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はてなキーワード: ネガティヴとは

2020-04-10

anond:20200409114225

いや、「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!!!」って別にそれしないと先生に怒られるとかそういうのじゃないか

何をどう語ろうと他人はお前が語ったことでしかお前という人間評価できないってことだから

申し訳程度に「なにが好き」とか付け加えても、お前がくだらないことで過剰にネガティヴ感情を垂れ流す人間なのはもうわかっちゃったか

2020-03-22

電通案件」ってだけで悪口

になってることにビックリした

直後の炎上の際に「電通って何?」的なリアクション全然無くて、しかも「電通案件」というワードだけで悪口扱いになってた

電通という組織に対するマイナスイメージってコンセンサス取れてたんだね

というか裏方である広告代理店企業名認知されてるだけでも凄いのにネガティヴイメージの方が強いってどんだけよ

2020-02-17

それは世界中人間が探してる anond:20200217215005

俺だけに儲かりそうなネタを教えろ

ネガティヴニュース見たくないなら

ニュースサイトやアホなユーザーフォローしないだけで秒で解決する

2020-01-17

はてブから離れたい。からの、news picks?

news picksと聞くだけで嫌悪感があるのは分かる、分かるよ。

はてブ10年以上好きでいて。

いま、仕事環境にめぐまれてやりたい事ができてて、ウェイ系かもしれないけど楽しく働いてるんだ。

6社ほどIT系(笑)転職して、こんなに楽しく働けてる環境はない。

やりがい搾取ではなく、ちゃんと成果を評価してくれてる。給料も上がってる。転職して2ヶ月で年収が1.2倍になった。なにより、評価してくれたのが嬉しくて、より頑張って半年経ってまだ評価されそう。一緒に働いてる仲間にも恵まれている。

こんなにありがたいことはない。

みんなポジティブ部署関係なく、本当に楽しい。朝起きて会社に行くのが楽しみ。

40代を超えてもね。

アットホーム会社です。

結婚したことないし、もう彼女を作る気もないけど。

……最近、さみしいのが、はてブを見てて「なんか違う」って思うことなの。

僕より見識高い人のコメントを見れるのが嬉しかった。

記事本音垣間見れるのが楽しかった。

でも、いまの仕事をしてて「ネガティヴ過ぎない?」って思ったり、意見を見てて辛くなって。

で、news picksですよ。

有料契約もしてなかった頃は「はいはい、きわどい人達コメントしあって、なあなあでやってる意識高い系でしょ?」って思ってたの。

でも、誰に勧められるでもなく、知らない世界だし、参考になればと思って見てるの。有料会員になって。

正直、参考になることが多い。

正直、はてブと見比べてる。

でも、はてなの住人でいたい気持ちも強い。

……だけども、はてブを見てるより、news piksを見てる方が心は健全に保たれてるのも事実で。

ずっとはてブにいたかったのに、大好きだったのに、今ははてブを見るのが辛い。

1日1回は覗くけど。

……そんなに否定ばかりで、みんなは楽しいの?

いや、否定したくなる気持ちは分かる。それは僕も変わらない。

でも、ポジティブ見出して共有したくない?

僕は、はてブアプリを削除しようとしている。

それが、さみしい。

離れたくないよ。

2019-12-31

anond:20191231141006

読んでないよ作り話だと思ってるし

つかニュースになるわけないに回答したまでよ

ネガティヴ情報ダメージ与えられないかいつでも構えてるので基本HR許可いる

こんなの1発アウトよね

まぁ有象無象って設定ならそういうこともあるのかもね

院卒なのに有象無象会社面接受けたのね。ビザどうするつもりだったんだろう&学費元取れなそう

普通に作り話だと思ってる HR法務部も大騒ぎになる案件だしニュースなっちゃうよ 院卒が有象無象会社受けたとおも思えませんし

こんなのニュースになるわけないだろ

anond:20191231112804

なるよwww

どこもかしこネガティヴ情報ダメージ与えられないかアンテナ貼ってるんで

大きい会社だと、HR許可貰わないとWEBメディアに出ちゃいけない、インタビューでちゃいけない、団体広報に出てはいけないとかあるよ

ブランドイメージを崩さないためだよ

2019-12-29

anond:20191229114710

ネットに出てくるのは親にならない方がよかったのでは?案件が大半だからでは?

はてな見てる限りでは9割そう思う

これもバカばかり現象と同じで単なるネガティヴバイアスなのだけどね

リアルはそうでもない

anond:20191229094146

いいえ、想像力と誠実さがないからぽこぽこ子作りしようとするのじゃよ

児童福祉ガン無視でね。というか想像が出来ないのだろう想像力がないか

ただ、ネットネガティヴバイアスでアレなものばかりが目につくだけであり

世の中の父ちゃんちゃんは常に子どもを最優先で涙ぐましい努力をしているものである

でなくば負の感情社会はとっくに破滅しているであろう

結局、愛し愛されてというのが何より大事という結論になるのである

2019-12-16

忘年会への世間イメージ

Yahooリアルタイム検索で「忘年会」で検索すると

ポジティブ:37%

ネガティヴ33%

と、かなり互角の戦いをしている

すなわち半数は「忘年会楽しいな」と思い半数は「忘年会つれー」と言っている

2019-12-15

anond:20191215095104

たかだか10単位の話を捏造されても困るし(方向性が違えどネトウヨ本質的に同じ)

ネットに毒されてバカばかりと言われても困るんだが?

常々、ネトウヨとやたら偏った自称リベラル・・・いわゆる政治厨は、

言ってることもやってることも本質的に同じだと思ってるよ

世の中、そんなに悪いことばかりでもバカばかりでもない

ネット自身の行動範囲よりも広い範囲ネガティヴな話が手に入るようになっただけだぜ

そして生存本能からネガティヴ情報は強く記憶されるだけだ

表現の自由があるのだからデモ演説結構であるけれど、

せっかくお外に出るのであれば、身近な困っている人たちに手を差し伸べたり(ボランティア活動)、社会起業でもしてどうぞ

政治は金であるから大企業でも創設して金集めてどうぞ

anond:20191215093031

オタクではなくて無趣味考える力が弱い人でしょ

職場趣味の場でわざわざ政治を出すのはどうかしてる

あとネットばかり見てるからバカばっかりに思えるのだよ

ネガティヴバイアスってヤツだ

陰惨な事件を見て共感性を発露して自身の無力を嘆くよりも

ボランティア活動社会起業でもしてどうぞ

あるいは政治は金であるから大企業創設を目論んでもいい

2019-12-05

エンジニア職に就いたあと辞めたポエム

補足→ https://anond.hatelabo.jp/20191205212350


これは退職アドベントカレンダー2019 (https://adventar.org/calendars/4051) 5日目の記事です。最初自分ブログに書くつもりでしたが、書いてるうちにどこまで筆が滑っているのかわからなくなったので増田に投げることしました。そしたら余計にタガが外れたのはご愛嬌

What's this

よく見かける「未経験からエンジニアへ!」ストーリーの、あまりなさそうなルートです。よくあるルートのほうはなぜかTwitterで報告して「○○系エンジニア」的な命名をしてから入社その後の動向が闇に葬られているのをかなりの確度で見かけますが、まあ、なんか、いろいろあるんでしょう。逆にそういう成功(?)体験生存バイアスを強化する情報ばかりあふれていると情報として健全でないように感じます

ということで、今年あった自分体験談を残すことにします。

といいつつ後日しれっと消えてたらInternetArchivesか魚拓で会いましょう。

この話はここから先はフィクションです。剣も魔法労基法も出てこないファンタジーです。

who are you

地方に潜むフリーターです。好きなvirtual beingsはロボ子さんと東雲めぐさんれいきらさんです。

これまでは自分のためのプログラムを書き散らすだけで、ITとは無関係バイトをしてきました。玉掛フォークリフトなら任せろーバリバリ

入社の経緯

会社にもぐりこんだいきさつはやや特殊なのでぼやかします。とあるきっかけで知り合った人から誘われました。リファラルです。なお、とあるきっかけはなにかと炎上しがちないわゆるプログラミングスクールなどではないことを防火剤がわりに書いておきます。そんなもんに使う金など無い。

その人のことはあんまりよく知らなかったのですが、CTOとして手伝っている会社システム部門で人手を探しているとのことでした。会社ホームページにはリクルートページなど無く、何をやっているかいまいち要領が掴めなかったのですが、ざっくりと自社製のWebアプリ開発をやる感じらしく、内容も聞いた限りでは(自分スキルと照らし合わせて)そんなにどえらいわけでもない印象でした。ちょうど金もないし無職だし、少し経験でも積んでみるかという気になったので、この際ホームページDreamWeaverサンプルを流用したまんまといった細かいところは観なかったことにしました。

面接にいくと社長から「いつからこれるの?」と言われたので「あっこれは」となりましたが、金がなかったので是非もなくそのまま入社の運びとなりました。この頃はプログラム書いて金もらえるなんてサイコーとか思ってました。ちなみにgithubatcoderアカウントを書いた職務経歴書は一顧だにされませんでした。

やったこ

地方製造業システム部門を切り出して別会社にした形態の、創立数年ほどの会社です。自分のほかにもうひとり、社内情シスのようなことをしている方がいましたが、基本的にはサポートが専門な感じでした(ただし肩書自分と同じでしたが)。紹介してくれたCTOは週に一度のMTGに顔を出すだけということで、実質的に常駐している人間プログラムが分かるのは業界経験自分だけというチャレンジングな環境からスタートしました。なお入社して社内の平均年齢を大幅に下げることになりました。

レスポンシブ化

ちょうど入ったタイミング情シスの方が抱えている仕事があり、とくにやることもなかったので手伝いました。グループ会社サイトスマホ対応させるもので、事情はわかりませんがそれまで他社に制作委託していたものを自社で運用することにしたとのことです。みてみるとWordPress4でPHP5が動き、Bootstrap3を使ったオリジナルカスタムテーマ運用してきた様でした。もちろん仕様書ローカル環境もあるはずがないのですが、どうせ自分Webデザインなど知らんのでとりあえず直にheader.phpにviewportを書いてmain.cssメディアクエリを設定して、ザ・web制作初歩みたいなレスポンシブ対応しましたが、デザインについて当事者との意見のすり合わせの機会なんかの開発手順はなかったので良しとしました。

新規Webサービス

入社して2周間ほどのち、社長についてこいと言われた打ち合わせの後日、MTGで「昨日のアレの進捗はどんな感じなの?」と聞かれたこから、いつのまにか新規案件自分に一任されていることに気づきました。仕様は前日の打ち合わせがすべてだった模様です。要件定義技術選定・検証のような工程など決まってないので好みで揃えました。趣味と関心からExpress+Mongo+Reactのセットか、触ったことのあるDjango/Railsでざっくりやるか、どうせならDockerも使い時か、こんなとき相談できる同僚やメンターが欲しいなぁなどと考えていたら、CTOがそれまで作っていたやつをみるとPHP+ES5+MySQLだったのでなんだかんだでそうすることになりました。PHPを初めて触り、「これがペラ1のphpjscssもなにもかも書いていくといういにしえのスタイルか…!」と新鮮な感じでやってました。

既存システムの移行

Windows Server 2012で動いていたサービスLinuxに移行しました。これは自分が入る前から情シスの方が任されていたのですが、マニュアルに沿ってコマンドを打ちこんではどこかで転け、エラーは読まずにあきらめてCentOSインストールからやり直すということを繰り返していたのを見るに見かねて手伝いました。SSHPowerShellからマニュアルコマンドコピペして実行する方法を教えてあげると目を丸くされました。shellファイルを書いてあげると魔法をみるのような顔で驚かれました。自分が入ってなければどうなっていたんだろうか...

自分ツール作成

毎日出退時間規定EXCELフォーマットに記帳する必要があり、これが非常にめんどくさく無駄に思えたので、自動記述するpython/Goスクリプトを書きました。これは入社して2日目とかだった気がします。しかしここを自動化しても「印刷して人事に提出し、それをもとに人事の方がまたEXCELに書き込む」と知り虚無になったりしました。

FE取得

これはやったことというか思うところあってプライベートで取り組んだことです。自分想像していた開発現場との乖離を感じたので、こういうのはFE勉強すればわかるのかもしれないと思って1ヶ月くらいやって取りましたが、得られた知識会社に活かせそうなものは何一つありませんでした。

チーム開発などという概念存在せず、「1案件を1人で上流から実装運用保守サポートまですべてやる」という進め方でびっくりしました。手持ちの技術スタックでできる範囲ギリギリなんとかやった感じです。よく転職サイト上で見かける文言で「お任せします」がありますが、これとかも要するに「丸投げ」の換言なんでしょうか。わたし気になります

とりくめなかったこ

自分のように途中からジョインした人に対しての業務移行のシステムがないことから感じていましたが、案の定「誰かが抜けたあとの引き継ぎの機能」も整備されてないことに気づきました。もともとオンボーディングや研修概念などありません。えらいひとは「そのへんは現場で協力してうまくやって」と丸投げし、すべての作業を自宅でやっているCTOは社内のこうした事情については放任で、いちおう情シスの方がいつのまにかメンター代わりになっていたものの、不明点を尋ねても頓珍漢な返答が多くもどかしかったです。どのサーバでどんなサービスが動いているのかやSSH情報を聞き出すのに苦労しました。こうした不幸と無駄時間をなくすためにドキュメントを整備しようとしたのですが、頓挫しました。これから物理フォルダーと社内サーバ散逸した各種の情報混沌を深めていくのでしょう。gitも無いし。

サーバオンプレでした。自分クレカをもっていないためパブリッククラウドを試す機会がなく、ぜひとも触ってみたかったのですが、承認を得るための説明がうまくいかず、結局VBoxでやることになりました。唯一、それまで使われていたVBoxではなくVagrantを導入したのは少しだけ救いでした。どうせ自分しかいじらないのですが。

余談ですがオンプレ面白かったのはHDD増設のために初めてデータセンターなるものに入ったことです。インフラ/ネットワークはまったく分からんしなかなか個人で試せない領域だし縁がないかなと思っていたのですがやはりそこに見える物理層が存在するというのはテンションがあがりますね(断層みたいに言うな)

イキってカイゼンジャーニー情熱プログラマーを買って読んだりもしました。目につくように共同図書のつもりで「ご自由にどうぞ」を添えて自分ロッカーに置いておいたら「私物は持ち帰れ」と言われてしまったので持ち帰りました。

退職経緯

さてお待ちかねメインディッシュですね。

もともと技術コンテンツ会社ではなく、技術畑の人間がまったくいないことのインプレッションが次第に違和感として強く響いてきました。ITエンジニアとしてやっていくつもりの観点でみると、学習や成長の土壌は無いように思えました。協調関係や信頼がうまく築けず、自分のすべき道筋不明瞭のままやっていけるほどタフなYATTEIKI精神ではなかったのです。

これは地方の、それもIT気質のあるわけではない、ワンマン経営中小製造業ならばどこにでもあることかと思われますが、随所に感じるレガシーさに疲れてしまいました。一例を挙げると、毎朝30分に亘り行われる全社清掃(もちろん業務時間外)、社是の復唱、『感謝言葉をみんなで味わうポエム』の輪読、その感想大会、頻繁に行われる中身のない会議日報エクセルで書いてメールで送ったり、出退勤表を毎日エクセルに書いて印刷して事務方に持っていくなどのルーティンがけっこう苦痛でした。

社内のコミュニケーションツールLINEだったので使い勝手も悪く、会議chatworkslackを使いましょうと提案しても誰一人としてそれらの存在を知らず、「勝手にやってくれ」と言われてしまったり。LINE WARKすら知らんやんけ。説明しても「skypeじゃ駄目なの?」と言われたので諦めました。

えらい人の思いつきのたびに方向性が変わり、当人発言したらそれで全て完了した気になってしまったのか、会議終了後の10分後に「さっき言ったやつまだ出来てないの?」などと言われた時はギャグかと思いました。会議議事録も誰も見返さないので果たして意味があったのか疑問です。誰かひとりでもmarkdownが書けたり、少なくとも書く気があれば勉強会を開催してHackMDなどを推せたのですが。議事録機能していないエピソードとしてひとつ思い出しました。開発中に機能追加を下された際に、その挙動は完全にプラットフォームネイティブであり今の技術選定だと作り直しになり、結果納期に間に合わない(し、自分技術スタックからも遠く外れていたので学習コストも加算)と発言したらその場は収まったのですが、会議終了後に個人メールで「やはり機能マストだ」と伝えられました。当然それは議事録に反映されることなく、なんかしらんけどそういうことになっているという感じになりました。

初めてのエンジニア職でしたが、社内に開発をる人やマネージャー職は不在で、いわゆる開発現場での流れを学ぶことはできませんでした。少なくとも技術を知らないえらいひとが「俺がスケジュールを立てたからこれに沿ってやれ」と、”開発”と”広告作成しか書かれていない2週間の計画表をもってくるような現場システム開発として正しいのか、 と本能が警告を発していました。

もともと会社製造業から始まったため、えらい人たちとの見解齟齬があったのは体感としてあります。同じものづくりといえど設備マンパワー時間線形的に結果に結びつく工場業務と異なり、システムエンジニアリングはかける時間見積もりも容易でなく、かかった時間が必ずしも結果に結びつかないものである、と言う事実は受け入れられ難く、知識ドメインマインドセットが異なれば説明も困難です。しかしながらえらいひとは一様に「経営視点を」の号令で、経営誌を配り、その感想文の提出を義務付けるなど、現場視点を欠いた行動で現場(というか私)を疲弊してました。気づいたらSEO対策や別部署MTGのためのプロジェクター設定、全PCwindows updateに伴うドライバ更新の役も同一の職掌として役付けられそうになっていたり(一部は実際に情シスの人がやってた)、It’s not my workなシーンがみられるようになっていました。

そして、よくあることですが、理念実態乖離していたことです。世界をよりよくと言いつつ、目先の掛け算を考えてばかりのように思えました。グロースする中で発生しそうなあれこれをすっ飛ばし利益だけを皮算用するのはいいとして、データ量やトラフィックを指摘すると「そこは現場努力でしょう」となるので、世界を良くする前に精神を悪くしてしま人生で初めて心療内科にいったりもしました。一応グローバル展開を目指しているとしながらサーバからMailerDaemonが飛んできたら「ギャっ英語っ!」と言って読まず捨ててたり、急にサービスが止まった時には激怒して責任所在の追求を求められたため、草創期にえらい人の個人アドレスで取得してほったらかしにしていたドメインが失効したことが原因と伝えたら「あれはもう読んでいないアドレスだし仕方ない。こういうピンチときこそチャンスにしようぜ」という謎理論を出されたこともありました。

違和感が確かなものになったのは、外部に提出する資料で社内の数字が異なっているとを指摘すると「こういうのは見栄が大事なんだ」と暗に公文書偽造をほのめかされたことですが、これ以上は闇っぽいので書きません(たぶんどこもやってて罷り通ってる範囲だと思うけど)

総じて、心理的安全性の低さ、そこからくる身動きのとれなさ、ロールモデルの不在、前時代的な風潮、社内文化へのミスマッチと不理解、成長の実感が沸かない不安と不満、それらに伴う摂取アルコール量の異常な増大と過食、といった要因の積み重ねが、ネガティヴな形での退職へと駆り立てることになったのだと思います。まあ、よく知らんうちにリファラルしてるところからして「採用教育コストを考えてないのでは?」の念はあったのですが。中身がまったく不透明状態で飛び込んだらそうなるよなぁ、の好例かもしれません。誘われた時はわりと藁にも縋る思いだったのでしかたないね

これから

現在スキー場住み込みバイトしてます。無考えに退職すると年を越せないことに気づきました。

可処分所得可処分時間いずれも今の方が上なのはちょっとウケます賃金ふつうに生きていければいいので前職程度でも気にしなかった程度なんですが。いまは映画をみたり積ん読を消費したり、在職時は深いところまで触れなかったPHPをいじったり、生PHPしかやってないことに気づいたのでcakeやったり、あとはweb周辺も久しぶりにキャッチアップしたりしてます。nodeネイティブおじさんなのでFWはangularしか知らないんですよね。vue/nest面白そうな感じです。あと寮のwifi談話室限定で窒息しそうだったので、持ち込んでいたラズパイルータにして部屋まで飛ばしたら隣室の同僚から感謝されたりと活動は多岐に渡ります

先のことはなにも決まってませんが、ちゃんエンジニアリングしている組織で開発してみたいなという気持ちがありますレビュースクラムアジャイルなんてのはひとりだと不可能ですし。ですが、やはりそういった会社日本では都市部にばかり集中しているのでしょう。自分空気の悪いところには住めないし、案外また辺鄙なところでtechとは無関係のことをしているのかもしれません。ワーホリでも使って海外大麻栽培でも始めようかなぁ。

いかがでしたか

巷説に流布する「未経験からエンジニアへ」の言説のたぐいは、どちらかというと技術力よりもコミュ力が偏って高いタイプ生存しがちな雰囲気を感じます。たまにTLに流れてきたのを見かけますが、ああいった立ち回りは自分にはできないしやりたくないなぁと思ってきました。社会要請ならばそれまでですが。

自分は体系的な情報教育を受けていないどこにでもいる地方高卒で、下手の横好きで趣味プログラムを書いてきたし、続けてるってことはそれなりに好きなんだと思います。得意じゃないけど。んで、こんなのがITエンジニアをしたサンプルというのは見かけないかもなぁと思って投稿しました。光あるところに闇あり。

といいつつ、やっぱり好きなことの結果がおかねになるのはいいよなぁと思った次第です。プログラムを書くのは楽しいけどエンジニアリングは超絶むずい、が雑な総括ですが、今回のことを顛末次第にはする気はないので、どこかに拾ってもらえるよう精進するきもちになりました。

ぼくのポエムはこれでおしまい。じゃあね。

2019-11-06

女陰という単語差別的

男根」が中立的な響きなのに対し、女陰は「陰」というネガティヴな響きの字を含んでいて、女性局部を隠すべきという強要再生産している

これから社会要請上、女陽と呼ぶべき

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-27

ネガティヴバイアス anond:20191026225958

ネガティヴバイアスという現象

人はネガティヴニュースほど気になる

生存を優位にするために危険を察知したいか

各種メディアでもハッピーニュースよりネガティヴニュース釣りタイトルで煽る

ただテクノロジーが発達した現代では自身生存関係しないネガティヴニュースがあちらこちらにあって

感覚麻痺している人や共感性が欠如している人以外は無駄疲弊したり自己評価を落としちゃうので

シンプルTV置かないSNSを断つのが正解

2019-10-26

やっぱりSNS健康に良くない話

ネガティヴニュース自分ではどうしようもない政治などの話と

それらにトンデモレスポンス返してる人たちを見るのがイヤ(世の中の人間がバカ基地外ばかりに思える>ネガティヴバイアス)で

そういうニュースを取得しないようにSNSを調整してるしTVも置いてないのだけど

気になった企業ツイートを追ってみたらトンデモに行き着いたのでござるの巻

は〜・・・イヤじゃのう

2019-10-21

死にたくなって

なんとなくツイッターで「死にたい」と検索したらネガティヴな奴らばっかでもっと死にたくなったわ。


とりあえず酒タバコやめよ。

LINEもやめたいけど、やめられない。

Youtubeではステハゲ動画だけ見よ。

2019-10-10

anond:20191010121803

ネガティヴバイアスじゃの

生存戦略として、危機に備えるために、“悪いことほど記憶に残りやすい”

これを回避するのはセルフコントロールしかない

世界的に成功していても「孤独」とか「悪いことしか起きない」と妄想することが出来て

妄想を振り払えないまま自殺するので

自己肯定感()」なんて斜に構えず、粛々と自己肯定感自分自身自分人生コントロールしている感覚を養うべきだと思う

2019-08-20

「死」を不吉と捉える貴女が一番ネガティヴだよ

2019-08-04

anond:20190804130404

元増田よ。

まあ一応、韓国に興味ないわけじゃないからね、旅行韓国にも行ったしさ。

でも別に韓国だけ特別じゃないから。他の国も行ってるし。

なんでポジティブネガティヴ(ネガティヴが多いけど)含めてみんな韓国韓国言うのよ。

行った事ない奴がいちばん騒いでるし。

韓国デモばっかしてるやつばかりじゃないし、本当にネットに張り付いてネガティヴなことばっか言ってるしょーもないのもいるし、でもそもそも大抵の日常受験とかご飯なに食おうとかそういう事で頭いっぱいだし。

なんで外国=韓国韓国=政治みたいに騒ぐのか。

2019-08-01

感謝原動力に行動できない

感謝原動力に行動できない。

ありがとうと言われたいから頑張るとかピンと来ない。

ムカつく、とか、悔しい、とかネガティヴ感情しか行動できない。

承認欲求は強いんだけどなあ

2019-07-21

隣にいる人に選挙に行って欲しいがどうしたものか。

配偶者選挙に行かない理由をきいて朝から絶句する。

投票率が0になればいいと思っているから行かない」。

投票率が0になれば『日本の頭の悪い政治家なんて国民は誰も支持しないこと』の意思表明になるから」。

なんというか...彼は三十数年間生きていて、そんな現実的ではないことを本当に思っているのかと思うと気が遠くなってしまう。

以前からそういう発言をしていたので今更驚きはしなかったが、昨年度は「選挙行きたかった」と言っていたので、その考えがいよいよ変わったのかと内心かなり安堵していたのだった。

そのぶん、今朝久しぶりに彼の口からその言葉が出て足の力が抜けるほどガッカリした。

ちなみに昨年はなぜ「選挙行きたかった」のはなぜか理由を尋ねると「みんなどんな顔で投票しているのか見てみたいと思って」という答えだった。

彼のことが好きだ。出会った当初からずっと絶え間なく大好きなのだ

しか選挙に行かない一連の意見をきいていると、私にとっては理解できないトンデモ理論すぎて本当に心から残念な気持ちになる。

彼は普段は優しい人である

家事も率先してやってくれるし、料理も上手い。

年寄りに席を譲るし、店員に声を荒げることもしない。

私の仕事やそれ以外の活動のことも理解がある上に応援してくれる。とてもいい奴なのだ

そのぶん「選挙に行かない」&「その行動理由が(私にとっては)幼稚すぎること」のネガティヴギャップ目眩がする。

彼と私は夫婦だが、当然他人同士だ。またそれぞれの内面が手放しで素晴らしいところばかりでないことも分かった上で入籍した。

物事に対して思考意見が違うことがあるのはあまりにも当たり前だが、それを踏まえた上でやはり選挙には行って欲しい。

能町みね子さんが記事内↓で書かれていたのと同じく、私も政治絶望している。

https://politas.jp/features/15/article/657

だがそれでも2パーセントぐらいは、少しでも未来がマシになることに期待しているのだ。

そして今私の隣にいる人の選挙に対する考えをいつか変えることは、2パーセントよりも可能性があると思いたい。

そのために誰か知恵を貸してほいし。切実に。

補足。

なぜ私が選挙に行くのかということは、能町みね子さんの記事を見せて説明した。

彼はあらゆるSNSをやっていない。過去に私が「選挙に行って欲しい」とダイレクトに言っても行かなかった。

私が話下手なのも相まって議論はとてつもなく平行線である

彼の考えが変わりそうな本などあれば教えていただきたいです。

宜しくお願いします。

2019-06-10

anond:20190609204311

これは当たり前のことなんだけど、こうやって声をあげるのは本当に大事だと思う。

そして「男らしさ」「女らしさ」と「モテ」が密接に関係しているのはこれはもうどうしようもない。

(そのせいで「"男らしさ"から解放」という蜜を味わうのは草食男子特権となっているし、フェミニズム大国米国でもモテるのはやはりマッチョ精神の男だ)

モテようとしている輩にジェンダーからの脱却を説いてもおそらく無駄なので、

まずはモテとは関係のない所で「男らしさ」の脱却を説いてみることから始めるのが良いと思う。

褒める時よりもネガティヴなシーンでの使用にチェックを入れよう。

上司が男部下に対して叱責する時に「男らしくない」だの「女々しい」だの、そういったワード使用した際に「そういう表現は正しくない」とストップをかけるのだ。

2019-06-08

anond:20190608150735

しろ今は女の子の方がかわいいからまれるってデータなりがあったように思うけどね

旦那さんに辛くて追い詰められてる旨相談して、旦那さんの両親に助けてもらえるよう言ってもらう、というくらいのアドバイスしか思いつかない

しかしたら旦那さんの両親が子供を歓迎していないというのはネガティヴ思い込みかもしれない

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