http://synodos.jp/international/13990
まず名称に問題とついているからには「解決すべきもの」であり、
と考えると、関係者が誰で、それぞれの関係者が上げる重要な論点を整理する必要がある。
1つ大事なのは論点を出す前の「視点」で、慰安婦問題には複数の視点がある。
外交の視点、戦争責任の視点、歴史認識の視点、女性人権の視点、ぐらいか。
関係者は、
日本政府、日本世論、元慰安婦、韓国・中国政府、韓国・中国の世論、アジア、西欧諸国の世論
で大丈夫かな。
ここで日本政府と日本国民が「日本の歴史家を支持する声明」なんてエライ人たちからやんわりと非難されるような状態になっている理由を整理したい。
①関係者がそれぞれ持っている視点(と論点)に対する想像力がない
②そのため問題解決に対して感度の低い論点(を出すための視点)を使っている
の3つである。
まず①。
元慰安婦は「どうして自分が?」という個人的な思いから問題を捉えるため、慰安婦問題を女性人権問題の視点から考えている。そして中立であると思われる西欧諸国の世論は問題の性質上「女性人権の視点」も重視している。女性人権>外交>戦争責任ぐらいの優先度かもしれない。西欧諸国の現代に生きる1市民を想像すれば「大東亜戦争の歴史認識」より「女性人権」に関心が高いのは当たり前である。そう思わないという人は自分の想像力が足りないことを自覚したほうがいい。
だが日本政府及び(一部の)日本世論は、女性人権が慰安婦問題の中で重要な視点の一つであるという認識すら持っていないように見える。
次に②。
関係者の一つである韓国・中国政府、韓国・中国の世論は、戦争責任の視点を重要視していて、そこで出る論点に対する意見は日本政府と対立している。
つまり慰安婦問題について、日本対韓国・中国のサシで解決しようとすると永遠に意見は平行線で折り合えない。
なので問題を本気で解決しようと思うなら、第三者である西欧諸国を関係者として巻込む必要がある。
そのためには西欧諸国の世論が重視する論点、女性人権を取り上げる必要がある。
なのに日本政府及び・・略
最後に③
歴史認識と、戦争責任の時間軸は、事件が発生した当時の時間軸で評価・判断される。
一部の日本世論では、慰安婦問題を当時の社会観・ジェンダー観では問題なかったという主張をする人がいるが、女性人権問題として慰安婦を考える場合は、問題を評価する価値観を現代の社会観・ジェンダー観に合わせて議論する必要がある。
なのに日本政府及び・・略
最後に耳に入る情報だけで出した慰安婦問題に関する自分の結論を書くと、日本帝国の責任はおそらく無罪、一方女性人権的には真っ黒。
なのでアジア助成基金が最もスマートな落としどころで、支援を受けられない慰安婦を味方につけつつ、女性基金に反対する韓国政府の矛盾を西欧尾諸国にPRすべき。