はてなキーワード: 無理ゲーとは
女に出会いまくる(ナンパ、街コン)→5分くらい話したりお茶する→連絡先交換→アポイントとって飯に誘う→飯で酒入れて手を握るなり肩を組む(どこまでOKかのチェック)→手を握って歩く→キスする→連れ込んむ→セックス
こういう風に各流れを分解して、それぞれのテクニックを磨きましょうっていう奴だ。セックスさえすれば女はなし崩し的に男を好きになるから(いわゆるフィルターがかかってイケメンに見えてくるってやつ)、セックスしなきゃ付き合うこともできないってのが論理の根底にある。
しかし、俺はこれをやれなかった。ナンパを100人くらいしたが、お茶できたの1回、そもそも連絡先交換は1人も成功しなかった。
高身長がやれば成功するかもしれない。チビでもイケメンならいけるかもしれない。
しかし、俺はAVで出てくるモブくらいの不細工。つまり、リアルでは女と関われないからAV男優やってみました的な立ち居地の男達と同じくらいの容姿ということ。
流石にプロのキモメンで売ってる男優ほどではないが、チビということも入れると相当無理ゲー。
じゃあ、俺には彼女ができないのか?
そんなこと無いだろう。よく言う話だが、かなりの不細工でも1000分の1くらいは可能性があるわけだ。
俺も、道を歩いていて、明らかに不細工を見つけても、「じゃあそいつが絶対彼女いないといいきれるか?」と言われたらたいてい難しい。
もうよっぽどホームレスで明らかだったり、言葉は悪いが完全に見た目で分かる障害者とかでないと、「おそらくいない」とは言えない。
相当な不細工コミュ障のおじさんでも普通に左手の薬指に指輪してたりするのは良くみる。
そう、俺に足りないのは、『クライテリア(評価基準)』じゃないかと思った。
医学的には、「これはこの病気じゃないか?検査してみようかな?」って迷ったら、『クライテリア』を出す。
「咳が出ている→+1点、涙が出ている→+1点、耳が痛いらしい→+1点」みたいな感じで、点数を出して、「0点なら確率5%以下、1点なら確率20%、2点なら確率50%」とかが出て、じゃあ1点以上なら検査してみましょうね~とかだ。
これを彼女作りに当てはめてみよう。
収入 → 800以上は+3点、500以上で+2点、300以上は+1点、0は-1点
顔 → イケメンは+5点、フツメンは+1点、ブサメンは-3点
身長 → 180以上は+5点、170以上は+3点、165以上は-1点、165以下は-5点
BMI(身長と体重の割合) → 22以下は+5点、25~22は+2点、25~30は-3点
ファッション → 清潔感あれば+3点、普通なら+1点、不潔なら-3点
髪型 → 似合ってれば+3点、普通なら+0点、乱れてるなら-3点、不潔なら-5点
コミュ力 → 他人に話させられれば+5点、会話をつなげるなら+2点、微妙なら-1点、ダメなら-3点
人望 → ラインが1日10件以上+8点、ラインが1日3件以上+3点、ライン1日無し-3点
社会的地位 → エライ人なら+5点、普通なら+2点、底辺なら-3点
42点~-29点までの点数がつく。
このあとが大事だ。
42点~30点 → 顔面偏差値 70↑の美女と彼女作れる(100人声かけて1人彼女作れる程度)、顔面偏差値60↑の女をセフレにできる(100人声かけて1人セフレにできる程度)
29点~10点 → 顔面偏差値70↑の女は無理(1000人声をかけても無理レベル)、顔面偏差値 60↑の女と彼女なれる、顔面偏差値50↑の女をセフレにできる
9~0点 → 顔面偏差値60↑は無理、顔面偏差値50↑の女と彼女なれる、顔面偏差値45↑の女をセフレにできる
-1~-10点 → 顔面偏差値50↑は無理、顔面偏差値40↑の女と彼女なれる
-11~-29点 → 不可。
まあ、テキトウだが、こういう感じの『クライテリア』を作るとする。(適当に自分でやってみたら、-5点だった。身長が161しか無いしブサメンだからマックスでも+24か)
さらに、顔面偏差値ごとの女をスライドショー形式(あるいは芸能人の顔を1偏差値10人くらいの密度で並べてもいい)にする。
これで、ある程度自分がアタックして効果がある女を自覚することができ、ムダに気負う必要がなくなる。
「俺はこのレベルの女に話していけば、100分の1でも効率よくアタックできる。頑張ろう」と合理的に思える。
「俺は今-5点くらいの男だけど、頑張って0点くらいまで点数上げていこう、5点分だけ頑張ろう」と思える
こういう感じで、モチベーションと確率を出すことが大事じゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20160811110931
もう、こっからは惚気でしか書かないので、不快な人はそっ閉じしてくれぃ。
ももカフェにも書き込んじゃいたいよ!おっひょひょーい!
代々木公園でポケモンGOを彼女(いい響きすぎる)と一緒にやってから、
向こうの方が10歳近く若いし、100%無理ゲーと思ってたんだけど、
明日も行こう、明日も行こうと、気づいたら3日連続で会ってました。
一昨日は上野公園で彼女のコイキングをギャラドスに進化させて、
昨日はお台場のデックストーキョーあたりで電気ポケモン捕まえたのよ。
そのお台場の帰り道、駅まで歩きながら、
なんて聞いてしまったら。
もうね、我慢無理でした。この3日間がキラキラしすぎてて、楽しすぎてて、
死んでもいいと思ったね。
一瞬でミスティックにとられるかもだけど、それでも落としたかった。
で、手をつないでみました。
彼女、一瞬驚いた顔したんだけど、握り返してくれました。
いや、緊張で手から汗が吹き出して拭いても拭いても止まらないんだけど
たった3日間だけだったのだけど、
嘘みたいに、時間を忘れてずっとずっと話せてた。
興味ない話もあっただろうに、ニコニコ聞いてくれて、
彼女の話もいっぱいしてくれた。家族のこと、ケーキの美味しいカフェのこと、
実は、俺の仕事を良く見ててくれたこと。
面白かった
ネタバレ注意
20代前半の自分は、ゴジラ、それどころか怪獣映画とも無縁な人生を送ってきた。
・なんかハム太郎と同時上映してたらしい
これくらいである。そのため、見るまではどんな話かは全く想像つかなかった。
因みにエヴァは一応見ており、エヴァ好きの兄弟に誘われる形でなんとなく、見に行った。
さて、じゃあそんな人の初ゴジラの感想はというと、真っ先に出てくるのが「ゴジラ本当怖い」という恐怖心だった。
一時期ガンダムの格ゲーにはまっていたのだが、戦っている時ガンダムから放たれるビーム系の攻撃は「かっこいー!」とかそんな風に思っていた。ガンダムXのサテライトキャノンとかウイングガンダムゼロカスタムのビーム系必殺技とか好きだった思い出がある。
しかしゴジラの口、そして背中から出るレーザー攻撃は見た瞬間、自分は「格好良さ」は全く感じず「恐怖心」に支配された。その攻撃で町が破壊される描写にも生々しさと恐ろしさを感じた。普段他の創作物で町が壊れる描写を見ても大人になるにつれ心の何処かで「フィクションだし」という心の余裕を持っていたのだが、今回はそんな余裕を全く持てなかった。
とにかく怖かったのだ。見終わった後はあのゴジラの黒い形態を極力見たくないと思ってしまったほどだ。(余談だが一緒に行った兄弟は第二形態?の方が嫌だったという。エラの生々しさが嫌だったとか。自分はそっちは嫌悪感を持たなかったので人によって違うんだなと思った)
じゃあ何故そんなにシンゴジラの攻撃は怖く感じたのだろうか…まだまとまりきれてないところはあるが、恐らく1つはその時が夜中だったこと、2つ目はゴジラの圧倒的な生命力、破壊力にあったのかもしれない。
夜の中というシチュエーションは非常にリアルで怖かった。地下?で人々がぎゅう詰めになってる中停電になって「あっ!」とか悲鳴が上がる描写には「あの状況で真っ暗になったら怖いよな」と思ったし、後闇の中でゴジラが紫色に光る→ビーム発射描写も印象的だった。2つの描写は夜だからこそ怖さが際立ったシーンだった思う。
後者について、その前の自衛隊の攻撃を受けてもケロッとしてるゴジラのシーンの時点で「あれゴジラつえー」とは思った。そこからのあの口と背中のビームである。口の攻撃はレーザー状で猛スピードで凄い遠くまで届いて周りを火の海にするし、背中の攻撃はバンバン米軍の飛行機を撃ち落とすし、避けれる軌道でもないし…あの「防護策のない攻撃」と「火の海に包まれる建物の描写」は非常に絶望感があった。対処法はゴジラのエネルギー切れのみである。エヴァで使徒のビームを守った盾もないし、というかエヴァもいない。あのシーンの恐怖心は希望がほぼ見えなかったというところにあるのかもしれない。ヘリもビームに当たってしまったし…
他のフィクションだと悪役キャラでもこう、ネタにしたり可愛いとか言ったりして愛着を持てたりするが、自分はゴジラを茶化せそうにない。「触れたくないほど恐ろしいもの」という印象だ。コナンでよく少年探偵団はゴジラあんな楽しそうに見てたな!凄いな!と思ってしまった。
シンゴジラでは人々の生々しい死体や血の描写といった直接的なグロテスクな描写殆どなく、人々の逃げ惑う姿とか諸外国との駆け引きとか自衛隊の攻撃ダメージ0とかそういった、精神的に追い詰めてくる感じの描写が多かったのも印象的だった。2番目に自分がハラハラしたのは核が使用されると決定されたあたりの一連の描写だ。核自体の恐怖もあるし、都民だけじゃなく神奈川千葉も疎開させる無理ゲーさとか、総理大臣代理の嘆きとか、「日本は世界の同情と支援?を必要としている(うろ覚え)」とか色々な不安要素やどうにもならない感じが怖かった。作中に人間の方が怖いみたいな台詞があったと思うのだがまさにそんな感じ。あの長谷川博己と石原さとみが2人で会話している時徐々に引いていくカメラワークも妙に心細さ、不安を煽られた。
他にも人物の描写が良かったとか最後のヤシオリ作戦の所がそれまでの絶望的な描写も合間って凄く熱くなったとか色々雑多な感想はあるのだがもっとちゃんとした言葉で書いている人がいるので割愛。
歳を重ねるにつれフィクションで衝撃的な描写を見ても、一歩引いて「自分とは関係ない世界」と考えることで心に致命傷を負わないように出来ていた。が、久々に心に傷を負った気がする。それはゴジラの容赦ない脅威の描写と…後非常にリアルな世界観が構築されてることもあって、自分があのゴジラの映画の世界で逃げ惑う姿が想像しやすい、「もしかしたら関係なくない世界」と思わされてしまったからかもしれない。
ポケモンGoで、個体値がどうとか、攻撃方法がどうとか言っているけれども、そんなことはジムバトルには全く関係ない。え?分度器かったの?防御がつよくてもジムを守ることはできないし、攻撃が弱くてもジムは落とすことができる。どういうことなのかちょっと説明してみようと思う。
まず、ジムバトルを戦闘に勝って強いモンスターをおくというものだと思ってはいけない。ジムバトルとは、ジムの名声をいかに効率よく高め、名声をいかにさげないようにするかというシンプルな目標を達成すべきものなのだ。
名声を高めるにはどうすれば良いか。自分の色に対してトレーニングをすれば名声は増える。すこしだけ。ほんのすこしだけふえる。1体で、自分たちの仲間と戦い、それによってほんのすこしだけ名声を増やすことができる。一方で敵はどうだろうか。二色の陣営でがんがんと名声を削っていく。こちらがちまちまと数百なんとか名声をふやしているその時間に、他の二色は千単位で名声を削っていくのである。
属性だって、防御側は1つしか選べないのに攻撃側は6種類もあって選び放題である。スワイプすれば攻撃だってよけれちゃう。防御なんて無理ゲーなんだ。ちょっとした個体値によるパラメーターの差なんて、「わーいおれこんなにCP高いのもってるんだぜー」って自慢することにしか役に立たない。
つまり、十分な数のユーザーがいる場合には、基本的にはジムの名声を高めて維持することなんてできない。
じゃあ、どうすれば維持できるのか。これはもう、圧倒的な人数を確保し、敵の十倍くらいの人数を一箇所に投入し、一気にジムレベルをあげなければならない。味方に勝つことが必要なので、ただ強いモンスターを配置するのではなく、弱目の味方が勝てる程度のモンスターを配置し、圧倒的な人数でトレーニングをしまくる。名声が高まって、レベルがあがったら即モンスターをさしていく。
仲間を作っていくことこそが、ポケモンGOで勝つための唯一の方法なのだ。FFオンラインの廃人組は得意かもしれない。ポケモンおたく?知識を自慢してた時代はおわった。
また、心理戦も重要である。早さだったり、人数が姿をあらわしたりすることで他であそぼうという雰囲気を作る。が、これはあんまりやるとギスギスするし揉め事も起きるかもしれないから気をつけなくてはならない。
と、書いてみたけれども、実践はしたことがない。仕様もまだわからないところがある。同じジムで戦いまくると戦闘から蹴られることがあるのは、バグなのか仕様なのか。
Ingressはもう2年近くやっているが、基本ほとんど一人でのプレイだ。
アノマリーには参加したことがなかったが、気が向いたので初めて参加してみた。
結果、自分にとってここまで楽しめないものだとは思わなかった。
そもそも、初めてでぼっちで参加する人間にとっては、無理ゲーもいいところ。
まず参加登録があって、その後陣営のGoogle+コミュニティに入って、Slackに登録しなければならず、
チームが割り振られたら、今度はそのチームのSlackに登録、そしてGoogleアカウントの共有権限を申請。
もうこの時点で萎えている。
そしてやっと、そこに共有されている膨大な資料類を事前に読み込む。
Slackなどでは数週間前から毎日やりとりが行われており、読んでいないとついていけない。
そうやって当日を迎える。
当日は当日で、連絡用のスマホアプリを2,3個インストールして、指示された通りに使いこなさなければならない。
もはやなにがなんだか分からない。
当日、会場は陣営色の青や緑を身にまとったおっさんたちですごい熱気であった。正直ついていけなかった。
チームの方は、多くの人はもう既に顔見知りなようで、わいわいと楽しそうにやっている。俺、ぼっち。
自己紹介などの時間もなく、よくわからぬまま、ゲームスタート。
ずっとチームで行動するが、戦略もよくわかっていないので、リーダーなど周りについていくだけ。
気づいたらそうやってアノマリーは終わっていた。
部分的に、ポータルを守り切った!とかはあったが、トータルではまったく達成感も充実感もなかった。
アフターパーティは、さぞ盛り上がるのだろうと、かすかな期待をして参加してみるも、
数千人を集めておいて、え、なにこのグダグダ感・・・という運営。
Nianticがそういうものらしいが、正直これはない。全然盛り上がっていなかった。
残念な一日だった。たぶんもう参加しない。
世の中、少子化問題が人口に膾炙したせいか、特に酒席で中高年から「いいかげん結婚しろ」「子ども作れ」という圧力を受けるようになった。
だが、俺のような非モテ中年童貞には結婚相手を見つけるのは難しいし、そもそも面倒くさい。やる気が起きない。毎日お風呂入るのもイヤだし。
で、考えた。女性は(総合的な意味で)魅力ある男性と結婚したがっている。ブサメン、非モテ童貞、貧乏男はゴメンだ。
なるほど、だったら一夫多妻制にしてしまえばいい。イケメン、ヤリチン、金持ち男がたくさんの奥さんを囲えばいい。
そうして、各妻が2人ずつ子どもを儲けるだけでも少子化はだいぶ改善するはず。
とはいえ、一人の男性が多くの女性を囲うのは経済的には厳しいだろうから、その部分を北欧のように国が支える。
実際、北欧社会って事実上、上位3割ののモテ男たちが一夫多妻制やってるみたいなものみたいだし。
(シングルマザー率の高さと、男性の子なし率の高さが両立しているのは、事実上の一夫多妻制だから、らしい)
そういうシステムができれば、俺たち非モテも納税を通して少子化改善に協力できるし、
「結婚しろ」「子ども作れ」という無理ゲー圧力を受けずに済み、多方面の関係者と上手く共存・棲み分けができるようになるだろう。
贅沢をするということで考えると残り時間がどうしてもちらつく。
豪邸を買ってもそこにどれだけ住むことができるかとか。
なにより豪邸を買うというプロセスがめんどくさそうでたまらない。
ただそれらはみない聞かない遊ばないだろうな。
貧乏な今でも未視聴がたまってるし。
クルマも興味ない。
ギャンブルもこれ以上増やすということには興味なくなるだろうしな。
酒タバコはやらない。
そして風俗にしても旨いものを食べることも残り時間を考えると少ない。
10年後20年後に同じものを食べて同じペースで風俗で遊びまくることができるかというとそれは無理ゲーっぽい。
風俗と食事1日10万で月300万。年3600万。10年3億6000万。
残りの10年は半分のペースで2億弱。
6億あればいいのか。
母と父は10歳差の年の差婚で、父は6年前に他界した。その母の遺族年金は約15万円。厳密には、本人の厚生年金(勤務期間は結婚前10年弱)+国民年金+遺族年金の合計だが、面倒なので遺族年金と記す。国民健康保険税(以前は国民保険料だった気がする。いつから変わった?)は、年金からの天引き、個別納付、どちらなのか知らない。天引きの場合は、遺族年金の額は、天引き後の金額かもしれない。母は、一人っ子の娘に何も渡さず、父の遺産を全額相続したため、多額の貯金があり、自宅の住宅ローンも完済済み。にも関わらず、「年金だけでは足りない」という。
夫は、30代後半、理系4年制大学を卒業したフルタイム勤務の正社員。年収は320万~370万円程度、手取りは18万~23万円程度。残業代が出るため、月によって変動する。去年までの最高年収は29歳、リーマン・ショックの前。年々、残業が規制され、年収は、増えるどころか減っている。ただ、扶養家族がいると、家族手当が加算されるため、子どもが生まれ、自分が育児休業中だった去年は、年末調整時に大幅に加算され、年収は過去最高を更新した。幸運にも、4月に第一希望の保育園の1歳時クラスに入園でき、夫婦共稼ぎに戻った今年は、以前の水準に戻るだろう。
重要だから再度書く。残業ほぼゼロまたは僅少時の手取りは、フルタイム勤務にも関わらず、18万円台。残業ゼロだと、18万円を切る。結婚以来、ずっと無職で、傍目にはヒマを持て余しているように見える母との収入差はわずか3万円だ。このことを母本人に訴えると、年金にはボーナスがなく、働いていればボーナスがあるのだから、トータルでは全然違うというが、30代にとって、ボーナスは「出たらラッキー」という位置づけであり、実際にリーマン・ショック直後はゼロだった。それ以降も、大手企業の平均賞与支給額には程遠く、むしろ、住宅ローン減税の恩恵に感謝している。住宅購入以来、年末調整を行うと、夫の所得税はゼロ。住民税もかなり安い。さまざまなリスクはあるものの、現状の制度と低金利が続く限り、適正な金額を借りて、10年に一度、家を買い替えたほうが貯金を増やせる。
自分は、夫と同い年で、4年制総合大学の文系学部を卒業し、20代前半で東京都内の会社に転職した。同時に年収が大幅にアップ。最高年収は、やはり29歳の時で、業界の動向、給与体系の見直しなどの影響で、今後、何年働き続けても、その金額を超えることはないだろう。出産前の年収は370万~430万円程度。給与計算の関係で、今月支給された6月分の給与で、やっと仕事復帰後の手取り額がわかった。保育園に子どもを迎えに行くため、毎日、17時で退社した場合、手取りは、以前より少ない22万円前後。翌年以降は、住民税を支払わなければならないため、さらに1万5000円程度下がるだろう。保育料は、通常+延長保育料+教材費で約5万円。同じく翌年以降は上がると思われるが、それでも収支はプラスだ。勤務時間が減ったにも関わらず、裁量労働制のため、大幅な減給にならず、会社には感謝している。けれど、この水準でも、母の遺族年金との差は少ない。
夫婦2人で比べると、自分のほうが年収が高く、お金がらみの話をすると、夫はムッとする。今の9対1の家事負担を、せめて収入に応じて半々にして欲しいと訴えても意に介さず、子どもが生まれる前と変わらず、マイペースで過ごしている。互いに年収が多かった20代後半に貯金していたため、どちらかが専業主婦・主夫になっても、しばらくは生活できるが、毎月の収支は赤字になり、やがて貯金は底をつく。
30代前半ではなく、もう30代後半。2人とも昇給の見込みはなく、子どもが一人でごはんを作って食べられるようになるまでは、労働時間は最低限に抑えたい。個人年収400万以下の片稼ぎでは、子どもは一人が限界。共稼ぎなら、経済面ではそこまで厳しくないが、夫を含めた家族や友人、職場の同僚など、周囲の理解・協力がなければ難しい。夫の実家は遠く、実母は金にうるさい毒親、リアルな友人はゼロ、という状況で、第2子を望むことは、始めたばかりの無理ゲー「子育て」の難易度をさらに高めるだけだ。少子化に歯止めをかけるため、国の政策として、結婚するカップルを増やし、出生数を増やしたいなら、今の民間中小企業の給与水準に比べ、高額の厚生年金・遺族年金を減額し、その分、児童手当や保育・教育関連の予算を増やして欲しい。
これでも、恵まれているほうだと自覚している。だからこそ、言いたい。無職の高齢者と、毎日、懸命に働く労働者が自由にできる金額がほとんど変わらない現状は、歪んでいる。一刻も早く是正して、羨ましくてムカつくけれど、今の20代以下の人には、多くの子どもを産んで欲しい。高校卒業後の進路、勤務先・職種選びに失敗すると、お金に悩み続ける人生になる。
それはどうでもいい。物好きはどこにでもいる。無理ゲーというほどじゃない。
親身になってくれるのは嬉しいんだけど、そういった意味での好意をはっきりと示されるのはなんかだめだ。
最後に、私自身が、好きな相手との恋愛関係を望んでない、という問題がある。
恋愛とかするなら、互いにどうでもいいと思っている相手がいい。
別に好きじゃないのになあ、とか言い合いながら、一緒に北海道とか旅行したい。
ていうか恋愛に興味がないのかもしれない。
相手のジェンダーとか関係なく普通に人を好きになるけど、恋人じゃなくて、むしろ親しい友人になりたいという気持ちがある。
話が合って、なんでも討論できるざっくばらんな友人が欲しい。
友達が失恋してずっと落ちこんでるけど、まあそれは当人の性格の問題もあるんだけど、不思議な感じだ。
私がもし好きな人に嫌われたら、まず落ちこんで、次にそれを抑圧するために、好きな人を内心で攻撃する。
そうやって自己正当化して、相手を嫌いになって、感情の波が落ち着いたら、また好きになる。
そこで終わりだ。
感情が一度落ち着いているので、思い煩うことはないし、その人に対する印象もまあまあフラットになっている。
ていうか、これが普通な気がする。どうなんだろう。
恋愛は難しい。
四年間働かずに、大学までいって、出来た借金が8年くらいで完済できるんなら、まぁそんなもんなんじゃね?
大してひどい話でもないし、きちんと借金返してるきみは立派ですよ。
定職もあるし、完済のめどが立ってて、絶望する要素がどこにもない。
「借金がなくなるまで結婚も出産もしちゃいけない」っていう自分ルール以外、自分を不幸にしているものが何一つない。
生活費折半になれば支出は減るはずだし、出産育児は金かかるけど、それは今すぐ全額って話じゃないし自分ひとりで負担するわけでもないし。
どうしても養育費が捻出できなければ、毎月の返済額を減らす選択も当然ありだろ。それだって永遠に続くわけじゃない。
まぁ本当は、明らかに無理めのルール(借金がなくなるまで結婚も出産もしちゃいけない+でも結婚も出産も1、2年以内にしなければいけない)を設定して
「ね?無理でしょ?かわいそうでしょ?だから助けて!!」って彼氏に甘えてるだけだろうけど。
どっちにしろ周りからすれば自分が置かれたことのない状況なんて理解できるわけないんだから
「助けてくれなくてもいいけど理解してほしい」とか無理ゲーやってないで
たとえ誰からも理解されなくても、自分のやらなくちゃいけないことと今やりたいことを自分で決めて両方少しずつやってけばいいんじゃね?
その過程で誰か他の人が(彼氏とかダンナとか)がほんの少しでも(金銭以外でも)手助けしてくれたら、素直に感謝して喜べばいいよ。
「全部完全に理解したうえで、結婚するかどうか決めてください」っていうのも、一見公正なようで無責任なんだよなぁ。
「自分の借金は自分で返す」ってことがもう決まってるなら、それは結婚しないことの理由にならないからね。
一方、「結婚するのか?いつするのか?」は自分だけの問題じゃないから、「完済するまで結婚しません。もう決めました。」とか
なんか裁判なしで11日間も個人の自由を奪えるような制度はクソとかいう適当なブコメに星ついてるけど、元増田も地裁に行ったって書いてあるように、勾留するにも裁判官の令状がいるんだから、裁判してるに決まってるだろ。
勾留要件としては勾留の理由として、住所不定・罪証隠滅のおそれ・逃亡のおそれのいずれか一つがあることが要求されるわけだけど、住所不定はどうでもいいとして、独り身だと逃亡のおそれありとされるだろうし、余程のことがない限り、罪証隠滅のおそれなんてないとは言えないから無理ゲー。
結局、どっかの駐車場で人をはねた誰かさんみたいに社会的地位がないと庶民はどうやったって逮捕されて勾留されるのは免れないんだろう。
水泳の授業で女子が休んでいるというのは、その日生理、ということであったりする。中学一年生だと、初経が来た人とそうでない人がいる。私は中学を女子校で過ごしたのだが、女子校の生徒というものは下品だ。出欠表から来ている人、来ていない人を探ったりする。そいつらに材料を与えたくなくて、生理でもタンポンを使って参加していた。水泳が好きで休みたくなかったのもある。
しかし、タンポンを入れる時はいいのだが、出すのが妙に難しい。いつも太さ2、3ミリほどの肉片が引っかかるのだ。引きつれていたい。入れる場所を間違えてるのか。でも経血はせき止められているし、そんなこともなかろう。説明書を読んでも、そんなことは書いてない。面倒である。
奇形なのか?と思って、婦人科で見てもらったが、特に心配ないとのことだった。気になるのなら、お産の時切ってもらえば、女性の陰部は治るのが早くて、2、3日で治るから、という。しかし、そこまで待つのは嫌だ。それに、タンポン出すのも一苦労なら、お産の時はどうせ引きちぎれるのではないか。
とはいえ、2、3日で治るというのはいい情報だ。それなら自分で切ってしまえばいい。ということで、鏡と手芸用の糸と布裁ちハサミを用意した。膣口を横切っている肉片を二ヶ所縛り、縛った間を強くつまんでみた。痛みはない。肉片自体の感覚は弱いようだ。裁ちばさみで切ってみた。(性交で処女膜が傷ついて出血しても、そのあと膿んだとか腫れたとかいう話はきいたことがないので、消毒はしなかった。)
出血は針で指をさした程度の血だったので、テッシュを当てておいた。糸で縛った部分は、数日後に糸ごと切断した。裁ちばさみはアルコールで拭っておいた。今も現役だが、特に切れ味の低下はない。
後で知ったのだが、この時私が切断したのは処女膜の一部であったようである。二つ穴状処女膜とかいうやつ。処女膜にはいろいろあって、月経血が通らない完全密閉型のものは、手術が必要で大変なようだ。(この手の人は病院で処置してもらってください。)貫通が成功しなかったタイプの人は、処女膜強靭症かも。
タンポン使用がとても楽になったので、似た症状にはぜひお勧めする。後から考えたら、糸で縛る必要はなかったかもしれない。ハサミは切れ味が良いものの方がいい。クッキング用のハサミがいいのではないか。
今は、タンポンから卒業し、月経カップを使っている。月経カップは容量が多いため、自分の月経量なら排尿などでトイレに行ったついでに中身を捨てればよく、月経を気にしてトイレに行く必要がない。やや手は汚れるが、ウェットテッシュで十分に拭ける。タンポンはついつい放っておくと、滲み出すこともあるが、月経カップはそうそう満杯にならない。
問題点は、性交経験がないと膣が十分に開かなくて使えないことだ。(まぁ太い棒でも入れて広げてもいいけれど、そこまですることもない気がする。初性交時の出血がなうなるのも問題だし。)就寝時はカップだけでは心もとないが、昼用羽根つきを合わせれば大丈夫。
タンポンや月経カップに慣れると、夜用の巨大なナプキンの必要性は感じない。液体に近いサラサラしたものをあれでせき止めようなんて、無理ゲーじゃないかって気がする。
あと、痛みが強い人(鎮痛剤を飲んでも仕事・学習に差し支える人)、ナプキンの使用量が多すぎる人(昼に夜用使ってる人)、不順な人は婦人科行ってください。不妊になるかもしれないし、子宮体癌のサインかも。
(響け!ユーフォニアムの滝先生の声で)『なんですか、これ。』
8万円。そんな金払ってなんであんなイライラしなきゃいかんの。1日目の夕方時点でイライラ通り越して惨めな気分になった。
兎に角、人を入れすぎ。会場は地下2階、それでいて会場の端から端までの導線が1本しかない。何か起きたらどうすんの。あの人数を適切な時間で混乱も無しに建物の外まで避難するとか無理ゲーだろ。60分のセッションが終わって、ちょっとトイレに寄ってから次のセッションに向かうと、もう行列できてんの。それも最前列を陣取りたい一部の人達がいるって感じじゃなくて、20人、30人ってドアの前に並んでて。人気のあるセッションだけってわけじゃなくて毎度毎度そんな感じ。A、B、Cと隣り合ってる部屋すべてに行列ができてるから通路全体が行列で占拠。しかもその通路に巨大受付カウンターが陣取ってる。朝のピーク超えたら縮小していいはずなのに、なんで?今から並んでも入れない可能性がありま~す。おいおい、可能性ってなんだよ。そうじゃないだろ。会場に何人入れるか事前に確認して入場者数カウントすれば済む話じゃん。並んで待ってやっぱ入れません。何言ってんの。1日目も2日目も始終こんな調子だからセッションが終わりに近づくと、またあの人混みの中を移動して並ぶのかって頭をもたげるんだよ。いったい何のための事前アンケートだったんだろう?
EXPO会場の入口が実質導線の片側1か所しかないから、興味あるなし以前に行くこと自体が面倒。休憩時間に覗いてみるかと思っても、なんであの距離を、それも人混みの中を歩かされるんだ?出展社から金取れさえすれば後は知らんって態度なの?余計なお世話だが出展社からすれば金ドブもいいとこじゃね?
ドリンクとドーナツ配布するのはいいけどさ、飲食スペースが無いんだよ。確か前回まではあったんだけどなんで無くしたの?ドーナツ一気に3個も渡されて、それどこで食えっていうの?片手で持って立ち食いしろって数じゃないよね。電子機器たくさん並んでる展示コーナーを食べ歩きしてよかった?サーフェス並んでるところで何かやりながら食べるの想定してた?2日目なんてセッション会場で食ってるやつ何人もいたぞ。食べカスが椅子とか床に落ちてみっともないから俺はやらなかったけどさ。EXPOから出たところにあった台の上で食べてる人がいたけど、そこも混んでるしさ。(そもそも、飲食スペースじゃないよね。)
そしてアンケート方法。なんで紙?しかも1日目と2日目が別の用紙で、2日目はその紙を受け取るためだけに朝から行列に並ぶことを強いられたんだけど。2日目も受付してくださ~いって入口でスタッフが叫んでるから並んでみたら、紙渡されてバッジに穴あけられただけ。意味がわからない。それこそクラウド使ってアンケートシステムを展開すればいいのに。そっちのほうが安い早いでしょ、アンケート用紙を印刷、配布、回収、データ化までの全体コスト考えたら。イベントは一回きりじゃないから使いまわしもできるしさ。そのくらいならちょっとやってみるかというエンジニア、関係者のなかにひとりもいなかったんだな。
そうそう、行列をカメラで撮影してたけどさ。まさか、まさかとは思うが「こんなに多くの方がいらっしゃいました。大盛況でした。」なんてキャプション付けて社内レポート、ましてや一般に公開するなんてこと無いよな? 参加者からしたら仕方なく並んでるだけだから。円滑な運営ができてないから並んでるわけだから。それこそFace APIで参加者の表情分析すると面白いかもね?
蛇足だが、ツイッター見てたら自腹で参加してるっぽい人がちらほらいたが、あの惨状からどう感じたんだろうな。セッションの内容が良かったから満足って言い聞かせるんかな。セッションの内容自体は個人的には概ね満足だった。ただ、それだけなら動画を見れば十分と思っていて、実際に会場に足を運ぶ以上、申し込みしてから会場を出るまでの体験で評価すべきと考えてる。
イベント運営会社が見ることはないだろうが、アンケート用紙のクソ小さい欄に全部書ききれないから、ここに書き殴っておく。そして次のイベントのときに見返すことにする。
そして、他と差別化される
刺青とかコミュニティに帰属するか否かの分かりやすいスティグマだ
戒律はコミュニティが大きくなると複雑化し戒律の専門家が必要となる
その反動として、既存の宗教家を廃して新しい信仰に流れるのもまたいつものことで
由緒正しい神社仏閣をパワースポットと称する文脈無視のフリーライドな精神は
エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地となる過程を追体験しているかのよう
宗教の成り立ちにおいて、教義よりも宗教的聖地の方が先に存在するのだ
廃仏毀釈が一番激しかったのは鹿児島だそうで、寺がかなり迫害されたが
墓も墓参りの習慣も残っている
日本は、仏教、儒教、神道のちゃんぽんの言うなれば日本教の信者で
無理ゲーな自動車での人身事故。これがおきるたびにわき上がる運転手かわいそうの大合唱
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1881176.html
だいたいいつも要約すると次のような意見が集まる。
それに違和感を覚える。という話。
自動車の免許もったことない奴は、もしかしたら知らないのかもしれないが、こんな状態でも責任を背負わされるのが車の運転手で、運転手はそれをわかったうえで運転している。
そのことは、わざわざ18歳以上の責任ある運転手本人が、みずから試験まで受けて、免許してもらってるわけ。なんかの生命保険の契約書みたいに、気付かれず小さく書いてある条件ではなくて、試験までうけて自覚している前提で成り立っているもの。
運転手は、絶対にどんな無理な状態でも、自分と同乗者と周りの安全に対して全責任を負うのが決まりである。
もし運転手の中で、「そんなこと自分は知らなかった」もしくは「知ってたけどやっぱりそんな条件は自分はのめない」というのであれば、免許返上(もしくは自ら立候補して法律改正)という行動を起こすことも、許されているわけ。このこと(条件がのめないなら免許返上すべき)も、確か試験に出るから免許保持者みんな知っている事実。
「いやいや、免許返上なんて極端な。身分証明書として事実上運転免許証は必要だから、条件はのめないけど免許返上はできない」というのであれば、ご安心を。
免許を返上しても、身分証明としてだけつかえるようにする方法もある。
「無理ゲーで人ひいても運転手が悪いなんて納得できない!」って主張したいんだったら、まずは免許返上を。
じゅうぶんに信頼できる自動運転が発達することは望ましいが、運転手の責任を解放してくれる類のものではない。
自動車という道具は、便利だからという理由だけで出発点から到着点までの全ての生命財産をおびやかす道具であるということを、いまいちど運転手は自覚する必要がある。
周囲の安全に対する責任を一手に担っているのは、運転手本人であり自動運転はその補助でしかない。
自動運転は交通安全の特効薬ではなくて、ましてや自動運転だから運転手の責任が解放されるわけではない。むしろ機械の動作の責任まで負わなければいけなくなるので、運転手の責任は増えることになる。
一番最悪なのが、「ひかれた奴が悪い」という意見。
ひかれたほうが、危険なことをしていたことは変わりがないが、それでも死ぬほど悪いことをしていたわけではない。
「これは運転手は悪くない、ひかれた奴が悪い」といってる奴は、ひかれた奴は死んで当然なほど悪いことをしていた、と同じ意味のことをいってることに気付いてほしい。
だれだって、事故を起こそうとして起こす奴はいない(少ない)。
ここに人がいるからひいてやろう、とおもって起こすわけではない。絶対にここには人がいないだろうと思った箇所に人がいるから起きるのだ。
ハンドルを握るたびに、もしかしたら自分は今から誰かを不幸にするかもしれない、という覚悟くらいは、せめて頭の片隅にでも置いておいて欲しい。
あなたが、今からひき殺すかもしれないその人は、死んで当然なほど悪いことは、していない。確かに、危険なことはしていたかもしれないが、それだけだ。