はてなキーワード: 薄っぺらとは
自分がネットに入り浸ってオタク談議をするようになって、もう15年くらい経つわけだが、最近のネットは自分のようなへそ曲がりにとっては、あまり居心地のいい場所ではなくなってきたように思う。
例えばアニメや特撮や漫画の話にしても、昔のネットは通り一遍の雑誌やテレビの受け売りのような論評ばかりではなく、
「この作品は名作と言われているが、本当に名作か?駄作と言われているが、本当に駄作か?」
「今、世間じゃこの作品がすごく流行っているらしいけど、どうも俺には合わないなぁ」
「この作り手は深いテーマを描き続けた偉大なクリエーターと評価されているが、そうかね。俺はそこまで素晴らしい作品ばかりとは思わないし、かなり問題も多かったと思うがねぇ」
その中には共感をおぼえるものも少なくなかったし、時にはそれこそ雑誌やテレビではまずお目にかかれないような、深く感銘を受ける意見に出会うことも度々あった。
それがここ5、6年くらいだろうか、いつ来てみても、2chもTwitterも他のSNSやブログやサイトも、
「名作と言ったら名作なんだよ、異論は認めん。やいやい文句をつける奴はバカだ」
「お前は偉大な大御所の○○先生にケチをつけるのか?!上っ面しか見ていないくせにわきまえろ」
そして気づけば文字通り薄っぺらな、何処かから拾ってきたような通り一遍の評価しか見られなくなった。
近年の作品はまだ評価が固まっていないせいか、それほどでもないのだが、90年代以前のもの、特に昭和の名作と呼ばれるような作品や作り手になると、もうどうしようもない。
もちろん、じゃあ昔のネットはそこまで風通しが良かったか?と言えば、別にそんなことはない。
昔でも基本的には誰かの受け売りのような評価の方が多かったし、自分のようなへそ曲がりオタクにそこまで居場所があったわけではないのだが・・・。
今は少数どころかほとんど絶無になってしまったし、意見を表明できる場もそんなにない、無理矢理主張したところで誰からも同意してもらえず、逆にフルボッコされて終わり、というのが当たり前になってしまったようだ。
某CEOが話題になっているが、あの人は悪くない。悪いのは騒いでいる周りのバカどもだ。
あの人が本物のクソ野郎だというのは少し会って話せばすぐに気づくはずだ。いつも笑顔だが目が笑ってないし、人を利用することに躊躇が無い。それを隠そうともしない。公の場で話していることも薄っぺらく信念がないから状況が悪くなると知らん顔で何のレスポンスも返さなくなる。黙って押し通せばなんとかなると思っている。
そんなことにすぐに気づかず距離を置かなかったバカどもが悪い。某CEOには何の責任もない。あの人はただのクソッタレなんだよ。熊が人を襲うのと同じように、あのクソ野郎は人をこき使う習性を持った動物なんだよ。理解できる?
酷評されていますね!「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
これだけの製作陣が集まって、何よりあの伝説の映画のアニメ化ということで、どこをどうするとこんなに酷いレビューになるのかと興味を持って観に行きました。
この記事のスタンスとしては、この映画は誰にでも勧められるわけではないけど、ここまで酷評されていると「観に行くべき人」が行かなくなるのは可哀想だなあ、、という曖昧な感じで書いています。
観る前「どうせ脚本の大根仁氏がわかりやすく書きすぎて、薄っぺらい映画になったに違いない」
↓ ↓ ↓
観た後「なんだこれは、、、微妙なところ付いてきたな。。。」
でした。
(ちなみに、それらを踏まえた上での「正しい見方」は後半にあります。)
映画レビューサイトなどは匿名ということもあり責任が無いため極端なレビューや部分的なレビューが多い感じがしました。
そこでYoutuberの皆様による参考レビューを見てみたところ、年代やレビュアーの特徴も出ていて面白かったので、まとめました。
映画の良し悪しに関わらず、どういう種類の人が、どういうことを言っているのか、というのは参考になりました!
https://www.youtube.com/watch?v=ImsZEy_5Q0U
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・その他
・総評
https://www.youtube.com/watch?v=h_TvQse51E4
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・ストーリーについて
https://www.youtube.com/watch?v=8L3zGz5O7-E
・レビュアーについて
・総評
・絵について
・音楽について
・ストーリーなど
・声優について
さて、、、、
そんなわけで「正しい見方」、、、
少し長いです、、、
を求めている人はいないわけです。
さて、原作とこのアニメ映画の関係ですが、意外にも大根仁氏は原作をベースにしながら独自の解釈で、魅力を増幅させようと脚本を書いたようです。
結果的に、
という作品となりました。
タイムリープの展開をより哲学的な形にまとめあげたりしています。
そんなわけで、岩井俊二の世界観が理解できない、好きではない人にとっては、
単なる「よく分からない話」で終わるのかもしれません。
プロモーションが「君の名は」を想像させたんでしょうねえ、、、
という前向きに捉える人ももちろんいるでしょう。
それにしても大衆向けという意味では「打ち上げ花火〜」はちょっと難しすぎたのかもしれません。
そんなわけでプロモーションの失敗ということは確実に言えそうです。
原作ではタイムリープは1回でした。あのとき違う行動をしていたら未来は変わっていた、という2つのストーリーを描いた映画です。
このアニメではタイムリープは何回も行われます(4回だったかな?)。タイムリープするための石という新たなアイテムも出てきます。
石のアイテムの効果で、現実感を薄くさせてしまって想像の世界という感じがもちろん強くなりました。
そのため、原作が好きな人にとってはちょっと不満はあるでしょう。
ただ、これによってアニメが好きな層にアプローチできると思って新たなストーリーを作ったのでしょう。
結果的にはそれでも良く分からなかったということで、アニメ好き層には響かなかったような感じがします。
原作では、完全に2つの世界があって、それらは別々でした。ただ、観客はその2つの世界を客観的に見ることによって、ノスタルジーや非現実感を感じて楽しむのが「打ち上げ花火〜」の醍醐味です。
のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。
(この辺りが、若年層には全く伝わっていないっぽい、、、、)
詳しくないのでわかりません。
ただ、声優は別に違和感は無いです(あまり期待していないというのもある)
詳しくないのでわかりません。
あと「君の名は」もそうですし、横田守細田守氏、ジブリ系のものと比べても書き込まれていない部分が目立つのはその通りと思います。
→岩井俊二氏が描きたかった人間を全然理解できていないというか、世代の違いなんでしょうか、、、
人って素直になれない時は変なこと言っちゃうっていう、そいいうことが理解されない時代になったんでしょうか、、、
→ある程度、知見を持った人が映画作ってるわけなんで、理解しようという視点も必要なんじゃないかなんて老婆心的に思います、、、
→この映画は恋愛は真ん中に置いてあるけど主題では無くて、子供の頃の気持ちとかノスタルジーが主題なんだと思うんですが、、、
「原作が好きな人が、原作をすっぽり忘れて観に行くと、爽やかな夏の午後のような気持ちになれる」
(どっちやねん!)
大衆的ヒットが得意な大根仁氏を擁立しながら、なぜこうなった、という話について少し言及を。
https://www.youtube.com/watch?v=4TeLnGkyCL0
この中で、原作・脚本・監督を一貫して行う理由を聞かれた岩井俊二氏は、こんなことを語っています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
この本のあとがきで、岩井俊二氏自身がこんなことを書いています。
こういうことを踏まえると、大根仁氏は依頼が来た時に単純なリメイクや大衆受けする脚本ではなく、
そこに新しい世界を作りつつ原作を超える、新しい作品となるような脚本を作ること目指したのではないかと思われます。
(完全な推測)
小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずなの事が好きだった。しかしなずなの両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずなは、プールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介か? 典道か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/打ち上げ花火、下から見るか%3F_横から見るか%3F
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
(未確認)
80年代前後の24時間テレビのメインテーマは、必要な支援は何かということを明確化していた。
気持ち悪さはあまり感じない。むしろ誠実さや実直さといった、プラスのイメージを抱くテーマである。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第1回(1978年)・第2回(1979年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を! |
第3回(1980年) | カンボジア・ベトナム・ラオスの難民のために! |
第4回(1981年) | アジア・アフリカの障害者のために!国際障害者年記念 |
第5回(1982年) | ストップ!ニッポン姥捨て時代! |
第6回(1983年) | 君の地球のボランティア!アフリカ飢餓緊急援助!世界コミュニケーション記念 |
第7回(1984年) | この地球の未来は子どもたちのもの! |
第8回(1985年) | アフリカ飢餓救援 |
第9回(1986年) | 寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!そしてアジア・アフリカの飢えた子どもたちのために! |
第10回(1987年) | SAVE THE CHILDREN |
第11回(1988年) | 君は地球のボランティアお年寄りに在宅福祉を、障害者に社会参加を! |
第12回(1989年) | アジア・アフリカの子どもたちに海外援助を! |
第13回(1990年) | 地球を救え!10年計画 |
第14回(1991年) | 雲仙・普賢岳災害救援!寝たきりのお年寄りにお風呂カーを!障害者に社会参加を!アジア・アフリカに海外援助を! |
90年代ごろ、何が必要な支援かということがメインテーマから消えた。
その代わり、メインテーマが薄っぺらい美辞麗句だけで構成されるようになった。
個人的にはポジティブの押し売りみたいな薄気味悪さを感じるし、一抹の気持ち悪さすら感じる。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第15回(1992年) | 愛の歌声は地球を救う |
第16回(1993年) | 出会い |
第17回(1994年) | チャレンジ! |
第18回(1995年) | もう一度、チャレンジ |
第19回(1996年) | ONE LOVE〜つなげよう!ひとつの愛〜 |
第20回(1997年) | 勇気を出して |
第21回(1998年) | いま、始めよう |
第22回(1999年) | 伝えたい…夢のちから! |
第23回(2000年) | がんばる…君のために! |
第24回(2001年) | 家族って何? |
第25回(2002年) | 家族で笑ってますか…? |
第26回(2003年) | あなたを一番愛する人… |
第27回(2004年) | あなたの夢はみんなの夢 |
第28回(2005年) | 生きる |
2000年代の中ごろ以降、メインテーマは90年代以降の薄っぺらい美辞麗句路線を維持しつつも、
本来漢字やひらがなで表記すべきところを意味もなくカタカナで表記(キズナ・キセキなど)したり、
一般受けしやすい単語(絆・愛など)に薄っぺらいポエムをドッキングさせたりしている。
回数(放送年) | メインテーマ |
---|---|
第29回(2006年) | 絆(キズナ)〜今、私たちにできること |
第30回(2007年) | 人生が変わる瞬間(とき) |
第31回(2008年) | 誓い〜一番大切な約束〜 |
第32回(2009年) | START!〜一歩を踏みだそう〜 |
第33回(2010年) | ありがとう〜今、あの人に伝えたい〜 |
第34回(2011年) | 力(ちから)〜わたしは、たいせつなひとり。〜 |
第35回(2012年) | 未来 みらい |
第36回(2013年) | ニッポンって…?〜この国のかたち〜 |
第37回(2014年) | 小さなキセキ、大きなキセキ |
第38回(2015年) | つなぐ〜時を超えて笑顔を〜 |
第39回(2016年) | 愛〜これが私の生きる道〜 |
第40回(2017年) | 告白〜勇気を出して伝えよう〜 |
数十年もの間、毎年数億円単位の募金を集め、それを社会福祉のために役立てている24時間テレビの存在には頭が下がる思いだ。
そういう実績がある以上、今後も続けていくべき番組だろうとは思う。
高校三年生の甥っ子が「進路めんどい」とうだうだしていた。「大学受験はかったるい」「専門学校でいっか」「とにかくどこでもいいから行け行け担任も親もうるさくて」。
なんでも聞いてくれるというお墨付きをいただいた私は傾聴に努めるけれど、心はふんわりと自分の中へと潜り込む。
自分の高校時代を思い返してみると確かに、あの頃は何をしたいかなんてさっぱりわからなかった。
姉(甥っ子の母)が優秀だったので何一つ問題なく高学歴ルートに入るのをなんとなく劣等感にまみれた目で見ていた。
周囲の目を気にしながらも、あの時なりにつくった理由(将来の夢?)を足かせに大学受験をしたことを覚えている。
妹は私よりずいぶんとハッキリとした夢を描いて一年後専門学校へ進学した。
弟は目的がなかったことと経済的余裕がないことを理由に高校卒業後働いた。
だから、大学と専門学校という最終学歴を持つこと、そして最終学歴を高校とすることのそれぞれの結果を家族内で見たことになる。
単にあるひとつのケースとして、だけれど。
大学は公立だったため学費は私立と比較すればかからなかったほうで、留年もせず卒業した私はその後一般企業に勤め、あまりのブラックさにうつ病を発症して退職、現在は専業主婦。病も軽度の時に救われたため、現在は幸せと言える。
妹は専門学校進学のために奨学金を借り、卒業後狭き門だった夢はそうそうに諦めてフリーターを続けるも奨学金返済が間に合わず実家に戻り、現在は実家の自営業を手伝う。彼女は彼女なりの幸せを模索しているみたい。
弟は飲食業のバイトを続けたのちに同社の社員に昇格、その後独立して自分の店を建てるもうまくいかずに店を閉め、その後はその経験をブログ執筆にあてて副業で稼ぎながら農家で修業中。彼も幸せ。
大学時代に学んだ授業は、驚くほど覚えていない。ただ、時間も惜しまず研究したこと、そこで出会った刺激的な仲間については今も良い糧となっている。全く別の業種についたが、あそこで出来上がったアイデンティティは大きい。
妹は専門学校時代を忌み嫌っている。理由は授業が入学前に説明されたものと違ったということと、専門学校自体の宣伝に自分の夢を搾取されたと感じたからだという。夢を叶えられなかったのは自分の才能がないからだ、と理解している。
弟はそんな私たちを横目で見て、一度お酒を飲み交わした際に「学費を払って何を学んでいるの?俺はお金稼ぎながらあほのように人生経験してるよ」と言ったことがあった。あの言葉は、忘れられない。
払った学費はなんだかんだで妹が一番大きいだろうか。
私は大学そのものに払ったお金よりもその他の交友関係に使った費用が大きかった。
夏休みの終わり、たくさんの高校三年生が、あるいはもっと若い学生たちが、進路に悩んでいるのだろう。
どの学校?偏差値は?親が言うからしょうがない、勉強めんどうくさい、これやりたい、あれやりたい。
ついこの前VALUの騒ぎを見て、あと今更ながら逃げ恥を見ていてぽつんと思ったことだが、やっぱりなんでも見返りがほしい。
なんでもだ。
というか、見返りを求めないで誰かの言いなりになって決めると不幸しか訪れない。
進学を選ばなければ自由な時間と労働から得る充実感、そして対価だろうか。
なんだか言葉で書けば書くほど薄っぺらくて、そんなもののために(というかそんなふわっとしたもののために)進路なんて決まるか、と思えてくる。
早く決めろ、どこでもいいから行け、という大人の意見は、まあ正しい部分もあるにはあるけれど鵜呑みにする必要はないと思う。
だからやってほしいことがある。ここからが高校三年生の甥っ子にも話したことだけれど。
まず、進学するなら学費を見てほしい。大学でも専門学校でも。それから、在学する年数も。
その上で、その学費と時間を投資して「何を買いたいのか」をハッキリ答えられるか確認してほしい。
その形は「夢(状態)」でもいいし、「将来の収入(物)」でもいいし、なんなら「たった一人の親友」とかでもいい。
つり合いのとれる見返りを自分で描いてほしい。
それがどうしてもできないんだったら、ちょっと高値張って無駄な買い物をすることになると思う。
それは、あとでわめいても、誰にも文句を言えないお買い物。
ちなみに財布が親だろうが、奨学金だろうが、自分ではない場合も確かめてほしい。
ということをつらつらと話した。
甥っ子は途中からうつむいて、「めんどーだよもー、ゆーちゅーばーになるー」と大声ではやしたてて言っている顔の表情は隠して見せなかった。
単に自分の心との調和が取れず、メンヘルになっているだけ。桜並木を散歩でもしながら自分の心と対峙してみるといい。勝つ必要なんて無い事が良く分かるから。そもそもマトモな人はネットで活動なんてしないしね。
まだ若いと言われる年齢だけど、年を重ねる度に生きることに執念を持てなくなる。これが大人になるってことなのかな。
仕事は、真剣に熱意を持ってる大人なんて一握りで、あとは上の人にだけいい顔見せて残りの仕事は適当にやってる人ばかり。そんな姿を見ると諦めが付く。頑張るなんて馬鹿らしいのかなって。
友達は、仲良かったあの子もその子も、みんな離れていく。何が悪いのかも言ってくれない。どんなに時間をかけて長い間大事に培った仲でもほんの一瞬で全部がダメになる。
苦しい。周りの大人みたいに完全に諦めが付けばまだ楽だけど、ほのかに期待を持ってしまう自分は捨てれない。もし今頑張れば仕事も楽しくなるかも、もしかしたらまた新しく築ける仲があるんじゃないか、って。辛い思いをしたのにそれがあった時の幸せを忘れられなくてまた求めてしまうのは本当に悪いところだと思う。治そうとしても治せないし。
早く諦められるようになりたい。期待せずに苦しくない日々を送りたい。もう傷つきたくない。
映画館に行くといつも思うのは、映画を観る前にウンコを漏らしたいということ。
トイレを設置することが法律で決まっているというのであれば、全ての大便用個室を清掃中にするとか有料にして10万円くらいお金を取ればいいのに、そういったことをしている所は皆無。
ホールで意味のないパンフレット置くより、ずっとニーズはあるはず。
その浣腸に次回の映画の宣伝や、映画館年間会員の案内とか印刷しておけば凄い効果的だと思うんだが、そういったことしている映画館はどこにもない。
アニメ映画とか50円くらいで各キャラクターのイラストを印刷してポケット浣腸を作って置いてけば、キャラクターのフンなら全種類買うのではないか。
宣伝用のポケット浣腸を作るのも高くて、なかなかできないというのであれば、街頭で配っている宣伝用の浣腸を、ただでホールに置いておけば良い。
そんなことよりも、馬鹿高い薄っぺらいパンフレットを売る方が利益率が高いから、それだけしていた方が良いと思っているのだろうか?
もしくはそんなことはとうの昔に考えられているが、何か大きなデメリットがあってやらないのだろうか?
映画館に行くといつも思うのは、映画を観る前にパンティーを被りたいということ。
なのに、おパンティーを置いている映画館に出会ったことがない。
おパンティーが高くて置けないというのであれば、パンティーとか使い捨てパンティーとか有料でも良いからおいて置けばいいのに、そういったことをしている所は皆無。
ホールで意味のないパンフレット置くより、ずっとニーズはあるはず。
そのパンティーに次回の映画の宣伝や、映画館年間会員の案内とか印刷しておけば凄い効果的だと思うんだが、そういったことしている映画館はどこにもない。
アニメ映画とか50円くらいで各キャラクターのイラストを印刷してポケットパンティー作って置いてけば、キャラクターのファンなら全種類買うのではないか。
宣伝用のポケットパンティーを作るのも高くて、なかなかできないというのであれば、街頭で配っている宣伝用のパンティーを、ただでホールに置いておけば良い。
そんなことよりも、馬鹿高い薄っぺらいマイクロビキニを売る方が利益率が高いから、それだけしていた方が良いと思っているのだろうか?
もしくはそんなことはとうの昔に考えられているが、何か大きなデメリットがあってやらないのだろうか?
ただ、頼むからくだらない話で絡んでくるな。
あまりにもしつこいので最後は無視していたが、酒が入っているせいで気が付かないのか諦めが悪い。
本当にいろいろ消耗した。考えていたロジックは途中で飛ぶし、良い事なしだ。
お前がヒマなのは知っている。今までアウトプットがゼロだからだ。信用を失いまくった結果だ。
お前の部署を見てみろ。ゴミクソの同類ばかり集められてるだろ。
そのゴミ達と仲良くやってくれ。
まともなサービス一つ構築できないゴミどもはゴミらしくおとなしく隅っこで固まって息だけしてろ。
解雇されないありがたさを噛みしめろ。技術者のフリして薄っぺらいテキストを並べるな。くだらない。
ステレオタイプが何故脅威かというと
そこからはみ出たものが実質的に不利益を被ったり疎外されたりするからで
自分をステレオタイプに合わせるほど利益が多くなる社会ならそんな論なんか無意味じゃん
そしてエマ自身ステレオタイプに合致する男性ばっかり選んでるんだよ
そりゃ笑われるよこんなの
フェアネスの為に言っておくと
歴代彼氏が伏せられてても、歴代彼氏が低身長のオカマばっかりでも
「お金なんてただの紙じゃない?みんなこんなの使うのやめましょ!」っていうようなもん
実際にエマが通貨を拒絶してアーミッシュ生活始めたとしても(低身長のオカマと付き合ったとしても)社会は変わらないよね
ね、
だから本当は、どんな男と付き合ってようが発言自体がアホなのよ
「お前ステレオタイプなイケメン成功者ばっかと付き合ってるやんけー」っていうのは
追加のチャチャみたいなもんで実は本論ではない
タイトルが覚えづらいと困る
俺がもう1人いるなら観なくていいとおすすめする
よく主人公の声優の演技の仕方がどうとか叩いてるガキコメあるけどそこは全然どうでもいい
演技の1つだし主人公の個性だからそこでどうこう言うのは素人、プロはそこじゃない
要約するとつまらん
クラス評価が低いと現金代わりのポイントが支給されないってことが
何話やるのか調べる気にもならないけどこんなネタで終わらせて続き気になるのなんてリアル中学生・高校生でしょ
今のところ続きが気になる伏線もないし、本当に2話に繋げる要素ってこの1点だけ
キャラは正直言って魅力ない、主人公は無個性にすることで話が成り立つかもしれないけど
巨乳ヒロインの何でもいいから友達増やしたいってのも行動が薄っぺらすぎる
薄っぺらいというのは視聴者の想像を超える行動が1つもないってこと
9年間もぼっちを続ける、反対に同じくらい人気者を続ければ
一般的な感覚と大幅にズレてくるので視聴者の行動を超えてくるものがある
それが何一つなくて本当に中学生・高校生が思い描いた奇抜キャラノートみたいな行動しかしない
俺様キャラが早速出てきたけど絵に描いた餅みたいなキャラだった
無個性主人公もいいけど無能に近いので別にこいつでなくても話回るよなってのが強い
つまりこいつの行動は脚本有樹の行動であってキャラの自発性・リアリティじゃない
なので話が進んでも好感持てない
話を戻すが実力主義と言いつつもクラス替えなし、評価はクラス単位ってそれは全体主義だろ
Aクラスでも落ちぶれるやつが出てくるのにAのままだと実力不相応じゃないのか
現実世界は転職すれば環境はころころ変わるのに1つの環境に固執するのはなぜ?
このあたりタイトルと既に食い違ってるからここで納得できるネタがないなら心も頭も話から剥離する
どうすんのこれ
あとエリート校に入る曲がりなりにもエリートの生徒たちが10万円支給で浮かれすぎ
そんな名門に入るやつは親も金持ちだからもっと小遣いもらってんだろ
Dクラスは貧乏学生だけど勉強できるから入ったとか金持ちもいるとかの描写必要
10万円で日用品含む生活費なら浪費もできんと思うしこの辺りが違和感バリバリ
あとスポーツ特待生じゃないエリート校入ったばっかの勉強してきたやつが
10万円の誘惑くらいですぐに授業まともに受けなくなるとかねえよ