はてなキーワード: 戦争責任とは
2016年8月8日、天皇陛下が生前退位にむけて自身の考えを表明しました。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6210338
これは極めて異例なことではありますが、なぜそんなことをする必要があるのか、なぜ生前退位がすんなりとできないのかよくわからない人もいるだろうからわかりやすくまとめます。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条
日本国憲法は敗戦後策定されたものなので、いかに天皇陛下をどうすべきかというのが最重要項目だったというのが想像できます。
(この辺については昭和天皇の戦争責任だ、敗戦国のなんちゃらだとかいろんな見解があります。長くなるし、本筋からずれるのでここでは述べません。)
我々一般人には馴染みがないだろうけど皇室に関わる取り決めはこちらにてより細かくまとめられています
この中の第24条に天皇陛下が崩御された時の取り決めが記述されています
法律で決められているので、なんらかの都合が悪いとなってもやらざるを得ないことになります。
例えば、想定できる内容だと東京オリンピック期間付近で天皇陛下が崩御された時、オリンピックやっているのに大喪の礼を行って良いのか、オリンピックやるべきなのかという議論が出るリスクを抱えます。
(議論が出るだけで法律で決まっているので改正しない限り、やらない・延期する・短く済ますなどの例外措置も緊急で取れません)
もし仮に、イレギュラーな措置をしたい、皇室典範は改正したいとなれば「皇室会議」を開かなければいけません。
議員十人(皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人)でこれを組織する。
となっています。
皇室典範は憲法第2条に紐付かれた重要な法律であるため、「立法」の管轄になります。これは国政となります。
の記述があるため、天皇陛下の側から皇室典範に関わる改正を直接お願いすることはできません。
あの人と結婚したいのですがよいでしょうか?と内閣総理大臣はじめとした議会メンバーに認められなければ結婚できません。
皇室典範第十一条 年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
○2 親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王及び女王は、前項の場合の外、やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる。
皇太子及び皇太孫は皇族を辞めたいと思っても離れることはできないと明記されています。
皇室典範の中には天皇陛下の即位については記述がありますが、退位については明確な記述がありません。想定されていなかったということになります。
仮に生前退位を認めたとして、元天皇陛下の立場はどうなるのか、制限はどうなるのか、崩御された時大喪の礼を行うのかどうするのかなど新たに決めなければいけないことが多い。
天皇陛下側から内閣および皇室会議にお願いすることはできません。
してしまえば、国政に干渉することになるので憲法違反となります。
そこで
こちらの記述に則って、「天皇陛下お気持ち表明」という形で「生前退位」をしたいと国民へのお願いがなされました。
天皇陛下のできる範囲で憲法違反せず、憲法や法律を変えて欲しいというお願いをしているわけですね。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/common/pdf/leaflet.pdf
憲法を改正するには国会の2/3以上の承認を経て、その後国民投票の1/2以上で可決されます。
大雑把には決まっていますが、具体的にどう進めるのかこれを取り決めるのも大変な労力です。
天皇陛下の「生前退位」の可決は立法および国政に関わるため、国民の総意を問う必要がある。
だから、「天皇陛下お気持ち表明」という憲法違反しない形で国民に異例のお願いをするという形となった。
戦後初めて「国民投票」および「憲法改正」する重大な出来事になる可能性が高い。
国民の総意を簡略的に認めるとなれば、憲法改正の国会提出や国民投票するまでもなく、皇室典範改正をすることになります。
その妥当性があるかどうか、生前退位を認めてどうしたいのか、議長である内閣総理大臣がその重要性、意義を認めて皇室会議を招集する必要があります。
まず、僕自身としては総括なんてそもそも必要ないと思っています。でも、この世の中にはなんとしてでも大東亜戦争(太平洋戦争)を総括しようと躍起になっている不思議な人がいますよね。でも今に至るまでハッキリと成し得ていないようです。
なぜ総括しようとしても総括できていないのかと。先に結論を言うと。
「だれも悪くない(責任者がいない)から総括できない」以上です。
順に話していきましょう。
じゃあ、仮に誰か戦争を起こした悪いやつがいたとして、そいつは誰なのか。
いろいろ考えていくと、最後には国民自身に突き当たります。(「軍部に騙されていた!」という人は伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」を10回読みましょう。)
つまり、「みんなが悪かった」ということ。
それはつまり、「誰も悪く無い」ということなのですよ。だからそもそも戦争責任者なんか当然存在せず、よって総括など出来ない。必要ない。考えるだけ無駄。
女の気持ちを考えろってなんだよ もう。
おそらく、女はこっちの気持ちを考えてすらいないだろ。
やられたら、やりかえすでしかない。
朝、半蔵門駅に向かって歩いていたら、モデル体型の美人が小学生低学年の自分の子供であろう子を近くに小学校まで一緒に歩いていた。
おそらく、我が子を無事に小学校にいかせるためだろう。あの、モデル体型の美人の気持ちなど微塵も考えようがない。
美人の生活や、旦那の年収は予想がつく。おそらく大層な金持ちの男を捕まえたのだろう。
あそこのほうから歩いてくるというのは、超高級分譲マンションに住んでいるということだ。不自由なく暮らしているだろう。
子供の顔はよくわからなかったが、まぁ健康だろう。この辺りで、歯の矯正ができない経済事情の家などないから、歯で顔のレイアウトが崩れるとかもないだろう。
あの美人はこちらの気持ちを考えることなどないから、こっちも考える気はない。
電車の中でもそうだ。痴漢がどうのとかいうけど知ったこっちゃない。こちらは痴漢をされたことがない。そして、美人を見ていて腹が立つことはあっても痴漢をする気はさらさらない。痴漢して欲しいくらいだ。
顔を見て気持ち悪がられて、席替えはされたことがある。痴漢されるより、こっちに同情して欲しいくらいだ。
こっちの気持ちは考えたことがないだろ。
美人をされたくなかったら、あらかじめ痴漢する人間にセックスさせてあげればいいとも思ったりする。しかし、そうすると美人の人権軽視だと言われる。
美人は選びホーダイでセックスの機会はあるのに、自分は痴漢をしたことがないが、自分も痴漢する人間もセックスの機会はないのだ、選べないのだ。
戦争が起きたら、美人は外人の金持ちを捕まえて上手く立ち回るかも知らないけど、こちらは殺されるかもしれないのだ。アジア太平洋戦争でロクに女は戦争責任を問われなかった。
擁護するとしたらまつりごとには参加できなかった事情があるだろう。
次の戦争は国民主権で起きる戦争だろう。しかし、国民の責任とは言われながら、なんだかんだ男が戦争責任を問われるのだろう。グロ面の自分もグロメンなために問われるかもしれない。美人は戦争責任は問われないだろう。美人はそもそも生きるために、戦争にすり寄らなくてもいい選択肢がある可能性が多いし、擦り寄らざる得ない可能性があっても、勝者の方につくか、勝者によって美人だからうやむやにされるだろう。
元記事 http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.html
要するに知覧の町おこしじゃなかった特攻隊関連資料の世界記憶遺産登録を目指す動きの中で出てきた話だと思うよ、たぶん。はてサの俺が言うんだ、間違いない。
上の記事読めば以下の引用切り貼りクソ文は読まなくて済むよたぶん リンク踏むの面倒な人むけに俺の論旨に沿うよう二つの記事を恣意的に抜粋しつつ書くよ
特攻隊員の遺書や手紙だけでなく、交流のあった女子学生や子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争の記憶」1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。
私たちの目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。
悲惨な戦争の記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます。
(霜出勘平・南九州市長)
プロジェクトアドバイザー、M・G・シェフタル静岡大学教授、もうちょい具体的に語る
今回の申請の中核的な概念に、総力戦の問題があります。(中略)第二次大戦のあらゆる悲惨なもの、火に包まれた都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為、強制収容所、原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います。狂気が私達全体を覆ってしまった時期です(中略)また、それが国家のプロパガンダによって推進され、人々が相互に憎悪しあい、愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧の資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います。
総力戦の惨禍の諸相を記録したものの一つとして特攻隊員らの手記などを捉える、それは世界が記憶にとどめるべき遺産たりうる、というところですかね、アウシュビッツと知覧の差異ではなく共通項にこそフォーカスし連携しようという発想もここから出てくるわけですたぶん。個人的にはその志には賛同するものであります。それが実をともなったものになるかどうかはまだ分かりませんが、昔見た知覧特攻平和記念館の展示に特攻作戦の立案者指揮者どものケツを蹴り上げる内容なんて無かった記憶しかないので個人的にはいまいち期待薄ですがまあうっすら期待はしなくはないです
なお、オシフィエンチム市とのやりとりがすんで9/21(国際平和デー)に先方の市長を招いて友好交流協定を締結するという段になってからの地元の反応
「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメさんの孫、明久氏は「戦争の“狂気”といえば共通する面もあるが、アウシュビッツと全く違う。知覧は知覧で良いと思う」と話した。
http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n2.html
党県連関係者は「地方自治体の取り組みに干渉はしないが、アウシュビッツと異なり、知覧は決して『忌まわしい過去』ではない。(以下略
いや、そもそもプロジェクトアドバイザーに「人類の暗い過去」呼ばわりされてるんですが、それは
これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料が必要なのです。
ちなみに以前の会見での「お前んとこのリヴィジョニストどもは元気してるよなあ?」と言わんばかりのツッコミには
ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います。平和会館の中ではそれには全く触れられていません。(中略)そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツの記者)
桑代参事:南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。
シェフタル教授:(前略)取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも、個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。
ー中国が慰安婦関連の資料や南京事件の関係の資料を登録しようとしています。それについてみなさんのご意見はどうでしょうか。(ロイター)
シェフタル教授:私の個人的な意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代の歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います
霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市の首長が言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います。
この時点で自治体さんサイドは右巻きの連中のケツ舐めてる認定を下す事に吝かではない(はてサ的には)のですが、大丈夫でしょうかと不安になるところですが、
ー(前略)おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイスの記者)
霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております。
おう、頑張れよとささやかなエールを送らせていただく次第であります。
単に「南九州」て言うと熊本宮崎鹿児島の三県だよ、でも何か鹿児島で「南九州最大の」みたいな謳い文句だと「九州最大規模(福岡除く)」みたいなイメージが個人的にあるだよ、ちなみに鹿児島の地元紙は南日本新聞だよ、福岡あたりが西日本名乗るのと同じようなもんだよ!「南九州市」って大雑把過ぎね?って言われても、北九州市だってじゅうぶんおおざっぱだしそもそも川辺郡の川辺市知覧町と指宿寄りの頴娃町の合併で生まれたクソ地名の一つに過ぎないんであまり気にしないでね!加世田あたりが先に「南さつま市」名乗っちゃったから大きく出ないとね、仕方が無いね。ちなみに南さつま市にも万世っていう「最後の特攻基地」があったけどまああんま有名じゃないよね、いまでも航空自衛隊基地ある鹿屋なんかも特攻基地だったんだけどね、知覧だけが群を抜いてメジャーだよね、ていう話は「「知覧」の誕生」に詳しいからみんな読んでね!っていうか知覧と言えばお茶ですよ鹿児島県って静岡に次ぐ茶生産県なんだけどみんな知ってた?溝辺空港から鹿児島市内に向かう高速バスからも霜防止のでかい扇風機が立ち並ぶ茶畑が見えるよ、あと知覧は全国津々浦々にある小京都ズの一員でもあるよ、まあ知覧で一番のおすすめは薩摩英国館だね、トライフル食おうぜ
http://b.hatena.ne.jp/entry/256573813/ で話題のこれ、買ってきたよ。
ところが、韓国や日本の支援団体や人権団体の一部が、アジア女性基金を「政府の法的責任を隠蔽するための欺罔的手段だ」なんてめちゃくちゃ批判した。彼らも「リベラル派」と呼ばれるのかもしれないけど、こういう人たちがいるから「リベラル嫌い」がふえても仕方ないと私は思います。
(p.34.)
ドイツと日本は、同じファシズムとか軍国主義の過去をもつけれど、ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を、日本よりもずっと立派におこなった、という「神話」がある。これが、いかに神話か、ということですね
(p.35.)
日本軍の南京虐殺があった。あれがなかったという主張はひどいにせよ、中国がいう犠牲者三〇万人というのは大げさだろうと私も思います。
(p.38.)
http://synodos.jp/international/13990
まず名称に問題とついているからには「解決すべきもの」であり、
と考えると、関係者が誰で、それぞれの関係者が上げる重要な論点を整理する必要がある。
1つ大事なのは論点を出す前の「視点」で、慰安婦問題には複数の視点がある。
外交の視点、戦争責任の視点、歴史認識の視点、女性人権の視点、ぐらいか。
関係者は、
日本政府、日本世論、元慰安婦、韓国・中国政府、韓国・中国の世論、アジア、西欧諸国の世論
で大丈夫かな。
ここで日本政府と日本国民が「日本の歴史家を支持する声明」なんてエライ人たちからやんわりと非難されるような状態になっている理由を整理したい。
①関係者がそれぞれ持っている視点(と論点)に対する想像力がない
②そのため問題解決に対して感度の低い論点(を出すための視点)を使っている
の3つである。
まず①。
元慰安婦は「どうして自分が?」という個人的な思いから問題を捉えるため、慰安婦問題を女性人権問題の視点から考えている。そして中立であると思われる西欧諸国の世論は問題の性質上「女性人権の視点」も重視している。女性人権>外交>戦争責任ぐらいの優先度かもしれない。西欧諸国の現代に生きる1市民を想像すれば「大東亜戦争の歴史認識」より「女性人権」に関心が高いのは当たり前である。そう思わないという人は自分の想像力が足りないことを自覚したほうがいい。
だが日本政府及び(一部の)日本世論は、女性人権が慰安婦問題の中で重要な視点の一つであるという認識すら持っていないように見える。
次に②。
関係者の一つである韓国・中国政府、韓国・中国の世論は、戦争責任の視点を重要視していて、そこで出る論点に対する意見は日本政府と対立している。
つまり慰安婦問題について、日本対韓国・中国のサシで解決しようとすると永遠に意見は平行線で折り合えない。
なので問題を本気で解決しようと思うなら、第三者である西欧諸国を関係者として巻込む必要がある。
そのためには西欧諸国の世論が重視する論点、女性人権を取り上げる必要がある。
なのに日本政府及び・・略
最後に③
歴史認識と、戦争責任の時間軸は、事件が発生した当時の時間軸で評価・判断される。
一部の日本世論では、慰安婦問題を当時の社会観・ジェンダー観では問題なかったという主張をする人がいるが、女性人権問題として慰安婦を考える場合は、問題を評価する価値観を現代の社会観・ジェンダー観に合わせて議論する必要がある。
なのに日本政府及び・・略
最後に耳に入る情報だけで出した慰安婦問題に関する自分の結論を書くと、日本帝国の責任はおそらく無罪、一方女性人権的には真っ黒。
なのでアジア助成基金が最もスマートな落としどころで、支援を受けられない慰安婦を味方につけつつ、女性基金に反対する韓国政府の矛盾を西欧尾諸国にPRすべき。
みんなルーデルとか大好きだけど、ルーデルに撃破されて死んじゃったヒトっているよね。すげえ狙撃主とかエースとか、英雄的な兵士の話って好きなヒト多いけど、彼らにやられてあっさり死んじゃったヒトはいるよね。空戦でも陸戦でも海戦でも格好いい話はあるけど、死んでるヒトももちろん沢山いる。
正規軍だから、とか、勝利側だから、とかってことじゃなくて、戦争での殺人は個人対個人の殺人とは別って考えないといけないよね。そりゃそうだ。そうじゃなきゃ、カーティス・ルメイとかどうすりゃいいの。ひとりで何万人も殺してるじゃない。
末端の兵士の戦争責任ってなんだろうね。難しいよね。やっぱり、戦争を手段として用いた為政者なり立案者が責められるべきってことだよね。東京裁判とかもそういうことでしょ。まあ、勝ったほうは普通は責められないと思うけど、それでもアメリカなんかは「戦争という手段を選んだ」為政者(大統領とかその周辺)に対する非難はあるよね。
何が言いたいかっていうと、ISISのジョンについてなんだけどさ、彼も末端の兵士としての軍務を彼なりの真面目さで全うしようとしてるんじゃないかって気がするんだよね。いや、もちろん、人質をとって首切るとかひどいし、許される行為じゃないと思うけど、そういう方針を立てたのは彼じゃないよね、きっと。誰かがいるんだよ、「正面からぶつかっても勝ち目はないし宣伝にもならないがこういうやり方であれば僅かな殺人で大きな効果を発揮できるはずだ」とかそんなこと考えた奴が。で、それを承認して作戦として採用した奴もいるはずなのね。ちょうど、戦争末期の日本軍で特攻や玉砕を有効な手段と判断した軍人や政治家がいたように。
テロ集団とか言われながらも末端は色々信じて彼らなりに任務を全うしようとしてるんじゃないかな。もちろん、士気の高い低いとか思い込みの強い弱いはあると思うけど。
よく、日本軍に関して「末端の兵士は頑張ったが上が馬鹿だった」みたいな言い方するヒトいるじゃない。あれあれ、あれだよ、きっと。というか、そういうことにしますよってことにしとかないと、遺恨が残るでしょ。そういうことにしとかないと。
話は変わるけど、水滸伝とかって山賊の話だよね。三国志も勝手に蜂起した反乱軍の話。どっちも結構残虐なこともやってる。けど、昔の、それも作り話だからってことで読めちゃうし色々考えたりもするよね。ある種の英雄みたいな感じもあるし。
そういえば、スター・ウォーズも帝国に対しての反乱軍の話だよね。
巨大な支配者に立ち向かう話ってフィクションだとみんな大好きだけど、多分現実にそのつもりで戦ってると思われる集団には冷たいよね。「やり口が汚い」とか「正規軍じゃない」とか、どうかなあ。彼らは彼らで絶望的に勝ち目の無い相手に対して最も効果的な手段を模索してるんじゃないかって気もするんだよね。なんていうか、抑圧的な支配層に虐げられてきたという実感の元の蜂起とそれに呼応する有志って、後になって歴史になった時にどう判断されるんだろうね。砂の煙の物語として語り継がれてしまうような気もしないでもないんだけど、どうだろう。
いや、個人的にはそもそも人質とったり武装蜂起したりじゃない平和的で民主的な手段で解決しろよって思うんだけど、支配する側がそれほど平和的でも民主的でもなかったりするし、支配する側もされる側も武力でのやりとりに慣れちゃってるっていうのもあるのかもなあ。日本の戦国時代とかもそんな感じだったのかなあ。今となってみるとあのあたりはフセインがでかい顔してたほうがまだましだったんじゃないって気もするよね。
平和を志向する民主社会が他国や地域に対してできることって限られてると思う。風刺とか、まあ分からないでもないけど、どうかなあ。それより、「携行小火器の回収」というか、世界的な刀狩的な何かが必要なんだろうね。あとは回りくどくても格差の縮小と教育なのかなあ。「対抗組織に軍事的な支援を」とかっていうのは新たな武装勢力を生み出すだけ出し遺恨も残しそうだから止めた方がいいって思うけど、アメリカはまたそういうことしちゃうんだろうか。ウクライナとかでも。
http://futoimegane.hatenablog.com/entry/20140325/1395720096
○:自分達が生きている世界は「正しいことが正しいことと認められる完成された公正な世界」でではない。
→ これは正解。そのとおり。
☓:右傾化する人達は「正しい・・・公正な世界」であるはずだと勘違いしている。
→ 勘違いしてない。これは当たり前のことです。つか、何を今さら。
☓:戦争責任の話をほじくり返すと、欧米各国は日本を強く警戒します。
→ ほどほどにほじくり返させます。戦敗国であることをしつけ直すために。
☓:戦争責任の話をほじくり返すと、欧米各国は日本を強く警戒します。
→ ほどほどにほじくり返させます。戦敗国であることをしつけ直すために。
?欧米各国は中国の軍事費の膨張よりも日本の右傾化の方をより強く警戒
→ ????
○:現状では、戦勝国の戦争責任を堂々と問うことはできません。
→ できないのは正解。将来的にも問う必要無いけどね。
○:靖国神社に参拝しても国際的な立場を悪くするだけで何のメリットもない
→ 確かに。国内向け以外には無いですね。
→ 「公正な世界では無い」のに。味方に付けられるわけなかろう。
変更した質問を見ると、あなたは「反対している奴はやっぱりこんな極端な奴ばっかりなんだ!ばーかばーか!」ってやって年末を楽しく過ごしたいんだと思うけど、
多くの人はそんなに極端な意見を持っている訳じゃなく、あなたと同じような考えだと思うよ?その上で反対している人もいる。一応回答しておくと
1. 参拝者の是非
がだめ。
失くす必要は無い。
3. 戦犯の是非
多くはなくなっており、何かの罰を与える事はできないだろう。
個人的には会う事があったら、そうだな、酒を飲みながら当時の話を聞きたいな。
>2. 他の大臣や国会議員が参拝することに対してはどう思っているの?
少なくとも、政府が第2次世界大戦で日本が行った戦争を反省している立場を守るのであれば、総理大臣を含む閣僚は行くべきではないと考える。
>3. 非宗教の慰霊施設を建ててそこで祈るとして、そこでA級戦犯は祀っちゃいけないの?
>4. A級戦犯は未来永劫許されないし全人類が唾を吐き続けなければいけない存在なの? A級戦犯を許さないのは平和に対する行いなの?
まず、A級戦犯は「戦争責任者」のように扱われがちであり、国際社会からもそのように理解されていると思われる(多分)。しかし、ご存知のようにA級戦犯は名誉回復をされた方もおり、A級戦犯=戦争責任者というのは、政府の公式見解ではない。今の政府の公式見解では、戦争責任について、「政府として、具体的に断定することは適当でないと考える。」としており、はっきりしない。http://tamutamu2011.kuronowish.com/sekisininshikifukusimamizuho.htm
靖国問題ではA級戦犯がクローズアップされがちだが、問題はA級戦犯が合祀されている事ではなく、戦争責任者とおぼしき人が合祀されている事だ(ただし、責任者がA級戦犯とかぶる部分があるのは事実だろう。例えば東条英機は、戦争についての責任を免れ得ないと思われる)。
責任者については日本人の手で決めるべき事だ。そしてその議論については国際社会にその内容をしっかりと訴えるべきだろう。この際、当時生きていた(少なくとも参政権を有した)日本人全体に責任があるといった結論は不適切だ。一面の事実ではあるが、責任者を特定しなければ、責任が曖昧になるからだ。なお、責任の中には、ほとんど勝ち目の無い馬鹿馬鹿しい戦争を始め、めちゃくちゃな作戦で多くの日本人を無意味に殺した責任も含まれる(兵士の死因の大半は餓死と病死だそうだ。実に馬鹿馬鹿しい)。
>5. 平和に対する罪は人道に対する罪より許されないの? 他の戦犯は慰霊施設で祀ってもいいの?
慰霊については構わないと考える。どんな悪事を働いた極悪人でも慰霊はなされる。ただ、政府が慰霊施設を作るのであれば、第二次大戦の死者を弔う事を目的となるため、馬鹿げた戦争の責任者をともに弔うのは他の英霊に対して失礼だと考える。(もちろん戦争責任者の遺族が個人的にお墓を作る等は構わない)
>6. ぶっちゃけ「靖国神社を国が潰すべきだ」とか思ってない?
>7. 「靖国神社を参拝する一般人も死ねば良いのに」とか思ってない?
>8. 靖国どころか神道自体嫌いで「神道滅びればいいのに」とか思ってない?
靖国神社には参拝した事もある(心の中で慰霊だけ行いました)。一宗教団体として存在する事は構わないし、どんな歴史観を主張しても構わないだろう。
一方で、内閣総理大臣の立場にあるものが参拝するからには、そこには確実に政治的意味が生じてしまう。(いくら私人として、と主張しても)
靖国神社は慰霊とともに顕彰を行う施設だ。顕彰とは「善行や功績などを広く知らせて表彰すること」だ。例えば、上で述べたように東条英機の戦争責任が免れ得ないものとすると、政府が公式に謝罪している戦争の責任者の行為を靖国神社は顕彰している。にもかかわらず、内閣総理大臣が参拝を行うのは矛盾している。よく言われる「日本は本当は戦争を反省していないんじゃないのか?」という奴だ。
>9. 実際は靖国参拝とは関係なく政府はPKO活動とか平和のための活動もしているし、総理自身平和に向けた発言もいくつもあるわけだけど「総理は戦争がやりたいと考えているから靖国に参拝するんだ」とか思っているの?
>10. 総理が実は韓国の特定の団体とは仲が良いことはどう思う? 総理は本当に中国や韓国、あるいはその政府が嫌いだと思う?
>11. 総理に限らず石破とか周囲にはあの戦争は誤りだったとする発言は結構あるけど、本当に自民党は戦争や決定的な対立を望んでいると思っているの?
>12. 総理が靖国を参拝した本当の目的はなんだったと思う? その目的のために本当は何をすべきだと思う?
おそらくだが、「日本の誇りを取り戻す!」といった意図だろう。今回の参拝は明らかに外交上は失策だが、それを分かっていても「取り戻す!」ことを優先したと思われる。
ここでの「日本の誇り」とは、戦争で国のために命を落とした日本兵へ慰霊と顕彰ができること、だと思われる。しかしそもそも、国際社会はそうした日本兵への慰霊を問題視しているのではない。(戦争の責任者として認識されている)A級戦犯に対する政府の顕彰行為が問題視されているのだ。(日本兵への顕彰をどう思っているかは不勉強なので分からん)
目的のためにするべき事としては、
①日本人の手で戦争の責任者を決める。責任の所在を明らかにする。それが国際社会の常識と異なるのであれば、資料等を用いながら理解を求める。
②不戦の誓いを新たにし、戦争で国のために命を落とした日本兵のための慰霊施設を設立する。顕彰については難しい問題だと思う。一兵士は一有権者でもあり、完全に戦争の責任が無かったとは言いがたいからだ。
靖国参拝批判が軽い。
国が一方的に、ある日突然一般国民を赤紙で徴集し、戦地へ送り、大勢死なせたんだから、死んだら靖国神社で英霊として祀るっていう約束は守らなければならない。
首相は戦地に赴く覚悟で参拝してほしい。暗殺されそうになっても参拝すべき。そういう責任があると思う。
もっと言うなら国民にも戦争責任があるならば、諸外国に馬鹿にされても、悪者にされても、参拝すべきとではないか?
そういう責任の引き受け方、非戦の誓いもあると思う。
戦犯がいるとか他に宗教色の薄い政治的に正しい施設があるとか批判はあるけど、それでもなお「靖国で会おう」と言って死んだ兵士と遺族がいることにはかわりないわけで。
戦後作った墓苑でそう簡単にかわりになるような軽いものではないと思う。
外交的にまずいんじゃないかという懸念はその通りだと思うけど、参拝するなあきらめろという意見はどうかと思う。
ブコメの批判を見てるともっとカジュアルにdisってるのもあるし、そんなに犠牲になった人の命や名誉や遺族の思いって安っぽいものだったのかと。
最近の公開文書などによって明らかになってきた、共産主義者による敗戦革命という見方が、前提にあるかどうかで、全然違った見方になるかとも思います。
(各地に無駄に戦線を広げさせ、対ソの戦線をまともに闘えないようにさせられた上で、日米で潰しあわせる。その後、弱ってる所を頂いていく計画)
満洲・朝鮮・樺太千島はどうなりました?北海道は、占守の護りがなければ、どうなっていたでしょう。
また、人民解放軍が、文字通り、アジアの解放を大義として、未だに闘っている事実をどう解釈されますか?
とはいえ、こういった話は、私も元は俄には信じ難かったですし、信じたくなかったのですが、『近衛文麿の戦争責任』や『ヴェノナ文書』などといった本などで、
日本の作戦司令部や、米のルーズベルト政権・GHQらに、コミュニストが大量に紛れ込んでいたという事実を知るにつれ・・・・・。
クリスチャン新聞が伝えた報道によると、特定秘密保護法の制定は、分裂していたキリスト教の教派を、結果的に団結させ共同行動の実績を作らせた。
日本ホーリネス教団と基督兄弟団は、いずれもプロテスタント系キリスト教の分派教会の団体であったが、双方は教義や実践方法をめぐって対立し、戦前のキリスト教弾圧・戦争協力強制の対応をめぐって分裂していた。
しかし、ホーリネス系の両教団は、戦後、戦争責任をめぐって検証と総括・反省が行われ、和解がすすめられていたところ、特定秘密保護法の制定が結果的に、両者の和解・団結を加速させ、共同行動をとらせる契機として働いた。
国家公務員の中には少ないながらもホーリネス系信者がいるし、その家族の中にもホーリネス教会員は存在する。彼ら・彼女らは、秘密を守ることによって多くの人の生命財産を奪うことを知っている場合、秘密を守る行為自体がキリスト教義上の罪となるから、秘密を暴露するなどして奪われようとしている生命を守り、自らの信仰を最後まで全うしようとするだろう。そして、ホーリネス系教団の人たちは、告発者である信者を擁護するため、国家からの弾圧に対し、これまで以上に抵抗するだろう。
その意味で、特定秘密保護法の不正常な制定によって、国家の秘密を保全するという当初の目的は、かえって実現困難になったといえよう。
政府はおそらく、公務員の思想の調査をこれまで以上に徹底して行うだろうが、だとすれば、そのことがかえって保護法に対する世論の反感を招き、思想差別に対する抵抗も大きくなり、公務員の法令順守意識を低下させるという悪循環を生むことになる。政府の秘密保護法の対応は、確実に手詰まりに向かっている。
日本ホーリネス教団教団委員会と基督兄弟団理事会は11月26日、「特定秘密保護法」制定を危惧する共同声明を安倍首相に出した。両教団は戦前、日本基督教団第6部・第9部に属し、1942年治安維持法違反に問われて牧師が一斉検挙され、宗教団体法により教会が解散させられるなど、日本プロテスタント史上最大の弾圧を受けた。その経験から、「本法案が戦前の治安維持法に劣らない危険性をはらんでいる」と重大な危惧を表明。戦前の治安維持法同様、①「国益に反する」と見なされた思想・信条が抑圧される危険、②言論・表現の自由が抑圧される情報統制の危険を指摘した。
治安維持法は25年、共産主義革命運動等の取締りを目的に制定されたが、41年の全部改正で「国体の否定」という内心の思想を取り締まるものに拡大。この流れの中で、キリストが再臨し王として治めると強調したホーリネス系が同法違反に問われた。特定秘密保護法案は、防衛、外交、特定有害活動の防止、テロリズムの防止の4分野が対象とされるが、秘密の定義や範囲があいまいで政府が恣意的に「特定秘密」に指定でき、第三者が検証する仕組みが欠如している。「これでは、時の権力が『国益に反する』と判断すれば、思いのままに拡大解釈することが可能であり、憲法の思想・良心・信教の自由という基本的人権の根幹を脅かす」と危惧を示した。
また、言論・表現の自由が国策に沿った範囲に押し込められていた戦前の体制では、治安維持法や不敬罪等が取材・報道・出版等の言論活動や国民生活を萎縮させていた。
その結果、国民は権力の暴走に歯止めをかけるすべを失い、無謀な戦争遂行へ駆り立てられていった。処罰の対象や範囲が公開されず重罰が科せられる特定秘密保護法案も、
言動を自粛させてしまう恐れが強いと予想。「言論・表現の自由を無力化・無意味化させるこのような法制は、この国をもう一度、息の詰まるような情報統制国家に逆戻りさせることになりかねません」として、戦時中のキリスト教会が自己規制し、
偶像礼拝である神社参拝や「平和の福音」を歪めて戦争遂行に加担した罪を悔い改めた立場から、二度と同じ罪を繰り返さない決意を表し、戦前の情報統制に類似する危険性を持つ特定秘密保護法案に断固反対し、廃案とするよう強く求めた。
基督兄弟団と日本ホーリネス教団の前身は、1933年に分裂。戦後50年を機に両教団が戦争責任を表明したことをきっかけに、共同で歴史検証に取り組むなど和解の実を結んできたが、共同声明を出すのは初めて。
http://jpnews.org/pc/modules/xfsection/article.php?articleid=2567
「以前の日本はこんなにすごかった」とか
一般の方々だけでなく、国家運営に携わる人たちもだ。
A級戦犯が合祀されている靖国神社を参拝することに関する議論は様々ある。
某東アジア諸国らの物言いは限度を超えたものではあろうが、その主張には理解できるところだってある。
最近も死者の埋葬ができない云々でニュースになっていたけど、戦争責任は明確であり、現政府とは明確に区別されている。
当時の「ナチス」が戦争の責任をとるものであるとして、現在でもナチスに対する厳格な法令が存在している。(ハイルヒトラーのポーズをすれば逮捕)
清算が済んでいるからこそ、今のイタリアやドイツに対して「謝罪と賠償を」だなんていうことはないわけだ。
A級戦犯だといいつつも、国家の代表(近年は自粛もあるが)だけでなく、公務員である議員らが公務として参拝しているという事実だったり、
当時の軍部が象徴としていた旭日期をサッカーなどの国際試合で使用していたり…という状況である。
これでは、戦争責任がどこにあるのか、明確ではない。
ダメではないんだけど、大前提として「謝罪」がないと多分終わらない。別の増田があげてる「アジア女性平和基金」がうまくいかなかったのは、結局のところ「ほっかむりして金で片を付ける」というやり方が基盤だったから。なぜそんなことになったかというと、「国家」が「個人」に対して賠償をするという事態を日本の政府が認めないから、ということに尽きる。
別に韓国の人に対してだけではなく、たとえ日本人が相手でも、日本の「国家」は原則「個人保障」などしないのです。国家は国家に対してしか賠償しない。
参考:
次の2冊読めば、何をすべきなのか、何が問題なのか、どうすれば解決につながるか、が大体分かると思う。
民主政権時代では右左半々という構成だったのが、自民大勝に従って左派系が田嶋陽子だけで
右翼、というよりネット右翼(ネトウヨ)に近い連中で構成されてる。
集団的自衛権についてもそうだ。
議論内容としては、戦争参加においても国民投票を踏まえるべきだと言った主張に対して「トモダチを助ける」として「トモダチを守るために関係のない民間人を殺す」事に
こういう人は「俺も戦争行くからお前らも戦争に行くべきだ」という主張を貫いてる。
どうせ皇族とか政治家っていうのは戦時中と同じで戦争責任を果たす事はない。
主にそういった義務とか責任を果たす事になるのは我々国民なのだ。
国民に対して何の説明もなく、戦争地域に赴かせるといった主張なので、これは言語道断ではなかろうか。
たかじん委員会においては、国民投票は民主主義の権利であるにも関わらず、これを「トモダチ作戦」において不要だと唱えている。
僕の観測範囲では、評価以前に話題になっていない。
僕もホワイトハウスダウンを見た後、パシフィックリムの次の上映待ちでちょうどいい時間じゃなければ多分見なかった。一生。
端的に言えば面白い。
しかし、おそらく日本人以外では楽しめないのではないか。これをアメリカが一生懸命作ってくれたおかげで、僕はパシフィックリムの上映開始までを無為に過ごさずにすんだ。ありがとうございます。
以下、ネタバレ。
終戦後、マッカーサーを元帥とする占領軍(進駐軍)が日本にやってきました。
つまり占領地の委託経営を請け負った状況です。うまく日本を復興させれば、それを手土産に大統領選に出馬、ホワイトハウスへの道が開ける。
つまり、戦争を起こした責任者を片っ端から縛り首にしてしまう。
東条英機をはじめとするお偉いさん方が刑場の露に消えたのは事実。その当たりは邦画『プライド』を見て貰えば。
さて、政治家についてはそれで良し。
ところが日本には首相とは違う大物がいる。つまり昭和天皇である。
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話はそれるが、アメリカは野蛮な国である。それは現代も変わらず、『悪者』(或いは異分子)がいればみんなでリンチを加えて殺したりする。日本でもそんなのはあるけどね。
そして、大半の国民には学がない。
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閑話休題。
本国からは、昭和天皇を戦争責任者として処刑せよ、そんな突き上げを食らうわけだが、それをやるのは日本統治のために非常に厳しい。
②国内には大量の、数百万規模の“元軍人”がいた。(不穏分子)
③終戦後、国民に食料は行き渡らず、また、失業者も多かった。(経済的停滞)
普通、これだけ揃えて、天皇を処刑すれば、火薬に火を付けることになる。
どっかのフィクサーが兵士崩れを雇って私兵隊に仕立てれば、再び戦争状態にもなるし、暗殺等のテロルも横行するだろう。なにせ、必要があれば死ぬように教育を受けた連中だ。
それに十分な大義名分を向こうに渡すことになる。
結果、治安維持に大量の兵士を必要とし、再び国土を焦土に変えなければならないかもしれない。食料の供給や経済の発展は大きく阻害され、マッカーサーは責任をとって辞職。
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なんなら直接行ってぶん殴ってやろうぐらいにしか考えない。正義が当然勝ったのだ、くらいのもんだ。
さて、ここでようやく話が始まる。
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マッカーサーは部下に命じる。
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こうして主人公の准将は、焼け野原をかけずり回ってその証拠を探すのです。
てのがあらすじ。
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正義とか悪とかの話ではなくて、ケジメの付け方、落としどころの話。
九割方フィクションだとしても、まあ今の時期に見るのはいいのかもしれない。
ちなみに、主人公に付けられた通訳兼ドライバーがミスター・タカハシなる人物だったので、その後にプロレスの暴露本とか書くのかもしれない、と思いながら見てた。
あいつら酷い目にあったとか言ってるけど、親分がいて人並みの生活してた
許せるか? 人並みの生活してたんだぜ!!
ということをごく真っ当な庶民の人が言ってらした
ちなみに強制連行だったことはわりと自然に認知されてた、並みの生活ってところが
半端なく琴線に触れたらしくて本当に殺されても仕方ないレベルで憤ってた
とりあえずここの問題点は棚上げにしておく
アメリカの日本駐留のこと読んでたら米軍の仕打ちに民間人の不満が収録されており
確かに酷い、人間扱いされてないな、と思って読んでいた
(ここには著者の感情が反映されていなかった)
がアメリカ軍の家族が「隙間風が多いし食べ物も手に入らない、ひっどいとこ!」と
不満を述べているのに日本人がどんな目に遭っているのかを考えろと
べらべらと説教かましていて「は?」と思った
だってお前ら、占領軍と戦争責任国だろ? え、心の中で対等もしくはそれ以上なの?
と正直なところびびった
どっちもまともな出版社を経て出しているし、片方は写真入りカラー
あと戦時中の語りを読んでいると女が差別されてないのが許せんってたまに出てくる
男は敵国に媚びてもいいけど、女が媚びた場合は差別されてて当然だった女性選挙権は
不当だったと全然関係ないところでべらべら語ってる(戦争体験よね?)
…ううん、この国の戦後教育は確かになんかあかんかった気はする