうなってくんだろうなあ…。なんかTVのときから感じていたんだけど5人の中で唯一創作でアニメに関わってないキャラなので、当然「人集めが好きだから制作やってます!」ってわけじゃないじゃないですか。映画でもアニメが好き、アニメを作る人が好き!って言っていて、その理由でその仕事するのよくわかんないなあとずっと思ってたんですが、映画のラストを3週間で変更するってなったときに宮森が一番熱意あったのを見てアニメーターの人たちの頭の中にある一番いい状態のアニメをこの世に生み出したい、そのための環境作り(人集めとか)を一生懸命やりたい!って感じなのかなと思った。
ラストのホワイトボードにいろいろ書いてあったの見ると(一瞬すぎて全然わからんかったけど多分作品名が4個くらい)、今までは使いっぱしりみたいな感じだったけどこれからは宮森手動で企画を動かしたりしていくのかなあ。
アニメから4年経っての劇場版だったわけですが、また4年後にみんながどうなってるのか会ってみたいなと思いました。無理かな~無理だよな~でもこれでお別れだなんてさみしいよ!!!!
アニメ最終回のときもさみしかったけどあのときはまあまだ劇場版とかもできるかもだしな~って思えてたけど劇場版2回目とか2クール目とかはなんかもうなさそうなかんじがするじゃん…かなしい…さみしい…