はてなキーワード: 大きな政府とは
[B! 災害] 千葉 影響続く33市町村のほとんど 被害の全容把握できず | NHKニュース
激甚災害指定の話って一億回繰り返されてると思うけど、この指定早くしてもしょーがないでしょ。増税後になるのはタイミング的にもそういうもんだと思うけど id:bocbqcmn さんは確信犯ですよね?
まあリベラルなら大きな政府指向なんでしょうし、地方自治権はカットして自衛隊も政府の一存で送れるようにじゃんじゃん法改正していくべきってことですかね。いやもう法律なくても首相の一存で激甚災害指定も自衛隊の挙動もガッツポーズするだけで決められればいいのかな? 消費増税も国会を経ずに決めちゃおう!(私も増税反対ですけどね・・・いまここで法改正もせずにできちゃったらそっちの方がやう゛ぁいよ・・・)
経済の流れとして、昔は政府がガッツリ経済に関わってたケインズ主義だった。大きな政府になりがちで、たしかに非効率な側面もあった。何より、オイルショックには無力だったがために新自由主義に乗っ取られた。
というのと、ケインズ主義の元だと、企業、富裕層の税金は高い。再分配という側面もある。それから、ほっとくと金を溜め込むからという側面もあるだろう。なので、富裕層にとっては嫌なんだよ。
企業、富裕層の税金を安くするためには、政府がやっていることを減らすのと、他から税金を取ること。前者が故に、公的サービスはどんどん石を投げられ衰弱し、他から税金を取るために消費税を上げられた。
累進所得税、法人税はビルト・イン・スタビライザーが強い、消費税はビルト・イン・スタビライザーが弱い。けど、消費税を推進したいからビルト・イン・スタビライザーを使いたくない。
確かに野放図に借金を増やしすぎるのは良くないけど、ビルト・イン・スタビライザーが嫌だから、単純な財政均衡を基準にしてしまう。
何より、新自由主義って適当思いつきで敵を作って攻撃すればいいだけだから理屈なんかいらない。だけど、敵を作って攻撃するというのが、人間ってのは敵を作って攻撃しやすいという特性とあまりに合致した。
小さな政府化こそが格差を生むんだけど。むしろ、小さな政府化こそが今の日本の敵。
政府が国民生活に関与しないほうがいい、かける金を減らしたほうがいいというものだからな。
その結果、初等教育、大学基礎研究、医療、介護、児童保護と言った予算が減らされた。その減らされた金と消費税は富裕層、法人減税に使われた。
そして、富裕層、法人はそもそもが金を貯めこむ存在だから貨幣の流通速度も激しく低下して不景気になった。法人はフリーハンドの法人税減税ではむしろ設備投資をしなくなるから法人の競争力が落ちた。減税していいのは具体的に何かに金を使った時だけだわ。
海外や女にオレツエーやりたいネトウヨと、みんな仲良く弱いやつを救え(ただし、もはや見たこともない性的マイノリティだの食肉の対象となる動物と言った弱者)ってサヨクがいる、
だが、経済のケインズ大きな政府と、新自由主義小さな政府と乖離している。
新自由主義小さな政府はネトウヨでもサヨクでもどちらでも取り込めたらいいやということで、ネトウヨもサヨクも両方新自由主義となった。
更に、経済と関係ない議論にかまけてくれるのが望ましいとくだらない「怒りと同情を煽る問題」ばかりに着目させようとする。
で、ネトウヨもサヨクも両方新自由主義の罠から逃げられそうだが、両方新自由主義根強い奴もいる。故に、まだネトウヨもサヨクもどちらがいいとは言えない段階。
いや、ネトウヨだのサヨクだのそういうくくりでくくろうという時点で怪しんでかかるべきものだとは思うな。
あとさ、小さな政府は「何もしないのが正しい」のだから、経済を活性化させるような「取り組みをする」という時点で自己矛盾なんだよ。
でも、これはいくつかの意味でおかしいと思う。この記事は、多くの人がワクチンを摂取するべきであり、そうしないのは不道徳である、という考えに基づいて書かれている。だが、私にはそれが自明の前提とはどうしても思えない。
そもそも、自分の身体に何を入れ、何を入れないか、決めてよいのは自分だけだ。自分の身体は自分だけのもの。当たり前だろう。これが身体にペニスを挿入してよいかという問題であれば、ほとんどの人がそれを決める権利は自分にしかないと答えるはずなのに、どうして同じ理屈がワクチンでは通用しないのか。
公益のために注射針を刺して弱毒化された抗原を身体に入れろ、なんて、他人に強制してよいこととはどうしても思えない。毒であることが問題なのではない。私はそれがほとんど無害であり極めて低い確率でしか副作用は起こらずおおむね安全であることを知っている。そうではなくて、自分の身体に何を入れるかを他人に指図されるべきではないということだ。
今回はワクチンにすぎないかもしれない。でも、次が行動監視用ナノマシンだったら? 治安の良さは公益だ、やましいところがなければ入れられるはずだ、公益のためのナノマシン接種拒否は不道徳だ。そう言われたらどうする?
自分の身体に何を入れるかを決めてよいのは当人あるいはその親権者だけだ。それを他人に強いるのは不道徳である(もちろん、説得はしてよい。ワクチンの安全性を説き、公衆衛生の重要さを熱弁するのは自由であろう。相手の自由を損なわない範囲においてだが)。
(この立場は、アメリカの反ワクチン運動を紹介しているWIREDの記事でも紹介されていた。私はニセ科学に傾倒した反ワクチンはばっかじゃねーのと思うが、「政府は自分たちの子どもの体内に入るものを強制すべきではない」という主義主張は自由主義者として大いに頷ける)
それでも、そのような自由は公益のために制限されてもよい、という主張もあり得るだろう。では、ジョセフ・ヒース氏の住んでいる国ではどうだか知らないが、我々が住んでいる日本という国においてその理路は成り立つだろうか?
自由を制限し、義務化するのなら、当然その負担は最低限にまで低減されなければならない。だが現実にはどうか。インフルエンザワクチンの接種は自由診療であり、無料でないばかりか保険すら利かない。風疹ワクチンの未接種が話題になったが、ある世代の男性に限っては無料になったとはいえ、多くの人にとってそれは保険外診療として打つものである。
公益のために義務で打てというなら、その負担は最低限のものであるべきだ。高い診療費を払ってわざわざ病院の診療時間に打ちに行く手間とカネを惜しんでいったい何が悪いのか。保険診療にすらなっていない現状で接種は道徳的義務なんてちゃんちゃらおかしい。
公益のために自由を踏み躙るなら、当然それによって被る不利益は最低限度であるべきだろう。高い代償を払ってこれこれのことをしろ、そうしなければお前は反社会的な行動をしていることになるのだ、道徳をわきまえた市民ならばこのくらいの代償は払えるはずだ、などと恫喝してくる国家や社会は、正直かなり胡散臭い。
それでも、ワクチン接種費用程度ならたいした実害はないじゃないか、という反論があるかもしれない。なるほど、もしもあなたが貧困層でなければ、確かにちょっと痛い出費程度で済むだろう。だが、問題はその「義務」はどこまで拡大されるのかということだ。今あなたが遵うべきだと言っているその「公益のための義務」が、いつの間にか「兵役」になっていなければよいのだが。
そして我々が住むこの日本国は、経済的自由主義の名の下に医療費を着々と削っている。小泉純一郎以来この国の福祉は自由主義の旗の下で掘り崩され、削られてきた。このような状況で「道徳的な義務」などというものが持ち出されることには警戒した方がよい。国家が市民の生活に対して負う義務を年々縮小しながら、市民に対して「公益」を根拠に負担を迫ってくる。冗談ではない。なぜもらえるかどうかわからない年金を払い続ける人びとが、そんな「公益」とやらを慮って差し上げねばならないのか?
経済的自由主義で公的サービスを縮小するのなら、民間の自由も拡大させなければ筋が通るまい。もちろんそこにはワクチンを接種しない自由も含まれる。逆に民間の自由にある程度制限を加えようとするならば、失われた自由に見合うだけの大きな政府を実現してもらわねば困る。
感染症にかかった人間が不用意に出歩いてウイルスが拡散され、流行が広がってしまう。なるほど悲劇だ。だがそういう悲劇が起こる度に、公衆衛生を錦の御旗のごとく掲げる人びとは、大元の罹患者に向かってバイオテロだのと心ない言葉を浴びせかける。彼もしくは彼女もまた、病気の犠牲者であることを忘れ去って。
たとえば敵国の社会を壊滅させることを狙ってウイルスや炭疽菌を散布するような意図を持ったテロリストは、道徳的な非難の対象となって当然だろう。だが、不幸にも病気にかかってしまった状態で不用意に歩き回ったという、ちょっと迂闊だった程度の人が、患者が、そこまで非難の対象とされるのは絶対に間違っていると考える。それは犠牲者非難とかいうやつじゃないのか。犠牲者非難を許してはいけない。
病気は人間の意志を超えたところに存在し、運やら体質やらの本人にはどうしようもない状況に付け込んで罹患させる。そのような感染症の患者を、運悪く感染し不用意な行動を取ってしまったという理由で、バイオテロだの加害者だのと責めるのは道徳的に間違っている。そして、道徳的に間違っている主張をしている人間の言うことに従わない人間がいることは当然である。
少なくとも私は、このような言説を振りまく一部の反・反ワクチン派の醜態を見て、風疹ワクチンは絶対に打たないと心に決めた。政策の失敗によってワクチン接種の機会を失っただけの、なんの責任もない特定世代の人びとを加害者呼ばわりする連中に腹が立ったからだ。風疹の流行をめぐって吹き荒れた犠牲者非難の言説は本当に醜悪だった。あれを見てしまった以上、風疹ワクチン接種に加担することはできない。
以上、反ワクチンが必ずしも道徳的に間違っているとはいえず、むしろワクチン接種の強制こそが道義に反していることを示した。自由主義者として、そして犠牲者非難を憎む者として、私は反ワクチン主義にも聞くべき理があると主張する。なるほど彼らは科学的にデタラメなことを信じ込んでいるのかもしれない。だがそれは、彼らにワクチン接種を強要する側の道義的な正しさを裏付けるものではないのだ。むしろその強要こそが、反ワクチン論者に三分の理を与えているのである。
あっ反知性主義者だ
こういうトラバが速攻でつくわけだろ? こういう言説を(たとえ自分宛てのものじゃなくても)見る度に、絶対にワクチンは打たないぞという決意を固めるよね。
権利と他の権利は常に対立するもので100%の正義は存在しないところではあるが、我々は武装する権利や他者を傷つける権利を行使することはできない。
他人を傷つける権利を行使できないというなら、身体に注射針を刺すことを強要することはできないという結論になるはずでは。医者の行為も傷害罪の構成要件に該当することはご存知ですよね? 正当業務行為だから違法性が阻却されるだけで。そして医者にかかる患者は医療を受けることに同意しているわけですが、ワクチン接種を拒否する人たちの身体にワクチンを打つことを強要しようとしたら当然彼ら彼女らの身体への侵害となります。他人を傷つける権利を行使してはいけないというならまずワクチン接種の強要をやめるべきでしょう。
そもそも感染症を他者にうつしてしまうことは基本的に他者への加害ではないわけで。それを加害と呼ぶのなら人より感染症への抵抗力が弱く生まれついた人間としては全力で抵抗せざるを得ないですね。そのような言説を振りまく人間の言うことに従わないという消極的抵抗を今後も続けていきたいと思います。基本的にめんどくさがりなのでデモとかも意義は認めるものの参加したことはないのですが、これはコストのかからない良い抵抗方法だと思うので加害者呼ばわりバイオテロ呼ばわりに憤る人たちにオススメです。
・支持政党について:ない。政治に関わっている人から距離をおきたい。
・経済政策について:富裕層が資産を拡大させるスピードと市民間の財産に着目するべきだろう。紙幣は価値の交換券であって人々の間で交換が困難なほどに富裕層が紙幣を集めすぎるから不景気になる。集めすぎにならないように投資の仕組みを考えないとならない。
・原発について:もっと簡単に保守点検でき、かつ完全な無人化を目標に新たなものを考え続けなければいけない。怠けすぎ。
・移民政策について:黒人が幼子をレイプする事件などがおきたら面白い。
・慰安婦問題について:売春婦なんてどの時代にもいる。売春婦を募集をかけて集めただけ。どの国のどの時代にもあることを殊更に騒ぐ奴らがおかしい。
・自衛隊について:法には裁量がある。特別に自衛隊にだけ注目する理由が理解できない。
・大きな政府か小さな政府かについて:年寄りが増えるから大きな政府にしていくしかない。
・親米か親中かについて:親米かつ親中が理想的だが、いざどちらかしか選べないとなれば、そのときに軍事技術が高く経済力が高い方につくしかない。どちらでもいい。無意味なこだわりはない。
・韓国について:どの国にもキチガイはいる。1つを全体だと思い込む間抜けには残念ながらなれない。
・LGBTについて:随分と余裕があると感じる。性を考える以外にすることはないのか、甚だ疑問だ。余計なことを考える余裕が豊かさの証明であるから、試金石としての価値はある。
・女性の社会進出について:固定化した階層の解決は女性の問題に限らず難しい。広まり過ぎた偏見は強い。「すぐ辞め、戦力にならない」といった偏見を別の偏見で払拭しなければどうにもならない。
・第二次大戦について:急激な科学技術の発達とその独占によって西欧側の力が強くなり過ぎた。人権意識も希薄であった。どこかの国が反発せず、植民地支配が当時のまま進めば、今とはまったく異なる世界になっていたかもしれない。
・原爆について:人を殺し尽くし、また今後生きていけない惑星にするポテンシャルを秘めている。
・捕鯨について:なんでも取りつくせばいい。
・就職氷河期の中年無職について:職業訓練の拡充と強制ではない安楽死サービスがあればすべて解決する。生きたいなら生きればいい。死ぬ自由もあればいい。
・政治活動について:形骸化した搾取機構の一部。官僚制において意味は薄い。比較的まともな人間が目立ちたがることを祈るしかない。
ネトウヨネトウヨ呼ばれ続けて、自分でもネトウヨだと思ってきたが、
何か最近、本当にネトウヨなのかどうなのか判らなくなって来たんで、ジャッジしてほしい。
・支持政党について:なし。ただ、記録の隠蔽・改ざんは、国民から判断基準を奪う行為で看過できないので、次は自民以外(多分、立憲民主)に入れる。もし自民党が2つの党に分裂したら、多分迷う。
・経済政策について:わからない。しかし、上がり続ける消費税と、遠ざかり続ける年金受給年齢と、負け続ける日本企業と、増え続ける国債残高と、全く示されない将来像を見るに、まともな経済政策が行われているとは思えない。政権ガチャを引きたい。
・原発について:反対。コスパとか技術力とかでなく、とにかく管理してる組織が全く信用できないし、事故は起こるもの、という認識なので。即時でなくても速やかに全廃に向けてロードマップを開示して確実に進めるべき。事故を問題なく処理する技術ができたなら、賛成に回ると思う。
・普天間基地の辺野古移転について:賛成。本来、普天間の街は米軍基地の周りに後から作った物なので、米軍に移れと言うのは筋が通らないが、街を移設する事ができないので仕方ない。本土移転については、米軍がそれでいいなら、その方がいい。
・移民政策について:反対。難民を人道的見地から受け入れるのならともかく、労働力不足解消のために受け入れるというのは、明らかに「対等な立場の国民を受け入れる」姿勢ではなく、将来に渡って酷い害を発生させるだろうと思うので。
・天皇制について:廃止すべき。皇族への人権侵害が酷すぎるし、「国民の審判や掣肘を受ける事が無い権力者」がトップにいるのは民主国家とは言えないと思う。
・女系天皇について:上の項目により、無い方が良い。但し、天皇制が存続するなら女系だろうが男系だろうが同じなので、そこに拘る事はない。
・慰安婦問題について:絶対解決しないので、後は放置しとく方向で。
・自衛隊について:軍なので、軍と呼ぶべき。憲法9条は国防目的の軍事力行使を認める方向で改憲するべき。現状追認が良いとは思わないが、実態と原則(憲法)の違いが大き過ぎて詐欺になってるし、原則の方には合わせられないと判断している。
・大きな政府か小さな政府かについて:小さな政府を目指すべき。年金とか国債とかの運用を見るに、大きな政府をやり切るだけの体制はない。
・親米か親中かについて:親米。たとえ米国のやり口にどれだけ不満があろうと、国民が政府を掣肘できるという一点のみで、米国の方が遥かにマシ。
・韓国について:恨みつらみがあるので仲良くできるとは思わんが、米中対立や対北朝鮮については概ね同陣営である事に留意し、ビジネスライクに付き合うべき。
・LGBTについて:恋愛は自由。ただし子供作らない人たちが結婚したがるのは、たとえ異性間だろうと図々しいと思う。ただでさえ一人暮らしより同棲二人暮らしの方が経済的に楽なのに、この上税制優遇を受けさせるべきではない。
・女性の社会進出について:進出は積極的にすれば良いと思う。医学部問題のような差別的扱いは話にならないが、アファーマティブアクションについては個々人の努力を蔑ろにするものと考えており、現状においては導入するべきではないと考えている。
もし女性側に強い問題意識があるなら、女性有権者が女性議員をガンガン当選させているはずなので、大多数の女性は大して問題意識を持ってないのではないかと薄っすら考えている。
保育園については、いっそ小学校と同様に全員入所くらいで良いと思う。
・第二次大戦について:侵略なんて大抵の国でやってるし、およそ戦時中ならば虐殺もレイプもどこの国でもやってると認識している。戦争をするべきだったとは思わないが、際立って悪かったとも思わない。普通の戦争と普通の軍隊だったと認識してる。無能だったとは思うが、無能もまた日本だけの話じゃない。
・原爆について:威力が大きい爆弾という以上の意味はない。原爆で死ぬのも焼夷弾で死ぬのも同じ。核軍縮に倫理的な側面はなく、単に「相手に使われるとやばいから減らしたい」以上の意味はないと判断している。
・捕鯨について:他を獲ってるのに鯨だけ取らないのは生態系のバランス上望ましくないと考えている。もしその問題がないなら、バランスが崩れない程度に獲って食う分には文句言われる筋合いはないと考える。鯨は家畜よりは幸せな一生であろう。
・就職氷河期の中年無職について:バイトでもしろ。定年過ぎた老人でもバイトする時代だぞ。他の世代よりは楽じゃないかもしれないが、衣食住と読み書きそろばんと健康な身体があるなら、全然詰んでないだろ。
・政治活動について:ネット上でコメント書いたり、家族友人とブーブー言う以上の事はしない。
ズラズラ書いてきて思うに、ネトウヨというのは、「全体としてネトウヨか」というより、
数多ある問題についてどれか一つでも該当したらネトウヨと呼ばれるものなのかもしれんな。
追記:
ただこんな質問する以上、主張の理由くらい書いとかなきゃ何が何だか判断のしようもないでしょう。
そうだろうなーとは思うが、そこは気にしない事にしている。
確証バイアスについては自覚しづらいから何とも言えんけど、そういう事もあるだろうね。
とはいえ自分で全てを経験して考えるなんてできないんだから、せいぜい聞いた話から自分の経験に照らして比較的信用できそうな話をピン止めする程度の事しかできませんよ。
あまり時間をかけてないので、個人ブログを複数読んである程度信用できそうな記述を選んだだけなのは容赦願いたい。
なお、検索キーワードは「普天間 歴史」や「普天間 どっちが先」等。
・普天間の場所には、戦前は集落があった(サイズについては主張が別れており、「田んぼがある程度で町は無かった」説から、「1万人位住んできた」説まであるので、概ね100人~10000人の間と思われる)
・戦時中は、疎開や日本軍による作戦等により、無人化した。(その場所には、まず日本軍が飛行場を作ろうとした、という主張するブログもあった。真偽不明。)
・戦後、元の住人は捕虜として隔離されており、その間に米軍が基地と飛行場を建設した。
・元の住人が解放された。(ここで、行く場所のない元の住人たちは基地の周りに住むことを余儀なくされた、と主張するブログもあった。真偽不明。)
・米軍は基地の規模を拡大するために、周りの土地を接収し、そこの住人を追い出した。(真偽不明。これを「銃剣とブルドーザー」と呼んでいるブログが複数あり)
・米軍基地の周りには、基地の仕事や経済をあてにした街が形成された。(これについては、航空写真によりほぼ間違いないと思われる)
・米軍は交渉を通じて何度かに分けて基地を縮小・土地を返還しており、そのたびに返還された土地には街が形成され、今のように街に囲まれた基地が作られた。(本来、安全を確保するために山林のままにしておくべきだった土地が街になってしまったため、大変危険な基地になった)
※これ以降については、色々な主張が入り乱れていて全く真偽不明。
・基地の形成に際して(人が死なない程度ではあるが)強引且つ悲劇的な方法が取られた。
・基地の周囲に街が作られたのは、元住んでいた数千人を除き、ほぼ自己都合によるもの。
・基地が危なくなったのは、安全についての見境なく周囲に街を作ったため。
1:「普天間の土地を返還せよ」というのは、元住んでいた数千人及びその子孫に限り正当な主張であると言える。
ただし、先祖伝来の土地である可能性を考慮しても、既に土地が基地となって久しく、その場所が元々は彼らの物であった事を除いては主張するべき権利がほとんどないため、金銭による補償を以って解決する事は不当とは言えない。
2:移転が必要となった原因である「基地と街が近すぎる」については、ほぼ自己都合で移り住んで来た人達であるため、その責任は住人自身にある。米軍の責任は「危ないから街を作ってはいけない地域」を設けなかった事に限定される。
従って、「土地を返せ」というのは正当な主張だが、「危ないから他へ移れ」というのは止むを得ない部分はあるにせよ大部分の責任が住人側及び行政にある。
こういっちゃなんだけど、世の中、沖縄より重要な問題なんて沢山あるし。
っつーか、id:hagakuress氏もそうだったけど、
自分の見解も書かずに「勉強しろ」と主張するのは余り感心しないね。
あんた、自分の満足する回答が出てくるまで相手を不勉強扱いする気じゃない?
議論なら応じるにやぶさかでないが、教育に付き合う気はないよ。
とはいえ、それはネトウヨであるかどうかとは関係しない点だと思う。
えー。
これまでの皆さんのトラバ及びブコメを拝見させていただきました結果、
多くの気づき及び啓発を得られましたが、
あえて焦点を「俺はネトウヨなのか?」に限定して結論を出しますと、
「ほぼほぼ右派である事については意見の一致を見るものの、観測者によってネトウヨであったりなかったりするシュレディンガーのネトウヨである」という結果となりました。
同時に、ネトウヨの定義とは人によって様々なのだなあと思った次第です。
右派左派の論争が雲鼓なのは何でも乱暴に左右の軸でまとめようとするからだよバーカバーカみたいな話はよく見るけど、じゃぁ乱暴じゃない軸分けって何なよの?ということで愚考してみた。最初はツイに書こうとおもったんだけどいつもチンコとかしか言わない垢なので思い直してここに書く。
所詮素人の思考実験なので粗が目立つし、要素のプロットには自分の政治的はポジションにおける感情がどうしても入るのであんまり参考にならないかもしれないけどまぁそれはそれとして。
欧米で左右というとまずこの価値観になるよねという奴。社会インフラ的なものを政府が運営するか民間に移譲していくか的な理解でええのかなと思う。同時に、再配分の強さを表すパラメータでもあるので、大きな政府になれば労働者側に有利、小さな政府になれば資本家側に有利ということになる。
軸としてはこんな感じ
保守と改革って左右関係なくね?と思うのですよ。これは政策実行のスピード感とかコミュニケーションとかでの政府の態度問題で、改革はスピード重視だけどトップダウンになりがちで対話をおろそかにするし、保守は対話をスピードよりも利害関係者間の対話を重視するので民主的だけどクソ鈍いという特性を持っている。
三つ目は外交パラメータで、自由貿易と国際機関の調停を重視する路線と、自国のブロック経済圏を重視する路線もしくは他国のブロック経済圏を排除するための孤立を行う路線。
協調←-----------------------→覇権/孤立
通貨統合--市場開放---保護貿易・民族主義--植民地主義・鎖国
EUの通貨統合を市場開放の進んだ形と見るのかブロック経済圏と見るのかは素人なのでどうプロットしたものか悩ましいんだけど、国際協調の極端な形として置いてみた。極端なものは破綻をきたしやすいという点では妥当だと思う(ぁ
また、民族主義の扱いをどうするか悩ましいところではあるんだけど、排他性の強さを考えればこの軸に組み込んでしまってもいいかなと思う。
軍事的なパラメータ(タカハト)というのは独立パラメータではなく、基本的には協調vs覇権・孤立の軸に付随して発生するものと考えていいのではないかと思う。つまり覇権や孤立に傾けば自動的にタカになるし、そうなると周辺国も警戒して軍事拡大を行うという関係なので、軍事ありきでのタカハトは有り得ないというのが妥当かなと。
以上の3軸を使うと、ステレオタイプな左右像は
ということになる。でも実際の各国の状況を三軸で分析してみると…
ということで基本的にステレオタイプな左右像にはまるような国や勢力というのは有り得ないのじゃないかと。これを乱暴に左右という一本の軸で考えようとしたらそりゃ当然の様に理屈が破綻しますわね。
表面的に見ればそうなんだけど、思想の流れ的にみないとじゃあ何が正しいのかが結論付けれないし。
あと、手垢に染まった思想をそのまま使えば、君のスレッドに続く通り見ての通り感情的な敵味方論争になる。
それは、感情にあかせて陣取り合戦したい奴の思うつぼ。それでいて何も生み出さない。
感情的な敵味方論証は有害無意味だと感じているので、ちょっと小難しいがああいう流れとして描いた。
後、大きな政府がよいか、小さな政府がよいかというのもネトウヨ、はてサの解としては正しくない。
一応右ということになってる新自由主義は小さな政府志向だし、福祉をきちんとしようとすれば大きな政府となる。
それから、国の金を動かすというのは高累進課税、高法人税がケインズ時代の解であった。
ただの高法人税では、設備投資に使おうとしても税金を取られて、自由に動けないじゃないか!
あるいは、投資に対するリターンが下がるから投資が減るんじゃないか!
僕は、それ以前にフリーハンドの低累進課税、低法人税は金の回転(貨幣の流通速度)をダダ下げすると結論付けてる。むしろ設備投資は落とす効果があると考えてる。
だから、高累進課税+厚い寄付控除(ふるさと納税含む)、高法人税+厚い設備投資減税、賃金増加減税、株主還元減税、あるいは低法人税+使途がない収益に対する追加増税のように、
ため込めば増税、使えば減税にしていけば金の回転数を上げたうえで、高く税金取られて不満な富裕層、企業の不満を抑えられると考えてる。
経済がまともであればほかの問題は何とかなると考えてる。なにより、下らん陣取り合戦に巻き込まれないようにしないとなと思ってる。
それは、「政府が無駄が多い、非効率だ」というケインズ主義批判に遡る。
だいぶ昔はご存知江戸幕府のようないい王様による治世が良いという考えだった。
それに対して、自由に活動するのが良いという自由主義が生まれて置き換わった。
自由主義の元だと1920年台の恐慌とその後の不況に対処できなかった。
また、政府は競争主義も働かない非効率なものなので、無駄なものが多いと言われていた。あと、ケインズ主義の累進課税は金持ちは嫌っていた。
なので、1970年台のオイルショックを元にケインズ主義批判が起き、新自由主義への転換が起きた。
自民は中曽根、橋本龍太郎、小泉純一郎あたりが新自由主義で突き進んでいた。だが、民主党も新自由主義で、政府の無駄をなくそう、ということで、同じだった。
ただ、もう民主党になる頃には政府の無駄というものもなくなってた。特定財源というのも批判されていた。これは特定用途に特別に税金をとっての事だったが、
けども、フラット税制かはやめない。法人税、累進所得税を下げたい。ということで消費税を上げた。
ケインズ主義者は小泉の郵政選挙あたりで放逐された。2大政党が共に新自由主義で固まってる状況だった。
なお、法人税については、法人税下げの時に企業の資金過不足統計で一気に資金余剰側に触れてるので、いかに貯めこみに回ったのかがわかる。
ケインズ政策、マルクス政策は、その前の自由主義政策の批判として生まれた。
で、自由主義は自由に活動すれば良くなるという政策ではあるが、それが故に格差が拡大し、更に、恐慌が発生した。
そこで、政府が一定経済に介入しないとならないというのがケインズ政策、マルクス政策。
マルクス政策が失敗したのはそうだが、ケインズも実は批判を受けた。理由はオイルショックに対応できなかったから。
なお、今の長期不況はオイルショックなんか屁でもないぐらいひどいね。
故にケインズを乗っ取って新自由主義が生まれたんだが、むしろ新自由主義に移ってから日本は失われた30年をどんどん続けてる。
たまに緊縮バカが現れて致命的に景気を落とす。格差はどんどん拡大する。官の影響が強い医療、教育、介護、大学研究はぼろぼろになる。
また、失われた30年とITの勃興の時期が重なったため、日本ではITはボロボロになってしまった。今は失われた30年以上前に地盤をなした企業が生き延びてるだけ。
マルクス政策に勝ってるから新自由主義は素晴らしいんだというのが新自由主義者はよく言うが、じゃあ、ケインズ政策と比べたら新自由主義はどうなのかな?
はてなの人たちとは反差別では完全に意気投合できるんだけど、政治経済の話題になると意見が違いすぎて居心地が悪い
かと言って数少ないリバタリアン優位な場所はなぜか同時にネトウヨ自民支持患ってるやつだらけ、俺としてはスノーデン、アサンジ、ロンポール議員みたいな路線のリバタリアンは好きだが日本のリバタリアンはどいつもこいつも劣化橋下みたいなのばかりでうんざりする
一応俺の意見を言うと自民党こそ大きな政府の最たるもので、とてもじゃないが支持したくない、ていうかここが目指してるのは国家社会主義だろ最悪だよ、立民も大きい政府志向だが人権方向じゃ自由重視のリベラルなんでまだよっぽど支持できるて感じです
もしかして自由経済重視と反差別って成り立たないのかなぁ…俺個人としては差別がないほうが最終的に市場経済にもプラスになるという考えなんだが…
あとそうであったとしてもやっぱり政府権限の強化は警戒してしまう、とくに安倍政権を見てるとね…みんななぜそこまで無邪気に政府というものに全幅の信頼を寄せられるのかが疑問…
いや反論として自由の行き着く果はモヒカン社会ってのはあるんだろうが、結局政府も強大なモヒカンになる危険性はあると考えてるんだよね、ナチスとか民主主義で生まれたモヒカンみたいなもんだし…
政治の話の脱線は置いといて反差別とか社会市場両方の自由をきちんと追い求めてるリバタリアンの方っていますか?僕一人だと思うと正直寂しい。
追記:俺の言う差別とは生まれ持った属性でどうにもならないことに対するものです、人種や民族、障害など…しかし確かに知能に関してはどうなんでしょうね、貧乏人の子供は貧乏であるべきか、たしかにその通りだと思います、自身としては機会の平等方面ではなんらかのセーフティは敷かれても良いと思う立場です
あと日本じゃ特に民間の救貧が無いも同然だからやはりリバタリアンとなると弱者死ねになりやすいのかなってのある気がします、僕は言うなれば穏健リバタリアンが理想みたいな所があるんで本来はリバタリアンではないのかもしれません
さらに追記:リバタリアニズムはたしかに全てにおいて自由を重視しますが「他人の自由の侵害」については反対だという理解です、これを適用すれば人種民族性差別は他人の自由の侵害になりうるので反対とは言えると思います、ただしここはリバタリアンの間でも意見の相違が多く、更にいうと「経済不平等こそ他者の自由の侵害だ」といったレベルまで行くとリベラルに入るのだと思ってます