はてなキーワード: 暴力装置とは
芸術ってさ、よくセックスだとかゲイの写真とかチンコの彫像とかいろいろ作ってんじゃん。
あれさ、芸術とかいうけど見る人にとっては当然セクハラになるよね。
で、今回の反応見ると、やはり日本人の芸術観ってのは相手に危害が及ばないのは絶対、みたいなところがあるよね。
セックスワーカーの写真を撮って公開したら問題だ。はーそうですか。
じゃあアフリカの飢餓に苦しむ貧困民、戦争で子供が銃を持つような写真って、いくつかあるでしょう。
あれ、写真に撮った人からすれば同じようなもんでしょ。外国人の、写真撮影していいか許可したかどうかもわからないような写真、そういうのがピューリッツァー賞やらいろんな賞を受賞する。
みなさんは311で凄惨な景色となった東北の写真をいろんなメディアを通して見てきたはずですね。当然人が被写体であるものも含めてです。
彼らは撮られていい気がしたでしょうか?そもそも許可を取っていない可能性だってある。
みなさんはマスコミが嫌いだからよく分かるでしょうが、マスコミってのは圧倒的強者なんですよ。そこに許可があろうとなかろうと拒否しづらいものがあったかもしれない。ホントは嫌だったかもしれない。海外のメディアだったからなおさら断りにくかったかもしれない。
写真ってそういうもんなんですよ。それ自体が暴力装置。写真は過程を極限まで圧縮して結果だけ残す。相手の許可を取るスキームがあるがゆえにシャッターチャンスを逃してしまうような、そういう瞬間瞬間に芸術性が立ち現れては消えていくような、そういう装置。
盗撮だ、というのは簡単ですよ。みなさんはきっと彼が風俗の男にバラされてしまえばよかったと思っているでしょう。
自分たちが持っている「キレイキレイな芸術観」を犯し貶めたあの写真家の作品は何があっても認めるつもりはないでしょう。
でも、彼らだけじゃないんですよ?
せいぜい、静物画や昆虫撮ってる連中ぐらいのもんですよ、みなさんにとって「キレイキレイな写真家」ってのはね。
だから、皆さん、カメラ所持に免許が必要だとすればいいと思いませんか?
そうすれば、芸術観ある人は芸術観ある写真を残すようになるし、そこらへんのゴミは気安く写真を撮らなくなる。
みなさんにとって、とてもいい話だと思いますがね。
ちなみに、当然検索したでしょうが、みなさんがアートとは認めたがらない彼の作品集「そこにすわろうとおもう」はしっかりパリ・フォトの最終選考作品にまでノミネートされてるわけですね。つまり、写真を芸術的に捉える人々からある程度のお墨付きはもらってるわけだ。
「ツッコミスキルを鍛えたい!」と世の中のみんながそう思ってる。何故だ?何故なんだ?ツッコミなんてお笑い芸人だけのものだろう?それともあれか、合コントークに使うのか?
いやいや。ツッコミというのは「人心掌握術」なのだよ。人を感動させ賛同させるためのな。生きていく上で必要不可欠な存在、それがツッコミスキルなのだよ。
え?「なんでや!ツッコミはそんな大層なもんじゃないやろ!」って?ノンノン、ツッコミは凄いんだ。大層なものなんだ。なのに「ただの間違いの訂正と誤解されている」んだ。
例えば。「なんでや!阪神関係ないやろ!」っていう間違いの訂正。違和感の訴えとも言えるが。まあ、芸のあるツッコミとは言えません。
この場合は相手がツッコミ待ちだからマシだけど、そうじゃない場合には?ツッコミって体(てい)で間違いを訂正したら嫌な顔されたなんてオチが見えますねえw
だから間違いの訂正に間違いの訂正をしたい。そんなんじゃねえよツッコミってモンはよ、ってね。これツッコミじゃなくてガチダメ出しなw
もひとつ例をあげようか。んーそうだな・・・例えば「人すくな!」。こういうツッコミってどうなんだ?誰にでも言えるよな?見れば誰でも分かる違和感を口にする意味ってなんだ?代弁とか?おもに代弁だな。
でもタイミングが難しい。速すぎても遅すぎてもだめ。特に遅すぎないのが大事。遅れて「人すくな!」と言うと「見りゃわかるわ」と言われるのがオチ。これではツッコミのつもりがボケになっちまうw
みんなが「人少ないな」と思いかける瞬間に「すくな!」と代弁するから賛同される。
なぜ俺はこんな話をしたのか?ちょっと考えれば分かる分析を披露するため?いやそうじゃなく、ツッコミは単なる違和感の訴えなんかじゃないってこと。それが言いたかった。
違和感を訴えるだけなら、どのタイミングで「人すくな!」と言ってもよいはずだ。訴えるだけなら簡単なもんだ。そうじゃないって。ツッコミは鋭くないといけない。
鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。
もう分かっただろう。ツッコミは間違いの訂正でも違和感の訴えでもない。ツッコミは違和感からの解放。人々のモヤモヤをスッキリさせるから「人心掌握」できるのだ。だから人生の必須スキルなのだ。
みんなそのことを多かれ少なかれ分かってるから「ツッコミスキル鍛えたい!」と思ってる。でも間違いの訂正や違和感の訴えを頑張ってもダメなんだ。それではツッコミスキルが鍛えられない。
ここまで読んだ読者にはもう分かっただろう。ツッコミスキルを鍛えるには、違和感に着目すればいい。常日頃感じた「違和感をメモする」ことから始めてみては。
ただーし、文句を言うのではない。違和感の解決が目的だ。文句ばかり言ってたら違和感が強まるだけ。これはつまらないお笑い芸人になる罠である。
ツッコミスキル鍛えるつもりが文句スキルを鍛えてたなんて笑えない。笑えないし笑わせることもできない。これは文句たれるだけのつまらん人間から脱却するチャンスでもある。
じゃあ違和感はどうやって解決すればいいのか?秀逸なツッコミはどんな具合に違和感を解決していたか思い出してみよう。
フットボールアワー後藤のツッコミ集botをここに置いておきますね。 https://twitter.com/gotosmart_bot 好みが合わない場合は各自用意するように。
秀逸なツッコミというのは例外なく「的確すぎるwww」と笑いたくなるだろう。ただ違和感を表明するのではなく的確に表現するから「たしかにwww」と笑いたくなる。
しかも、ごく当然のことを的確に言いながらも斬新さがあるでしょ?つまり、みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける。だから「たしかに!」と感動され賛同される。これが鋭いツッコミってやつ。
言い換えると、あやふやな説明しか与えない既存の認知をくつがえし、そしてスッキリした枠組みを与えることで、人々の違和感を解決する。それが鋭いツッコミ。
言われてみると当たり前だけどこれがツッコミスキルを鍛えるために重要なんよ。
ここでFAQに答えると、「世の不条理を的確に表現するだけなら批評家でもできるじゃん。でも笑えないこと多いじゃん。」そう思った?
笑える批評もあるよ。映画や音楽の評論家に多い印象があるな。批評が笑えないことが多いのは、抽象的な不条理は「みんなの違和感」として共有するのが難しいから、
視点の斬新さは必ずしも必要ないから、的確さといってもインパクトある的確さにすると暴論になりがちだから、だな。
もひとつ。「詩はユニークで的確な表現を使うけど、だからって笑えるわけじゃない。笑いなんて理屈で説明できないんだよ。」そう思った?
これはそもそも違和感がたりない。詩は美を表現するものだ。違和感が表現されることもあるが、そればかりでは美しくならない。そういうことだ。
大事なことなので2回言います。「みんなが思ってる違和感に対して、斬新な視点から的確に言ってのける」。これが面白いツッコミよ。
となれば、ツッコミスキルの鍛え方はもう完全に分かっただろう。
まず違和感をメモする。メモする時は文句にならないように。これはもう言った。普段から「おや?」と引っかかる物事にアンテナを拡げておくのがいいな。
次に、違和感を的確に表現する練習。これも愚痴にはならないように。表現に斬新さは必要ない。ここまで読んだ君なら、表現を奇抜にするだけじゃ無意味だって分かるだろ?
斬新さが必要なのは視点だ。単に表現が斬新なだけで視点がありきたりなままでは、違和感は解決されない。ありきたりな視点で解決できるならみんな違和感にモヤモヤしてない。
さて、1つの違和感に対して的確な表現を模索してると、突然頭がピカッと光ることがある。新しい視点のひらめきだ。
この回路を鍛えるために練習するのよ。1日に何十回もピカッとするようになったら人生(QOL)も変わる。
最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。
むしろ些細なことのほうがいい。エロ画像集めてると後で見たらあんまエロくないのに保存しちゃうことがあるだろ?興奮してると些細なエロでもエロく感じる。
それと同じで日頃から些細な新しさでも積極的に興奮していこう。派手な新しさの中に本当の新しさは少ない。些細な新しさの中にこそ可能性がある。
だから新しさの感度を高めていくのだ君達。ただし、フェイスブック式の機械的な「いいね!」にはならんように。それでは逆に感性が鈍くなる。
ちゃんと新しいと感じることが大事。ほんのわずかでも新しいと感じてるのを確認してからメモする。
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いやあ、みんなありがとう。以下返信。
まず「なるほど」「こういう能力が欲しい」ってコメントしてくれた人達。ありがとう。
本エントリをツッコミ待ちと解釈した人達、ツッコミ入れた人達。バレちった?w皮肉じゃなく本心なら半分正解。なかなか鋭い。
>「秀逸なツッコミ」は「秀逸」だと気付かれないツッコミです。ツッコまれた人だけが「あ、なんか話しやすい」と思えるのが理想です。目立ちたがりのツッコミは存在がうるそうなる。
確かにそういうものかも。気付かれないほうが気付かせることができる。そう思うんだ。人にツッコむときは気をつけたい。
なるほど。そういう役割もあるね。いろいろ考えてみる。桂枝雀にも興味もったよ。ありがとう。
> 要は、何か違和感のある空気となった時、違和感へ触れることがタブーな雰囲気になる前に即ツッコミをいれてフラットな雰囲気に戻す事ができる能力=ツッコミ力ということでしょうか。
あぁ、場のみんなが違和感に触れやすくする役割もあるのか。他に、触れやすくても言葉にしにくい違和感を代弁して解放させる役割もある。両方ツッコミだけど想定してたのは後者。
> 例えツッコミが復活してきたのって、流れとしてはツッコミのボケ化だと思う。ボケはほんとセンスでやる行為だから真似できない、でもツッコミは例え上手くすりゃ形は真似できる。しかし本当はそっからが大切なんだ
面白い見解だね。ボケ的センスを加えたツッコミ。高圧的に間違いを訂正するツッコミから、ボケて違和感を解放してあげるツッコミへ。
> ツッコミキャラの自負持ってる奴はたいがいクソだと思うけどね
> ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。
いやそれは本当にそう思う。「鋭いツッコミ」ってある意味鋭くないものだよな。
> フリスビーをどこに投げても取ってくれるのがツッコミなのであって、違和感だの非常識だのは関係ないな・・と思ってるのでツッコミを鍛えたいなんて思ってなくて、だから関東の人の会話はフリスビーが飛び交ってる。
なるほど。確かに相槌に近いところがある。どんな暴投でも拾ってくれる相槌。拾う気があればスキルなんて鍛える必要ないとも言える。違和感というよりもっと広く「興味」でどうだろう。
> 笑いの話でいうと、司会者気取りでつまらん無茶振りをしてくるやつが不快。ボケをやりたがる人って少ないよね。
たしかにね。ツッコミが暴力装置になっててボケは損な役回り。だからツッコミの再定義が必要。また、意図せぬボケをしても関西風に「おいしい」と思えるかどうか。
> 日常生活で「面白いツッコミしよう」って思ってる人は、99%がスベッてる。自分の周りの『面白い人』を思い浮かべてみれば、無理に面白いこと言おうとしてないでしょ
うん。身体に染みついてないとな。ツッコミは笑いの道具である前に認識様式でないと。本読む時ツッコミ入れながら理解するけど、そのとき無理してるか?って話。
> 長いよ!自称Sですと同じニオイがする
> ツッコミは多分普段からのキャラの方が重要だと思うけどな。いじられる要素持ってたら言葉に何も説得力を持たないから。
そう。世間ではツッコミキャラ=いじり役になってる。それに目指す価値があるかってことだと思う。
> ツッコミスキルで一番重要なのは、望まれないツッコミはしないということではなかろうか。
批判的ツッコミは危ないね。人々の否定感情を代弁する批判的ツッコミも誰かを傷つけうる。
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補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。
だから、常識や固定観念でしか考えられないでいると、なかなか違和感を解決できないことが多い。違和感を解決できないから、文句を周りにブーブー垂れる。
また、違和感だけでなくその背後にある問題もなかなか解決できない。常識にとらわれて理解が不足し視野が狭くなってるからな。
そう考えると、文句ばっかり言うのは、SOS信号を出してるともみなせる。視野の広い人による愛あるツッコミ待ちってこと。
世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
私自身はヌルオタでありオタクに特別な嫌悪感を覚えている人種ではないが、また一人称が「私」だからって女だというわけではないのだが(笑)、
前々から1つオタク共に問い詰めたいほどの疑問を感じる所があった。異様にMが多いのである。日本男児情けないぞと言われてはやウン十年であるが、ちょっとそれとこれとは事情が違う。
一般人におけるドM男児の占める割合など比べものにならぬくらい、オタク男性の中でM属性を持つと判断される言動をとる人間が多いのである。
あまりにも顕著な社会現象であるためこの主張に異を唱える人も居ないだろう。それくらい多い。これは何故なのか。本当に何故なのか。
ところで、俺自身の性的嗜好(性癖という言葉は間違った日本語なので注意されたい)はどちらかというとサディストであり、古き良きSM文化にシンパシーを感じる人間でもあり、
努力家をドM扱いしたり安直な攻撃性をドS扱いしたりして茶化すやうな昨今の軽々しいSM文化には金太郎飴のように苦り切った顔をすることの連続である。
また、人間誰しも両面性を持つのだという人間観の持ち主でもあるから、特定の人間がSかMかの判断は簡単には行えないことも弁えているつもりだ。
しかしながら、基本的には男性は公衆の場ではSのほうがジェンダーとして自然であって、M男性を全否定までしないけど、
あまりそんな性的嗜好を前面に出すのはダサいし気持ち悪いから、プライベートなプレイとしてこっそりやっててくれないかなと思っているような偏った思想の持ち主でもあるので、
このドMオタクの問題をまこともって由々しき問題と捉えているわけだ。
それはそうと、このようにS嗜好をカミングアウトすると、即座に次のような典型的なツッコミが入れられるのが我が国のネット社会では通例となっている。
すなわち、「女性に対する苦手意識、ならびに男性としてのコンプレックスがあって、また現実に女性からまともに相手にされなかったり、酷い仕打ちを受けたトラウマ体験があったり
するから、なんとか優位に立ちたくてS妄想を繰り広げているのではないか?また、世の男性どもにSを期待するのも、女性へのいわば報復の一環ではないのか?」。
とまあこのような反応はごく自然である。というのも、トラウマと報復、苦手意識と正当化といった心理構造自体は、S男性という枠組みに限定されることなく、社会の至る所で見られ猛威を振るっており、
その暴力装置にびくびくと震えながら、疑心暗鬼に過ごしているのが現代人の諸相だからだ。したがって、安直にそのような認定をする気持ちはよく分かっているつもりだ。
しかしまあ、結局のところ性的嗜好は公に理解されるべきものではないし、理解を求めるものでもないと思うので、拙者は正当化することなくただS嗜好であると事実を述べるのみでござる。
とまあ今の話は余談であるが、本論と関係した部分もあって、基本的に性的嗜好はプライベートな性格を持つべきものであるが、
その性的嗜好とある程度関わりのあるジェンダーというシロモノは、これは公的な性質を持っておる。ここに矛盾が生じるわけである。
つまり、安易にお前はSだのMだの認定したり、くだらないSM談義でもりあがったりし、挙句の果てには俺はSまたはMなんだぜとばかりに公共の場で言動をとる。
そのようなことがジェンダー文化という名のもとに正当化されている気持ち悪い現代社会だなあ、とニヒルな顔で斜に構えながら厨二的に思うわけである。
でだ。オタクは空気が読めないと言われてきたが、それは一般人と価値観の異なる部分があるため、どうしてもわかり合えない部分があるのだ、という類いの擁護を繰り出すことはできた。
しかしながら、公共の場でドM自慢と言えるほどのアピールをしてしまうことには、ちょっと擁護をしかねる。
これと関連してバカ自慢、無知自慢という現象も昨今急速に広がりを見せている。バカや無知のフリをすれば批判されにくく、一定のある種の社交性を獲得することができる。
厳しいアスファルトジャングルにおけるその生存戦略は分からないでもない。しかしそこまでするかという話である。
元来女性社会においてはそのような文化があった。周知のとおり、女が女に言う可愛いは建前である。水面下では激戦が繰り広げられているのだが、表面上は謙遜して譲り合う。それが日常だった。
男性社会ではそのような文化は考えにくかった。男性は見栄と強がりの文化と言える。面と向かって相手を論難し、俺のほうが強いぜと威張る。結局大人になっても50歳になっても、形を変えるだけでその本質は変わらない。
孔子も60歳を耳順とした。これはどう考えても学問どうこうの話ではなく男性特有の一般的性質である。
それがどうよ。今では男性でもオタクに限定すればありえないくらい卑屈なのが多い。そう、卑屈なのである。
近年誤解が右肩上がりに蔓延しているが、本来的にはマゾヒズムと卑屈さはさほど関係がない。卑屈さというのは性格の問題であって、本人がどう足掻こうと常に卑屈なわけである。一朝一夕には変わらないし誤魔化せない。
しかしマゾヒズムやサディズムというのはあくまでプライベートな嗜好であって、外面的な性質(社会的性格や容姿)からそのような嗜好が形成されるケースはあるにせよ、さほど直接的な関係がないのである。
偉そうな社長で秘書にもブイブイ当たってるからってSであるとか、痩せていてクリクリした目をした男だから気弱そうに見えるだけなのにそれだけでMであるとか、
そういう安直な扱い加減は、もはや本来のサディズムやマゾヒズムとは全くの別物だということを理解してほしい。
そこで俺は本来のSMのことはサディズム、マゾヒズムと専門的に言い回し、現代の国際社会に蔓延る本来のSMとは似て非なるSMのことは世間と同じようにS、Mと呼んでいる。
この用法に従うと、極度に卑屈だからってマゾヒスト認定するのは抱腹絶倒のナンセンスなことであるが、ドM認定するのは全然オッケーということになる。
これでもう分かったと思う、オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由が。これはもう文化大革命と言えるほどの逆らいがたいIT社会のビッグウェーブなのである。
ジョン・タイターも2000年問題に挙げ、クレイ研究所も事態の深刻さを鑑みてミレニアム問題として提起した。それほど、事態は深刻なのである。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130620/p4
アリだと思います。
「どうやったら言うことを聞かせるか」は至上命題です。
今のちょっとでもキツ目の事を言うとバカッターや内部密告(エスカレーション)制度に
すぐに持ってかれちゃう現代では、このスキルを磨くことがPMスキルなんじゃないかと。
自分IT業界(しかも底辺が集まるテスト系ね)にいて常々思います。
なぁお前ら。この業界終わってない?
数年前までテストPressとか出てなんか流行ってる感あったけど。
オレ10年超細々とテスト関係やってきたけど、最近本当にひどい。
二言目には「開発戻りてぇ。オレはこういうことがしたいんじゃない」って言う、
簡単に和を乱す、
オンゲのアップデート日に平気で休む。
いや、オレもそれっぽくなったし、そういう奴嫌いじゃないけど。
そんなヤツに基本給6割やるためにオレ終電逃してるのかよと。
そんな奴らを、生かさず殺さずで言うことを聞かせるスキルってのは、
もしドラより貴重だと思うぜ~?
「おれのかんがえたせいさくがさいきょう」なんで聞いてくれ。
日本には様々な各種問題があるんだけど、銃を一般人が手にすることで解決する事がたくさんあるんで話を聞いてくれ。
まず、銃があると、弱い人間が自分で身を守れるようになる。老人でも病人でも女性でも、力の弱い男性でも、障害を持つ人間でもだ。
強盗や強姦だって、相手が銃を持っているとしたら、うかつに手を出せない。手を出した途端、銃で撃たれて終わり。正当防衛であれば殺人もokさ。
ヤクザだって手出しできない。銃を持ってる相手に暴力の威嚇なんて通用しない。
このように、対犯罪者でとても有効。え?犯罪者だって銃持ってるだろって?
いやいや、銃所持者はある程度の厳しい試験に合格しないと持てないようにするんです。そこらのDQNなんかまず持てない。
最低限、運転免許よりちょっと難しい程度の試験に合格する必要があり、一定以上の納税者であり、かつ、交通違反を含め、1度も刑事罰及び行政処分も受けたことが無い、というような人間のみにライセンスを与えればよいのです。何かあれば一発でライセンスは取り消し。一生、銃は持てない。
このようにすれば、犯罪者なんて、割れ窓理論ではないですが、本格的な犯罪を犯す前にすでに銃は持てない。
まあいってみれば、銃を持てる身分、持てない身分に別けてしまうことになりますが。
ワープア問題、ブラック企業の問題もこれで一気に解決。労働者は舐められすぎ。労働者に酷いことをしたら銃乱射されると思えば、酷い事なんてできない。
ヤクザに対抗する警察がヤクザと癒着してるようじゃどうにもならん。銃持ってるのが、警察とヤクザだからこうなる。
暴走族なんて、迷惑でしなかないものだって、すぐにいなくなる。
銃の力というよりも、銃を持てる一流市民と銃を持てない二流市民に分ければ、解決できることは多い。
電車の痴漢だって無くなるし、痴漢冤罪も無くなるだろう。痴漢したら撃たれるのに痴漢するアホはいない。
間違った運用した奴は厳罰な。アメリカと一緒。10年模範囚だから釈放とかなし。
でもそれをスルーするキチガイもいるかもしれない。そしてそのキチガイが間違った銃運用をするかもしれない。
でもその確率はヤクザや不良警察官における銃犯罪の被害者よりも少ないだろう。
国家も行政も様々な連中も、個人を舐めすぎ。失礼すぎるにもほどがある。あれだけ銃が普及しているアメリカだって、銃犯罪はあるが、銃によって政治家や経営者がどうにかなったなんて話はあまり聞かない。それはなぜか。個人が銃を持っているから、あまりにも個人に対して非礼な事が出来ないからだ。銃犯罪のデメリットはあれど、メリットも計り知れないのだ。
アメリカはもう銃を管理できない。でも日本なら出来る。なんで犯罪者や不良警察官という悪人だけが銃を持てるのか。おかしいにもほどがあるだろう。
今話題の体罰もそう。生徒が何もできないから暴力をふるう。銃さえあれば、いじめもおきん。柔道指導者のレイプなども無くて済んだ。レイシスト連中もいなくなる。アメリカですら、黒人差別者は顔を隠す。撃たれるから。日本は顔出して人種差別できる。舐めすぎてんだよ、様々な個人を。
国軍だ、核兵器だと言ってる連中も、国内のことを考えれば、個人が銃を持つことには賛成のはずだ。
銃武装というパワー、ちからが互角であってこそ、その先の話し合いが出来る。最初からパワーの違いがあるから、話合いも出来ない。一方的な話だけになる。
オスプレイがあーだこーだ言ってる連中も、銃を持っていれば、攻撃が出来る。もちろん、相応に法で罰せられるし、応戦されるだろうが。しかし、そうされないように運用する方もちゃんとした、話し合いなり、筋の通った手順を取らざるを得ないだろう。個人的にはあまり興味がない話だけど、そういうところにも銃所持の影響は生まれる。
まあ当然、東電あたりもふざけた事は言えなくなる。
日本は武装の自由が無いから、暴力装置を持つ者だけが適当なことをやってられるんだ。
ウヨもサヨも武装の自由、銃所持の自由を叫べよ。
あまりにも犯人像が歪んでいるため、ちょっと気になったので自分なりにプロファイリングしてみました。
テレビやネットの情報から浮かび上がった人物像なので正確性には欠けると思いますがざっくりと。
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対象の生い立ち
幼少時 叔父が強面。その叔父と親しくしていたらしい。
人心掌握と徒党の力を覚えた。
おそらく小中時代にまともな人間関係構築が行われず、新しい環境で友人が皆無だったため。
おそらくここで何かひどい目にあったはず。
この時期のマンションの住民は何かしら角田への恐怖を抱いていたため、初期洗脳状態にあったとみられる。
おそらく角田はその気ならマンションごと洗脳が可能だったはず。
つまりそれはマンションの住民全員を対象に殺人が行われた可能性があることと同義。
おそらく現在も洗脳状態はとけておらず、そのため本件の立証は困難を極めるだろう。
1990年代 因縁関係でマンション関連の親戚まで手を伸ばし始める。 目的はお金と他人を傷つけたいという邪悪な動機。
ここから歪みが一気に大きくなる。
2001~11年 洗脳相手を食い物にしながら、暴力装置を手懐ける。
2012年 これまでの殺人事件が発覚し事件化。容疑者になる。
▼ざっくりプロファイリング
おそらく彼女自身としては上記は順当な展開と感じているとおもわれる。
ミスとしては洗脳相手を食い物にして殺人事件まで発展させてしまったこと。
彼女の最も特徴的かつ異常な才能は、「自覚のない洗脳状態を作り出し、他人を自分に従わせてしまう」ことだろう。
もし違う道を選ぶことができていたら、新興宗教の教祖か著名な催眠術師になれていたに違いない。
おそらくの推測だが方向性を決めたのは「幼少時に叔父をある種洗脳し、暴力を振るわせることができてしまった」ことだとおもわれる。
その経験ため、他人の人心掌握を行うことでしか他者とのまともなコミュニケーションを行うことができず、まともな人間関係構築がされなかったのだろう。
その上、10代で開いたスナックが失敗した時、これも推測だが恫喝&金銭要求をされる立場を経験したはず。
そのため、他者への暴力や害意にたいする心理的な障壁を失い、凶行へ走らせる原因が作られたのだろう。
それがやがて洗脳技術の発達に伴い表層に出ててきたため、後年は金銭だけでなく「ただ人を傷つけるためだけ」に暴力を振るうようになったとおもわれる。
彼女がこのような凶行に及ぶのは様々な不幸が重なった結果だが、途中で引き返さなかった彼女自身の歪んだ選択もあったはずだ。
そこがこの事件の最大の歪みと邪悪さであり、私に最も違和感を抱かせた部分である。
彼女の洗脳技術は天才のそれであるため、会って話をする際は注意深く気をつける必要がある。
逮捕尋問の際は、できれば2人の心理カウンセラーを同席させるか、監視でつけたほうがよい。
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怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
~ニーチェ
既得権益が完全に老害が保有して、かつ世代別の人口でも勝てない若者には、
現在、抵抗する術が親殺し以外にない事を誰もが知っている。
だからお前らは安心して日本を無茶苦茶にしていいい、今の日本はお前らのものだ。
好きなだけ若者の就労と教育の機会を奪い、金を奪い、そして上から説教をすればいい。
俺らの仕事は、特権が回ってきた時に全てを放棄し、老害を「他の世代の金を食いつぶして、上から目線で人を搾取した最低の世代」として時代の片隅に押し込んでやる。
お前らが成し遂げた事・努力・人生全てが、時代の恩恵だったと教科書に一行記載されるだけの存在に押し込んでやる。
お前らが日本中にまき散らした糞の後始末は俺達の世代に任せろ、そのかわりお前らの存在を消し去ってやる。
無縁死こそお前らに相応しい、喰えるだけ他人の財産を食いつぶして嫌われた世代の死様として。
ああ、オヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、偉大なる社会主義国家、ソヴィエト連邦が消えた。ベルリンの壁崩壊から2年後のクリスマスに、かって革命を夢見た全共闘世代は涙したものだ。
新聞には「資本主義が勝利したのではない。アメリカの一極支配は必ずや滅ぶ」と投書が載った。
人民を革命へと駆り立てたのは、資産家や資本主義社会への反発、不信、抵抗。ゆるやかな社会改良による解決がないわけじゃないのに、プロレタリア独裁を宣言し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。ロシア民謡は小学校の教科書にも採用されたほどだ。
全共闘運動に詳しい社会学者の小熊英二さんは毎年、大学の授業で『共産党宣言』を読ませ、感想を問うてきた。ここ数年「暴力的なだけじゃないか」「私有財産の何が悪いのかわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、国家がノルマを課したころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
ソヴィエトはどこへ行ったのか。
全共闘世代の仙谷由人さんには「かつて若者は暴力装置であった」と言われそうだ。
「大学解体」と「自己否定」のスローガンで機動隊と攻防戦を繰り広げたのは過去。大学全入時代で自己実現を勘違いする若者に、暴力で社会を変革するエネルギーはない、と仙石さんは語る。
革命を夢見るよりも、自己責任を受け入れて、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと立ち上がれ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。
思いのほか、反響が大きくて驚きました。ご質問やご意見に、反応と言うか、意見を書きたいと思います。
観察したり批評するという行為自体が、基本的に上から目線です。絶対そういうことを言われるだろうなと思ったのが自分のブログではなくマスダで書いた理由です。「天皇機関説」「産む機械」「暴力装置」等々、社会科学の文脈で語られた言葉でさえ優越感ゲームで処理されてしまう世の中です。こうした負の連鎖について、学校で教えればいいという意見もありましたが、絶対に無理だと思います。当事者たちから感情的な反発が来て、社会的なリンチにあうのが目に見えているのに誰が火中の栗を拾うでしょうか。お金のこと、キャリアのこと、仕事のこと、本当は中学までに教えておいた方がいいことがたくさんありますが、それがなされていないのにはそれなりの理由があります。
[地主のことが書かれていない]
H町は地方であり郊外ではあっても農村ではないということです。一時的な土地バブルがあったとしても、その恩恵を被ることが出来るのは資産家だけです。農民は、フローは少なくてもストックは持っているので、都市郊外の開発初期には、バブル資産家が続出しました。しかし郊外に住んでいる人はそうした人ばかりではありません。H町は、一度、農村化から工業化の過程を経ているために、住民の大半はプロレタリアート層(あるいは下層ブルーカラー)でした。地方=貧困とじゅっぱひとからげで見るのが間違いであるように、主に都市プロレタリアートの人が言いがちな、地方=資産家の構図も全体に敷衍するのは間違いです。
[戦後にはそういうところから成り上がった人たちがたくさんいる/別にブルーカラーでも不幸とは言えない]
現在は高度経済成長を経て、安定成長の時代も経て、デフレの時代です。そうしたチャンスの時代を経てなおかつ成り上がれなかった人たちが取り残されている問題なのです。「生きがい労働」がどうしたと散々不平不満を言っている今の世代が、ブルーカラーでもそれなりに幸せというのは偽善じゃないでしょうか。選んだ結果ならばともかく、それしか選べなかった、実質的には選ばされている状況で、人それぞれというのは気休めとしか言いようがありません。
[新住民も"上層"下層プロレタリアートに過ぎない]
これはある意味そう思います。元記事は、勉強という切り口から見たのですが、根本の知的好奇心が欠けているのは新住民も原住民も大して変わりません。これは精神論の話をしているのではなくて、根本の欲求がない限り、勉強が能力として身につかないという側面があるので、これは重要な問題です。恐竜博士といわれるような小学生は興味があることについては専門家レベルの知識を持っています。そういう人に、興味もない人が付け焼刃で暗記したところで太刀打ちできません。メリットシステムの上層部は、恐竜博士みたいな人ばかりなので、いずれ新住民も挫折を強いられることになります。それでも、下士官どまりであっても日常的に殴られる二等兵よりはマシです。新住民はその程度のことは理解しています。彼らは将軍になるためではなく二等兵にならないために走っているのです。
[金持ちを引きずり落とす必要がある]
「金持ちを貧乏にしたからと言って貧乏人が金持ちになるわけではない」と某女性が言いましたがこれは間違いです。経済自体はプラスサムですが、経済構造にはゼロサムの部分があるからです。一番わかりやすい例は農地解放です。富の偏在の是正を比較的可能にした戦後日本と、戦後すぐには日本より豊かであったフィリピンの現在の姿を比べれば一目瞭然です。メリットシステムの結果発生した富と、アリストクラシーの結果保持された富はまったく性質が異なります。前者はメリットシステムを強化し、後者はメリットシステムを弱体化させます。少なくとも新住民に「努力の報酬」を与え、原住民に努力の動機を与えるためにはメリットシステムの強化は不可欠であり、そのためには既得権益層を弱体化させる必要があります。
そういう極端な例を言うなら、逆のことも言えます。そういうことを言う人たちは家庭内の虐待を助長しているのではないでしょうか。
家庭には子供を抑圧し、スポイルしてしまう面もあると指摘することが、アボリジニの盗まれた世代に直結するというならば、家庭の不可侵性をことさら言い募る人たちは、親が子供を所有物のように扱い、虐待することを是としているとも言えるのではないでしょうか。物事を多角的に見ずに、だから進歩主義はダメなんだみたいに言いたがる人には、おぞましいという感情しか持てません。
じゃあ、どうすればいいという具体的な解決案が私にあるわけではありません。あるというなら、あると言う人が提示してくれればいいと思います。分かり易い具体的な解決があるならすでに実行されているでしょう。問題だけ示して解決も出さないのが無責任と言われるなら、そう批判されてもしかたがないと思います。しかし問題があるものをないということは出来ません。
不満に思っていない、と言い聞かせている、と私は思います。仮に宝くじにあたって、以前と同じライフスタイル、以前と同じ消費財で満足できるでしょうか。できるというなら、それはそれぞれの好みだと言えるでしょうが、実際にはそうではないわけです。選択可能性があって、初めて選べるのであって、選択可能性がないところで手に入れた物はあてがわれたものに過ぎません。努力をする人、特に自分の子供が努力をするのを引きずり落とそうとするのは自己欺瞞を突き付けられるからではないでしょうか。戦後の、教育熱心なお母さん(北野サキさんみたいな人)とそうした原住民の親の違いは自己欺瞞の自覚の有無だと思います。
原住民の友達の中にはマンガでさえ本というものは読まない子はたくさんいました。そういう子たちも中学の頃には「少女コミック」を熱心に読んでいました。素敵な彼とセックスしてしあわせ、みたいな話です。今にして思えば、小学館は貧困ビジネスをしていたんだなと思います。
[原住民にも向学心はある]
逆上がりができるようになって嬉しいくらいの向学心はあります。小学生の時の「勉強ができない」は本当に簡単なところで理解がつまずいているのですから、少し整理してあげるとパッと分かって、魔法みたい、嬉しいということはありました。ただ、それが続かないのです。それを続かせてサポートする環境がないのです。原住民の子でただひとりだけ、有名大学に進学した子(男の子)がいました。彼は頑張ってそうしたのではなくて、もともとの知的好奇心がある子だったので、勉強しないことの方が苦痛、という子でした。彼とは何でも話せる友達になりましたが、彼は少年時代ずっと、家族からさえ変人扱いされました。彼を励ましてサポートしたのは私と私の家族くらいだったと思います。彼の場合は、たとえ変人扱いされたとしても向学心の衝動があったので、どうしてもそうせざるを得ない結果、勉強したのであって、そういう生まれながらの衝動がない子ならば、そうじゃないならとっくに「かわいがられる方向」にシフトチェンジしただろうと思います。ちなみに彼は私の今の夫です。
特定期間の権力が強すぎる。
禁止命令を出すに当たり、市議会でもいいけど、原則裁判所の役目だろコレ。
複数の機関の了解を得るべき。なんで、国家公安委員会が単独で禁止命令出せるんだ?ナチも公安の一種なんだぞ?
それをみならって、きちんと、三権分立じゃないけど、国家公安委員会以外の組織が 認定と命令を行い、 国家公安委員会が実施すべき。
きちんと、XX法 第何項第何状をみたす 団体 と 定義を正しくすべき。
そういう意味じゃ、警察も、公安も 軍隊も 国家権力の暴力装置で、暴力的思想の団体じゃ。
だから、公安の制御機関となる 組織が必要ってのが、常道だと思うが?
解散請求できる権利については 必要だと思うけど、 手続きをもっと、慎重にしてくれ。なぜ、結社の自由があるかかんがえろと。
これは何だ?「はてなーの相当数は、「産む機械問題」の時も、「専業主婦は病気」の時も同様に文脈を読んで判断していたように思われる」とか言ってるんだけど。
はてな村は元々そういう場所じゃない? - ネットの海の漂流者
なるほどね。それでは、少し調べて見たよ。面倒だからそんなに調べてはないけど、少し調べても出てくるんだから、もっと時間をかけて詳しく調べたら、はてなのバカさ加減はますます分かるね。
ちなみに、このこと↓
専業主婦は病気の件では文脈を考えろと言ってるのに、女は産む機械の件では文脈を考えないで批判してたということ。
仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
はてなブックマーク - 仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
こういうのが出てきたよ↓
なんだかなあ
http://anond.hatelabo.jp/20070203234315
はてなブックマーク - なんだかなあ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20070203234315
FTTH # |ω・)…… ちっちっち、「一部分を切り取ると格好の攻撃材料になるような発言」を公の場でしてしまう危機管理能力のなさは、大臣にしておくには問題ですぜよ? 2007/02/04
天皇機関説、女性機械説、自衛隊暴力装置説・・・: EU労働法政策雑記帳
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-654e.html
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bogus-simotukare 「産む機械」は明らかに女性差別(ないしそう受け取られても仕方のない失言)だろ?。今回の件や天皇機関説とどこが似てるんだか? 2010/11/19
痛いニュース(ノ∀`):【政治】女性=「産む機械、装置」 柳沢厚生労働大臣が発言…自民・島根県議の決起集会
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/908075.html
このブクマ↓とかは、脊髄反射して文脈を無視して「女は産む機械」を叩いているのばかり。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/908075.html
こんなはてなで、↓の「専業主婦という病気」を文脈を見て判断しろとかいうのが、爆笑だよね。
http://www.yochien-joho.com/headline/photo/20100501/001.pdf
それで、「女は産む機械」の文脈無視叩きの件で、産む機械バッジとか産む機械Tシャツを作ってるのもいるね↓
minx [macska dot org in exile] - 新発売!産む機械バッジ
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070203/p1
Child-Bearing Machines Apparel : CafePress.com
http://www.cafepress.com/macska/
最初に言ったけど、これは大して時間をかけて調べてないからね。少し調べただけでも、はてななんかこんな程度。文脈無視、読解力なし、立場が変われば言うことが全く違うダブスタばかりが、はてな。はてな信者が持ち上げているだけ。
こんなのもあったよ↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
ohnosakiko 社会, 女, 言葉 「産む機械」は女を生殖する存在に限定する言い方、「専業主婦という病気」はある時代の社会の現象を指した言葉。全然違うのに何故か一緒だと騒いでいる人が/平易な言葉を使ったために悪意で言葉尻を捉えられた一例 2010/12/29
この屁理屈は無理があるね。文脈を考えれば「女=産む機械」と言ったわけではないんだから。産む機械が生殖で使われてきたとか関係なく、文脈を見て「女は産む機械」と言ったのか?という問題。機械で例えるやり方は生殖でなくても行われているから、「女は産む機械」で生殖なんとかと言って「女を産む機械」叩きを擁護するのは、機械がどう使われてきたのかも知らないで墓穴を掘ってるね。
↓こんなのとかもあるね。
「産む機械」はどのような文脈で使われたのですか。- Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310703358
はてブに訓練されたサンケイガーズとあったけど、うまい表現だね。はてな名物の訓練されたサンケイガーズお笑い劇場再び。
仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
はてなブックマーク - 仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm
これで文脈を読めば問題ないとか言ってるのがいるけど、以前に、「女は産む機械」で問題になったよね。あれは、文脈を読めば「女は産む機械」とは言ってないんだよ。文脈無視の日本語の情弱の解釈のツギハギだらけで、「女は産む機械」と言ったとなって問題になったわけだよ。あのツギハギ解釈の「女は産む機械」を問題にした連中が、この専業主婦では文脈を読め、仙石様はそんなことは言ってないとか言ってるわけだよ。噴きだしてしまうよね。「女は産む機械」は全くの文脈無視で滅茶苦茶問題になったわけだが、産経に専業主婦のことが出ただけで文脈を読めとかお前ら小学生かよ。
それで、PDFを見たら、はっきりと言ってるのさ。
http://www.yochien-joho.com/headline/photo/20100501/001.pdf
ここに、赤い大きな太字で★印まで付けて、
と項目立ててまで書いているわけなんだが。これは、「女は産む機械」なんかよりも、遥かにストレートに問題になることだよね。「女は産む機械」は★印の項目立てて赤い大きな太字で、★女という産む機械とか書いたのとは全く違うからね。日本語の文脈を読めない情弱が「女は産む機械と言ったことにしよう」と妄想して、見えない敵を叩いていただけだから。
PDFを見れば明らかに専業主婦と病気を結び付けている(項目立てまでして)わけだよ。「女は産む機械」を文脈無視で叩いていた連中は、テレビでも大問題になったくらいだから、この専業主婦でも「これはおかしい」とか言わないといけないんだが、項目立てするくらいまで~という病気とか言う政治家の発言は正しい、仙石サマーとか言ってるのは、選択肢を認めない貧しい奴らだよ。産経ガー様は、他人の生き方の自由まで制限したくてたまらないバカな連中だね。
これで仙石の暴力装置発言を出して、仙石のこの発言を擁護してるのがいるけどさ、それはさすがにネタだろと思いたいくらいに知性がないよね。まぁ、暴力装置が何たるかを分かってないからそんなことが言えるのだけど。暴力装置まで出して仙石を擁護するのは、肉屋を支持する豚とはこのことだね。民主にいくら裏切られても暴力装置まで出して擁護するなんて、都議会民主で民主様と言って民主を応援しようと言って騙されてまで、「それでも民主様」とか言ってる肉屋を支持する豚と同じだよ。
とてもよく訓練された産経ガー様は、文脈なんか全く無視して言ってもいない産む機械をわけも分からずに批判して、そしてPDFを見れば分かるように、産む機械よりもストレートに問題になる専業主婦では「文脈を読めば仙石様の言うとおり」って、爆笑だよね。お前ら、~という病気って言われれば、~は病気と言ったな!と噴き上がるくせに。
よく訓練された産経ガー様は、仙石様や民主にいくらいびられても肉屋を支持する豚であり続けるのだから、都合のいいバカな存在だよね。以前に民主がこの専業主婦のことよりも遥かに文脈無視して揚げ足取りばかりをしてたんだが、それは無視してこの専業主婦のことは文脈を読めって、本当に民主にとってはお前ら産経ガー様は都合よく使える存在だよ。肉屋を支持する豚の路線を突き進めよ。
仙谷はちょっと頭が良くなかった。知識はあるので勉強はできたんだろうけど。
「暴力装置」だけが一人歩きしたのは出典が「常識」ではないことだったからで。
「マックス・ウェーバーが言ったところの『暴力装置』」とワンクッション入れていれば、
国会の場で紛糾するのは同じかもしれないが、少なくともマスコミが報道するときには解説が入るだろう。
その知識を大衆に分かりやすく伝える頭の良さは必要だよなぁ。
事業仕分けもそうだけど、難しいことを難しく言うのは誰にだってできて、
それを誤解なく分かりやすく伝えることができてこそ、頭がいいんじゃない?
「暴力装置が自衛官への侮蔑って、ウェーバーも知らないような馬鹿は黙ってろよ」という人たちと、
「ウェーバーだか何だか知らないが、自衛官を暴力装置呼ばわりする奴は許せん」という人たちの、
どちらが「ウェーバーを知らない」大衆の「共感」を呼べるか、要は選挙で勝てるかといったら、たぶん後者だろう。
ウェーバー知ってる人より知らない人のほうが多いだろうし。
マスコミや政治家が「ウェーバー知らない」側に乗っかって煽動してるのが問題なんだろうか?
わざわざ大衆を敵に回して、発行部数減らしたり、視聴率下げたり、選挙で負けたりするほど、
気概があるわけでも危機感があるわけでもないだろう。商売でやってるんだから。
仙谷がすぐに撤回・謝罪したのも、その辺のことが分かってたからだろうし。
インテリの言葉が大衆に届かない状況になってしまっている。頭の良さが大衆の支持に結びつかない。
逆に今は、「素人で難しいことはわかりませんが、皆さんと同じ目線でがんばります!」という方が受けが良い。
ここでインテリが「大衆が馬鹿なのが悪い」「大衆が馬鹿のくせに馬鹿の自覚がないのが悪い」と言っても仕方ない。
「言ってる意味はよくわからないけど、俺達が馬鹿にされてるのはわかる」と取られたら、もうコミュニケーションは成り立たない。
むしろインテリの側に、大衆を侮蔑せず、大衆にも分かるように解説する「コミュニケーション能力」が求められているのではないか?