昨日の話題にごめんなさいよ。
10年前のユニクロと今のユニクロはだいぶ違うから、だまされたと思って見に行くといいかも。
(買えとは言わないので安心してくれたまへ)
10年前は、一般向け衣服のデザインはある程度ゆとりがあるのが普通だったけど、
(だからぴったりめのブランドものがかっこよかった)
SEなんて無い時代はお抱えのビッグバンドに演奏を総て任せただろうさ。
芸人のコントが終わって踊りながら舞台を降りる〜旬のアイドルが出て来て一曲披露する。
という一連の動作が、同じ演奏者によって賄われていたようだ。
一つ、忘れていた事が有る。
ワタシはジャズ喫茶やバーなんかに入り浸った事は有るが、
「曲のリクエスト」はした事が無かった。
次に行った時はコッソリ、『オレンジ色は彼女の色』でも頼もう。
誰の奴を流してくれるのか...。
あるいは誰かがその場で演奏してくれるのだろうか?
〜T/H
それが何の関係があるのでしょう。
私が学生だろうが勤め人だろうが(当事者のスパコン関係者だろうが)
書いたこと以外のことは関係ないと思うのですが。
納得の行く回答をしていただけるのなら答えますけど。
今日という日はもう二度と来ないということに
毎日
やればできる は =できない
その物事はやればできるとしても
時間に間に合わせる
ということが できない
時間に間に合わせる
ということは できない
やればできる イコールできなかった
で 気づいた
今日という日は二度とこない
毎日どんな風に暮らしている?
今19歳
今19歳
だから、もう18歳にはなれない。
今19歳。
あとは、20歳とか21歳とかが待ってる。
19歳より若がえることはなくて、後は年をふやしていくだけ
だから今が一番若い
これから自分が行動できる時の中で、今が一番若い
これからくるどんなときよりも、今が一番若い
ワタシはワガママなので、音もヴィジュアルも徹底的に痺れさせてくれないと嫌だ。
「歌が下手でも大丈夫か?」ってのも有るが、カワイイ子なら許すってのはもうしょうがない。
結局CDは聴覚メディアにも関わらず、視覚と区別される事は無かったと思うし、
これからは別々に成るって事も絶対に無い。
だがこれも組織に成れば違う。
個と集団の在り方。問題はもっと根深い。
〜T/H
http://anond.hatelabo.jp/20091124223559
私は社会から引きこもって10年が経過しようとしています。31歳にして社会経験全くなしです。
ひきこもりといっても外出は出来るし、買い物もするし、カウンセリングへも通っています。
ただ無職で家族、カウンセラー以外に話す相手がいません。でもこの事実は大きいと思うのです。
こういった生活を10年続けてきて、しかも今現在、妙に生活が安定してしまっています。
もちろん親に食べさせてもらっています。父親もあと数年で定年です。財産があるわけでもありません。
それでも危機感は無く、毎日の生活を淡々と過ごしているだけです。
適度に運動をし、意味も無く英語の勉強をし、夕食の用意をしたりしています。
日々の生活だけを考えれば、本当に安定してしまっているんです。しかし状況は深刻なんですよね。
こう書くとただの甘えで、現実逃避しているだけじゃないかと思う人もいるでしょうし、私自身も思う時はあります。
だけど“甘えだ!”だけで済む問題なのでしょうか。
本当に私はどうなっているんでしょう?病気だって言われれば納得できるけど、どうもそうでもなさそうだし。
彼女さんのような考えの人もいるだろうし、
相手にメールを返信している時間、拘束されてると感じないでいられるのが恋人だという考えの人もいるだろう。
そのあたりの考え方があまりに違うと続けていくのがつらいよね。
私は、1965年早生まれ、東京五輪世代です。ひきこもり問題については、多くのひとが、30歳未満、あるいは35歳未満を想定していると思われます。けれども、40歳前後、40歳以上のひとたちの存在については、ただきもちわるくみられるだけで、専門家にしても、当事者にしても、あまり語られていないように思います。
私たちが、思春期から青年期をすごした70年代から80年代にかけて、ひきこもり問題が語られることは皆無に近く、私もそうですが、ひとりでさびしく、えたいのしれない悩みにむかっていました。このところようやく、ひきこもり問題が社会問題として、クローズアップされましたが、もうそのときは、私たちは、青年とはいえない歳になっていました。
わたしは、この歳になっても、自分自身の思春期の問題が解決されたり、思春期葛藤をのりこえているとは思えません。思春期・青年期に卒業していなくてはいけない問題が卒業できずに、今後は、自殺率の高くなる中高年期をむかえるわけで、こころのなかに、累積債務がたまるばかりで、不安でいっぱいです。 現在、語られているひきこもり解決策は、私からみると、20歳前後のひとたちを想定しているように思えます。歳に関係なく共通することもあるかもしれませんが、人格がかたまり、人生の年輪だけが増してしまった、高齢化したひきこもり者の解決策は、個人や家族だけではとうていうかびませんし、専門家の間でも、語られにくい、あるいは良案がみつかりにくい問題なのかなあと思います。
私自身、大学卒業後、何度も就労にトライしたり、精神科・カウンセラー・デイケア・自助グループなどを利用して、専門職をめざしたりして、あの手この手をつくしたのですが、もう万策つきてしまったと感じています。人生が破綻したとおもっています。 私のように、思春期・青年期から引きずっている中高年のひきこもりは、ほんとうに、「終わらない思春期」の問題だと思います。思春期・青年期・中高年期の対人不安や社会不安などが複雑に入り混じった問題について、希望のみえる打開策をもっと社会全体で考える気運があってほしいです。専門家の方には、高齢者グループにしぼって、ひきこもりの打開策を研究していただきたいです。
高齢者グループのひきこもり者たちは、なぜ、ひきこもりから抜けた出せないかというと、数十年前から現在にいたるまで、当事者が単独でもがき苦しみ、若い世代と比べて、ほとんど社会において、ときには専門家においてでさえ、扱いずらい、扱おうとしない問題だったのではないでしょうか。そして、年月を増すごとに、悩みや問題がこじれる一方だったのではないかと思います。
「残りの後半生、わずかでも希望をみいだしたい」「すこしでも、ひとのやさしさやあたたかさにふれてみたい」「えたいの知れない孤独な気持ちをわかってほしい」「すこしでも、おとなとしての自信をもちたい」これらが私のこころからののぞみです。
このように私と似たような悩みやお考えを持っている方、いらっしゃいませんか。個人的には、ひきこもり高齢世代と自称されるかたがたにこそ、インターネットでもその他の手法でも
かくれていないで、ひとりでもやもやしていることを思い切って語ることができれば、みんなで考えあう気運がもりあがるかもしれないと思っています。
3年前くらい前からmixiで自分のことを全く知らない人に向けて日記書いてた。
そして現在気づいたらオフ会とかでぽろっとリアルの自分のことを話してしまい、以前は出来ていた言いたい事をばしばし書くことが出来なくなった。まあ自業自得なんだが。
そんなわけでこれからここで王様の耳はロバの耳とつぶやいていこうと思う。
てかこれってちゃんと匿名になってるのかな。
そうだったのか。山之内の薬をよく使っていたので、てっきり同じだと思い込んでいた。
いやもうその通りだと思う。プロスポーツなんかでもそう。