はてなキーワード: 月姫とは
特定非営利活動法人日本レトロゲーム協会 http://www.jarga.or.jp/
美術館などへの貸し出し、学芸員との連携も行っているようなので、真当な活動を行っている模様。
http://www.city.joyo.kyoto.jp/rekishi/tokutennatu2018.html
オリンピックに合わせて資料館開設を目指しているそうですが、どこから応援できるのかがわからないので、もう少し情報を出してほしいです。
日本ゲーム保存協会 https://www.gamepres.org/
ホームページはしっかりしていて、アーカイブでPC、雑誌のリスト化済み分(おそらく一部)を検索でき、閲覧の可否も確認できる。
http://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/170823
文化庁 メディア芸術データベース https://mediaarts-db.bunka.go.jp/?locale=ja&display_view=sp
文化庁が上記団体などに協力を要請して作成しているデータベース
メディアなのでゲームだけでなく、アニメ、漫画、メディアアートも検索できる
まだまだ資料不足でゲーム画面はないですが、名前と機種とジャンル、取り上げた雑誌等が出てきます。
正規流通品のみ、とあるが東方win版、紅魔郷以降は出てくる。国会図書館所蔵による?ひデブは現物提供?であり。
スグリ、ねみぎ、BBB、月姫、へるしんかー、シルフェイドなし。
Fate、デモンベインもコンシューマのみで、PC版はでてこず。18禁だからか。
メルティブラッド、ぷよぷよ、魔導物語もコンシューマやアーケードのみ。
SuperDepthなどBio_100%で出てこず。
1時間もかけずに調べただけで、
・はじめに
この記事は、ゲッテルデメルングをプレイした感想や考察を備忘録的に書いていくものです。
取り立てて深いものはありませんが、追体験や、他の人の感想を知りたい、という人にはいいかもしれません。
また、知識が完全に詳しく、また正しいわけでもありません。
・ラストについて
印象的だったもの、期待しているところ。
やはり彼女、シオンの登場でしょう。月姫の格闘ゲームで登場してくる、アトラス院出身であり、アトラス院と敵対を別世界では行っていたシオン。詳しくはType moon wikiを参照されるのがよろしいかと。
彷徨海について、最初、「結局もったいぶるのかよ!」とオフェリアのロストベルトが障害となって訪れることができませんでした。
訪れるためにはロストベルトを物理的に、虚数空間を通らずに、突破するしかない、ということで、そこを乗り越えたラスト、彷徨海。
シオンという爆弾を投下してきましたが、それにしても彷徨海、謎が多すぎるというより明かされる情報が少ない。結局、事前にわかっていた情報を超える何か、は明かされませんでした。衝撃的だったのはシオンの登場のみですね。ひょっとするとシオンの名を騙る別人、ってこともあるかもしれませんが、とりあえず本人、ということで話を進めます。
本人であった場合、アトラス院を出奔したのは間違いないでしょう。その放浪の結果、シオンは彷徨海にたどりつくに至った。
1部で伏線があっただけにアトラス院はきな臭いですね。その出身者でもある以上、シオンは重要な何か知っていることがありうる。
・クリプターについて
本格的に登場したクリプターはふたり。カドック、そしてオフェリア。
カドックの処遇で、今後のクリプターの行く末が決まると思ってましたが、まあ死にますよね、と。カドックは拘束が何者かによって解かれ、逃げ出し、言峰によって「大令呪」のために連れ去られた。大令呪が2章で明かされたように命を捧げるものであるなら、それは大令呪だけはぎとるわけにはいきません。いくら令呪の移植スキルがある言峰といっても、大令呪はわけが違うでしょうし。
もうひとりのクリプター、オフェリアも、その苦悩と葛藤を超えて、体を酷使し、死ぬ結果にいたりました。
おそらくクリプターが仲間になる展開はなく、これからもばしばし死んでいくのでしょう。
一時的に仲間になる、ということはあるんでしょうけど。
今回、クリプターとは何か、簡単に明かされました。「秘匿者」です。
魔術師は神秘の秘匿を義務とします。そことの符号もあるんでしょうか。
また、神降ろし、新たなる歴史の編纂が目的であるとも明かされました。
どの歴史が一番、地球の歴史にふさわしいか勝負しようぜ!がキリシュタリアの目的でもあるっぽいです。
序章や1章で前フリのあった、「もっとうまくやれた」「ぐだを恨んでいる」というのは、カドック限定だったようですね。
関連して、空想樹が種子を飛ばす性質がある、ということも明らかになりました。
で、これが何を意味するかというと、魔神柱と似たようなことが起こりそう、ということです。
あるいはラフムと似たようなことが。
つまり大量発生、一秒間に一億本切除しないと間に合わないとか、起こりそうです。
こういう種子の何が厄介って、「切除したつもりでもまた別の樹が育つ」「また別の樹が育って、敵がコンティニューする」です。
・ゲルダの「将来」について
ゲッテルデメルングでは、およそ1万人の人間しか生きることができません。それは、リソースの問題が大本ですが、そのシステムは「間引き」です。14歳から15歳で子供を産み、育て、25歳には巨人に踏み潰されるか食べられる。こうして1万人という数を維持していく。25歳で死ぬことが決まっている、それは100歳まで生きるような現実世界と比べると悲しいものに、一見、感じられます。ぐだたちもそのように思い、物語上もおおよそそのように処理されます。
が、物語上でも、ただそれが間違っている、と否定するべきだと描かれたわけではないと思ってます。
25歳以降の将来を描けない。一般的な感覚では間違いですが、それを正すことも正解なのでしょうか。
生きていても幸せが待っているとは限らない。世界を作り変える方法、リソースを確保する方法も持たない。また自由による苦しみだって、世界にはあります。
スカサハ=スカディのシステムを頭から否定することはできないよなあ、とストーリーを追いながら考えていました。
もちろん、第1部では、苦しくとも、結果がマイナスでも、生きること、生き抜くことは是なのだと、描かれました。
ですからきっと、世界同士の生存競争という理屈抜きに、肯定できない世界だったと、ゲッテルデメルングはそうだったのだと、言わざるを得ません。
とりあえずこんなところで。書きたいところは書きつくしたので。
先日、スマホゲームfate/grand order(fgo)で復刻版空の境界のイベントが開催された。その際、空の境界のキャラクター浅上藤乃がサーヴァントとして実装された。
私は友達から借りた月姫からタイプムーンにハマり、初めて劇場で見た空の境界が痛覚残留のエピソードだった。それもあって彼女の実装は嬉しく、ガチャも引いた(宝具レベルが3になった、ハッピー)。
しかし、ツイッターを見ていると不満の声も散見されているようだった。
どうやら、不満の元はfgoの主人公と、実装された浅上藤乃や、復刻の2人の式(説明したいがここでは割愛)が仲良くする事や、これに関する創作にナーバスになっている人がいるのだ。(今の所そのような創作はほぼ見ないが)
そもそもの話、この「fgo主人公が他の媒体で出たキャラと仲良くする事、またそういった創作」を好ましく思わない層がいる、というのは今に始まった事ではない。
他の例を挙げると、fate/EXTRAで登場したキャラクター達。ほんの数年前は赤セイバー、キャス狐と呼ばれ親しまれたキャラクター達だが、彼女等がfgo主人公と仲良くしている事や、それを描いた創作を毛嫌いする人も一部にいる。
要は「他媒体でカップリング対象になるキャラがいるのに、別キャラ(この場合fgo主人公)とくっつける事が許せない。」という事なのだ。所謂カップリング論争の一つである。
古くからある、FE、スレイヤーズ、その他ビアンカorフローラ、ティファorエリス、などという他のゲームや漫画のカプ論争ならいざ知らず。
今回のこの話の違和感、それは他媒体でカップリング対象がいるという、影響力の高い「教典」がある事だ。
これは、別のカップリングを目にしただけで、自分の愛する者を陵辱されているが如く感じる程のものなのだ。
(すごい。そこまでその作品に傾倒できるなんて、すごい。そういう人と比べると中学生の頃学校を休んで月箱を買いに行った私の作品への愛などは足元にも及ばないのかもしれない。)
彼等にとっては、fgoなぞ教典にとって邪魔なもの。教典を汚す大罪品、見える情報の汚物だろう。(その教典と同じ作家が設定やボイスを考えてたりするのだが)
懐が深いのと節操がないのは違う。
カップリング論争なんかで毎日フラストレーションを溜めているような人に、懐が深い人間になれとは言わないし思わない。今の時代便利なものでブロックやミュートなんて機能もある事だし。
ただ、きょうびそういった教典に縋り、熱い信仰を持っている人がいるジャンルというのも珍しい。そういう人達がいるならしばらくそのジャンルは安泰だろう。
東方やひぐらしが大流行した時代にタイムスリップして、型月が今一番のブランドだぜ、一月に何億も稼いでるんだぜ。と言っても誰も信じまい。
こんな毒にも薬にもならないカップリング論争で揉めているのを見ると、そンな風に改めて実感する自分が、昔の自分の片割れを見ているようで微笑ましく思うのだった。
有名どころだとまよチキみたいな作品。まあお嬢様と執事だけどそれはそれ。
「お嬢様の好きな人を好きになってしまった」みたいな葛藤が好きで好きで。
親友の好きな人を好きになったみたいな展開と似たようなもんだけど、感情の問題と立場も関わる問題だと重みがまた違うからこれがいい。
こういう設定のが好きなんだけど、どういうわけかほとんど見ない。どういうわけもなにもお嬢様とメイドが出てくる作品自体そんな多くねえよって話なんだけどまあ見ない。
最初に挙げたまよチキくらいしか知らなかった。ニセコイで鶫がメインヒロインだったら良かったんだけどまあご覧の有様だったしね。
それで最近、政宗くんのリベンジが師匠ルートになったみたいな話を見かけたので読んでみた。
アニメを見た記憶だとどう見ても愛姫ルート以外にねえだろと思ってたから半信半疑だったんだけど、おお、確かに師匠ルートもあるわこれ。
贔屓目除けば愛姫に行くか師匠に行くか半々くらいだろうけど、いやいいわこれ。どっちかわからない辺りが凄くいい。アニメ見ただけじゃこんな展開になるとは思わなかった。
師匠が泣く展開だったら俺も泣く自信があるけど、こんな好みな展開もないので楽しみ。
それと最後に、ジャンル問わず他にこんな設定の作品あったら教えてください。
色々勧めてくれてありがとうございます。
リゼロ→レムラムはメイドだけど主人は男だったような気が……? 他にも出るんだろうか。見てみます。
ハヤテ→あったねそういえば……うんまあちょっとあれだけだと。
GS美神→おキヌちゃん調べたけど幽霊なのにメイドなのか。読んでみます。
赤髪の白雪姫、エリザ様、ゼロ魔→葛藤が少ないとちょっとまた別嗜好ですのですみません。
小煌女→試し読み読んだらページのコマの置き方が面白かった。読んでみます。
OBC→ミュセルが姫様の従者だったらなあ。アニメの後葛藤したのかわからないけど。
ファイアボール→ロボだよね……? ほんとにある……?
メイドガイ→あるの!? アニメ見た記憶だけだと全然信じられないんですが読んでみます。
茨の城→ミステリーにもあるのか。評判良さそうなので読んでみます。
ホワルバ→もうちょっとこう手心がありそうな感じのものがいいです、すみません。
かにしの→「メイドの方は攻略対象のヒロインではない」ぐぬぬ。小説のほうではあるっぽいしやろうかなあ。
今日の月姫スレと信じて開いた→すまぬ…すまぬ… 翡翠は個別ルートでも裏側に関わらなかったり幼馴染だったりする辺りどストライクなんだけど、葛藤しないねそういえば。秋葉が義妹だからだろうか。
月姫…2000年発売。発売直後から話題。コミック化・アニメ化は2003年。
東方…1996年第1作発売。2004年ごろから話題。さらに2006年開始のニコニコ動画で爆発的ヒットに。
正直葉鍵世代とはずれててあそこら辺もやってないしきのこ作品は分量が多いし避けてたからここにくっつけていいのか解らんけど年末に当時の物を見返してたりして思う所あったのでざっくりと書く
田中ロミオは完全にラノベ作家になっちゃったし、まあ人類は衰退しましたの出来には満足してるし他作品を見ても上手くゲームからスライド出来た方かなあとは思う。
虚淵玄があんなに出世したのは一番以外だったけど、まどマギ反逆で「凄え上手くなってる、構造は変ってないけどもこれと比べれば沙耶の唄は習作だ」って思ったからまあ納得してる。
大槍葦人はlittlewhich解散してほぼ同人作家になっちゃったし(画風も変った、変わる事は仕方がないけれど白詰草話のころの憂いのある少女の絵はいまでも見るとヤバい、クラウドファウンディングかなにかでお金集めてあの頃の画風に近付けてフルFFDでゲーム作ってくださいよって言えばやってくれるんだろうか??)
元長柾木(ちょっと時期的にはずれてるか)はエロゲの世界に帰ってきた(ギャングスタ・リパブリカ)けどそこまで思い入れのある作家ではないのでやってみようかなとは思うけれど結局手をつけてない。
で、型月なんだけどさ、月姫リメイクもそうだけど個人的には星空めてお企画のGirl's Workを一応期待して待ってるんだけど……どうも最近の彼の作品を見てると元増田と同じように自分が好きだったのは腐り姫→Forestの頃の作風と名作を作ったあとに怪作を作ったっていう勢いなんじゃないのかって不安は拭えない。
まあ型月ならいつかは出てくるだろうし新規にコンテンツを供給出来る能力もあるのでまだ安心出来るかなとは思ってるだけどね。
なんか(おそらく)完成してるのに出てこない末期、少女病とからくえんPB2とかの方が残念だ、あいつらが日の目を見る事はあるんだろうか……
まあ全部いまさら出てこられてもどんな態度で見ればいいのか解らないという気持ちのほうが今は強い、あっと言う間に15年も過ぎてあそこら辺のゲームはなんか青春のいい思い出みたいになりつつある。
全く共感できなくて笑った。
元増田は何かと理由付けてFate/stay nightが好きだと言ってるけどzeroもcccも楽しめてないしApocryphaなんて影も出てこないし、普通にFateを楽しめてないだけだと思う。
個人的にFateの好きなところを挙げるとすると、その設定の奥深さと、英霊や魔術師の厨二病をくすぐる華々しい生き様であって、どろどろとした人間性の部分ではない。
例えばstay nightなら初っ端からイレギュラー過ぎる聖杯戦争にビビるし、真名当てや名だたる英霊のラインナップに妄想が膨らむ。厨二病をくすぐるエミヤの存在は最高だし最も好きなシーンを挙げるとするとギルと対面して固有結界発動させるあたりだったりする。
hollowは聖杯戦争とアヴェンジャーという存在の解説として面白いし、extraは霊子虚構世界という奥行きを拡げた良作である。
Zeroは英霊の生き様が最高にクールだし、駆け引き要素が盛り込まれていて聖杯戦争の主役があくまでマスターであることを思い知らされる。ApocryphaやFakeのド派手だって歓迎だ。
その流れでGrand orderは控えめに言っても最高。どのFate作品よりも世界観は広く、カルデアやシバ、レイシフトといった設定は完成度が高い。ビーストとか、いやそれ無理だろといった絶望的な局面がどんどん上乗せされてくるし、それを乗り越えた時の爽快感は半端ない。これから始まる二章とか、バビロニアや時間神殿ほどでないにしても初っ端から絶望的過ぎるでしょ。どうすんのよこれ。
HFを絶賛する層と、FGOファンは必ずしも重ならない。だからこそアプリ内でも必死に劇場へ足を運ばせる旨のキャンペーンを行なっている。
というのも、FGOは所謂ライトユーザー、型月に微塵も興味が無い人達が大多数を占めているからだ。
彼らは、古参よりほんの少しでもゲーム上で優位になれる事を求めている訳であってストーリーに興味がある訳じゃない。士郎の生き様だとか凛や桜の家庭環境だとかいくつもの世界に分岐して存在する無銘に何らかの感慨があるわけでもない。
月姫の盲信者への裏切り、それに加え歴史上の人物観の捻じ曲げ、誇張もこれに含まれる。FGOの中で述べられている人物観は必ずしも正しいものではない。なので正直、FGOに対して鬱憤を溜めている人も多いだろう。
増田が主張するように、以前から型月を支えて来た人には落涙する程の作品への熱い想いがある。しかしFGOユーザの殆どはそれほどの思い入れはまだ感じていない筈だ。
彼らは運営により集金する為の人員に過ぎず、そこを懐として新たな型月ワールドの一端を創造しようとしているのは目に見えている。
FGOユーザは、運営や型月に愛されているようで愛されていないのだ。ユーザが作品への理解を示していないのと同然だ。没頭する人々は薄められたジュースを飲み、お祭り騒ぎをしながら酔い痴れる。
側から見れば滑稽な事には違いない。
これは、典型的な「自分でやっていない、なにやら盛り上がっている作品を、気に食わないと上から目線で批判する文章」だ。
本文は『月姫』と『Fate/stay night』のネタバレを含む可能性がある。特に『Fate/stay night』原作を未プレイで、劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel]』の続きを楽しみにしている人は、ネタバレを含むため読まないでほしい。
私が奈須きのこの作品と出会ったのは2003年。月姫、月姫PLUS+DISC、歌月十夜の3作が収められた『月箱』であった。いわゆる型月ファンとしてそれほど古参というわけではない(型月における古参とは、竹箒に連載されていた時代の『空の境界』読者――とまでは言わないものの、最低でも2001年には『月姫』に触れたレベルを指すものだろう)。当時『ONE』『Kanon』『AIR』に心酔する所謂「鍵っ子」であった私は、もちろん月姫の噂は聞いていたものの、手を出すきっかけを掴みかねていた。月箱が頒布されたのは、そんなときである。歌月十夜まで一揃えで化粧箱に収められたそのパッケージは、初めてのTYPE-MOONとしては最適であった。同時期、彼らが商業へと移行し、次回作「Fate」は商業ゲームとしてリリースすることを発表したことも背中を押した。群雄割拠のエロゲ界についに鳴り物入りで乗り込んでくる新進気鋭の代表作を、体験しておかねばならぬと考えたのだ。
『月姫』は衝撃であった。連綿と積み重ねられてきたビジュアルノベルや恋愛アドベンチャーゲームの文法に沿っていそうに見えながら、しかし決定的に異なる「それ」は、私に新しい刺激を与えてくれた。私はシエル先輩が好きになった。この文章を打っている2018年に至ってなお、人生のオールタイムベストはシエル先輩だと胸を張って言える。もちろんそれだけではない。ファーストインパクトとなったアルクェイドが醸し出す寂しさを、そして、ひまわり畑で微笑む琥珀さんの愛おしさを、今なお昨日のことのように思い出せる。
月姫の魅力のひとつに、不思議なノスタルジーがあると思っている。あの文章とグラフィックと音楽には、懐かしいナニカを思い出させるものがある。去り行く少年時代を描いた作品だからだろうか。遠野邸の遠い記憶がそうさせるのかもしれない。
PLUS+DISC、歌月十夜まで一気にプレイした私は、そのまま『MELTY BLOOD』も楽しんだ。シエル先輩を動かせるのが楽しかった。弓塚さつきの話が出ると抜き身のナイフのようになる志貴を思うと切なくなった。琥珀さんが楽しそうで涙が出た。G秋葉でゲラゲラ笑った。
したらばのTYPE-MOON板にも入り浸った。それまで葉鍵板が主戦場であった自分が。当時、すでに「月厨」は鬱陶しい存在として認知されていた。私は努めて無関係な場ではTYPE-MOONの話をしないようにし、型月板でその分、目一杯、楽しんだ。たくさんのアンソロジーコミックにも手を出した。武梨えり、佐々木少年、磨伸映一郎……(そういえば特に好きだったこのお三方はみな現在も商業作家として活躍中であり、同時に、シエル先輩ファンであった。当時、武内崇は「シエル先輩が好きな作家さんは漫画力が高い人が多い」というような趣旨の発言をしていた記憶がある)。
だが。不思議なもので、このとき私は『空の境界』にはハマらなかった。もちろん原作は読んだのだが。当時、マルチシナリオ形式のビジュアルノベルに未来を見ていたためか。あるいは、純粋に趣味に合わなかっただけなのか。後年、空の境界はアニメ映画化され大ヒットを飛ばすことになる。
2004年、ついにTYPE-MOONの商業作品第一弾『Fate/stan night』がリリースされる。もちろん発売日に予約して買った。事前の雑誌での情報を見ていて、藤ねえがお気に入りだった(まさかあんなことになるなんて)。ライダーさんはビジュアルだけ見て絶対にアサシンだと思っていた。体験版の段階でクオリティが大幅に上がっていることは明らかだった。心が躍った。世界が変わる瞬間が、目の前にあった。
魔術師と英雄が跋扈する本作を終えて、私は思った。私は優秀な魔術師でも高潔な英雄でもなく、なんでもない、取るに足らない、醜い人間が好きなんだと。だから私は、間桐桜と衛宮士郎の物語が好きになった。
桜は魔術師ではあるが、本作においては魔術師としてよりも、もっと違う存在として描かれる。衛宮士郎もまた、魔術師ではなく魔術使いとして描かれる。そしてラストシナリオである桜ルートでは、桜は家族の呪縛から解き放たれて人間として生き始め、士郎は正義の味方に憧れたロボットからひとりの人間に生まれ変わる。魔術師と英雄が闘い続けた果てにたどり着いたのが、ふたりの人間の、人間としての歩みであったことは、とても感動的で、同時にこれが、奈須きのこが幻の弓塚さつきルートで実現しようとした未来なのではないかと想像した。
そして絶望する。ご存じの通り、桜ルートは批判された。当時の型月板は荒れた。セイバールートと凛ルートが絶賛されるとともに、桜ルートは徹底的に批判されたのだ。
イリヤスフィールの物語とオーバーラップして主題が分かりづらいという主張には一理ある(一説にはイリヤルートを作るリソースが間に合わず、桜ルートに混ぜた、と言われている)。描写不足であるという批判も、ある意味では仕方ないだろう。だがそれ以上に、ファンたちは、「多くの人間を殺しながら幸せなエンドを迎える桜」と、「正義の味方であることを諦めてセイバーを犠牲にした士郎」を批難した(正確には、彼ら2人に対してというより、そのようにある物語を避難した)。私は憤慨した。衛宮士郎の、何を見てきたというのだ。
正直に言うならば、私はセイバールートや凛ルートの衛宮士郎が嫌いだ。凛ルートの遠坂凛も苦手である。はっきりと言ってしまえば、物語として楽しみながら、登場人物たちに対しては苦々しい思いを抱き続けてプレイした。そんな彼らが、桜ルートで丸ごと好きになった。桜ルートでは、みな、人間として生きている。それが愛おしかった。
同時に、TYPE-MOON作品のふたつの側面のうち、ファンに望まれる側と、望まれない側が見えた気がした。考え過ぎかもしれないけれど、私がより好む側は、望まれていないように見えた。
これ以降、私はTYPE-MOON作品と少しずつ距離を置くようになっていく。厳密に言えば『Fate/hollow ataraxia』は心から楽しんだ(アンリマユとカレン・オルテンシアの物語はとても好みだ)。だが、『DDD』は未読、『Fate/Zero』は同人誌として頒布された際に1巻だけ読んで断念、『Fate/unlimited codes』『Fate/EXTRA』には手を出さず、期待した『魔法使いの夜』はプレイしたものの、それほど心惹かれなかった。この間、各種メディア展開で楽しんだものは、佐々木少年による漫画版『真月譚 月姫』のみであった。パスタ先輩のことは一生許さないよ。
時は流れ、2014年7月27日。もうTYPE-MOONに何の期待もしなくなった私は、それでも「Fate Project 最新情報発表会」をニコ生の中継で見ていた。そこでUBWのテレビアニメ化や『Fate/strange fake』の正式出版化に並んで、ひとつの新作が発表された。『Fate/Grand Order』。通称FGO。ついにソーシャルゲームをやるのか、と私は冷めた目で眺めていた。むしろ発表会本編終了後のサプライズ、Heaven's Feel の劇場版制作決定の発表の方が魂が震えた(今でもあの瞬間の、観客席からの絶叫と、涙を流しながら挨拶をする下屋則子さんの姿をよく覚えている)。
私はソーシャルゲームをほとんどやらなかった。手を出してみたことはあるが、純粋に楽しみ方が分からなかった。というよりそれ以前に、私はいわゆるオンラインゲーム全般が合わなかった。だからFGOが楽しめるかどうか不安だった。2015年、サービス開始に合わせてダウンロードし、序盤をプレイした。だめだった。まったく合わなかった。どう頑張っても楽しむことができなかった。私はFGOをアンインストールし、Twitterのタイムラインに流れてくるFGOプレイヤーたちの悲喜こもごもを眺めるだけになった。年を重ねてしまった、と感じた。
やがて、現実の人間関係の中でも、FGOの話題が上がることが増えてきた。2016年末のイベントの様子はTwitterでも見ていたが、彼らはとても熱っぽくFGOがいかに面白く、衝撃的で、とてつもないかを語った。私は羨ましかった。もうTYPE-MOON作品でこんなにも熱く語れることはないだろう。そう思った。
私はFGO本編をプレイしていない。いろいろと明かされたアレやソレを、なんとなく知識で知っているだけだ。そうした立場で評価するのは御法度であろう。それでも私はFGOが気に食わない。これは負け惜しみだろうか。それともただの老害でしかないのだろうか。私が好きだった奈須きのことTYPE-MOONの描く取るに足らない人間たちの物語は、もしかするとFGO本編でも繰り広げられているのかもしれない(琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOのシナリオがそれと同様に面白い、という人がいたら、ぜひ魅力を語ってほしい。皮肉ではなく、ぜひ知りたい)。だけれども、数多くの英雄がスマートフォン上で戦い続け、それをプレイするファンたちが嬉々としてお気に入りの英雄が引けたことをTwitter上に報告する様子を、どこか冷めた気持ちで眺めてしまう自分に気付く。私がTYPE-MOONに求めていたものは、これだったのだろうか? 幾度となく繰り返されてきた、単に自分が望むような創作から外れていってしまった存在を寂しく思うという、これはきっとただそれだけのことなのだ。つまり、八つ当たりと取ってもらって構わない。
劇場版『Fate/stay night [Heaven's Feel] I.presage flower』は、公開初日に映画館に観にいった。素晴らしかった。須藤友徳監督の、間桐桜と桜ルートに対する圧倒的な「理解」に目眩がした。アバンで桜と士郎の「それまでの日々」をたっぷり描いた時点で、完全に勝利だった。FGOで得た利益でこんなにも素晴らしい映像作品が作れるのなら、FGOに感謝すべきであろう、などと思った。第二章も楽しみだ。
聞くところによると、FGOの世界には死徒二十七祖(という概念)は存在しないそうだ。私が好きだった奈須きのこワールドとは違う世界がそこにあるのだな、と改めて思った。繰り返すが、これはただの八つ当たりだ。
2017年末も、FGOは盛り上がっていた。きっと酸っぱいに違いないと、私は新年からこのような文章を打っている。2008年4月、月姫リメイク制作決定が発表された。今年、ついに発表から10年が経過する。優先順位があることくらい私だって理解できる。だからもう「月姫リメイクはよ」とは言わない。そのようなファンに耳を貸す必要だってない。FGOを楽しむ人々に向けて頑張っているスタッフの皆さんに、おつかれさまです、と声をかけたい(年始メンテおつかれさまです)。FGOという作品を批判する気もない。そもそも批判できるだけの素地すらない。何しろ、プレイしていないのだから。本当に申し訳ない。
結局のところ、私はTYPE-MOONが、奈須きのこの世界が好きだったのではなく、ただ『月姫』という作品が好きだっただけなのだろう。あるいは、月姫が生まれた、あのころが。