それは、そういう思想が世界的に……というか、アメリカで流行ったからだよ。
その名も「新自由主義」という。
日本では、自己責任論、の源流として知られ、批判されるようになってきた。
新自由主義というのは、小さな政府、を志向する思想だ。主にソ連共産主義に対立する考えとして生まれた。政府による公的扶助が大きすぎると、人はそれに頼るようになって自助努力を怠り、結果的に効率的な社会が作れなくなる。民間に任すことが出来ることは民間に任すべきであり、政府が責任を取る範囲はできるかぎり小さいほうが良い。その中では、恐らく敗退したり競争に負けて無職になったりする人もでるだろうが、それは彼らの自己責任であって、下手に助けたりするとかえって彼らを助けることにならない。
どうだ。なんとなく正しい気がしてしまうだろう。ここ数十年というもの我々は日本人は、この思想のもとで教育を受けてきたのだ。
しかし新自由主義は、結局のところ不寛容にしか行きつかない。海外で捕まったジャーナリストは見捨てる。犯罪の被害になった者は自己防衛の無さを責められる。生活保護を受けるようなやつは努力が足りない。植松なんか極致だね。自助努力ができないなら死んで当然である。誰もが自助努力に精一杯で、人のことを助ける余裕なんてない。
こういう新自由主義批判の文脈のもと、昨今は社会保障の増加や公共事業への資金投入が叫ばれるようになってきたが、まだまだ一般人の気分にまで批判が浸透してこない。だから植松が批判できない気がしちゃうんだね。子供のころに教わったことの論理的帰結が、彼の態度だからね。
新自由主義は資本主義社会では必然なんだよなあ
ちょっと違うな、ケインズ政策、マルクス政策の批判両方だ。 ケインズ政策、マルクス政策は、その前の自由主義政策の批判として生まれた。 自由主義政策はその前の封建主義政策の批...