はてなキーワード: ポリシーとは
昨今の日本インターネットでの冷笑系は、アンチ左派、アンチリベラルを基本としてたまに右翼活動家を笑い、稀に自民もネタにするって層が人気だと思うんだけど。
俺は自民も立憲も、右翼活動家もフェミも冷笑してるけど、政治嗜好を強引に一言でまとめればやや左って感じだから、なんかいまいちおもんないんだよね。
俺のポリシーは
・まず否定から入れ。他人の意見を見たら「でもそうとは限らないよね」と考えろ。
・何事にも本気になるなかれ。
なわけ。
それでヘラヘラしながら何事にも逆張りしてると、自然とゆるふわアナーキズムとかゆるふわリバタリアンぽくなったけど、でもその辺も最近は新自由主義とかオルトライトのキマッてる人たちの匂いがしてきたからやーやーなの><って感じ。
そんな気合入れて冷笑したり他の人の発言をRTしてるの、冷笑つーか嘲笑って感じで重いわ暑苦しいわ。
ネット床屋政談なんてもっと思考実験って感じで、次の日には逆の立場からの意見を言って遊ぶくらいでいいんじゃないの。それはやりすぎか。まあどうでもいいけど。
1/4
夜中の1時に目がバキバキに覚めて、しばし悶々としてから無性に鶏皮を食いたくなった。コンビニのホットスナックも深夜は枯れてるし、といって冷食で妥協したくもなかった。おれは鶏皮のパリパリ感が好きだ。
もう今じゃなきゃいけない、どうしようもなく鶏皮の口だったんでGoogleマップを開いてみた。駅前のトリキが5時までやってるらしい。あと10分だけスマホポチポチしてダラダラしようとタイマーをつけて、30分くらい経ってから家を出た。
友達いない上に飲めないから居酒屋なんて入ることはなくて少し緊張したけれど、数グループの団体以外に会社員風の男や学生っぽい若者の一人客もまばらにいた。騒がしすぎないし、静かすぎる事もなくて程よい。
オーダーがタブレットなのがかまいたちの動画で学んだ鳥貴族の美点だ。今はどこもそうなんだろうか。なんだか口にするのが恥ずかしいような頼み方でも、機械越しならそれもやわらぐ。と思っていたら席に通されて一杯目の飲み物は口頭で聞かれた。見栄を張ってアルコールにするか、0.5秒の間に悩みまくってジンジャーエールにした。坊や、ここにミルクはないぜギャハハハみたいな西部劇の酒場の画が浮かんだ。
当初の目的を思えば鶏皮チップスに大量の鶏皮串だけ頼めば良かったのだけど、それも何だか気恥ずかしかった。夜中に陰気なガキが一人で来てソフトドリンクを頼む。どうせ変な客だろうし、これ以上人目を気にすることもない。そもそも店員だって一々気に留めないと思う。せいぜいアイツウケると2秒間の話題になって終わりだろう。それでも居酒屋エアプなりにバランスを考えて一応キャベツとか頼んでみる。おかわりする予定もないのに。
タレのモモや一度も食べたことのなかったぼんじりを適当に放り込んでフィニッシュ。鶏皮は材料の不足で一人5皿までとなっていて、なんだ10本までしか食えないのかと落胆した。が、他にも割と頼んでいたので様子見で3皿にしておいた。
早々に来たキャベツと鶏皮チップスをボリボリ食いながら注文履歴を見ると、8品で3000円弱くらいだった。安いと言いつつそんくらいはすんだなと思った。それともおれが食いすぎなのか。学生の夜食には贅沢だ。
鶏皮チップスは結構硬くて、風味もおれの思い描いていた鶏皮と何かニアピンですれ違うような感じがした。衣の味が強く、といって塩味は控えめで片栗粉?の主張が強めな気がした。まあでも控え目にやってくる鶏皮の味は確かに喜ばしかった。キャベツもゴマ油っぽい感じを想定していたら割とサッパリした感じだった。想像とのギャップに戸惑いつつ、これも悪くないなと思った。おかわりするなら特に。
話し相手もおらず、と言ってバクバク食い続けても一瞬で手持ち無沙汰になりそうだったので、ややポリシーに反するがスマホポチポチしながら食うことにした。
呟きもまばらなTLを何度も更新したり、頭に浮かんだ言葉を検索してはタブを閉じる。片手間に鶏皮チップスをセーブしつつキャベツを平らげ、焼き鳥が届いた頃にジンジャーエールが無くなりかけた。
二杯目をどうするかぼんじりを食いながら考える。なるほど、ぼんじりとは骨が混じっているのか。イヤ異物混入か?と不安になってスマホで調べる。そういものなのか。まあこれならももでいいかなという感じだった。勉強にはなった。安チェーンのぼんじりなんて脂っこいだけと耳にしたことがあったがそんな印象はさほどなかった。
あとはごく普通のタレももをごく普通に平らげ、残すは鶏皮だけだ。他のもので腹を満たし、最後に好物を残すことで好きなもので腹一杯になった感を出す。よくやる戦法だ。
さてドリンクをどうするか。6串の鶏皮(塩)を見て、不意にこれはアルコールなんじゃないかと思った。
唐揚げにビール、刺身に日本酒、焼き鳥だってアルコールだろう。現物を目前にして、借り物の感覚が肉薄してくる。
一杯目はソフトドリンクで、腹にモノも溜まってる。過去何度かの経験から、これはまだ大丈夫なパターンではないかと思った。
メニューを開いてみる。どれもアルコールの含有量が書いてある親切設計だ。メガジョッキに向かう好奇心を抑えて富美男のレモンサワーを選んだ。
レモンサワーの素のおまけでついてそうなタンブラーがすぐさま運ばれてくる。そして念願の鶏皮串を頬張る。
恐る恐るレモンサワーで流し込んでみる。妙にしっくりくる感じがした。
キンキンに冷えてるからだろうか。塩味で舌がやられているのだろうか。はたまた馴染んでいるのか。あのアルコールのツンとしたイヤな風味を感じない。口の中のアルコール感が不快感に到達する手前で喉に流れていく。ゴクッと飲み下せる。
これならイケるからと言われて99.99もほろよいもバドのシャンディガフも上善如水も飲んで騙されてきたけれど、こんな事は初めてかもしれない。
別にジュースでいいといえばそんな気もした。そっちの方が美味しく食べられるような気もした。
美味しさとはまた別に、ジュースよりもしっくり来る感じもした。
腹も膨れてきて、最後の一串をほぼ水まで薄まったレモンサワーの残滓で流し込む。3皿にしておいて良かった。
1時間経たないくらいだろうか。喋る訳でもなく、チビチビやる訳でもなく、一人でただ食べるだけだと早い。寂しさはなくて、ただただ一瞬だったなとだけ思った。
会計を済ませると、ドアが開かない。押戸なのか引き戸なのか、はたまた出入り口を間違っているのか。軽く脳内で慌てていると店員が少し手こずりつつ開けてくれた。立て付けが悪いようだ。最後の最後で少し気恥ずかしかった。
帰り道の一服が妙にうまかった。くどいラーメンを食った後と良い勝負だ。キャッチのオニサンマッサージドに少し水を差されたような気になった。でも鶏皮は食えた。
以前、友人の家で友人不在の時にダンボールをまとめて出した時。好意でやったんだけど。
私は宛名を剥がす習慣がなかったのね
そしたら後々「えっ?」て驚きと引いた反応されて。
だけど人が好意でやったのにそんな顔する?ってのと
一番言いたいのは宛名剥がす事にそんなに気をつける意味があるのかって話。(現在自分は出来るだけ剥がすスタンス)
ネットでも剥がすよ?ある個人情報だよ?剥がさないのはバカなん?みたいな意見ばっかりだった。
まずダンボールなんて重要書類でもなく偽名でいいんだからまず偽名で頼めよ。自分はそうしてる。
そして、どこの誰とも分からないその人物の名前と住所にそんなに価値があるのかって事。
そこに住んでる人の名前、珍しくなかったらどこの誰か分からないよね。
確かに女性の名前だったらストーカーされる可能性がないわけではない。男性でも全くないわけではない。
私は防犯ブザーは常に持ち歩いているし
そっちの方が危なくないか?
住所と名前、性別特定されたところですぐさま危険が及ぶ訳ではないが(運悪く女性ってだけで変質者が殺しにくる可能性はあるかもしれないが。)
道端で襲われたら即死の危険性がある。そっちをまず対策してからじゃないか?
まず、大きなものを対策して、残りの0.1%を対策するものじゃないのか?
こういう合理的でない、一貫性のない行動をする人ってマジでイラつくんだよな
そもそも、この安全な国日本でそこまで危険だと思うなら絶対外出るなよ
少なくとも夜は外出するなよ
独身子無しだと人生しんどくなるって言われても結婚して改姓して妊娠して..やる前から出来ないと言っているのは、やらないといけないとかやったらできるの空きができるまで待機の2割の役割だと思うので、現状をポリシーのように唱えて拒絶することで代替をせがむよりゆっくり待っていれば。2023/12/19 00:23
難しい
解説頼む!
今の派遣先に、俺の背後を通るたびに肘で俺の後頭部を小突く奴がいる
もちろん俺はやめてくれと再三要求してたんだが、なぜかそいつはやめようとしなかったし、周囲もたしなめようともしなかった
仕方がないので小突かれるたびに中身入りのペットボトルをそいつの後頭部に投げつけるようにした
まあその日のうちに現場の上長から厳重注意されたんだが、暴力を振るわれたらその場ですぐにやり返すのが自分のポリシーなのでやめろと言われても従えないと伝えたら出勤停止になった
一応の謝罪はあったらしい
が、俺の頭を小突くのを二度としないという確約は得られなかったと
じゃあ俺のペットボトル投擲もそっちと同じ親密な相手にするコミュニケーションだと思って認めろ、認められないなら契約切ってくれと伝えて今まで不貞寝してた
まずユニクロなんかで本当の意味でのオシャレになんかなれるわけがない。
ユニクロのデザインはストリートで流行ったものが後から流れてくる。
自分はスケーターでありバンドマンでもあるので、同級生より早く洋服に目覚め、古着屋に行くようになった。
スケーターやバンドマンはオシャレが多く、一児の父になった今でもスケーターや好きなバンドマンの格好を参考にする。
そうやって25年も洋服を選んでくれば多少なりとも選ぶ選ぶ力(これがセンス)がすこーしだけ人よりはあると思う。
当たり前の話。ずっと人を参考にしてある程度流行を追ってるからで、これを真剣に取り組んでいれば誰でも選ぶ力は身に付く。
洋服以外もそうだ。
様はどれだけ物事に対して真剣さがあるかって話で、「オーバーオール コーデ」、「タックイン コーデ」とかこの冬オススメのコーデとかそんなものをググって見てる位の情熱じゃオシャレになんかなれないし、そんな無理してオシャレしなくてもいい。
オシャレは抽象的に思われがちだけど、ちゃんとそれぞれルーツ、カルチャー、スタイルがあって成り立つもの。
・色がついてる方がお得!
・柄がたくさんある方がお得!
・デザインが凝ってる方がお得!
と思ってしまうんだが、それは間違いだったのだ。
これは立派なポリシーだし、参考にしたい憧れの誰かがいないのであればこれを貫きとおせば良いと思う。
貫き通した先にあるオシャレというのもある。
ユニクロでオシャレできないと言ったくせに矛盾しているが、志のこと。
ポリシーがあればオシャレ。
斯様に思います。
ダサさというのは自分のセンスと相手(世間)のセンスの差で起こる
この条件下ではダサさは生じない
ダサいというのは思い通りの服を着れないか、思い通りに着たのに世間からダサい認定された時に生じる
このとき、「自分では良いと思っているのに世間ではダサいと思われている」ことに気づき、それを認めなきゃならない
これにはコミュ力や空気を読む力が要るので、陰キャはこの壁が苦手である
あと謙虚さがない人もこの壁が苦手、周りにイエスマンが固まってるとか
(私は大学生だった、中学生はそれ以前「お母さんセレクト」だった、お母さんセレクトはセンスが前時代でありダサさの象徴である)
あるいはマネキン買いとか、ファッション雑誌丸パクリのような、何かしら解決策を見つけられた人も良い
それ以外のセンスのない人は苦しむことになる
ファッションは非常に難しい、言語化されていないし、個人差もあるし、時代によっても違う、足し算すればいいわけでもない
おまけにほとんどの人はスタイルが良いとか美形であるというポテンシャルもないから有名人の真似をしてもダサいままだ
(服がなんでも合いやすい人、服がなんでも合いにくい人がいる。後者は地獄だ)
調べるのがとても難しい
とにかく勉強し、色んな人の意見を聞いて試行錯誤していくしかない
この時調べるべきは一般的な知識もそうだけど、自分にそれがあってるかどうかも調べなければならないから難しい
つまりセンスの良い友達や家族と服の話をするとか、複数の店員にひたすら聞いて深掘りして聞いていく必要がある
(私はぼっちだったので後者を選択した、店員は嘘もつくから複数の店員の意見を総合する必要がある)
自分のスタイルを崩さず、オリジナリティを突っ走り、かつスタイルが良く美形な人、あるいはキャラクター的である人
なんならフォローされ真似されたりもする
服に悩んでる人は究極彼らに成りたいのだが、成れないため悩む
ただ、戦略的に天然を装ってる人もいる
これは物差しで測れない領域に行くと人のセンスセンサーはバグるので、それを狙ってる人だ
毎日同じ服を着るのもこれに該当すると思う
「◯◯さんはそれでいいと思う、むしろそれでいてほしい」と言われたら勝ちだ
養殖と呼ぼう
市場調査をし、自分にとってそれなりに最適解である服を選べるようになったとする
ここまで到れる人は6割は居ると思う(苦手な人にはこの割合が信じられない)
当然都会の方が多い、都内の大学生あたりは若いうちにここまで来ている
ただ、ここまで来れた者たちはほとんど同じ格好になる
すると残酷なことに、いつしかダサい認定されていることに気づいてしまうんだ
真似する人・空気読む人という姿勢がまずダサいとまで言われてしまう
(キョロ充とか呼ばれることがあるが、天然との対極にいる存在だ)
ここから「無難からの脱却」をする必要が出てくるが、下手にやると壁2に逆戻りする
この先は本当にセンスが要る
無難から脱却した人たちというのは、ある程度センスが有る人たちばかりだ
「センスよく見られたい」などという邪なモチベーションで来た者には出せないものをもっている
センスない者は結局その「どれをパクるか」を選択しなきゃならないわけだが
そのファッションというのは結局その人やその人の属するコミュニティ、TOPにとっての正解であって
その条件を間違い、安易にパクると途端にダサいゾーンに入ってしまう
センスを一回パクってみるとわかるが、見る人次第で「いいね」という人と「ないね」という人が出てきてしまう
ある場面ではおしゃれな人達からおしゃれ認定されるし、他の場面では直接ではなくとも間接的に「アレはないよね」と言われてしまう
人の顔色ばかり伺って最適解を探そうとしてきた人はここで壊れる
結局自己満足で服を着ていたセンスある人が正しいんだと気づいて、じゃあ今までの苦労はなんだったんだと思い、でも自分が自己満足で着ると酷いことになるんだよなー、などとぐるぐるし始める
この壁を突破して、「無難+自分のポリシー+TPO」という自分なりに答えを出せる人はそう多くないと思う
究極言えば服は「どう見られたいか」「どうありたいか」という哲学的な話になってくる
「界隈の無難」を使い分ける手だと思う
界隈のユニフォームみたいなのあるだろ?あれをその場に応じて使い分ける
化粧もそれに応じて使い分ける、キャラクターも使い分ける
ここらへんが凡人の限界であり、ここでいいんだと思う
これを「擬態」と呼んでいる
(私はここの割り切りがどうしてもできず、ちょっとオリジナリティを出そうとして浮いて羞恥するザコである、羞恥するのはポリシーがないからだ)
完全に諦めたらここになる
最強である
「解脱者」と呼ぼう
ひどいと「新しい服を3回着たらもう着れない」みたいな人もいる
女子に多い、友達にいるがバカジャネーノと思いつつちょっと可哀想でもある
無垢な幸せ者がカッコいいと言う服、それはつまりダサい服である
その人に好かれる最高の服はダサい服であり、無難な服ではない、そこが面白いと思う
足しすぎないとか、色を合わせるとか、Aラインだの、骨格だの
それらは一見虎の巻に見えるが、これを覚えても実践との差がある
それに、これらを超越してるセンスの人たちも当然いる(例えば大阪のおばちゃんとか)
厄介なことに、これらを超越してるセンスの人の中にもセンスが良い人がいる
これまじ
ただし体型をよくするとそれをアピールしたくなる病気にかかるから注意でもある
(筋トレしてみるとわかる、私はダイエットに成功した時細くてピッチリした服を求めてしまった)
次に出てくるのは「こうしたほうが良いよ」である
心を強く持たなきゃならない
極稀に「母がセンス良い」という家庭があるがただのラッキーな者なので妬んでやろう
しかし父母世代のセンスの中にも光るものが必ず有り、それはやがて復刻する
復刻した時、ダサい認定していた世代は着れないが、その下の世代は着るので、そうやって流行のレイヤーができる
むしろ子供世代が「父母世代センス否定の呪い」にかかってるからこそ、更にその下の孫世代は安心してそれが着れるわけだ
それは下の世代のウケはいいけど、同年代からのウケが最悪になるから
2023-04-12 | https://anond.hatelabo.jp/20230412190241#
そうだぞ。日常生活で困らないレベルの検索能力があれば自分で調べた方が早いし正確だぞ
ただドキュメント読むの面倒な時、
○○に関する△△の一覧を表示してくださいって入れたら、素の状態でも一覧拾ってきてくれるし、
□□の場合は♢♢もイケるのはなんで?って尋ねたら、バージョンXXから標準やでって答えてくれる
もちろん、どこの投稿参考にしたんや?ってトンチキ回答を返してくることもあるけど、
おかしい・怪しいのは見ればわかるし、何もしたくない時にだいぶ手間は省けるよね
とりあえず、活用!!!!!!!! とかやりたいのであれば素ではなく、
やり方は ChatGPT くんに聞こう
あ、bing ちゃんの方はなにに使うのか今のところちょっとよくわかんないですね
雑談はヘイトや文脈理解よわよわで使えないから、とりあえず MS の製品についてでも尋ねてみようかしらって思って、
試しに、 Intune の MDMポリシー 聞いてみたら、ChatGPT くんレベルでも答えてくれる事に答えてくれない
bingちゃん:MS製品の仕様・詳細につきましては、MSプレミアサポートにお問い合わせください
追記1:現在(2023年4月)、MS製品の仕様にちゃんと答えてくれるわね。改善があったのかワイの尋ね方が悪かったのか・・・
自身の家族について言及するブコメは珍しくないから、十何年ブコメし続けているコアユーザーであれば嫁や子供の話題が出てもおかしくはないよねという推論の話をしているのであって、お前の嫁にも子供にも毛ほども興味ないから安心して。
家族の話をしないポリシーはまぁ正しいよなと思いつつ、件のブクマカ達は自身の父親母親兄弟の話は度々しているので、嫁子供については存在しないが正解なのだろう。
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
↓↓↓
2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
教育委員会との協力:
寄贈品の利用方針について教育委員会と協力し、教育委員会が全体の指針を策定するのをサポートする。これには、平等な利用、適切な管理方法、メンテナンスの要点を含める。
寄贈品の利用に関する教職員向けのワークショップを開催し、具体的なケースに基づいたシナリオでの適切な利用法を討議する。これにより、教職員が実際の問題に対処する際のスキルを向上させる。
寄贈品の利用に関する方針を文書化し、学校のウェブサイトや掲示板で生徒、教職員、保護者に公開する。明確なポリシーがあれば、問題が発生した際にそれに基づいて対応することができる。
寄贈品担当者の任命:
寄贈品の担当者を指名し、その担当者には寄贈品の監督、メンテナンス、予防措置の責任を持たせる。この人が寄贈品に関する連絡先となり、問題が発生した場合には即座に対応できるようにする。
週次または月次の点検:
寄贈品を定期的に点検し、損傷や問題がないかを確認する。これにより、問題が早期に発見され、修復が必要な場合は素早く対応できる。
寄贈品の担当者と教職員との間で定期的なミーティングを開催し、寄贈品の利用状況や問題点について報告し合う。これにより、コミュニケーションが円滑に行われ、問題が早期に解決できる。
寄贈品の利用に関するルールについて、アセンブリや保護者会などで生徒や保護者に直接説明する。具体的なケースやシナリオを通じて、ルールの理解を促進する。
寄贈品の利用に関するポスターを学校内に掲示し、生徒が常にルールを確認できるようにする。これにより、可視性が向上し、ルールの浸透が進む。
オンライン学習プラットフォームや学校のウェブサイトを活用して、寄贈品の利用ルールをまとめた資料をアップロードする。生徒や保護者は随時アクセスできるため、ルールにアクセスする機会が増える。
それを見た夫はタイトル通りに言う。
私が不機嫌なのは食洗機が夫の担当だからだ。整理整頓、掃除全般が苦手な夫でも出来るように食洗機を買った。鍋やシンクを洗うのは私の担当だ。もちろんその他の掃除も全て私の担当だ。
鍋を洗いたいのに食器が溜まって邪魔なので、結局ほとんど私が食洗機を回すことになる。食器をセットするのは3分もかからないのに、無性に腹が立つ。
「言ってくれたらやる」が通用すると思っていること自体が許せない。
これを仕事に置き換えたら通用しないことくらい分かるだろう。自分の業務を放棄したあげく、業務に支障がでる同僚が代わりにやったら謝りもせずに「言ってくれたらやるのに」と言う。ダメだろ。自分に割り当てられた業務は誰に言われずともやるのが普通。それが何故か家事や私に対しては「言ってくれたらやる」が通用すると思っている。家事も私も舐めているとしか思えない。
実際に言う時もあるが、そうすると夫が不機嫌になって皿をガチャガチャ鳴らしながらやったりするのでそれも面倒だ。
先日バズった夫婦円満の秘訣に、「言葉で伝える」「相手を変えようとしない」とあったが、この2つはどう考えても対立するものだ。「言われなくてもやって欲しい」「言った時は不機嫌にならないで欲しい」と伝えるのは「相手に変わって欲しい」という欲求があるからだ。
私は数年の結婚生活で「人は変えられない」ことを痛感しているので、もう言葉で伝えることを諦めてしまった。
元々「他人に期待しない」をポリシーとして生きてきたが、それを夫婦関係に適応してしまうと、なんとも虚しく、一緒にいる意味を見失ってしまう。支えあっている感じがしない。
わたしも何が悪か分からなかったからわざわざ、自民の御用学者をやってる先生がいる大学まで授業を受けに行ったよ。
江戸時代スタイルの世襲で民間から徴収がうまかった庄屋みたいな仕事をしてる地方の人を、友達同士の口コミでどの人に投票するかを口裏合わせで地元のおらが村の殿様を政界に送り出し、各地方の民がおらが村の議員様が大臣さなった!と言える事と党内のパワーバランスを保って他の議員の嫉妬で謀反を起こさせないように、専門性皆無でも当選回数によって大臣職にあてる。
専門性のない大臣は贔屓の官僚の出す方策を国会に持ち出せるように委員会で調整し、それが民間の必要性に合致しなくても通れるように調整し、さらに選挙区の皆様におらが村の大臣様カッケー!と言わせる。
また会議などは議論などは行わず、パワーバランスと根回しで決定、民間の細やかしい要望は特にポリシーと合わなければ受け入れる必要がないからここで消される。何年も消される。ピルとかそういうのが通らないのはこのせいらしい。
この先生は某大国の議員がやってきた時、会議で議論をしないんですか、って言われて日本は会議は決定内容を報告する場であり、そんな時間は持たない事を誇りのように伝えたらしいよ。その先生は。
日本では、あるものごとを変える為には議員と官僚に気に入られるように力をいれて、ごまする時間をかけないとダメ、で、対象になる議員官僚も年功序列で下のものが上のものの顔に泥を塗らないように、下のものにアイデアをだしてもダメ。
これが時代の各国にある即時性に欠け、流れになかなかキャッチアップ出来ない理由。
とはいえ選挙に通らないとその舞台にも乗れないから各方面の地域の産業や大手企業に選挙前から頭を下げて御用聞みたいなアクティビティをする。その地方の産業団体や企業の人達は他の人に入れようものなら村八分になる恐怖があるため自分の意思ではなく企業の意思として指定の候補に投票する。安泰。
高度経済成長期で一身になって日本を繁栄する時にとても有効だった手段を
時代に即さず、また能力に値しない議員候補に対しても地方や周囲に支援や忖度を強制させ没落の一途へ進ませている事。
悪だよ。今の国民の利益も現実が見えてないスピード感のない自民党は。
ライブは音楽を聞かせる場所だと思うんで、みたいなポリシーでもってほとんど話をしなかった。
だいたい3分くらい?
ありがとうございます。〇〇です。今日は来てくれてありがとう。今日の天気は〇〇ですね。
くらいの内容のこと。
あとはひたすら音楽をやってた。
基本、ものすごいストイックな人というのはギターの演奏の技術の高さとかで伝わってくるんだけど、そのストイックさが尖りすぎていたんだと思う。
だから、てっきりすげえ無口な人で何考えてるかわかんないような人なんだろうなあって思ってたんだけど、実は違った。
ある日突然、地方局でラジオを始める言い出して、え?あの人ラジオなんて無理だろ?どうやって間をもたせるんだ?放送事故になるぞ。
メチャクチャ人懐こくて、寂しがり屋で、自分を主張する芯が強くて、いろんなことを考えてて、頭がいい。
そしてコンビニの新製品とかを毎週心待ちにしてるお茶目さがある。
おいおいおいおいおいおいおいおい!!!!!
なんでそういうところ隠してんだよ!?めっちゃかわいらしいやないか!!!!!
というツッコミが総出で入ったせいなのか、
それとも年を重ねて丸くなったのか、
あるいはコロナでひとりボッチのことが多くてその間に考えが変わったのか知らんけど、