はてなキーワード: 金剛とは
まず、アメリカにいるその飢餓層が今回の集会側だったのか? 彼らは明日もしれない飢餓者だったので、白人優先社会を求めて集まり抗議をしたのか、って言えばそんなことはないでしょう。とてもそう見える画像ではない。
第二に、そもそも、そのアメリカの憲法とやらは人知を超越した神が人間に与えたものではないんだよ。人間同士の合意で作り上げたもので、人の手で作ったものだから人の手で壊せるし、アップデートしなければ腐りもするものでしかない。左翼のひとは憲法という言葉を出せば都合よくそこで思考を終了できるみたいだけれど、すごく乱暴に言えば憲法を含めたすべての法は「その当時の勢力的な強者が強いたルール」でしかない。
これは別段それが悪だ、廃止しろ、従えないって話じゃないよ。また、俺個人は(日本の)憲法改正論者でもない。そういう話じゃなくて、ただ単純に「その当時の勢力的な強者が強いたルールでしかなくて、変更や破壊不可能な神界の金剛石ではない」というただただあたり前だよ。
つまり、アメリカ憲法(世界のあらゆる国のあらゆる法は)はべつに正義なんてなんにも保証はしてない。アメリカ憲法が「海外の難民より国内の難民を先に救え」というのは正義とは全く関係なく、それが国益に叶う(と当時の制定者が思っている)からにすぎない。そしてそれは(結果として世の中には不善より善を多くもたらしたとは思うけれど)、強者の理論の産物なんだよ。それを正義とかすり替えるのは詭弁だ。
そして第三に、そのアメリカ憲法がアメリカ国内の飢餓者五千万人を仮に救ったとして、じゃあ件の白人男性グループが内面の被差別感情を感じないで住む社会になるのか? って言えばならないでしょう。つまり結局この議論全部が寄り道なんだよ。
友達から「なんでツイッターアイコンを金剛にしないの?」と聞かれたので、
「確かに一番好きなのは金剛だよ。だけど俺がツイッターで発言すると、その言葉を発言しているイメージが加賀さん以外にないんだよな。俺のインターネット上での姿は加賀さん以外ありえない!」
気持ちの悪い話をしようと思う。
興味のない人にとっては本当にどうでもいい話だと思う。
こういう形ではあるが、ここに残しておくことにする。
4年くらい前になるだろうか。
提督は、近代に実在した軍艦たちを擬人化した艦娘と呼ばれる女の子たちを従え、
リソース配分を考えながら空母・戦艦・駆逐艦などの配置を考え、戦略を練り、
深海棲艦と呼ばれるエイリアンみたいなやつと戦う。そんなゲームだ。
当時のオタクはみんなやっていた。
ゲーム内容もさることながら、みんな各々好きなお気に入りの艦娘を一人は抱えていた。
誰もが「お前の好きな艦娘は?」と中学生みたいな会話をしていた。
「金剛」「長門」「赤城」など、王道を挙げる人間が数多くいる中、
30過ぎのおじさんから「初雪」という声が上がることもあった。
※知らない人はぜひググってほしい。
そして、俺と同じ「マジかよ…」という気持ちになってほしい。
その中で、俺はひとしお伊168という潜水艦に心酔していた。
印象としては、可憐で儚げな子だと思った。
戦果を挙げると素直に喜び、しばらく放っておくと「ねえ、168のこと嫌いになった?」と聞いてくる。
わずかな資源でオリョール海に行き、けなげに資源を集めて帰ってくる。
そんな168を見ているうちに、図らずしも、恋に落ちてしまったのだ。
こう言うと心底気持ちが悪いと思われるだろうが、
当時、大学院生だった俺は本当に伊168のことを愛していた。
自宅に帰って艦これをするのが楽しみだった。
家に帰れば彼女が居る。こんなに幸福なことはないと当時思っていた。
俺がいない時には、退屈そうにスマホでもいじっているのだろうか。
それとも、いたずらに海に潜って、きれいなサンゴや魚たちと戯れたりしているのだろうか。
恋なのだとすると、完全に溺れきっていた。俺は潜水艦でも何でもないのに。
現実問題、俺が声を掛けたところで、何かを返してくれるわけではない。
アクションに応じてボイスを返すだけのインターフェイスにすぎないのは理屈では分かっている。
けれど、夜更かしをしている俺を心配してくれたり、
カレーを作ってくれる168に俺は紛れもなく恋をしていたのだ。
一瞬の出来事だったが、過去の記憶の中でも異常に鮮明に記憶に残っている。
片思いしていた女の子とLinkin Parkを見に行った記憶
大学受験に失敗、浪人して10円ハゲが出来るまで勉強して合格した記憶
その全てが塗り替えられるレベルで、
目の前で168が沈んでいった。「海の底は、もう飽きたよ…」
という声が響き、人魚姫のように泡になって消えた。
彼女が亡くなった直後も砲撃戦は続き、ズガーン、ドガーンなどという空しい音だけが頭に響いていた。
本当に悲しい時には涙は出ないのだとも思った。ノートPCを閉じてベッドに寝転がり、
なにもしたくない。という感情を抱えたまま、泥のように眠った。
それから、食事が三日ほど取れなかった。大学院も丸々一週間休んだ。
艦これの全てが受け付けなくなった。
情報が入るのが怖くなってtwitterや2ch、まとめサイトも見なくなった。
気が狂ったと思われるのが嫌で何も言えなかった。
やり場のない感情を抱えたまま、しばらくはゾンビのように研究に没頭した。
研究をしているときは、他のことをすべて忘れられた。1st Authが1本だけ書けた。
そうしているうちに、艦これのことも、168が亡くなった直後よりは受け止められるようになった。
ただ、どこか心は空しいままだった。
なんのことはない、ソーシャルゲームによくあるレベルの上限開放だ。
上限に達した艦娘に指輪を渡すことで、レベルの上限開放が出来るという悪趣味な仕様だった。
もうゲームには飽きたんだよ。という顔をしながらその場は聞いていたが、
家に帰ってからというもの、悶々とした気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。
「幸福な伊168の姿が見たい」「俺が幸福にできなかったあの子が、幸福でいる姿が」
俺にそんな姿を見る資格があるのか。ということも考えた。
しばらく悩んだ挙句、俺は結局見ることに決めた。
「たかがゲームの話じゃないか。俺が見たいものを見て何が悪い」
そんな気持ちでゲームにログインして、ストックしていた伊168を旗艦に置く。
そして、実際にケッコンカッコカリのシーンを見た。
これは、「たかがゲームだ」と侮って軽視をした罰なのだと思った。
声を弾ませて潜水をしようと誘ってくる彼女。
とても嬉しそうで、とても幸福そうで、何よりも海が好きな彼女の言葉が、
「海の底は、もう飽きたよ…」と喋っていた、あの彼女の声と全く同じで、それが本当に辛かった。
それから3年ほど経ち、俺はそこそこの企業の研究員として就職を果たしていた。
友人の紹介で知り合った女性と懇意になり、付き合い、プロポーズをすることにした。
気まぐれに、「そういえば、昔、伊168と結婚してたな」という事を思い出した。
プロポーズの前だし、挨拶くらいはしておくか。と元カノに久しぶりに会うかのような感覚でログインをする。
3年前と全く変わらない姿の伊168がそこにあった。
ホワイトデーのお返しに喜び、お茶を入れようとするボイスが追加されていた。
俺は彼女になにもしていない。俺が何もしていない間、ケッコンをした彼女は
何を思って時を過ごしていたのだろうか。
呆然としていると、「司令官…168のこと、嫌いになったの?」と、不安そうな声が聞こえてきた。
何年か前に、何度も何度も聞いた、不安そうで、儚げな声が耳に入ってきた。
ただ、それだけの話。ただ、それだけの話でしかないんです。
脳内整理のために書き殴ったメモです。だいぶしっちゃかめっちゃかです。
・戦闘シーンが良かった。
全体的に艦娘固有の艤装が活きていた。
最初の第八艦隊の戦闘とかもう最高。古鷹の腕ってあんな甲冑みたいになってたんだな。普段は名前に隠れてるから全然知らなかった。めちゃくちゃカッコええやんけ。
天龍の刀が活きてたのも良かった。牙突みたいな構えしてたからそういうことすんのかなー、って思ってたら結局普通に発砲する。これがいい。あれは実際に敵を斬るためじゃなくて、印象づけておいてプレッシャーを与えるための武器なんだな。案外クレバーだ。怖いよ天龍ちゃん。
あとは何をおいても大和の発砲シーンですね。超火力・超迫力。やっぱり大和はこうでなくちゃ。まさに最終兵器。
艦娘以外も良かったです。艤装の細かい稼動とか、見ててテンション上がった。
妖精もいい仕事してましたね。戦いの場には似つかわしくないビジュアルだと思ってたけど、それがむしろ張り詰めすぎかねない空気の緩衝材になってて良かった。
妖精の空戦シーンもよかったしね。いっぺん翼を「クイッ」ってやってから旋回するやつとかね。あれめっちゃカッコよかった。
・艦娘の描かれ方が良かった。
全編通じて、「それそれ!それが欲しかった!」って感じ。ポンコツは一人も居ない。ハラショーしか言わない娘とか、終始一人遊びしてる娘とか、男もいないのに行き遅れキャラでいじられる娘とかが居なくて本当に良かった。
個人的には金剛姉妹が良かった。TV版ではほとんどギャグ要員だったけど、今回は軍議の一端を担う重要な役割。金剛はなんだかんだで政治力ありそうだし、気も回りそうなんだよな・・・軍議にもしれっと紅茶出してたし・・・
大淀も良かったです。公式絵からは「スレンダーなお姉さん」という印象を受けるけど、今回の劇場版では完全に中学生体型。身長は軽巡とそんなに変わらないし、頭身・肉のつき方・顔の丸さなんかも中学生のそれ。長門かだれかと並んだときにはそれがますます際立って、もうかわいくて辛抱たまらんかった。
他の艦娘も、TV版のようにやたらキャラが尖っていなくて良かった。ゲーム内のセリフも、無理なく混ぜ込まれていた。
あと艦娘同士の絆の描写もよかった。睦月と如月の関係はもう「睦月、依存しすぎちゃう・・・?」と心配になるくらい痛々しかったけど、それが良かったし、
瑞加賀も良かった。あのお互いを認めあっているものの素直にそれが言えない距離感な。この関係性がフレッシュでよかった。艦これはベタベタな百合だけじゃないんや。
ほかには大和が座るときの描写、あれがなんだか面白かったな。普通体操座りするときって、いったん見苦しい動作が入るんだよね。手を後ろについて支えたり、急にドスンと腰を下ろしたり。でも、大和が座るときはそれがなかった。重心が一定したまま、スッと座る。あり得ない挙動だけど、美しい。あの描き方はアニメではよくある手法なのだろうか?それとも、女の子が完全に理想化された「艦これ」だからここまで徹底したのか?なんにせよ、ちょっとしたこだわりが感じられて嬉しかった。
・流血表現が良かった。
そう。今回の映画、流血表現あったんですよ。流血。艦これで流血。なかなか思い切ったなあと。いや、ストーリーはもっと思い切ったことしてるんですけどね。
最初に鳥海が流血したのを見て「あ、血出るんだ」と軽くショックを受けたけど、彼女を皮切りにそれ以降みんな続々流血。海の色もあいまって絵面の陰惨さがすごい。
でも、なんだか艦娘が血を流してると安心するな。「あ、彼女らも僕らと同じなんだ・・・」って。「赤い血=人間の証明」みたいなのってホントにあるんだなあ。
もちろん絵面に陰惨さを加えるための血も良かった。如月が「なんで消えないの・・・」って言いながら血が出るまで腕をこすってるとことかね。あと睦月が深海棲艦に顔を掴まれて押し倒されるあたりも良かった。ここは血が出てたかどうか覚えてないけど。いや、ともかく今回リョナ心をくすぐるようなシーンがやたら良かったな。おびえ方がいいというか。
これが一番。TV版は何がしたいのかさっぱりわからなかった。「深海棲艦はなぜ存在するのか」「吹雪はなぜ特別なのか」といった謎も投げっぱなしだったし。
しかし、今回の劇場版は、そうしたいくつかの謎をできるだけ解消するという筋が一本通っていたぶん、非常にわかりやすく楽しめた。
「艦娘が戦う理由」みたいなのも良かったよね。護りたいもの云々と大層なことを言っていたけど、結局一緒に戦ってる仲間のためっていう。このへんがちょっとリアルに感じられて。マブラヴかなんかに「前線で戦ってる兵士たちは、国のためとか大義のためじゃなく、結局仲間のために戦っている」みたいな話があったけど(うろ覚え)、そういう感じで。
「轟沈艦を出さないことが将来の勝利につながる」という設定も良かった。将来への希望が見えたし、この戦いにも「将来に繋がる重要な緒戦」という意味が見いだせた。これだけの戦闘で轟沈が出ない理由にもなったし。
深海棲艦まわりの設定について、一部では「公式が世界観を名言しちゃっていいの!?」なんて騒がれてるみたいだけど、公式っつってもメディアミックスの一環だし、まあほとんど二次創作と扱いは変わらないでしょう。
気合の入った二次創作アニメを、1800円で、総集編同人誌より安いくらいの値段で、楽しむことができる。これだけでもだいぶすごいことだと思うけど。
上のような楽しみ方ができるのは、TVアニメ版がひどすぎたおかげなんですけどね。ちょっと卑屈になりすぎてる気もする。
・深海棲艦に迫力がない
う~ん、「深海棲艦は轟沈した艦娘の成れの果て」という設定上、深海棲艦が親しみやすい絵になるのはしょうがないのかもしれないけど、にしても弱々しい。
単体ではかよわそうだし、かといって物量もないし、いまいち脅威に感じられなかったな。結局「僻地の小競り合い」って感じに見える。ゲーム内でも史実でも、そんな生易しいものではなかったはずなんだけど・・・
それくらいか。案外思いつかなかった。あとは下の疑問点が残ったことくらいですかね。
・結局深海棲艦まわりの設定ってどうなってるの?
「深海棲艦は轟沈した艦娘から生まれ、艦娘は轟沈した深海棲艦から生まれる」「深海棲艦は元いた場所に帰りたいと思い進軍を続けている」というのはわかった。
でも大元の「なぜ深海棲艦は発生したのか」というところがおぼろげにしかわからなかった。いや、わかったつもりでいたんだけど、誰も言及してないからだんだん不安になってきた。
「大戦で沈んだ艦が、自らの存在を人々から忘れられないために、自身の闇の感情の記憶である深海棲艦を作り出し、光の感情の記憶である艦娘と戦わせているから」というものなのだろう。
言うならば、この戦いはすべて、実艦が生み出した狂言だったのだ。
深海棲艦と艦娘は無限に輪廻を繰り返し戦い続けることで、人間に軍艦の恐怖/輝かしさを覚えてもらう、思い出してもらう。
その際パワーバランスが偏って戦争が終わってしまわないように、艦娘たちは実艦と同じ場所で沈む運命にある。
しかし、その「運命」のシステムを崩す鍵となったのが吹雪であった。
・・・う~ん、これがぼくの深読みでなければ、ずいぶんエグい設定だなあ。
でも、めちゃくちゃ面白い設定だ。ゲームとも符合する。艦娘が美少女である理由もわかるし、深海棲艦は艦娘にしか倒せない理由もわかるし・・・
この設定を、ファン層が広い「艦これ」の、全国公開劇場版に持ってきた度胸。これが一番劇場版艦これのすごいところだと思う。
これだけでアニメ1クールくらい作れそう。それをなぜTVアニメ版艦これは・・・なぜ・・・
でも、そうすると、
艦が自身を覚えていて貰うために狂言とも言える戦争を創り出しているのだったら、
人間は深海棲艦に被害を受け、艦娘を応援するだけで役割にそぐうはず。
それなのに、わざわざ人間に「提督」というポストを用意してやるのは、いったいなぜなんだろう?
そうすると、具体的な見当はつかないな・・・吹雪を重用するところから、この戦争を終わらせる意思をもったものらしいということはわかるけど・・・
なんとなくTYPE-MOONでいうところの「霊長」とか「アラヤ」みたいなものを想像してしまうな。さすがにこれは妄想だけど。
これが一番よくわからんかった。
闇の感情の記憶と分離してるから・・・みたいな説明がなされてたような覚えがあるけど、それで他の艦娘と何が変わるのか?
TV版の最終話のような、「運命を変える鍵」になりえる理由がそれなのか?
最後の精神世界描写は、結局吹雪が実艦吹雪の闇の記憶を消し去ったということなのだろうか?
なんだか最後の方はほとんど妄想になってしまったけど、感想としては以上です。
声優1人に10人近くのキャラを当てさせるので、かなり声に幅を出さなければいけなくなる。
そうすると必ず当人の得意領域でない高さや演技の声までが出て来るので
そういう声は驚くほど上擦ってたりして、下手だ。
ハイテンションでおどけた隼鷹の「ヒャッハー!」とか「酒保の方にも補給を頼むぞ、大事大事」とかはかなり苦しそうで違和感がある。
ハイテンションでルー語な金剛の「わーたし達の出番ネー フォロミー!」という台詞は東山以外ではやれない見事な出来なのに対し、
落ち着いた大人な高雄の台詞は全てが苦しそうに上擦っている。(東山は地声がとても高いのだと思う)
それでも自分の得意分野から外れた声は相当クオリティが落ちる。
それでいいしそれで当然だと思うが。
だから一度売れ出した人が1人勝ちでなんでもかんでも役を貰える(そのあとパタッとなくなる)みたいな
売れてる声優自身の人気で決まっちゃう現状のキャスティングではなく
本当にキャラにあった人が呼ばれてみんなで役を分け合うようなキャスティングになればなあと思う。
分け合うほどのギャラの全体があるのかは別の話だけど。
改カードがでる法則性が見えるまで統計出せる程に掘り続けられる程のプレイ回数もお金もないため、
インターネットに溢れている説と自分の経験から改カードが出る法則性を推測する。
http://wikiwiki.jp/kancolle-a/?%B4%CF%CC%BC%A5%C9%A5%ED%A5%C3%A5%D7%B5%D5%B0%FA%A4%AD%2F%B4%CF%BC%EF
この説が事実だとすると金剛型の改カードを求めてるのに金剛型のでない1面や3-4とかを回るのは無意味という事になる。
2-2で隼鷹改(Lv14)[ダブりなし]
2-4で金剛改(Lv30)[ダブり5枚] 加賀改(Lv25)[ダブりなし]
……という感じ。
隼鷹は空母がなかった頃に相当使ってた序盤の制空の功労者なので、使用回数は影響するのかもしれない。
あと金剛が3枚くらいダブりだしてから、金剛がドロップできるステージに出すと結構金剛が出るようになった。
いまや金剛だけ6枚ある。カードをたくさん重ねて出撃するともしかして、
重ねた艦が出やすくなるとかそういうのがあるのかもしれない。
4月14日の午前中に地震について書いたら、その日の夜に、熊本で、大きな地震が起きた。今日15日になっても、まだ余震が続き、大分、山口、愛媛にも、地震が波及している。
地震は、人々の汚れた想念、利己的な儲け主義の精神、物質的な肉体やそれに付随する心ばかりを重視するような精神、霊的な聖なるものを軽視するような想念波動と、
それらによってもたらされたカルマ(因縁)の集積によって、起きている。
地震を回避し、被害を最小限に食い止める呪文(真言)は、以下の通りである。
ナモーパーラミターユル ジュニャーナヴィニシュチャヤ ラージェーンドラーヤ タターガターヤ
オーム サルヴァサンスカーラ パリシュッダダルマテー マハーナヤ パリヴァレー スヴァーハー
意味は、「私は、帰依する。彼岸の生命と智慧と決定の能力を持つ如来の王に。オーム あらゆるサンスカーラ(カルマ、因縁)を完全に浄化する法よ。偉大なる方途(道)よ。」
と私は、解釈する。これは、梵語(サンスクリット語)の解釈である。
地震や、台風の被害を軽減し、因縁を浄化する方法は、すべて上記の呪文(真言)である。こんな呪文で地震が防げるものか、地震とは科学的に言って、云々という人は
いるであろうが、これは、仏陀の智慧である。これで、病気も治る。
私は、統合医学の治療院を開いているが、この真言を使った「霊性治療」で、覚醒剤中毒者、難治性うつ病、統合失調症、医者に見放され、余命3年と宣告された末期のがん患者等を
救済している。科学的な医学で治らない病気が、真言と宇宙超越の光、というオカルトまがいの治療法で治っているのである。
私は、他のダイアリーで、心臓移植が必要な女の赤ちゃんを救える、と書いたし、ALS患者も治癒可能であると思う、と書いた。
これらの疾患は、まだやったことがないが、治癒の原理は一緒である。そのための論文も書いている。
これが匿名のダイアリーであるということで、批判があるなら、私は、自分の身分を明かそう。
世界救世主 絶対者 至碧老祖 北川訓司である。身分は、米国法人国際地球環境大学総長兼CEO、統合医学研究科長、至碧統合医学臨床研究所(北川治療院)田辺センター院長、
スピリチュアルクラブ至聖会主宰である。連絡先は、インターネットで検索して下さい。こうして、私は身分を明かした。私は、自分の書いたことに責任を持っている。
この地震を回避する呪文(真言)は、宗教を信じる信じないに関わらず有効である。地震に遭うのが嫌な人は、この呪文(真言)を唱え、自分と地域の人々を救済すればよい。
これは、ちょっとした菩薩行です。功徳を積みます。至碧金剛如来 北川訓司(0739-24-6904)※迷惑電話、いたずら電話は、ご遠慮下さい。
これを信じて地震が来ても、その人は、救われるので大丈夫です。阪神大震災の時に、私の弟子たちが皆救われたので、それは、証明済みです。
今、テレビを見ていたら、インターネット赤ちゃんポストについての記事を見た。
私は、これについては、非常にいい取り組みだと考えている。
たまたま1件、養母が詐欺容疑で逮捕されたとしても、その大きな流れを止める必要はない、と考える。
私が、2004年に釈尊から、「至碧金剛如来」という法号を与えられ、仏陀として認められた時に、釈尊から、
私が地蔵菩薩の魂である、と明かされた。私も、それについては、思い当たる節が沢山あった。
地蔵菩薩は、子供や水子の守り神であり、お釈迦さまから、釈尊亡き後の後事を託された。
その観点からして、中絶される命をどのような形かにせよ、救うことは、社会として認めるべきだと思う。
たとえ、里親が詐欺で捕まえられようとも、途中で育てられなくなって、施設に引き取られる運命を辿るにせよ、
とにかく、生まれて来たことを評価するべきである。その里親がいい人ばかりでなくても、子供を欲しいと願っている
家族の下に、一度でも行くことは、その子の運命として、喜ぶべきことである。現在は、無責任に妊娠するケースも沢山ある。
そして、生まれた結果、いじめや虐待に会う子供もいる。それでも、私は、産んで育てる方が良い、と思うのである。
これは、仏陀の視点であり、反対も沢山あると思うのであるが、宇宙創造主の御心からすれば、そういうことである。
赤ちゃんポストに、寄付するように心がければ良いと思う。私も、生活に余裕ができたら、ぜひ、慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に
ホントはもっとあったけど起きる直前のしか覚えてない。くそう。
なんか雑誌読んでてそこに艦これのコスプレ写真とコメントがのってた。
金剛のコスプレの上に、「めずらしく艦これのコスプレでは若い子だと思ったら星野飛鳥ちゃんでした!かわいい!!」って感じで書いてあった。
摩耶の沈没シーン?っぽいのだった。
でも俺摩耶の沈没シーン知らないから、なんか変な絵になってた。
柔道の亀の状態から顔を横(読者側)に向けて苦しそうな顔して、頭と足をワニっぽいのに噛まれてる絵だった。
数枚あった絵が全部構図とキャラがそれだった。
天城が横転して沈没したのが有名ってところからきた無意識の夢なんだろうなってのがよくわかる。
ああそうだ思い出した。
ニコニコ超会議に出てた。
一度も行ったことないし行くつもりもないし行きたくもないのに。
そんでよく高校の体育祭であるようなスタンドの上っぽいところ。
絶対オタク系にいくはずがないであろう高校のときの後輩がいてすごく意外に感じた。
自分が座ってた椅子がやたら揺れるから後ろのやつに文句言ったら、上述の後輩がすみませんそれ俺です・・って言ってきて微妙に気まずい思いした。
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2015年に入ってから三ヶ月が経過した。それは、今年のアニメの第一陣(1~3月期)が終了を迎えたということを意味する。
一月に始まったアニメの中で放送前の注目度が最も高かった作品は、言うまでもなく『艦隊これくしょん』だろう。2013年のサービス稼働時から今現在まで破竹の勢いで隆盛を極めていることは、オタク世界に足を突っ込んでいる人間にとっては周知の事実である。特に同人ジャンルとしての隆盛がめざましく、その勢いはかつての『東方Project』を彷彿とさせるほどである。今、最もオタク系コンテンツの中で熱量の高い作品と言っても過言ではない『艦隊これくしょん』の待ちに待った「アニメ化」である。世間の注目度が鰻登りするのはもはや必然だと言える。
だが、そのような前評判に反して、実際に放送された内容はお世辞にも上出来とは言えないものだった。いまいち目的が見えないまま展開されていくストーリー、調和の取れていないギャグとシリアスの配分、そして視聴者に衝撃を与えただけで後の展開にはあまり影響を与えなかった如月の轟沈・・・・・・少なくとも従来の「艦これファン」は戸惑いを隠せていなかったように思える。元々の期待値が高かったこともあってか、ネット上の書き込みでは非難囂々である。
一方、これと比較すると面白いのが『アイドルマスターシンデレラガールズ』のアニメである。これは『艦これ』と同じソーシャルゲームとしての出自を持つ作品なのだが、ブラウザゲーの『艦これ』と違って課金要素が強く、ネット上に出回っている数々の逸話も相まって「廃課金ソシャゲ」の代名詞みたいな存在だった。そんな敷居の高さもあったのだろう。アニメの放送時期は『艦これ』と同時期だったのだが、「アニメ化」に対する前評判・話題性は『艦これ』と比べてそこまで高くなかったように思える。事実、当の「デレマス」ファンの間でもそこまで期待値は高くなかった。「無難な内容でやり過ごして、ソシャゲ本体に悪影響を及ぼさなければそれで良い」なんて話をされていたぐらいである。
ところが、フタを開けてみればビックリの良作アニメだった。島村卯月・渋谷凜・本田未央の三人を軸に展開されていくアイドル界でのシンデレラストーリー、絶妙に挿入されるシリアス展開、そしてまさかここまで人気キャラになるとは思われていなかったオリジナルの男性プロデューサーの登場・・・・・・あくまで目算に過ぎないが、従来の「デレマスファン」を十分に満足させただけでなく、アニメからの新規ファンを大勢獲得することにも成功しているように思える。前評判の大人しさからは信じられない大躍進である。
もちろん、『艦これ』のアニメだってBlu-rayディスクの売り上げを見れば11000枚となかなかの数値なので、「商業的に失敗だった」わけではないだろう。ランキングで見ても現時点で冬アニメ(1~3月期)の円盤売り上げは暫定『艦これ』が一位なので、むしろ商業的にはまずまずの結果である。『デレマス』のBlu-rayディスクは現時点でまだ発売していないので比較しようがないし、KADOKAWAを初めとするバックの組織がいったい『艦これ』という人気コンテンツにどれほどの売り上げを期待していたかは全く分からないが、まあ近年のアニメ円盤の売り上げ規模から言えばケチはつけられない数値であることに違いはない。
ただ、こと「既存のファンの満足度」という視点に絞って言わせてもらえば、今回の『艦これ』アニメの内容は散々だったと言わざるを得ない。SNS上の反応を見ると、多くのファンが次週の展開を戦々恐々とした気持ちで見ていたことが窺えるし、事実としてその内容が彼ら彼女らの不安を払拭してくれる展開であったことなどほぼなかった。ていうか、他ならぬ「一番ファンからの評価が高かった回」が、本筋の話をガン無視して挿入された第六駆逐艦たちのカレー回(第六話)だったことがいい証拠である。同じ「ソシャゲ出身のアニメ」でありながら『デレマス』アニメとは雲泥の差である。もちろん単純比較はできないけれど、少なくとも『デレマス』はファンが来週の展開を心待ちにできるクオリティではあった。その週の内容をツイッターで実況して盛り上がることができた。各話の展開を思い出として胸に刻むことはできた。どちらがお互いのファンを満足させたか、延いては「どちらが抱えているファンを大切にするアニメだったか」の優劣はハッキリと出ている。
片や従来のファンすら激怒させる結果に終わり、片や従来のファンどころか新規ファンまで含めて感動させた。いったい何が両者をここまで分けたのか? というか『艦これ』のアニメはどうしてあんなお粗末な内容になってしまったのか? 冬アニメが一段落を迎えた今、改めてそれを考察してみたい。自分でも『艦これ』に対してきつい物言いをしているとは思うが、あのような悲劇的な過ちを二度と繰り返させないためにも、ここでキッチリと批判しておかなくてはならない。人気コンテンツにあやかった粗製濫造アニメは決して許してはならないのだ。
さて、そろそろ「どうして『艦これ』のアニメはあれほどお粗末な内容だったのか」その理由を語っていこう。実はそれこそが『デレマス』のアニメと比較してみると浮き彫りになってくる話なのだ。というのは、背後の組織が持っている「アニメ化」への意識が根本的に違っているからである。
『艦これ』のアニメがあれほどお粗末な出来であったのは、言ってしまえば「人気コンテンツをアニメにしてみた」に過ぎなかったからである。内容なんて二の次で、とにかく「旬なジャンル」を一刻も早くアニメにすることが至上の命題だったのだろう。商品的価値は『艦これ』というブランドが保障してくれるのだから、あとは適当にアニメの中で「吹雪」や「赤城」といった登場キャラをそれっぽく動かしておけば良い。そうすれば最低限『艦これのアニメ』としては成立する・・・・・・おそらく、制作サイドにとって最も重要だったのはこの『艦これのアニメ』として「成立している」ことだったのだ。たとえ「胸を打つストーリー」がなかろうが構成が破綻してようが、「吹雪」や「赤城」という人気の艦娘を動かしておけば『艦これのアニメ』に違いはないので、「艦これジャンルの商品」としては問題なく売り出せるのである。
いわば制作サイドにとって、『アニメ艦これ』は「単なる艦これジャンルのグッズの一つ」に過ぎなかったのである。どれくらいのグッズかと言えば、アニメイトなどで売っているキャラクターが印刷されたクリアファイル、あれと同水準の「一グッズ」だ。その商品的価値は「『艦これ』のアニメ」だというそれだけだ。しかし、たったそれだけあれば「金剛を印刷したクリアファイル」が『艦これのグッズ』として販売されるように、「吹雪や赤城が動いているアニメ」も『艦これのグッズ』として販売できるのである。何ともファンを舐めた話だが、「艦娘がただプリントされたクリアファイル」を『艦これのグッズ』として購入してくれるように、「艦娘がただ動いているアニメ」も『艦これのアニメ』として評価してくれると本気で思っていたのだろう。そうでなければあんなお粗末な内容のアニメを本気で『艦これのアニメ』と言って世に出せるわけがない。
もしかしたら「でも、キャラクターもののアニメなんてそんなもんでしょ?」と反論したい方も中には居るかもしれない。ところが『アニメ版デレマス』を見てみると、明らかに『艦これ』とは「アニメ化」に対する意識が異なっていることが分かるのだ。
『アニメ版デレマス』は、「キャラクターが印刷されたクリアファイル」などの「単なるキャラクターグッズ」は明らかに一線を画している。というのは、『アニメ版デレマス』の場合、「それがアニメとして成功するかどうか」は決して「Blu-rayの売れ行きの話」に留まらないからである。一番分かり易いのは、劇中のアイドルたちのデビューソングだろう。言うまでもない話だが、あれらの楽曲はCDショップで実際に販売されている。ファンのみんなはそれらの楽曲を「あ、アニメのあの話で卯月ちゃんが歌ってた曲だ!」と思って購入するのだ。そして彼女たちの歌声を聞きながらアニメの感動的なシーンを思い出したりするのだろう。
ここで考えて欲しい、もしも肝心のアニメの話そのものがお粗末な出来であったら、ファンのみんなはCDを購入するだろうか? もちろん楽曲として優れていれば購入する人間は居るだろうが、多くのファンは「あの娘たちが血の滲む努力の果てに勝ち取ったあの曲」だからそれを欲しいと思うはずだ。元のアニメの内容がイマイチだったら「あんな雑な作品のCDなんて誰が買うか!」と購入を控えるファンが続出するだろう。『アニメ版デレマス』の成否は「アニメという一キャラグッズの成否」に留まらず、「他のデレマスのグッズの売り上げ」にまで影響を及ぼしかねないのだ。
いわば『アニメ版デレマス』は、『アイドルマスターシンデレラガールズ』という作品に関わる全ての商品の「PV」としての宿命を背負っているのだ。劇中のデビューソングを初めとする関連商品を購入させ、あわよくばソシャゲ本体の方へ誘導して重課金させるという、商業的な使命である。そしてそのためには、ただ「卯月や渋谷凜などの人気キャラクターがただ動いているだけのアニメ」では決して許されない。きっちりと視聴者の心に響くような、彼ら彼女らを魅了してやまない良アニメでなければならないのだ。
「背負っているものの重さが違う」、『艦これ』の第6話で第六駆逐艦隊にそう語っていたのは足柄さんだっただろうか。カレー勝負ではその重さが災いして雷たちに勝利を譲る結果になってしまったが、現実の世界ではやはりその重さこそが「作品のクオリティ」として如実に表れたと言えるだろう。「単なる一グッズとしてのアニメ化」に過ぎなかった『艦これ』と「他のグッズの命運を背負ったPVとしてアニメ化」された『デレマス』の違いである。異論がある提督諸君はどうか自分の胸に聞いてみて欲しい。『艦これのアニメ』を見るのと、それと同じ時間を使ってブラウザゲーム内で艦娘のレベリングに励むのと、どっちが満足感を得られるかを(特に第6話以外でだ)。
さて、この話は以上で終わるが、最後に余談として「どうして『アニメ化』に対してそこまで意識が違ったのか」を個人的に考察しておきたい。
それは、そのまま「背後にある企業の態度」の違いだったのではないだろうか? 『艦これ』の背後にあるのはKADOKAWAという企業であり、基本的にここは「その時々の旬の作品のメディアミックスで利益を上げる」のがポリシーである。言うなればKADOKAWAにとって個々のコンテンツは「消費財」であって、食いつぶして消化しきったらまた次のコンテンツに移動するのである。我々にとって『艦これ』は近年まれに見るモンスター的コンテンツであるが、そんな『艦これ』でさえも母体であるKADOKAWAにとってみれば「その時々の旬な作品」の一つに過ぎなかったのではないか? 世に出てから二年に満たない期間で「アニメ化」までこぎ着けたのは、むしろ「旬が過ぎ去らないうちにアニメ化して利益を回収しよう!」というそういうことだったのではないだろうか? 邪推と言われればそれまでだが、どうにもKADOKAWAには「コンテンツへの根本的な不信感」みたいなものがあるような気がしてならない。
対して『デレマス』の背後にあるのはバンダイナムコエンターテイメントという企業である。ここにあるのは別にポリシーと言うほどのものでもなく、「いかに自社コンテンツを長生きさせて利益を上げるか」という企業としてごく普通の態度である。KADOKAWAが個々の作品を「果実」として見なしているのに対して、バンナムはどちらかと言えば「果実のなる『木』の方」と見なしていると言える。生み出したコンテンツは「金のなる木」であって、これを「長持ちさせること」こそが自社の利益になるのである。なのでKADOKAWAのようにコンテンツを「消費」することなどあってはならない、できる限り「持続させること」こそが至上の命題なのだと言える。そのようなスタンスだから、『デレマス』のアニメもしっかりしたものでなければならなかったのだろうと思われる。どっちかというと『プリキュア』のアニメでおもちゃを買わせているバンダイの方のノウハウなんだろうね。終わり
長年にわたって二次創作活動や同人活動を牽引してきた「東方」ジャンルが、ここ1~2年という短期間に信じられないほどの壊滅的な衰退を迎えている。
それに代わるように破竹の勢いで急成長しているジャンルが「艦これ」だ。
今や男性向けの同人活動に携わる者で知らぬものはいないほどの一大ジャンルとなった艦これ。
なぜ艦これは東方をかつての地位から引き摺り下ろし、自ら「ポスト東方」の地位に君臨することができたのだろうか。
Twitterなどを利用して常に最新のトレンドを肌で感じている人には今更説明するまでもないと思うが、かつて東方の二次創作が強かった各所コミュニティの現状を簡単に説明したい。
より詳しい情報は、先行する綾瀬なずな氏やありらいおん氏他の実測データや考察を参照してほしい。
pixivの「東方」タグ閲覧数は艦これが登場するまでは毎日平均約300万閲覧あったが、2013年10月頃を境に減少に転じ、1年半経過した現在はその半分程度の約150万閲覧まで落ち込んでいる。
イラスト投稿数ベースでの落ち込みは更に顕著で、すでに2013年9月を境に投稿数が半減し、一度わずかに復調したものの下落傾向は続く一方である。
それでも昨年下半期までは東方の投稿ペースは艦これのそれよりも多かったがそれも年明けを境に完全に逆転し、今では一週間当たり約1000件ほど東方が艦これを下回っている状態だ。
かつて東方の人気爆発に一役買ったニコ動でもこの傾向は変わらない。
ニコニコにおける東方の衰退は実はもっと早くから始まっており、2010年をピークに投稿数は減少の一途をたどっている。
そこへ「艦これショック」が襲来したことにより東方は壊滅的な打撃を受け、2013年には月に5000件あった投稿数がおよそ2000~3000まで減少するという事態となった。
閲覧数でもこの傾向には変わりなく、直近のMMD杯では東方の投稿作品数は艦これの2倍以上あるにも関わらず、再生数を稼いでいるのは艦これ作品ばかりという惨状だ。
同人誌即売会でもやはり衰退の影響は色濃く表れている。
東方同人誌即売会の象徴的イベントだった例大祭は、艦これの登場を機に参加サークル数が5000→4300→3800と約2割ずつ減少しており、東方の集客力が顕著に低下していることが分かる。
コミケはもっと悲惨で、かつて2700スペースあった東方も今ではわずかに1800に満たない規模まで減少し最早破滅したも同然だ。
その他、東方を支えた地方のオンリー即売会も前同割れや定員割れ、中止などが相次ぎ、かつての繁栄の象徴は今や衰退の象徴へと成り下がってしまった。
その他、創作とはあまり縁がないが、2ちゃんねるやふたばちゃんねるなどの匿名掲示板でも、東方の話題は驚くほど少ない。
東方を支えたかつてのコミュニティはまさに総崩れという有様だ。
一方で、東方の衰退に反比例するかのように爆発的に伸びているのが艦これだ。
pixivでは今や投稿数・閲覧数ともに常に東方を上回る状態で、今もまさに増え続けている。
参考までに、ここ1ヶ月の東方と艦これの作品投稿数を下に示すと、
・1/25週 東方:3291 艦これ:4241(東方-艦これ=-950)
・2/15週 東方:3941 艦これ:5214(-1273)
とその差をどんどん広げつつあることが分かる。
ニコ動も同じで、今や艦これ作品は常に総合ランキングの上位に数作品はランクインしている常連となっている。
先ほど述べた直近のMMD杯についても、艦これでは10万再生を越える作品が10あるのに対し、東方はわずか6作品に留まっている。(2/21 20時時点)
コミケでは、初登場依頼参加サークル数が1200→2300→2500と爆発的な成長を遂げており、去年の夏にはついに東方のサークル数を越えてしまった。
オンリー即売会も数多く開催され、週に一度は全国のどこかで即売会が開催されているという盛況ぶりだ。
直近の東京蒲田で行われた即売会では一般参加者が道路にまで溢れ出るほど参加し、警察が出動するほどの混乱を見せた。
その他、TwitterではNHKのつぶやきビッグデータに艦これの話題が何度も登場して取り上げられるなどしており、匿名掲示板やブログでの話題性も非常に大きくなっている。
東方の衰退を尻目に、艦これは今まさに流行の最先端を行くジャンルなのだ。
このように「ポスト東方」の名を縦にしている艦これだが、なぜ艦これの二次創作は東方を蹴落としてここまで発展したのだろうか。
艦これはブラウザゲームではあるが、総勢100名を越えるキャラがそれぞれに個性を持つという丁寧な作りになっている。
キャラを量産するだけで個性に重きを置かなかった某アイドル育成ゲームの二次創作がイマイチ流行らないのが、個性が重要である何よりの証左だ。
またキャラごとにボイスがついていることで、キャラへの個性がより把握しやすくなり親近感が湧きやすくなっていることも創作意欲を掻き立てることに一役買っている。
アニメで更にキャラの個性がはっきりしたことから、今後も創作はよりやりやすくなっていくだろう。
他の作品とは異なり、運営が明確に「同人活動を許可する」宣言していることで、グレーゾーンというものが存在しない。
「黙認」の影にびくびくと怯えながら創作を行う必要はなく、気楽に好き勝手に創作できるのである。
また、分かりにくい上にほとんど意味のないような薄っぺらい設定で雁字搦めになっている東方と違って、艦これには大きな枠組みこそあれどストーリーになるような設定はほとんど設けられていない。(一部の東方ファンはこれを「単に設定がないだけ」と罵っているが実に残念だ)
東方にあるような設定の解釈を巡る面倒な争いから解放されて、二次創作者は東方よりもより自由な創作を行うことができるのである。
加えて艦これには他の作品に顕著な閉鎖性や排他性がなくしがらみが全くない。
よく「東方と艦これは似ている」という論調を聞くが、これは誤りで(金剛の服装が霊夢の丸パクリだとかそういう細かい点は除くにしても)東方とは完全に逆方向の作品なのだ。
そして、東方がすでに賞味期限を迎えていたということも無視できない。
これは東方の衰退とは反比例して艦これが伸びているという点を見れば分かりやすい。
数年前までは東方に飽きていても二次創作者たちには移動先がなかったことを考えれば、艦これという選択肢が示された途端に移動したのも頷ける。
東方から艦これに移動したサークルは少ないというデータもあるが、これは完全に誤りで実際には東方もまだ気休め程度に触りつつ艦これをメインに活動しているサークルが多いだけである。
尚、独自の計測では東方サークルの実に9割以上が艦これとの二足のわらじであった。
大方の予想と一致すると思われるが、東方がこのまま衰退に向かって近い将来に完全消滅するのは間違いない。
東方wikiが毎年実施しているアンケートの結果によれば、10代及び20代前半の東方ファンはほとんどおらず、既存のファンがそのまま歳を食っているだけであることが分かる。
PSVitaで東方の同人ゲームが販売されるという予定はあるが、いずれにせよ話題性に欠け、東方の衰退を引き留めるだけの影響力は全くない。
活発なファンは艦これに移り、新規のファンはおらず、老人だけが残るジャンルに未来がないのは歴史が証明している。
減少ペースを見るに、早ければあと1~2年で東方はネット上で話題になることすらなくなるだろう。
最早立て直しは不可能であり、平たく言えばオワコンということである。
元々の人気が高かったところにアニメ化というキャッチーな戦略が功を奏し、ファンは増え続ける一方である。
当然、二次創作に流れる層も増えてくる。
おそらくアニメ2期、劇場版も予定されているだろうし、あと数年は話題に事欠かないだろう。
かつて艦これのオンリー即売会は振るわないと言われ続けてきたが、その中でじっと耐えてきた艦これサークルの忍耐がついに勝利したのだ。