はてなキーワード: 看護学校とは
終身雇用制、手厚い福利厚生、残業は多めだが全額出る、そんな昭和の夢の残滓のような会社に勤めていたんだけど昨年退職した。
待遇は非常に良かったんだけど(0.6Googleくらい)、安定が自分の中で恐怖に変わっていき、やがて耐えられなくなってしまったので退職に至った。今は年収が半分になってベンチャーみたいなところにいる。預金残高を見て不安になることはあっても前職で感じたような、先細りの籠に閉じ込められたような気持ちには未だなったことがない。
前職のような会社は日本にあまり無いから参考になる人は少ないかもしれない。これはあくまでも平成という時代に10年間昭和のサラリーマンをやってきた自分のそれまでの人生のまとめであり弔辞だ。
もしかしたら、公務員とかレガシーな産業で利益を独占的に得られる会社に潜り込んだ人にとって何かの参考になれば幸いである。
地方都市生まれ、小中高と公立育ち、大学は他県の国立大学へ、理系でマスターを修了後に学校推薦で就職。
地方の医学部に進学した人がバズってたけど、私は井の中の蛙というか幸せな環境で育ったなあと思う。学区が良かっただけかもしれないけど、所謂ヤンキー的なタイプは少なくて、開業医の子息とかとも普通に遊んでた。うちは公務員だったけど(子供だったから気が付かなかったという事情もあり)、引け目や負い目を感じたことはなかったと思う。財力の違いを感じたのは高3で進学先に私立の医学部を選んでたときくらい、他は塾とかも選択肢が限られていたのでみんな一緒だった。
理系を選んだのは高校で7割くらいが理系を選ぶ環境だから何となくという要素が大きい、医者になりたいとかエンジニアになりたいとか思わなくもなかったけど、何より理系は潰しが効くし、数学が苦手じゃなかったらやっとけくらいの気持ちだった。
高3のときの偏差値は公立の医学部には足りず、迷わず他県の地方国立大に進学。大学でやりたいこと云々より自分の偏差値で行ける最大限の学歴に行ったという感じ。お陰様で入学後に学力不足を感じて本当に苦労した、かろうじて留年を逃れたくらいの成績。マスターは殆どの人が行くからというだけで選択、例によって院試は内部生にも関わらず死ぬかと思った。
そんな体たらくだったので、就職のときは仕事と研究との関連性だとか一切興味がなく、学校推薦で行ける会社の年収を四季報で確認して上から順番に面接。お辞儀できれば受かるという情報通りヌルい面接をあっさり通り前職に内定した。
○どんな会社だったのか
・環境
東京から車で2,3時間くらいでコンビニまで徒歩30分くらいかかる僻地、面接に行ったときヤバイかなと思ったけど、地方の大学生からすれば東京まで2,3時間で行けるというのはそれなりにメリットがあった。あとアマゾンが送料無料をやり始めた頃で、アマゾンが届けば生きていけるかなあとも思ってた。
・待遇
これは無茶苦茶良かった、待遇というか給与だけだけど。就職を決めたときの四季報だと平均年収は0.5Googleくらいで(平均年齢43歳のね)、辞めたときの年収は0.6Googleくらいあった。ただし、基本給:残業代:賞与が4:4:4で、賞与は完全に業績連動のため期待は禁物。リーマンショックの頃に3,4年働いても基本給が5000円しか上がらなかったのは忘れられない(さすがにその後是正された、けど過去の貰えていない分の保証はなし)。
残業代が4というところからお察しの通りで、残業時間は年間で700〜900時間くらい。寮や社宅は完備のため、平日は会社の敷地から一度も出ることなく過ごしていた。
・業務
表向きは最新技術の研究開発となっているけど、実際は雑用と書類仕事に疲弊していた。入社してから一度も新しい技術みたいなのを研究したことはないと思う。ひたすらに社内調整、下請を買い叩く、行き当たりばったりで問題を解決するの繰り返し。更に営業案件とか製造案件の雑用がバシバシ入ってくる。先のことを考える余裕なんて一切なくてアワアワしているだけで10年過ぎてしまった。
私に限らず全社的にそんな仕事ぶりだったけど、市場は寡占状態なので会社は常に儲かっていた。そもそも枯れた技術なので顧客は新商品とか新機能は望んでいないのだから。たまに声の大きい営業が上げてくるマイナな案件に対応するために右往左往して終わり。そのマイナな案件にかける時間を全体に対する原価削減に当てたほうが良いのではとは皆が感じていた。
一応良いところを挙げておくと、暗い実験室に引き篭もって量産の目処のない机上の空論をやるよりは、現場の問題を拾い上げて設計に反映するのは楽しかった、それは生産技術の仕事ではないのかと思いつつも。
同僚も学校推薦で来る似たようタイプなので、穏やかで話が早くやりやすかった。東大東工大が主な学閥なので地方国立大は肩身が狭いとか無いの?とかはたまに聞かれたけど、管理職になりたいだとか野心がない限りは別段に何も不自由は無かった、学歴よりも上司だとか部署のガチャ要素が大きかったし、皆が平等に不公平という感じだった。
・組織
上の意向を忖度して言われる前にやることが尊ばれる文化という感じ。基本的にマネジメントというものは全く無く仕事もこれやっといてというだけで納期も仕様も何もない。上司の指示どおりに働いていたら、その上から烈火のように直接指導されることもザラ(そうゆう時の上司は沈黙)。酷いなと思いつつも、上司とその上も同じような関係だし、その上もそのまた上も…
これがいわゆる昭和の日系企業かぁと思っていた(違ったらごめん)。賽の河原に石を積むというか、降り積もる雪をひたすら取り除くような気持ちで働いていた。
人事評価みたいなのも形式的で、上司は査定するけど、結局は偉い人の好みに合わせて査定をつけないと書き換えられてしまったうえで上司の評価も下がるので(人を見る目が無いという理由で)、偉い人の好みをどうやって察して査定をつけるかという作業になっていた。偉い人に取り入ろうにも年に一度も話すことがないし。逆に気に入られている人もそんなに親しげではないので、何が基準かは永遠にわからなかった。
こんな状況でどうしてやる気を失わなかったのかというと、査定が悪かろうと昇進が遅れようと、何だかんだで高給をもらっている自覚と責任を感じていたからだと思う。少なくとも自分の給与以上は働かないと、お世話になっている子会社や取引先に会わせる顔が無いという気持ちで踏ん張っていた。
○どうして辞めようと思ったのか
20代の頃は仕事や組織に不満がいくらあっても、それを上回る待遇を得ていたので辞めようとは思わなかった。仕事なんてものは所詮は時間と感情の切り売りで、仕事にやりがいとかいうのは、金が払えない会社の言い訳だと思っていた。
ところが30代になり預金残高が1Googleを超えたあたりで、ふと将来のことを考え始めた。余りにも遅すぎた自我の芽生えだったのかもしれない。
いつの間にか同僚はみな結婚して家のローンや保育園の話をしている。家族がいる奴は良い、自分の代わりにお金を使ってくれて、それで幸せになれるのだから。ここで暮らしていれば子供の1人くらいは私立の医学部に入れられるかもしれない。で、私はどうなる?20代の頃と預金残高以外で何が変わった?
お前も結婚すれば良いのではないかと言う声が聞こえるけど、これは中々上手く行かなかった。こんな僻地にある会社だから、相手は地元の人ばかり。上記のように地方を転々としてきた自分とはどうしても感覚が合わない、例えば同僚の結婚式で、高校の部活の先輩後輩の関係が30過ぎても未だに残っているのが嫌だった。
敵を増やしそうだけど、地方にはヤンキーと良家の子女しか残っていないんだと思う。ヤンキーは説明不要でいわゆる地元のマイルドヤンキーさん、看護学校もあるので一人でやっていけるこの手のタイプは多い。良家の子女は女子大を出て実家に戻って地元の金融機関に就職という感じ。同僚の奥さんはどちらも結婚したら寿退社して社宅に住んでいた。
私だったら、相手が1Google稼いでいても専業主夫になりたくないなあと思う。その程度の収入に自分の後の人生の選択肢の全てを預けたくない。私は夫婦は人生の連帯保証人だと思っているので、こうゆう自分の感覚と合っている人と結婚したかったんだけど、残念ながらそんな人とは出逢えなかった。それほど立ち入った話はしないけど同僚と上のような話をしていたら「そもそも君は結婚相手に何を求めているの」と言われたのが印象深かった。私は友だちとか親友的な要素、少なくとも同じ地平で物事を見渡せる人が欲しかったし、これまでもそうゆうタイプと仲良くなってきたけど、同僚的にはそうじゃないらしい。明確な言語化はできないけど配偶者に求める要素は、自分や家庭を甘やかし指導する父母か、育て導く愚かな子女で、少なくても対等の関係という要素を求めてはいないようだった。
そんな食わず嫌いをしているうちに同僚の息子は小学1年生、これからも私がああだこうだ言っている間に大学生になって家を出るのだと思う。その頃の私はきっと40代半ば、もう結婚もできないし転職もできない、ただ自分は失敗した、取り替えしがつかないという気持ちを抱えながら、報われることのない仕事をしている。やがて50代になって預金残高が5Googleを超えて、高級老人ホームに入ること夢見て死ぬんだろう。
安定している故に見えてしまう自分の将来、この少し広い会社の敷地の中で人生を終えるであろう現実、その恐怖に囚われてしまってからはもう辞めること以外は考えられなくなってしまった。そこからは早い、たまたま自分のやっていた職種と募集がマッチングしたから逃れることができたけど、本当だったらこの歳で逃れることは難しかったと思う。前述のように賽の河原のような雑務がメインなのでとても潰しが効かないし、何よりも給与が激減する不安に耐えられない。
高校生に対してライフプラン(仕事と出産などを含んだもの)を教育するみたいな話をニュースで見たけど、これは年齢関係なく必要だなと心から思う。別に結婚とか子供とか興味は無く、食べてくために働くというのは本心として良いと思う。けれど同期同僚が結婚して子供ができて、仕事に意味や成果は無く、ただ歳だけが増えていく状況であなたはどこまで正気を保てますか?というのは自分自身によく確認したほうが良い。登山なりゴルフなり何かしら見つけられた人はそれで良いし正気を保ち続けることができると思う、私にはそれができなかった。
昭和という時代は、定職さえあれば誰もが家庭を持ち豊かで幸せになれるという幻想を皆で信じていたから実現できた神話だったんだと思う。家族がいれば多少の理不尽にも耐えられたし仕事に魅力が無く潰しが効かなくても何とかなった。けど平成が終わるこの時代に神話はもう死んでいた。
私は辞めることができたからまだ良い、けど私のような気持ちで辞めることすらできない人が、あの会社に大量に留まっているとするなら。前職に留まらず、世の中の会社や社会のどこかに、私のような人間が大量に潜んでいるとするのなら。
欧米でよくある銃乱射事件とかは、こうゆう時代の歪みから発生するんじゃないかなと思う。俺はきちんとレールに沿って人生を進んできたのになぜ幸せになれない?俺がおかしいのかそれとも社会が狂っているのか?
話が逸れてしまった。10年間よく会社に尽くしたし、会社も十分それに報いてくれたと思う、総じて良い会社だった。ただ、私は会社と同じ昭和の夢を見ることができなくなってしまった、それが退職理由。平成の終わりにこうやって昭和の夢の残滓のような会社を去ることができたのは何か奇縁を感じる。
なんとか社会復帰したい
※追記
ツリーに大学職員からの情報として、理系の医療資格なら中年でも就職率高いって書いてある。まともな回答はこれくらいだな
その他はなんで奴隷労働みたいのばっか進めるんだ?
40からキャリアスタートして自分よりも境遇よくなられるのが嫌なんだろ
ほんと卑しいやつばっかりだな
年齢差別主義者だろお前ら
※再追記
どうしても奴隷になって欲しいのか?
こっちは一度大学出てるからよっぽど難しいとこじゃなけりゃ受験すりゃ普通に国公立の大学くらい入れるんだよ
無職だからって勝手に人を低く見積もってマウントとるとか人間のクズじゃねーかよ
※これまでのまともな回答。これ以外は日本語も読めない差別主義者。
koenjilala 正看護師/薬剤師/理学療法士/作業療法士/教員/公認心理師(院卒必須)/歯科衛生士/保健師etc.。実際に40代50代で看護学校に行ってる人はいるし40代で教員になった人も知ってる。私もアラフィフで学校行ってる。がんばれー
普通に採用する側に立った時に大学は卒業してるけど40歳無職職歴なしが来たら普通の会社で採用する?ってだけ。あとはなんでまたお金のかかる大学に入りたいの?親が資産家でもない限り甘い考えでしょ。→就職の際、年齢差別してはいけない。そんな当たり前のことも知らないで平気で年齢差別するとかどうかしるだろ。大学に行こうが何しようが俺の勝手。お前に甘いどうこう言う権利はない。
“正看護師/薬剤師/理学療法士/作業療法士/”医学会の底辺労働者と医者に見下され奴隷扱いされてメンタルやられる恐れがあるがいいのかね。初老で無駄に高いプライドしか持ってない人でも就ける仕事って何があるんだ→太宰論法。見下してるのはお前だろ。お前が俺を見下してるからと言って他の人も見下すと決めつけるな。クズはお前だけでいい。
「40の職歴なし」もうなづける素晴らしい人間性だ→匿名で人の人間性くさしてる時点でお前の人間性は下から数えた方が早いぞ
追記で自身のスキルを棚に上げて底辺とか奴隷とか労働に対して謎の上から目線なので「そんなきれいな仕事はねーよ!」とだけ言っておく。→すでに現実的な選択肢が示されてるなかで、適当なこと言って何が上から目線だ。お前こそ相当上から物言ってるだろ。鏡をよく見ろ。
いやー…、これはダメだわ〜。。。面接で落とすわ(笑)→上から目線でご苦労様。お前がそんなこと実際の面接で言わないのと一緒で、面接では採用されるように努めるに決まってる。まあもしお前が再就職することになって俺が採用する立場なら、その言葉直接浴びせてやるよ。
「有無を言わさず年齢だけで足切りされること」を理解できていない悲劇。また「経営者目線に立てば、40の職歴なしを高待遇で雇うはずもないこと」を理解できていない悲劇。だから就職と婚活ははよせねばいかんのだ→俺なら増田でマウントかましてるようなお前雇わないね。逆にいうとお前みたいな差別主義者でも働いてる。つまり、働き口は相当広く開放されてるとすら思えるね。
は?40歳で職歴なし大学も出てないザコが「まともに働く」とかナメてんのか?お前の仕事は「まともな人間が選ばなかったまともではない仕事に就く」が精々だろ。→そうやって外国人や弱者を奴隷にして喜んでるわけね。控えめ言って消えてくれ。
ブコメが優しさで溢れている・・・→法的な明確に差別だとされてる年齢をあげつらうブコメまであるなかで良くそんなこと言えるな。お前自身が根っからの差別主義者だからそう思えるんじゃないか?
兄:38歳、男、既婚、バツイチ(前嫁との間に子どもがひとり、親権は前嫁)
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まず抱いた感想は、お嫁さん頑張ったなぁ(お嫁さんは今年で45歳で、一人目は今年で4歳)。
その次に、おめでとう。
そして最後に、兄でも子どもを育てているのに、自分は…という自責。
兄はいつも両親に迷惑を掛ける人だった。ヤンキーではないが、気分屋で頑固なクセに不器用でナイーブな扱いにくい性格。
当時高校生でアルバイトをしていた私に、「パチンコですってしまったからお金を貸してくれ」というくらいには結構ダメなやつ。
特に目的もなく一般の大学に入り、縁あって医療系のアルバイトに勤めたことがきっかけで看護師になりたいと決意し、卒業と同時に晴れて看護学生となった。
母は、「大学生のうちにやりたいことが見つかってよかったわ~」と言っていたが、本当にその通りだと深く頷いたのを覚えている。
だって、一人暮らしも3ヶ月で断念してしまう兄が普通に就職していたら、たぶん「もうやだ~辞める~」と言って退職しているだろうなと思ったからだ。
その後、留年したりなんやかんやあったので、兄が新社会人になったのは26歳のときだ。
兄はいつもそこそこ美人な恋人を連れてくるが、大体兄のワガママで長くは続かず、1年以内に別れる。
その時に結婚すると連れてきた人は、兄よりも年上で女芸人のゆりあんに似ていて、しかも少し会っただけで性格がキツイとわかるような人だった。
たかだか3ヶ月付き合っただけでなんで結婚まで?気が早すぎるのでは?と不思議に思っていたら、妊娠していると。
絶対に俺が育てる!結婚する!といって聞かないので、まぁ兄がいうなら…と両親も結婚を認めた。
が、子どもが1歳にならないうちに離婚した。というか、離婚する前から今の嫁と付き合っていた。不倫である。
そして、またできちゃった婚。なんだこいつ。
兄が大学+看護学校に行ったので、私は自分で学費を払わなければならなくなった。
大学を諦めて、奨学金とアルバイトを掛け持ちして学費を稼ぎながらデザイン系の専門学校に通い、20歳で就職すると同時に実家を出た。
給料は低かったけど、幸い好きな仕事ができる職場だったので苦ではなかった。
とにかく必死に頑張ったら、とんとん拍子に昇給し、生活も楽になった。春からは役職者だ。
私は、自分の力で生きていけるんだ、一人前の大人になれたんだ、と自信を持てるようになり嬉しかった。
しかし、そんな自信も兄にぐしゃぐしゃにされる。
たまに実家に帰ると、兄が無邪気に言ってくるのだ。
「早くお前も子ども産めよ! 兄妹同士で子ども遊ばせるの、憧れるんだよな~」
いつも自分の面倒は自分で見てきたけれど、正直いってこれ以上は無理。手一杯だ。
寧ろ、やっと余裕がでてきて、やっと好きなことができるようになったのに、なんで更にキツイ生活を送らなければならないんだろうか。
なぜ兄に合わせる必要があるんだろうか。そもそも年齢も職種も立場も違うのに。
しかも、産むときに痛い思いをするのは自分だ。そんな覚悟まだない。
でも、世間の常識からしたら兄の言う通りで、どんなに人様に迷惑を掛けないよう生きたって、子どもを産まない自分は半人前なのだろうな、と思う。
こんなことを考えてはいるが、兄は今の嫁とはうまくいっているみたいだし、姪っ子は可愛いし、生まれてくる子に罪はないので、兄の嫁やその子どもたちを恨むつもりはない。寧ろみんな好きだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/RJAOGKH5VDX9/
正義のための暴力には、快感が伴う。
かつてそのような話を聞いたことがある。
だからこそ、戦争時などの非常時には、ヒトは凄惨な行動を取れてしまうのだと。
本書が描き出すように、現代の日本社会には「自身の属する集団が悪と規定するもの」への過剰な暴力があふれている。
私自身は、幸いにもこれまでの人生で身内や親しい友人が加害者として後ろ指指されるような経験をしてきたわけではないが、本書に描かれるような、加害者家族の自宅、勤務先、友人関係までも洗いざらしにインターネット上で情報公開し、無関係の他人が加害者家族に対し、手紙、電話、自宅壁への落書きなどで誹謗中傷を行うという過剰な加害者家族叩きには寒気を覚える。
- 自宅に送られる「早く死ね」「加害者家族も同じ目に遭うべし」といった内容の段ボール数箱分の手紙
- 自宅の壁にスプレーで「人殺しの家」と落書きされる
- 家族の勤務先に匿名の嫌がらせ電話が殺到する
- 加害者の人物像を探るため加害者家族の周囲、友人を巻き込むマスコミ
- 「加害者の娘をレイプするぞ」といった趣旨のインターネットの書き込み、またそれに続くつきまとい行為
- 加害者児童の学校への「人殺しを育てた学校」との嫌がらせ電話、同じ学校に通う無関係の児童への嫌がらせ
- 家族の児童に対する学校での誹謗中傷、学校側からの転校の勧め
- 飲酒運転を起こした市役所職員の教育を問う、2000件以上の市役所への抗議
連続幼女殺害事件の加害者、宮﨑勉の周囲では、加害者の姉妹のうち一人は勤務先を退職し、婚約を解消。
いとこの二人が公務員勤務していることが週刊誌で暴露され、退職に追い込まれた。
叔父のうち2人も役員の座を退任し、別の一人は子供の姓を変えるため離婚した。
他のケースでも、加害者家族が心中に追い込まれたケースは珍しくないという。
加害者の周囲の人間は、そこまで責めを負うべき存在なのか?
どれだけのケースで、「犯罪行為に手を染める自分の家族」を完全に止めることができるのだろう?
また、自分の両親のうちいずれかと全く同じ仕事をして、同じ生活を送り、同じ人生観を抱くものが果たしてどのくらいいるのだろうか?
辺見陽は加害者の罪に対して父親が申し開きをしなければいけない現状を下記のように憂いている。
「これは、だれがさせていることなのか。世間の声を受けたマスコミが家族にやらせている。世間に強いられて家族がやらされている。これはこの国に特有な現象です・・・。私は危惧を禁じえません」
近年の日本における総犯罪件数は250万件を超えるという。
それだけ、自分が加害者家族となりえるケースも多く、言わずもがな自分が「加害者家族の隣人」となりうるケースも多いということ。
そのときに、自分は加害者家族に対する加害者にならぬよう、気を付けなければいけないと改めて考えさせられた。
※現在は、インターネット上の個人の書き込みに対しても、不確実なまま虚偽に発信した情報については、雑誌などの印刷物におけるのと同じように名誉棄損罪などが適用される最高裁判例があるとのことで、少しでもそうしたものが減るように願う。
ついこの間看護学校に進学したけど自分にはあわなかった、全然だめだった!って増田がきてたね もう消してるけど
https://anond.hatelabo.jp/20181224012535
このへん
https://charitsumo.com/interview/9259
ここに
・厚生労働省からの各病院へのブラックリストでさらし者にし、病院への補助金を減額
ってことが書いてあるが、事実。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK984DS2K98UBQU00W.html(元記事削除のため)
・看護学校の学費の代わりにその病院で一定期間働くことに対し、期間内に退職しても学費の返還は必要ないとの高裁判決
・労働基準法14条は、契約中の退職の自由が認められない契約期間の上限を3年(一部職種は5年)と定めている
・労働契約を果たさない場合の損害賠償を予定した契約を禁じる同16条
という判例がある。
そういう状況のなかで地域枠からすり抜けたに罰則を与えるのはまずいと判断したのか、病院への補助金を減らすという間接的手段で罰則を与える非常に姑息な手段が執られている。
やろうとしていることは法律上認められていないんだけど、同じことを脱法的に厚生労働省がやっちゃう。
んで、医学部地域枠問題に関して、よく言われるのが「それを理解して入学してきたのだから」という言葉。
ちがう。
これについて説明したい。
地域枠入学者の処遇について受験時・入学時には細かい説明はなく、地域枠から脱出できないという説明はない。
それどころか入試要項や奨学金の契約書などをよくみると契約が解除できる旨が記載されていたりする。
これは都道府県によって異なるが、ある県では
大学の募集要項:医師修学資金給付制度制度(奨学金)の規程により、県内で診療に従事することを確約できる
修学資金制度の規定:次のいずれかに該当するときには契約は解除される d:修学資金の貸与をうけることを辞退したとき
となっている。
地域枠から抜け出せないどころか、契約としては抜け出せるようになっているはずなのである。
そのような契約のもとで大学にはいってきた学生たちは6年生になって突然の理不尽に遭遇する。
大学から突然に、「地域枠どおりの就職をしないならば、卒業を認めない(卒業延期)処分とする」との通達がやってくるのである。
ひどい場合は、就職内定を得た後に大学からこの事実を知らされ、内定辞退をして大学病院に就職するか卒業延期かの決断を迫られたりする。
入るときには公式に認められた地域枠ルートからの出口はあったはずなのに、知らないうちに決定した非公式な慣例によりいつの間に出口はふさがれている。
「それを理解して入学してきたのだから」という言葉に対しては、こう返したい。
「そうでないことを理解して入学してきたのに、なぜそれを強制されないといけないのか」
ちなみに、理不尽に対しての意見を述べると、「大学に恩はないのか」「医師の育成には1億円かかっているのに」「たとえ実際にそういう規程であってもモラルとしてダメだ」「認められない」「納得できないなら退学すればよい」等々のわけのわからない暴言を一教授レベルではなく教授会レベルから滔々と説教される。
https://anond.hatelabo.jp/20180709055614
の続き
ダニエル F.チャンブリス著、浅野祐子訳「ケアの向こう側 看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾」
この本は、病院でフィールドワークを行い患者や医療者に起こっていることを目の当たりにしたことをもとに書かれています。目的は「ナースが日常業務の中で倫理的問題をどのように捉え、対処しているかを、詳細に、かつ弁護できる程度の一般化をもって記述すること」です。
第1章は、「ナースの世界、すなわち病院は、一般社会とは全く異なる道徳システムを持っている。病院では悪人でなく善良な人がナイフを持ち、人を切り裂いている。そこでは善人が、人に針を刺し、肛門や膣に指を入れ、尿道に管を入れ、赤ん坊の頭皮に針を刺す。また、善人が泣き叫ぶ熱傷者の死んだ皮膚をはがし、初対面の人に服を脱ぐよう命令する」といった衝撃的な言葉で始まり、「一般人にとって身の毛のよだつ残酷物語もここでは専門家の商売なのだ」と続いています。
確かに病院は一般の生活とは異なる独特の世界があります。しかし次第にそれが普通のこととして「日常化」され、業務は「ルーチン化」されていきます。チャンブリスはこの「ルーチン化」とともにナースの感情は平坦化し、そこで生じる出来事に対する感受性も失われていくと述べています。患者さえもそのルーチン化に含まれていきます。患者は人としてではなく、一つのケースとしてしか認識されないようになるのです。その結果、ナースは患者に生じる多くの倫理的問題、道徳的問題を認知しなくなっていくのだと分析します。
しかし、倫理的問題こそナースが積極的に関っていくべき必要があるはずです。なぜなら、ナースは患者を擁護する立場にあるからです。アメリカでも、アメリカ看護師協会(American Nurses Association )による「看護師の倫理綱領( Code of Ethics for Nurses)」にそのことが明記されています。
こういった事実を知っているかどうかで、未来は大きく違ってくるはずです。まずは、女性だから、看護師だから、そういった犯行は起きない、という偏見・先入観を捨てる必要があります。
それどころか、むしろ看護師という職にある限り、必然的にモラル・倫理的に気が付けば滅茶苦茶な様態になる職だと認識し強く自覚し、教育をしていくことが必要です。
根源的には人類共通の「死と病への畏れ」があり、日本においても仏教思想的な浄・不浄・穢れの概念から、科学が発達していない時代に、やはり皮膚・血や体液・死を取り扱う医師、助産師、看護師、洗濯、理髪は賤業と見なされていた。(ヨーロッパでも同様に血を扱う理髪師兼外科医)
それゆえ、日本の近代的な専門職としての看護の始まりにおいては、やはりナイチンゲールの「白衣の天使」というイメージを輸入し、キリスト教徒の信心深い修道女の禁欲規律使命献身と清純のイメージを全面に打ち出し、「聖**看護学校」「聖**病院」「**マリア病院」、はたまた教会の修道女の誓い(神との結婚つまり禁欲貞操の誓い)を真似た宣誓と戴帽式といった、実際には看護師はキリスト教徒でもなく修道女でもないのにも関わらずそのイメージを一般大衆に植えつけ印象付けてきた。
中身と行動が伴っていない虚飾はまったくの茶番。
問題なのは、日本の看護はその上っ面のイメージと形式だけを輸入し、本質的な使命と人間性の道徳教育や倫理観を輸入し損ねたことだ。欧米文化圏では文化的に刷り込まれているキリスト教的道徳価値観倫理観すらも持ち合わせていない日本で。。。
そもそも現代日本の看護教育は、戦時中の軍隊式日本赤十字の従軍看護婦養成の伝統をそのまま引き継いできてしまったものだ。
日本では戦後長らく,看護学研究に関する倫理の問題はおろか,「看護倫理」一般についての空白期が1980年代初頭まで続いた.かつて日本の看護師には,清楚さ,奉仕的精神,医師への従順さ,組織への忠誠,規律と秩序の維持等の,専ら内面的な美徳を備えた者であることが期待され,それに応答することが看護倫理であった.しかし,戦後民主主義が浸透し,経済的に豊かになる中で,過去の看護師像に対する強い反発と反動が日本の看護界に広まり,抑圧された過去の看護師像を想起させる「看護倫理」そのものが敬遠されたことが,この空白の背景にあるといわれる.その結果,米国では1960年代からすでに看護学研究に伴う倫理的課題に対する積極的応答が看護界全体においてみられたのに比して,日本の看護界における対応は1980年代中頃になるまでほとんど皆無であった.
この時期(1951-1966 年)の看護倫理に関する教育内容は、「ナイチンゲール誓詞」などの倫理規定のほか、看護師にとっての礼儀・作法、心構え、守秘義務、対人関係など、戦前の流れを引き継ぎ美徳中心であったとされる。
1967 年の指定規則の改正では、看護学が基礎科目と専門科目に分けられて体系化がはかられる一方で、「看護倫理」という独立した科目は削除された・・・
この時期(1967-1988 年)には、1967 年のカリキュラム改正前の看護倫理は、看護婦としての心構えや人類愛、使命感、奉仕などの精神性で貫かれており・・・
1989 年に指定規則が改正されたが、このとき看護倫理を「看護概論」の中に含むという「注」も削除された。これによって、看護倫理に関する記述は指定規則から全く無くなり・・・
1996 年の指定規則の改正でも、看護倫理に関して独立した科目は設けられていない・・・
2002 年に出された文科省看護基礎教育の在り方に関する検討会報告「大学における看護実践能力の育成の充実に向けて」(文部科学省, 2002)の中では、人間尊重・擁護の方法について「看護職者は、対象者が治療及びケアを受ける過程で遭遇する具体的な場面で、常に、その人の尊厳と権利を擁護する立場で行動できることが不可欠である」と述べられている。また、その教育方法についても「学生自身がその意味に深い関心を持ち、看護職者が対象者の権利擁護者として機能することの意義を追求できるよう、具体的な看護事象を用いた演習を組むなど、学生同士の討論や患者などの対象者などから学ぶ方法を採用することが大切である」とされている。さらに、人間尊重について「対象者の立場に立つこと、個人の文化背景・価値・信条の理解、意思決定に必要な情報の提供、自己決定権、人間としての尊厳・人権尊重、インフォームド・コンセントの実践と支援、プライバシーの保護と個人情報の取り扱い、セカンドオピニオンの意義などについて」と具体的に言及し(た)
プライバシー尊重とか超超基本的な倫理についてやっとここ数年になって看護教育の課程に組み込まれただけ、以前は全くありませんでしたとか、冗談かよ、な状態。
恐ろしいことに、本来あったり前の守秘義務でさえ、看護師においてはほんの10数年前まで存在してなかったというお粗末さ。
秘密の保持に関する保助看法上の条文は法 制定当時にはなかったが、平成 13 年(2001) の法律第 87 号で第 42 条の 2 として新たに追加されたものである。
今の30代以上の看護婦世代…そしてそういう世代から教わる今の看護師達。
ところが,我が国には,このような基本的人権である患者の権利を定めた法律がない。
そのような中で,今日,我が国の医療は様々な場面において多くの重大な課題を抱え,患者の権利が十分に保障されていない状況にある。
...
ところが,いまだ,患者の権利に関する法律は制定されていない。
...
日本医師会生命倫理懇談会による1990 年の「説明と同意」についての報告も,こうした流れを受けたものではあるが,「説明と同意」という訳語は,インフォームド・コンセントの理念を正しく伝えず,むしろ従来型のパターナリズムを温存させるものであるとの批判を受けた。
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/organization/data/54th_keynote_report3_1.pdf
「看護師=モラル高い人達」という幼稚な幻想や、看護師が何か問題を起こせば「環境による被害者」という風潮を、周囲やメディアも含めて、煽り過ぎている現状があります。
今日の日本では、医療現場のみならず、世間一般の中にも無知が蔓延し、患者の当然の権利を「モンスター患者」の一言で黙殺しようとする風潮がある、とまで言える。
続く
ワイ医学部6年生。男。
卒業したらハイパー病院にいってハイパー訓練して、そのあともハイパー多忙外科にいってハイパードクターになるんだ。
でもねだけどね、春に彼女にフラれた。今は暇。今が暇。暇で死にそう。彼女ほしい。今ほしい。
マッチングアプリ始めた。おおい、27歳以下ログイン最終ログイン2週間以内が200人以下しかいないやないか!。しかも看護師か高卒ばっかり。
いやそりゃそうか、このへん大学ないわ。看護学校ぐらいしかないわ。
えー。
看護師はなぁ・・・。なんだかんだで知り合いの知り合いぐらいはいそうだし、ていうか同じアパートの看護師みつけちゃったし、大学でマッチングアプリなんかやってるってバレたらめっちゃ噂んなりそうやん・・・。
ワイの春は・・・。ワイの春はいつくるねん・・・。
都会にいっとけばよかったぁぁぁぁ