はてなキーワード: 小鉢とは
この魚の油の匂いに釣られてくやって来るのかも知れないわね。
もう寝ることにしました。
明けて朝です。
現代風に言うとシーチキン缶に綿の芯を入れて灯すシーチキンランプって言ったところかしら。
ゆらゆらと揺らぐ炎のような照明があったら、
私ずっと眺めてられるのになぁって思いました。
夜は夜らしく部屋を少しというかだいぶ暗くして過ごすのが
たくさん買ってサラダでも使い切れなくても、
ブイヨンでスープにしちゃえば、
あっと言う間に何でもかんでも野菜煮れるし
今だとまた新タマネギ!
生で食べてもそんなに辛くないタマネギがまた美味しくて
サラダを作ったあまりもスープにぶち込んで野菜スープに仕立てたら何でも美味しいわよ。
それでね今回はね
ブイヨンだけじゃ割とあっさりなので、
鶏皮を煮て出汁を取って、
鶏皮は千切りにしてポン酢で和えたら
今度からそうしてみるわ。
案外皮って余計な脂の端っこを切って取り除くので廃棄分出るのよね。
私の得意料理の
茹でた枝豆、冷や奴に加えてスピードメニューに出来るじゃないって思ったわ。
でね、
牛乳じゃないんだよなー
飲むヨーグルトじゃないんだなーって
私の気分はもはや気まぐれだったんだけど、
とても美味しい気まぐれサラダが出来ると思うの。
これも私の得意料理の
スピードメニューの一品に加えてもいいかもしれないわね!ってぐらいの自信の気まぐれさよ。
気まぐれ味!ってのも新発売したらケンちゃんラーメンもビックリよ!
よくよく調べたら、
商標登録の時点で、
厳密に言うとケンちゃんラーメン新発売!新発売!っていうのが正式な新発売の時の言い方なんだって。
私にはそのケンちゃんラーメンが何のことだかよく分からないけど、
私だから
ランチの時とか何貫かそれで、
気まぐれ味の美味しいお寿司が食べれたら、
それはそれで嬉しくない?
だから
私がよく行く焼き鳥屋さんの串盛り合わせも
ぜひ気まぐれシステムを取り入れた
なんだか知ったかぶりなこと言いたいじゃない。
いつも決まって、
ハツ、ツクネ、ネギマ、モモ、ナンコツの盛り合わせ5串のお皿だと
もう予想つくじゃない。
まあ手札が悪かったってことで
ツクネ5串でも私は構わないんだけどね。
あんまり世の中の世間の人はこのようにバックギャモン戦略な要素は嫌いみたいね。
狙って頼むアラカルトが人気だもん。
そこはアイデンティティーを出していきたいとも思うし、
そこに自分の知的さのユニーク且つオリジナリティーを溢れさせたいと思うわ。
本当はもっと言うと
2種類ぐらいじゃなくて、
最低でも3種類のフライがお皿に乗ってやって来る方がミックスフライ定食!って
ミックス感出るじゃない!
もっと世の中にはそう!
そうは思わない?
うふふ。
何の魚かよく分かってなくて食べといてなんなんだけど。
まあ美味しかったらいいわ。
まだちょっと高いけど、
運良く1パック最後の割引苺パックがあったので、
50%の割引シールの上から自作の75%の割引シールを重ねて貼って
みごと75%オフになったのはここだけの話で内緒にしておいてね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私はテレワークなら昼休み、出社なら前日にご飯作ってるけど、増田は料理嫌いそうなので嫌かな?個人的には嫌々作るご飯より惣菜とか冷凍食品のほうが幸せじゃないかな?
うちの親はテーブルいっぱいにご飯作る人だったけど、私は早々にあきらめたよ!
ちなみにうちの場合、カレー(ライス、うどん、パスタ)とかシチュー(バケット、食パン、ご飯、グラタン風)は3日ぐらい食べれるよ。
残りの2日は
・ちょっと丼の素
小鉢は納豆or惣菜でよいのでは。ワンプレートにすれば見栄えも良くて、片付け楽チンよ。おかず少なく感じるけど、定食屋もこんなもんでない?
あと冬なら鍋とか、夏なら麺類あたりでなんとかしのげるよ。
コーヒーとか頼むと、店によっては小鉢にミルクとスティックシュガー5個くらい入れて持ってきてくれるじゃん
うちの家族それ全部持って帰る
今日も予約したお高めなレストランでデザート用に新しく出されたおしぼりを
しかも多少悪いことだと思っているのか、店員の目を気にしつつ何食わぬ顔でさっとしまう 正直とても恥ずかしい
小学生のころ、友達とその親が私をごはんに連れていってくれたことがあった
たまたまホテルのレストランで食べることになって、食後に私は何の気なしにおしぼりを持って帰ろうとした
そしたら注意された
その時自分はこれが「失礼な行為」であることを学んで、同時にめっちゃ恥ずかしくなった
いつもたまにしょっちゅう行って最近は全然行けてなかった焼き鳥屋さん。
久しぶりに行ったわよ。
そんでね、
おかわりしたいぐらいよ。
で冗談でおかわり!って言ったらおかわりできました。
こういう小鉢で実力が発揮される飲食店って凄いわね!って褒めたら
ここは普通に凄いでしょってこっちの話に乗ってほしいものだけど、
私もそのレトルト買って食べたいわって思ったけど、
きっとレトルトジプシーの美味しいレトルト食品を探す旅に出たら、
いつか出会えると思うし
ところでさ、
三千里と500マイルってどっちがザアルフィーだったかしらと思う反面、
最近はもうあの時間帯のアニメなんて見てなくて何やってんだろうな?ってラインナップが気になるけど、
まあ私は今日のランチしか楽しみがないって言うのが最近の唯一の楽しみだってことも
ちょっと悲しいわね。
早くランチに行って何食べようかと食券機のメニューを眺めたいものよ。
パスタ屋さんで食券機とは珍しいけど、
一定数でいる、
食券機が使えない人がいて、
人間観察があるんだけど
何も観察してない人多くない?
そんな人間観察をしていると、
食券機の前に来たら
ものの3秒で諦めて考えない人が多いのよ。
考えようともしない、
間違っても良いじゃない!人間だものの相田先生を彷彿とさせるんだけど、
その人の後ろに行列を作ったら駄目かも知れないわねさすがに。
ある人は、
たくさんボタン押して、
全部買っちゃって、
残りの食べない食券を大量に返金処理させて、
現場には緊張感が走るけど、
その人はアハハって笑ってるのが逆に怖いわ。
食券機の前はドラマが一杯すぎて、
不安になるわ。
考えるとは辞めたくないなって
常に考え続ける人間になりたいな!って謎の教訓を残しつつ、
気付いたらもうこんな時間よ。
まったくだわ。
うふふ。
シャキレタサンド。
私なりに略してみました。
ぜんぜん世間に浸透してないのが残念だけど、
今思い付いていったので、
浸透も何もないわよね!
グレープフルーツをピンクグレープフルーツの方を2玉ほど買ってきたので、
1つを半分にして搾って、
もう1つの半分の方も搾って、
要は1つ分のピンクグレープフルーツウォーラーよ。
半分だけ残ってても仕方ないわよね。
炭酸水でも良いし、
ボトルに汲みおいている冷やしたお水でも良いし、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
茹で豚にした豚小間切れパックが半分残っていたので、別の味付けにした。
豚肉をフライパンで焼く。焼きながら人参と玉ねぎを薄切りにする。
人参、玉ねぎ、冷凍フライドポテト、冷凍しめじをフライパンに投入。
砂糖、塩胡椒、ナツメグ、ガーリックを入れて炒める。酒、ポッカレモン、牛乳少々と、トマト缶1/2、ケチャップ、粉末コンソメを入れて混ぜる。
煮立ったらショートパスタを入れてフタをして弱火で煮込む。煮込み時間はパスタの規定茹で時間。
水分が少なければ適宜足す。
ショートパスタの種類は何でもいい。今回はフジッリという太めのネジネジのやつを使った。
規定の時間煮込んだらよくかき混ぜ、粉チーズをたっぷりかける。スライスチーズをちぎって入れてもいい。
小麦粉をフリフリ容器で振り入れて加熱してとろみがついたら完成。
GoToキャンペーンで地元のバス屋が「地域再発見プラン」なるものをやっており
で、参加してみたら最高だった。
初日朝は7時に集合すると、バスに乗って移動5分もしない内にまず地元の梨園に連れて行かれる。
ここ俺の通勤経路の途中なんだけど……とか思っても、実際に入ったのは初めてだった。
観光なし園の広々とした芝生の上で地元の料理店が作った弁当と梨で朝食。
弁当は炊き込みご飯と天ぷらとかシンプルだったけどうまい。好きなとこで座ってくって良いということで、控えめに言ってこれだけでもう最高。
そして梨狩り。その場で喰うなら食い放題、持ち帰りは5個まで料金内という贅沢。綺麗に観光用に整備された果樹園で好きに散策できると言うだけで最高。
地元民みんな直売価格知ってるから追加価格ちょっと高めだとわかっていてもテンション上がってその場で買って親戚に発送する奴多発(俺とか)
その後、地元の史跡が公園になっている場所に案内。たぶんそれより前に行ったのは小学生の遠足とかそれぐらいぶり。
顔見知りのオッちゃんが案内役で出てきて、お、おう、ってなったけどおっちゃん観光ガイドボランティアだったらしく、楽しく歴史を勉強しつつ、リフレッシュしてしまう。
昼飯は併設のバーベキューサイトに移動して、コンロを1グループ1つ占有という贅沢な条件でバーベキュー。
飲み物はアルコールはこの後の工程上でなかったけど、生搾りジュースとか出てきてもう最高。別料金で酒より高いのに追加してパカパカ飲む奴多発(俺とか)
午後はこの日のメインイベントであるボートによる川下り体験 or 美術館博物館巡り 俺は美術館は行けるので川下りにした。
川下りもソーシャルディスタンス対応で定員が半分で運行。ほどよく水量もあって、バスから川辺に降りたらもうそれだけで最高。
簡単な訓練をやって、装備をかためて、結構な距離を川下りで下って、ざっぱーん、きゃー、つめたーい☆とか野太い声を上げる奴多発(俺とか)
ドローン撮影された写真に死にかけた野武士みたいなツラで写っても最高だったので、1000円出して追加で写真買ってしまう奴多発(俺とか)
美術館博物館巡りのほうも後で聞いたら、学芸員の方の案内はもちろん、なんと芸術家の方のLIVEパフォーマンスなどもあったそうで、なんで選択式なのか?後で恨む。
田舎だから知れてると思ったら、もうね、季節の野菜を使った料理に、川魚、フルーツ、最高以外有り得ない。
温泉もあるし。別料金なのに高い酒を追加で頼む奴おそらく多数(俺とか)
そして翌朝、希望者向けに日の出ツアー。眠い目をこすって参加した。地元のちょっと高い山に連れて行かれて、ご来光を拝む。
なんかすげえ神秘的で、無駄に涙が(たぶんあくび)知らなかったが、この場所でのご来光は、昔から修行僧などが大切にしてきた者らしい。へー。
その後旅館に戻って朝食。
ビッフェスタイルだったけど、食べ物は全部小鉢にとられていて、旅館の人が手渡ししてくれる方式。
正統派旅館の朝食で、卵かけご飯用の醤油が4種類くらい出てきて最高。
噂は聞いたことあったけど実際に来たのは初めてで、このコロナ下でも活気があって驚く。
農家の朝市のはずなのに何故かソフトクリーム屋とか。北海道ソフトとかいやここ北海道じゃねえし、って感じだけどテンション上がって喰いながら散策とかしちゃったりして。
その後、朝市をやっている近くの地元で一番大きな神社にお参り。ここは毎年初詣とお祭りに来てるけど、それ以外で来たのはたぶん遠足とかそれぐらいぶりというパターン。
神主さん?だかが出てきて中まで入れてくれる。
何事かと恐れ慄いていると、なんと知っているアニメの聖地だったことが判明。
マジで? もう最高という他ない。
声優さんがプライベートで訪れた時のサイン色紙と写真の前で自撮りしちゃうやつ奴多発……はしてない。たぶん俺だけ。たぶん神様相手より拝んだ。
実はここは俺のお気に入りのお店で、エネルギーをためなきゃ行けないときによく来る。
顔見知りの店員さんに、馴染みの味、そして美味しいお酒(別料金)。最高という他にない。
午後は施設に併設している観光農場で、かご一杯取り放題で自由時間。
トウモロコシとか美味しそうでもいでしまうが、よく考えるとトマトとかもっと単価の高い物を取った方がよかったのか?
と思いつつ、太陽に輝くトウモロコシの魅力には勝てない奴多発(俺とか)
本当は子どもらに混ざってアスレチックで冒険してやろうかと思っていたがもう歳ですね。
そして夕方は、たぶんツアー全体のメインイベントである、ナイトツアーへ。
この季節は花畑営業をやっている山奥のスキー場へ。実はコロナが来る直前の地元の観光の呼び物はこの星見ツアーだったりした。
スターガイドさんがは解説をやっていて混ざりたかったけど、なんかちっちゃい子ばかりみたいだったのでちょっと自重。
広い広い園内で、草を押しつぶしてごろんと寝っ転がる。
寝っ転がって星を眺める。もうそれだけで、虫も、近くでカップルがいちゃいちゃし始めても気にならないくらい最高。
と言うかこんなに星があったんだね。星の光にあまりに浄化されすぎて消えかかった。
誰かが花火を持ち込んで花火大会を始めていたのも、いいBGMだった。
そして、家の近くまで送り届けてくれて、もう最高だった。
その他にも
地元では評判が評判を呼んで、もう現在実施する分は予約一杯になっている模様。
検索してみるといろんな地方で地元民対象のツアーをやっているようだ。
たぶん今だけだと思うので、お前らもよかったら参加して欲しい。
もう正確に最後に会ったのがいつか思い出せないが、2月の後半~3月始めだったと思う。
こんなにも会わなかったのは私がコロナウイルスに感染してはならない職種であったこと、
距離が50km以上離れていて大きな駅で何回も乗り換えをしなくてはならないこと、なにより県を跨ぐこと、
連休が取りづらく、いくつもの感染リスクを背負ってまで会う必要を感じなかったから。
出身も年齢も違うのに不思議と考え方や価値観が似ていたのでお互いに不満はなく、
誕生日はカメラ通話で祝うなど自粛しながらもそれなりに生活できていた。
珍しく連休が取れたことと、世間・職場での規制緩和の状況からこの4連休に彼が私の部屋に泊まりに来ることになった。
2人とも家・職場・スーパーの往復しかしていなかったのでレンタサイクルで少し運動をしようと話していた。
スマホ変えたね、髪伸びたねなどど雑談しながら自転車をこぎ続けたが自粛で体力が落ちていて2時間くらいで疲れてしまい、
昼食をとった後すぐに帰宅し、風呂に入り着ていた服を洗濯したあとは2人して昼寝してしまった。
起きたのは日が沈んだ後で、テレビを見ながら作った私が作った豚汁を食べて99人の壁を見て雑談をした。
私が飯を作ったから皿洗いをお願いした。彼はいいよと言って食器をシンクまで運び始めた時に豹変をした。
「なにこれ?」
私は台所周りの片づけが大変苦手であった。調理スペースには豚汁で使用していない腐った食材や調味料が散乱し、
いつ洗ったかもわからない食器がずっと水切りカゴに放置され、赤い鍋はギトギトで真っ黒だった。
食器棚があるがいつも決まった皿しか使わず、たまに使った小鉢やなどが水切りカゴに放置され続け、木製のカトラリーはかびていた。
彼は「今度お母さんに言うから」と言った。このお母さんというのは私の母である。
コロナ禍以前、彼、私の母、私の3人でよくポケモンGOで遊んでいて私がトイレに行っている間に私の部屋(主に水回り)の汚さを分かち合っていた。
母も私の家を訪れては「汚い」とだけ言っていた。2人に「汚い」と罵られるのが嫌で風呂やトイレ、洗面台はいつもきれいにしていた。
台所は生ごみを捨て、排水口に洗剤を投入し、コンロを拭くだけで掃除した気になっていた。
一度台所にあるものを移し、徹底的に清掃することになった。水切りカゴの下は異臭がひどく、さびも落ちるかわからない状態だった。
深夜1時まで清掃は続いた。私が清掃した箇所に汚い鍋を置いたことで彼が怒り、会話はほとんど確認のみになっていた。
「明日はホームセンターに行こう」と彼が提案してきた。断ることはできない。
1人暮らし始めてから5年以上経過しているため、かなり汚れが蓄積されとても家にある清掃道具では太刀打ちできなかった。
彼は飲食店を経営している知人の家の台所を参考に、汚れづらい台所まわりの活用法を提案してきた。
いきなり2リットルのペットボトルを飲み干し、切ってスポンジ置きを作り、汚くなったら捨てて新しく作るんだよ、と教えてくれた。
コンロの下や横などの油ハネしないように衝立を買うこと、水切りカゴはシンク内に設置し、乾いたら移動する習慣を付けることなどいろいろ言われた。
彼の物言いは厳しいものもあったが、私もこれを機に台所を変えようと本気で思った。
おそらく彼はこの家で一緒に暮らそうと考えているからここまで本気で言っていることがわかったからだ。
翌朝ホームセンターでコンロの衝立や下敷き、新しい水切りカゴやさびに強いたわしなど購入した。
家に帰ってくるとさっそくさび落としに励み、コンロの下の掃除や今まで使用していた水切りカゴの解体を始めた。
特にコンロの下は油でギトギトになっており二人で交代で作業した。
汗だくになりながら一心不乱に鍋の汚れを落とし、炊飯器を磨き、あっという間に夕方になってしまった。
真っ黒でギトギトだった鍋も赤く戻り、新品のような輝きを取り戻していた。
いつ使用したかわからない腐った食材は一掃され、さびは落ち、入居してきたばかりの状態に戻ることができたのだ。
夕飯を私が作り、食べ終わった後昨日のように皿洗いをお願いしたら新しい習慣を付けるために自分でやりなさいと言われた。
彼は背中から姑のように監視し、「これはまだここに入れないで」や「さきにこっちを洗わないと水切りカゴに入らないよ」などと指摘して私を震えさせた。
次の日私は仕事があるため、ひと段落したところで今日はここまで、となった。
私はもう正直満足していたが、口答えできる立場ではなくなっていた。
私は彼に言われる前に母に自分で言おうと思い、2日間の清掃の記録を連絡をした。
母は呆れると同時に「ドラマの私の家政婦ナギサさんみたいだね」などとのんきに言っていた。
途中からかなりスパルタになっていたため、ナギサさんには程遠く(しかもそんなに年齢差はないし)、
どちらかというとのだめカンタービレののだめと千秋のほうが近かった。
この話を寝る前に彼にしたら、彼がのだめカンタービレを見たことがないとのことでアニメ1話を視聴してから寝ることにした。
彼はあんまり共感はしてくれなかった。(私が汚くしているのはあくまで台所だけなので…)
台所掃除の件では私が圧倒的不利嫁と姑のような関係ではあるが、私が立場の強い時もある。
色々あるが、洗濯の頻度に関しては私が逆に姑と化すこともあるし、彼の趣味のコレクションの一部を管理していたりもする。
色々な部分が食べづらい。
まず唐揚げがデカいので、大口開けてかぶりつくか、唇や鼻先に付くのを覚悟で齧るしかない。
半分に切って出してもらう事もできるが、どこにも書いてないし訊かれもしないので、知っている人しか使う事ができないオプションである。
デフォルトで付いてくる二種類のタレも、掛けるのではなく小さな小鉢なので、ゴツゴツした不定形であるからあげには付けづらい。(ついでに、丼とセットのからあげや、単品のからあげには付いて来ないので、追加の料金を払うかマヨネーズで食べる事になる)
味は悪くないが、とろろ昆布は割り箸に絡みつくし、雫とともに垂れ下がるので異様に食べづらい。
付け合せもなぜかイカの塩辛である。別に嫌いではないが、定食屋のデフォルトのオプションとしては癖がありすぎて微妙だ。たくあんのような漬物か、フリカケの方がありがたい。
総じて、綺麗に食べる事が難しいのだ。
二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。
和食さとでは刺身と天ぷらといくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。
店を出て先の地図の記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれ、セメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。
次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形の区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民に迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。
その区画の境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪(つきのわ)だという。
この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。
その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的な怪談の舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。
やがて参道が果て、二つ目の鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からはわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方から微かにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったから幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。
正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。
東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめでもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。
ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路を下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々とホテルへと向かう。
しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意は限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路や建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所の存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かに「トイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンのライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。
風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。
翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。
日の光の下では龍王神社はありふれた田舎の神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。
(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)
暑い。お腹は空いたがなんか食べる位なら我慢する。お店に入って食べられるなら食べたいものも思い浮かぶが、そんな気力は無い。コンビニで買って家で食べたい。
そんな状態の助けとなる惣菜が現れた。セブンイレブンのカップタイプの惣菜、ナスの揚げ浸し。パウチチルドタイプは以前からあったが、ああいうのを皿にあけることもできない時もある。その点こいつは普通の惣菜で、盛り付け済みな上に大根おろしと小口オクラまで乗っかっている。なんかもう提供されている。
かなり濃いめの味付けなので、ごはんやお酒も入る。主食が入るならもうちょっとなんか食べようかと、最低でも汁物が食べられる。
セブンイレブンはブラック振りが嫌になってプチ不買したりそんなうちにおにぎりが超絶劣化したりしていたが、副菜的な惣菜をカップで出してくれ始めたのでありがたく利用している。食欲ないときは主菜とか選べないんですよ…どれも重すぎて。一個だけ食べてみることもできるし、小鉢がいっぱいなんていう高級料亭みたいな食卓を作ることも可能だ。しかも具材が色々で、各具材の消費量と寿命的に、自分で作るにはちょっと無理なんてものも多い。
まさか食べたくない気持ちをコンビニ惣菜に助けてもらえる日が来るとは思わなかった。食べないとあらゆる状況で叱られるしさあ、なんなのあいつら食えるなら自分が一番食いたいと思っている。ありがとう…ありがとう多様性…ありがとう商品開発…
https://anond.hatelabo.jp/20200804004750
https://anond.hatelabo.jp/20200804130231
この流れに冷や水を掛ける意図はないのだが、私はインド料理は豆・野菜料理が美味いと思う。
今日話題になった増田はいずれもチキンカレーをレシピのシンプルさや調理時間の短さを中心に論じたものだ。
一方、インド料理には多数の豆・野菜料理があり、その中には非常にシンプルで美味いものがある。
これほど頻繁にインド料理が話題になるのにもかかわらず、ほぼすべてが肉を使ったカレーに関するもので、
この罠の話をまずしたい。ただし断っておくが与太話だ。
そしてその後いくつか簡単に作れる野菜を用いたインド料理を紹介する。
クートゥ、ラサム、サンバル辺りも美味いが豆を煮るのが少しハードルが高いかもしれないので省く。
スパイスカレーの罠、それは様々な場所に張り巡らされている。罠はインド料理に興味を持つ人を対象に据えられており、
それにかかると様々なインド料理を作りたいと思いつつも、ひたすらに肉を使った同じようなカレーを作り続けてしまう。
こう言われて思い当たる節がある人もいるのではないのだろうか。
私はかつてこの罠にかかっていた。インド料理に興味をもち、毛色の違ういくつかのレシピ本を買い、基本的なスパイスを揃えた。
本をめくり、近所のインド料理屋では見たことのない料理や、レシピから味を想像することのできない未知の料理を眺め、
いつか作りたい。そう考えた。しかし結局のところ私は鶏、豚、羊肉でいわゆるカレーを作り続け、次第に飽き、
何故このような事態になったのか、それは断定できる類のものではないが、
大抵の人がインドカレーと初めて会うのはインド(もしくはネパール)料理屋だろう。
ターリやミールスを提供する本格的な店も多数あるだろうが、それはインド料理屋全体から見たら少数で、
多くの人にとっては名店でもない、いわゆる普通のインド料理屋が出会いの場となるだろう。
カレーを1つ注文するとナンとサラダがついてきて1000円弱というような店だ。
そうして食べるカレーは、これまで食べてきたルーを使ったカレーとは異なり、
スパイスの鮮烈な香りがあり、焼きたてのふかふかとしたナンをつけて食べると、間違いなく美味い。
こうして一部の人はインドカレーの虜となり、店に通いだし、いつしか自分で作ることを志す。
しかしここに罠が仕掛けられている。この手のインド料理屋はメニューのほとんどがカレーなのだ。
メニューには様々なカレーが並んでいて、説明書きによれば具材やスパイスの使い方が異なっているとのことだが、
実際食べて見ると確かにそれぞれ味は違うが、根っこの部分では似たような味がする。
こうしてインド料理といったらこういう味のするカレーという図式が脳内に知らず知らず構成されてしまう。
無論、レシピ本を開けば様々な料理が載っているのだからそちらに目が向くのではないかという考えはもっともだが、
しかし自分の中に確固とした目指すべき像があると、正解の味を知らない、想像もつかない料理を作るのはハードルが高い。
インド料理屋で出てくるカレーは銀色の小さい器に盛られていて、
あれはカロリーや油の量からしてもあの程度に収めておくのが健康的だが、自分で作るときにあの量だけ作るのは難しい。
余程小さいフライパンを使わない限り、調理しにくくない分量で作ると優に3人前近くはできてしまう。
これは健康を無視すれば特に無理なく食べきることのできる量だが、米飯もしくはナンと共に食べるとすると、
もうこれだけで十分満腹になるほどの量にはなる。するとせいぜいこれに付け加えてもサラダぐらいのもので、
こうして種々のレシピ本に載っているメインを張るほどではない料理は作られる機会を失う。
サブジは野菜の蒸し焼きでじゃがいも、人参、大根といった根菜からブロッコリー、
カリフラワー、インゲン、キャベツなどかなり幅広い野菜が使える。
とりあえずここでは細かいことは気にしない。
・マスタードシード or クミンシード (両方入れてもいい)
・ヒング(なくてもいい)
・油(多め)をフライパンに熱し、スタータースパイスを加熱する。
・刻んだ野菜を加え、油をなじませる。
・蓋をして、弱火から中火で加熱
・完成
要するにターメリックとカイエンペッパーをまぶして蒸し焼きしただけの料理で、
味もそう予想を裏切るものではない。
ただ実際食べて見れば塩味にスパイスの風味が加わるだけで十分に美味いことが分かると思う。
サブジを作り、完成し火を止めた後にココナッツシュレッド(フレーク状のココナッツ、製菓材料売り場にある)をドバっと入れてかき混ぜたら完成。
ココナッツのトロピカルな風味とわずかな甘みが予想以上に仕事をする。
米飯によく合う。一度食べて見ないとこれの美味しさは分からない。
・野菜(サブジと同様に色々使える、たくさんの種類を入れた方が美味い)
ココナッツマサラ
・カイエンペッパー(なくてもいい)
・フライパンに野菜を入れ、わずかな水を入れて煮て火を通す。火が通った時にほとんど水が残らないぐらい。
・ココナッツマサラをつくる。ココナッツシュレッド、水、クミンシード、青唐辛子をブレンダーで回す(ブレンダーを使うのを回避したかったらクミンシードの代わりにパウダーを使い、青唐辛子を適当に刻んで混ぜればいい)
・煮た野菜にココナッツマサラ、塩、パウダースパイスを加え、少し煮る。
・火を弱め、ヨーグルトを加え、温まったらすぐ火を消す(ヨーグルトの分離を防ぐため、分離してもどうということはない)
・完成
よくインド料理に必須のパウダースパイスはターメリック、カイエンペッパー、クミン、コリアンダーといわれ、その風味の強さからクミン、コリアンダーあたりが重要視されていると感じているが、ターメリック、カイエンペッパーは想像以上に役に立つスパイスだ。今回記したレシピのようにスパイスの種類を絞った料理を作ってみるとそれがよくわかると思う。
ただ今回紹介したレシピはいずれも簡略化したものでもっと様々なスパイスを加えるなど、工夫した方が美味く仕上がるだろうことは断っておく。