はてなキーワード: ありがちなとは
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。
「俺の目に止まっただろ?」と言ってる連中がウジャウジャいてキツすぎるわ。
お前ら、何様のつもりだよ。
本文も読まねえカス共の目に止まって何の得がある?
マジでやべえよ。
日本SUGEEEEEEEEEを日頃馬鹿にしまくってるくせに自分たちは俺たちSUGEEEEEEEEEEEEEEEしてるわけだ。
つまり、お前らは自分の生まれた国に対して帰属意識を感じられないようなはぐれ者であり、そして自分たちを追放した奴らを蔑んでいながら、自分たちはソイツらと同じことしてることにも気づかない馬鹿ってことだよね?
いっそ言葉が通じないほうが良かったとすら言えるな。
だが、逆にここで言えることがある。
それが日本というキモイナルシストの集まり国家の中だけに留まったことだ。
つまり逆なんだよな。
「こんな馬鹿どもがこの島国にはウジャウジャいるってことが、世界に気づかれるリスクが減る」が俺たちが日本語を扱うメリットなんだよ。
これって割とオタク文化やギャル文化じゃ実際に起きてることなんだぜ?
なんでアイツらが独自の表現を使うかって言うと、そういった言葉を使うことで一般人から近づかれるのを防いでるんだよ。
でも、外からは理解できないような言葉を使って意味不明なことを言って、それを意味不明って笑われる分には「あいつら、俺達の言葉が分からないんでござるなあwwww」「マジヤバwwwww言葉通じない奴らに何言われても興味ネーしwwwww」で終わらせられる。
つまり意図的に言葉を通じなくすることで、言葉が通じてないからバカにされただけって言い訳を用意してるんだよね。
そうすることが生存戦略として界隈や個々人の経験に深く刻まれてるから、すぐに意味不明な造語を乱発したがるわけよ。
日本人の持つ恥の概念の歪さが産んだ恥の上塗りシステムがヒエラルキー下層にありがちな造語症もどきなわけね。
日本人っていう情けないナルシー下等民族にとって、日本語というのはまさにこの効果を最大限に発揮する最高の道具な訳。
つまり、日本語を使うメリットは「恥をかいてないと思い込むためのバリアとして有効」になるんだよね。
良かったじゃん。
超絶情けねえゴミみたいな代物だがな。
作るのが大変なのは間違いないのだろうが
ゲームを遊ぶ側としても100,000,000時間製作に使いました!ってクソゲー提供されてもクソゲーならいらねーよってなる
あとありがちなのがインディーにおいて「製作人数〇人です」とか「製作期間〇年です」っていうやつ
あれ意味が分からない。少人数で作ったからなに?年月かけたら神ゲーなの?って思うわ。それを持ちあげてる奴らも居るけど
ゲームの中身には興味ないんだろうなって思う。人数が少なきゃ外注に回す分が増えるだけだろうし、製作期間が長い=完成度が高いっていう構図は謎
俺が遊びたいのは、時間を使いたいと思わせてくれるような良質なゲームなんだよ
陳腐だろうと革新的だろうと、まず面白いと思わなきゃそこで終わりなの
最初はつまらなくても進めると面白いゲームだって面白いと思わせてくれる片鱗があるから続けられる
噛みついてくるやつが居ると思うので先に書くけど
劣悪な労働環境は悪だと思うが、一方で優秀な労働環境だったとしても出来が良くないなら客は付いてこないのが真理
ハッキリ言って俺が興味あるのはゲームの質であって開発の労働環境じゃない。それは労働組合なり開発スタッフが解決する内容なので俺は知らん
だからゲームの裏側(資金や納期、労働環境)はゲームの評価とは分けて考えるべきである
なんでこんなこと書きだしたのか忘れたけど、俺が言いたいのはそういうことだ
社会問題について述べた,意識のお高~い記事にありがちな締め文句,
彼らによれば,地球の裏側の貧困にも,地球規模の水不足にも,アメリカの格差社会にも,全部俺らは関係者で,責任があるらしい.そんでもって,自分たちの活動が,他人にとっても価値のあることだということが,彼らには全く疑いの余地がないらしい.そんなわけねーじゃん.
俺は個人的には彼らの活動を評価しているし,見かけたら募金くらいはしてやろうというつもりはある.実際にしている.ただ,上記のような文句は,あまりに不遜な態度ではないか.事実を伝えて,それだけでよいのに,他人の良心にまで踏み込む権利は彼らにはない.彼らのような活動は,本来自発的なものであるし,それに,社会問題に目が向かない人は,怠惰でも不誠実でもなく,ただ余裕がないだけの場合が多い.当然国内にも貧困はある.無い袖を振らないことを,ともすれば悪意と取らせかねない,そんな言い草はやめるべきだ.身近にある貧困を無視して,「日本人は恵まれている」と主張するのは,あまりに冷酷じゃないか.
私には大学からの付き合いの後輩が2人いる。社会人になってもう5年ほどたつが、
いまだに3か月に1回くらいで会っては共通の友人も呼んで4人でオタ話したり、
一緒に遊んだりする中だ。
でも私の中では、圧倒的に片方の後輩(Aと呼ぶ)を溺愛している。
もちろんそれを態度に出したりはしない。もう片方の後輩(Bと呼ぶ)も
性格が悪い子ではないし、遊ぶときにはどちらにも同じくらいの分量で話しかけるし、
接しているつもりだ。
でもBは仕事の関係で予定が合いにくく、ぎりぎりまでわからないことが多い。
そのせいで行きたかった施設の予約も取れないし、体調も崩しやすい子なのでいちいち
気を使ってあげないといけないのが面倒くさい。おまけに性格がオタクにありがちな
コミュ障なのに大喜利っぽいこというのが好きなタイプで、話してると一一癪に障る。
いちばん嫌なのは、共通の友人が「わたしはどっちの後輩も嫌いじゃない」的なポジで、
私がAと共通の友人と3人で遊ぼうと提案すると、「Bも誘った方がいいよね?」と勝手に
誘ってしまうこと。4人でイプしたときも謎の間が生まれたりしてすごく微妙だったのに、
共通の友人は「Bを抜きにすると仲間外れにしてるみたいでいやだ」とか抜かして勝手に誘う。
やめてくれよ…と思ってしまう。3人で話してる時の方が楽しいでしょ…と思う。
Aは私と同じ考えで、二人で話してるときとかに「Bちゃんは悪い子ではないんですけどね…」
でも私は共通の友人が大好きなので、共通の友人を抜かすことはできない。
こんなこと性格悪すぎて絶対ツイッターで呟けない。てかツイッターにBいるし。
今回もBのせい、ひいては共通の友人がBを誘ったせいで予定してた楽しいイベントが全部
ダメになった。これって仲間外れなのかな。遊びたい子とだけ遊んでちゃいけないのかな。
女性にありがちな、真の不満を表面的な愚痴で覆い隠してるタイプにしか見えんかった。
“私も美味しいものいっぱい食べたいんだ。”って書いてあるけど、量食べたいだけなら旦那の言うとおり追加で頼めばいいじゃん?
でもそうしない。食べたいものを腹いっぱい食えないのが不満なんじゃなくて、自分の思いやりに気付いてくれないのが不満だから。(この辺は増田自身も薄々自覚してるようだけど)
でも、そこを責めるとモラハラになるし、言って解決する話でもないし、
むしろそこに触れちゃったら夫婦関係が破綻しかねないから、触れられない。
でも真の不満は無くならない。
だから全部「なんでも勝手に半分以上食べる旦那」という不満のせいにして、自分の本音すら覆い隠そうとしている。
まあそれも結婚生活を維持する知恵なので、別に悪い手ではないと思う。
お互いの本音と要望を100%ぶつけ合ったら、結婚も同居も無理だもの。
いつか大爆発してそれこそ結婚生活が終わりかねないので、
付き合う彼女もそういう人たちばっかりだった
金髪外人(地毛ではないが)のボンキュッボンって感じの人とも付き合ったことある
実際大きい脂肪の塊は何しても気持ちいいし、最高の気分ではあるのだけど
ふとむしろ過剰に性欲が刺激されてるだけなのではないかと思った。いちゃいちゃして胸を触り始めたらもう性のエンジンがかかってしまうので、ほぼ毎日のように無駄にしてしまう。
付き合っても、相手に人としてちゃんと向き合うより、とりあえずセックスしとけばまぁ気持ちいいし幸福感あるしみたいな性に溺れてただけなのではないかと思うようになった。
※追記
気付かないでぶつかるのはしょうがないし、お互いに一言すみませんで済む。多くの人もそうだと思う。
これはそれとは別の話です。
追記終わり
※追記
ブコメを読んだが、避けずに「停止する」は人混み避け界隈では常識すぎるテクニックです。
ただ、人の流れが一定化している場合は後ろの人がぶつかってくる事があるのであくまで「初歩」でしかありません。あまり混んでいない状況でしか使えないです。自分が避けた結果別のぶつかりを発生させるのでは本末転倒です。
あと「ぶつかってくる女」はこちらが停止してもそのまま直進してきて、目の前で迷惑そうな顔をしてから方向転換します。
追記終わり
この増田に関して。
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
初めに書いておくが、女性叩きが主眼ではない。
正直、女性叩きに利用されるようなことも書きたくない。
しかし、道を避けないでぶつかってくる女性は本当に多い。多すぎる。
長年この問題にイラつき、またそのイライラを周囲に漏らしてもなかなか共感されなかったため、ここに書きます。
今では徹底的に避けるが、それ以前のぶつかられ頻度は、こちらがそれなりに避けていても二週に1回はあった。大半が「ぶつかってくる女」である。
元増田では「仮説3: 女性は避ける気がない/避けるという選択肢をハナから持っていない」という仮の結論が示されている。
これはその通りだと思う。真実と言っていい。
ありがちな「空間認識」や「スマホ歩き」を却下している点も、ちゃんと見て考えている人だと信用できる。
もし女性の空間認識が他人を避けることもできない程度なら、女性が集まる空間は事故だらけのはずである。
※追記
よく「相手を見下してるから避けない」という言説を見るが、「ぶつかってくる女」は違うと思う。自分は大柄で一重まぶたで眉が薄く、髭も生やしている。
この場で思いついたことを言えば、「避けない」「ぶつかる」のはある種の甘えが生む行動なので、「大柄」な相手にも構わずぶつかるのではないだろうか。
傍目にも明らかに自分より強い相手だからこそ反撃はあり得ないと打算しているというか。
繰り返し断っておくが、一部の女性の話であり、全ての女性が甘えているという話ではない。
追記終わり。
ブコメでは「身長が低くて周りがよく見えないから」という話も出ていたが、正直、人混みエアプなんかと思ってしまう。
避けない女性(すべての女性じゃないぞ)は、遮る物のない正面同士で行き違う時でも、避けようとしないのだ。身長は関係しようがない。
目が合っても、避ける素振りすら見せない。進路も変えず、体もそらさず、歩調も緩めずにそのまま突っ込んでくる。
ギャグ漫画なら「俺に気があるのかな?」となるくらいにまっすぐこちらへ向かってくるのだ。
この現象を目の当たりにした経験がないと想像ができず、「自分がうっかりぶつかってしまった」時のイメージしか持てないのかもしれない。全然違うものなんです。
普通に相手を避ける人々にとっては信じられないだろうが、相手を目視確認しつつ、一切避けようとしないのが「ぶつかってくる女」なのだ。
ただ、これなどはまだいい方である。(どう考えてもよくないが)
元増田には書いていなかったが、かなりの確率で「わざとぶつかってくる女」が存在するのだ。
といってもニュースになったような、「女性を狙ってぶつかる男」的な異常者よりの人間とは少し違う。
「わざとぶつかってくる女」は人混みですれ違わざるを得ない状況になったとき、こちらが「0.7よけ」すると、「1.0よけ」でないことが不満なのか、そのまま直進してきて肘などをぶつけてくるのだ。
勘違いだと思う人もいるだろうが、力を込めた肘とそうじゃない肘の違いはわかる。人体が偶然ぶつかったのとは違う、異物がぶつけられた痛みだ。筋肉の狭間にあたると、かなり痛い。
最初は自分も戸惑ったが、何度か経験するうちにわざとやっているのだと把握した。
しかしそのときはまだ意図が理解できなかった(揉めたら力負けするのは女性だ)ので、ぶつかられた時にあえて自分から謝って反応をうかがってみることにした。
ちなみにこれだと、こちらから当たりにいったように受け取る人間がいるだろうが、もちろんそれは違う。ぶつかられるのが嫌で普段は「1.0よけ」していた所を「0.7よけ」にしてみただけである。
(無論、ちゃんと避けてくれた女性も大勢いたことは書いておく。そちらが多数派である)
一瞬罪悪感の表情を浮かべる奴と、知らん顔で無視する奴、あとは白々しく大声で(決まって大声なのだ)「ごめんなさ~い」という奴だった。
軽い罪悪感の表情からは、おそらくこちらが「1.0よけ」して差し上げなかったことに対する瞬間的なムカつきをその場の肘鉄で晴らしてるんだろうと察した。
知らん顔の表情からは、そもそも「揉め事にならないと思っている」「なっても被害者ぶれるようにしている」のだろうと察した。この表情は本当にムカついた。
大声で「ごめんなさ~い」という奴は、もう救いようがないなと色んな意味で察した。
いずれにしてもろくな人間じゃないな、と思った。むなしかった。
こういう風にパターン化できる程度には、「わざとぶつかってくる女」に遭遇しているのだ。(どれだけ多いんだよ)
元増田には「問題にする意味を感じない」などというコメントもあったが、「わざと」だけでも自分がこんなに体験しているのだから、意味は大ありだと思う。
あと、「自分が避ければいいだけ」とか言うやつ、こっちは普段から避けてるからな。
もうそんな嫌な思いをしたくないから「2.0」、なんなら「3.0」よけてるから。それでも障害物や他の人の流れなど、どうしても避けられない状況はあるのだ。
そういう時でも「ぶつかってくる女」は平気でぶつかってくる。
※「ぶつかるお前の方にも問題がある」と言ってくる人もいるでしょうが、元々「人とぶつからないように気にかけて歩いている」のだ。人の流れを乱さず中高年や老人を避けるのはお手の物だし、花火大会などよほどの人混みでない限り男性とはぶつからない。問題があるならこちらが知りたいくらいである。
理由はわからないが、ぶつかりに来る奴を寄せ付ける雰囲気というものがあるのだと思う。ちなみに体格は大柄な方である。
※「話に夢中で気づかないでぶつかる」人は、ぶつかった瞬間に「あっ」という反応をするのでわかります。本当に不意の衝撃で発声が飛んだり、黙ったり、一瞬遅れて文句を呟いたりします。
瞬時に痛そうな表情をするのは、「事前にぶつかることが分かっていた人」です。
※元増田には男女の体重差の話がありますが、0.7よけの状態で肘をぶつける場合、角度を調整して掠る、擦るように当てれば相手の質量を受け流せるので、体重差はそこまで問題にならないのだと思います。ただ、やられたこちらは十分に痛いです。
https://live28.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1275493229/
https://www.logsoku.com/r/2ch.net/livejupiter/1275493229/
17 : 風吹けば名無し[sage] 投稿日:2010/06/03(木) 01:03:08.83 ID:PrBhFicm [1/1回]
初代ウィニングポストの開発チームにいたけど、どうしても解明できないバグがあってサードステージの
パラメーターをどんなに上げても思ったような強さにならなくてチームリーダー兼メインプログラマーが
めちゃめちゃ悩んでた。3~4番手ぐらいの強さにするつもりだったアイアンキングが妙に強かった。
.
武道やスポーツやっててなんとなく上手いこといってて、それで進学やカースト内の立ち振る舞いがうまくこなせてしまった女子にありがちなタイプだけど、とにかくレスポンスの速さが取り柄なんだよあいつら。
深く物事を考える有意性すら理解してないしする気もない。なんでも0か1で割り切れると思っていて、明言するのを避けたり答えを出せないことをじっくり考えたりすることを馬鹿にしてる。
だから今の振る舞いが間接的にどう影響を与えるかとか、どういった社会的意義を持つか、表面上には現れない人の気持ちなんかにかなり無頓着なんだよ。
間違ってることでも浅はかなことでも、とにかく相手に隙を与えずメッセージを発してコミュニケーションにおいて自分が主導権を持つ。これが彼らの処世術だ。
こういう人はマウントを取った時点で自分が絶対的正義だと証明されたのだと信じてやまない。強い語気や態度で圧倒しているだけなのに相手の論理に破綻があるから黙らざる得なかったのだと歪んだ解釈をする。彼らはのちのちまで「あなたあの時論破されちゃってるんですけど?」みたいな詭弁論者めいた態度を真顔でかましてくるから始末におえない。
そもそも論理的に話を整理したり妥当性があるものが優先されることを彼らは心底嫌っている。嫌ってるというか暗くて気持ち悪くて無駄で不要なものだと切り捨てたがる。とにかく速く相手に反応を示すために考慮することを放棄しているので、事象に対し主観的かつ情緒的な解釈が目立つ。「なんとなく嫌いだからこれは劣っている」「なんとなくかっこいいと思うからこれは優れている」「なんとなく退屈だからこれは要らないのだ」とどうしようもない基準で物事を判断していく。
そして目先の、体感のコストパフォーマンスを彼らは優劣のバロメータにしており。長期的な物の見方をしない。根は真面目だからあいつらなりに「将来あれになりたいからこの学校で専門教育受けます」とか「お金を貯めておきたいから財テクやってる」とか「子どもの可能性を伸ばしたいからそれ習わせてます」とかいろいろやるけど、全てが一元的でそれって決めたらそこしか見えてないのよ。中学高校の憧れで看護師になるって決めて看護の学校行って看護師として働くようなタイプ。腰を据えて一本筋を通す姿勢は立派だよ。でも彼らは憧れの次に、看護師の実態を調べたり、職業人が持つ行動指針となるべき抽象的な流儀に思いを馳せたりなんかはしない。そんなのすっ飛ばして「何になるか決めたからとっとと受験対策しよう」だ。そして職に就いたら、理想とのギャップを全て自分以外の何かのせいだと愚痴り、場当たり的に行動する。気分で仕事の出来にムラがあるので一定のクオリティを保たない。それでも持ち前の判断力の速さと明瞭な態度で体面は繕ってしまう。体面がいいため何も言われないでいることを、自分が有能な証だと履き違え自己研磨しようとしない。
体育会系でも武道は縦の関係が強いので、彼らは上の物に靡いて言うことをすぐに変える。流儀や信念みたいなものはないし今後に向け醸成させていく気もないので組織内の力学にすぐ染まる。その癖単刀直入ではきはきした態度故に「しっかり者」として扱われてきたためか本人にその自覚すらないのがタチが悪い。
増田があの時対抗できたとするならば、嫌な顔された時点で間髪入れず「あ、あなたの物ではありませんでした?」と言って、違う人に「これ落としませんでしたか?」と聞いていけばよかったかもしれない。
こういう輩のペースに巻き込まれてはいけないのだ。善意で拾った市民という増田自身の認識を歪め、あまつさえそれが如何にも妥当であるかのような態度。、そんな振る舞いを許すような謂れが増田には一切ない。
声優のオタクしてるから、結構なソシャゲを入れて、ハマらなかったら好きな声優の声だけ聞いて消して、っていう不毛な行為をよくしてるんだけど。
最近多くなってきた中国原産で、日本語翻訳してリリースされたスマホゲーム、大体が日本の声優のボイスが付いてるんだよな。前までは日本向けにわざわざ声優起用してるのかな、まあ日本のソシャゲってキャラに声ついてて当たり前のとこあるからなあとか思ってたんだけど、どうやら中国版の本家でも、日本の声優が日本語で声を当てているらしい。
ひとつやふたつじゃなくて、中国原産で日本に入ってきたソシャゲって大体がそう。ありがちな美少女量産型の予算ギリギリなんだろうなあってアプリから、アズールレーンやアークナイツなんかの日本でもそこそこ売れてるようなアプリまで、中国版でも日本の声優を起用してる。
日本でボイスが中国語のソシャゲが出たら人気が出ないのは簡単に予想できるじゃん。それこそ中国から輸入したゲームでボイスが中国語ならそのままの雰囲気を楽しめってことだと強引に解釈できなくもないけど、日本発でそれやったら疑問しかないよね。ソシャゲってキャラ萌えを売りにするゲームで、キャラが何言ってるか調べないとわからないって致命的だし、調べて意味が分かっても、そのキャラ独自の訛りとか口癖を作ってキャラ立ちさせるのがとても難しくなる。
逆に言えばそのデメリットを全部放り投げてもいいくらいのメリットがありますよってことなんだろうけど、調べてもこれといった答えが出ないのでずっとモヤモヤしている。いかがでしたか?みたいなサイトしか出てこない。
日本の声優の方が給料が安い?日本の声優の人気がとても高い?どっちもないと思うんだよなあ。日本の声優の給料ってアニメよりゲームの方が高いらしいし、釘宮さんや花江さんみたいな一線級から、最近デビューしたような新人まで起用されてる。
もしかして中国って声優っていう職業がなかったりするんだろうか?それなら俳優にソシャゲのボイス頼むのはちょっと…ってのもわかるし納得できる。でも日本のアニメが中国で放送されてるときは中国語で声が当てられているだろうし、羅小黒戦記みたいな中国発のアニメ映画にはちゃんと中国語で声が当てられている。ってことは中国にもいるんだよな、声優。
ある時、付き合いのある市町村職員から「うちで働かないか」と誘いを受けた。
最初は気乗りしなかった。
私は今の職場に満足している。
地域住民のために尽くす人生も悪くないなと思って覚悟を決めた。
他にも数名が受験していた。
でも、誘われてるんだし私が合格するのだと信じて疑わなかった。
が・・・
はぁ??
まじ!!??
そんなことってある??
「いったい何が起きたんですか??」って聞くけど
「わからないんです」
こちとら現職の引き継ぎとか
・・・考えるのも腹が立つけど、このような事態になった理由として思い浮かんだのは昔読んだ増田だった。
https://anond.hatelabo.jp/20200828214741
数年前にプライベートで強いストレスを感じることがあり、半年ほど通院していた。
うつ病という診断ではなかったけど、短期間SSRIも服用していた。
ストレスの原因が消失したこともあり今は問題なく生活している。
市町村だから私の受診歴なんてのは調べればすぐに分かるはずだ。
だから現場の職員が不合格の理由を知らない(もしくは私に言えない)んじゃないか?
仮にそうだとしたらろくでもねぇ。
あと他に可能性として思いつくのは、田舎にありがちなコネ採用で他の受験者が合格になったとか・・・。
なんにせよろくでもねぇ。
これって差別ってやつ?
あーむかつく。
人の人生を軽く扱いやがって。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
どうか、人の人生をなんとも思っていないクソ企業にまともに人が集まらず、人事が苦しんで苦しみ抜いてバッタバッタと倒産しまくりますように。
コメント拝読させていただいております。賛否両論あるようで、共感いただけるかた、いただけないかた様々なようです。いくつか共通する提案や質問があったので回答させていただきます。
■車を買ってはどうか
この質問とても多かったですね。ですが、車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
なので、転勤の引っ越し先も工場から徒歩30分ほどの場所にアパート借りています。なお東京に住んでいる時は親の車を借りたりレンタカー使ったりしていました。免許自体は持っています。
田舎で数か月勤務して東京の実家に戻った時の衝撃があまりにも強く、「これ以上田舎で生活するのは無理だ」と白旗を上げたので車は今後も買う気はありません。
すみません、訂正させてください。一番近い新幹線駅に繋がっている最寄り駅まで数kmですね。
新幹線駅までの距離はちゃんと測っていないですが、20km離れているほどではないので数km~十数kmの間です。
地方の田舎、という言葉が聞く人によってだいぶイメージが違うんだなと実感しています。観光でしか行ったことはありませんが大阪、名古屋、仙台あたりの地方都市に住んでいれば
今回みたいな田舎の絶望は無かったと思います。少なくともそれらの地方都市は東京郊外に匹敵する人の往来や活発さがあると思うので。
新幹線に乗って、田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう、というのをイメージしていただければと思います。
ずっと東京に住んでいた身としては、首都以外の都市は全て地方都市だという認識でした。