はてなキーワード: 薄っぺらとは
4歳上の兄が先日一級建築士の製図試験(2次試験)を受けてきた。まぁまぁの手応えだったようだ。
兄は中学生くらいの頃から建物を見たりデザインしたり、そういうのが好きで高校の進路選択も迷わず理系、建築系の大学を志望した。
ある意味、長年の夢の成否が、箱根駅伝で言えば、丁度、往路のゴールテープを切ろうとしているところなんだと思う。
兄は、頭が物凄く良かったわけではないが、クラスの人気者、運動神経もよく、部活も高3の夏引退まで続け、
その後猛勉強、中堅高校から現役でMARCHの建築学科に進学、まるで予備校のパンフレットに載ってそうなサクセスストーリーだった。
兄は、第一志望の国立大には残念ながら落ちてしまった。そこは物凄く悔しそうだったし、当時中学生の自分から見ても可哀想だなぁと思っていた。
兄は、大学で未経験ながらある体育会に入って、主将まで務めていた。理系で製図が大変そうなのに、寝る間を惜しんでバイトしたり、練習したり、辛そうだけど生き生きしていたとおもう。
もちろん、それの裏には血の滲むような努力をしていただろうことも十分わかる。
憧れの教授がいるとかなんだかの理由で英語ができないのに、授業が英語ばかりの研究室?院?に入学した。
学部時代の成績が優秀で、院の授業料は免除になっていた。お前、体育会の主将で、、何か才能を分けてくれよ。
それで、就職2年目、就職してから毎週末は建築士の勉強をした結果、今にも夢を叶えようとしている。
一方、弟である私は、兄よりは頭のいい高校に進学、そこそこの成績を保っていた。ただ、部活は途中で辞めてしまったし、クラスではどちらかというとインキャ軍団で少し輝いている程度だった。
多分、自分と同じくらいの成績の、高3夏まで部活もやってて、クラスの人気者タイプが自分の入学した国立大に受かって、自分が落ちてしまうビジョンが死ぬほど怖かった。
その国立大で叶えたい夢とか進路とかそういうのはまったくなかった。
ただただ、その、落ちて負けたくない、周囲に後ろ指を刺される感じが嫌だというインセンティブで勉強していたと思う。
そもそも、文理選択のときすら、なんとなく〆切前日になって理系から文系にチェンジしたし、これが得意とか、あれが苦手とか、そういうものもなかった。
大学ではそこそこの体育会に入って引退し、まぁまぁの企業に内定を貰い、可もなく不可もなくな人生を歩むのだろうと最近何となく思う。きっと。
特に、親友らしい親友はこれまでできたこともないので、そのまま会社に入っても適当な立ち回りで、下の上くらいのポストについて、そのまま死ぬんだと思う。
全てが中途半端。
兄より勝っている所、それはペーパーテストの点数と学歴くらいだったが、社会に出ればそんなのはもうほぼほぼ関係ないだろう。
夢に向かってバイタリティあふれる人間と、夢のないただ漫然と生きている人間の差をいよいよ痛感させられる時が間もなく来るのだろう。
お菓子なんて興味もないし、そもそもそれほど好きでもないし、大学に進学するのが当たり前のそこそこの高校だったから、そんな選択肢はすぐ捨象してしまった。
小学生、中学生と振り返っても「将来の夢」というような作文が大嫌いで、書くことが最後まで思いつかなかった。
「俺はパイロットになりたいんだ」「私は犬が好きだからペットの関連のお仕事がいい」「水族館で働いてみたいなぁ」
なんでこんなことを周囲が平気で口に出すのかわからなかった。
夢を語るのが恥ずかしいと思っていた節もある。
夢なんて殆どのやつは叶わないんだろう、って冷めた目で見ていた節もある。
でも、22歳になって、夢があるってかっこよかったんだなって思う。というか、羨ましい。
夢のない小学生なんて、可愛くもないし、絶望している虚しい存在、俺が親なら心配するはず。
兄はいよいよ往路のゴールテープ目前。復路は建築士としての更なる飛躍の人生だろう。
とりあえず、彼女の生きてきた軌跡や考えている中身が深すぎる感じがして自分が受け止め切れる自信がない。とにかく自分に自信がない、今。
彼女を見ていると、1日1日を超絶大切に生きようとしていて、後悔をしないように、忙しなく生きる。
毎日を後悔しないために、充実させるために、生きている。生きていてよかったって言えるようにしているらしい。
逆に、俺は、それを自分の生きてきた軌跡とかに重ね合わせて自己嫌悪してしまう。本当に情けない。
自分は、毎日だらだらと生きていて、これといって頑張ったことも人に誇れる経験も何かを成し遂げたこともない。
小学生の時はいじめられていて、逃げるようにして卒業して他の中学に行った。だから小学校の友達なんて1人もいない。
中高の友達は連絡取るけど、苦楽をともにしたといえるような親友はできなかった。
大学は勉強したので、結構いいところに入った。なんとなく体育会にも入ったけど、入った体育会自体が弱すぎてパッとした結果は残せないままこの間引退した。
就活はそこそこうまくいった。9-17時勤務で、vorkersとか見ると30で年収4桁、誰もが羨む企業だと思う。これぐらい誇らせてくれ、すまん。
でも大学でも親友らしい親友はできなかった。まぁだから増田に書き込んでいるんだけどさ。。
じゃあ自分の人生どうだったか?と言われると、結果的に「良かった」っていつも納得させて生きているつもりだった。嫌な思い出には蓋をしてた。
多分自分を表面的にしか見てない人は絶対人生easyだろって言うと思う。
でも違うんだよ。
そうやって薄っぺらい部分を隠しながら生きていたのに、彼女といるとそういうことを否が応でも痛感させられる。
こう、心の奥底にガシガシ踏み入ってきて、嫌な思い出の蓋をベリベリ剥がしにかかってくる。
彼女ことは好きなのに、先に自分の心のほうにガタがきてしまいそうだ。あぁ、辛い。
そうそう、昨日、彼女にフラワーカンパニーズの「深夜高速」って歌を教えてもらったよ。それが彼女にとって毎日を大切に生きようと思わせてくれる歌らしい。
帰りの電車で聞いたよ。「生きててよかった、そんな夜を探してる」「10代はいつか終わる 生きていればすぐに終わる」
普段何したって泣かないはずのに馬鹿みたいに泣いてしまったよ。
なんで自分の人生こんなに薄っぺらいんだよって。絶対周りの客引いてた。そんぐらい人目も憚らず久々に泣いたよ。
なぁ、取り返しつかないのかな、もう。やり直したいよ、人生。このときこうすればよかった、ああすればよかった、涙とともにそんな思い出がボロボロ溢れてくるよ。
そして、彼女を愛する自信がないな、もう。愛おしいし、好きなのに、自信がない。
彼女はきっとキラキラしている男と付き合ったほうがいいと思う。俺には無理なのかもしれない。
「生きててよかった、そんな夜を探してる」そう思える日は俺にくるんだろうか。
ボーカル遠っ!
第一印象はそんな感じだった。バンド名は有名だからかなり前から知っていたけど、ついこの間名前を目にする機会があって、それで聴いてみようという気になった。
私が普段聴く音楽といえば、最近で言えばRADとかストレイテナーとかアジカンとかで、90年代後半の音楽はほとんど知らない。何せ自分が生まれた年代辺りの曲なんて、よっぽど機会がない限りは耳にしないからだ。
最近の音楽はレコーディングの質が上がったのと、オーディオ機器の性能の向上でめちゃくちゃ鮮明に音が聞こえる。細部まで気をつけて聴いたりすると息遣いまで聴こえたりする。ていうかそれが当たり前の時代に育ってきた。
そこにやってきたナンバーガール。
なんだこれ!!!?音質以前に声遠くない?!!仕様なのかこれは……でもこれこそが現代のあらゆるロックバンドに影響与えたナンバーガール……
最初はそんな感じで、このバンドの良さが正直わからなかった。確かに今のバンドの土台のようなものは感じるけど、ワンオクみたいな衝動とか、スピッツみたいな軽やかさとか、万人が掴みやすい個性はなくない?
そんなこと考えながら適当に流してて、何曲か聴いた辺りでハッとした。
イントロがいい。
すごくいい。ギターの響き?専門的なことはわからないけど、そこはかとないエモを感じる。演奏から滲み出る哀愁というか、明るさというよりはがむしゃらさ。
この、何とも言えないクセになる感覚の正体が知りたくて、何回も何回もリピートする。歌詞は相変わらずわからない。でもなんでだろう、すごく、ノれる。そしてがむしゃらなだけじゃない。基本的にはすごくクールだ。演奏のクールさが、ボーカルのシャウトといい感じに調和してる。声質がそんなに重くないから、曲の雰囲気自体も暗くなりすぎなくて丁度いい。
すごい。すごいぞナンバーガール。
実はここまで書くのに、すでに5周ぐらいは軽く聴いている。聴いても聴いても、どこか正体の掴めない音をしているからだ。それが知りたくて、また何度も聴く。耳に残る演奏のかっこよさは、どれだけ聴いても色褪せない。
最近流行りのバンドは、何となくやっぱりルックスで売る傾向が強くて、その上音も薄っぺらくて心に響かない。別にルックスだけで売ってる訳じゃないけど、どの音も同じように聴こえるのだ。青春の眩しさを歌った、あの純粋なロックの衝撃を求めていた私にとって、ナンバーガールは、革命家だった。
高校3年の今、若くて凡庸で純粋な青春の賞味期限は近い。受験勉強に必死な人や、はたまたそんなの関係ない人もいる。それぞれの高校最後の一年を過ごしている。苦くても、幸せでも、楽しくても、それでも年が明けたら、みんな揃って卒業なのだ。だからこそ、あと4ヶ月の間に、少しでも多くの高校生が、高校生である間に、どうかナンバーガールを聴いてほしい。そして、青春の結び目として、ナンバーガールを思い出の曲に加えてほしい。そのくらい色褪せないバンドだと思っている。ぼんやりしたセンチメンタルに訴えかける、思わず走り出したくなる、そんな力がナンバーガールの曲にはある。大人になってから思い出してほしいバンドだと思っている。だってナンバーガールはかっこいいからだ。
だから青春真っ只中の、若い君たち私たちよ、ナンバガ聴いて熱くなれ!胸の奥まで!
追記
RADの知名度は某映画でかなり上がったので大抵の高校生はわかる。テナーとかアジカンとか、最近好きになったバンドばかりを挙げてしまったことは申し訳ない。確かにミスチョイスでした。ワンオクとかドロスが入り口で、そのまま好きな方面を探してたらアジカンに行き着いた、が正しい。
分かっていないのはお前。
「理屈を重視する」じゃなく、表面的に過ぎない情報を知るだけで物事に対処できると考えてるのが浅いと言ってるんだよ。
浅さの最たるものは、その薄っぺらい情報から導かれる結論が「だから現実を受け入れろ、権威に従え」なわけじゃん。
そういう態度から、情報を無批判に取り入れただけで、理解した気になっているのが透けて見えるんだよ。
てか、情報を知ったうえで、その裏にどんな事情があるかとか、真面目に考えてみたことあんのか?
考えたことないから「世の中をより良く変えていこう」という主張にも、やたら冷笑的なスタンスを取るというか、そういうスタンスしか取りようがないんだろ。
結局、我が身可愛さで小狡く、小賢しく、自分さえのらりくらり生きていければいいと思ってるんだよ。
気落ちさせては悪いので、言葉が足りなかった部分をフォローしておくと、
背景描写は2~3話と話数を重ねるごとに、劇的に改善しています。
良いところまで行っていると思います。
主人公の背景ストーリーのネタバレは、過度に恐れる必要はないと思います。
つまり、次回予告レベルのさわりやほのめかしでも十分おもしろいし、
そもそも数コマ、数ページ見せた程度で語りきれるほど薄っぺらくもないですよね?
キャラは掘れば掘るほど面白くなるので、カードとしてうまく使っていいと思います。
セリフの数は、悩ましいところですし、マンガによって文字数の幅もかなり違いますが、
映画字幕では1秒間に4文字が限界というルールがあるようです。
よかったら参考にしてください。
「文字数は減らしても必要な情報は削らない」言い回しは必ずあります。
「短いは正義」です。
また、あなたの力量なら、文字ではなく「絵(仕草)で語る」方法もあります。
読者視点は、色々あると思いますが、今のあなたのターゲット層的には、
ふらっと来た人が「作品知識0」で、「斜め読み」しても理解可能か、が一つの指標になると思います。
3話までの成長が目覚ましいので、期待しています!
中盤〜後半の展開は満点じゃないにせよ、
まあまあ良い落としどころだと思ったけどなぁ。
そのままエンドロールだったら「厨二」「物語の放棄」とか言うでしょ。
かといってあのシーンを削ったらスペクタクル要素が圧倒的に不足する。
Qとりあえずゴジラをどうすればいいんだ?
緩急の無い映画ほど面白くないものは無いよ。単純に構成的な問題では。
ここはわからんでも無い。
書いている内にすごく長くなっちゃいました
2017年夏アニメで「小説家になろう」発でアニメ化された作品は下記のような作品がある
(※ 2017年夏アニメの一つである『ゲーマーズ!』も「なろう」ではないがWeb小説発とも言える作品。しかし継続してWebで執筆が続けられた作品ではないので、ここでは分かった上で除外してしましたと、一応ツッコまれない程度の知識を開陳しておく)
『異世界食堂』は連作短編作品なので、1クールアニメで構成する際に非常に楽な作品だっただろう。
原作ストックにも余裕があり、アニメにはなっていないエピソードもまだ多く残っていて、登場していないキャラクターもまだ多いです。
原作の方でも「常連」と言われるようなキャラはまだ他にもいて、アニメではその全員が登場したわけでもない。
この辺りの判断は監督が判断してエピソードを絞り、アニメで放送する上で必要最低限のキャラのエピソードをチョイスしたのだろう。
常連キャラには中堅・ベテランの声優を配して、複数話に登場するようにして、うまくバランスを取ったシリーズ構成で物語を仕上げたと思う。
ちなみにキチンとアニメを観ていた人は気付いたかと思うが、アニメ監督がシリーズ構成と脚本も兼ねて担当し、かつ全12話の脚本も執筆された作品でもある。
なので他の作品ではたまにあることだが、OPやEDには登場しているが、アニメでは登場しなかったみたいなキャラクターがなかった理由の一つにもなっているかと考えている。
『異世界食堂』はニコニコでは動画有料で一週間無料公開なく、無料はニコニコ生放送の配信となってしまったが、毎回アンケートでは90%以上の高いアベレージの高評価を保ち、最終回は97.0%の高評価で終りました。
高評価だったので円盤が売れるとは限りませんが、評価が売上にも繋がることは期待したいと思います。
『ナイツ&マジック』は長編作品ですが、今回のアニメ化に際して物語というか、小説的な描写にかなりの圧縮を施されたかと。
大原さやかによるナレーションにより、幻晶騎士(シルエットナイト)の細かい製作過程や、敵国との関係や動き、アニメで描くと面倒な色々なところが必要最低限に圧縮されて視聴者に情報として提供されたと思う。
原作とストーリーの違いが少しあったが、ほぼ大筋は変わらないし、1クール全13話で切りのよいところでまとめるとなると、こういう形になるかと思われる。
シリーズ構成であるベテランの横手美智子の手腕が大きく影響したのではないかと。
これを書いているのは最終回放映当日。最終話はかなりガンダムを意識したところが多く、オマージュ要素を読み解くのが楽しいエピソードでした。
幻晶騎士の3DCGによる戦闘シーンの描写は、マクロスやアクエリオンなどで慣れた「サテライト」(+オレンジ)によるものなので、迫力のある仕上がりだったと思う。
1クールのアニメ作品としては悪くなく、トータルで見れば良作以上の出来になっているので、これも円盤が売れて欲しい作品だと思っています。
……で問題の『異世界はスマートフォンとともに。』ですが、自分は放送前からこの作品は1クールにまとめるにはかなり難しい作品だと考えていました。
そもそも原作が大長編で、「なろう」の方の原作では大きな区切りとなるところはありますが、書籍版のHJノベルス最新10巻の方でもまだそこに達していません。
仮に今のアニメ放映のペースで区切りまで持っていくとなると、+1クールでも多分足りず、+2クールの全36話分ぐらいは必要になるんじゃないかと思っています。
なのでストーリー的には半端なところで終わると思われる作品ですが、そういう意味合いも込めて、出来として考えると余り上手な作品ではないと。
そもそもの問題として大長編の作品を1クールにまとめる困難さがあると思います。
とりあえずアニメ『異世界はスマートフォンとともに。』の出来を今、論ずるよりはこの問題を抱えている今後アニメ化される可能性のある作品に言及して思考した方が少しは建設的なのではないかと思い筆を走らせた次第。
今後「なろう」発の作品でアニメ化が予告されているものがあります。
自分が知らないだけで他にもアニメ化が公表されている作品があるかもしれませんが、知っている限りの四作品を並べました。
(※ 2017年末に何か発表予定のある『ありふれた職業で世界最強』もアニメ化されるのかも)
(※ 二期製作決定が発表されている『オーバーロード』は既にアニメ化されたということで除外)
『異世界居酒屋「のぶ」』は、同じ系統の『異世界食堂』が好評だっただけに、比べられる後発の苦しさのようなものがあるかもしれません。
ただ同系統、つまり連作短編なので、ストーリーを1クールにまとめるのであれば比較的楽な作品になるかと思います。
自分としては問題作だと考えているのは、『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』です。
正直言ってストーリー構成の面から考えると、『異世界はスマートフォンとともに。』と同じような問題を抱えていると思います。
つまり1クールにまとめる場合の着地点は中途半端。かと言って、2クールでも全く足りない。仮に4クールやっても終わらないんじゃないかとか思うほど、すごく長いし、区切りの難しい作品です。
明確な区切りという点では「なろう」の方のオリジナルを読んだ限り、『異世界はスマートフォンとともに。』よりも今のところはハッキリしてなく、大筋のストーリーをずっと継続している感じです。
主人公の目的の一つが「この異世界を観光したい」なので、ある意味で終わりのないロードムービーをずっと続けている作品という側面が。
その為、区切りという観点から考えると、主人公の行動や目的が明確な終着点のあるものではないので、それが区切りの邪魔をしていると思います。
『盾の勇者の成り上がり』はもしかすると1クールなら、そこそこまとまる可能性はあるような気がします。
書籍版の4巻〈ISBN:9784040663210〉、コミックスの8巻〈ISBN:9784040691541〉までを区切りと考えると、1クールの尺に収まるようにストーリー構成することは難しくないかも知れません。
俯瞰的にストーリーをなぞると要所要所で強敵が登場するので、うまく区切っていけば、1クールでも二期に繋げるようなストーリー展開も可能な物語だと思います。
そして変な意味でネット上ではネタ枠扱いもされている『賢者の孫』ですが、凄く強引にストーリーを圧縮してまとめれば1クールで完結しちゃう可能性があるような気がします(笑)。
自分が読んだ限りは「なろう」の方の原作はまだ完結していませんが、ラスボス戦は近いので、それさえ終わればストーリー的には完結してもおかしくはないかと思います。
作品的にキャラはそれほど多くなく、作中の(強くなる為の成長要素を加える為の旅のような)移動も多くないし、最初から強い無双系の主人公で、ストーリーもシンプルなので、もしかすると構成次第では1クールで強引に圧縮してまとめることも可能ではないかと思いますが、『賢者の孫』という作品を知っている方々はどう考えますか?とアンケートしたいところ。
良い意味で言えばあっさり、悪い意味で言えば薄っぺらい物語の作品……と言えちゃうかもしれないので、もしかしたらアニメオリジナルな大きな改変を入れたりして仕上がる可能性もあるかもしれないと書いておけば、もし当たらったら予想的中とちょっと自慢できるかもしれないので続く駄文。
……でここまでは書いたのは前提で、やっと本題に。
自分が問題視した大長編の『異世界はスマートフォンとともに。』と『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』がなぜ1クールアニメとしてまとめるのが難しいのか、その問題を考えたいと思います。
この二作品、主人公が最初から無双できるぐらいに異常に強いことが問題かと思っています。
なぜかと言うと登場する敵よりも主人公の方が圧倒的に強く、作中では一応中ボス級の敵はそこそこ出現しますが、主人公と相対的にみると強敵と言えるレベルでなく、簡単に倒してしまうので話の区切りにはならず、それがストーリーの構造的な弱点になっているのです。
主人公が敵とのバトルで多少の苦労する、てこずるシーンはありますが、命の危機に追い詰めらるほどの切迫感はなく、主人公の心身の成長を余り感じず、物語の区切りとなるピークに達しない状況です。
『異世界はスマートフォンとともに。』と『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』では、自分が読んだ範囲になりますが、自分と同格以上の強敵と相対するようなことがありません。
多少てこずることはありますが、ちょっと別の手札を使えばあっさり解決みたいなパターンが多いと思います。
「なろう」の異世界での無双パターンで、「無限収納(四次元ポケット系)」「レベルMAX(もしくはレベル上限なし)」「瞬間移動(転移・どこでもドア系)」「鑑定&スキル学習(能力と魔法)」「トンデモ錬金」あたりの能力が定番ですが(強さには直接は繋がらないが「和食ではなく日本での食知識による無双」もあったりします)、これらの能力を複数持っていると強さに限界がないので、ドンドン強くなっていきます。
特に『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』は今後発売される書籍版の12巻以降に主人公の強さ(というか正確には能力)も極まってくる設定になってしまい、『ドラゴンボール』で言えばパターン化した展開である、悟空は仲間が強敵と戦っている間は別のところにいるので遅れて登場するということが多々ありましたが、この作品でもそれを踏襲というはおかしいですが、そんなパターンを何回かやっています。
主人公は転移能力を持っているので、ある意味ではすぐに仲間のいる現場に来れるのだが、その状況が混迷し、もしくは登場が遅れるように物語が展開しています。
遅れる状況を作り出すのに苦労している描写が垣間見れ、穿った読み方をしたい方は、その辺りの描写を見つけて楽しむという変な方法があることを記しておきます。
話が飛びそうになったので閑話休題。
例を挙げて考えると、「なろう」発のアニメ作品である『Re:ゼロから始める異世界生活』は物語全体で考えると、中盤に「王選」という主軸となりそうなストーリーが提示されましたが、アニメのストーリーの終わり方を考えると、「王選」を考えた場合、結局のところ多少の同盟的な繋がりと、主人公の意思を味方と敵に認めさせるぐらいのことしか結果達していません。
ただしストーリーの抑揚というか、物語の浮き沈みから見ると、主人公は中盤に絶望のどん底に落ちるが、そこから這い上がって復活し、そして強大な敵を倒してヒロインを救ったことで、根幹のストーリーは余り進んでいないが、主人公の大きな成長をみせたところで終わったので、印象的には凄く区切りの良いところで終わった感じのアニメ作品になったかと思います。
まあ1クールではなく、2クールというそれなりの尺を使ったことも大きいと思いますが、物語にキチンとした起伏があるからこその区切りとなったと思います。
つまり自分と同格以上の強敵、手強い中ボス、ラスボスを倒すようなシチュエーションを作り出していない作品は、区切りがないように感じると思います。
ひと昔前だと、原作ありのアニメ化作品の中にはたまに、1クール枠の終盤に原作にはないアニメオリジナルの強敵が出現し、それを倒して終わりを飾る作品が結構あったかと。
しかし継続連載している「なろう」の作品だと、アニメオリジナルのラスボスキャラが登場するような事態は、話に齟齬が出来る為かそういう展開に持っていくことを避けている傾向を感じます。
その辺りが足枷になっているし、原作の物語の展開を兼ねて考えると、そういう展開にもできないジレンマかもしれません。
ここで視点を少し変えて、原作が既に完結している「なろう」系の作品ならアニメ化は可能か?という問題も提示したいと思います。
「なろう」発の作品で、アニメ化が発表されておらず、かつ書籍版が100万部以上売れている作品で自分が知っている範囲では二作品あります。
アニメ化した上でシリーズ累計100万部以上売れれば大ヒット作品と呼べる言われるこの業界(異論はあるかと思いますが、一つの分かりやすい基準として)。
書籍版の方はまだまだ出版が続いていますが、オリジナルであるなろう版はストーリーが完結している作品です。
二作品ともに文庫ではなく、単価の高いソフトカバーで出版されている作品で、まだアニメ化していないのにも関わらず、現時点でこれだけの売上を誇っています。
これだけの売上を記録していれば普通はアニメ化の噂も聞こえてくるかと思いますが、2017年秋の時点ではまだそれらしい話は入ってきません。
その理由は今までここで考察している通り、1クール枠では中途半端なところまでしか描けない問題を抱えているからではないかと思われます。
もしもの話ですが、仮に2クール枠を用意できたとしても、ラストまでアニメ化は不可能だと思われます(物語を凄く圧縮しても4クールぐらいには)。
これだけの売上を誇っているのならもしもアニメ化した場合、売上ブーストがかかり倍増し、ファンが増えラストまでのアニメ化を期待する方も多くなると思います。
ただこれら二作品はソフトカバーの書籍版で20巻ぐらいにはなるかと思われる大長編なので、ファンが多くなればなるほど、更にアニメ化した上での目指す先がかなり高い場所になっているジレンマがあるのかもしれません。
この二作品のストーリーを俯瞰すると、自分の考察になりますが、『転生したらスライムだった件』より『無職転生』の方がアニメ化のハードルが高い気がします。
ネタバレな感じになりますが、『無職転生』の締めはよくあるパターンのラスボス撃破してのエンディング……という感じではないからです。
もしかすると書籍化にあたり、大きく手を入れて修正する可能性は高いかもしれません。
それを別に考えても、前半はかなり波乱万丈なストーリーで、区切りの良いところはどこだろうと考えると意外と難しく、ストーリー構成が難しくアニメ化の際の高いハードルになっていると思います。
『転生したらスライムだった件』の方は書籍化に際して、オリジナルであるなろう版には登場していない新しい中ボス級の敵が登場し、大きな相違点があります。
それが影響しかなり設定が変わっているキャラもいて、その辺りのストーリー全体の構成の見通しが立たない限りは、アニメ化は難しいのではないかと思っています。
逆に言えば2クール枠が用意できるなら、そこそこ切りの良いところである、書籍版である6巻か7巻(もしかしたら10巻の可能性も)あたりまで、アニメ化するようなプロジェクトが動いていたりするかもしれません(いい加減な予想の上での期待を込めた想像です)。
編集の手が入らず自由に書かれた「なろう」の大長編作品は、アニメ化する上ではかなり難しいものが多いのかも。まだ文章あるが文字数限界?
「創作実話系アカウントなかでもぱぷりこほんま嫌い。人の悪口でしか受け狙えないの人間として最低。」
「若い頃でさえダメ男としかつきあえなかったブス喪婆のくせに説教魔でキラキラ垢やナンパ師垢とやたら絡みたがるぱぷりこの文体がオタク丸出しで凄くキモいわお前自身が痛すぎることに気付け」
「りちゃこにコケにされてる自称バリキャリ()のぱぷりこも痛いよブスでキモオタ女だからゴミみたいな男としか交際できなかっただけなのに被害者ぶって過去彼達の酷さをブログに書き殴ってるけど、結局は破れ鍋綴じ蓋でしょブログの文章からしてオタ女丸出しで超キモいw 」
「美女はスペックも中身も良い男の中から選べるぱぷりこのようなオタクのブスは喪女人生か、他の女なら避けるようなブログに書かれているモラハラクズ男としか交際できない 」
「クズな男にしか相手にされたことがない底辺のぱぷりこが恋愛や結婚を語っても、並以上の容姿で男を見る目もある女子は「そもそもそんなクズ男選ばないしw」と感じるので会話が噛み合わないよ 」
「まともな人格のハイスペには相手にされてないくせに上から目線のぱぷりこも頭悪いって話でしょタラレバ娘読んでショック受けてるような非モテで未婚の婆が結婚語るなよ 」
「ぱぷりこってタラレバ娘のキャラ以下の勘違いBBAだね大体、離婚見据えて好きな女に結婚申し込むハイスペ男はいないだろ稼いでいることしか取り柄ないモテないBBAが小姑目線でモテ女の粗探ししてるだけ 」
「ぱぷりこは此処よりこじらせ女子スレ向けかなーブログのノリがオタク臭いのは分かるはてブで書いてる人って何故か総文字数をドヤる不思議」
「キラキラではないかもしれないけどト○アンナ、ぱ○りこなどの恋愛指南垢が苦手正直20代が上から目線で結婚指南って薄っぺらいやたらハイスペ指向を避難してるけど所謂ハイスペと結婚してうまくいってる人だっているわけだし 」
「ぱぷりこやトイアンナは本人達が学校職場とハイスペに囲まれた環境なのにブスだからマトモなハイスペには相手にされないせいで鬱憤をTwitter上で発散させてる印象こいつらもこじらせ女子 」
「ぱぷりこうざい男に相手にされない女の説法なんて価値無いのに偉そうトイアンナも同じで自分が面白いと思ってそうで自意識過剰 」
「ぱぷりこさん時折流れてくるんだけどみていてきついので吐き出したくなってしまったわ。
「オタクのブス喪BBAなのね。じぶんがまともなハイスペに相手されないだけなのに、上から目線で男を分類、女に説教…彼女もネットで吐き出したいのかな。ほんと他人の粗探しと貶めるような捏造ばっかり。ルックスも心も彼女が一番妖怪女。」
「「お焚き上げ人生相談」もぱぷりこの創作実話らしいのね…オタクくさい外資バリキャリとあるけど執筆量が半端無いのはどうして?」
「ぱぷりこ、コンサルや自称ロジカル男が嫌いというわりには偏見や断定や創作で男女の分類ってまさに自称ロジカル女なんじゃ?どうして自分が恋愛相談なんてできると思うのかなあ。早稲田卒のコンサルってとこかな。説教くささは職業?」
「大学や友達の具体的な話が欠如しているのにもかかわらず恋愛市場に精通しているかのよう服装もオタっぽいのよねえ。ど不細工ではない比較的ブス?の社会人でびゅーのイメージ元祖きらきらのれいことまゆみや東京姉妹、トイアンナさんも化粧してちょっとブスとした普通の顔ああいう恋愛相談聞きたがったり筆者への幻想はどんな層がどうして需要しているのか疑問だわ」
「しかもあんな太い脚よく出せるよなぁ、スゴイ性格とか扱われ方がオタサーの姫っぽい自由奔放にしてるっぽいけど旦那にバレたらヤバイみたいな呟きもあったね」
「ただ服装や文体思考がオタク臭くて恋愛相談してるからどんな人生か興味あるじゃない?はぷりこプライド高くて理屈っぽいから自作自演ぐらい普通にしそう」
「後ぱぷりこ本人が降臨して必死に流れ作ろうとしたように俺も見えたwあんなんブスの非モテオタクに決まってんじゃんw作り話がいてーんだよw」
「ぱぷりこや自称キラキラはKYで相手にされないから誹謗中傷繰り返す 現実見えてないオタサーの姫なんだろうな」
「ぱぷりこ性格悪そう」
どこにいるの?って無理やりひねり出したステレオタイプ
「オカルト系以外「そこそこ成績よくて堅実なキャリア」+「奥手(もてない)でも乙女」ばかりで本人なんじゃ…同じ自尊心の低い人に駄目だしして食い物にしてる?って思った
後はハイスペ狙いのきらきらのこき下ろしで下馬評どおりに嫉妬でなくても何様感だった」
「筆圧音頭(笑)パプリコほんと会話がオタクくさい読解ミスなんて口語でいう?」
「ぱぷりこって女子高出身なんだ。オタサーの姫丸出しなのも別学出身は大概こじらせてるし納得。
「「@papupapuriko
大学で心理学やったのと信頼できるカウンセラーに会えたのと、友だちいたの大きい。海外にちょっと住んだのもよかった。」
ぱぷりこさん心理学専攻だったんだー。絶対この人職業コンサルよねw
「つぶやきだとぱぷりこはIT系のコンサル(文系も多いよ)のイメージ」
「ぱぷりこ[相談37]推定相思相愛だった後輩と自然消滅して立ち直れない。トラウマを乗り越えたい
常識常識言うやつなんていないし妄想上の人間を叩くための妄想上のわら人形って感じて耐えられなくて書き込みました」
「ぱぷりこ[相談38]自己肯定感が低すぎハイスペ女子。ハイスペモラハラ夫と離婚すべきか現状維持か判断できない。
「よく分かったね。女の子でこれ言って分かった人、初めてだよ」こんなこというやついるか?それで惚れる女も。ぱぷりこって創作にしても頭おかしいんじゃねえの」
ありえねー」
を本屋で冒頭数ページ読んだら、「『菊と刀』とは、一見繊細で芸術を愛するように見えるのに、ふとした局面に途端に暴力的で強権主義的になる日本人の、二面性の著しさの象徴である」(要約)と書いてあって、もうそれだけで「この人はわかってるなー」と思って買わずに帰ってきたんだけど。
この、70年前の戦争記録から日本人を分析した論文と、ほぼ同じような感想を、現代日本を観察する欧米人の多くも持っていることだろう。日本に生まれ育った俺でさえ、これがまったく不思議でしかたない。
多くの日本人は、俺やこの種の欧米人にとっては当然のように「あわせて備えているもの」と感じられる性質のセットの、どちらかが平気で欠けていたりする。たとえば理系や芸術分野に携わる人間の、社会的理想像の幼稚さ……なんて言うと文系はてなサヨクは小躍りしてそうだそうだと言いそうだが、逆に言えば、歴史や社会を興味対象にする連中の、創造的活動への関心の低さも異常なのである。
「生まれて初めて料理(ハンバーグ)をするために調理器具から小麦粉から買ってきたら1まんえん以上した!自炊は高い!」なんて、冗談としても発想が小学生レベルで稚拙な記事を、いつもは『吾輩は知的である』なんて顔をしてる連中が「そうだ自炊は高いんだ」と拡散したりする。
まず、こんな記事を書けるような年になるまで、本当に一回も料理をしたことがない人間なんて、その時点でただの教育の失敗とは思わないのだろうか。
良い年して現代史もまともに知らず、ネットで感化されて修正史観にハマってしまうネトウヨと、低レベルさにおいて何が違うんだそれは。
欧米の「リベラル」はこんな中庸に欠ける連中ではない。少なくとも、主流の「スタイル」はこれほど低レベルではない。
人権意識を持ち、環境に配慮をし、知的好奇心に溢れるインテリだからこそ、「自分でやる」ことへの情熱を失わない。下手でもDIYや自炊への憧憬を見せる。
一方で、アーティストや職人肌のギークたちが、社会や環境に配慮したものづくりを意識し、積極的にメッセージを発信することも、ごく当然のように行われる。ギーク系のニュースサイトやブログでも、人道/環境配慮や科学技術政策のあり方(政治議論)に、正面から切り込んでいく。
これらは日本ではほとんどみられないものだが、本当にその理想を追求したのなら、人を知ることはものを知ることであり、ものを知ることは人を知ることであるといずれ繋がるのは、このように論理的には必定に思える。欧米では「当然あわせて備えているべきもの」と(少なくとも至上の理想レベルでは)見なされているこの両輪に、何故日本ではこんな断絶があり続けるのだろう?
『菊と刀』の奇妙な同居は、結局のところ、ものごとを薄っぺらな表層レベルでしか装えない、日本人の精神性の貧しさの現れでしかないのではないだろうか。