はてなキーワード: 無双とは
ましてや、いい大人が時間を割いて学んだり、勝負するのは社会の害。
金を回すわけでもない、将棋の発展に寄与するわけでもない、生産性のかけらもない。
一日20分やると、年間5日分ゴミに捨ててる計算になる。そんな将棋を、まともな人間はやり続けたりしない。
追記3
素人将棋はゴミのような文化だと思うんだけどさ、持ち上げられすぎでしょ。
将棋のための戦法や定石を学んで強くなることは知的でもなんでもない。
数手先を読む、大局観、忍耐、それはスポーツや音楽など身体の鍛錬や交流、社会貢献につながるものでも身につくよね?
じゃあそっちやりゃいいじゃん。
素人で将棋をやってる連中って、コミュニケーションもろくに取れない、人生の時間をムダにしても気にならない、他の選択肢と比較せずただなんとなく惰性でダラダラとやってしまう、そのくせ知的だと勘違いしてるバカが多いよね。
以下ブコメへの反応
追記1
相手の嫌がることが分かるとわざわざ嫌がることをやるの区別がついてないバカがたくさんいてウケる
ゲーム脳とか言ってるバカがいるけどゲーム脳の本来の意味調べてこいマヌケ
瞑想を連呼して個人の環境や事情を切り捨て、メンヘラというスティグマ貼りして他人を貶めることを楽しむクズが言えるセリフじゃないなw
少なくとも議論する気もないレッテル貼りのクズに生産性云々指摘する資格はないだろw
追記2
他のスポーツや娯楽は身体や知性、教養としての交流にプラスになるけど、将棋の大局観だの転じようがないからなw
ましてや基本的な攻め方を記憶すればある程度無双できる知識自慢の要素も強いし
それと将棋のせいでクズになっただの将棋に負けただのレッテル貼りしかできないバカって自分のコメント見て恥ずかしくなったりしないのかな
バカの集まりにいると自分がバカだと気付かなくて済むから安心してコメントしちゃうんだろうなw
「相手が嫌がるから、弱点や隙を突くのは禁止」なんて誰も言ってないのに勝手に理屈組み立てるバカは頭悪すぎでしょw
嫌がらせを志向するクズが増えるという話をしているのに、その事実で傷ついたからってオマエの発言も嫌がらせだ!!って典型的な繊細チンピラw
魔王ってもっと強大で邪悪で圧倒的で手も足も出ない存在だったじゃないか。
最近は可愛い女の子や幼女が魔王で、何も出来ないし泣き虫だし構ってちゃんだし主人公が手助けするとコロッと惚れるチョロインだし。
もしくは魔王だけど魔王としての性能は皆無でお飾り的存在というのもある。
主人公が魔王のパターンもあるけどこれもあくまで等身大の少年や青年でしかない。
読者は、何時の世も虐げられてきた魔王および魔王軍=現在の自分の境遇、と重ねあわせているのかもしれない。
だがちょっとまって欲しい。
魔王は僕達にとって超えなければならない壁、試練だったじゃないか。
神社の敷居のように容易く乗り越えてどうする。
僕はね、読みたいんですよ。
今のはメラゾーマではない、メラだ、って言っちゃう舐めプ魔王を。
今に第二、第三の魔王が来るよって保険かけるような魔王はいらない。
転生して無双しようとしたけど返り討ちにあって隠居して魔王怖いとか呟く主人公でいい。
それでこそ魔王
「子供は欲しいか欲しくないか」
「住むところはどうしたいか」などの事柄について話題にしていたところ、
「まだよくわからないので普通にお付き合いしてみたい」という、アラサー婚活らしからぬふわっとした返答を得たため、話の流れで映画に行く事になった。
言いたいことは至極もっともで解るんだけどな。お互い時間のない社会人同士が用件があって顔付き合わせて時間使ってるんだし、空気読んでガツガツしててくれたらなあ…楽なのに。
とは言え映画に興味もない。以前に見た映画は『アバター』で数年前、それもまた別の見合い相手とだった。
彼女もあまり映画に興味もなさそうだったが、こちらの方が年上で婚活歴も上という事もあるから、無理にでもテンションを上げ「じゃ上映作品を調べておきますね」とサービスサービス。
仕事中のヒマな時間にネットで上映館と作品を探してメールする。
ど田舎の婚活はこういう時本当に大変だ。双方ともに上映館まで車で一時間半、私と彼女の距離も車で一時間。
現地集合で待ち合わせとなったが家を出る時間が出勤時間と変わらない。せっかくの少ない休日はもう少し寝過ごしたいものなのだが、そもそもそういう事を言い出すのであれば婚活自体がたいへん時間にも財布にも負担となっている事実が浮上してしまうのでやめておく。
女性の維持費は時間とお金と神経。そんなことくらい若い頃から解っていたけど、仕事という負荷がかかる状況下でその維持費を払い続けていくのは本当に大変だ。既婚者は皆偉いと思う。
若い頃は欲が溢れているからどうって事もなくそのハードルもクリアできるんだろうけど、年を取ると欲も薄れてくるので行動理由やモチベーションがなかなか出ない。
当然自分もではあるが、相手もまたかなり早い時間帯に家を出る事になるだろうと推測したので、映画待ちの時間にでも食べるかなと思ってお弁当を二人分作る。
早起きしてプレイしていた発売二日目の『龍が如く極』を止め、OP曲を流しっぱなしにして稲葉の歌声を背中で聞きながらお弁当を作る。
卵焼き、ウインナー、ミートボール、炒り卵とモヤシ炒め、ゆで卵という鉄板メニュー。ご飯は米が古いせいかあまり綺麗に炊けなかったので、ノリ巻きの俵むすびにしてごまかす。
卵焼きとか生まれて初めて作ったんだが意外に上手くできたので驚いた。そう言えば実家でも出てきた事ないな。
職場に持っていく弁当と比べると、全体的に薄味の弁当に仕上がった気がした。というか人の為にお弁当とか初めて作ったな、と完成してから気づく。くだらないロストバージン。
集合時間が早く、ジャスコの開店時間と同時刻だった。今はイオンか。
動かない自動ドアの前で他の客達と一緒に寒さにガタガタ震えながら待つ。
ようやく開場したので映画館に一番乗りするが彼女の姿はなし。待ち合わせ時刻を三分過ぎてからメール。遅れるとの旨。
おいおい、とも思うが、あまり気合いが入っていないようなので安心する部分もある。まあこちらも久々の休日、肩の力を抜いて映画見たい。
五〜六分くらい過ぎてから現れたが「すみません」程度で大仰な謝罪もない。まあこの辺りは長く勤めてきた職場の違いとかもあるだろうとスルー。後でわかったが大仰な謝罪は空気を壊すと思ってるタイプのようだ。
彼女の分の弁当を持ってきてたのでお腹空いてるかどうか訊ねると「家で食べてきました」との返答。
アラサーの子が三人とも地元就職して全員独身で家に居るので親がごはん作ってくれるらしい。まあ俺も実家のごはんは好きだ。自分より母の方が料理うまいし、生まれた時から食べてる味だし。
映画を決める為に上映作品のリストを眺めるが、やはりお互いあまり映画に興味がないので決めようがない。
決めてくれみたいな感じだったので当初話していたスターウォーズにしておいた。映画好きじゃない人がどの映画見たって毒にも薬にもならないが、大作はまあ外れがない。
ただしお互いストーリーもよくわからん。作品の前後関係もよくわからん。
まるで「聖書の研究会に途中から参加します」みたいな神妙な変な雰囲気になったまま、時間待ちにカフェでお茶を飲む。
本の話題でまあまあ盛り上がる。有川浩はそんなに好きなタイプの作家でもないが一応だいたいは読んでる。彼女は本を揃えているらしい。
私ももちろん読書は好きで年間大量の書籍を読むけど、他人の蔵書を尋ねる事にはものすごく興味がないという事に気づいたが、頑張って質問する。
お互い手探りみたいなぎこちないキャッチボールを続けているうちに上映時間が近づいたのでホッとしてシアターへ。
うわ、隣の座席座ってシアター暗くなったら速攻で足組んだぞこの人、と気づいたが、よく考えてみたら逆にイイなと思った。
肝心の映画はなんか全体的にストームトルーパーの中の人が弱いのに無双しようとしまくる感じのお話だったが、映像作品としては全く退屈しない二時間半だった。
だがストーリー展開が続きものだけに、加えて前後のお話もよく知らないので、映画の感想とか話をするのが難しかった。
ああなんかすごかったですね、でもお話がよくわからなかったですね、みたいなふわふわした会話をするだけで終わった。一人千八百円。二時間半。
まあこういう時間と金の無駄遣いも休日らしくていいか。見合いらしいかどうかはさておき。
弁当を気にしてくれたのか、フードコートへ持って行って食べようと提案してくれる。
えええフードコートで俺の手作り弁当食べんのかよ、と抵抗を感じたが他にないので仕方ない。
当初弁当を食べようと予定していた猫だらけの公園は、どうも雪が降ってきたためムリのようだ。
割と周囲の視線が痛い。そらそうだ。自作弁当食ってんだからなあ…。
弁当入れにカイロを仕込んでおいたのだがなぜか機能せず、弁当が冷えている。なぜだ。
二人で冷たい弁当を食べる。冷たくなっても食べられるのがお弁当ですよ、とフォローが入った。
食後もぽつぽつと会話。
と、ここで休日ながら俺の仕事(副業)が午後に入っていた為ここでお開き。
・スーツで来るなら上着着ろ
・あまり謝るな
職業柄あまり上着を着ない事が多くそのまま来ていたのだが、向こうの職場は上着必須らしく受け入れがたいとの事。
あまり謝られると居心地が悪いとの事。話題がないし向こうもあまり話さないから機嫌伺いくらいこまめにしているだけなんだがな。
というかこちらがダメ出しの一つもしないのに向こうがあれこれダメ出しするのかよ、とは思ったが要望と捉えて受け取っておく。
うーん、まあ、こんなもんか。世の既婚者たちは本当に偉いと思う。
3強 小松菜(Ashemu)、下痢(p†p)、三闘神(quell, Bad Maniacs, MENDES)
———————— 連奏ゲームへの壁 —————————
地力A 修正(mosaic)、秘伝のタレ(Secret Tale)、更新(fffff)
個人差A 田中くん(four pieces of heaven)、バーロー(ubertreffen)、⑨(Dances with snow fairies)
————————— 未確9の壁 ——————————
地力B BDMN(Bad Maniacs)、PLDN(PLEASE DON’T GO)、MTYH(Music to your head)、ヨロロ(MAX 300)、マメガ(Mermaid girl)、
同窓会(reunion)、火門(come on)、穴子(R5)、野菜(Y31)、韓国(衰色小町メランコリア)、紅鮭(Red. by Full Metal Jacket)、鯖(PARANOIA Survivor MAX)、将棋(GOLDEN CROSS)、
個人差B ホホナデール(Leaving…)、うどんげ(MOON RACE)、〆(Xepher)、やらないか(tant pis pour toi)、鎮圧七奴隷(quell)、セワンジェ(session 1-genesis-)、
——————– まずはよく見る略称に挑戦の壁 ———————–
当て字C 耳(era)、竹(take it easy)、麺(MENDES)、炎(FIRE FIRE)、羽(VANESSA)、修羅(schlagwerk)、愛社員(LOVESHINE)、
愛無双(I’m So Happy)、溺死(DXY!)、時津風(Time to Air)、黒白複眼(3y3s)
直訳C 金角(golden horn)、青雨(bluerain)、雪嵐(snow storm)、桜嵐(sakura storm)、色(colors)、明日香(tomorrow perfume)、
白壁(Innocent Walls)、猿踊(Monkey Dance)、仕組(太陽/世界/生活)(Programmed Sun/World/Life)、
失楽園(PARADISE LOST, p†p, BROKEN EDEN)、蛇棒(Snake Stick)、冷凍光線(Frozen Ray)、息(Breath)、禁欲(stoic)、
十三(No.13)、虹虹(rainbow rainbow)、雷(thunder)、十二式(twelfth style)、偽時間(FAKETIME)、雪雁(snow goose)、
————————- 押さえておきたい基本系 ————————-
ぼっちでクソみたいな話題で吐き出す場所がないからROMしていた増田ではじめて書く。
俺はゲームが好きだ。
人生ゲームとか格闘ゲームみたいに優劣がつくのも面白いけど、みんなでクリアを目指して難しいミッションを達成するゲームが好きだ。
そして協力プレイが楽しいスマホゲーの白猫プロジェクトにハマった。
以前は協力募集のアプリなどを使えば簡単に縛りプレイでも募集ができた。
他にも神気前のダグラス+ウッドソードで魔障に挑戦したり、ブリキ職被りなしで墓標にチャレンジしたりするのは興奮した。
縛りプレイをする人は決して多いわけではないから、縛り募集をすると同じ人とプレイすることもたまにあって、絶妙なコンビネーションでクリアできたときは数分はニヤけたりする。
ハンターハンターでビンビンになったヒソカの気持ちがわかる瞬間だ。
知らない人とインターネットを通じて、ロクにコミュニケーションもとっていないのに、こういう体験ができるのは凄い。
でも今の協力プレイは楽しくない。
ランダムマッチングという簡単にユーザー募集ができる機能が協力の世界を変えてしまった。
今までは掲示板なり、アプリなり、TwitterやLINEのコミュニティ(?)なりで番号を見つけた人に協力クエストに参加してもらう必要があった。
それがボタン一つで協力に参加できるようになった。
今までは電話するのに電話交換手が必要だったのに、それが要らなくなったようなものだ。
このイノベーションによって、協力募集アプリと掲示板に過疎化した。
ランダムマッチングでは強いキャラで無双した人や弱いキャラで無双したい人など様々で以前の遊び方は到底できない。
出来る時もあるけどとても稀でそれをもとめてランダムマッチングをするのは馬鹿げている。
今のCMでは友達とやる楽しさを謳っているが、匿名での繋がりを失った自分はあれをみると悲しい。
こういうことを書けば、友達やTwitterや募集掲示板とかで縛り募集をすればいいじゃないかと思うポジティブで行動的なアドバイスをする人がでるだろう。
悪いが俺には友達もいなければ、Twitterで慣れ合う気力もない。
Twitterは頑張ったんだけど無理だった。あとLINEは未知の領域だ。
募集掲示板やアプリはもう過疎がすごい。賑わっている場所があったら教えてほしい。ほんと。
最近ニコ生で縛りプレイ放送をする人がいるのを知って運良く放送がされているときは参加したりする。
でもパソコンでニコ生を見ながらじゃないと縛りができないのはもどかしい。
白猫プロジェクトは公式ツイッターは70万人がフォローしている巨大なプロジェクトだ。
今の協力は多くのステージがあって、色んな縛りで挑戦すると凄い面白さがあるのはやらないでもわかる。
最高難易度はわからないが、かなり弱いキャラでもプレイヤーの腕次第でクリアできてしまうのが白猫の良さの一つだ。
それなのに、それを気軽に楽しむことができないのが凄くもったいない。
一生懸命開発者が作った協力ステージも、強キャラによって蹂躙されるのがほとんどなんてもったいない。
協力なのに狩る敵を奪い合う展開になることも多々ある。
戦国無双みたいな敵をバッタバッタなぎ倒していくが好きな人には楽しめるゲームなんだろう。
ああ、白猫プロジェクト。
六つ子の長男「おそ松」の無邪気で傍若無人なところ、ナチュラルなスクールカースト上位者という感じがする。
公立の小中学校って、こういう性格の男子が無双してない?このネアカで強引でサイコパシーな感じ。
「俺、お前のことスゲー面白いヤツだって思ってるんだよ?」「好きだから構ってやってんだよ?」というノリで、
傍から見るとイジメみたいな待遇で人を扱ってそう。同級生に居たら超怖いやつ。
人に優しくしてみる時もあるけど、俺ルール俺基準で優しくする。飽きるときもスッと飽きる。
人にどう思われるか全く気にならない、徹底的な「自分の気持ちに正直」というやつで、その真っ直ぐなナチュラルさが怖いとすら思う。
というかおそ松兄さんぽい知人がひとり居て、モテるけど誰とも真面目に付き合ったことがない。
おそ松兄さんの性格がタイプだという女性、不幸フラグ立ってる気がする。
末っ子のトド松もスクールカースト高そうだけど、こっちはナチュラルじゃない。カースト上位者に必要な要素を狙って集めてる。
チョロ松と一松にもカーストが見えていて、トド松のように上位を狙う意欲が無くて「ケッ」となってる感じがする。
カースト自体が見えて無さそうなおそ松兄さんとは根本的に違うなと思う。
カースト見えてない:おそ松、カラ松、十四松
という感じ。
今はおそ松兄さんが「六つ子全員ニートでいいじゃん」という空気を作っているから、チョロ松が何と言おうとそういう空気だけど、
おそ松兄さんが「俺らもう26だぜ?」とか言い出したら、マジで就職しなきゃなという空気になりそうな気がする。
それまで「寂しいから」と弟の自立を阻んでおいて、自分が「就職っぽい気分」になったらしれっと就職するような、
自分の発言を自分で忘れている系の、天然で無茶苦茶な人の匂いがおそ松兄さんからはするわ。
作中でカラ松がサイコパスって言われたけど、おそ松兄さんの方がサイコパス感強い。
カラ松単体にカースト上位感は無いなあ。
おそ松兄さんは人の名前をよく呼ぶけど、カラ松は人に呼び掛けることが少なく、「逆ナン待ち」とか、コミュニケーションが結構受け身。
ウィンドの音を聞いてる俺、スカイの香りを嗅いでいる俺、サンシャインを浴びている俺。とにかく俺。話しかけてもらうために派手な服装をする俺。
兄弟の中でも根がビビリなほうとして描かれてるし、承認欲求が強いところも、学校みたいな同年代の集まる場ではナメられそう。
受け身の人って騙されやすくもある。ぼったくりバーの話や、「生パンティ付きのエロ本」を買ってたこと、あれも騙されやすさだよね。
兄弟を攻撃するようなことを決して言わないし、性格が温厚なんだと思う。
自分の中に悪意が少ないから、人から露骨に馬鹿にされたとしてもそれを馬鹿にされたと感じなくて、結果としてダメージを受けにくい。
チョロ松はイヤ代の回で「一軍の人来ちゃった」と感想持ったあたり、スクールカーストがっつり把握してそう。
兄弟の中では暴言吐きまくるけど、外では品行方正な、プライド高い内弁慶って感じ。
「こうありたい自分」のイメージと現実の自分とのギャップが大きくて、ストレス値高そう。
作中でもツイッターやってる描写があるし、インターネットに居る男という感じがすごくする。
自意識グラグラ感あるから、おそ松によくイジられるのもわかる。トド松のこと妬んでそう。
一松はお笑いが好きそう。お笑いに詳しい根暗という感じがする。そういう男子居たじゃん。
もともと真面目で人目を気にして消耗しがちなタイプだったのが、江頭2:50的な破天荒芸に救われて、脱糞とか下半身芸に突っ走ってる感じ。
Mr.ビーンの人って実は理学修士だけど、あの人にちょっと似てて「頭が良いけど顔芸ヨゴレ芸をすすんでやる」みたいな印象ある。
でも脱糞芸みたいなのって、やりすぎで、普通の女子は引くじゃないですか。
可愛いまともな女子ほど「明るいスポーツマンがおちゃらけてみせる」みたいな、眠てぇノリに笑うじゃないですか。
そういうのをくだらねーと思ってて、不謹慎な笑いでもOKとされるお笑い芸人っぽいホモソーシャルなノリが好きなんだと思う。
外の世界の方がオシャレで健康的で快適と感じてるトド松とは逆で、一松は松野家の兄弟ホモソーシャルノリが居心地が良さそう。
トド松が「こういうオシャレでまともな可愛い子と付き合いたい」って感じるような女子のことが一松は苦手そう。
でもこじらせ女も面倒だから、女全般が苦手そうなんだよね。公式でケモナーなのも納得感ある。
十四松はちょっとよくわからない。いじめられていた説もピンとこない。なんかスゲエ奴としてカーストの外側に生きてた気がする。
チョロ松とトド松がスクールカーストについて話す回とか無いかなあ。
トド松の10年後とかもすごい見たい。要領が良くて行動力もあるから、家を出て何かやってそうで気になる。
明らかに、社会性によって優劣が決まっているらしい。
なぜかその当たりは、学校の共同生活とかで空気を読むことになっている。
その人が所属する社会ごとに勝ち方が違うから、学校っていうある程度学力で分類された中で判断してくれってことで。
トレーニングの場は与えられたけど、鍛えるかどうかは任せた的な。
でも多分、色々な教育制度があった中での妥協がこの当たりなんだろうね。
これからずれるほど、意外と難しいのかもしれない。
じゃあ、自分の社会の中で、学ぶ能力ってのはどこから来るのか。
その社会でうまくいってる人をパクれるようにするとかか。あるいは目鼻利かせてコミュニティを操作する側にまわれるのか。
その当たりは先天的な知能とかにもよるんだろうか。
底辺コミュニティーでは、暴力や見た目が最上位で形成される食物連鎖かもしれない。
上位コミュニティーでは、積み上げた社会的な実績や地位で形成される社会かもいしれない。
俺は、どーも、下位~中位コミュニティの地域で生まれ育って、現在上位コミュニティに居るから、その当たりの感覚が違うのかもしれない。
どーも。俺は見た目に対する劣等感が強いが、勝ってる奴らってブサメンばっかりなんだな。
あるいは、最上位コミュニティでは見た目がいい奴が上り詰めているのかもしれないが。
少なくとも、医者レベルの上位コミュニティではブサメンが勝ちまくっている。
底辺コミュニティでは、イケメンと暴力厨、メイクでもなんでもいいから可愛い女が勝っていたと思う。
しかし、歳とると、女のメイクも理解してしまって。メイクを抜いた顔とかが容易に想像できてしまい、底辺コミュニティでのかわいいアピールは、え?ってなってしまう。
じゃあ、素材でかわいい女っていうと。そういう女は、上位コミュニティに食い物にされてるイメージがある。下位コミュニティでの無双を捨てて、脱出したいってことなんかな。
その当たりを思うと、俺のこの見た目に対する劣等感ってなんだろうって感じる。見た目で勝てるコミュニティーはトウに超しているわけだから、劣等感の意味が無い。
今俺のコミュニティで俺に求められてるのは、
1番は、能力。まだ若いため、そこまで地位や収入は求められていない。
2番は、人間性。他人に迷惑をかけず、自然にメリットを与えられるようなそういうコンビ二商品みたいな陶冶が大切らしい。
3番目は、清潔感。綺麗な服をシンプルに着るってか、ストレスない見た目を求められている。BMIも、25くらいには成ってないとな。
だが、次のコミュニティに行くころには、この順番もかわる。
このあたりになっていく。
運動神経が鈍くて、こういう対戦ゲームで強かったためしがない。
腕前はS,A,B,Cとランク付けされるんだけど、ゲームを始めたころCランクでも全然勝てなくて、ランク付けとは関係ない試合(レギュラーマッチ)でばかり遊んでた。
でもレギュラーマッチでも、とんでもなく強い人と当たることがあって、これならランク付けのあるガチバトルで遊んだほうが同じくらいの人と遊べるんじゃねって思ってやってみたら、いつの間にかうまくなっていてCやBではほぼ無双状態。
あっというまにAまで行ってしまった。
こんなゲームが下手な俺でも毎日一時間以上もやってたらうまくなるもんだって感動した。
この時間をゲームでなくて英語とか有意義にことに使ってたら人生変わったかなという気もしないでもないけど、たぶん有意義なことなんでできないだろうな。
最近のラノベでも最近のアニメでも最近の漫画でもいいですが、この手の批判(?)をネット上ではよく目にします。
「最近のラノベはいじめられっ子の中高生が自己投影して楽しめるように初めから一切努力せず異世界とか行って無双するものしかない」みたいなのね。
1.フィクションに自己投影して楽しむのが悪いかのように言っている
全く悪くありません。フィクションの楽しみ方は人それぞれです。
全くいないとは言いませんし聞いたわけじゃないので完全に想像なんですが。理由は3に絡めて語ります。
3.フィクションに自己投影するのが「楽」で「弱い」楽しみ方だと思われている
これは1の「悪いとされる理由」にも関わるでしょう。
別に楽で弱くても全然悪くはないし、悪いと見做す態度こそ悪しきマッチョ主義だと思うのですが、そもそも「楽」というのに大きな誤りがあります。フィクションに自己投影して楽しむというのはなかなかできることではありません。
物語を描く上で「共感を得られるキャラクター作り」は極めて重要だと言われます。
たとえ現実離れしたキャラクターであっても、何かしら弱点を設定するとか、普通の人間にも通じる悩みを抱えているとか。
これは現実でもそうですが、人は他者を見るとき、相手が自分と重なる部分があると思うからこそ、「自分だったら」という感情が働き、相手の内面を想像しようとするのだと思います。
そういった意味では誰もが現実非現実を問わず他者に「自己投影」しているのでしょうが、一般に言われる「自己投影」は相手を自分の分身と捉えることだと思います。
しかし、そんなことがそう簡単にできるでしょうか。
「ラノベ主人公はオタク中高生が自己投影できるように無個性な『普通の高校生』に設定されている」とか、その逆に「自己投影して楽しめるように最初から最強で一度も負けない主人公しか受けない」とか言われます。
前者に関しては、「共感」しやすいように平凡な造形にしている面はあると思います。しかし、読者/視聴者が同一視できるほど彼らは無個性でしょうか。
後者のキリトや司波達也はもちろん、前者に分類されそうなキョンも折木奉太郎も阿良々木暦も高坂京介も、自分が見た限りはっきりと人間性を描写されています。
人間としてのディティールが細かくなればなるほど、当然に読者と「違う」部分は増えていくでしょう。彼らは自分なら言わないことを言い、しないことをします。明らかに彼らは自分じゃありません。
また、多くの作品では主人公はもちろんその仲間たち、敵に至ってもそれなりに共感できる部分を描かれています。作品世界で主人公だけが共感できる対象ではないのです。
こうした状態で自己投影ができるなら、それは(皮肉でなく)稀有な才能と言えると思います。
また、自己投影したとして安楽に無双やヒロインたちに愛される快楽が得られるかというと、これもそうとは思えません。
私は自己投影してプレイしたことのあるゲームがあります。艦これやデレマス(音ゲーじゃなく、最初の「モバマス」と呼ばれていた方)などで、あれらの作品ではPCの人間性がほとんど描かれていません。
プレイヤーが彼らを「自分の分身」として操り楽しむためだと思います。
キャラクターの中には提督やプロデューサー(=私)にとりわけ強い好意を向けてくる子がいます。その結果、私は幸せになれたかと言うと、そうでもないです。むしろ愛されることに変な罪悪感があるのです。
「俺なんかのことを愛さないでくれ」「俺はお前の仲間をよその事務所に売却したし、中破した状態で進撃してお前の仲間を轟沈させているんだ。そもそも鼻くそほじってアニメ見ながらプレイしてる」「俺に愛される資格なんかないんだ」
というような。
私がガチ勢で決してキャラクターを犠牲にしないプレイをしていたなら、女の子に愛されてもまだマシだったかも知れませんが。
(個人的に、自己投影して気楽に楽しめるゲームとはPCの人間性が描かれないのに加え、NPCがPCに対して一切人格面での好意を向けず、ゲーム中での成果についても過大に讃えたりしてこない作品だと思います)
つまり、自己投影というのは主人公のキャラを立てざるを得ない多くの小説や漫画、アニメといった作品では難しく、仮にできたとしても批判者が考えているような「楽して無双やハーレムの快楽を享受できる作品消費」ではないのです。
なんというか、「正しい楽しみ方なんてない」と言いましたけど、結局、大抵の人の楽しみ方ってそんなに多様なものではないと思うんですよね。個々の作品への好みはあるでしょうけど、オタク中高生が異世界でチーレムする作品を愛好する中高生も、筋肉もりもりマッチョマンな歴戦のオッサンが泥臭く戦う話を好む(自称も含む)オッサンも、多分同じような楽しみ方をしてますよ。前者が後者を楽しむことも、もちろんその逆も普通にあるだろうしね。
人間だから、好みが正反対の人間でも重なる部分があったり、すごく気の合う人間ともわかり合えない部分があったり、自己投影という鑑賞姿勢を批判する人はそういった認識が欠けてるんじゃないでしょうか。
elonaをかなり久しぶりにやろうとしたら願い部屋が使えなくなってた。
vipのelonaスレのお兄ちゃんに「願い部屋ってもう使えない?」って聞いたら「願い部屋は知らんが無双プレイしたいならこれあげる」と引き継ぎ用遺伝子をもらった。
形見の鞄開けてびっくり。願いの杖4000本以上、グレネ&属性ダメこんもりの生き武器、耐性こんもりの生き小石、何十冊もの収穫の魔法書…。
どんだけ時間かけたんだよお兄ちゃん。すごい。
というわけでMMAで無双プレイしたい人はお兄ちゃんの遺伝子を引き継いで使おう。
遺伝子はこれ。
http://www.elonaup.x0.com/src/up15290.zip
saveフォルダにsave_引き継ぎを入れて冒険者の引き継ぎで開始。
omake_MMAはomakeと互換性があるのでMMAでキャラ作ってからomake最新版や他のomake系列のヴァリアントに移っても多分大丈夫。
放送中のアニメ「ハッカドール THE あにめ~しょん」の第9話にて、監督のげそいくおさんが絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人で兼任。その凄まじさがネットで話題になっています。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。監督が絵コンテか演出を兼任すること自体は珍しくないのですが、ここまで多岐にわたる兼任は滅多にないことから「げそいくお監督を人間国宝にするべきだ」「狂気を感じる天才」など、さまざまな反響が寄せられています。
この間放送された「ハッカドール THE あにめ~しょん」第9話を指しての記事だが、この文章だと色々とミスリードを誘おうとしているように見える。
「何もかもげそいくお監督が1人でやったから凄い」という風に誘導しようとしてる印象を受けたが、実際はどうだっただろうか。
ハッカドール1話分は約8分、その内OPEDの尺を除くと本編は約6分。一人で原画を担当するのも何とか可能な規模だろう。
しかし担当したげそいくお氏はハッカドールの監督自体も兼ねているため、監督業務を考慮した上で考えるとかなりの作業量ではあるだろう。
しかし実際第9話を見てみると、後半はアクションシーンなどもあるが前半はドット絵の画面を用いたり、同じカットを何回も繰り返したりと省力的に済ませられる所は省力的にやっている
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/434/hakka9.jpg
ハッカドールという作品はギャグアニメなので、こういった省力化もギャグの演出として機能するように計算してやっているのが窺える
また、げそいくお氏本人が言ってるように一人原画と言ってもL/O(レイアウト、ラフ原画)までで清書等を含めた第二原画以降は分担作業である。
本日のハッカドール9話 コンテ演出作画監督一人原画(LO)その他諸々なので見てね!— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 27
ネット上では動画や仕上げ、背景なども担当している事も取り沙汰されているが、これも結構な人数のうちの1人として数えられる
憶測ではあるが、第9話でげそいくお氏が動仕まで担当したのは、こういう線のタッチを強調した一連のカット↓の事だろう。
http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/435/hakka9-2.jpg
これらを鑑みるに、今回げそいくお氏がやった事は「常識外れの脅威的な行動」をしたというよりも「地に足がついた堅実な方法」を取っているように思えた。
様々なセクションに名を連ねていたとしても、それぞれ実現可能な範囲での作業を執り行っているように見える。
それらをしてネット上では「狂気を感じる」を称されているが、世の中にはもっと狂気を感じるぐらい個人が作業を抱え込んだアニメも存在する。
例えば、いまざきいつき氏は「ちょぼらうにょぽみ劇場あいまいみー」1&2期や現在放送中の「不思議なソメラちゃん」において監督・キャラクターデザインと共に脚本・絵コンテ・演出・作画監督・原画を1人※で"全話数"担当している
この2作品は1話の尺数はハッカドールよりも短かく3分弱であるが、全て合わせると30話はゆうに超えるので作業量もプレッシャーも相当なものになるだろう。
※(厳密には、あいまいみー1期は最終回だけ二原に撒いているし、2期やソメラちゃんは最初から第二原画有りきの体制)
竹内哲也氏も「百合星人ナオコサン」で監督・脚本・キャラクターデザイン・絵コンテ・演出・作画監督・原画を全て1人でやっている。こちらは第二原画も無しだ
「ナオコサン」のアニメは2本作られているが両方とも竹内哲也氏である。2本目は30分近くあるにもかかわらずだ。
OP(演出は山下祐)もEDも1人で作画している。カットの内容もアクションありエフェクトあり群衆あり回り込み背景動画もありの超ハードだ。
三原三千夫氏が「カイバ」の第4話で動画まで1人で担当仕切った時は作画オタクの間では騒然としていた。
動画チェックこそは違う人だが、ほとんど他者を介さず三原三千夫氏の絵がそのまま画面上に全編にわたって映し出された事になる。
ただしこれらは特別なスケジュールが組まれ、完成まで半年から1年はかかっているので通常のアニメとの比較では参考にならないかもしれない。
監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板“2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパートを担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。
そこからまさかの絵コンテ・演出・作画監督・原画とかなりの数のポジションを兼任したことで、そのファイティングスピリッツにアニメファンもびっくり。
この書き方だと、まるで「全部やればいいのに」という発言を受けてから第9話の1人複数担当が決まったような書きぶりだ。
しかし「暗に死ねと言っているよねこれ」というげそ氏のツイートが投稿されたのは11月15日
暗に死ねって言ってるよねこれ pic.twitter.com/hGiKHhVCHH— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 15
そしてハッカドール第9話が放送されたのは11月27日、短編アニメとはいえ幾ら何でも12日で放送まで完パケするのは物理的に無理だろう。そんな"思いつき"のような案がまかり通る状況とも思えない。
だからこれは「1人でやればいいのに」という反応とは無関係に9話の体制は決まっていたと考えるのが自然であろう。ちょっと考えれば当たり前の話であるが。
自分は別に「ハッカドール THE あにめ~しょん」を貶めたいわけじゃない。大したことしてない等とは思っていない。
それどころか今期のアニメでは「ハッカドール」は抜群に面白いと思っている。決してゴージャスなアニメではないが、ジャンクな感じがたまらなく良いと思ってる。
楽に作ってるアニメでも決して無いだろうし、監督以下スタッフが身を削る思いで作られてるのは紛れも無い事実だろう。
放送開始直前の頃は、監督げそいくお氏のツイッターがかなり荒れた内容になっていたし、ニコ生でも制作状況の厳しさ、意思疎通が上手くいかない状態を何度も嘆いていた。
アバウトなアニメに見えても、作ってる方は決してアバウトに作ってるわけではないのだ。
自分がこの記事で一番に疑問に思うのは、執筆したねとらぼの大里ミチルなる記者は本当に物事を解った上で書いてるのか?という事である。
自分はねとらぼの事を、企業が運営するまとめサイトという認識でありはっきり言って悪い印象を持っている。
はちま起稿ややらおん等の悪名高いまとめサイト群と大差ないとすら思っている。
企業運営である分余計質が悪いとすら思っている。(はちまjinややらおんが企業ぐるみで無いとも思ってはいないが。)
ねとらぼは過去にはちま起稿を喧伝するようなインタビュー記事を掲載していたし、つい最近でもその記事を作成した池谷勇人というライターが久保帯人先生を誹謗する意図があるとしか思えない記事を書いた
集英社が“久保帯人先生ネタ”行為に警告 「別人の肖像をあたかも久保帯人先生であるかのように紹介」「悪質な場合には法的措置も」 - ねとらぼ
http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/04/news145.html
この記事は当初の題名の最後に「あっ……(察し)。」と書かれていた。
「あっ……(察し)。」という言葉を付け加えることで、久保帯人先生を貶める方向に印象付けようとしていたのは明白であり、ユーザーの通報によってタイトルから「あっ……(察し)。」が削られた
これを記者無記名で行ったわけだが、有志によってこの記事の作成者が池谷勇人である事が暴かれた
(察し)とか書くやつ全員死なねえかな、例えばねとらぼとか
そういう所が送り出す記事は常に身構えている。
何よりロクな下調べもせず、適当な事を書き散らすだけの記事は悪だ。
「サブカル、語る」みたいな個人ブログですら槍玉に上げられる昨今、企業運営の所が糞ザルな記事書いてどうすんだと思う。
今回のねとらぼのハッカドールの記事は、はっきり言ってザル記事だ。
「ハッカドール THE あにめ~しょん」の魅力を伝えるわけでもなく、ただ単にネットで目についた話題を適当にちょっぱってコピペで仕上げただけにしか見えなかった。
ましてや「ネットの反応を真に受けて監督は一人演出・作画を敢行した」という嘘のストーリーをでっち上げようとしているのは、作品を持ち上げてる記事だとしても流石に看過できなかった。
追記
あと2ちゃんに反応してから9話作ったわけないからな10;あのツイートしたのって確かもう9話納品してなかったっけ…— げそいくお (@gesoikuo) 2015, 11月 30
自分自身、ブルーオーシャンの意味を正確に把握しているわけではないので、確かな理由はわからない。
ちょっとググってみたら、ブルーオーシャン戦略の要素として、非顧客の顧客化があるという。
今まで見ていなかった層に目を向けろということらしい。
それでパッと思い出すのが、婚活という段になってオタクをターゲットにしようとする女。
自分は大して強くないけどここなら無双できるはず、というゲーセンの格下狩り感がイラつくのか、
あるいは野蛮人にカトリックを布教してやるみたいな上から目線に納得いかないのか。
それとも安上がり感が目立つからだろうか。
ブルーオーシャンとは直接関係ないかもしれないが、自称○○大好き芸人や、
大して詳しくないのにしゃしゃり出てくるアイドルなんかもやはりウザい。
お手軽に差別化しようという気持ちは理解できるし、テレビだから仕方ないと言えばそうだが、