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2021-08-02

心に性は必要なのか?


 性別を転換する理由がその性の権利を得るためならば、変えるべきは個人の性ではなく社会であろう。もちろん身体の変化そのもの必要としているならば話は別である。女として扱ってほしい、男として扱ってほしいの男とは、女とは一体何を指しているのか。例えば元の性別理由に何かを拒否された時、「男として、女として認められていないと感じる」という訴えをしばしば見かける。理想とされる対応模範的対応性別によって決まるのは性別のらしさに囚われている考え方である。ある性別専用の権利を獲得出来ず不利益が生じた場合、それに対応する必要があるが、それは必ずしも同じでなくてもよいのではないか

 例えば、女性用のトイレに入りたい理由が「男性トイレに入ることによる苦痛を避けたい」のであれば多目的トイレでその問題解決され、さしあたって多目的トイレの普及が社会のすべきことである。だが女性用のトイレに入ることが女性だと認められるかというと疑問が残る。誰に認められたいのだろうか。法?法は戸籍を変更すればその性を認めるということになる。手続きに関する問題解決すべきだろうが、ここで女性用のトイレに入れる権利保証することがトランス女性女性と認めるということにはならない。そもそもトランス女性というくくりがかなり広い状況を定義しており、「男の見た目で女子トイレに入れば怖い」というような反応が出てくるわけだが、この状態では女子トイレに入る権利を得たとしても、周りの人が女性だと認識してくれるわけではない。どこまでいってもトランスジェンダーというくくりから逃れることはできない。

 トランス男性トランス女性という呼び方を消してしまいたい人もいるかもしれない。ただの男性であり、ただの女性だと。だが男性あるいは女性というくくりが存在したままであることには疑問を抱かないのだろうか。その区別を消し去ることが出来ないのは、身体の性が消えることはないからだ(個人レベルではその限りではない)。もし今後、全ての人から生殖機能が失われるのならば性に関する問題はかなり消滅してしまうのにと思ってしまう。

 身体の性ではなく心の性の問題だ、と言われるとそんなものはないと言いたい。心に性は必要ない。身体の性にあった心の性がそもそも備わっているとも思わない自身の性に必要機能を失ってしまった人の心のありようが変わるわけでは無い。性別とは肉体によっての便宜上のものしかくそれ以外の一切のことに性別という考え方を持ち込むこと自体否定したい。

 筆者の立場は、心の性を否定しているという点では心はどちらでもないという状態に属しているといえるかもしれないが、そもそも心をどちらかに決める必要あるいは利点を見つけることが出来ない。身体の性による恩恵や害を否定することは出来ない。それは事実である。だが心の性というものによる恩恵や害は解決可能だ。したいことをすべきでありそれが出来ない社会は間違っている。だから必要ない。今は必要かもしれないが、必要でなくなる社会を目指している。

 性に関する問題において性的指向が残っている。生物としては身体の性では無い方というのが普通だが、(普通とはなんだ、という意見は尤もである。だが大多数がそうでなければ人間という種は絶滅する。別に絶滅でもなんでもしてしまえという立場なので、これは価値としての判断ではない)人を愛することに何か基準を設けても仕方のないことであるのでそれと心の性はやはり関係ないと思われる。

 それでも心の性は必要なのか?もちろん今はまだ、それが救いとなることも無視できない。だからいつか、心に性というナンセンスな考え方を持ち込むことがなくなればいい。

 

anond:20210801163354

いつも思うんだけど

女性オタク特有の界隈に嫌いな人が居ても常にその人の事を意識し続けて苦痛を感じる習性って本当大変だなって思う

一時的にそのジャンル追うのやめて他のジャンルを追えば良いのでは…?って素人考えで思うけど

そうやって一時的避難みたいな事してる女性オタクをこれまで一度も見た事ないのを見ると「そんなの絶対にありえない」事なんだろうか

2021-08-01

何故『トランスジェンダー』を受け入れないのに『LGBT』には理解を示す女性が多いのか?という話。

まずはじめに

LGBTとは何か?の説明を今更ながら引用させていただきます

LGBT」とは:レズビアン女性同性愛者)、ゲイ男性同性愛者)、バイセクシュアル両性愛者)、トランスジェンダー(性同一性障がい者を含む、心と出生時の性別が一致しない人)アルファベット頭文字を取った言葉

とされています。ここにQueerやQuestioning(クイアやクエスチョニング)のQも加えて、LGBTQは「性的少数者総称」として用いられることもあります

以前からLGBTに対しては男性より女性の方が寛容的理解を示す人が多い傾向にありました。それを即ち「女性性的少数派に対して一切の差別をしなかった」とまでは言いません。

ですが、「ホモとか気持ち悪い」「お前オカマかよ」など、同性愛者やトランスジェンダーに対して直接的な中傷侮蔑的言葉を浴びせる人は男性が目立っていました。覚えがある人も居るのではないでしょうか。

性的少数派に対して寛容な傾向がある女性

では女性どうでしょうか。上でも書きましたが、傾向の話ではあります積極的レズビアンゲイバイセクシャルトランスジェンダー侮蔑コミュニティから排除しようとする動きは女性にはあまり見られません。

しろゲイやオネエなど性的少数派の人々と積極的に交友関係を結び、性的少数派の人々を理解しようとする女性は昔から数多く居ました。

これは、平均的に女性男性より異性愛規範によらない人々への抵抗感が少ない事と無関係では無いでしょう。

かつて「エス」と呼ばれた女性同士の友情とも恋愛とも取れる強い絆を尊ぶ文化文学がありました。今では「百合」と呼ばれ男性も好むジャンルになっていますが、かつては女性に深く愛された文化でした。

現代でも宝塚歌劇団など、主に女性による女性だけの世界を愛好する女性は少なくありません。例え自身同性愛者でなくても、同性愛に対する理解を持つ女性は決して少なくありません。

それは近頃の男性が忌み嫌うボーイズラブというジャンル女性は古くから受け入れて親しんでいる事からも見てとれます。「愛情があるなら性別など障害にならない」という理解がそこにはあります

トランスジェンダー女性女性用スペース

しかし、最近LGBT界隈で一つに議論されている事があります

それは

トランスジェンダーを自認する女性女性公共スペースを使用して良いのか否か」

というとても難しい問題です。

性自認は本人の認識によって決定される物なので、性自認女性なら肉体が女性でも男性でも「女性」として扱うべきだという考えは近年になり広まってきました。

トランスジェンダー女性とは、肉体的性別男性精神性別女性である方を指す名称です。昔から「オネエキャラ」と呼ばれるタレントさんが活躍してきた事は皆さんはご存知だと思います

彼女達は男性の肉体を持って生まれましたが、自分達は女性である認識していてそのギャップに苦しんでいます

当然公衆浴場やお手洗いなどで同じ空間に居る男性自分達の体をじろじろと見られる事に耐えがたい苦痛を感じていますプライベート場所で異性に体を見られる不快感は、万人が共通する物でしょう。

なので、トランスジェンダー女性公共施設男性用のスペースではなく女性用のスペースを使いたいと願うのは、当然の事だと思います

しかし、「性自認女性なら女性用の公共スペースを使って良いのではないか」というこの願いに、シスジェンダー女性(※)の間でも意見が真っ二つに別れる事になりました。

(※シスジェンダーとは、自分自身認識している「心の性」と、生まれ持った「体の性」が一致している人を指す言葉であるシスジェンダー女性とは自分自身を「女」だと認識しており、サラに生まれ持った性別も「女」である人の事)

「例え性自認女性でも肉体的に男性である事に変わりはない。男性の肉体を持った人が女性用のスペースを使う事は女性に恐怖と苦痛を与える。トランスジェンダー女性女性用スペースを使わないでほしい」

「例え肉体が男性でもトランスジェンダー女性の心は女性であり、女性として認められているのだから女性用のスペースを使う権利はある。それを一方的に拒絶するのはトランスジェンダーに対する差別に他ならない」

一行に纏めるとこういう感じかもしれません。細かいニュアンスなどは色々と異なっていると思うので、気になった方は是非トランスジェンダー女性について調べてみてください。

理解』と『共存』は似て非なる

シスジェンダー女性の中にはトランスジェンダー女性女性用のスペースを使う事に拒否感を持つ人が少なからず居ます

しかし、だからと言って彼女達がトランスジェンダー女性理解を持っていないという事ではありません。肉体の性別関係なく、女性同士良き友人として付き合っている人は沢山居ます

シスジェンダー女性が恐れるのはトランスジェンダー女性の「心の性」ではありません。ジェンダー関係なく、女性を恐れ苦しめているのは「男性」という「体の性」なのです。

そもそもトランスジェンダー女性男性用スペースに抵抗感を抱き女性用スペースを使いたいと願うのも、男性用スペースを利用する「男性」の目線が怖いからという理由があります

精神的には女性だと分かっていても、肉体の性が「男」である人が女性用スペースに居る事に、どうしようもない生理的な恐怖感を覚える女性の数は少なくはありません。

また、自らトランスジェンダーを称し女性用のスペースに入り込み、女性に性暴力を加えようとするシスジェンダー男性がこれから幾度となく現れてるであろう事は想像に難くありません。

そして、トランスジェンダー女性シスジェンダー男性を本人の申告以外で区別する事は現状不可能に近く、親しくない間柄の女性が肉体的男性性自認判別する事は非常に困難です。

トランスジェンダーの難しい立ち位置について多くの女性理解しようとする姿勢ですが、今のところ女性用スペースはシスジェンダートランスジェンダー女性共存出来るほど広くはないのが現実です。

LGBT』を理解し正しい認識を持っていても、『トランスジェンダー』を受け入れる精神的・物理的余裕があるとは限らない事がこの悲しいすれ違いを生んでいるのかもしれません。

出来る事を模索する

トランスジェンダー女性公共施設女性用スペースを利用する権利現在のところ認められていないケースが多い、というのが正直な所です。

その代案として「男性用でも女性用でもないトランスジェンダー用の利用スペースを作ってはどうか?」という物が良く挙げられています

例えばお手洗いならば、利用者性別限定しない多目的トイレが近頃徐々に増えてきています。これは性的少数派の人に対する配慮が行き届いた結果と言えるでしょう。

トランスジェンダーを第三の性として男性にも女性にも分類しないのはそれ自体差別だ」という声も勿論あります

肉体的性別精神性別乖離に苦しみ、それでも自分性別こちらだと選んだトランスジェンダーの人々に「貴方達は第三の性なので既存の性には当てはまりません」と告げるのは残酷でさえあると思います

性別関係なく、性的少数派であるLGBT人達にも生きやす社会を作っていく事が、二十一世紀を迎え20年を過ぎた人類が新たに実現しなければならない課題なのかもしれません。

2021-07-31

転売屋対策オークションはうまくない

https://anond.hatelabo.jp/20210727115929

”事前販売” と言ってるからにはその期間は流通に流れないのだろうが、流通から総スカン食らっておしまいである

転売対象になりやすものの多くは販売開始直後が収益が大きく、時間が経てばリスクコストが大きくなるであろうからこのような販売方法商品は取り扱われないだろう。

転売問題点確認

転売問題は「利益を得るため社会を非効率化する」ことである

そういう意味では「嫌がらせを受けたくなければみかじめ料払え」というヤクザ総会屋などと同じである

本来なら不要なはずのコストを払わされる消費者はもとより、消費者購買力理不尽な低下はメーカー流通にとっても大打撃である

社会活動相互依存しあってるわけで、メーカー流通にとっては売上は一緒だから問題ないということにはならない。

また、転売対策という本来なら不要なはずのコストメーカー流通消費者にかかってしまう。

これも同じく、メーカー流通にかかるコストは最終的に消費価格へと影響する。

他にもマスクのように緊急時物資の入手が困難になるなどの問題がある。

オークションの特徴

オークションは確定した値付けの方法が無いものを扱うのに向いている。

一般商品生産流通にかかるコスト常識的利益を乗せることで定価という形で価格が決定してる。

オークションで扱われるものはそのような値付けの仕方に向いてない物が多く、そういうものへの価値決定システムとして働く。

似たものとして株式市場なんかも売買を繰り返すことで企業価値が定まっていくシステムとなっている。

その商品に対し価値決定システム必要性がどれだけあるかが、オークションを使うかどうかの判断となる。

オークションはすでにあるひとつひとつのモノを可能な限り高い値で売りたい場合には向いている。

しかし値付けのコントロールができないため、メーカー流通が何かの理由価格帯を決めたいときには使えない。

例えば家庭用ゲーム機のようにハードを安く売ってソフトで儲けるなど。

価格設定を踏まえた長期的な戦略による全体の効率化ということがやりにくいのである

オークションという手法をとる問題

そういうわけでそもそも一般的な商品流通としてはオークションは非効率手法と言える。

例えば若者向けアーティストライブチケット商品を購入できるのが中高年ばかりになってしまうなど。

若いファンを長期的に育てたいという戦略を取るのが難しいのである

時間経過とともに供給量が増えるからそのうち買えるようになるという話もあるが、ランダムなくじでの決定と違い資金差によって購入時期が必ず後回しになることがわかっているなら、そのジャンルにとどまりたいと思う人は少ないだろう。

経済学では「一番高い値を付けた人がその商品サービスを一番欲している」と定義することがあるが実際には人ごと資金の差が存在し、金がある人は「たいして必要だと思ってないがとりあえずキープする」などの行動が取れてしまう。

このような「必要としてる人」と「購入できる人」のギャップは至るところで発生しうる。

それ以前のはなしとして単純に、オークション日常的な購買行為としてはかなりめんどくさい手法だと思う。

オープン価格ですら嫌われることが多いのに、一般の人にとって妥当な値段を決めなければいけないというのはかなり苦痛ではないか

あとオークションは「多くの人に人気だから価値高まる」ようなもの販売には向いてない気がする。

値付けが投機的?で難しく一般の人にとってリスクが高くなりすぎるかもしれない。

その他の解決

在庫を増やす

そもそも在庫が潤沢にあれば問題ない、という話があるがそれはメーカー流通が今よりもリスクを負うということであり、結局消費者価格へと跳ね返ることになる。

というか十分な在庫がないものというのは在庫を持つリスクが高いものであることが多いわけで。

もしくは簡単生産量を増やせない、そのための投資に大きなリスクが伴うということもあるかもしれない。

古物商許可

古物商許可必要とさせろ、という話があるが古物営業法は盗品売買を防ぐための法律なので、法の目的である転売対策使用するのは好ましくない。

分野ごとの個別対策

など。

完全でないものカジュアル転売一定割合無くす方法が開発され広まっていく、というのが今の状況かなと。

転売が何故問題なのかが広く共有されれば、消費者理解を得てるということでメーカー流通ももっと大胆な手を取れるようになるかもしれない。

問題解決指向性

転売屋をなくすことが目的というより、社会効率が妨げられないようにすることが目的

例えば「供給を十分に増やす」か「需要が減少する」場合転売はいなくなるが、大体の場合供給を増やすのがそもそも難しいというのが前提にあるし、では需要を減少させればいいのかといえば当然それは誰も得しないやり方でしか無い。

需給がマッチするまで価格を上げるというのはこの需要を減らすというやり方に他ならない。

転売屋をなくす、ということばかりに注目すると別の大きな非効率を創り出すことに気づかないかもしれない。

対策を考える場合にはメーカー流通消費者それぞれにとって、その場だけでなく長期的にどうなのかを考える必要がある。

それぞれにとって(転売屋も居るがいくらかの対策もされてる)現在の状況と比べてどうなのか、その対策した流通方法商品のほうが消費者に選ばれると思うのか。

そこが大事ではないだろうか。

解説動画人間が話してはいけない話

YouTube雑学ネタ調べてるとほぼほぼゆっくり解説に行き着く。

多すぎて目新しさを求めて生声で雑学披露する動画見に行ったらまあ喋り方の糞率の高いこと。

顔を出すyoutuberはまだいい。大学講義みたいな感じで自然に話すことができる。聞いてて耳障りさがない。

中学受験数学解説とかやってる塾講師チャンネルとかは一番わかり易い。

一番耳障りなのはゲーム小ネタ解説とか言ってゲーム画面垂れ流す雑学youtuberと若干頑張って編集した裏で適当な話をする考察系のyoutuberだ。

こいつらはマイクに向かって話して収録し、しか視聴者に伝わるように素人考えで無理した結果、無駄にハキハキしてイントネーションが強調されまくったゴミみたいな声を約20分垂れ流す。苦痛だ。

世間では馬鹿にされていたyoutuber養成所はコイツラのことを考えるとマジで必要な気がする。

そして常に同じ声で、ピッチ変更で個性がつけられ、イントネーション機械音声故に気にならないゆっくり解説は無敵と思う。もう汚い喋り方の下手くそyoutuber駆逐してくれるならyoutubeゆっくりまみれでもいいや。

ボイロでやってほしいけど。

anond:20210731152802

マウントを取り続けたいわけじゃないが、マウントを上手に取れないから(人を不快にさせない取り方ができないから)本当に苦痛

苦手な声優が主演になった

聞くと苦痛を覚えるほどの声質があって、そのことで「苦手」に分類している声優がいるんだけど、この分類の声優が主演だと最悪の苦行なので、見れなかった・遊べなかったアニメゲームがある

またひとつ増えたな

anond:20210730145817

自分場合は「アニメ見られる時期とそうでない時期」がある。

そのせいで「今期の作品リアタイで視聴」が出来ない。放送終了後だいぶ経ってからまとめて見る形になってしまう。

それは別に良いんだけども。

正直いってあまりのめり込めない。「消化」してる感が強くなってしまう。

あと、見たい作品がFODでしか配信されてない状態が非常に苦痛

hulu・ネトフリ・アマプラ・dアニメ課金してるので、これ以上サブスクを導入するのは躊躇われる。

独占配信やめえや。

アニメを見ていない時はダラダラとバラエティお笑いを流している。だいたいTVer

それすらも面倒になるとAbemaで百万回くらい見たアニメを流しておく。偶にコメントする(アニメと全く関係ないコメントを)

Abemaで見るジョジョハガレン銀魂幼女戦記はもはや環境映像

一時期熱心に見てたのは焚き火会の面々の動画。一人ずつ全動画見てた。

でもそれも疲れたので、今はヒロシ氏のテレビ番組(BSとか地方局とかのやつ)を見るのみ。

キャンプ関係ない迷宮グルメが一番好き。DVD出してくれ…

2021-07-30

自称反出生主義者の考え

20代

10代中盤から生きることに苦痛を覚えてから、反出生主義者を自称している。

ネターの本は読んだが、ほとんど理解できず哲学をまともに学んだこともない阿呆である

だが自分なりに出生においての方針のようなものは出来たので書いておくことにした。

(ただしこの考えが広まってしまえば妊娠しても養子にだせばいい、と考える人も出てきて安易妊娠をする人が増えるのでは?と懸念もあるのでやめるべきかもしれない…)

2021-07-29

モンスターボールの中が快適空間ってご都合主義だよな

家族や仲間といるポケモン捕獲して自由を奪い洗脳して戦わせて苦痛を強いることの暗さが漂白された優しい世界だ。

当然ポケ虐はやめようといってポケモンに関わるものを一切利用しないという運動ポケモン世界にはない。

愚痴

上司毎日毎日五輪で敗退した選手の方々をこき下ろしまくるから今週本当に仕事苦痛で仕方ない

まりにも負けた選手の事ばかりしつこく言うから

かねた同僚達がさりげなくメダル獲得した選手話題を振っても「まあ私に言わせればあんなもん有力選手はみんなコロナ問題感染で辞退してるから」とか言って強引にマウンティングを始める(一人称は私だけど上司男性)

もう営業外回り人達五輪トーク始まると一斉にバタバタ逃げていってて

事務職自分は出掛ける理由が無いので逃げられない

内容はメダルが取れないなんて努力が足りないとか、それ以上はここに書くのも憚られるくらい暴言まみれなんだけど

もう本当に、マジでお前何様なんだよ?何目線だよ?お前に五輪選手の何が分かるの?ってぐらい失礼な事ばかり言うので気が滅入る

元々上司愛想笑いが読み取れなくて、喜んでると勘違いする人だから

ずっと真顔で、相槌も肯定言葉を一切言わないようにして仕事してるんだけど

「お前最近上司に向かって態度悪くないか」とか言ってくるし

ディスりながら勝手感情移入して機嫌悪くなっていくし本当ムカつく

上司自身ネットに疎い人間だけど、多分ネット選手叩いたり選手SNS暴言飛ばす人って上司みたいな奴だわ

『庭でキャンプしたら、家族が溶けた。』という駄文評価してる奴らにききたい

アレのどこが傑作で面白みがあるのかそのポイントを事細かに説明してほしい。

俺が見た部分では、

  1. 水曜どうでしょうパロディ(見てないので知らん)
  2. コロナでのマナーに対する風刺
  3. 一般的投稿に見せかけた超展開(なのかなあれ。増田でありがちだけど)
  4. 日本舞台だと思ったらアメリカ(?)

くらいで、うまく騙せてるのは4番くらいかなって思った。

で、列挙した要素どれもがつまらいか凡庸で、なにがいいのかさっぱり。

これを評価してる人たちの目も疑う。

あとひどいなと思ったのは

 a.星新一みたい

 b.筒井康隆みたい

本当両名に謝ってほしいね。こんなのと比較されるのは苦痛だろう。

ブコメ

ようやく理解できた。ありがとう

anond:20210728150751

2021-07-28

オタク風呂に入れ!って言うのはハラスメントなのか?

フォロワーオタク鬱病になって、臭くて不潔なヲタクになってるららしい。そんで同居家族からさすがに風呂に入れと言われてるらしいのだが、これが死にたいレベル苦痛らしい

これオタク風呂に入れってイベント前とかに啓蒙していいのかわかんなくなっちゃったんよね

憎悪不平不満の理由言語化が出来ないのは結構苦痛

そのくせ言語能力がある何らかの専門家とかはメディアでは無難なことしか言わない

せめて言語不自由して鬱屈してる人たちを代弁する役割を演じてくれよと思う

電池残量が減ると苦痛を覚えるようにプログラムされたロボット自転車こいでコイルを回して発電した電気を充電して再び自転車をこぐ繰り返しをハードウェアが摩耗で破壊されるまで繰り返すロボットしかいない惑星

考えていることを文字にするのは大切だとわかっているけど、自分自分思考が幼いとか、いわゆる中二病くさいとか、そういう恥ずかしさもあって、なかなか実行できないでいる。それでさら心理的ストレスというか心理的な状況が悪化して、手がつけられないような状況になることを繰り返している。今も悪い。

外形的な環境関係なく心理状態が悪いんだ、と自分自分に言い聞かせているが、けっしてそんなことはないことは自分が一番良くわかっている。もし今とてもたくさんお金を稼いでいて、しかも人から尊敬されるようなことをしていたら、もし今文句のつけようのないような奥さんとか家族なんかがいて、幸せ暮らしていたら、自分の心は決してこのような文章を書くような状態には陥っていないと思う。

オリンピックを見ていても何をしていても、結局は現実逃避をしていて、その結果現実さらに悪くなるということを何回も繰り返している。なんとかならないかなーと思いつつ、自分アクションを起こさないことにはなんともならないことはよくわかっている。それができないでこの一年間、心は一時期に比べてストレスが少ない状態であったにもかかわらず、やはり一定うつ状態からは抜け出せずにひたすら苦しんでいた。

人と会っていないし人の情報を得てもいないのに、嫉妬し、執着し、落ち込むことばかり繰り返していた。人と劣等感優越感で勝負しても必ず負けて心がとんでもなく傷つく。そしてそれをわかっていながら何もできず、やはりうまく生きられない。

極度の人に対する気の遣いようというか、臆病さがあり、それによって配慮をすることで得をしてきた面ももちろんあるが、自分に余裕がない状況になるたびに人からの連絡を無視したり、不義理をしてすべき連絡をできなかったりという面で損のほうがよほど多い。もっとしぶとくならなければ生きていけないとわかっているが、自分性質なのでなかなか治すことができない。

この世に対して深い恨み、無力感絶望感を抱いているのに、死ぬこともしない。

死ぬことができないのには2つ理由があって、1つ目には家族が気の毒ということと、2つ目には一度自殺しようとしてできなかった経験から少し自分自殺能力に疑問があること。自分が死んだあとには自分にとっての世界存在しないか家族ことなんて考えても仕方ない、と頭ではわかっているが、やはり自分が死んだことを知らされる親、姉、祖父母、おばのことを考えると、さすがに申し訳ないと思ってしまい、極限のストレス状況ではない今の状況ではなかなか踏み切るところまでいかない。家族はみんな、自分東京出世することやお金持ちになることを望んでいるわけではなくて、単に元気で暮らしてくれたらいいと思っているだろう、ということもある。もし出世お金持ちになることを希望しているのであれば、それは明らかに自分能力では不可能ことなので自殺したほうがいいということになるが、そうではないのであれば、生きていたほうがいいということになる。自分としてはもちろん、生きていることそれ自体が本当につらく、耐え難い苦しみの連続しかないので、死ぬほうが百倍楽なのだが。家族が、自分に対して元気に暮らしてくれればいいと期待すればするほど、自分自殺に踏み切れず元気がなくなり、不幸が重なっていくという一種パラドックスというか皮肉的状況にある。

常に強い劣等感に苛まれ、かつ何をしても絶対にうまくいくことはないという強力な固定観念があるので、生きることはただ辛い。どれだけ辛いかは本当に筆舌に尽くしがたい。生きているだけで、針の山を無理やり歩かされているような気持ちがする。自分としては、生きるのに向いていない遺伝子個体というのもやはり一定割合エラーの一つとして生物群の中に出てくることはまったく不自然ではないし、それが自然淘汰として自殺することも合理的と思う。それができないからつらいのだ。毎秒毎秒、塗炭の苦しみ。それも何にもつながらない苦しみだから余計に苦しいと感じる。何か成功に向けての苦痛とか終りが見えている苦痛ではなくて、ただ出口のない、無駄な、理解もされない苦痛

高校とき倫理の授業で「絶望死に至る病」という本を習ったが、自分はそれを聞いて、机に落書きで「死に至らない病」と書いた。そうかんたんに死ねいか絶望というのは更に強いのだ。もし死ねるなら、絶望はそこまでひどくはない。元の本の趣旨は、絶望というのは人を死に追いやるほどの強力なもの、という意味が込められていると習った。しか自分感覚としては、死ねいからこそ絶望は更に深まりもっと強力に襲ってくる。夜が明ける前が一番暗いし、日が沈む前が一番太陽が輝いているように、死を手前にしたところが一番しんどいのではないかと思う。勇気があって飛び込んでしまえる人はいい。その度胸もなく、かつ自分うつ状態から引き戻す力もなく、絶望的なリンボー永遠に苦しみ続ける感覚。それが16歳か17歳のときだっただろうから、少なくとも12,13年以上、自分絶望にかこまれ死ぬより苦しい思いを毎日、これでもかというほど味わって生きてきたことになる。もちろんそんなことは自分だけではないからそれを美化するつもりはない。また、幼い心で何か死ぬことを美化していたという面があったのか、と今振り返って反省してみるが、けっしてそんなことはなかった。死ぬことは当時から最悪の選択肢であり、人生における敗北であり、弱者の逃げでしかないことはよく理解していた。それでもなお、あまり人生は辛く、とにかく敗北でも弱者でも逃げでもなんでもいいか死にたい。考えというよりも、感覚として死ぬことを求めている。のどが渇いたり、性欲がたかまったりするのと同じように、本当にもう無理でつらすぎるから死にたい、なんでもいいか死にたい、という強い希死念慮。それが間断なく、24時間365日襲ってくる。もしそれが抑うつ状態や軽度のうつ病の症状であったとするなら、12歳頃の子供の時から今まで、人生の大半、3分の2程度まではうつ状態であったということになる。自分としてはこれがうつ状態とは思っていない。それが平常。

主に外形的な要因で、時折、希死念慮が薄くなる躁状態ときがあったが、これがまともな人間普通状態にあたるのだと思う。自分にとってはそれは本当に数少ない異常状態で、絶対に長続きすることはなかった。神様が慌てて帳尻を合わせてきて、その小さな成功を取り消して、その後には2倍、3倍の失敗と苦しみを必ず与えてきた。

心の問題から離れて、外形的なほうで、なぜ人生は常にうまくいかないのかという点について。人生がうまくいきさえすれば、外形的になにもかもが思い通りに行けば、自分心の問題はかんたんに解決すると思う。劣等感でひどく歪んだ性格や強い希死念慮うつ状態が平常状態というおかし心理的特性を考えてもやはり、希死念慮に至るきっかけは常に外形的なことだったと思う。例えば部活もっと活躍できれば、体育で体がもっと動けば、受験もっとうまくいけば、就職が失敗しなければ、もっと女の子モテていれば、もっと友人に恵まれていれば。外形的な、というのはそういうことを指している。

もともと自分能力も低く、外面から見てもさほど恵まれていないし、それらを磨くという努力も怠ってきた。それが一つの原因としてなにもうまくいかない、という無力感絶望感をコツコツと毎日休みなく蓄積してきた。そもそも自分は長期的な努力が苦手だ。かんたんに言えば怠惰だ。それにもともと持っている才能や外見やスキルもないから、当然うまくいくはずがない。世の中は持って生まれもの勝負しないといけないという意味で公平で、結果においては公平公正ではないから、当然勝者は常に勝ち続け、敗者は常に負け続ける。有るところにはなんでもあるが、ないところには、本当に、徹頭徹尾、なにもない。本当に何もない。もちろんそれが世の中のあり方だし、みんなそれを前提に生きている。それに文句をつけるのは筋違いだ。

また、2つ目の理由として、何かしらの才能のかけらとか持って生まれものがあって、そこの上にきちんと努力をして、成功確率を5割とか、ある程度のところまで高めても、運によってそれが左右されることももちろんわきまえている。運というのはなかなかくせもので、見た目上の確率が5割でも、実際には10割負け続ける、いわゆる持っていない人も世の中にはたくさんいる。そしてこれまでの人生から統計的に考えて、自分がその一人であることも疑いようがない。絶対に、何をしても、うまくいくことは有り得ない。少しでもうまくいきかけると、神様が慌ててやってきて失敗にする。それだけを繰り返してきた。でも、もちろんこれも同様に世のあり方だから、それに文句を言っても仕方ない。それはつまるところ天に唾するということであって、この世そのもの、というのは変えようがない。世の中すべて、というのはそれを感覚で捉え、見ている自分自身そのものから、この世のあり方に文句をつけるのは自分の命に対して文句をつけるのと一緒。

そして自分は、何をしても、決してうまくいくことは絶対にない、ということを何度も味わった失敗からかんたんに学び取り、また世の中のあり方に文句をつけることは自分自身に対して文句をつけることと同じであることもまたかんたんに学び、その場合死ぬことが唯一の正解だということも学んだ。死ぬことが一番の正解という考えに最終的に至ったのが16歳か17歳のときだったはず。その時の絶望は今でもよく覚えているし、また残念ながら今でも考えはなんら進歩しておらず、その後何回もの挫折や失敗を繰り返して、むしろ確信は深まっている。

死んだ人だけが良い人間で、生きている人間はみんなどこかおかしい。頭がとても悪いか、人のことをなんとも思っていないか、とにかく人の心を持っていない人間。本当に良い人間はみんな自殺してしまった。狂ったような響きだが本気でそう信じている。

自分のような人間は生きていても何も為すことはないのだからさらっと死んでしまうのが一番なのだ本生まれてきたのが不幸だったと割り切るしかない。なにかうまいことや響きのいい言葉を言おうという意図ではなく、本心から、生まれてきていいことは何一つなかった。

人生で得たもの毎日のようにやってくる鈍くて絶対に消えない心理的苦痛と、死ぬことが唯一の解決なのに死ねない無力感、というか絶望感。

2021-07-27

最近AV鑑賞が苦痛

他人セックスを指を咥えて眺めてるだけで

「気が強い・主張がしっかりしてる」だけの女性が苦手

所謂「強い女」案件なんだけど、

自分他人リードしたり自分責任を受けたりするわけじゃないのに

文句だけ一人前なので一緒にいて苦痛なんだよな。イヤイヤ期の子相手にしてる気分になる

何が言いたいかって言うと、強い女ジャンルだと小池百合子が最高って事。いろいろ文句言ってくるし偉そうにしてるけど、

都民リードしてくれるし、政治以外の面では凄く優しくしてくれそう。

不細工に抱かれるって

苦痛? 一応女体だぜ

2021-07-26

尊敬していたヲタク低学歴オッサン趣味になっていて辛かったって話

俺は学生時代からキョロ充だったし、今もそうだ。

1人で飯が食えないタイプだ。誰かと同じことをしていないと不安になってしま人間だ。

当時、全く面白くもない『ダウンタウン』のお笑い番組だとか『エンタの神様』だとか、興味もない『ミュージックステーション』を見て、クラスメイトと話を合わせていた世代だ。

トレンドで言うなら、何が楽しいのかわからないけどオリンピック金メダルすごいね!と語るタイプのつまらない人間が俺だ。

現代風に言うと、陰キャ。でも、人と話を合わせることで、なんとか立ち位置を獲得していた。

そんな俺も、アニメゲームは根元から、少し好きだった。

当時はハルヒコードギアス流行っていた。あとはスクールデイズだとか、ひぐらしだとか。とにかくそういうものが好きだった。今より少し、深夜アニメを見ていると公言するには恥ずかしかった時代だ。

そんな俺には、学生時代憧れていたヲタクがいた。

名前を仮にNとしよう。

Nは学活というものを極端に嫌うやつだった。合唱祭の練習だとか、文化祭の手伝いだとか。

「みんな積極的に出ようね」という空気はとにかく読まず、自由参加と銘打たれた活動に一切姿を現したことがなかった。

でも、頭はよかった。5教科の総合成績で、いつも1番か2番になっていた。特定を避けるために詳細は書かないが、とある学問分野で全国的表彰されたりもしていた。

からものすごく嫌われていたと思う。そして、多分Nも俺達のことが嫌いだった。給食時間だとかに、Nが口を開いているのを見たことがなかった。

Nはバラエティ番組の話を一切しなかった。オリンピックの話を一切しなかった。

大衆娯楽というやつを、Nはとにかく見下していたのだと思う。やつは二次元狂いだった。昼休みは常に図書室に籠って漫画ラノベを読んでいた。

なんでそんなことを知っているのかというと、一時期、俺も昼休み中二病にかかって、図書室でラノベを読みに通っていた時期があるからだ。

その行きと帰りの道で、必然一緒になって、Nと話す機会が何度かあった。教室に戻ると、Nはとにかくこちからしかけてもほとんど空返事しかしない男だったので、その道中で話すしかなかった。

Nは話してみると面白人間で、オールラウンダーなヲタクだった。

少しハルヒの話を振ると、Nは「ハルヒは嫌いだ」と前置きをした上で、元ネタSF小説の話を初心者にもわかりやすく、ジョークを交えて教えてくれたし、歴史系の話をすれば、聞いたこともない武将や各時代エピソードを色々と語ってくれた。

アニメ特撮についても勿論詳しくて、押井守批判だとか出﨑統のすばらしさを語って(今思うと彼も中二病だったのかも)、まんだらけに行って原画資料を眺めるのが楽しいと嬉しそうに話していた。

映画も大量にTSUTAYAで借りて見て、聞いたこともないような芸術雑誌文芸雑誌科学雑誌を何冊も買っているようなやつだった。(Nは俺がそれらのジャンルを知らないとわかると、一切その話をしなくなった)

ただ、Nにバラエティオリンピックの話をすると、途端にやつは不機嫌になった。俺は慌てて話題を変えたものだ。

その時に、Nは言っていた。「パチンコだとか競馬だとAKBだとか、ああい趣味にハマっている大人ダメだ。嫌いだ」と。

理由は「他人と同じでつまらいから」だと語っていた。

俺はなんとなく、鼻が高くなったのを覚えている。多分、俺はNの存在に救われていたのだと思う。

きっと、キョロ充である俺が到達するのは、そのような「つまらない大人」に違いないと諦めていたからだ。そして多分、俺もまた人とのコミュニケーションうんざりしていたからだ。

人と同調して中身のない会話をして、なにやら冗談を言って笑わせて。自分のためではなく他人のためのコミュニケーションが、俺は嫌いだった。

俺は無能だったし、人から孤立するのが怖かったから、キョロ充をしていた。でも嫌だった。N以外のクラス人間と話したり遊んだりするのが苦痛しかなかった。

でも、Nは違った。自分能力他人を黙らせて、好きな物だけ摂取して、自由に、生きたいように生きているように見えた。

他人に流されない、気高い孤高の男で、俺はいつかNみたいになりたいと思った。

ヲタクとして、Nはきっとクリエイター評論家になって、多くの人を唸らせるような、美しいもの表現するに違いないとすら当時の俺は確信していた。学生時代コイツ時間を共有したことをいつか誇ろうと算段していたのを覚えている。

前置きが長くなった。

卒業と同時に離れ離れになったNと、先日、俺達は東京で再会したのだ。偶然のことで、たまたま映画館で『閃光のハサウェイ』を観た時、横で限定版のBlu-rayと『夏への扉』のパンフレットを買っていたのが、Nだった。

Nに話しかけ、俺のことを覚えていると知った時、嬉しくなって、うっかり「飯でも食わないか?」と誘った。

しまった」と思った。

Nは、これからハサウェイのBlu-rayパンフレットを自宅に帰って観るのを何より大切にするような人物だと覚えていたからだ。

だが、Nは、「いいよ」とアッサリ快諾してくれた。

それから、近くの店で話して。俺は泣きたい気持ちになった。

Nが、ウマ娘の話を楽しそうにし始めたからだ。

俺もまた、ウマ娘をやっていたので、「推しタキオンなんだよ~」とか、中身のない会話を続けた。

Nは、俺とアイドルライブの話をした。BTSの話をした。オリンピックの話もした。

俺は勝手失望していた。Nは、きっとあの幼き日に、彼が嫌っていた大人のものになっているように見えた。

酒の話、サウナの話、競馬野球の話をする。全てNは自分体験談も交えて応じてくれた。

試しにパチンコの話をすると、ミリオンゴッドとかいうよくわからない機体の話をペラペラと話していた。

Nは、大衆に呑まれていた。低学歴オッサンが好むような、侮蔑するべき酒だのサウナだのパチンコだのアイドルだのの話をしていた。

一番やつが嫌いそうな、バラエティ番組にも、随分と詳しくなっているようだった。

どうしたのだと聞きたくなった。

お前は、俺とは違うんじゃなかったのか。

他人なんて気にせずに、自分の道に邁進して、人の顔色を伺うようなつまらないコミュニケーションは決してしない、そういう男ではなかったのか。

学生時代にお前が探求していたに違いない、美しいものは何処に行ってしまったんだ。キョロ充の俺とは違うんじゃなかったのかと。

孤高のヲタクは、どこにいってしまったのだ。俺は辛かった。そして、その辛ささえもあまり感じなくなっていた俺自身が、何よりも辛かった。

若い日の憧れも、時間社会経験によって、すっかりと洗い流されてしまっていたのだ。だから、きっとNもそうに違いないと思った。

社会は独りで生きていけるようにはできていない。今は特にそうだ。

1億総オタク社会だとか、1億総陰キャ時代だとか揶揄するやつがいるが、それは違う。

今は、『1億総キョロ充時代なのだSNSは、下らないキョロ充を量産するための装置に違いなかった。常にみんなが、人の顔色を伺ってコミュニケーションを取っている。

キョロ充だけれど、きっと充実しているのだろう。だからいいじゃないか、としたり顔大人達の声が聞こえてくるような時代だ。

から仕方のないことだと思った。Nも、「上手く他人と生きる」つまらない人間、否、正しい人間進化したのだと、自分を納得させた。

他人が見たい仮面必死に作るのが、正しい生き方でありコミュニケーション本質である。そして低学歴趣味とは、その本質にとって最高に都合のいい道具なのだから

でも、それでも俺はNに、お前、どうしたんだよと聞きたくなった。

聞きたくなったので、聞いた。正直に、「パチンコとか競馬とかバラエティとか、あと流行りのウマ娘とか、そういうの嫌いだと思ってた」と。

Nは、俺の顔を見て、笑って言った。

「当たり前じゃん。今言ったやつ、全部大嫌いだよ!」

Nの目はドス黒くて、世の中全てを見下していて、それでいて、とても楽しそうだった。

それは、あの日俺が憧れた、孤高の少年の姿そのままだった。

俺は、最高に嬉しかった。その後のことは、あまり覚えていない。とにかく、Nの職業が何なのかは、あえて聞かないで別れた。

何故なら、確信たからだ。やつはきっと、多くの人を唸らせるような、何かを創り上げているに違いないと。

勿論その日、NとLINEの交換はしなかった。

anond:20210726203247

スポーツなんてやってる場合じゃないな。あれは見るのが苦痛から

anond:20210726174741

五輪は見る人間苦痛を与えるためにやってるんだから無理に見せようとするのは道理だろ。人を不幸にできないスポーツにどんな存在意義がある。

自分心理状態確認

イライラしている。

チャットコミュニケーションの苦手な社員(若干高圧的)が書く言葉足らずなメッセージに返信しなければならない状況が苦痛だ。何が言いたいんだよお前は。

トイレに行くとなかなか戻って来ない部下がかれこれ20分戻ってこない。いつも「おなかが弱いので・・・」と言うので指摘する気も起きない。あ、戻ってきた。

・昨日ゲームで負けこんでその打開策を検討したいのに仕事しなければならないのも気にくわない。早く帰ってゲームしたい。

  

  

今これ書いてる途中でウンコしたくなってトイレ行った。めっちゃいっぱい出てテンション爆上げした。フゥー!!

anond:20210726071913

人間関係周りの環境は完全に運だよなあ。

自分労働自体苦痛なので自営業にしても解決しないわ。

多様性より統一性でしょ

少なくともデスクトップOSスマホについては。

その点でデスクトップLinuxAndroidは、WindowsmacOSiOSと比べてダメすぎ。


まず、デスクトップLinuxAndroidは、UIディストリビュータースマホメーカーカスタマイズ可能だけど、それがUXの向上に全く寄与していないどころか、質の低さから抜け出せない原因になってるわけで。

せめてどれか1つのUIだけを認めるようにして、そこに開発リソースを集中させろっての。

とはいえUI系のソフトは、未だにLinuxカーネルのようなバザールモデルの大々的成功例がない分野だからそもそもオープンソースで、プロプライエタリシェアを二分するほどイケてる代物ができるかどうかすら怪しい。

(強いて言うならChromeと、あとは最近やっとVSCode頭角を現してきたくらいで、今なおMS OfficeAdobe Creativeに対抗するようなオープンソースソフトなんて皆無だし)


あと、うまく動かないとき対処法がディストロスマホの機種ごとにバラバラなのも、ユーザにとっては苦痛以外の何物でもない。

これもLinuxディストリビューションというものが出来た頃から散々言われているけど全く改善しない。

それどころか、それがそのままAndroidの機種別対応に引き継がれたんだから、その時点でAndroidスマホ価格以外でiPhoneに勝てないエビデンスの1つになってしまった。


以上を踏まえ、ソフトウェアのUXに限って言えば多様性は悪という結論になると。

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