はてなキーワード: 月姫とは
ないんだよな……。
間接的な影響を考えると月姫とKANONなんだよ。子供の頃好きだったブログ、あの頃は個人HPだったかな。リアルでちょっと接点があった従兄弟よりもう少し遠い血縁にいる面白い兄ちゃんがやたらと面白い面白い言っててさ、それで気になって、結局ゲーム自体はまだやってないんだが気づいたらそういう道にな。
その兄ちゃんがそういうゲーム始めてなかったら、きっと俺ももっと別の道を進んでたんだよ。ゲームといえばFFとスマブラとモンハンでさ、大学でワンダーフォーゲル部にでも入って適当に彼女でも作ってさ、そういう人生だったんだと思うんだ。
んでまあ今は当然のようにいい歳こいてゲームや漫画に相変わらず囲まれてるんだけどさ、それでも人生を変えた作品とかねえなあって。
コミックボンボンって言う今はもうオタクぐらいしか覚えないような子供漫画雑誌に載ってた漫画なんだけどさ、エッシャーとかティム・バートンの影響とか受けまくってるような作風でさ、子供心にセンスいい漫画もあるんだなって思ったんだよ。王泥棒ジンは普通に面白いから読んでくれよ。キノの旅とルパンとティム・バートンを足して割ったような漫画だと思ってくれれば大体合ってるからそれで興味持ったらオススメな。
小学校以降に読んだ作品で特にコレに影響受けたーってのはないんだよな。読んであーなるほどなるほどーってなる作品はあっても、価値観が揺さぶられたりはせんのよな。lainや攻殻機動隊見てスーパーハカーかっけーと思っても自分がIT系に行きたいとは思わなくて、今は普通に商社マンだしさ。銀河鉄道の夜を5年おきぐらいに読み返すと、妹萌えとかBLとか少しずつ理解していってる自分が汚れたのか多様な価値観を学んだのか考えちゃうけどさ、だからって俺には萌える妹も男友達もいないからかんけーし。
たまに有名人が「この作品で人生変わりましたー」って言うけどそういうのあるのかね。イラストハウツー本買ってお絵かき始めた時はこれで人生変わると思ったけど、気づいたら10年ペンタブ握ってねえしなあ。何も変わってねえよ。太った後でダイエット本読めばなんか変わるのかな。
不良にでもなろうと思ってた時にファイトクラブ見て俺はここまで出来ねえからグレるのは無理だなーって諦めたとか、メンタル死にかけてる時にニュー・シネマ・パラダイス見て涙流してからふと俺にここまで最高な関係は一生気づけねえんだろうなあってスタンド・バイ・ミーのラストみたいな事考えていよいよ死にたくなかったら精神科のドア叩いたりしたけどさ、そういうのって作品がなにかを及ぼしたんじゃなくて、俺の中で1週間後に組み上がる予定だったパズルをその予定よりちょっと早く予定通りの形で組み上げただけだから「人生変えた」じゃないんだよな。
寂しいわ。
http://kazenotori.hatenablog.com/entry/2019/04/14/113600
00年前後が青春ど真ん中だったエロゲヲタのひとりとして衰退理由を一言でまとめると、、、
だと思う。
Leafでいえば『雫』『痕』『To Heart』。Tactics/keyでいえば『MOON.』『ONE』『Kanon』『AIR』『CLANNAD』。TYPE-MOONは『月姫』『Fate/stay night』。エロゲではないけど同人の流れをくんだ『ひぐらしのなく頃に』。
この辺のソフトはプレイヤーを熱くさせ、語りたい欲を大いに刺激し(葉鍵板なんてのもあった)、「これエロゲーじゃないから泣きゲーだから」などという妄言を口走りながら周囲にプレイを勧めさせるだけの力があった(売上だけなら『鬼作』とか『大悪司』も当時強かったけど語るもんでも勧めるもんでもないから伝播力に欠けた)。
これらはざっくり「伝奇/サスペンス」「泣き」に分けることができてそれぞれブームを作ったけど、かなしいかなそれに続くブームはつくれなかったし、フォロワー作品は年を追うごとに小粒化して(初期は『sense off』とか『みずいろ』とか『秋桜の空に』とか『それ散る』とか良質なフォロワー作品がいっぱいあった)エロゲ全体のブームを急速に沈下させた。エロゲの時代は突然やってきてあっというまに終わった。
自滅、というのは言い過ぎかもしれないが、文化として根付かせることができなかった、ぐらいは言ってもいいだろう。
粒が小さくなって新しい体験が提供できなくなったエロゲは世代交代(『恋姫シリーズ』世代はいると思ってる)に失敗したし、熱狂してた連中はエロゲといっしょにオタクを卒業するか新たな最前線へと旅立っていった。
それは『ラグナロクオンライン』/『東方』(ROは2002年開始だけどコミケの流行が葉鍵/型月→RO→東方と変わっていった(型月はしぶとく東方と共存してたような記憶)のは大きなトピック)だったり、ラノベ(西尾維新/『ハルヒ』/『とある』/『ゼロ魔』)だったり、ニコ動/ボカロ+アイマス文化だったりした。
ブームが完全に去った現代はソシャゲ(『艦これ』/『デレマス』/『グラブル』/『FGO』)でゲーム体験を満たしつつエロはその同人で摂取する時代だから本格的にエロゲの出番はないだろう。ニッチな需要は同人エロゲが担っているから尚更だ(『奴隷との生活』はヒットしたなあ)。
1. ラノベ・深夜アニメ・ソシャゲ(あるいはスマホゲー)など他のメディアに客を奪われた。
2. ファイル共有ソフトなどにより海賊版が蔓延して購入者が減った。
3. CDからDVDへの移行、スマホの普及、光学ドライブのつかないノートパソコンの普及など、周辺環境の変化によりプレイヤーが減った。
の4つがかかげられていたけど、
2. は共有ソフト以前にコピー問題があったので要因とまではいえない
3. はスマホの普及以外論外(エロゲをやるためにパソコンを買う・組む連中は多数いた。DVDへの移行なんて屁でもないし、光学ドライブがつかない云々はDL販売とかUSBドライブの存在を無視してる)
4. は正しい。制作コストの増加とプレイコストの上昇は別問題なので切り分ける必要はあるが、これらの問題は大きかった
という所感。
上記以外の理由としてはこのエントリの主張である「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」と、もうひとつあるとすればスマホの登場による可処分時間の細切れ化。エロゲをやるようなオタクはもともとインターネットとの親和性が高かったわけで、スマホの登場でネットに常時接続する消費スタイルへ移行すると、パソコンに向かってじっくりエロゲをプレイするなんてことが難しくなった面はあると思う(ここに物語の長大化によってプレイコストが上昇した問題がからんでくる)。
まあ同人エロゲもエロゲといえばエロゲだし、DMM GAMESのエロゲも形をかえたエロゲと言えるだろうし(大本のオモコロの記事はまさにその宣伝だ)、FGOもエロゲに含めれば(含めるな)過去最大のエロゲ市場が爆誕してると言えるのかもしれないが。
Q. 「オタク系サブカルの最前線という地位を失ったから」ってそれトートロジーじゃないの?
A. そう見えるかもしらんけど、オタクを熱狂させる弾がなくなったから、という話をしてるつもり。
逆になんで00年前後にそういう作品が雨後の筍のごとくでてきたかというとまあ割と謎なんだけどひとつ言えるとしたら若いクリエイターに申し訳程度のエロさえつけてれば自分のやりたいことをやれる場所だって認知されたことがデカいんじゃないかなーって(日活ロマンポルノみたいなやつって言えば伝わるのかね)。
『Phantom -PHANTOM OF INFERNO-』ってエロゲがある。ニトロプラス(今はたぶん刀剣乱舞で有名)の処女作でシナリオはぶっさん(虚淵玄。今だと『まどマギ』で有名……ってそれももう古いか)。
アメリカに旅行した青年が殺しの現場を見たせいでマフィアに拉致られ暗殺者をやらされるって話なんだけど、ハードボイルド小説か映画かってあらすじでもうエロゲじゃないよね。で、なんとこのゲーム暗殺に使う銃を選べて、なおかつその銃がポリゴンで表現されてた上に、どの銃を選んでもシナリオには一ミリも影響がない、というのが爆笑ポイントで単に作り手がそういうの好きなだけっていう。当時すでにIllusionとかがポリゴンエロゲを世に送り出してたとはいえ銃だけポリゴン表現にしたエロゲって『Phantom』が最初で最後じゃねーかな(ゲームはめっちゃ面白かったよ念の為)。
『雫』だって『新興宗教オモイデ教』のフォロワーだし、菌糸類が菊地秀行とかの影響モロに受けてるの見ても、外の文化にエロをつけてエロゲの流通に乗せる、は所謂たまによくあるってやつだった(そういうのの元祖はたぶん蛭田昌人と剣乃ひろゆき)。
まあ結局売り手も買い手もスケベ心があったんだよな。当時はエロさえ入れてれば一定の購買が見込める市場で、市場が未熟な分、制作コストが安くすんだ。買う方としてもエロがあるだけでオトクな感じがしたし地雷でも許せた(Tony絵に騙されて買った『Partner』ですら俺は許したよ)。上で挙げた諸作が仮に非エロだったらここまで売れてなかったと思うね(『CLANNAD』とか『ひぐらし』は地盤を築いた後だったからヒットした説)。
エロゲ(商業パッケージ)の売上は2015年に底を打っててV字回復しているとか,10年代でも名作はあるとか,本当に崩壊したのはエロゲ批評のコミュニティだとかいう話をすればいいんです? / “エロゲが衰退したのはラノベのせい、、、ではない”
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117750519840198656
なんだろな,一連の流れを読んでいて思うのは,『千桃』とか『サクラノ詩』とか『金色ラブリッチェ』とは言わんにせよ,『ホワルバ2』とか『はるくる』とか『つり乙』あたりをスルーされると,お前エロゲ追わなくなって10年近くないか感強くて,一気にもにょるんだよな。
https://twitter.com/nix_in_desertis/status/1117753560047898624
こういう論旨を理解せずに訳知り顔するやつが一番むかつくんだよね。
とりあえずエロゲ市場規模は02年の段階で560億(財界さっぽろ)、15年の実績値で150億(矢野総研)。V字回復というからには18年実績値で300億ぐらいに戻してるんだろうな?
そして本稿は00年台前半にエロゲ市場が盛り上がったあと衰退した理由をその当時オタクシーンの最前線をはれる弾がありその後そういうのがなくなったから、に求めてるのであって、それ以降にエロゲとして名作と呼ばれる作品があったかなかったかなんて話は一切していない。
俺が最後にやったエロゲは『もっと!孕ませ!炎のおっぱい異世界エロ魔法学園』(2018年4月27日発売)だ。ゲスパーすんなヴォケ。
またムカつくコメントがついたら全力で殴りに行く。
その頃関わってた人なんてもう存命かどうかも怪しいだろ
別増田でも書いたけど、エロゲとピンク映画はエロよりストーリーが語られるような作家性強い作品もあるんだよ
小説や漫画は無名の作家の修行の場としては同人があるから、じゃないかな
でもゲームや映画は個人で作るのは難しいから、商業エロ市場でエロを言い訳にしつつエロ主目的じゃないものを出すという形が流行ったのではないか
(ゲームはその後月姫やひぐらしなんかの同人ゲームブームもあったけど。だからエロゲが衰退したってのもありそう)
アニメは……作るのにゲームや映画より更に予算かかるから流石にエロ業界の予算では低クオリティ過ぎるものしか出せなかったんだろうか
北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。
だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。
成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由でからかわれることがあった。
当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。
成績はトップクラスで運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人を不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。
暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。
その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。
自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイトの大学生の先生に過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくまで学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。
学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望の公立高校に入学する。
世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来のぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。
今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生に挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年間世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。
といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。
学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。
友人に東大を受ける奴がいて、そいつが天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テストで理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶしに数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。
受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。
どこに自信があったのかは知らないが、センターは何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。
過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々と勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……
試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネットで合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPCで月姫をプレイしたことを良く覚えている。
勉強法自体は特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。
まぁ、北大程度の人間だから画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大や京大に行った人達に任せておきたい。
【その後】
入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。
冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。
といっても時期は既に秋、適当に一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。
適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいはしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。
ソーシャルゲームに課金し、声優を追いかけ、両親に「あんた結婚は」と追い立てられる普通のヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(
ちょいちょい分析として抜けてるので勝手に上から目線で補足してみたい。
京アニはハルヒ以前にAIRがあり、加えてもともと人気ラノベのフルメタの二期もやりきり、
人気原作 + 泣き演出 + 作画 という武器の多さもあったと思う。
ラノベ、エロゲ、同人(月姫、ひぐらし)が相互に影響を与えていったというのがある。
メディアミックス読み物コンテンツのアニメ化が色々されてきた頃だった。
今はアニメ界のAKBであるアイドルマスターの楽曲をやっていたMONOKAの人が
まとめの通り社会的な変化が背景にあった。
毎月といってもいいくらい何かしらコンテンツを順繰りに出し続けてた。
・アニメ
・マンガ
・ゲーム
・イベント
今はどの作品も当たり前のようにやりすぎてる手法で麻痺してるけど、
ここまで上手に展開し続けたのは当時少なかったじゃないかな。。
野ブタをプロデュースとか、蹴りたい背中とかもあったからかな、
ほんと純粋に魅力があったよなーと思うわ。
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠
p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。
大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。
すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。
80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、
きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。
西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、
ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。
Web小説でVRMMOものを流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、
『ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。
ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、
『ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、
直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。
ちなみに『ハルヒ』フォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。
難しい問題だ。
アニメ化前から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。
「スニーカー文庫のエース格」とは言えても、「業界を代表するエース」ではない、といった感じか。
第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態。
『憂鬱』は当時の2chの人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。
『消失』は同じく2chの人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。
ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、
(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。
勘違いされることが多いが、アニメ『ハルヒ』放送時(2006年4月〜7月)には、まだニコニコ動画(2006年12月12日〜)は存在しない。
「ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月〜9月)のほうが適当だろう。
『ハルヒ』の場合、本編を動画サイトで視聴するというよりも、「ネットで話題になったシーンだけを確認する」という使い方がまだ多かったのではないか。
当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。
(このあたりは個人的にYouTubeを敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)
その視聴体験をみんなで「共有」したという点については、ニコ動(のコメント機能)の果たした役割は大きいと考える。
2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである。
はてなダイアリーが2003年1月。livedoor Blogが2003年11月。アメーバブログが2004年9月。FC2ブログが2004年10月。Yahoo!ブログが2005年1月。
2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。
「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。
また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察や話題の拡散を手伝うこととなった。
(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である)
ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブームも2005年くらいか。
ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである。
アニメ『ハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。
自主制作映画を完璧に再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏。
時系列シャッフルや公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。
2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランドが確立されて以降は、
他のアニメでも異常に作画のクオリティがアップしていったことだし、
やはりアニメ『ハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。
アニソンあるいはキャラソンについては、2005年のアニメ『ネギま』の主題歌『ハッピーマテリアル』の影響が最大で、
『ハルヒ』の「ハレ晴レユカイをオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。
ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、
『ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。
1997年にアニメ『スレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、
世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、
2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。
それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。
つまり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。
とはいえ『ハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である。
あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。
やはり外的な要因に求めるべきだと思う。
京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…
これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか。
あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。
これだけは間違いない。
たとえば、凛とした誇り高き少女騎士であったアルトリアというヒロインは、下着姿を衆目にさらすキャラクターに変えられてしまったり。
これはしゃあなくねえか?
新シリーズに切り替えずに大昔からの旧キャラクター全部出そうとしてるだけでも頑張ってるのに
また、そういうのはだいたい今の目で見ると微妙(懐古老害はそう思わないかもしれないが)だからリファインも必要になる。
だいたいFGOって露出度の高い女の子がウジャウジャ出てくるじゃん。
ナイチンゲールなんかコンドームぶら下げたコスチュームでなんとか礼装って言われててなんの礼装やねんと。
そういうトンチキなゲームを楽しんでるんだから、旧作の凛としたキャラが下着出したぐらいでピィピィ言うなや。
それはお前がずるいし懐古方面に偏ってるよ。
タイプムーンのギャグは、年々、パロディと身内ネタばかりの寒いものとなっており、笑えるコメディアンのポジションにすらなれないのが現状だ。
アレを楽しめた奴が今更「寒い」とか言うな。ずるいわそれは。
fateを初期からやってて旧キャラに関する知識や思い入れが豊富なんて奴は
100パーうるさいだけの厄介ファンであって
FGOの興隆はそういう奴等じゃなく新規ファンの流入によるのだろう?しらんけどたぶん。
そりゃお前らの扱いは一等客席ではないわな。
なんでもそういうもんだよ。
特定非営利活動法人日本レトロゲーム協会 http://www.jarga.or.jp/
美術館などへの貸し出し、学芸員との連携も行っているようなので、真当な活動を行っている模様。
http://www.city.joyo.kyoto.jp/rekishi/tokutennatu2018.html
オリンピックに合わせて資料館開設を目指しているそうですが、どこから応援できるのかがわからないので、もう少し情報を出してほしいです。
日本ゲーム保存協会 https://www.gamepres.org/
ホームページはしっかりしていて、アーカイブでPC、雑誌のリスト化済み分(おそらく一部)を検索でき、閲覧の可否も確認できる。
http://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/170823
文化庁 メディア芸術データベース https://mediaarts-db.bunka.go.jp/?locale=ja&display_view=sp
文化庁が上記団体などに協力を要請して作成しているデータベース
メディアなのでゲームだけでなく、アニメ、漫画、メディアアートも検索できる
まだまだ資料不足でゲーム画面はないですが、名前と機種とジャンル、取り上げた雑誌等が出てきます。
正規流通品のみ、とあるが東方win版、紅魔郷以降は出てくる。国会図書館所蔵による?ひデブは現物提供?であり。
スグリ、ねみぎ、BBB、月姫、へるしんかー、シルフェイドなし。
Fate、デモンベインもコンシューマのみで、PC版はでてこず。18禁だからか。
メルティブラッド、ぷよぷよ、魔導物語もコンシューマやアーケードのみ。
SuperDepthなどBio_100%で出てこず。
1時間もかけずに調べただけで、
・はじめに
この記事は、ゲッテルデメルングをプレイした感想や考察を備忘録的に書いていくものです。
取り立てて深いものはありませんが、追体験や、他の人の感想を知りたい、という人にはいいかもしれません。
また、知識が完全に詳しく、また正しいわけでもありません。
・ラストについて
印象的だったもの、期待しているところ。
やはり彼女、シオンの登場でしょう。月姫の格闘ゲームで登場してくる、アトラス院出身であり、アトラス院と敵対を別世界では行っていたシオン。詳しくはType moon wikiを参照されるのがよろしいかと。
彷徨海について、最初、「結局もったいぶるのかよ!」とオフェリアのロストベルトが障害となって訪れることができませんでした。
訪れるためにはロストベルトを物理的に、虚数空間を通らずに、突破するしかない、ということで、そこを乗り越えたラスト、彷徨海。
シオンという爆弾を投下してきましたが、それにしても彷徨海、謎が多すぎるというより明かされる情報が少ない。結局、事前にわかっていた情報を超える何か、は明かされませんでした。衝撃的だったのはシオンの登場のみですね。ひょっとするとシオンの名を騙る別人、ってこともあるかもしれませんが、とりあえず本人、ということで話を進めます。
本人であった場合、アトラス院を出奔したのは間違いないでしょう。その放浪の結果、シオンは彷徨海にたどりつくに至った。
1部で伏線があっただけにアトラス院はきな臭いですね。その出身者でもある以上、シオンは重要な何か知っていることがありうる。
・クリプターについて
本格的に登場したクリプターはふたり。カドック、そしてオフェリア。
カドックの処遇で、今後のクリプターの行く末が決まると思ってましたが、まあ死にますよね、と。カドックは拘束が何者かによって解かれ、逃げ出し、言峰によって「大令呪」のために連れ去られた。大令呪が2章で明かされたように命を捧げるものであるなら、それは大令呪だけはぎとるわけにはいきません。いくら令呪の移植スキルがある言峰といっても、大令呪はわけが違うでしょうし。
もうひとりのクリプター、オフェリアも、その苦悩と葛藤を超えて、体を酷使し、死ぬ結果にいたりました。
おそらくクリプターが仲間になる展開はなく、これからもばしばし死んでいくのでしょう。
一時的に仲間になる、ということはあるんでしょうけど。
今回、クリプターとは何か、簡単に明かされました。「秘匿者」です。
魔術師は神秘の秘匿を義務とします。そことの符号もあるんでしょうか。
また、神降ろし、新たなる歴史の編纂が目的であるとも明かされました。
どの歴史が一番、地球の歴史にふさわしいか勝負しようぜ!がキリシュタリアの目的でもあるっぽいです。
序章や1章で前フリのあった、「もっとうまくやれた」「ぐだを恨んでいる」というのは、カドック限定だったようですね。
関連して、空想樹が種子を飛ばす性質がある、ということも明らかになりました。
で、これが何を意味するかというと、魔神柱と似たようなことが起こりそう、ということです。
あるいはラフムと似たようなことが。
つまり大量発生、一秒間に一億本切除しないと間に合わないとか、起こりそうです。
こういう種子の何が厄介って、「切除したつもりでもまた別の樹が育つ」「また別の樹が育って、敵がコンティニューする」です。
・ゲルダの「将来」について
ゲッテルデメルングでは、およそ1万人の人間しか生きることができません。それは、リソースの問題が大本ですが、そのシステムは「間引き」です。14歳から15歳で子供を産み、育て、25歳には巨人に踏み潰されるか食べられる。こうして1万人という数を維持していく。25歳で死ぬことが決まっている、それは100歳まで生きるような現実世界と比べると悲しいものに、一見、感じられます。ぐだたちもそのように思い、物語上もおおよそそのように処理されます。
が、物語上でも、ただそれが間違っている、と否定するべきだと描かれたわけではないと思ってます。
25歳以降の将来を描けない。一般的な感覚では間違いですが、それを正すことも正解なのでしょうか。
生きていても幸せが待っているとは限らない。世界を作り変える方法、リソースを確保する方法も持たない。また自由による苦しみだって、世界にはあります。
スカサハ=スカディのシステムを頭から否定することはできないよなあ、とストーリーを追いながら考えていました。
もちろん、第1部では、苦しくとも、結果がマイナスでも、生きること、生き抜くことは是なのだと、描かれました。
ですからきっと、世界同士の生存競争という理屈抜きに、肯定できない世界だったと、ゲッテルデメルングはそうだったのだと、言わざるを得ません。
とりあえずこんなところで。書きたいところは書きつくしたので。