はてなキーワード: 春学とは
大学に進学したけどサークルに入らず、バイトもしない日々を送っていました。
高校で部活の揉め事に巻き込まれたりバイトで失敗が多かったりしたのでグループに入るのが怖かったからです。
成人式もいきませんでした。小学校の頃の同級生たちは大人っぽく、逞しくなっているんだろうなと思うと
中学高校で落ちこぼれの日々を送り惨めな思いをした上に大した大学には受からず目が悪くなってメガネをかけるようになった私は恥ずかしくて行きたくありませんでした。
でも大学3年になって自分は少しまずいのではないか、引きこもりと一緒なのではないかと思って他人と関わろうとしました。
ボランティアに1度行ったりしましたが、この活動に長期的に関わるのは難しいと思ってしまって1回しか行きませんでした。
3年の春学期はコロナで学校にもほとんど行かなくなったので外に出て何かしようという気がだんだんしぼんでいきました。
そして大学4年生になり就職活動をはじめました。人と関わってないしバイトもしてないしサークルにも部活にも入ってなかったのですが
インターネットと本と大学の就職課の助けを借りることで内定をもらうことができました。
就活から逃げなかったのは良かったと思うんですが、大学時代に人間関係から逃げたのは間違いだったと後悔しています。
今から人間関係をやっていくのは大変だと思っていますが、なんとか他人と楽しく関われるようになりたいです。
組織の中で無難にやっていきたいというよりは親しい友人とか恋人がほしいと思っています。
前回も書いたが、これは改善された。厚労省が推奨する間隔で無事に接種が行えた。
6月時点で屋外待機用のテントが設置されたが、7月の気温では厳しいものがある。
ちょうど授業期間(春学期)も終了し、教室が空いたことによって屋内に待機用の動線が設けられた。
おかげで手短かつ快適に接種を終えることができた。
待機会場で流れていた慶應ソングは廃止され、普通のピアノBGMに切り替わっていた。
理由は不明であるが、他大学を受け入れるならあまりにも(愛校心の)圧が強いので当然だとは思う。
前回、現地での呼びかけは「学生証・教職員証を出してください」程度だったが、今回は他大学向けに「受付票を出してください」といった呼びかけもなされていた。
"慶應義塾大学 職域接種 -site:keio.ac.jp" でGoogle検索した限りだが、以下のような大学から接種を受け入れているらしい。
数万人単位の学生を抱える他大学を受け入れる余裕はないだろうし、そんなもんだろう。
腕の痛みに加え、38度ギリギリ行かないくらいの熱が出た。ただ、接種翌日夜には回復した。
事前にポカリスエットと解熱剤を用意しておいてよかった。
私は関西学院大学という兵庫県の私立大学に通う四回生です。COVID-19(新型コロナウイルス)感染防止のため、4月〜7月の春学期は全てオンライン授業でした。そしてこの度、夏休み明けの9月から年度末までの秋学期も、原則オンライン授業が決定いたしました(ゼミや言語の授業などの少人数クラスは、対面で実施することも可とのことです)。
過去三年間の大学生活には満足していますが、今回の春学期オンライン授業に関して言えば、50万円もの授業料を支払う価値があるとは到底思えませんでした(以下に記すことは、私の体感と、下級生から聞いた話を併せて書いたものです)。
オンライン授業といえば、ZOOMなどを活用した双方向授業をイメージする方が多いかもしれません。私も授業が始まるまでは、「きっとそうだろう。仮にそれが無理でも、最低でも、授業動画や音声ファイルの掲載くらいは当然してくれるだろう」と考えておりました。ですが蓋を開けてみれば、「大量のレジュメを掲載しておいたから、読んでレポートを書くように」という授業や、「教科書の何ページから何ページを読んでレポートを書くように」といった授業も少なくありませんでした。過去三年間、教授や講師陣から「レジュメを貰うためだけに出席して、ろくに授業を聞かない奴は来るな。レジュメや教科書を読むだけで分かる程度の内容に、意味はない」という高尚な言葉を何度も聞かされていた身としては、「一人で教科書を読んでレポートを書け」など、苦笑を禁じ得ない授業形態です。
また一方で、大量の課題を毎週提出する先生も、少なくありませんでした。「この先生は、『生徒達は私の授業しか受けていない』とでも思い上がっているのだろうか」と首を傾げたくなるような課題量です。私は幸運にも就職活動を無事に終え、卒業に必要な単位もあらかた取得しているため、課題の量が膨大でも苦痛はありません。ですが、未だ卒業必須単位を取得しておらず、毎週10個以上の授業を受けざるを得ない生徒にとっては、膨大な課題とアルバイトに忙殺され(人によっては就職活動等もあるでしょう)、外出自粛でまともに気晴らしも出来なかった春学期は、相当辛かったと思います。
大学の授業料というのは、講義への対価だけでなく、大学という施設設備への対価でもあります。ですが春学期は、感染防止のため、構内へ立ち入ることはできませんでした。大学側がこれまで大きな魅力として喧伝してきた図書館やトレーニングジム、清潔で美しい校舎などを味わうことができなかったのです(図書館は郵送という形で本の貸し出しを行っていましたが、送料は利用者負担でした)。
春学期の大学生活に対する私の満足度は、これまでの半分以下です。しかし、だからと言って授業料を半分以下にして欲しいとまでは言いません。ただ、1万円の減額さえする意思のない大学側の姿勢には、失望しかありません。陳腐な言葉ですが、誠意を感じられません(授業料減額を求める署名活動もインターネット上で展開されていたそうです。頓挫したようですが、流石にそうした活動が行われたことくらいは、大学側も認知しているでしょう)。
この「オンライン」授業に対して年間100万円も支払うなら、書籍を自分で購読した方がよっぽど安上がりかつ効率的です。ですから、「質の高い講義を受けたい」という一心で来年度の関西学院大学入学を考えている方は、一度行きたい学部の現役生にTwitterなどで話を聞き、行く価値があるかどうか熟考してみてください。
夜中になると、なぜ自分がこんな目にあわなければならなかったのかと思い、涙が止まらなくなる。現在21歳、大学3年生。半年前に目が8年ぶりにちゃんと見えるようになった。中学1年生の頃からである。8年間本当に長かった。
8年前の秋頃、中学1年生だった私は小学校以来のゲームのやりすぎで視力が低下していた私は黒板の字が見えづらくなっていることに気づいた。眼科に行き、視界が悪くなっていることを告げられ、まだ外見などあまり気にしていない半分小学生脳だった自分はメガネをかけることに決めた。いわゆるガチャ目で、左目が0.2とかなのに対し右目がほとんど見えない0.01みたいな状態だった。ゲームをやるときの姿勢が悪かったのが原因かもしれない
ここまではよくある話だし、目が悪くなるというのが怖かったとはいえ周りにもメガネをかけている子供はたくさんいたので、絶望感のようなものはなかった。メガネをかければ普通に周りが見えるようになったし、日常生活に支障はなさそうだったからだ。
しかしいざメガネ生活が始まると、以前とはどうしても変わってくることがあった。一つはメガネキャラが定着してしまったこと。もともとそんなに明るくない性格だったのがメガネをかけたせいでさらに暗くなってしまった。別に友達づきあいは変わらないんだけど、中3にかけて子供が見た目を気にしだすようになるなか自分の見た目の悪さも気になるようになってしまった。
そしてもう一つは激しい運動がフルでできなくなること。メガネをしているのでサッカーとか野球とかできるだけ端っこで見るだけになってしまった。中学の時はサッカーに無理やり参加してメガネが割れたことがある。中学3年生の頃には自分のことがのび太のように見えたし、周りからもそう言われるようになった。
ここで何故コンタクトを使わないのかと思うかもしれないが、これがこの悩みの大きな問題点だったのだ。自分はどうやらコンタクトが合わない体質らしく、眼科に行ってもガチャ目だからコンタクトが合わない、メガネじゃなければダメだと言われていた。実際コンタクトをつけてみると、とにかく気持ちが悪い。つけていると船酔いのような気分がして額から汗がだらだら出てくる。一回コンタクトをつけて学校に行ったことがあるが耐えきれずにコンタクトを外してしまった。いわゆる眼精疲労というやつなのだが、本当に眼精疲労?と思いたくなるような症状が出てくるので、いやいやメガネに戻さざるを得ない。
そして高校生活が始まると、この外見コンプレックスに散々悩まされることになる。もともとメガネが似合う顔でもなく、絶対ないほうが良いのだけど、メガネを外すことができない。この消せないコンプレックスが悩みの種で奥手な性格がさらに奥手になり、高校ではあまり周囲に心をひらけなかった。別にいじめられていたわけではないのだけど、とにかく自己評価が低くて周りと上手く接することができなった。なんというか顔に傷がある感じなのである。だから人前に出るのがいやだった。
それだけ自己評価が低いので、常になんか暗いオーラが出ていた。自分の姿が嫌で写真に写りたいとも思わない。だから高校時代の写真はほとんどない。だけど頑張れるところは頑張ろうと思って勉強は頑張った。順位が貼り出されて学年一位という経験もしたのだがクラスで友達がいないためご飯を食べる時は一人という惨めな思いを味わっていた。今思えばそんなの気にしなければいい話なのだけど、それがいやでいつも教室の隅っこの方にいた。運動も十分にできないのでだんだん運動神経は落ちていき、本当に勉強のできるのび太くんみたいになっていた。自分の長所が勉強しかないのが嫌だった。
だから高校1年生くらいの時から視力回復トレーニングを色々やって見たのだが、如何せん効果がない。あの手のトレーニングはたまにネット上で効果があったとか書いてあるが、ほとんど無理である。一度目は悪くなったら自力で視力は回復しないと思う。だから高校12年生の頃は本当にどうしようもなくて、とにかく外見コンプレックスに苦しんだ。
そうこうしてるうちに高校3年生になった。17歳という、人間として容色がもっとも美しくなる頃、受験勉強とともに私のこの外見・視力コンプレックスはさらに肥大化した。大学受験の不安よりも私は一生このままなのか、見た目にコンプレックスを抱え続けなければいけないのかという不安の方が大きかった。本当にメガネが外せないのかと悩み苦しみ、勉強そっちのけで眼科に何件も通い、なぜかメガネを10本近く買った。大学病院での検査も検討したが、大学受験との兼ね合いで断念した。そんなものだからそれまで維持していた成績は下がり始め、大学受験は第一志望に受かることはできず、コンプレックスも解消されないまま大学に進学した。浪人という選択も考えたが、当時のコンプレックスははっきり言って異常で、浪人したら今受かっているところにも受かるような気がしなかったため浪人を断念した。
大学に入ってからもこの外見コンプレックスに悩まされた。最初の頃は無理やりコンタクトをつけて登校していたが、だんだんきつくなってメガネに戻してしまった。そしてメガネにすると人前に出られない(?)ので、サークルも次第にフェードアウト。大学1年の秋には学内で自然と孤立の道を選んでしまっていた。そんな人間が生きる道はインターネッツで、授業から帰宅してはネットサーフィンをする毎日を一年冬〜二年秋まで送っていた。ネットサーフィンをしているうちにコンプレックスを忘れようとしていたのかもしれない。だが、20歳になったタイミングでまた忘れていたコンプレックスが再発がした。成人というのは大きなイニシエーションで、私の忘れようとしていたコンプレックスがまた復活していたのである。
今度はさらに孤独コンプもこじらせていて、高校の同期が大学で楽しくやっている中自分は部屋で一人ネットをしているのがコンプレックスになった。正直もう外見なんか気にしないで普通に人と付き合えばいいというのはわかっていた。でももう二年が終り、就活が始まるという段階で今更人付き合いを増やせるとも思えなかった。だから二年の冬休みはとにかく暗くて、どうすればいいんだろうという気持ちになった。不安と苛立ちが爆発し、家族にわけもなく当たり散らすようになった。散財もするようになった。一種のパニック症状である。原因不明の病というのはどんなに軽傷でも人の精神を不安にするもので、私の心は不安に押しつぶされていた。人間の思い込みというのも一つの病だと思う。
そして2019年の5月に、最後の望みをかけてそれまで行った事のない眼科を受診した。もう大方視力回復に間することはやり尽くしていたので、唯一やっていなかった。オルソケラトロジーという治療法にかけてみた。治療内容はググって欲しい。結果、オルソケラトロジーでも視力は回復せず、私のコンプレックスは解消されないみたいだった。
オルソケラトロジーを行う際に渡されたレンズを目にはめても一切気持ち悪くなかったのである。
オルソケラトロジーは夜間に角膜を矯正するためのレンズをはめて就寝し、翌朝になったら角膜が矯正されているので視界がよくなるという治療法である。この夜間にはめるレンズを昼間につけていても、全く気持ち悪くならなかったのである。
中学1年生以来、およそ8年の時を経て裸眼で見る世界はとにかく新鮮だった。少し度が弱かったが裸眼で道路を歩ける。水泳もできるしサッカーもできる。近くのビルの社名が裸眼で読める。夜は月がブレずに見える。鏡をみてもあの忌々しいメガネはない。あの時は嬉しかった。私が8年間、青春の間ずっと苦しんできた悩みはいとも簡単に解決したのである。
8年間の悩みが解決した理由もよくわからないのだが、私はどうやら「ソフトコンタクトだと体質的に無理なのだが、ハードコンタクトなら大丈夫」という事だったらしい。理解不能である。確かに私はコンタクトなんてどれも同じと思って、安いソフトの方を買っていたが、そんな意味のわからない解決法はネットでどれだけ探しても見つかったことがなかったし、中学一年生の時から百回は受診したどの眼医者もしてくれなかった。
目が治ってから、私は号泣した。普通病気が治ったら嬉しいと思うかもしれないし、私もそうだろうと思っていたが、こんな意味のわからない理由が原因だったこと、外見コンプレックスのせいで今まで失ってきたものが多すぎることに嗚咽し、自暴自棄になり、さらに家族に当たり散らすようになった。8年間もコンプレックスに苦しんだこと、そのコンプレックスが実はすぐに治ったことを受け入れることは難しかった。ストレスの度合いでは大学受験に落ちたことなんか大したことではない。私は12-20までの8年の間でもっと色々なことに挑戦できただろうし、もっと色々な人と仲良くなれたはずなのである。
8年間の理不尽は私から自尊心を奪い、一気に自暴自棄に陥らせた。3年春学期の単位は全て落とし、gpaは目も当てられない数値になった。部屋は片付けなくなった。暴食を繰り返し、体重は半年で10キロ増えた。家中の皿を割った時は家族から家を出て行けと言われた。
学生時代のほとんどを思うように過ごせず、就職というラウンドまで来てしまった。現実を受け入れられなかった。3年の秋はなんとか学校に行っていたが、授業を受けている間も病的にずっと後悔していた。後悔先に立たずだけど、あの時ああしていればというのをずっと考えてたら1日が終わるとかザラであった。留年したので就職なんてどうでもいい。21歳の誕生日は家族以外誰も祝ってくれなかった。家族からも暗くて一言も喋らないから怖かったと言われた。
カウンセリングに年明けから行ったが、正直今できることをやれ、気にするなとしか言われず、自分でもそれしかないとわかっていたので行く意味はないと思ってやめた。しかしテストを受けるまでずっと落ち込んでて、単位も半分くらい落としたと思う。せっかくコンプレックスが解消した顔は激太りした上にやつれきっていた。
ただテストを終えたくらいから、ずっとこのままでもどうしようもないというのは体がわかってきた。ようやく、現実に脳みそが追いついて気がする。もう一度三年生が始まり、就職活動も始まる。何一つ悪いことはしていないのだが、人生を再スタートさせなきゃ行けない。今まで失ってきた分、これからはいい人生を歩みたい。
https://anond.hatelabo.jp/20100217113611
https://anond.hatelabo.jp/20100218173903
2016年の1月、ジョナサンで慶應の受験勉強をサボりながら上のはてなの匿名ブログを読んでたのが、いつのまにか4年前になるとはね。
当時から慶應版がなかったのが気になっていたので、今年の3月に卒業を控えた俺が新入生にアドバイスをしたいと思う。
俺は慶應の文系だ。新入生にはもちろん、これから慶應を受験しようとする奴らのモチベーション維持になればと思って書く。
ちなみに慶應義塾関係者はほぼ100%、「慶応」ではなく「慶應」の文字を使い、在学生のことは塾生といい、学生部のことを学事という。
入学する前、广(まだれ)の中にKOを入れる書き方(广K广O)をするのが普通とか聞いたが嘘だ。一回も見たことない。慶應の「應」の字難しいけど、早く覚えような。
一人暮らししてる奴は、体感30%ぐらい。文系のキャンパスは1・2年が神奈川県の日吉キャンパス、3・4年が東京の三田キャンパスに通うことになる。文学部だけは2年で三田キャンパスに鞍替えになる。
1・2年次はやっぱり東急東横線沿線に住む人が多いかな。日吉・元住吉・武蔵小杉・武蔵小山とか。キャンパスが変わっても日吉〜三田間は直通でいけるから、4年間ずっと引っ越さないって奴もいる。武蔵小山がちょうど三田・日吉の中間にあるし、商店街もあって住みやすさで言えば一番いいかな。ただ、大学仲間と遊ぶのは5回中10回は渋谷なので、それを頭に入れとくといいかも。(新宿なんかで飲み会開いたら、多分だれも集合できない)
変わり種で、寮とか矢上・新川崎(矢上キャンパス側)の方に住んでるやつもいるにはいる。ただ駅から結構遠いこともあって、飲み会の参加率は下がりがち。終電で帰ってもタクシー使わないと帰れなくなったりしている。寮は、下田学生寮が留学生多い。綱島国際学生寮は新しいのもあってめっちゃ綺麗。安ければあり。
親が金持ちなのか、3回とか4回とか引っ越ししてる奴とか白金高輪に住んでる資産家の息子とかいたけど、普通に礼金・仲介手数料勿体無いので、せめて立地はしっかり考えたほうがいい。
「大学は人生の夏休みです。」入学オリエンテーションで、学年担当の教授が放った衝撃の一言だ。もちろん俺を含めた新入生はざわついた。が、断言しよう。大学生活は、小中高時代夢にまでみた「8月32日」の連続であったと。
95%の慶應生にとって、「講義でノートを取るためにペンを持っている時間」よりも、「スタバのバイトで容器に落書きするためにペンを持ってる時間」・「トイレチェック表に記入するためにペンを持ってる時間」・「ビールジョッキの取っ手を持ってる時間」・「ラーメン二郎で食券を持って行列に並んでいる時間」の方が残念ながら長い。
学部ごとにアドバイスは異なるが、とにかく「来日」だけは避けろ。所属キャンパスが三田でありながら、「日吉に来る」ことを茶化して「来日」という。来日になると三田で前後のコマの授業が取れなくなるとか、非常に面倒だ。語学・必修は早めに片つけるべし。留学とか考えてる奴は、必死でGPA(評定)をとった方がいい。
慶應は春学期に1年分の授業を登録する。だから、学期初めの授業選びはめちゃくちゃ大事。授業の評判を知るために、塾生総合研究所っていうところが出してるReshruit(リシュルート)っていうのが多分日吉の駅の本屋とかで買えると思うけど、ぶっちゃけ楽天の「みんなのキャンパス(https://campus.nikki.ne.jp/)」の方が情報量・正確度は高い。かなりお世話になった。ただ、リシュルートには大学語録とか乗ってて面白かった覚えがある。1年時は買うのはアリかも。
活字ベースではどうしても情報に限界があるから、後述する新歓期でのサークル勧誘時に同じ学部の先輩を見つけて履修相談に乗ってもらうっていう方法が一番ベスト。サークルによっては履修相談を客寄せパンダにしてるところもあるから、サークル自体に興味がなくても相談しに行くことをオススメする。
こういう言い方はあんまり好きではないけど、塾内団体種別を”イケてる”順で表すと、「體育會(体育会のこと)>>ダンサー>オーラン(インカレ)>テニサー>三田実(文化祭実行委員会)>国際交流系>その他」みたいな感じがなんとなーく蔓延ってる。
4年間スポーツしたい人は是非、体育会へ。野球とか強いし、環境は整ってると思う。実は体育会にも種類があって、体育会・準体育会(通称ジュンタイ)・理工学部体育会(通称リコタイ)、スポーツ・体育会の種類によってはそこまで練習がきつくないところもあるって噂。体育会は無条件にモテる。就活もめちゃくちゃ強い。
昔は花形だったテニサーは、近年の飲酒事故とかで人気が下火になってる。「らりるれろ」が頭文字につくテニサーに所属してると飲み会番長間違いなし。テニサーのサークル入会方法だけ特殊で、基本的には新歓期しか入会できないから注意が必要。
テニサーに代わって台等してきたのがダンサー。可愛い子とかだいたいここにいる。大体男の方が少ないサークルが多いから、モテたい男性諸君は今のうちから踊っとこう。
三田実・国際交流系の団体にはわりと真面目な人が多いイメージ。試験期間にはこういう真面目な友達が、神みたいに思える。
いろいろ言ったが、サークルは最低3つ以上は入った方がいい。途中でフェードアウトするのはベネッセ模試ぐらい簡単だが、途中で入るのは慶大オープンぐらい難しい。ぶっちゃけ所属してみないと本当の雰囲気はわからないので、たくさん入って自分にあったところだけ残って所属すればよし!俺もなんとなく籍だけいれてたところが最終的な居場所になってた。
1年で日吉に入学すると、イチョウ伝説を聞くと思う。「キャンパス内の日吉記念館までの道に植えられているイチョウが散るまでに彼氏/彼女ができないと、大学時代に付き合えない」とかいうよくある奴だ。イチョウ伝説が1年時のことを指してるのか2年時まで猶予があるのかとか、どうでもいい論争があるが、この伝説はマジだ。欲しけりゃ早く動け。ほんと、慶應で4年間彼女いないって本当に、まずい、まずいって。あぁ・・・。
日吉時代はカフェ、家庭教師・塾講師とかが多いかな。なぜか教える系のバイトはだいたいみんな2年でやめる。たまに意識高く有給インターンとかしてる奴とかいるが、焦らなくて大丈夫だ。どうせコーヒー運びしかしてない。
好き勝手業種を変えられるのも今のうちだ、社会勉強だと割り切っていろんなことを経験してみるといい。大学の名前に恥じないようにブッチ(無断欠席)だけはしないようにな。せめて連絡ぐらいいれろ。
やってみたいこと、やりたいこと、学びたいことがたくさんあるのはいいことだ。全部やってみる時間があるのが、大学生活の良さだと思う。
特にウチの大学は、単位に関して楽をしようと思えば本当に簡単に卒業ができてしまう。大学・資格勉強・サークル活動・学生団体・留学・ボランティア・バイト、試行錯誤しながら自分なりの時間の使い方を見つけられるといいな。最後に某W大学みたいに一流から三流まで表して終わりたいと思う。多様一流、起業二流、卒業三流。
発達障害なので、気の進まない課題や作業が3つ以上重なり締め切りが近づくと「ハイハイ終わり!!!!!!無理!!!!!!!!!!!」となり直視しなければ存在しないとばかりにスマホをいじり続け、生活を破壊したりする(それでもあるのは分かっているので精神はゆるやかに削れて行く。でも始められない)。
しかし私は留年のできない私大生。単位を取らないと大卒資格が危うい。今回のレポートはもうズルでもしないと間に合わない。先生はゆるい人でかつこの授業は一般教養科目なのでゆるゆるの極みであり、レポートといっても1000字にも満たないものでお遊びみたいなものだと言っていた。だからバレはしないだろう。バレはしないだろうがこうやって私はまた私に失望するのだ。
春学期も折り返しに来て単位が取れるのか不安な科目もちらほら出始め余計に精神に悪い。1ヶ月以上先にならないと結果がわからないことで悩み目先のことに取り組めないのも発達障害ゆえなのだろうな。はぁ~あ発達障害ライフハック本買って帰るか……。
・学科に友人がいない。朝家を出て誰とも一言も喋らずに家に帰ることもよくある。昼休みや空きコマなど、一人で過ごすのが辛くて帰りたくなる。春学期はひとりでも授業に足を運んでいたけれど、孤立しているのが辛くなってきて秋学期は授業をさぼりがちになってしまった。
・勉強の仕方がわからない。法学の勉強の仕方がいまだにわからない。授業サボりまくっていた自分が言うのもなんだけど難しすぎる。これって暗記すればいいの?なんなの?
・リアクションペーパー、レポート等が全然書けない。用紙やwordを前にすると頭真っ白。15分で周りは用紙を8割方埋めるのに自分は一行しか書けないし、それ以上ペンが進まない。まともにレポートさえ書けない状態で、この先やっていけると思えない。
・そもそも学部選びを適当にし過ぎたことに今さら後悔している。高校生の時、学びたいことが見つからず、偏差値高い大学の看板学科なら潰しがきくと考え適当に入ったが(ADHDグレーゾーンの衝動的な選択)、法学に興味を持てないのでイマイチモチベーションが上がらない。
・先延ばし癖がひどく、高校時代の予備校のような環境がないため、自主的に勉強に取り掛かることが難しい。
書いていると言い訳ばっかりだけど、自分にとってはなかなか切実で、今年落とした単位をこれから取り戻すためには一つ一つ直していかなきゃいけないんだけど、どうしたらいいのか全然わからない
匿名ですが、別にマイナスな話ではない。むしろプラスな話だし、私はS.E.MPさんに少しでも感謝を伝えたいのでもし何らかの形でこの記事を見つけたSideMのPさんは積極的にシェアしてくれると嬉しい。
もちろん感じるものがなかったらそれは私の文章力がなかっただけなのでふーんくらいでいいです。
なぜ匿名なのかは読めばわかると思いますが、私がツイッターのフォロワーさんに知られたくないことを書いているからです
さて、タイトルに戻る
私はタイトルの通りSEMに救われた、高校生のときに。今は大学一年生です
どんなふうに救われたのかというと、当然精神面なんですが
私は高校二年生でうつ病と診断されました、多分一年生の頃からその気はあったけど病院に行っていなかったので
で、うつ拗らせた原因が受験の失敗を引きずって自己否定がすごかったからなんですよね
一年生の最初の頃は無理やり頑張っていたけど空元気は長く続かないからどんどんダメになっていってとにかくつらかった
なにをしても自分は絶対ダメっていうビジョンが頭から離れなくて、怖くて何をすればいいかわからない、周りの目が怖い、結果何かをする気力がどんどんなくなっていく
そしてふとした瞬間にそんな自分への自己嫌悪が募って負のスパイラルです、もうどうしようもない
まわりの大人は弱いお前が悪いとか、理解したつもりで接してくるけど何もわかってなかったりとか
次第に授業休みまくるようになって単位ぎりぎりサーフィンしてた
といっても一応登録はしてあった
友人に勧められて当時出ていたCDを全部借りた、確か彩とFRAMEまであった
そしてその中にSEMがいた
初めて曲を聴いたとき衝撃だった
この人たちが歌っていることは間違いなく「教え」だった
私を否定せず手を引いてくれた
なんてすごい人たちだろう
特にね、∞ Possibilitiesの
「なんにもさぁ、わかんないって
諦めるReasonじゃなく
何処へでも行けるってことだろう、歩き出せ」
さっきも書いたけど、私この当時は本当にどうすればいいのかわからなかった
そのせいでいろいろ諦めていた
けど、彼らは私が再三繰り返し、そのたび「わからないじゃないでしょう!」と怒られた「わかんない」というワードをプラスだと教えてくれた
わかんない、に対して怒られすぎていた私はとにかく焦っていたらしく、この歌詞を見て聴いた瞬間ボロボロ涙があふれた
なんの涙だったのかはわからない、安堵なのか、喜びなのか
とにかく私の心がすっと前を向けるようになったのは間違いなくこの頃
そして病状はどんどん良くなり、学校にはちゃんと行くようになったし、やりたいこと見つけて大学の第一志望も決めて、AOで受かった
あのときSEMに会っていなかったら果たして私はここまで元気になれていたのだろうか
今は大学でやりたいことやって楽しく生活しています、春学期はフル単で終わりました
セカライは一日目が現地で二日目はライビュでしたが、ライブではとにかく楽しませてくれるSEMってアイドルの鑑だよなぁと思います
生徒を導く、という目標も、少なくとも私に対してはものすごく達成されていると思うし未だに導かれている
素晴らしいアイドルですよね
SEMに対してはどうしてもファンの気持ちが強いので担当Pにはなれませんが、一人のファンとしてSEMと、担当Pさんにお礼を言いたい
あと貸してくれた友人もありがとう
追記
皆さんありがとうございます。お陰様で、2人の方とメールをすることが出来ました。
id:houyhnhmさん、自分はあまり多数で話すことが得意ではありませんが、お時間の合う時がございましたらいつでも参加させていただきたいです。
読んでくださる方も多くて、嬉しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20161017031727
ふと今日思い出して、あの記事消そうとしたのですが、意外にコメントやトラックバックが多くてびっくりしました。
反応遅くなってすみません。この記事を見ている人は少なくなっていると思いますが、自分は食い詰めることもなく、ちゃんと生活できていること、またコメント等が励みになったこと、その感謝について伝われば幸いです。
あの記事は、当時不安が募り、耐えきれなくなったので吐露したものであり、この生活でも良いことはあると今は思っています。
コメント等を読んだ時、凄いドキドキしました。励ましの声も、社会に出た時こういう人たちが周りにいるかもしれないと希望が持てるようになりましたし、何より実体験や少しでも現状を和らげれるお話なども聞けて良かったです。その節はありがとうございました。
大学は、単位を落とすことなく奨学金を打ち切られることもなく、少々問題は起こりましたが、通うことは出来ています。これからは、一般教養だけではなく、より専門的なことを学べるのでワクワクしています。
国立なら学費免除制度があって、家が生活保護レベルなら全額免除になるし、格安の寮がある場合もあるから、苦学ってほどでもなくなる。 国立ならだけど
自分は普通科ではなかったので、国公立に挑めるほどの学力がなく、また3月まで結果を待てる心を持っていませんでした。
なので、大阪の情報を学べる私立の大学に入学しました。学生寮の申込みをしましたが、遠方から来る学生に向けたものだったのか、抽選に落ちました。
これは変な話なのですが、「生活保護だ」という話をあまり外でしたくないので、打ち明けられていません。ただ、親の収入が0で自活しているという話は通っています。
生活保護への風当たりは強くて、久々に会った幼馴染に生活保護の批判をされたときもちょっと複雑な気持ちになりました。
http://anond.hatelabo.jp/20161017101740
ありがとうございます。自分は現在その学生支援機構の奨学金、無利子有利子ともに受けています。機関保証ですが、借金になってしまうため、最低限学費だけに抑えています。
幸いなことに、1件だけ給付型の奨学金を受けさせていただいています。10月の不安が、この給付型奨学金の継続条件であり、「優の数が、良+可より多いこと」でした。なんとか今年は継続条件をクリアすることが出来、更に給付額も3万円から4万円にあがりました。
自分の将来したいことへのド直球なアドバイスありがとうございます。努力すべき道がこんなにも明確になると、目的意識が湧き励みになります。
こちらの学生部の対応もあまり良いとは言えないです。(その中でもいい人に出会うことは出来ましたが…)
一応高校の頃にWebサイトの制作や、画像加工が趣味でやっていました。高校のパソコンのセキュリティが甘く、割と自由になんでも出来たのが幸いでした。
Adobe製品では、Photoshopとほんの少しだけIllustratorが使えます。
http://hibiki317.hotcom-web.com/wordpress/
現在パソコン部に所属しているので、これからは言語を授業で学びつつ開発をやってみたいです。(サイトも写真やロゴ以外は大抵借り物なので、中身も作りたいです)
休学は奨学金打ち切りや、就職に影響が出ると思いやっていません。
親戚漁ったら1人ぐらい大学の資金援助してくれる従兄なり叔父なりいたりすんじゃないかな。無担保無利子借金でもいいや。ちょっと独力でなんとかしようとしすぎなんでないの
親父に頼ってみるのも手
生活保護の基準として、(自分の地域だけかもしれませんが)金銭的に頼れる人がいたらダメなところがあり、祖父母を始め、父親とも交流を絶つ状態です。母には兄弟はいません。
仮に祖父母や、父親と交流があっても、祖父母は自分達の生活でいっぱいで、泊まらせてくれることはあっても、資金の援助は厳しいです。
父親に至っては、借金の大もとであり、この前死んでるか実名でググったら殺人未遂の被害者になっていました。(再婚しており、17歳下の腹違いの弟もいました)。多分、未だに怪しい商売で借金を重ねているのだと思います。
大学へ行った理由が、「高卒では、就職の幅が狭い」ということで、自分がしたいと思っていたIT系から離れないといけないこと(単純に能力がなかったり、精神的に携われなくなる)を考えた末の結果でした。
アルバイトは時給の良いスーパー等です。しかし、コメントで言われるように、自分がその働いている時間をもっと有効に使えるのではないかとずっと思っています。IT系のバイトを探しているのですが、大阪では、実務経験を問うバイトが多く、まだ手に職をつけていません…
「家賃光熱費食費で7万」というのは家賃が高すぎるから。家賃は3万円以下にしろ。こういう学生って、たいてい都心に住んでいるんだよね。ぜいたくすぎ。家賃を下げよ。 http://suumo.jp/chintai/tokyo/sc_itabashi/
家賃は2万弱です。ただ、日当たりが悪く、重ね着しても尚寒い季節だったので、ガス代電気代が嵩んでました。これからの季節はマシになると思います。通信費が一番の問題ですが…
何のバイトなんだろ。「10万も」っていってるけど。大学生の頃、カテキョとか塾講で毎月手取り10~15万ぐらいだったけど。奨学金と合わせたら就職した方が自由になるお金が少なくてショック。(福利厚生
お恥ずかしい話なのですが、自分は小学生時代の離婚と転校で病んでいて、中学校は3年生になるまでまともに行っていませんでした。3年生で猛勉強をして、偏差値50の高校に行ったのですが、義務教育の殆どを教えれる自信がなく、塾講ができませんでした。
優秀な弁護士やケースワーカー経由で福祉を頼れ。若者支援団体でも可。 間違っても、ちょっと前に炎上したようなセミナー(マルチとかアフィとか)には行くな、殺されるぞ!
ちなみに僕は、春学期に仲良くなった子にマルチを勧められたことがあります。
そのせいで、その授業を一人で受けていたので、経済政策の授業だったのですが、身の入り方がまるで違い、めちゃくちゃ楽しかったです。
福祉、とは言えるのかわかりませんが、市から補助金が月に1000円ほど出る手紙が来たので、直接市役所で聞きながら受けてみたいと思っています。
変な親…。貧乏なだけかもしんないけど。
母はうつ病なので、他人には理解できない考えもあるかも知れません。本気で辛いこと言われたり、何度も喧嘩もしました。
離婚した当初、他の人との再婚の話も出たそうなのですが、親に捨てられると思っていたので、全力で拒否しました。
そのせいで、現在までも貧困の問題などを抱えたり、親の伴侶を得る機会をなくしたこともあり、今までお世話になった親の面倒もしっかり見れるぐらい金銭的に不自由なくしたいと思うようになりました。
当然、自分の子供にはこういった思いをさせたくなく、より良い幸せを探したり、色んなことに挑戦させて、失敗を恐れない人になってもらいたいです。
実際に今も癒えない傷は心だけではないですが、それでも親について考えるのは、いざとなった時話を聞いてもらったり、今でもたまにご飯も一緒に食べたりもしますし、同居していたときより仲良くしていています。
話をしている時、母も姉も生活保護ではなく自立したいという話があり、再就職に不安なことなどを聞きました。
母は、障害者2級、姉は3級です。将来の話を聞いていたら、一番多く親子喧嘩になっていた自分に「うつ病を長引かせている原因は自分ではないか」と思う節があり、そういう意味で自責の念があります。(姉に関しても、自分と親のそういう面で、親に何も言えなかったんじゃないかと思います)
大学に行かせてもらったのも、入学金が借りられないため親のお金でしたし、恩があります。
変な家庭かもしれないですが、喧嘩していないときはどこの家族より仲がいいと思います。
この家族のためにしたいことはたくさんあります。それに自分がしたいこともたくさんあります。不登校の頃、NHKの白熱教室を見ていて、大学の授業を受けたかったし、就職の不安を拭いたかったこと、些細ではありますが、学生らしい生活を送りたかっったこと、色んな気持ちで大学進学を志しました。
自分勝手で未熟なところもあり、この生活に愚痴をこぼすこともありますが、この匿名ブログだけに抑えているので許してください。
資格の話ですが、これを取れば少しでも世界が変わるんじゃないかと思っていただけに、「あまり必要ない」「会社に入ってからでも大丈夫」という声が多かったのが、驚きでした。
ご飯をご馳走してくれる というコメントもあったのが、嬉しかったです。申し訳ないのですが、自分は大阪市民なので、東京に行くのは18切符のある時か、就活の始まるころだと思います。
厚かましいですが、その時ご馳走していただけたら幸いですww
また、年上の方の話を聞くのが好きなので、仕事の大変さや面白さ、家庭を持ったときの気持ちや学生時代のお話なども聞きたいです。
重ねて不躾なお願いをいたして申し訳ないのですが、こちらのメールで連絡を待っています。
hibik@me.com
常春学園
https://www.youtube.com/watch?v=8fwXsRaGLjo
と
https://www.youtube.com/watch?v=QbhwgsZh0BQ
が似すぎてて、ハードオフにいる気分になる
春休みも終わりに近づいてきたため応用理工で過ごした一年間雑感を。 文体が統一されていないと思いますがその辺は勘弁を。
評価といいますか率直な意見・感想ですので在籍している一学生が書いているであるという前提で読んでいただきたいです。
(なお私自身、第一志望で入学したわけではないため不快に感じる表現があるかもしれませんがご了承ください。)
まずはどうして筑波にいるのか ということですが、センターでおそらくマークミスであろう大事故を起こし、志望校受験すらできなかったためです。
それでも第2、第3志望校はどうにかなりそうな感触を持っていたのでそちらに出願予定でした。
しかしながら、家庭の事情により関東圏以外の大学への進学が厳しくなってしまい、安全圏かつ関東圏であった筑波大学の応用理工学類に出願することになったため現在に至ります。
(私学は金銭面の問題で候補にありませんでした。)
志望校ではないとはいえ、周囲の人たちはほめてくれましたし、良いところだと言っていましたので、色々ありましたが私自身コンプレックスなどを抱くことなく入学しました。
ここで話が若干前後しますが、入学前に応用理工学類に対して持っていたイメージと志望理由を書いておきます。
まず志望理由
私の中でのイメージとして 大学院は当然行くもの というのがあったため、興味のある分野の研究ができるかどうか という点で選び、研究室、院ともに合致するものがあったから。
私にとってはこれが最も重要でした。 ついでアカデミックな環境が整っていたから というのも理由です。
ではイメージを。
①幅広い分野を学び身につけられる
③ある程度名の通る大学なので、学生の質を含めてばらつきが少ない
④真面目な人が多い
⑤応用理工自体筑波大学のなかでも、厳しい学類なので、それを分かったうえでも入学してくる学生はしっかりと目標を持っているだろう
⑥ずば抜けた人たちと出会う機会は少ないのではないか
⑦学類が閉鎖的なのではないか
⑨応用理工は縦、横ともにつながりが薄いと聞くがどうなのだろう
⑩居住環境は悪くないだろうか(イバヤンというものがいると聞いていたので。
4月に応用理工学概論という授業内で、 応用理工(130人弱)のうち2割は留年する 上位5人くらいはどこでもやっていけるような人 毎年同じだから今年もたぶんそうなる
という話があり、やはり若干厳しめな学類なんだなと実感しました。 一方で優秀な方も毎年確実にいるということだったので、少しでも近づけるように励もうとも思いました。
しかし間もなくして、非常に驚くとともに、私にとっては落胆せざるをえないことが判明しました。
それは、 入学してきた半分以上の生徒が、目標がないどころか、何を学ぶ学類かすら理解せずに入学していたということです。
どんな研究をするのか という段階ではなく、そもそもどんな基礎学習をするのか という段階から理解していないのです。
応用理工学類ですから、当然理工系の学類なので、数学 物理中心に基礎を積み上げていくことはカリキュラムを見るまでもなく想像できると思います。
(パンフレットやHPにもカリキュラムや基本理念、研究について割と丁寧に書いてあります)
それにも関わらず、 「化学ができると思ったのに、ほとんどできなくてがっかりしました。」 とか「物理はもうやらなくて済むと思ったに、なんでまだあるんだ」といった
ことを言う人までありさまでした。(これはもっともひどい例ですが)
そこまでいかなくても、やりたいことが明らかに情報科学や工学システムや生物資源が扱う分野の人もかなりいて(しかも筑波第一志望の人も多々いるのです)正直これには信じられない思いでした。
次に授業のほうへ。
留年率が2割と聞いて、さぞ難しいものなのだろうと思ってのぞんだのですが、この一言に尽きる授業でした。 遅い&浅い
よく言えば工学部的なのかもしれませんが、使えればいい そんな授業でした。 小テストも教科書ベース 自学用の問題集やっておけばなお万全 といったところ。
解析のテストに至っては教科書の例題がそのまま並ぶ有様。 数値改変もなし
それでも単位ヤバイ という人もいましたし、途中から必修の授業に来なくなる人すらいました。
不思議なものですね 全然わからないと言いながら授業中にゲームやらスマホやらをずっといじって全く授業を聞かない。 改善する気がないのでしょうか。
私も確かに授業中に、別のことをしていることも多々ありましたが、わからなそうな部分はメモしましたし、それでテストも問題ありませんでした。
結局春の力学Aという講義では3割ほどの人が単位を落としたそうです。 落とした人は皆先生が悪いといっていたので他のクラスの講義に一度お邪魔しましたが、いうほどひどくない。
少なくとも先生が原因で単位が取れないほどでは絶対にない。 ただ逃げているだけにしか聞こえませんでした。
他の授業もおおむね同様で、終始スマホをいじる人がものすごく多かったように思います。 ツイッターがメインだったのではないでしょうか。
テスト前と後には、お互いに傷のなめあい状態 個人的にはツイッターはあまりお勧めしませんね。 互いに足を引っ張り合っている人が大量にいますから。 そうでない人も当然いるというのもまた事実だとは思いますが。
基本的にはテスト自体難しくなかったので、対策は容易でした。 私にとってはむしろ情報系の講義が鬼門でした(こちらに関しては本当にからっきしでやれどもやれども身につかず)
結局必修よりもそれ以外で足を引っ張られた形になり、GPAはあまり芳しくありませんでした。(一応必修のおかげで最低限は確保できましたが)
それでも先輩方の話を聞く限り、幅広い知識を身につけられることや研究関連の設備が整っていることは事実のようです。
学ぶ気になればどんどん学んでいける そういうシステムは出来ていると思います。(たしか3年生以下で研究ができるプログラムもあったはずです。)
(がこのシステムが満足に活用されていないのではないかと感じざるを得ません。)
ところで話は変わりますが、
学類の縦、横のつながりはあります。 ただしできるものではなく作るものだと思います。
そういう雰囲気の学類です。 あとは横のつながりは、絡む人によってかなり生活に影響しているように思えたので注意してください。 目標と違う方向に引っ張られる可能性もあるということです。
乗り慣れていないのか、あまり上手ではないうえに、傘さし運転 スマホしながら 並列 などなど当たり前にしています。 私自身笠さし運転の自転車が急によろけてきて危うく傘の骨が目に入るところでした。 かなり危ないです。
駐輪マナーは、場所の関係もあって少しは大目に見てもいいかな という感じです。 いいわけではないです。
居住環境ですが、私の住んでいる場所に関しては割といいです。 特に騒音もなく、盗難などの事件も起きていないようでした。
まとめさせていただくと、
私の中の想像とはかなりずれたものが実態だった(私的には良いと感じない方向に)
プラスイメージの③~⑤のずれはひどい。特に⑤に関しては信じられないほど違っていた。
一方①と②については事実であるといっていいと思う。(加えて体育 芸術系も学べるのはかなり珍しいのではないか)
マイナスイメージの⑥は本人次第だと思う。 自ら探していけば必ず出会える。
⑧は事実 かなりひどい。
⑨も本人次第だろう。 私はそれほど薄いとは感じなかった。
⑩は取り越し苦労。 居住環境はむしろいいほうだと思う。 東京まで50分あれば出れるし、大学周辺だけでも大体のものはそろう。自然も多い。
といったところである。
このような記事を書くと、確実に お前もそこにいるのに何言ってんだ という声が届くだろう。
6月が終わる。
今まで文武両道でそれなりに努力して成績を残してきた。全国1位になった特技もある。
性格は少し人見知りするけど、明るくて元気だと思う。
沢山の企業がイベントのブースやオファーメールで声をかけてくる。「うちに来ませんか?」
で、実際にエントリーシートやら面接やらし始めるとあっさりお祈り。
エントリーシートはそれなりに通るけど
面接が苦手。上手く話せない。
ああ、やっぱり落とされた。ってメールを見て呟く。
受ける。落とされる。受ける。落とされる。
それを2月からずっと続けてきた。
「○○は早く決まると思ってた」
「気晴らしに飲みに行こうよ」
そんな言葉をまわりは投げてくる。
相手は優しさだろうに、ドッジボールのように
強く投げられてる気がして、痛い。
説明会をさぼってしまった日もある。
外に出るのがいやになる。
なにもしたくない。
部屋が散らかっていく。
環境が、乱れていく。
たまに帰省をして、両親と話をする。
おいしいご飯を用意してくれる。
そんな、今まで大事に育ててくれた両親が
心配している姿を見るのが辛い。
優しい言葉をかけてくれるのも辛い。
「どうして決まらないんだろうね」
お父さん、お母さんごめんなさい。。。
最近の自分の生活を見直して改善する必要があると思ったので、近況やら身の上やら思ったことやらをダラダラ書こうかと思う。
自分はFランの経済学部の学生で月曜に3コマ、火曜金曜に4コマの授業を受けて、後の残りはほぼ引きこもってる。
春学期は高校でやっていた武道系の部活に所属していたけれど、実力のなさと面倒さに耐えかねて、蒸発まがいの事をしでかし、今では幽霊だ。
最近Ⅱ部リーグからⅢ部リーグに落ちたらしい、どうしょもねえ。
何で引きこもってるのか、まぁ引きこもってるの楽だからだけどさ。
いや、今までこうも人を隔絶してる経験は無かった、何もしなくても誰かしらが自分の周りに居てそれなりに楽しかったり、うっとおしかったり。
それがまぁ、大学じゃあ自分から望まないと何にもならない。誰が言ったんだか、まさにその通りだった。
元々、チキンで心配性の自分には何もない空虚な日々がどうにも心地いい。
でもなんだ、これじゃあ多分ダメなんだと思う。週に4日も家に居ると親の目が痛いし。
そういや、まだ生まれてこの方彼女居ないんだよね。
なんか、接し方分かんなくて。振り返ってみるとあれ、チャンスだったんじゃね?と思う出来事がちらほらあったりしたのを全部ものにできなかった自分は何なのか、チキンなのが恋愛方面だと酷かった。あと生まれつき人の顔の美醜でその人を判断する癖が抜けないのも非常にまずいと
でも自分の名誉のために言っておくと、告白されたこと何回かあるし、頑張ればどうにかなるんじゃないかと自分を騙し騙し気を保ってる。
で、そうだな。
ヒキの自分でも高校時代の繋がりでたまに大学生っぽいこと(飲み会とか、オールとか)に参加したりする。
その後でちょっとやっぱりこのまんまじゃまずいのかなんて思ったりする。
つい一昨日がそれだった訳で。高校時代の可愛い同級生との交流があったりしちゃったりすると「彼女なんてイラネー(今まで居たことないけど)」なんて言ってられなくなるんだよね。もうすごい彼女欲しいし、イチャイチャしたいし、もうじき苦離巣魔巣だし、早く卒業したいし。
まぁ色恋はここまでにしといて、次はあれだ。
孤独で情緒不安定な時期が最近まで続いていたけれど、今は不安とか悩みはなく落ち着いている、何もやってないから。
何もやってないといえば、バイトをしてない。
普通ならバイトしなくちゃお金が足りないらしい。確かに自分も遊びにあんまり行かなかったり、未だもらってる月のお小遣いが昼食代込みで2万ももらってたり、実家暮らしだったり、ゲームを廉価版しか買わなかったりしても貯金を少し切り崩した生活をしてる。最近は化物語のBDを買おうとして諦めた。
良かったもののすっかりタイミングを見逃してしまった気がバイトも大学生になったと同時か、夏休みぐらいに始めておけばする。いや別にその気があればバイトにタイミングも何も無いとは思うけど。
今の生活に変化が起きる事が怖いな。
なんか自分でも書いてて情けなくなるな、でもただ頭で考えてるだけだと勝手に都合のいい解釈でバイトはし無くてもいいって結論になるから敢えて書いた。
あとなんだろ、進路?
Fランが前の就職氷河期より酷くなりそうな今日この頃をどう乗り切るか、まぁ実家を継ぐという切り札があるからそんなに心配してないんだ、うん。
でも、どうせ実家継ぐんだったら、大学行く意味が新卒というカードを得ることから。ただモラトリアムに沈みっぱなしという事になりかねない。
結局なんだ時間かけた割りに、彼女が欲しい、バイトをしろ、位しか考えられなかった。
単細胞生物か?俺は。
なんだか、しっちゃかめっちゃかな文だけどチラ裏だから気にしない。
Fラン大学に転落して、あんまり学校に馴染めてない大学1年生なんだけど、昨日飲み会があった。同窓会ってやつ。
3年次のクラスで、俺は文系だったから男女比30対7みたいなクラスで、来たのは男5人に女7人みたいな感じで、ちょっと大学生っぽい事とは縁遠かった自分はちょっと、楽しみにしていたわけで
そう、それでなんか飲み放題のコースだったんだけど、いかんせん、俺はアルコールに弱いっぽい、大学の春学期だけ弓道部に所属していたのだけれど、そのときの新入生歓迎コンパで、吐きはしなかったものの普通のコップ3杯のビールで苦しかったのを覚えている。
そして、会は始まり、自分のテーブルは男3女1(一番乗りが良くて可愛い幹事)だったんだけれど、始めからテンション高くてペースが速い、そんな中で俺はちびちびやっていて、俺はビールコップ1杯、梅酒のロック、巨峰サワーをジョッキ?1.5杯を飲んだぐらいでお開きになって女性陣と別れた後、吐いた。
店を出るまでに他に男が二人吐いていたが、俺の2~3倍は飲んでた二人で、それを比較対象になっていたためか、もともと自分の限界を知らなかった俺はちびちび飲んでいたのに一度だけ、その場のノリって奴で巨峰サワー半分いったのが悪かったのか。
とりあえず女の子の前で吐かなかったのがせめてもの救いだったけれど、あんな急にくるとは思ってなかったなぁ。
次がまた来月にあるらしいので、次はウコンの力を飲みつつセーブして楽しみたい。
と思ってたら、そういえば昨日は、なんか全身が痒かった。
明らかにアレルギーっぽい反応だったので調べたら、アルコールアレルギーなるものが存在しているらしい。たぶんそれだ。
酒は苦手なんだけどその場の雰囲気は好きだったから、まぁコップ2杯ぐらいにしておきます。
追記
マジかよ((((;゚Д゚)))
たぶん後者の可能性高そうです。
これは未然にアルコール中毒が防がれたかもしれません、ありがとうございました、本当に。
あと30分で講義がある、だから30分暇なんだ。
今、経営学科で偏差値46?ぐらいのE?F?ランの大学生をやっているんだけど、昔はもうちょっとマシな偏差値の学校、いや、まぁ、どうせチラ裏だしほんとの事言うと偏差値でいったら57くらいのちょっとマシな公立行ってた、もうちょっと昔で言えば中学じゃTOP10くらいにはいて優越感に浸ってたし、小学生に戻れば学年一番で頭がよくて人受けも人生の中で一番良かったな、スクールカースト的にはまぁ全体的に地味目でも普通な感じだった。
あぁ、なんかもう最近となっては慣れたんだか、昔のことを忘れたんだか、わからないけど今と昔の比較なんてあまりしなくなってきた、しても何の意味もなさないのは理解してるつもりだし、でも今日までの遍歴を他人と比べたり考えたり、何の進歩、何の利も生み出さないことを知りながらも繰り返して悶え、鬱になり、躁なり、なんだか最近鏡を見てると鏡の中の自分が自分と感じられない有様だ
後20分か、あーあとこの文章は練ってない、ただの走り書き、読み返したりしてないから・・・嘘です、ちょっと気になって読み返しました。
で、なんだったかな、そうそう高校で弓道部だったんだ、これが以外と県内有数の施設でさぁ、結構強かったんだよ?
あんまり真面目にやってなかったんだけどさ、レギュラーにはギリギリ入ってた、インターハイは進出直前で前年覇者に当たって死んだ、シードにしとけよ前年優勝者くらい。
で、今通ってるFラン大学にも弓道部があってさ、これはもう鳴り物入りって感じで入れば、優遇されるんじゃないかって考えと、少し弓が引きたくなってしまったのが相まって入ってしまった。まぁ、雑用があるとか先輩におびえるとか雑用で休日で潰れるとか、は当たり前だよな一年だし、やってきたことだし。
ただ、弱かった。高校の後輩と今の先輩をぶつけたらきっと惨敗では済まない倍の点数差をつけられるんじゃねえかと思ってしまうくらい、それと自分の実力も一年生に戻ったが如くボロボロだった事とか、良くある先輩への不満なんかで、色々募っていった。
そんなこんなで何とか春学期を終えて、これから夏休みって時だった。
なんだったかな、夏休みも当たり前のように
あーもうだめだ時間が来た、9階から隣の棟の5階とかねぇよ、じゃあ、もし読んでくれた人がいたのなら、また後で
追記
こんなのを読んでくれた物好きな人が居たもので、今度から教室間の移動が億劫になる数だけコメントくれた人のことを思い出すことになりそうです。
さてまた後でとか言いながらもう5日くらい経ったかな。
今日は1コマ空いててあと一時間ちょっと時間があるから、またダラダラ書きますよっと
そうそう夏休みに入るところからだった。
夏休みに入るとほぼ同時に部活の練習が組み込まれていたんだよね、それでさ、練習場所がなんか毛虫が上空から降ってくるという野外練習場で、夏休み前に休日返上して掃除しに行った。まぁーショボイ、暑い、泥だらけ、本当に毛虫が降ってきた。
またこういうところで過去を持ってきてしまうところからして未練タラタラな自分は、あー高校の頃は、大会が自校開催できるくらいの立派な道場で好きなだけ、やりたい放題やっていた頃が懐かしい羨ましい妬ましいとか思いながら、初日の練習を次の日に控えて準備をしていた。ふと次の日の練習時間が何時からだったか知らないことに気づき同期に連絡を取る、俺は始発に乗っても間に合わない時間ということを知り、なんか不満が爆発。
まったく、最近の若者は無気力なくせにすぐキレるから困る、ちなみに松岡修造はキレるって言葉が一番嫌いなんだってよ。
次の日、無断欠席。その次の日無断欠席。その次のつぎの(ry
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめ(ry
とまぁ、入ってくる留守番電話、着信、自宅の呼び鈴にビクビクしながら大学の夏休みは終わった。
この夏休みの事、不満爆発の原因(本題)も事細かに語るのは大変だから、必要に応じて小出しにしますか。
そしてぇ、秋学期の始まり。
あれだ、最初のほうに述べたとおり、そこそこの学校からFランに転落してきたから、未だにこの学校には馴染めていない、金髪のにーちゃんねーちゃん、根暗が沢山だし、タバコも嫌いだ。二人組みを作るのに本格的に苦労はしてないけど友達が居ない(本題)、ほぼぼっちだといっても差し支えない。
で、無駄に長い通学時間は読書して潰してる。最近は海辺のカフカ(上)とネガティブハッピーチェンソーエッヂと化物語(上)、グラスホッパーをほぼ同時に読み終わる。最早、本が友達になってきた。
西尾維新はいいよね、言葉遊びが好きです。でも表紙とか見るとあんまり他人には薦められないっていうか、そもそも自分の気に入ったものは他人に見せたくない、自分の中で自己完結させたいから他人には薦めないという心の引き篭もりっぷりを発揮している自分は寂しい奴のような気がしてなりません。
じゃあ本題に入りますか。
部活のことですけど、無断欠席を続けていてもう部内には居なくなった人になったと同期が教えてくれました。
実質退部。その理由
なんで友達を作れない、作らないのか。その理由
そのー、今の自分が大嫌いなんですよ。
予備校通って、受験勉強してきたつもりになって、自分の生活、楽しみを投げ打った結果Fランにしか受からねぇ。
春休みはそんな無力感で何もできませんでした。今までの自分はなんだったのか、過去の自分との対比から始まり、今後の生活、将来、周りへの影響、今までに無い程の自己嫌悪。いろんな物が急に押し寄せてきたような、そんな気がして動けないままに動き方を忘れた。
そして、そのまま学校は始まり、何となく居場所がなくて、部活に何となく入り。
何となく日常の授業をこなし、ノートのために友人らしきものを作り。
ある日、周りの人が自分と通じる、というか同じような、人であるという考えが思い浮かんだまま離れなくなって、自分と同じ場所に来てしまうような、自堕落な、自分と同じカテゴライズにされてしまう人間は嫌いだと、そんな風に思ってしまった。
その考え方が元で、この学校に属する人とは仲良くできる気がしない、自分を認めることができない、部室に居る先輩も、隣で授業受けている人も、教えてる先生も、誰一人、尊敬できない、認められない、居ないほうがマシだ、と思ってしまう。
いやぁー、我ながら酷い文だ、読み返す気にもならない、ちょうど後10分で次が始まる。
英会話が強制的に組み込まれてるのってどうなのよ、まったく。
追記の追記
一ー
というわけで、化物語で検索してこんなものを読ませてしまって申し訳ない。
その1 じゃなくて そのぉ っていったつもりだったんだ。
ブログもmixiもやってないからコメントが付くといちいち嬉しいね。続きが読みたいなんて言ってくれる人が一人でもいれば死なない限り続けると思います。
で、読み返したけど、読みにくいし、全体的にちょっとアレだし、句読点の場所とか漢字おかしいとことか結構あるよね、直さないけど。
現状ね。もうほんと最近さ頭働かしてないんだ。
最近どころじゃねぇ、もう半年くらい何にも考えてないといっても過言じゃないね、現状をどうにかしようとか、彼女つくろうとか、勉強しようとか、資格取ろうとか、オシャレに気を使おうとか(パーカー、ジーパン、シャツで成り立っているよ)、考える事をしなさ過ぎて、行動もしないし、それが続いてて、疑問を感じなくなって悪化している。そんなスパイラルにはまっているんじゃないかと、思ってる、ただ悪いことだとは、思えなくなってる。
どうしたいのか?と聞かれて今これだけの事が頭に浮かんだ、現実じゃそんなこと聞いてくれる人いないから、現状の打開なんていう事からすら無意識に逃げていたっていう事に気が付かされたよ、逃げていたというか、現状に対しての諦め、拒絶、無関心というのが正しいかもしれないかな。
唐突だけどさ、今週休4日なんだ、羨ましいでしょ?
これがまたいけないのかもしれない、今までの人生でこんなにボケッとしていることはなかった。
大学に行くまでにさ、二時間半も掛かってしまうと、授業を固めたくなっちゃうんだよ。
それにそんな、授業自体は難しくないし、宿題もそんなないし、レポートとかまだ2、3回しか作ったことないし、いいのかよこの学校。
あ、やばい、すごいことに気が付いてた。まだ大学に入ってから、自宅での勉強時間4時間行ってねえ。
ここまでくると少し自分に恐怖を感じちゃう。
追記
悪ふざけが過ぎたよ、ごめんなさい。