はてなキーワード: 第三次世界大戦とは
2人で50席のホールを裁かなければならない
最後に何が残るのだろうか
彼氏もおらず
性欲や心の支えの必要性を感じない淡泊な脳ミソなのでそれ関係の悩みがないのは不幸中の幸い
やっと専門性の高い大学へ進学してもバイトばかりでビールジョッキの持ち方ばかりうまくなるという皮肉
しかし、お客のサラリーマンも私と同じように疲れているから横柄に接っせられても憎みきれないな
友達の美子は子供好きだからと数千人の幼児が集められた八王子エンジェルベースに行ったけど今頃どうしてるだろうか、、住み込みでプライベートなどないだろうな。
私は進学して人工光合成のセル改良を学んでるけど、やはり糖分の生成効率がネック、、
120歳まで平均寿命が延びたものの、人間80過ぎれば働くわけにも行かず、やはり青海の集中介護施設へ数万人規模で集められる。
60年前の第三次世界大戦で活躍した老兵の皆様には忍びない、、
この前人類の進化に宇宙人が関与しているとアメリカが公式発表したけど、かといって今何かが変わるわけでもなく、もう驚きもせず淡々と経済活動が行われる、それだけ人類は疲れ切っている。
300万人死なせといて自分らが戦う段になると天皇に上から命令されたから従うのが高潔な男だとか戦っても計算上は勝てる可能性がないから正しいとか
他人に神風や玉砕を無理強いした時とまぎゃくのルールを臆面なく口に出して自分は常に正しい事をしていると主張する
全部背負って絞首台に進んだ東條らを切腹するふりして逃げたと侮辱して下士官や兵隊は日本人のが世界最高峰で俺らはできる限りやったと自画自賛
サンフランシスコ条約を自由意志で調印したくせに裁判が終わり時間が経って訴追される可能性が消えたら無理強いされたと責任転嫁
どうせ第三次世界大戦も大量の犠牲者を出した後に無条件降伏するんだろ
二度あることは三度ある
朝ドラに峯田が出ている。峯田とは峯田和伸さんのことで、彼はGOING STEADYまたは銀杏BOYZのボーカルとして知られている。現在は俳優としても活躍し、その活動の幅を広げている。
今期のNHK朝の連続ドラマ小説「ひよっこ」で、峯田和伸さんは、消息不明になった父親を追い上京する有村架純さん演じるみね子のおじ、宗男役で出演している。宗男は茨城の片田舎でマッシュルームヘアーでバイクに乗り、ロックンロールをこよなく愛する農家のおじさんで、いつも人を笑わせている。
だがその笑顔の裏には戦争の影が……というキャラクターで、先々週、宗男が上京し過去がつまびらかになるビートルズ来日編が終わった。わたしはその録画を昨日見終わって、すごくよかったなと思ったので妹にLINEをした。感想を打ち込んでいるうちにわたしは昂ぶってしまい、真っ当な感想からは外れた見当違いな見方をしていることに気づき、はっと我に帰った。
***
時は2005年、中学1年生として迎えた冬に銀杏BOYZのアルバム「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」と「DOOR」が同時発売された。
北海道新聞日曜版のCDアルバム売れ筋ランキングの4位と5位にランクインしていて、聞きなれないアーティスト名に、なんだろう?と思った。BOYSではないのか?
それからすぐラジオで「青春時代」が流れだして、彼らが小学生のときに一回だけ聴いたことのあるGOING STEADYであることを知った。お小遣いで急いで「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」のほうを買って聴き込み、いたく傾倒し、「DOOR」もそれからちょっとして買った。
当時のわたしは、Mステに出ないようなバンドをラジオで聴いてCDを買うことがカッコイイと思っていた。お恥ずかしい話、今もその気持ちはあまり抜けていない。当時全盛だったMDプレイヤーを持っていなかったわたしは、ラジオとカセットテープのプレイヤーが一緒になったかさばるガジェットを常に持ち歩いていて、銀杏BOYZをいつも聴いていた。
中学生だったということで免じて許してほしいが、当時のわたしにはセックスなどとはいった歌詞が衝撃的だった。というか性とか焦燥感とかみじめな気持ちを歌にして世に出していいとは知らなかった。だから峯田和伸さん、もとい峯田は本当のことを歌っているなという気がして、信じられると思って好きだった。
友達にもたくさん貸したし、カラオケでも歌った。もしタイムマシンがあったら、おいおい、やめてAKBとかにしておけ!と言いに行きたいが、当時のわたしは今よりもなお浅はかだったので、カラオケで皆の前で銀杏BOYZを歌い、セックスなどと口にし、ぐにゃりと曲がったような気まずい空気になるのが好きだった。
***
「カラオケで銀杏BOYZとか歌うの正直やめてほしいんだよね」
と言われた。友人にとっての色々な思い出が詰まったバンドなので、目の前で歌われると複雑な気持ちになると言う。
その時は正直
「は?」
と思った。だが今のわたしもまた、自分よりかわいい女の子の口から「銀杏BOYZ」という言葉が出るとムカつくのだった。
肌がきれいだったり目が大きかったり彼氏がいたり毎日充実していそうな自分より幸せそうな女の子が、ひとたびでも峯田と言おうものなら腹がたつ。お前に峯田の何がわかるんじゃい!なんぼのもんじゃい!と思う。何人たりともわたしのまえで銀杏BOYZの話、および峯田の話をしないでほしい。ライブに行った画像をインスタに上げないでほしい。わたしの知る限り峯田のことを一番身近に思っているのはわたしでありたい。そんな自分勝手な思いが溢れて止まらなくなる。
自分でもおかしな考えだということがわかっているので、皆さまにはどうぞ好き勝手に銀杏BOYZの話をしていただき、ライブに行っていただき、インスタに画像を上げていただき、朝ドラを見て峯田って人いい演技するな〜!などと思っていただきたいのだが、心の奥底で、やめろ〜〜〜と叫びたがっている卑小な自分がいる。
***
そんな折、先々月の銀杏BOYZのライブ「東京のロック好きの集まり」に行った。これだけ勝手なことを言っておいて恐縮だが、実は初めてだった。戦争反対ツアーは実家の近所のペニーレーン24に来ていたはずだと手元にあるフライヤーにはあるが、当時はまだ室蘭に住んでいた頃だったので行けなかった。それからも本当はちょくちょく札幌に来ていたのかもしれないが行っていない。全裸になり書類送検されたことをヤフーニュースで知ったり気がついたらメンバーが峯田以外全員変わっていたりしたがよく知らない。
わたしのなかでだんだん銀杏BOYZはあまり触れちゃいけない過去へと変わっていて、ライブも気軽に行ける感じではなかったのだ。
でももういい加減成人したし、処女でもないし、峯田は朝ドラに出ているし、いくばくかの郷愁とともに軽い気持ちでライブを楽しむことができると信じていた。
***
峯田が出てきて初めて生で峯田を見た途端に涙がボロボロ出てきて止まらなかった。ステージには本物の峯田がいて、すぐにモッシュとダイブがはじまって峯田の靴がどこかへ飛んで行き、演奏が止まりやり直しになった。そしてまたモッシュ。対バンのnever young beachがさっきまで作り出していた平和な西海岸か熱海の浜辺のような景色はいずこへ?「ネバヤン初めて聴いたけどいいね〜」などと言って、からだを揺らしていたギャルは?そんな疑問が解消されるはずもなかった。
峯田は10年以上前に作った曲を、目をかっぴらいて歌っていた。あっという間に大合唱になる。わたしも全部歌えてしまい、そのことをきっかけにまた涙した。峯田〜〜〜!!!と泣きながら叫ぶ人があちらこちらにいた。四肢がちぎれそうなほど暴れる人がいた。嗚咽しすぎて座り込んでしまう女の人がいた。さながらカルト教団の様相であった。だがわたしもまた、全身の水分が出きってしまうのではないかというくらい涙が出てきてしまい、ボロボロボロボロ泣いていた。
峯田が目の前で10年以上前に何度も何度もカセットテープが伸びきってしまうくらい聴いた曲を歌っている。それだけで絶望的なほど悲しかった。恥ずかしい話だが、わたしはその時、中学生の時に部活で無視されていたことをありありと思い出していた。クラスにも同じ部活の人がいたので無視がそのまま派生して、教室でも居場所がなくなって昼休みはずっと本を読んでいた。アンブシュア(口の位置であること)を変えようとして失敗して全然トランペットを吹けなかったこととか、天然パーマなので髪型が本当にきまらなくてどうしようもなかったこととか、人に話すまでもないみじめな思い出とその時の感情がありありと思い起こされ悲しかった。もう少し上手くやれただろう、という気持ちと、でも今も上手くやれないしな、という諦めの気持ちが10年前と今を強く結びつけた。その中心に峯田がいた。
***
思うにわたしは、つらかった時に銀杏BOYZを聴きすぎていたのだろう。どれもありふれた大したことないつらさなのだが、そのせいで感情と峯田がほつれてからまり、ひき離せなくなっていた。わたしのつらい気持ち、悲しい気持ち、自分のことが嫌で消えてしまいたい気持ちが擬人化したものが、峯田その人だと認識してしまっているようだった。
峯田は、本当にしんどい時に自分もまたそうだと言って肩をさすっていてくれていた親友であり、同じようにみじめな姿をさらけ出してくれたキリストであった。少なくともわたしはそのように認識していた。勝手に。そしてライブ会場で嗚咽が止まらなくなっていたり、暴れていたり、自己のコントロールが効かなくなっている人たちもまたそうなのだなと思った。
峯田、もとい峯田和伸さんは、本当は自分のやりたい音楽は、代官山のシャレオツなカフェで静かにギターの弾き語りをするようなものだと言っていた。だが、求める人がいる限り求められる音楽をするとも言っていた。それが本気かどうかはわからない。だが最近の曲をやってもウケはイマイチで、対して10年ほど前の曲をやると客は熱狂していた。
客は皆、峯田を前にして自己憐憫におちいっていたのだと思う。つらかったとき、苦しかったとき、悲しかったとき、さみしかったときに銀杏BOYZの曲を聴いて、勝手に癒され勝手に肯定された気持ちを手放したくないのだ。
もし峯田が出てこないで、ステージには代わりに峯田の3Dのホログラムが投影され、バックでCDをかけられていても、皆変わらずギャンギャン泣いたと思う。皆、過去に囚われていた。皆にとっての峯田はつらかった過去そのものであり、みじめで変えようがない過去の自分そのものでもあった。
だから皆、銀杏BOYZを好きな他者を認めることができない。その当時の自分をどうにかしてくれなかった人間に「銀杏BOYZいいよね」とか言われてもムカつくのだ。お前に何がわかる、と思うのだ。峯田は限りなく私的で個人的な存在だった。
***
そんな峯田が朝ドラである。天下の日本放送協会だ。自分の苦酸っぱい異臭を放つような過去が、大きな顔して朝ドラである。初めて知った時、もう、まともな気持ちではいられなかった。
でも「峯田」とわたしが名づけていた人格はこの世には本当は存在しなくて、この世には峯田和伸さんしかいなかった。峯田和伸さんは、最近は映画に舞台に引っ張りだこだったので、ちゃんと素晴らしい演技ができるのだった。わたしが過去に囚われている間に、峯田和伸さんは大活躍していたのだった。というか銀杏BOYZの時点で既に大成功していたのだった。
そして今や母親や妹を含む日本中の人が峯田和伸さんをテレビで見ている。今では自然なことに思えるけれども中学生のわたしに伝えたらびっくりすると思う。裏切られたと思うかもしれない。でももしかしたら、誇らしく思うかもしれない。なんとなく、そうであってほしいなと思う。昔の自分には、ホッとしてもらいたいなと思う。
宗男はイギリス兵に助けられた命を大切に生きていて、その象徴がビートルズだと言う。ドラマを見ていると宗男は峯田そのものにしか思えない。あくまでも峯田和伸さんではなく、峯田である。
わたしが勝手に作ってしまっていた峯田というパーソナリティが、お茶の間をにぎやかし人々に受け入れられていった(ように見えた)ことは、わたしを救った。峯田和伸さんその人とはかけ離れているかもしれないが、わたしが勝手に作り上げ支えてくれたわたしのなかの峯田が、まるで時空を超え戦争すら経験しどこか浮世離れした人間となり、最後に全てを包み込むように、「だから笑って生きることに決めたんだよ」と言ったことはある種のセラピーだった。
「だから笑って生きることに決めたんだよ」の言い方はあまりにも芝居がかっていて、プロの俳優さんだったら絶対にこんな言い方はしないだろうと思ったが、とても優しく耳に響いた。わたしはこのシーンの録画を消していない。また何回も聴くと思う。それこそテープがすりきれるまで。
***
そんなこんなで銀杏BOYZの武道館公演のチケットも当選しました。またボロボロ泣いてしまいそうなので誰と行くかはまだ決めていません。楽しみです。
でもその世界線だと最終的に第三次世界大戦おこるから、すずははオカリンにクリスを救ってほしい
でも完全にポッキリおれちゃったオカリンは普通の人になっちゃってた
そんな暮らししてたのに、あるとき、いきなり世界線をこえて飛ばされる
飛ばされたのは、ソ連が崩壊せずにタイムマシン研究を続けたせいでアメリカとソ連の戦争がおきて日本が侵略されつつあるところ
かと思ったら1ヶ月くらいでまた冒頭の世界線に戻ってきたり・・・
おそらくロシアに亡命したなかばちが、クリスから奪った論文でタイムマシン売り込んでロシアが実験したのでは、みたいな話をしている
話が動き出すと面白いなあ
どんどん読みたくなる
でもLINEはあんまりストーリーに影響ないからちょっとさびしいかな
みんないい子&かわいすぎて、安心するとともにちょっと物足りなさも感じたけど
はてさてこれからどうなることやら
石油の大量発掘が行われていた初期、産出国の殆どはアメリカであり、また、アルコールより効率の悪い灯り燃料でしかなかったので、アジア圏で発掘するほどの価値も見いだされてはいなかった
それは第二次世界大戦前、自動車の内燃機関の燃料としての価値が見いだされた直後も変わらず、ベネズエラやインドネシアが産出国として増えたにとどまる
中東で石油が発掘されたのは第二次世界大戦後間もなくで、第二次世界大戦が起きた原因としては各地に散らばっていた石油産出地の取り合いが一因とされている。現時点でも中央アジア、カフカス、アフリカ、南米などの地域紛争の火種になっていたりする。
従って、中東による大量に安定した供給が無いとしたら、中東戦争のような争いが世界各地にさらに飛び火した状況になっているか、あるいは第三次世界大戦ないしはそれに近い規模の紛争が1970年台に発生している可能性があると思われる
ぐぐってもよくわからんから頭の悪い俺に教えてくれ。とりあえず人口抑制に関する俺の考えを書く。
日本では少子化がどうとか言ってるけど、地球規模で考えたら今の人口ってどう考えても多すぎると思うんだ。仮に今総人口が1/100になって今後もそのまま推移するなら大抵の問題は消滅すると思うんだけど、違うのかな?
それで、人口を減らすには今生きてる人間を殺すかこれから産まれてくる人間を減らすしかないけど、前者より後者がいいのは明らかだよな。例えば今から全世界で一人っ子政策を実施したとすると、世代ごとに出生数が1/2になるんだから、人口1/100なんて余裕で達成できるよな(その後は二人っ子政策を続ければいい)。
これが現実的でないことは俺でもわかるが、正直そこまで子供って欲しいか?これが現実的でないのは、今のところ子供が2人以上欲しいという人間が大多数だからなんだろうが、それだけの理由ならいつかコロッと変わってもおかしくないんじゃないかと思う。俺は自分が生きてる間に第三次世界大戦(核使用含む)は割と現実的な確率で起こりうると思ってるんだけど、それってつまりさっき言った前者、今生きてる人間を殺すことで人口を調整することだよな。じゃあその後の世界で(人類が生き延びたとしてだが)それを繰り返さないための議論がなされてもおかしくはないと思うんだが。
ここまでが俺の考えな。これに対してはいくらでも異論はあるだろうけど、俺が疑問に思うのはそういう議論そのものをほとんど見かけないことなんだ。
それで頭が悪いなりに考えてみたんだけど、端的に言うと「俺らがこれを議論するのは自己否定になるから」ってことだと思うんだが、合ってるだろうか。
つまり、先進国(日本はそうでなくなりつつあるが)では既に人口は頭打ちになっているが、一方で資源を大量消費していて、その資源ってのは人口を増やしつつある国に依存しているわけだから、その状況で人口がどうのと言うのは自己否定に等しい。人口がどうこう言うなら、まずお前らが今のシステムを根本的に考え直せ(場合によっては資本主義自体をやめろ)、というツッコミが入ってもおかしくない。皆ここまで読めてるから人口がどうのとかは基本的に口にしない。
って感じかと考えたんだけど、他人の考えてることなんてわからんし、全然的外れなのかもしれない。考えられる他の理由があったら教えてくれ。
何で幸福の再分配しないの
家族制度なんて完璧に解体し 人間は全てナンバーで呼び子供は国家で育てるべきだ
早く第三次世界大戦でも起きちまえよ
滅べこんな世界
早く終われ
どうせ誰も悲しむ人間なんか一人もいない
機能不全家族で育ち発達障碍者として生まれた時点でこうなる運命だったのかもしれない
友達も一人もいなくて貧困だから薄暗い団地で古いゲームを繰り返し遊ぶだけしか楽しみがなかった
笑った経験など一度もない
両親はアスペルガー症候群とカサンドラ症候群みたいな感じでいつも口喧嘩ばかりしてた
学校でも過ごしづらかったのに家に帰るといつも情緒不安定な母親に怒鳴り散らされた
あまりのストレスのせいか中学生の頃には身体が不調になり 鬱病や慢性疲労症候群なような状態になった
あの時に死んでおけば良かった
人間の声が本当に嫌いになった
人間の姿も見たくない
ずっと寝たい
ずっと寝ていたいのに眠れない
検索サイトで「死にたい」みたいに検索すると「死んではいけません相談して下さい」みたいなページが出てくる
おせっかいなんだよ
こういうのやめて欲しい
世界を破滅と混沌に導くトランプやテロリストや環境破壊者は正しいと思う
自分でコントロールしてるって感覚がないのに自分の心臓や内臓が勝手に動いていたり腸内に細菌がいると思うと気持ち悪くて吐き気がする
科学者になってたら地球を滅ぼす兵器を作ったり人類を滅ぼす研究をしていたかもしれない
って書きたくなるくらいつらいことあった
社宅の悪ガキたちにボールをぶつけられていじめられていたとき、私が「風吹け風吹け」と心の中で唱えると自然と風が吹いたものだった。
顔にボールを当てられた衝撃で鼻の感覚がツーンとおかしくなっていたが、風が合図に応じてくれると私は勇気に満ち溢れ悪ガキたちに笑顔でボールを投げ返してやることができた。
周りに味方はいない。私の頬を優しくなでる風だけが気を許せる存在だった。
風使いと自覚した私はどうやって世界を壊滅の危機から救うか考えねばならなかった。
私の力は強大すぎたようで、私が世界を呪うとテレビから台風発生のニュースが聞こえてくるのだ。
しばらくたって実際に被害が生じると私はたいへん心を痛めた。
とんでもないことをしてしまったと思った。
私は力を持つものとして振る舞わなければならなかった。そしてこの力のことを誰にも知られてはいけないと考えた。
もしこの力が公に知られれば日本政府が黙っていないだろう。私の身柄を拘束して監禁するだろう。いや、それだけでは済まない。世界中が私の力を欲して日本に攻め入ってくるかもしれないのだ。第三次世界大戦だ……
私は悪ガキたちにボールを当てられるたびに、彼らを風の力によって殺してしまうことのないように怒りを鎮める努力をした。
私は彼らがかわいそうだと思った。と同時に彼らが幸福そうだとも思った。彼らはその瞬間自分の生命にどれだけの危険が迫っているか知ることさえできないのだ。
彼らは持たざるもの……
私は孤独だったが寂しさはなかった。風が私の友達だったから。それに私は誇らしかったのかもしれない。どうして自分にはこれだけの力が与えられたのだろう。何か特別な存在なのではないか、そう考えるとワクワクした。世界を滅ぼす力を持つ私が悪ガキどもをあえて生かしておいてやっている、私はなんて慈悲深い存在なのだろう。私は自分が誇らしかった。
『東京アンダーグラウンド』という漫画に出会ってしまった。
私は愕然とした。風使いは私ただ一人のはず。私が神から授かった、まだ世界の誰も知らない能力のはずだ。
なぜだ。なぜなんだ。
発達障碍みたいな男とヒステリーな女を結婚させて不幸な機能不全家族を量産
生まれたくなかったのに生まれてしまっただけなのに自己責任だとか自助努力とか理不尽なこと言われる
だいたい日本って名前の由来自体が中国にとっての客体というポジションだからこんな国は一生脇役モブキャラみたいなもん
HENTAI BUKKAKE KAROSHI KAMIKAZE HARAKIRI HIKIKOMORIしか代表的なものがない
アジア侵略するわハンセン病隔離政策もやるわ袴田冤罪事件やるわでこんな国の人間は悪魔に等しい
魚を乱獲したり捕鯨やったり象牙や違法伐採木材輸入したり犬猫殺処分多かったり動物実験規制緩いのも許せない
自分は反戦主義じゃないので早く第三次世界大戦を始めてもらいたい
つまりこの国に対しての情などない
海外のニュースみてるとトランプやイギリスのEU脱退に象徴されるようにポピュリズムに流れたり、フィリピンが超法規的に麻薬撲滅を目指しはじめたり、民主主義の欠陥が露呈しはじめたなと思う。同時に中国が一党独裁のままで安定的に国を成長させていて意外とうまくいっていたりと、今までの常識が崩れ始めた。
民主主義の課題が出ているのは情報の流通コストが劇的にさがったことが影響しているのだと思う。今までの、エリートだけによる情報管理ができなくなり誰でも情報発信と情報収集ができるようになった。結果としてエリート層が社会の方向性を決められなくなった。
これはとても悩ましい。
言論の自由を制限することは民主主義の根本に影響を与えてしまうのでできない。しかしほっておくと破綻に進んでしまう。
民主主義国家がこの問題に対応できるようになるまでしばらく時間がかかると思う。ようするに次のトランプがいろんな民主主義の国ででてきて、いくつかは政権をとってしまい破滅的な方向に進む。
そんな世界を俯瞰してて、冷戦終了後に続いていた安定した世界が終わったんだなと思う。
この不安定な状態を早く終わらせないと次に来るのは戦争だ。数年前までもう第三次世界大戦は起きないのだと思ってた。でもこのまま進むと戦争が始まってもおかしくない。下手をすると全面戦争になりかねないなと思う。核のうちあいは避けたいが、次の大戦では核が使われることになると思う。
・自分としては「普天間基地は早急になくすべき、そのためには国外・県外移転が望ましいが、それを望まない日本政府の決定があるならば、『沖縄県は(普天間基地の代替としても)県内に新基地を作ることに反対したが、日本政府が地元の反対を権力で押し通して基地を作った』という手順、ストーリーで作るべきだろう。それが将来的に沖縄県民の利益に繋がる」と考える、以下理由
直線距離にして600kmほどでかい、それぞれの地域・島によって歴史も現在置かれている状況も違う
那覇市などの南部に住んでいるとそんなに米軍を意識はしない、でも中部に住むと、広大な米軍基地の周辺にへばりついて、分断されぎゅうぎゅうに押し込められて生きている感を受ける、場所によっては騒音がほんとにきつい。北部は…実はよくわからない、『北部』という主語も相当でかくていろんな立場がいるだろう。
南西諸島などの離島は沖縄本島とはだいぶ状況が違う、まず米軍基地や訓練空域がない、交通事故をMPに仕切られた経験もないので米軍問題がどこか他人事だ。それより実感としてあるのは本島・宮古島間の中国艦船通過だったり、尖閣諸島問題だったりするので、気分的に日本政府に強くあって欲しい、保守よりの風潮があると感じる、歴史的にも沖縄本島の政権からの差別や軽視があったらしいが、その辺はよくわからない。
そんな感じなので、ひとこと『沖縄県民』と言ってもその意見は多様で一つに絞れないのは当然だと思う。九州電力の川内原発についての福岡や奄美大島の人たち意見も同じようになるのでは。
ケンカになるから、ほとんどの場合自分と在日米軍・国防関係で自分と違う意見や明らかに間違っている知識(沖縄県が負担している米軍基地の割合は実は22%だとか)と出会っても、なるほどあなたはそういう考えなのですネーとスルーする。大体の人がそうじゃなかろうか。なので、声高に自分の考えを主張出来る人は、自分の周りがほぼ同じ考えだと誤解しやすい状況が生まれるのではないかと思う。
しかし中国に関してはだいぶヘイトがたまっている、親戚一同が集まっている席でTVで中国関係のワイドショーなど始まると、まるで『1984年』の二分間憎悪のようにその場が中国への罵倒で満たされ、中国に寛容な意見などは一切ない。ネットなどで、(基地反対派の)沖縄県民は親中派など言われているのを見るとう~ん?と感じる。おそらく、アメリカの覇権は絶対派、強い日本をとりもどせ欲しい派、基地には反対だが中国のため作らないといけない派、いま沖縄県民が分断されている状況は中国のせいだ派など、いろんな現状に対して不満を持っている人たちの、非難の矛先として中国が選ばれ続けているのだろう。中国観光客がお金を落とし続けているお土産物屋やホテル業界の人でも、中国人を語るときはまずは悪口から入る気がする。
・そんなわけで、『沖縄県民の意見』については、切り口によってでどんな意見でも出せるだろうと思う
基地内に土地を所有し土地使用料が入ってくる人、軍人・軍属相手の商売で生計を成り立たせている人、そもそも基地内で働いている人、基地のすぐそばに住んでて毎日轟音でテレビの音声が聞こえなくなる人、毎日基地を大回りして通勤する人、過去に事件事故で家族が被害にあったことのある人、米兵さんと結婚した人、数年前に大阪から引っ越してきた人、その子ども、みんな沖縄県民であって、その意見は統一できない思想は自由なので当然だ
・ただ一つあるのは『選挙の結果』だろう
手続き論として多少の瑕疵はあるかもしれないが、選挙の結果で先の知事の決定は間違いだったとの判断が出たら、地方自治体として決定を考え直す権利ぐらいは当然あるのではないかと思う
(米軍基地はどうするべきか)
・普天間基地はなくすべきだろう、それは日本政府、米軍、沖縄県民、宜野湾市民、ほぼ全員が危険なので早くなくしたいと考えていて、それを人質に取る形で新たな負担をどうするかというのが現在の問題だと考えている
・そもそも普天間基地及び在日米海兵隊の問題は、そのまま廃止する、国外(グアムなど)に移転する、沖縄県外(徳之島など)に移転する、といった選択肢がある中、日本政府の、米軍の協力な武力を引き続き国内に置きたい、という思いと、沖縄県外に置いてもらうよう説得するのは無理だった、という調整不足の結果、まるでそこしか唯一の回答がないかのように沖縄県内新基地の建設が進められているが、要するに日本政府の意向と失策の結果を押しつけられているだけじゃないかと思う。
・よく「防衛は国の専権事項」だから地元自治体は黙って国の決定に従え、という意見を見るが、本当にそうならば日本国中どこにでも好きに置けるはずで、「唯一の選択肢」なんておかしいことになる、自由じゃ無かったから現状があるんだ。
・ではなぜ沖縄県内に代替基地を作るかというと、沖縄県の位置とか、離島という閉鎖された環境とか、亜熱帯のジャングルが訓練に向いているとか、連携すべき他の米軍部隊が多くいるとか、歴史とかとにかくどんなにでも理屈はつくが、結局は『現在そうだから今後もお願い』につきると思う
・「現在そうだから今後もお願い」これを呑むと終わりだ、沖縄県の基地負担は未来永劫、永遠に続くことになる
この国では『現状』の強制力がとにかく強い、どんな理不尽も、不平等も、論理破綻も、現状を維持すべきとの意思の前にはなすすべがない。抗うにはすさまじい労力が必要になり、そもそも論理が通用しないため、結果反対派を自力救済、暴力に向かわせる力がある。
まあ現状維持って結局、楽な方、楽な方、低い方に流れてるだけなんだが。
・なので新基地建設については、暴力に訴えてまで反対するのは悪手だし、どのような反対があっても最終的には建設されてしまうだろう、それが日本政府、ひいては日本国民選択の結果なのだから、という思いがある。
・その上で、沖縄県という地方自治体としては、新基地建設を絶対認めてはいけない、と考える。認めたらそれこそ最後、沖縄県民の将来的な損失を、これから永遠に撤回不能な悪しき前例を産むからだ。
・そもそも沖縄県内にある米軍基地は、沖縄県がここにどうぞと言って作られたところは一つもない、すべて銃剣とブルドーザで住民の意思を無視して作られた物だ、という前提がある。なのでそれを変更が困難な『現状』として引き継ぐのだ。新基地建設に同意してしまうと今度は『沖縄県、地元住民は新しい基地を建設することに同意した』という新しい現状が生まれてしまう、そしてそれを覆すことは絶対に出来なくなる。あの日あのとき新基地建設を認めたんだから今度もお願いね、と言われ続けてしまう。
・政治的な決定は言った言わない、0か100かでどんな条件を付けても無駄だ
前世紀に普天間基地の代替として、名護市への新基地を認めようとした際、「軍民共用」とか「15年期限」とか色々条件を付けたはずだが、それらはすっかり忘れ去られ、「一度は認めると言った」という一部のみが取り立たされる、ヤクザの脅迫を一緒だ。なので絶対同意せず、『地元の反対を国が強権で押し通し、強制建設された基地』というストーリーを持った基地にする、というところが落としどころではと思う。
(余談)
みんな『次の戦争』に備えるとき、記憶の中にある先の戦争がまた繰り返されると勝手に思ってしまう。だから今度もうまくいく、今度こそうまくいく、と戦争の準備を整える。
第一次大戦を教訓にマジノ線を作ったらベルギーから攻め込まれてあっという間に降伏したフランスや、日露戦争みたいな一発逆転を夢見て沈没した日本海軍とか
みんな『次の戦争』を考えるとき、太平洋戦争みたいに島々を巡った占領戦が行われるはずだ、そのときは今度こそうまくやってやる、と無邪気に考えすぎなんじゃないか。次に日本が宣戦布告されたり、するときは
20年ほど前、働き始める直前の頃に親とした会話を今でも何となく覚えている。
そのとき私は、職歴を重ねる従業員の役職を作り出すために支店なり支社なりを増やすような企業活動に意味を見いだせない、と言った。私が何を言っているのか、親は分からなかったようだ。利益を増やし続けることで会社が拡大することは、親世代にとって太陽が空にあることと同じくらい当たり前のことなのだ。
この思いはそのあとも変わらないのだが、最近になってとりわけ思うのは、生業としての仕事を再評価すべきだということだ。
自分も会社も、成長しなくて良い。ましてや仕事の延長線上に世界の変革など目指さなくて良い。ただ安全に食べて寝て、大切なひとやものをやさしく撫でていられる、そんなことを継続するために働けば良い。
そして、このことは別に新しいことではなくて、すでに多くの人が日々実践している。ただそれは今のところ「意識が低い」あり方だとされている。だからみんな何となく、そこから抜け出そうとしてみたり、そうである自分を認めるときに罪悪感を感じたり、茶化しながらじゃないと認めることができなかったりしているんじゃないだろうか。
「仕事を通して成長する」だとか、「グローバル化の波が」だとか、それって本当なの? 同じくらいの確信で、昔の人は昔の人なりに昔の何かを信じていたんじゃないの? たとえば私が子供のころは、第三次世界大戦が起きたり、氷河期が来たりして、あと石油もなくなって、世界は滅びるって言われてたし、少し前までは皆、本当の自分を見つけることが何よりも大切だって信じてたよね。