はてなキーワード: 土俵とは
青識亜論はようあんな奴らと対話するわとは思うんだけど、ツイフェミと対話してて、ツイフェミが青識をやり込めようとしてフェミニズムのよって立つ前提を投げ捨ててかかってくるのをそれはいかんよ君らそれをやってしまってはフェミニズムじゃないではないか、といういつもの定番カウンターを決めてること自体が、ピケティの最新作のいうアレになってないかっていう気がする。
頭の弱いバラモン左翼であるところのツイフェミは、頭のちょっと強い青識にバラモンとしての力で負ける。ツイフェミは文化資本に劣っているからツイフェミなんである。
正当な能力闘争だけどさ、頭を強くする機会を手に入れられなかった弱い女を頭強くなることのできた男がボコボコに議論の土俵で打倒している。
これはフェアなことなんか?人権とか法とかが追い付いていない状態の資本家が労働者をぼこぼこに酷使していたこととちょっと似てないか?トランプ支持した貧乏な白人たちに起きていたことと似てないか?と私は思う。
ツイフェミに目の敵にされてる側の私が何言っても無力だけど、ツイフェミはかわいそうな弱者として強者にパパになってもらってよしよしされるべきなんじゃないか?
よしよしが足りないからツイフェミは私(正確には私が射程に入った広い範囲)を殴ってくるんじゃないか?
ツイフェミという名のテロリストがテロを起こして私を攻撃してくるのはよしよしいいこだねが足りてないからで、足りたら攻撃してこないんじゃないか?
青識の正論カウンターがばっちり決まることでよしよしいいこだねを減少させ、結果私はより多く攻撃されているのでは?
あんなに頭の弱い人たちを対等な論客扱いしていることは良いことなんだろうか?青識には良いことなのかもしれないが、私にとっては良くないのでは?
青識の言動を胸がすくなあと思って手を叩いて喜んでいる場合ではないのでは?
とそんなことを思った。
まあ違うことをしようとしたってさ、ツイフェミに対してよしよしいいこだねを誘導発生させるなんて芸当は私にはできないんだけどさ。
俺もなかなかの弱者男性だったけど、これまで複数人と交際し、今は結婚を前提に交際している彼女がいる。
何をやってそこまで至ったのかを伝え、弱者男性を抜け出したいと思う人がいれば、参考にしてもらいたい。
●容姿
・身長160cm以下
・5.5頭身
・一重
・豚鼻
・がりがり
・重度の近視と乱視
●家庭
・両親は仲が悪い
●経済
●性格
・陰キャ
・人の目をみて話せない
・人の成功を妬む嫌なやつ
●友達
いない。作り方知りたい。
②やったこと
●容姿
・ニキビ対策:イソトレチノインの服用 ※副作用めっちゃあるんでリスクを覚悟する必要があります!
まず肌が汚いことがコンプレックスだったので、この薬のおかげで別人の肌になれて、生きている世界が変わった
本当に効果があった。今でも正面から鼻の穴は見えるけど、全然よくなった。
・がりがり:筋トレ
肩幅が広がって顔が小さくみえるようになった。
なによりも精神面で強くなれた。戦う土俵違うけど、イケメンより重いの持てるし!とか思って頑張った。
メガネをかけているせいで目が小くみえることに気づいて、コンタクトに変えたら、すごい評判がよくなった。
それと、一重をかっこいいという女性が増えたことも影響していると思う。
●家庭
・特に何もしていないが自分が変わったことで家族も変わった気がする
●経済
・決められた金額返してる。当たり前だけど、ちゃんと返せてる自分でいることで自信になる
●性格
・おっぱぶに通って頑張って話した。キャバは女性によって全然話してもらえないからだめ。
おっぱぶいって、人気の女性ではない人を指名してドリンクいれて、会話をメインにすすめていく。
女性は指名やドリンクいれると喜んでくれるし、会話のほうが楽だからつまらない話でも付き合ってくれる。
③期間
上記のことをやり始めて2年くらいで彼女ができた。きっかけはジムだった。
以上です。
【結論】
そもそも「男性は強者」「女性は弱者」ってクソ雑な分類をしてこようとするから、
「オイオイちょっと待ってくれよ男性にだって弱者はいるんだから強者弱者で区切るなら俺もそっちに入れてくれよ、無視しないでくれよ」
デフォの状態で女性=弱者ってコンテクストがあるんだから弱者女性ってのは「甘い甘味料」みたいな言い回しになるから使われないだけ。
https://anond.hatelabo.jp/20210410152243
grdgs また「女性は皆楽なはずだ」と透明化し弱者女性がいないことに。「男性は皆強者」という扱いをするなと言ってきたくせに、それはないだろう
元増田は「社会的資本弱者」って言葉を使って「雑談相手すらいない状態・誰にも相手にされない状態」を定義してる。
結局人と人が長期的に共助できる仕組みに恋愛・結婚・家族を持つ以上の方法なんてなくて、
女の場合は社会的に孤立してる状態でもマッチングアプリでも始めれば市場原理的にはよっぽどじゃなければ需要が殺到するから脱却しやすいけど、
男の場合は平均年収平均身長平均顔面偏差値平均的学歴程度じゃマッチングアプリや結婚相談所でもマジで土俵にすら上がれないことが大半なんよな。
こいつの言うようにアプリの統計を見たら間違いなく女性の方がメッセージ殺到する。
そりゃ中には例外的に誰にも話しかけられないような女性もいるかもよ?でもそれをカウンターとして持ち出して満足するんだったら、属性による格差を論じる意味なんて全くないじゃん。
低収入な高学歴男性もいるかもしれないし、職場で不当な扱いを受けている白人もいるかもよ。でも「全体の傾向としては有利」っていうのは一旦認めなよ。
そうでなきゃ男女や白人黒人の経済格差問題も全部その語り口で無効化されますよね。
あと、マッチングアプリで求められてるのはセックスの相手だから連絡が殺到したところで〜て言ってる人。
何が需要の源泉だろうがそれは結果を否定するものじゃないからね。
例えば金持ちの男性ほど未婚率が低い統計があるけど、「でもそれって所詮カネ目当てだから結婚できたところで〜」ってカウンターしてるのと何も変わんないんだけど。論点のすり替えだよね。
理由はどうあれ(というか理由自体どうでもいい)そういった傾向や格差がありますよって話をなんで素直に受け止められないのかな。
結局愛情や承認、なんなら雑談相手とかですらこの世界では有限のリソース(同性間含め)に過ぎなくて、
んでそれは多くの人にとっては金と同じように生きるのに必要な心の栄養で、
「俺は童貞で家族も友達も恋人もいなくて毎日孤独だけど、趣味に打ち込むことで充実した人生を送ることができるぜ!」って人も中にはいるだろうけど、きっとそれは多数派じゃない
んでそのリソースは数値化しにくいけど金や物と同じように市場原理的に流動してて、
現代は社会資本市場の中でこのリソースを得られる人間と得られない人間の格差がすげーできてるんだと思うんよな
「女性(男性)をモノのように考えるな!」って怒られるかもしれんけど、男も女も例えば現代の結婚市場とかにおいては
不動産と似たような資本の一つになってると思うわ 借り主の年収とか家賃とか築年数、駅までの距離みたいな変数がちょっと別のものに置き換わってるだけで。
まあオードリー春日みたいに金持ってるのに長年家賃4万の風呂なしボロアパートに住み続けた狂人もいるにはいるんだろうけども、
結局人と人が長期的に共助できる仕組みに恋愛・結婚・家族を持つ以上の方法なんてなくて、
女の場合は社会的に孤立してる状態でもマッチングアプリでも始めれば市場原理的にはよっぽどじゃなければ需要が殺到するから脱却しやすいけど、
男の場合は平均年収平均身長平均顔面偏差値平均的学歴程度じゃマッチングアプリや結婚相談所でもマジで土俵にすら上がれないことが大半なんよな。
弱者男性っていうか正確には社会的資本弱者で、今の社会の構造的にそこに陥りやすいのが男の方なだけ。
弱者じゃない、じゃなくて新自由主義社会だとこの社会資本弱者は救いようがないだけ。
「男社会の強者」「昔の奴隷制度」みたいな加害者もいないしね。
企業の社長が採用に関して「女性は女性らしい人しか雇わない」って選別してると公言したら問題になって是正されるけど、
恋愛において「専業主婦ライフ楽しみたいから男らしくて養ってくれる男としか恋愛しません」って公言してもそれは咎めようがないし、
魅力のない派遣のオッサンと職場で友達にならなかった個人に責任なんてないし。
自殺率とかで生々しく露呈するガチで死んでるレベルの生きづらそうな層とポリコレ社会でメディアに扱われる弱者には結構な乖離があって、
なんか歪な社会よね。
「何をやっても上達しない」「人生の中で結果を出したことがない」「圧倒的に無能すぎて辛い」などの悩みを抱える人は多いはずだ。私もずっと悩んでいる。
今までバドミントンや水泳、筋トレなどのスポーツ系はもちろん、ギターや管楽器、カルタなど様々なことに挑戦してきた。
しかし、どれも上達せず後発組に追い抜かされたり、馬鹿にされたりと散々な結果に終わっている。
何をやっても「下の中」にしかならないのだ。人一倍時間をかけても、工夫しようともコツが全く掴めず、結果が出ない。ただただ時間が過ぎていく。
イレギュラーな対応ができず頭がフリーズするのはもちろん、あいまいな指示も理解できないし、言葉の意図も汲み取れない。いくら家で仕事のイメトレをしても、マニュアルを作って頭に叩き込んだとしても、状況は全く変わらなかった。
以上のことから24年間、何をやっても上達しなかった。清々しいくらいの無能だ。
私を見て「発達障害?」と感じる人もいるだろう。
確かに「異常なまでに不器用」「イレギュラーな対応ができない」「行間が読み取れない」などは発達障害(アスペルガー)の特徴だ。
しかし、実際に発達障害の検査を受けたら「アスペルガーの傾向があるが、診断が出るレベルではない」という、中途半端な結果に終わった。
いわゆる「発達障害グレーゾーン」だ。グレーゾーンは診断が出ていないがゆえに手帳を持てないため、発達障害を名乗れない。
つまり「発達障害以上、健常者未満」という中途半端な存在であり、社会的には無能にカテゴライズされてしまう。
なんとか無能なりの低レベルな努力で仕事をしたが、周囲の人間は上手に仕事する中、あまりに無能すぎる自分に絶望し、中等症うつを患った。
(もちろん業務量は多かったが、早く処理できなかった自分が悪い。上司は良い人だったし。)
自分語りが過ぎた。以上のように何をやっても「下の中レベル」にしかならない無能は少なくないだろう。
「努力すれば報われる!」「人間はみんな才能があるんだ!」など、クサい言葉をよく聞くが、私からすればキレイごと。社会には一定数、何をやっても無能な人間が存在する。実際に私がそれを証明している。
私のような「福祉でも救われない無能な人」に死ぬ権利を与えてほしい。
無能なまま、これからも恥晒しな人生を送っていくのはハードルが高い。
また、無能な男性は結婚できず、子供を作って人口減少抑制に貢献できないし、国に納められる税金だって雀の涙程度だ。
そんな「国のお荷物」は手っ取り早く処分してしまったほうがいいだろう。国にとっても私にとってもWinWinではないだろうか。
(不妊など、子供を作れず悩んでいるカップルもお荷物と言いたいわけではない。あくまで税金もろくに納められず、結婚という土俵にすら立てない無能男に焦点を当てている。)
男はジェンダーロールから降りろ、この主張は、おためごかしも甚だしい。
この言葉は、強くならねばならないという圧力が辛さの原因である、という仮定に基づく。
しかしそうではない。
まず生きることは辛いという現実があって、だから男は強くならねばならなかった訳だからな。
強くなるのをやめたら、そいつは弱くなるんだよ。モテ以前の問題。現実に負けてしまう。
マチズモは承知だが、いかにも女らしい発想からくるだ間違いだと言わざるを得まい。
守られる性であるから、「強くなくても別に生きていける」とかいう勘違いをした。
フェミニズムが、今話題のバラモン左翼的な活動であったことも間違いの原因であろう。
とにかくこれは、強くなければ死ぬ、という当然の危機感がない奴のおためごかし的発想だ。
だって男女が平等ってことは、男と女が同じ土俵で争うようになるってことなんだぞ。男にとっては単純にライバルの数が倍になる。女にとっても、自由になって平等になるということは、保護から外れるということ。男が家事するのが当たり前なように、女もブラック職場で辛い思いするのが当たり前の時代が来ようとしている。
だというのに、強さから逃れて楽になってどうする。
女の側が強くならねばならない。
9月とか半年後じゃん。
ワクチン接種みたいな時間勝負してるのに即時供給できるタマを準備出来なかったら
それはそうや
不安がどういうニュアンスかにもよるけど、未知であることは間違いないから、懸念がゼロということは当然ない
だからコントレイル本命、グランが対抗が多くの人の見解で、元増田にもそう書いてある
しかし、1600であれほど強い馬が2000では凡走して掲示板外すやろ、ともまた誰も思っちゃいない
井上尚弥がスーパーバンダムでもチャンピオンなれるやろ、というくらいには信頼されている
2500ならまだしも、2000はバンダムからライト級に上がる感じじゃなく、まだ余裕ある範囲での1回級って感じがする
もちろん、1600での無双ぶりが継続されるとも思っちゃいないけどね
コントレイルに勝って1着になれるかは誰にもわからんけど、馬券に絡むだろうとみんなが思うくらいには距離に不安はない、と思っている
まあ、それを不安がある、というべきか、ない、というべきかは難しいところやなあ
ウマ娘では無敗三冠ウマ娘のシンボリルドルフの息子のトウカイテイオーがルドルフに憧れて、という設定になってるけど、それと同じで、コントレイルはシンボリルドルフ以来の無敗三冠を達成したディープインパクトの息子で、コントレイル自身もディープインパクト以来の無敗三冠を達成した
つまり、菊花賞を回避しなかった、夢を叶えたトウカイテイオーという立場
ルドルフから生徒会長を受け継いだディープが明日もコントレイルを見守っていると思う
ウマ娘で言えばメジロマックイーン的なキャラで想像して貰えば間違いない
しかし、無敗の三冠ウマ娘コントレイルは昨年のジャパンカップで初めての敗戦
2着に敗れた
これまでのG1最多勝はシンボリルドルフやテイエムオペラオー、キタサンブラックらによる7冠だったのが、アーモンドアイはこのジャパンカップでG1国内8冠、海外合わせて9冠を達成
アーモンドアイは牝馬、メスなので、牝馬三冠、ウマ娘でいうトリプルティアラを達成しているし、つまり、シンボリルドルフを超えたエアグルーヴといったところ
キャラ的にはサクラバクシンオーの学級委員長タイプをエアグルーヴの無骨な感じでまとめた感じのイメージ?
で、ルドルフを超えた威厳がある感じ
アーモンドアイはこのジャパンカップで引退しており、コントレイルはそれ以来の出走
コントレイルはもうリベンジすることができないアーモンドアイの背中を想像して走るだろうし、アーモンドアイはスタンドでディープ会長と一緒にその後のコントレイルの成長を期待して観戦してると思う
ウマ娘で言えばサクラバクシンオーやタイキシャトルの位置付けで、マイルまでなら敵はいない
キャリア終盤のもはや隙のないアーモンドアイと安田記念(マイル)で戦った時も、寄せ付けずに強い勝ち方で勝っている
無敗三冠馬コントレイルに勝った史上最強馬アーモンドアイ、アーモンドアイにマイルで勝ったマイルのスペシャリストのグランアレグリアという構図で、コントレイルとグランアレグリアはどちらが速いのか?という比較の基準にアーモンドアイを持ってくると、コントレイルを優位に推すことができなくなる
コントレイルは三冠馬の名前から現役最強を示すには直接勝たなきゃいけないし、グランアレグリアもまたアーモンドアイに勝った力を示さなきゃいけない
ひとつ問題があるのは、これまでマイル以下しか走ったことがないグランアレグリアにとって、今回の大阪杯は初めての中距離、2000メートル
距離に不安を言っている人は今のところ見当たらないから問題はないと思うけど、コントレイルの土俵で戦うことには違いはない
ここで勝てばまじでコントレイルが噛ませになってグランアレグリアが主人公になる
史上最強女帝アーモンドアイの想いを継承するのはグランアレグリアか?コントレイルか?という観点で見ることもできる
前走の1レースだけ騎手のミスもあって不甲斐なかったけど、それを除けば通算6戦で4勝、あとの2戦も2位という好成績
そしてその2つの2位はどちらも三冠を争った皐月賞とダービーでコントレイルに競り負けての2位
コントレイルはアーモンドアイとディープの背中を追うのだろうけど、サリオスからしたらそうはさせない
しっかり俺の方を向いてもらう
借りはきっちり返さなきゃいけない、という気迫があるはず
性格は穏やからしいので、どちらかと言えば内に闘志を秘めたナイスネイチャ、ライスシャワー系のキャライメージ
3度目の正直として、ライスシャワーのようにコントレイルを執拗に追ってくるイメージで見たらいいと思う
ここまで無敗、5戦5勝
まだG1を走ったことはないけど無敗でG3をとって順調に上げてきた初めてのG1が明日の大阪杯
まだ実績が少ないのと初めてのG1で、明日どのくらいできるのかは誰もわからない
実力はなんとも計り難いけど、無敗は無敗だもんな、という期待感がある
この子は逃げ馬
のんびり屋さんだけど逃げる無敗ウマ娘ということで、ウマ娘キャラとしてはセイウンスカイのイメージ
逃げ馬はテレビ的には目立つし、まずは先頭はレイパパレ〜、という展開で見やすいかも?
「面食いです」っていう人の方がよっぽど信じられる。今でも友人として数少ない仲がいい女友達がこのタイプだ。浮気性のクズだが、プラトニックな飲み友達である。
俺の髪質は悪い意味で特殊で、太くて縮れていて量が多い。小学生のころから強い癖毛で、中学時代のあだ名は「ちんげ」「スチールウール」「陰毛」「アフロ」「チリ」「かたやきそば」散々だった。他人に容姿を侮辱されるのは屈辱だったが、何よりも自分が、この扱いにくい髪質をとても嫌っていた。好きでこんな髪質で生まれたわけじゃないのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのか。ネットのヘアカタログにある「くせ毛におすすめのヘアスタイル」みたいな写真は1mmも参考にならなかった。見るたびに「こんなのほぼ直毛じゃねえか」と悪態をついていた。
学年TOP3のキモいランキングに入ると、もう学校生活で人権はない。汚物のような扱い、何をしてもいい扱いになる。同級生からは「あいつは髪が終わってる」と嘲笑されて、容姿偏重主義の社会の車輪の下敷きになってメンタルは大分荒んだ。今でも心が屈折しているのはこの当時の原体験の影響かもしれない。
中学卒業を機に縮毛矯正をかけた。感動した。みんなこんな世界で生きているのか。風で髪が靡く感覚に感動した。ドライアーで髪がすぐに乾いた。とても快適だった。地元から離れた高校に入学してからは縮毛矯正を欠かさなかった。そうしたら面白い事が起きた。俺が「イケメン」として扱われるようになったのだ。中学時代に汚物のように扱われてた俺が、キモメン三銃士の俺が。イケメン扱いされたのだ。たかが髪型1つでだ。俺に媚を売ってくる女が、何をしなくても寄ってくる女が、いるのだ。中学時代の汚物扱いされてた俺がだ。
俺はそこで人間不信を深める事になった。そして思春期の持て余した性欲を寄ってきた女達にぶつけるようになった。
周りを傷つけないように振舞っていた中学時代の俺は髪質だけで男女から汚物扱いを受けていたが、女を物のように扱うクズな仮初の直毛の俺を女はより求めるようになった。高校時代はセックスに明け暮れながら、くせ毛の陰におびえた。1か月半に一度はリタッチをしていた。周りにくせ毛だとバレるのが酷く怖かったからだ。第一に髪の事、第二にセックスの事。そんなことしか頭になかった。
クラスメイトで、癖毛で小太りの男子生徒がいた。おとなしくて引っ込み思案だが、別のクラスメイトがドミノ倒しに倒した自転車を一緒に起こすのを手伝ってる姿も見た。器量は良くないが性格はとても良い奴だった。共通趣味が無くて会話したことはあまりなかったが、俺は彼が人として好きだった。そんな彼に俺の事を好きだという女が言う。「あいつキモくない?」「きしょい」俺はそれを聞いて肯定も否定もしなかった。ただ茫然自失としていた。そんな彼女の同じ口から「私は見た目で人を判断しない」「中身重視」こんな言葉が出てくる。彼女みたいな人間が気持ち悪かった、怖かった、たくさんいた。俺は人が目の前で自転車を倒しても素通りするし、縮毛矯正がなければ小太りの彼より酷い癖毛だし、君の事もおまんことしか考えてない。少なくとも彼は君からどんな仕打ちを受けても君を人として扱うだろうし、俺より彼の方が中身はよっぽど優れている。俺は君にそんな事を言われたら孫の代まで恨む。俺が彼に勝ってる要素なんか何一つないんだよ。君は一体俺の何が好きなんだろう。
見た目でしか好かれる方法を知らなかった俺が好かれるのは、こういう女ばかりだった。清楚系で可愛い献身的な子もいたが、数年後経った今は風俗で働いてるらしい。
三十路手前の今でも俺は縮毛矯正のリタッチを続けている。かれこれ15年選手になる。未だに人にキモがられるのが怖いし、人に好かれるのも怖い。
前の職場の先輩に「その頭、縮毛?」と言われたことがあった。冷や汗をかきながら「そうです。くせ強いんで」と答えた。「へぇ」とだけ帰ってきた。その後も普通に接してくれたが、縮毛矯正をかけてなかったら普通に接してくれなかった気がする。
人間は中身が全てというがあれは嘘だ。人間が「中身」を見てもらう為には、見てもらう為の土俵に立たなくちゃいけなくて、その土俵には不細工は上がれないのだ。だからどんなに性格が良い不細工でも「キモい」「生理的に無理」で一蹴される。
俺は今でも車輪の下敷きになったままなんだろう。
最近とあるvtuberを生配信でちゃんと見始めるようになったが、界隈では上記タイトルのような行動って特に珍しいことでもないのだろうか。
(配信で見る限り全員絡みはなく、一方的に名前を出していた。一言ネタとしてではなく、一つの話題としてその配信者について語る等)
名目上キャラクターのRPをしているはずのvtuberが、身一つで配信する人間と同じ土俵で喋っていることに少しだけ違和感を覚えた。
生身の配信者>vtuberという意味ではなく、この両者が同じ枠組みにあるかのような名前の出し方だったので変に感じたのだと思う。
滲み出る中の人を楽しみつつそれをキャラクターに置換して見ているリスナーが多いように見えるが、
上記タイトルを、「キャラをワンクッションする形態の配信者」というvtuberの建前が取り払われてしまうことのように感じる人はいないのか気になってしまった。
ネットが出てきてかなりの年月が経ち、米国企業しか勝ててない。
前の戦争で技術力と規模で負けてしまったわけだが、コンピュータとネットでも起こっている。
Googleはソフトウェアが強いというのは事実だが、それを支えているのは膨大なサーバーというハード資源だ。
これはGoogle自身が1人の天才によって会社が脅かされるような状態にならないようにするためでもあるが、
国レベルだと米国企業内でお金と設備投資が回っており都合がいい。
サムスンが許されているようで、米国内で開発を行い、米国の雇用にも役に立っているから許されている。
ビットコインのようなものでも、中央政権から離れたように日本だと言われがちだが、意思決定しているのは米国グループだ。
F-35を開発しているロッキードマーティンがAWSを使っていると、同じセキュリティが求められ日本政府もAWSを買う必要が出てくる。
兵器と一緒にクラウドサービスを売り込まれたら買わざるを得なくなっている。
最初は技術を持っていないから買ってくるとして、いつか国産できるようになればいいが、Apple製品を買えばいいという延長で買ってくればいいという感じだ。
毎年値上げされて逃げられなくなって終わる。国産できる技術力もオペレーションばかりで付かない。
話を変えて、量子コンピュータの例を見てみると、冷却用のヘリウムが米国しかなく、日本国内には全然ない。
にも関わらず日本も同じ土俵の研究開発をするべきだという声が高かった。
日本は研究しても結局産業利用できず論文の成果だけが米国に使われて終わりとなりそうだが、中国は別の道を進んでいて戦略的だ。
フランスはパリにあるLightOnという企業が光コンピュータを世界で初めて商業利用の開始を発表するなど、ようやく出始めてきた感じを受ける。
StationFに入ってるスタートアップやパリ周辺の企業も成果を出し始めてきている。
結局の所、米国発のメディアや思想に触れすぎており、その中に暗に入っている米国が有利になったり儲かればいいというのに気づけず、
乗り遅れるなという焦りだけで民間が騒ぎ、残業が多すぎて戦略を建てられない省庁がネットのニュースや言説を取り込み、国ぐるみで衰退するとなっているのではないか
そもそも、男性は強者、女性は弱者という現実があるからこそ元の作者である女性活動家も抑圧され、男性への抵抗として過激な作品を発表せざるをえないところまで追い込まれた。
senbuuさんもこのように言っている。
差別はマイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性がマイノリティ。だから「男性お断り」でも男性差別にはならない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu
男性研究者が女性を標的にした場合は差別になるが、女性活動家や女性研究者が男性を標的にした場合は差別になりえない。
これは、仮に女性が男性差別を行おうと意図して発言した場合ですらも、自動的に差別の認定要件から外れるということだ。
このような例もある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3336122
オビオルスさんによると、米国側から「ふさわしくない」と連絡があった。翻訳者としての能力が問題視されたわけではなく、23歳の米黒人女性であるゴーマンさんの作品を訳すのは、「女性で、若く、活動家であることが必須で、黒人が望ましい」と伝えられたという。
マイノリティの作品は同じ属性のマイノリティにしか微妙な意図が伝わらないからだ。
話題のSCUM Manifestoという作品も、日本語で広めるには同じ属性の誰かが翻訳を担当するしかなかった。
納得していただけたでしょうか。
自分で何か目標を見つけて、それに向かって努力して成長していける人は素晴らしいと思う。
その反面、意識が高い自分に酔って伊達に生きているだけの「意識高い系」の人間が死ぬほど嫌いだ。
高専で学生やってた頃にそんな人種が湧いていて辟易していたが、新卒で就職した会社の同期にもいて生理的に無理って感じになってしまった。
幸い今は身の回りにそんな人種がいない環境に来れたので平穏に暮らせているが、たまに思い出すだけで不愉快な気分になるので、ここで愚痴っておこうと思う。
それで次第にバカバカしくなって、忘れていけることを期待して。
=====
影響力がある人にやたらと引っ付いてくる。まさに金魚の糞。
同期で3人座っていたデスクで、目の前でリーダー的存在のAと腰巾着のBが延々と話しながら一緒に仕事してる中、自分だけ仕事も与えられずに自習させられてた地獄の期間が何ヶ月も続いて、毎日が惨めだった。仕方なく電話対応とか来客対応とかしようと頑張ってたけど、張り合うようにその仕事すらもBに取られていった。
結局、仲間外れのような状態のまま自分だけ配属され離れ離れになった。しばらく経ってAが久しぶりに同期で集まろうみたいな話をしてくれたけど、Bが自分の都合で一ヵ月も予定を引き延ばしてきて腹立たしくなって自分だけドタキャンしてしまった。
その後、一年くらい同期のLINEグループで相も変わらずAが発言するたびにBがすぐさま乗っかってくるような状況が続いて、次第に気持ちが死んでいき精神衛生を守るためにグループを抜けた。Slackも自分がチャンネル作ったのに自分で抜けた。
Aのことは憧れの存在として思ってたから、その分Bが占有するようになって、もう関わりたくもない人々に変わってしまったのが堪らなく悔しかった。
向こうからは「なんか知らないけど自滅した」とか「邪魔者が消えてよかった」としか思われてないんだろうな、きっと。その上、人を除け者にしてまで学生気分続けてきたくせに、意識高いマウントはしっかり取ってくるのな。自分本位すぎて笑っちゃうわ。
学生の時も似たような経験があって、その時は寮だったからさらに地獄だった。
いつも取り巻きみたいなのが大勢くっついていて、見ていて気持ち悪かった。生きてて恥ずかしくならなかったのかな。
意識高い系は、その薄っぺらさ故にカリスマ性など持ち合わせていないので、結局、腰巾着に徹するしかないんだろう。
にわかオタク以下のつまらない話しかできないから、便乗するしかできない。
その癖、自分が一番かであるように偉そうに振る舞うので、図々しいとしか言いようがない。
腰巾着の分際で「他にも友達たくさんいますから(笑)」とアピールしてくるのが、さらにムカつくポイント。
こちらが腰巾着が湧いたコミュニティから離れようとすると、追いかけるようにして自分が逃げた先のコミュニティに絡みに行く。
うざいったらありゃしない。自分が嫌われている自覚はあるんだろうか。
うちの母校(というかほとんどの高専で)は定期試験の過去問を先輩達からもらって試験対策するような文化があり、意識高い系の人間はその広い人脈(笑)を使って先輩方から過去問を回収して回り、それを自分を支持してくれる人に回して人権を得る。
酷いときは、この科目はちゃんと授業受けなくていいみたいな風潮をこいつらが蔓延させていたこともあった。
真面目に授業を受けて一人で勉強してると、学校生活がバカバカしくて仕方がなくなっていった。
意識高い系は多趣味(笑)アピールも酷くて、何個も部活動を掛け持ちしてくる。
当然、自分が所属していた部活にも意識高い系が湧いてきて居場所がなくなっていく気がした。
人を引っ張って行くような事はしたがらないくせに、やたらと人目に付くところに出て行きたがる。
これによる実害が自衛ができないこと。名前を見るだけで悪寒が走るので、ネットだったら即ミュートしてる。
同期の意識高い系は、会社Slackの全員が見えるチャンネルでほとんどの投稿にリアクションを残している。イントラの残業超過リストに出てきたときは、名前載せるために残業してるのかとさえ思った。存在を忘れたいので、Chrome拡張作って除名するようにしたら幾分かスッキリした。
誰も聞きたくないような自慢話を、周囲に聞こえるような音量で延々と話す。キーボードの音が異様にうるさい。ここら辺はネットでよく聞く意識高い系と同じ。
意識外に置ければ自分とは関係の無い存在として割り切れるのに、度々自己主張してくる。忘れたころに顔を出してくる。もうたくさんだ。
何かと事あるごとに張り合ってくる。本当に他人と張り合うことしか頭にない感じ。
大体、同調圧力の諸悪の根源となっていたのが意識高い系だった気がする。
何か自分の好きな事について話してても、それに対する知識マウントしかしてこない。「ニッチな俺、カッコイイ(笑)」ってか。
自分の好きな事でも、マウント取りの道具にされると一気に冷めてしまう。好きな事にのめり込もうと思っても、マウンティング野郎の顔が浮かんで嫌になってしまうのが苦しかった。
「〇〇は暗記しないとダサい」「〇〇は反則」「〇〇してる方が偉い」みたいに。
ネットで謎校則がたまに話題になるけど、意識高い系の連中は我々を「自分で何が正しいことかも考えられない、言葉で服従させられる小中学生以下の人間」だとでも思っているのだろうか。
それと、うざいほど他人の真似をしてくる。自分磨きのためだったらいいけど、明らかにマウント取りのためなのでいい迷惑でしかない。
自分が何か成し遂げて褒められると、それを多人数で集まって同じ事をして張り合ってくる。
コンテストとか大会とか、何か目標を持って真剣に取り組んでる人は素直に格好いいとは思う。でも意識高い系の連中は、必要以上に群れて馴れ合いと自己顕示を目的としているので最高にダサい。
若干自意識過剰だが、こっちが好きで一人で努力してやり遂げたことをゴミ以下の馴れ合いでこなして「ハイ、俺の勝ち~~(笑)」と虚仮にされているようで、プライドをズタズタにされるような悔しさを感じた。
昔いじめられたりした時よりも、意識高い系が存在している空間にいる時の方がよっぽど居たたまれない気持ちになった。
端から見たら勝手に逆恨みしているだけかもしれないけど、生きているだけで惨めだった時期もあった。
意識高い系は、そのまま意識たかいたかーいして他界してくれればいいのになと思う。
なんかもう誰とも比べられたくないし比べてしまいたくないし、自分らしく生きられるようになりたい。
なんだかんだで今はもう身の回りに意識高い系はいないし、今後は対等な関係でいられるような人間関係が築けるといいなと思うけど、これもなかなか難しい。少なくとも、他人を自分の思い通りにさせないと気が済まない人間とはしばらく距離を置きたい。
ここまで書いたけど、別に被害者面で誰かを否定する意図は無く、自分が感じた嫌悪感を書き連ねただけ。
見返すとあまりに支離滅裂な文章だし、読み手には書いた奴に問題があるんじゃないかと思われるのも重々承知している。
コメントは最初から見る気なかったけど、ふと思い出して確認してみたら思ってたよりは反響が出てしまったようで驚いた。
スルーされるか「キチ○イキタコレww」と大喜びで揶揄されるかとしか思ってなかったから、少しでも共感してくれた人がいたのはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになった。ありがとうございます。
非難されるのも、自分の腐った妄執がそれで祓えればいいかなと思う。
詰まるところ「勝ち負けの概念しかなく、他人を無理やり自分の土俵に上げて殴って気持ちよくなってる人」が無理なんだけど、コメント見る限りそういう人はどこにでもいるんだなと諦めるしかなさそう。
この際だから、長文の言い訳とやらを書いてみることにする。こんなことをするのも、もうこれっきりにしたい。
タイトルのせいで釣りみたいになってしまったのは、本当に申し訳ない。造語でもでっち上げようかと思ったけど、「意識高い系」で検索してみて出てきた特徴があながち違ってなかったのでこのままにした。
端からノイローゼ気味な奴の愚痴として書くつもりだったし、それとなく断りを入れておいたつもりだった。「意識高い系」あるあるを期待されていた人はごめんなさい。
まあでもスタバでMac広げている人に対して「死ぬほど嫌い」は通り魔かよって思うし、マルチ商法で人生壊されたとか期待されていたのだろうか。そっちの実態はよくわからない。
ただ、過去のことなのにずっと頭の中でもやもやしてしまっていることを書き出して、自分の問題と環境の問題を切り分けたかった。
憂さ晴らししたいのが滲み出て過剰な表現をしてしまったのは反省している。無意識に他人を見下してる風なことも素直に書いて、それって恥ずかしいことだって思えるようになりたかった。もちろん全文恥ずかしいし、生きてる事自体恥ずかしい。
自分が正義だなんて言うつもりはないし、完全に主観で書いてる。悪口だけにならないようにこう言う書き方になったけど、上手くまとまらなかった。
例えば、人脈が広いっていうのは自分にも真似できない才能なのは認めるけど、こっちから見たら嫌いな奴がどこにでも居て逃げ場が無くなっていい迷惑って話。
何をするにしても張り合って来られると、常に競争させられてるみたいで何一つ楽しくできないし、やがて、自分のやってないことでも自慢されるだけで気疲れしてしまうようになる。
高専の闇的な話も補足すると、過去問回して勉強するのも一つの手段だとしても、仲良くても無力であるべきだと思ってる人には何も渡さずに成績を馬鹿にするだけなのが胸糞悪かったし。授業中に複数人でゲームやり続けてそれが普通みたいになってて、先生が可哀想だった。
ちなみに、自分は意識高い人は嫌いではないけど崇拝もしていないしぶっちゃけ少し苦手。「意識高い系」と「意識高い人」を区別するために、人の方を立てる言い回しをしていた。こういうと、系の方が人外みたいだけど。
できるだけマイペースに生きたかったのに、家庭の影響もあってコンプレックスの塊になってしまって、だからこそ個人的に卑怯なやり方で自尊心を満たしてるのが許せなかったのかもしれない。みんなそれぞれ頑張ってるのに、出し抜くことばっか考えてるんじゃねえよと。コンプレックスの殴り合いなんてもうしたくない。
やたらと他人の粗探ししてきて足引っ張る気満々って奴は、一緒に切磋琢磨する仲間じゃなくて意識高い系マウントマンと断定して距離を取るようにしたい。
腰巾着が湧き出したコミュニティからも離れるようにしたい。長いものに巻かれたいのが人間の性なのかもしれないけど、値踏みされるような人付き合いが嫌だった。
普通に話してても毎回途中で割り込まれて置いてきぼりにされるし、同じ環境にいて仕方なく付き合わなきゃいけなくて、こっちがいくら対等な関係を築こうとしても向こうが差を付けようとしてくるから本当に疲れる。
結局のところ、価値観が合わなかったり裏切ってきて嫌いになったりした人間と、学校や職場という長い時間一緒くたにされて拘束される環境で、執拗に自己主張され続けたらそりゃ精神的に来るよなってことだけなのかもしれない。
思い返すと、最初は全く相手にせずに気にもしなかったけど、どんどん環境が悪化して塵積で追い詰められていってダメになってしまった。
高専入ったときは、中学の荒れていた環境からようやく解放されて自分の好きな事で勉強できるんだって思ってた。でも蓋を開けたら虚栄心の塊が牛耳る環境で、馴染めなくても寮だったから逃げ場もなく過ごすしかなくてつらかった。
社会人になってから、今までの反省も踏まえて今度こそ上手くやろうと頑張って初めは仲良くできたのに、対等な関係を目指して親切にしたら図に乗って裏切られて、仕事の機会すら奪われて悲しかった。
自分が要領よく調子よく立ち回れなかったのが悪かったんだけど、自分勝手な人間が得をする環境ならそこに留まるより距離を取った方がマシだった。だけど、変なプライドと悔しさだけが誰にも話せずに残ってしまって、振り切って前に進むこともできなかった。
外堀を埋められるようなやり方をされてきたから、当時は誰も味方なんかしてくれないと思ってたし、実際マイノリティな悩みだから理解してくれる人も少なかっただろう。世の中、そんな悩みは淘汰されるしかないんだから
自称鬱病みたいに思ってたけど、今でも過敏に嫌悪感を感じてしまうなら、やっぱりちゃんとカウンセリングなり精神科なり行った方がいいのかも。
学生時代に行ってたときは、クソ親が病院の先生に成績が落ちてるから何とかしてほしいみたいなことを吹き込んだのを聞いてから嫌になって行かなくなってしまった。
大人になってから行けばまた何か違うのかもしれないけど、あそこいつもめちゃくちゃ混んでるし、今回試してみて自分の悩みを明確にして話すのもかなり労力がいるということも分かったし、何というか本当に生きるのって大変で辞めたくなる。