はてなキーワード: 大国とは
犯罪に遭った事が無いから分からないんだろうが、被害を訴えるのもとても勇気がいるんだよ
泣き寝入りの数は発覚してる件数の何倍にも及ぶよ。表に出てる数字だけでも世界で類を見ない痴漢大国だけど
それに警察が全て取り合ってくれるわけでもない
最近は改善されてきたらしいが少し前までは門前払いされるのが当たり前だった
このくらいは少し調べればすぐに分かること
完全なデマ。
ここは全然「言うまでもなく」ない。むしろ、世界中で「そういった犯罪を……ポルノが助長している『はずだ』」と考える人々が因果関係を証明しようとしているが、誰も証明していないわけで、普通に考えればあくまで「ポルノ」は現実の反映に過ぎない。つまり、誰かが好むものがポルノとして製造されるのであって、ポルノが人の選好を作り出すわけではない。
そもそも、増田の論理の誤りは非常に簡単に説明できる。まず、事実として日本はポルノ大国である、そして性犯罪の発生率は比較的低い。ならば、もし増田の論理が正しいとすると、日本の成人男性はポルノに影響されて非常に倫理観が薄い一方で、犯罪に走らないという強固な倫理観をもつ、という非常に奇妙な主張がなされることになる。単純に言って、矛盾している。
思うに、ポルノの流通は、おおむね規制の厳しさと経済の豊かさとある程度関連しているに過ぎない、というのが妥当な推定なのだろう。規制の厳し過ぎる国や貧しい国では、豊かなポルノ文化は育ちにくい、というそれだけのことなのだ。日本がポルノ大国なのは、規制がそこまで厳しくなく、かつ豊かであることの結果であって、ポルノが氾濫していることが「日本人の乱れた倫理観」を表しているわけではないし、ましてポルノの製造者が犯罪の加担者であったりするわけではない。世界の貧しい国発のポルノは少ないかもしれないが、それはそれらの国の人々が先進諸国に比べて高い倫理観を持っていることを担保しない。
いちいちポルノをやり玉にあげるのではなく、もしある国の「倫理観」を調べたいなら、単に犯罪の発生率をみる方がよほど公平だと思われる。
こんばんは、お久しぶりです。
緊急事態宣言も解除になりつつも感染拡大防止の観点からどこまでやっていいのかと言う感じですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
まあ増田は2ヶ月半全くの在宅勤務でしたが来週から少しずつ出勤でございます。
さて、ここで増田が言うことといえば、ラグビーなんですが、ラグビーといえばこれは密としか言いようがなく、国内ではせっかく史上最高、世界レベルのプレーヤーを集めたトップリーグもシーズン半ばで強制終了、再開の目処もたっておりません。
しかしながら、世界最強のラグビー大国にしてコロナ対応の優等生、ニュージーランドは様子が違います。
先週末、ニュージーランド国内限定ですが、スーパーラグビー参加5チームの対抗戦、スーパーラグビー・アオテアロアをスタジアムに満杯の観客を迎えて開幕しました。
https://www.youtube.com/watch?v=XDlQ3Bw2ZfA
https://www.youtube.com/watch?v=ljx8COYfRz4
https://www.youtube.com/watch?v=PZa8KZdSxuA
We can save the human race by lying in front of the T.V. and doing nothing
(史上初!テレビの前で寝そべって何もしないだけで人類を救える!しくじるなよ!)
という粋なメッセージを警察から受け取ったニュージランド国民は、少なくともニュージランドの感染者を0まで押さえ込んで、国民的スポーツを再開。
彼らはしくじらずにやり遂げました。
「500万人のチーム」と言う言葉で国民に呼びかけたアーダーン首相の指導力について長々と話すと日本の対策と比べて話が荒れそうなので、ここは再開したアオテアロアから見る、アフターコロナ時代のラグビーについて少し。
ラグビーはメジャースポーツにしては珍しく毎年のようにルール改正がされるスポーツで、過去にも危険なタックルに関する反則の適応や、トライ・キックの得点数の配分などが改正されました。
だいたい、この辺のルール改正は国際プロリーグが実験的に導入して、有効性の検証を経てワールドラグビーが追認するケースが多く、今回もこのコロナ禍を受けた改正ルールを採用してアオテアロアは開幕しました。
・レッドカードが出た場合、20分の退場をへて交代選手の投入可能
・80分で同点の場合、最大10分の延長。先にいずれか得点した場合、そこで試合終了。
このルール改正の実情と、国際ルールに採用になった場合の日本への影響を考察したいと思います。
これは早くもアオテアロアの様相を変えており、日本に最も影響が出そうなポイント。
具体的に言うと、「タックルが成立したら倒されたプレーヤーはただちにフィールドにボールをおかなくてはいけない」と「タックルした側は攻撃側チームの邪魔にならないように即座に地点から退かないといけない」が非常に厳格に適応されています。
日本で姫野なんかがよくやっていた、タックルを食らっても倒れても身体を前に回転前進させて食い込むようなプレーは「ダブルモーション」として反則。
(ちょっと微妙だが、倒れた後でタックルした相手が手をはなし、フリーになった時に周囲にだれもいなかった場合、ボールを一度置いて立ち上がって拾い直すのはOK)
反対に、これも姫野がやっていた防御時のボール奪取、「ジャッカル」はボールに手がかかった瞬間、0.5秒ほどで成立。
タックルしたプレーヤーが、相手チームのフォロワーによって密集に巻き込まれて逃げる間もなく下敷きとなり、プレーの邪魔をしないよう、身体半分ずらしてバンザイ体勢で「試合に関与してません」アピールをすることは今までよくあったんですが、今回はそういうのは容赦無く「はい邪魔。反則」となります。
この結果、ゲームはスピード・クイックネス重視になり、頻繁に反則の笛が鳴り、攻守交代のセットプレーが増えています。
パワーよりスピード重視は日本に有利といえるものの、セットプレーが増えるのが問題で、国際試合における日本はブレイクダウン時の反則からのセットプレー、ラインアウトに問題を抱えやすい。
どうしても高さの差が出るのがここなのです。
日本としてはクイックなブレイクダウンでいかに笛を鳴らさないかが重要なポイントとなるでしょう。
現代スポーツ全体に言えることですが、アスリートの身体能力はどんどん高くなっており、とりわけ接触プレーの多いラグビーはその危険度を増しています。
今までのルールでレッドカードで退場になった場合、受けたチームは残りの時間を14人で戦い続けなばならず、15人で分散していた負荷が残りの14人に集中することとなり、非常に危険でした。
このルール改正で、選手のフィジカルな危険度はかなり下がったと言えます。
このルール改正により、同点の場合、ノックオンでは試合が終わらないこととなります。
今まででも同点の80分後にペナルティを獲得した場合のショットで試合が決するケースはありましたが、今回、それに加えて、相手陣深く、中央付近でスクラムを獲得した場合、ドロップゴールを狙うのが有効な選択肢となります。
キックの精度が試合を左右する重要なファクターとなるでしょう。
この点、日本は必ずしも最優秀とは言えず、やはりニュージーランドや欧州勢の方がキックは上手い印象があります。
全体的な印象だと、このルールが採用されれば現状では6/4で日本不利、しかし工夫でどうなるかわからない、と言う感じです。
日本はスーパーラグビーに参戦していたサンウルウブズが今年で除外、そのシーズンもコロナで強制終了となり、国際シーンにいつ復帰できるかと言う状況ですが、再開になった時には新ルールにうまく対応していただきたいところです。
そこら辺りは大変気になりますが、ニュージーランドはラグビー界の絶対王者であり、国内5チームはどのチームもティア2のナショナルチームを一蹴する実力がある。
この現状で見られるラグビーリーグとしては世界最強のリーグといっていいでしょう。
マスクもせず隣同士と肩が触れ合う距離で熱狂する観客で満たされたスタジアムが見られること自体が希望を感じる風景であります。
皆さんもよろしければぜひ、J-Sportsなどでその熱気に触れてみてください。
増田の目には日本ではとてつもない差別主義者はいないように見えてるのかもしれないが、見えてない話をすると、日本に住んでる外国人はわりと日常的に公然と差別されている。道端で、このクソ野郎、国に帰れみたいなことを言ってくるおっさんがいる。
反撃してこないアジア系の女性とかが被害者のように思うかもしれないが、きちんとした身なりの身長のクソでかい白人男性にもそういう暴言を投げてくる気狂いみたいな差別主義者はたくさん日本の街中にいるし、企業で働いてても、あいつは日本人じゃないからみたいなことを平然という奴がいたり、日本は実はものすごい差別主義者大国なんだけど、日本人として日本に住んでいるとそういう目に遭うことはないので、日本には差別がないよねみたいな印象を持ってしまうけど実はそうじゃないってことを言いたかった。
駅構内ぶつかり野郎を男性が認識できなくて存在を信じないみたいに、日本人にはショッキングな日本の差別主義者が見えてないんだと思う。
水曜日、JKローリングが「TERF戦争」と題した声明をツイートした。ローリングが「月経のある人」というフレーズを揶揄したり、「トランス・アクテヴィズム」が女性を抑圧しているとするなど、トランスフォビックな発言をツイートして論争を呼んだ直後のことだ。
https://courrier.jp/news/archives/201920/
前々からローリングはTERF(トランス排除主義的なラディカル・フェミニスト)とみなされていた。
TERFと呼ばれる人々はトランスフォビックな発言をしたり、トランス女性は女性の空間(women’s spaces)に属していないと主張したり、ときにはトランスジェンダーの実在を認めることは女性の権利を侵害することだとほのめかしたりもする。
TERFという呼び名は1970年代のフェミニズム理論に由来するが、より広く知られるようになったのはネットの発達した2000年代以降のことだ。
1970年代当時、ラディカル・フェミニストのサークルは、トランス女性を支持するフェミニストと支持しないフェミニストを分ける言葉が必要だという信念を有していた。
フェミニストグループは基本女性オンリーの集まりであり、物理的な意味でも男性とは「別の部屋」を形成していた。ここで物事をやっかいにしたのが「トランス女性」という存在だったのだ。特にラディカル・フェミニストのサークルではトランス女性の受け入れについて激論が交わされたそう。
その際に女性の空間にトランス女性を含めることを反対するフェミニストたちが自称しだしたのが gender critical feminists だ。
初期のジェンダークリティカル・フェミニストたちはトランス女性やノンバイナリーの人々を女性の空間から締め出す運動を始め、トランスの人々に対して暴力的な脅迫を繰り返したりもした。
「生物学的な性別(biological sexes)」を重視するローリングのような人々は、こうした半世紀前のラディカル・フェミニストたちの信念を引き継いでいる。ローリングは「”生物学的な性別””は二種類しかない」と自身のブログでたびたたび強調しているが、これも70年代の残響のひとつだ(ちなみに彼女のこの発言は研究者によって否定されている)。
「生物学的な性別」の神聖視に加え、ローリングはもうひとつ、1970年代において使われていたジェンダークリティカルな論点を繰り出している。すなわち、「トランス女性が女性の空間に入ることで、シスジェンダーの女性の安全が脅かされる」というアイディアだ。
彼女はこう述べている。「私はトランス女性が安全であってほしいと思っています。同時に、生まれつきの女の子や女性たちにおける安全を弱めたくないのです」
TERF的なイデオロギーを持つ人々は性別適合ケア(性別適合手術やホルモン療法など)に反対している。単に女性の空間からトランス女性を排除することだけでなく、トランスジェンダーの人たちからそうしたケアも取り上げようと古くから提唱してきたのだ。
たとえば、マサチューセッツ大学教授のジャニス・レイモンドは1979年に著した悪名高い "Transsexual Empire: The Making of the Shemale”(https://wezz-y.com/archives/63653)において、ヘルスケアなどをカットするなどの措置によってトランスジェンダーの人々を「道徳的に根絶すべきだ」と書いている。
こうした反トランス的な感情は、トランスジェンダーの人々にネガティブな影響をおよぼしつづけてきた。アメリカでは、保険会社が何十年にもわたって性別適合ケアを拒絶してきたし、医師たちもトランスやノンバイナリーのひとびとにHRT(ホルモン補充療法)を提供することを敬遠してきた。そうした状況が変わったのはここ数年のことだ。
2017年まで「性同一性障害」はアメリカのDSM(精神医学会の精神疾患の診断と統計マニュアル)において精神疾患として分類されてきたが、2018年に削除された。WHOも国際疾病分類から「性転換」の項目を撤回している。
ローリングは声明の中で、レイモンドと同様の指摘を行った。彼女はトランスジェンダーの若者に対して性別適合ケアを制限すべき理由として、HRTのあとで「脱移行(detransiton、性別適合ケアを受けたあとに以前の性別に戻ろうとすること)」をしたがる人々が増えている問題をあげている。一方で、性別適合ケアがトランスジェンダーの若者たちの自殺率やうつ病の罹患率を下げていることは証明されているのだが。
TERFはトランス女性を「本当の女性」とは考えておらず、トランス男性を「本当の男性」とみなしてはいない。ノンバイナリーの人々の実在も信じていない。
トランス女性を女性の空間にいれるべきではないのなら、トランス男性についての扱いはローリング的にどうなのか。
「皮肉なことに、ラディカル・フェミニストはトランスジェンダーを排除しきってはいません。彼らはトランス男性をフェミニズムのなかに含めています。なぜなら彼らは女性として生まれたからです」
かなり侮蔑的な発言だ。トランス男性が女性の空間に属している、と断言するのは彼らが「本当の男性」ではないと暗に指摘し、彼らのジェンダー・アイデンティティを貶めるようなものだ。
こうしたふるまいは”皮肉なことに”、「生物学的な」理屈でもって女性差別を行うミソジニストの振る舞いと通底している。
また、こうした発言は「自分は誤った性別に”生まれ”てきた」と感じているトランスの人々に、性別適合処置が絶対的に必要なのだという誤った考えを植え付けることにもつながる。すべてのトランスジェンダーの人が、自分の身体や性別で快適に過ごすために医学的な処置を受ける必要はない。
近年のアメリカにおいてはフェミニストやクィアコミュニティにおいてトランスに対する包摂の動きが高まりつつある。一方で、ローリングの住んでいるイギリスはそうした変化に遅れていると指摘されてもいる。
https://slate.com/human-interest/2019/12/rowling-transphobia-tweet-radical-feminism-discourse.html
保守大国イギリスでは、トランスジェンダーに対する反感が根強い。2000年代に入ってもトランスジェンダーに融和的な法律が制定されようとするとラディカルフェミニスト団体が猛烈な抗議をしかけてくるほどだ。「ジェンダークリティシズムの本場」の異名は伊達ではない。
ラディカル・フェミニズムそのものは第二派フェミニズムの副産物であるとされる。その流れを汲むジェンダークリティカル・フェミニストたちの問題はラディカルであることではなくて、その価値観が50年前から更新されず、社会の現実と乖離しつつあることだ。
60年代70年代の日本のフェミニストたちが学生運動に同調しきれなかったように、結局オールドで分断的な価値観の行き着く先は古き悪しき家父長制の存続だ。
初めまして。
先日ふとした出来心でツイステッドワンダーランドに関するお気持ちブログを読んでしまい、それ以来色々と考えてしまっている別ジャンルの腐女子(いい歳)です。
まずはじめに、私のスタンスとこの文章で何が言いたいかという結論だけ先に書いておきます。
私はツイステのことを特別好きでも嫌いでもないし、作品自体になんらかの罪があるとは思っていません。(そのうち気が向いたらやってみたいなと思っています)
その上で、
「この作品はコンテンツとして公式に供給されているものだし、それを楽しむことは何も悪くない。しかし作品の性質上、苦手な人にとっては極めて苦手なものになると思うので、楽しんでいる人もちょっとだけ、苦手な人に配慮してあげたらいいんじゃないか」
と思っています。
ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
私が言いたいことは以上なので、ここで引き返していただいて全く構わないのですが、色々と考えたので以下に雑考も置いておきます。
どうしてそういう思いに至ったか、が気になる人はどうぞ。長いです。
私自身は特別ディズニー作品に思い入れの深い人間ではないのですが、ツイステが発表された時は、それでもかなり驚きました。
ディズニーアニメといえば、「おとぎばなし」、「メインキャラクターは可愛い動物やプリンセス」、「海外アニメ特有の絵柄」といったイメージが強く、実際にこれまで公式に配給されるコンテンツはその大枠を出ないものであったと思います。
これに対し、ツイステはそうした従来のディズニーアニメ作品のイメージをよくも悪くも覆すものでした。
(※ディズニー作品でも実写映画はもうちょっとダーク&アダルティな雰囲気のものも多いと思うので、ここではツイステと、ツイステの中でモチーフとして使用されているディズニーのアニメ作品のみに絞って考えています。)
ディズニーアニメとは、「大人も子どもも楽しめて、教養やユーモアに富み、映像は美しいか、または可愛らしい。血が出ない。グロくない。一般的な感覚ではエロくもない。子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」だと思っていましたので、「そうした作品群を原作(モチーフ)とした、サブカル的な作品が、公式コンテンツとして配信された」というのは素直に驚きです。
ひと昔前、ディズニーには「著作権にめちゃくちゃ厳しい」というイメージがありました。
近年はディズニーに限らず、版権元がファンアートに寛容な雰囲気が広がっており、ここ数年の間にはディズニー関係のファンアートを目にする機会が大幅に増えた(体感)と感じています。
ですが「ディズニー作品は手を出してはいけない聖域あるいはハザードゾーン」というのが暗黙の了解、もとい暗黙の常識だった時代は確かにありました。なので、いかにも女性オタクに受けそうな(というと語弊がありそうですが、私自身女オタクで別に女オタク蔑視はしておりません)、二次創作が盛り上がりそうな毛色の作品を、あのディズニーが、公式コンテンツとして出してきたのは驚きを通り越して衝撃です。
こうした驚きを経て、私が次に思ったのは「この作品、面白そうだけどヤバそう」でした。
なぜそう思ったのか、というと、居並ぶ美麗なイケメンたちを見て「これエロ同人とか描く人が出てくるよね?」と咄嗟に思ったからです。
エロ同人が悪いとは言っていません。好きです。
ただ、「ディズニーのエロ同人がまかりとおる時代になる」なんて一昔前なら考えられないことでしたから、エロ同人もたしなむ年代物の腐女子として、素直に「ヤバくね!?」と思ったのです。
そして、ディズニーはそういう日本のオタク文化をも許容するのだろうかと驚き、首を傾げ、同時に「この作品を蛇蝎の如く嫌う人も出てくるだろうな」と感じました。
以前拝読した「お気持ち」ブログで、「ツイステはキャラクターの性的搾取」という文言を目にしました。
その意見の正誤、公式のコンテンツが性的かどうかはさておき、あたりを見回してみると現に「ツイステキャラに性的な目を向けている人」が少なからずいるということは間違いではありません。
もちろん、すべてのツイステファンの方がそうではないと思いますが、事実としてツイッターのTLには「●●くん、えっち」「R18同人誌買いたい」という声が、ごく普通に流れてくるようになりました。
元々そういうTLですので、それ自体に驚きはありません。
公式はそれすら意識して売り出していると思いますし、「そりゃそうなるよね」という感想です。
あんな美麗なキャラ達を並べ立てられて、ストーリーもよいという評判。
それを受けて、このサブカル大国で世のオタク達が何をし始めるのか、天下のディズニーが想定していないわけがない。
個人的には、ツイステを発表したことで、ディズニーはツイステに関して「多少のことは許容する」という方針なのだと解釈しています。
ですから、二次創作してる人を白い目で見ることもないですし、楽しみたいように楽しめばいいと思う。
でも一方で、「従来のディズニー作品が好きだった、ツイステは受け入れられない」人の気持ちを考えると、辛い気持ちになります。
(※従来のディズニー作品が好きで、ツイステも好きになれる人は今一点の曇りもなくハッピーだと思いますので、ここでは考慮していません。)
子供の頃から慣れ親しんだ大好きなキャラクター、をモチーフとしているキャラクターがいる。
そこまでは多分許容範囲でしょう。でも、それを「えっちだ」と言ってはばからない人がいる。
中には「原作は知らないけど」と言っている人もいるかもしれません。
「原作もツイステも好きで楽しんでる人」にとっては問題ないかもしれませんが、「原作は好きだがツイステは苦手な人」にとっては、その状況は辛いだろうなと思います。
「AはBをモチーフとしたキャラ」と、「BはAのモチーフになったキャラ」では主体が違いますよね。
元々Bが好きな人からしたら、なんでこんなことに、となるのは、自然な感情かなと思います。
さらにAが有名になって一人歩きし始めて、AもBも知らない人にAの情報だけが残る、ということにもなり得る。それは悲しいし、悔しいですよね。
でも、公式という一次ソースが提供しているものを消費者が消費して楽しむことは何も悪くないのです。
では怒っている人は何に怒っているのだろうと考えると、私は、「ツイステを公式のものとして送り出した公式」に腹を立ててる人が多いんじゃないかなあと予想しています。
与えられたコンテンツを楽しんでる人たちが悪いわけでないとしても、作った公式が、それに乗っかる世の中が、悲しくてしんどくて、結果的に多少的外れな言論になったとしても、吐き出したくてしょうがなかったんだろうなと思います。
ディズニーアニメ同様、「子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」にカテゴライズされるだろう作品です。
オタクになっても、腐女子になっても、その作品は私にとって特別な存在であり続けました。
キャラクターを擬人化(美形化)した二次創作を読んでみたこともあるし、それはそれで楽しんでいました。
でもそれには「二次創作だったから」楽しめていたという側面があります。
なぜなら、「原作者は絶対にそんなことをしないはず」と(勝手に)信じているからで、私も私の好きなジャンルで公式がツイステのようなコンテンツを出してきたら恐らく発狂します。
(ネタ、ギャグの一環で片付けられるジャンルであれば別かもしれません。)
言葉が悪くなってしまいますが、「ツイステでディズニー作品が汚されてしまった」と感じる人は、「ディズニー公式のコンテンツとしてこういうものはありえない」と(勝手に)信じていたのだと思います。
今まで「ありえない」と思っていたものが、公式的には「(実は)アリだった」というのがここへ来て明らかになった。「勝手に信じて勝手に裏切られただけ」という人もいるとは思いますが、私個人的には、ディズニーはそう信じさせるムーブをしてきたと思っています。ですから裏切られたと感じる人がいても無理はないと思うし、そういう人達にはお気の毒と言うより他にありません。
公式が敵に回ると本当にひたすら辛いんですよね……だって、どんなに嫌でも公式なんだもの。
二次創作だったら「二次創作だから」で目を瞑れることも、公式にされたらしんどい。逃げ場がない。
そういうモヤモヤを抱えて、でもどうすることもできない人達がいるということを頭の片隅に置いてみませんか。
「みんな住み分けるべきだ!」とは言いません。ただ、「住み分けたい人が自主的に住み分けられるように、手伝ってあげられませんか」と申し上げたい。
フォロワーさんたちがどんどんハマっていった結果、TLがツイステ関連ワードで溢れ、本来探したい情報が埋もれるという現象は私のTLでも既に起こっております。
今はワードミュートしていますが、他の方が指摘されていたとおり、タグや作品名の表記なしで回ってくるファンアートは防ぎようがないのです。
私はツイステが特別好きでも嫌いでもないので、周ってきたら「最近本当多いな…(アカウントごとミュート)」で済みますが、ツイステが苦手な人にとっては、それらを一瞬目にすることさえ苦しいと思うのです。
「勝手に苦しんでいるだけ」「嫌なら見るな」と思う人もいると思います。その言い分も、分かります。
でも、楽しんでいる側は特に困っていないのですから、「嫌な人には届かないようにしてあげる」くらいの配慮はしてあげてもいいと思うのです。大した手間ではないし、タグをつけておけば探す側にとっても容易で一挙両得ですよね。
ちなみに外野的には、ファンアートの投稿時にはキャラ名だけでなく作品名も一緒に入れてほしいなと思います。
(キャラが多いうえ、あだ名で呼んでいる人もいたりすると、ワードミュートでは拾い切れないのです。)
最後にもう一度、ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています。
なんでこんな自分にとって毒にも薬にもならないことをとくとくと考えてしまったかというと、昨年、大好きだったとある作品のとんでもない続編が発売され、「公式がこれを公式のコンテンツとして出してくるのか」と憤怒と憎悪を滾らせてしまった自分の気持ちを思い出して、「ツイステが苦手な人」に共感しすぎてしまったのです。
辛いうえに、気持ちを吐き出したら反対意見がどっと押し寄せて、なおさら辛くなったよね。そう思ったらますますしんどくて、その気持ちもわかるよ、そう思っちゃっても仕方ないよって、聞こえなくても言いたかった。
そのブログによって傷ついたツイステファンの人もいるでしょうから、どっちが悪いとかいうことではないんですが、吐き出さずにはおれなかった人の気持ちもわかるんです。
ミュート徹底してもトレンドに上がってたら防げないし。でもツイッターやめられるわけでもないし。自分の問題でしかないけど、辛いものは辛いですよね。
○岩垂委員 まだちょっとお聞きしたいことがあったのですが、ぼつぼつ時間が来てしまいました。
実は、私が申し上げるのもちょっと変ですけれども、南ア問題について日本のいろいろな人たちの、特に南アの関係というか南アに行かれた方々を含めて、御存じのように「スプリングボック」という会報が出ていますけれども、これだけでなしにいろいろな御発言を収録をしてみました。
その一は、ここ数年来、南アと日本との貿易は飛躍的に伸長し、それに伴い名誉白人は実質的白人になりつつある。最近は、多くの日本人が緑の芝生のある広々とした郊外の家に白人と親しみながら、そして日本人の地位が南ア白人一般の中において急速に向上していることはまことに喜ばしく、我々駐在日本人としても、この信頼にこたえるようさらに着実な歩みを続けたい。インド人は煮ても焼いても食えないこうかつさがあり、中国人はひっそり固まって住み、カラードは粗暴無知、黒人に至ってははしにも棒にもかからない済度しがたい蒙昧の徒という印象が強い。これは三井物産の社内報「三井海外ニュース」。これはその後廃刊になったようですけれども、ヨハネスブルグ駐在員がこういう文章を寄せている。
その二。アパルトヘイトはけしからぬが、泥棒にも三分の理と言われるように歴史的背景や立場の違いというものがあり、南アには南アなりの主張があるように思います。日本の外交も、国連追随主義ではなくて日本独自の南ア政策を考える時期じゃないですか。これはプレトリア日本領事館から帰国したばかりの前領事さん。これはちょっと古い話です。
それから、これは有名な石原慎太郎さん。アメリカでは黒人を使って能率が落ちている。黒人に一人一票やっても南アの行く先が混乱するだけだ、独立してもやっていけないということを、当時の日本・南ア友好議員連盟幹事長というお立場で石原慎太郎さんが発言をなさっていらっしゃる。
あるいはその四。黒人の政治的権利の付与も重要であるが、白人の巨大な経済権益の保護もそれに劣らず重要である。制裁措置とは逆に、西側諸国が一致して南アを助け建設的協力を行っていくことであり、また国内における変革を急激にではなく漸進的に実施していくことである。これは、南アの日本人会の月刊誌「スプリングボック」の、これも南アに駐在した領事の一文。
いろいろございます。それ以上やめましょう。
しかし、最後にその五として申し上げなければならぬのは、南アに暮らす我々日本人は、日本政府が科する包括的制裁の範囲内で、さまざまな困難があるにもかかわらず貿易関係を維持しようと絶えず努力し続けるだろう。両国の貿易関係は決して弱めることはできない。これは南アの日本クラブの代表であります。
現地の方々がこういう態度で対応していく限りにおいて、現地の人たちの理解を得ることは難しいと思います。それは一、二の人かもしれません。しかし、そういう態度が日本人の態度として目に映ることも事実だろうと私は思います。名誉白人ということは決して名誉な称号ではないと思います。
そういう意味で私は少し時間をかけて、あらゆる角度から申し上げて大変恐縮でございましたが、今、日本国民の関心といいましょうか理解が「遠い夜明け」を通して広がっているこのときに、そしてまた、日本が南ア貿易のトップということになって国際的な批判を受けているときに、なかんずく貿易摩擦などを含めて日本経済にさまざまな問題が投げかけられているときに、日本人は経済の面では大国だけれどもモラリティーの面ではいわば小国であると言ったジャクソンさんの言葉を私は思い浮かべます。
そういう意味で、反アパルトヘイトについて、この際、いろいろな立場がおありでしょうけれども、日本政府がしっかりした態度をとって、世界の中に日本政府、日本国民の態度をお示しいただきたい。このことをお願い申し上げて、大臣に最後の御答弁を煩わせたいと思います。
○宇野国務大臣 冒頭に私の当国会におけるところの外交方針演説、これを引用していただきましたが、私はもうそのとおりの主義主張、そして姿勢を今後貫いていきたい、これが日本政府の考え方であります。
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=111203968X00619880413¤t=2
主人公。元検事長。派手さはないが、手堅い守りの麻雀が身上。生粋のデジタル派。
検事総長昇進を目の前にしながらあるスキャンダルによって一転辞任にまで追い込まれた。そのスキャンダルを仕組んだ陰謀の元締めを追い、真相をつきとめるために麻雀裁判に打って出る。
【特殊能力】
・「待った!」 :「待った!」と叫んでチーする。
・「ん!」 :当たり牌を指差してロンする。
【特殊能力】
・「密です!」:敵がポンしようとした牌で七対子をロンする。
東京都知事選での小池のライバル候補。瞑想が足りておらず、野菜を食べていることを褒められるとキレる。東大卒のくせに(偏見)ほぼ感性で打つ。豪運。
【特殊能力】
・「俺はバイブドアのヤリエモン!」:槍槓でアガる。
黒川の良き理解者であり友人。辞任後に落ち込んでいた彼を励まし、麻雀裁判でも支援を惜しまないがその裏では……?
【特殊能力】
合衆国大統領。MAGA(Mahjong America Great Again:麻雀大国アメリカ復興)を合言葉に大統領に就任し、アメリカ式麻雀を世界的に推進。チュンマ一路政策をかかげる中国と激しく対立する。
【特殊能力】
・「PRESIDENTIAL HARASSMENT!」:上家以外でもチーを鳴くことができる。反則だが大統領権限を発動しているので誰も逆らえない。
・「OBAMAGATE!」:白牌が黒くなる。特にゲームに影響はない。
・「FAKE NEWS!」:いわゆる「待った」。捨てた牌を手元に戻して切り直すことができる。反則だが大統領権限を発動しているので誰も逆らえない。
野党立憲民主党の事実上のトップ。タレント時代に猛者犇めく芸能界で鍛えた麻雀の腕は本物で、荒れた場でも瞬時に不要牌を見抜く「仕分け人」として霞が関で恐れられている。
【特殊能力】
・「二番じゃダメなんですか?」:どんな順位からでもオーラスで必ずトータル二位になれる役が揃う。コントロールが効かないため、トップからずり落ちることも。
日本共産党のディクテイター。チュンマが得意だと勘違いされがち。
【特殊能力】
・「共産党宣言」 :赤牌(赤ドラ)と中が手元に来やすくなる。地味にというか、わかりやすく強い。
従来の覇権国家に対して、別の国家が勃興してきたとき、戦争が避けられないまで衝突するはずだ、という考え方のこと。小さな摩擦から最終的に避けられない衝突へと移行していくとするが、「罠」とついている通り、必ずしもそうではない。例えば、冷戦時代には少なくとも米ソの直接戦争はなかった。考え方は知っていたのだが、いつも名前を忘れてしまうので、ここに記録しておく。
トゥキディデスは、ペロポネソス戦争を実証的に記述した『戦史』で知られるが、そこで彼はアテネとスパルタの構造的な緊張関係について記述しており、名称はそこに由来する。
現代の用法では、現代の覇権国家は現状維持を望み、一方の新興国はつぶされないように振舞い、国際社会のルールを公然と変更しようとする中で、軍事的な争いに発展しがちなことを意味する。ルール変更というのは、過去の事例だと、トルデシリャス条約とか、グローティウスが海洋の自由を唱えたこととかが、それにあたるのだろうか。
この言葉を言い出したのは米国の政治学者グレアム・アリソンであり、過去五百年間の覇権争いである十六事例のうち、十二は戦争に発展したことを示している。ローマとカルタゴなんかも、それに含められたりしないのかな。
詳細は著書の『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』に載っているらしいので、時間を見つけて読んでみたい。
「草野球していた少年の打ったボールがヤクザの家の窓ガラスを割った」という状況だろう。
どうやら岡村さんがMCをしている「チコちゃんに叱られたい」の降板を求める署名活動が始まったらしい。
そもそも発言のあった番組でもなければ、低俗な発言の制裁が降板である理由も釈然としない。
言ってはいけないことを言ったのなら日本が法治国家である限り、法で裁かれるべきだ。
要するに、この署名活動は、ただただ自分が不快であることを理由として、その人が一番嫌がることを考えた果ての何とも幼稚な行動だと思う。
本当に女性の貧困や性的搾取を心苦しく思うなら、少しでも女性の労働環境や制度の改善を訴えかける活動をするべきだし、この行為は何の役にも立たない。
ただ、地位と名誉を手にしている有名人のおじさんが落ちぶれていく様を楽しめる、それだけだ。
言ってしまえば、深夜ラジオなどという偏ったコンテンツの発言を公に晒して叩く、という行為自体、品のなさという点で岡村さんの発言と大差はない。
ゾーニングされたメディアという言い方をされるが、深夜ラジオのパーソナリティはいわば小国の王のようなもので、パーソナリティ自身も別に大声で自分のラジオを宣伝しようとはしない。
大国(世間)から見れば「ばかばかしくて」「くだらない」ことをしている自覚があるからだ。
わざわざ肥溜めに分け入って、街中に持ち帰り「汚物があった!」と喚いていることと変わらない。
でも、自分の「お気持ち」を正義として納得するまで社会的な制裁を下そうとすることは果たして高尚な行いだろうか?道徳的だろうか?
立川談志は以前、「品があるというのは、欲望に対する動作がスローモーなやつのこと」だと言っていた。
そして、こうも言っている。
「俺は正しい人間だ。なぜならば、自分が間違っているかもしれないと常に思っているから」と。
それとも、エゴですか?
https://www.mylohas.net/2020/04/209713nobuko_nakano01.html
本当に人の話を聞かないなwww
「3割はいると言われる偽陰性の人に」ってちゃんと提示してあげただろ
そこで「無症状患者でウィルスが増えてる人間はPCTで引っかかって隔離ホテルにおくれるだろ」なんて的中率無視した発言をしちゃうからPCR検査の過大評価なんだよ
最初の話に戻るが、何故PCR検査大国の韓国が陰性でも監視罰則付きの自主隔離なのか少しは考えろよ
後、都合の悪い話を出された時に、急に「経済」だとか「新規感染者が少ない地域」みたいな新要素を持ち出して自己正当化に走るのホントみっともないよ